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今日、明日で今年も終わりですね~今年もいろいろあったな〜と振り返っている方も多いでしょう。私は基本、過去を振り返らない、先のことを考えない人ですが何だか最近、昔は私はこうだったなあと懐かしく思いだしていました。そして、2014年を振り返ってみるとそういう過去の私がいろんな形で再び出てきてそれを手放してゆくプロセスになっていました。私の周りでは、この2014年は、大きな変化変容の年になっている人が多いです。結婚、離婚、出産、転居、転職、別れなど、その人の人生にとって大きな出来事が今年あったという人もけっこう多いしまた大きな出来事ではなくても、自分のこれまでの価値観や生き方が根底から変わるような意識の変化を体験されている方もいます。これはたまたま私の周りやクライアントさんに多いだけなのかそれとも全体的に多いのかはわかりませんが。そういう変化のプロセスの最中は、けっこう苦しいのですよね~。もちろん離婚や別れなどの変化は、ストレスになることは多いですが例え、自分が前からやりたかった新たな仕事を始めるにしてもその前にはいろんな葛藤があったり結婚や出産といったハッピーな変化であっても人によっては、結婚式や新たな人間関係でのストレスだとか不妊で悩む時期だとか、妊娠中も思い描いていた状態で過ごせなかったとか必ずしもいつも楽でハッピーとはいかないこともあるわけです。もちろん、それらもすべてマインドの作り上げた困難や苦労なのでそこから抜け出せば、楽に生きれるのですが。私も今年を振り返ると、充実して楽しかったけど今から思えば、けっこう苦しかったこともあったなあと。特に2月のエジプトの旅の後と、5月の日本の後。そしてキネシプロ養成講座の後の11月の始め。これは、身体的にも、食中毒やぎっくり腰などデトックスが起こったこともありますが何よりも、精神的なデトックスが大きかった。私はこれまで自分がやりたいことだけやってきたしそれはとっくに手放したと思っていた「人を救わなければ、世界を救わねば、慈悲と共感と使命感」の意識がまだ強く根付いていてそれを再び、手放してゆくプロセスとなり私にとっては、たぶん10年ぶりぐらいの大きな変化になりました。古く慣れ親しんだものから抜け出す時というのは、何らかの勢いが必要でそれが身体からのサインだったり、ヒーリングだったり旅だったりするわけですね。そのおかげで、一昨年、去年よりも、大幅に休みの日は増えて一昨年の月に休みは1、2日しかない状態から考えるとここ最近は週に2日休みを取っても、ギルティ感は全く感じないし今年から長期での休みも取れるようになって来年も2月から2ヶ月間ハワイに滞在して1ヶ月間は仕事としてリトリートを開きますが残りの1ヶ月は完全バケーションというここ20年ぐらいできなかったこともできるようになりました。そして、今年はおさむとの関係におけても様々な変化がありました。ここ1、2年、おさむがキネシオロジストになってからというもの私とおさむは、毎日毎日、片時も離れず一緒にいるようになりさらに深くつながっていって、それに従ってたまに、どこまでが私でどこまでがおさむなのかよくわからなくなってしまったところがありそのあたりの境界線を、最近あらためて意識することになりました。そして先日、おさむが私にセッションをしてくれたのですがその目標の一つが「おさむから自立すること」これまで自分のやりたいことを自由にやってきたもののここ1、2年、私がおさむに対して過保護になっていたというかどこかに、おさむを一人前にしなきゃ、みたいな気持ちがあったなあと。例えば、おさむがしばらく仕事が少ない時期があった時など心配はしていないけれど、どこかで気になっているというか。以前はおさむを置いて一人旅などもやっていたのにここ最近は一人で何かをやりたいという気持ちが全く湧いてこなかったわけです。やりたいと感じることだけが、魂の方向とは限らないということを先日も書きましたがこれからおさむから離れて何かを行うことも再びやってゆく時期に入ってきたということなのかなあと。「このセッションは俺からのクリスマスプレゼントだよ」とおさむは言っていましたが、彼が私の中のこういう要因を引き出せるようになったということがすでに次のステージに来ているというサインなのですね。と、これからの変化もまた楽しみですがそのセッション後のデトックスとして、クリスマスに映画を見に行った時に私はおさむのちょっとした態度に腹を立てるという一幕がありました。ま、私は怒ったらがまんしたりせずに、思いっきり出してしまう人なので帰りにはもう怒りは消えて「あ~私ってなんて幸せ~♡」となっていたのですが怒っている時の私の感情としては「いつもおさむはそうだった。私はずっとがまんしていた」と、おさむを責める気持ちが吹き出てきました。私は出来事の記憶力が悪いこともあって過去のことを持ち出して文句を言ったりすることは苦手なのですがこの時ばかりは、昔からおさむはこうだった~という恨みつらみを言いたい気持ちが止まらないわけです。ブンブン怒りながらも、これはどこから来ているんだろう?と感じているのですが、感情というのはどうにも止めれないわけですね。さて、その要因を再びおさむに見てもらったら「楽しい時に一緒に盛り上がらない人への怒り」というのが出てきました。クリスマスの日におさむのテンションが低かったので私が怒りを感じたのですがおさむは基本、いつも淡々としていて、盛り上がらない人であることは20年近くつきあってきてよくわかっているしこれまで、特に気にもならなかったのに何で今更、そんなところに反応してるの?と自分でもよくわからなかったのです。筋反射で見てゆくと、これは、私の「いつも人と感動を分かち合いたい」「パーティや祝いの場では最大限に楽しみたい」という思いから来ていておさむだけでなく、みんなで楽しんでいる時などに一人テンションが低い人がいると気にしないようにしていても、居心地が悪くなるし酒を飲まない=盛り上げれない=喜びを分かち合えないの図式もまだ残っていました。根本要因は、もちろん私の両親からの影響。母は、とにかく楽しいことが好き、みんなで盛り上がるのが好きな人でそういう場で盛り上げれない人はおもしろくないまじめな人はつまらない、とよく言っていたし父は一緒に酒を飲まないやつはだめなやつだ、という信念でその両親から育てられまた大学時代に酒の場で盛り上げることを叩き込まれ当時から、私が酒をとことん飲んだり、盛り上げる人だったので先輩や上司やオーナーから、かわいがられた記憶、があり私の中では、酒飲み=自己価値、にまでなっていたわけですね。しばらくお酒を飲まなかった時代もあるので、自分ではもうとっくに手放してきたつもりでしたがたぶん、一昨年のギリシャやイタリアへの旅あたりからワインを飲まない食事なんて、人生楽しめないという思いが強くなってきたのだなあと。こういうプロセスって、けっこうあるのですよね。例えば、子供の頃に責任感や義理人情が強くて20代、30代は、そういうのから抜け出してやりたいことだけを自由にやってきたのに40代になって、再びもともと持っていた責任感や義理人情が強く出てきてそして、最終的にそれらが最も適切な形で統合される、というようなプロセスで極端から極端に移った後で、中庸になる、という感じです。私はこの極端から、その対局の極端に移るパターンが人生でとても多いということに気づきました。朝から焼き肉を食べるような人だったのに、ある時からビーガンになって何年間か肉も魚も乳製品も一切食べなくなり、そして今はその中庸というか肉は特に食べようという気にはならないけど、魚は普通に食べるし乳製品もたまに取ります。毎日のように酒を飲んで朝まで盛り上がって、という破壊的な生活を何年か送っていたかと思えば、ある時から、ほとんど酒も飲まず朝から毎日瞑想、ヨガして健康的なことしかしない時期もありました。今は、基本は健康的ですが、不健康なこともたまにやります。物の持ち方一つにとっても、いろんな物をあれこれ持っていた時期もあればできるだけ物を手放して、家には冷蔵庫とコンピューター以外の電化製品は一切ない状態だった時期も何年かありここ最近は、電子レンジやテレビは持たないけど掃除機やドライヤーなどはまた使うようになりました。(とうとうiphoneも最近買ったし)この両極端を体験することで最終的には、どちらの状況も楽しめるようになるというか物がない生活も、物があるのも楽しいし健康的なことも、不健康なことも楽しいし人に貢献するのも、全く貢献せずにただ受け取るのも楽しい。その中で、バランスを取って、今はどの立場を取っていく、ということができるようになったのだなあと。だから、両極端にやってみる、というのはヒーリングをしないでバランスを取っていく一つの方法だとあらためて思います(時間はかかってしまうけど)昔は、この「バランスが取る」ということさえ否定していて極端な人や劇的人生やこだわりが強い人などがおもしろかったし、好きでしたがどちらかに片寄れば片寄るほど、本来の私たちの自由さを失ってゆくということがわかってからは、いかに自分の中のいろんな面のバランスを取ってゆくかがキーだなあと感じます。つい先日も、おさむと、久々にオラクルカードを引いて遊ぼうと二人でそれぞれ筋反射でカードを選んだのですが私に出てきたカードは「あなたはスピリチュアルティーチャーであり、人々を光の方に導いていく役割を与えられた人です」というカードでした。そのメッセージを読んでいたおさむが「そんなん、わかっとるわい!」と言ったのですが確かに、数年前ならともかく、今はそのあたりはさすがに受け入れているしむしろ今、そういう使命感を手放そうという時になぜ今更このメッセージ?と思ったのですがそこはバランスを取っていきなさい、ということなのだなあと。極端に走りがちな私のことなので使命感を手放した途端「1年間セッションお休みします〜」ぐらいのことになりがちだし私の本質(魂とか宇宙でも)としてはそのあたりの私の役割はしっかり認識しながらもそこにとらわれず、やりたいことを自由にやっていけということなのかしら〜と。12月は手放す時期というのかいや、古いものを手放して新年を迎えたいという多くの人たちが持っている無意識がそうさせるのかこの12月はけっこう苦しかった~と言われる方もけっこう多いのですよね。私もこの2014年の終わりになっておさむとの関係や酒のこだわりを手放すというデトックスがあり私にとっては、酒との関わりは人との関わり方につながるものだったので古くから持っていた意識を覆すような変化だったわけです。もっとも最近はもうワイン2、3杯で充分満足~という感じでお酒も弱くなっているし、昔のような飲み方はしなくなりましたが(なぜかハードリカーはけっこう飲めるのだけど)少なくとも、酒飲まないと楽しめない、という意識はなくなるのでしょうね。ということで、明日の大晦日は7人で集まって私が昔働いていたレストランにそばとお寿司を食べにいく予定です。とことん飲むわよ〜!!もとい!ほどよく飲むわよ〜新たな年もまたいろいろあるでしょうが、すべてはプロセス。人生に目標地点はないですからあらゆるプロセスを楽しんでゆきましょうね。今年もたくさんの方々にお世話になりました。ありがとうございます。みなさまどうぞよいお年を!!
2014年12月30日
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クリスマスは二日連続で休みを取っていて昨日のイブは外に出かけたので今日は1日ゆっくり家で過ごそうと思っていたのですが朝起きたら、なぜか急に久々に映画を見に行きたくなりました。こういう時は、きっと何か素敵な映画が見つかりそう♪とネットで検索してみたら「Song of the Sea」というアイルランドのアニメが目にとまりトレイラーを見て、一目惚れ。WビレッジのIFC center で上映中だったので、早速見に行きました。わ〜ん、よかった〜〜〜主人公は、陸では人間で、海の中に入るとアシカになるシルキーの女の子シアーシャとその兄であるベン。ママはシルキーで、海に戻らなくてはならずシアーシャを産むと同時に家を出てしまったので、ベンはかなり傷ついていて最初の頃は、妹シアーシャがシルキーであることも知らず辛く当たります。この辺りのベンのインナーチャイルドがよく描かれているのですよね。そして、シアーシャがとにかくかわいい。アイルランドのアニメでアイルランドの民話、伝説を元に作られたお話だそうですがとにかく画像が美しくて、どのシーンを切り取ってもうっとりするような色使い。ラピュタやトトロのような初期の宮崎駿アニメのようなファンタジーに加えて、絵が何と言うか絵画に近い深い色合いで、そのまま部屋に飾りたくなるような画像が満載でした。映画館には子供もたくさん来ていました。映画がママとお別れのシーンでは、客席で見ていた子供がわ〜ん、と泣き出して、会場内は微笑ましい笑いが起こりました。そりゃ子供にとっては、ママと別れるシーンは辛いよね〜。という私も、ボロボロ涙が止まらなかったのだけど映画で流れるアイルランドの音楽もいい〜〜ケルト文化、アイルランドにもいつか行ってみたいな〜。この映画の監督は、トムムーアという方で他にも「The secret of kelts」(邦題ブレンダンとケルズの秘密)というアニメを制作していて、それは数年前に日本で公開されたそう。早速、アマゾンで借りて見てみました。私は「Song of the sea」の方が好きだけれど絵はやはり美しかったです。この『Song of the sea」の方は、日本での公開はまだないようですが日本で公開されたら、ヒットしそう。NYでは今月19日に公開されたばかりです。こちらはトレイラー。https://www.youtube.com/watch?v=HgbXWt8kM5Q
2014年12月25日
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メリークリスマス!!みなさま、今年のクリスマスをいかがお過ごしでしょうか?欧米ではクリスマスは、一般的に家族みんなで集まって過ごす日という感じですが親しい人たちとみんなでわいわい過ごすクリスマスもいいし愛する人と二人でロマンティックに過ごすクリスマスもいいしそして、また一人で過ごすクリスマスも、またいいものだなあと。私も、これまでいろんなクリスマスを過ごしてきましたが案外、心に残っているのは、パーティーでみんなで楽しく過ごしたクリスマスよりも一人で過ごしたクリスマスだったりするのですよね〜。その中でも忘れられないのが、1990年私はニューヨークに最初にやってきた年のクリスマスです。NYに来てすぐに、ボーイフレンドや友人はできたのですがいろんな状況で、その年のクリスマスは、一人で過ごしました。たぶん、さみしいという気持ちはあったのですがその頃の私は、そういう気持ちを感じないようにいつも前向きに動いている人だったのでクリスマスを一人で過ごすことになって「よし、それならクリスマスの日に前からやりたかったことを始めよう」と、チャイナタウンの画材屋パールペイント(今はつぶれてしまったけど)に画材を買いに出かけました。私はキャンバスとアクリル絵の具を一式購入し、夕暮れのクリスマスの街を一人歩いて家に戻っていました。当時、私はイーストビレッジの2aveの5stに住んでいたのですが家の近くまで来た時に一人の見知らぬおばあさん(もう顔も全く覚えていないけれど)が私の顔を見るなり「Oh my sweet heart(私の愛しい人)!メリークリスマス!!」と、まるで大切な娘に出会ったかのような表情で声をかけてきました。その彼女の慈愛に満ちた顔を見た途端私の中で何か一気に力が抜けるのを感じて自然と涙が溢れてきました。まるでそのおばあさんに「うんうん、わかっているわよ、私はあなたの気持ちを」と言われているかのように感じていました。その時、初めてあ〜私、本当はさみしかったんだな〜とあらためて自分の気持ちに気づいたのでした。でも、さみしさと同時に、それはどこか温かな感覚でした。私のことを全く知らない人にたった一瞬、声をかけられただけなのにそのおばあさんにわかってもらえたかのような私は一人だけど、本当は一人じゃないそんな感覚になっていました。その夜のクリスマスに、NYに来て初めて、絵を描き初め一晩中、夢中で描いていました。今でもその時の感覚だけは思い出しますがそれはちょっとせつなくて、そしてとても幸せな感覚でした。人生でただの一度も孤独を感じたことがない、という人に今まで出会ったことはないですがたぶんクリスマスの時期って、それを感じやすい時なんでしょうね。もちろん、それも私たちのマインドが作り出している幻想にしか過ぎないわけですが、このさみしさや孤独の感覚って愛おしい感覚でもあるなあ、と今は思うのです。(ここ最近は、私の中の孤独感は見当たらなくなってしまったけど)そんな一人のクリスマスを過ごすことができたことも幸せだったしそして、今、愛する人と一緒にクリスマスを過ごすことができることもまた幸せで、人生は何をどうやっても祝福しかないのだと今日もしみじみ感じています。そして、私がどんな時もそれを感じることができたのは絵や音楽が好きでやってきたこともあるけれどでも、本当はそれよりも、私が私自身のことを好きでいて自分の人生のすべてを信頼することができていたからだということがあの時はわからなかったけど、今はわかります。もし私が自分自身を愛せなかったらまた、自分の人生を信頼できなくて、未来を不安に感じていたら例え、誰がそばにいたとしても幸せは感じれないのでしょう。だから、もし今、これを読んでいる方の中で、幸せを感じていない人がいたらそれはけして今の状況ではないということを知ってほしいなあと。自分自身のすべてを愛することだめな自分も、弱い自分も、そして強い自分も何もかも受け入れて愛おしく感じることは人生の祝福そのものですから。さて、今日のクリスマスイブのディナーは、おさむと二人でまさにイーストビレッジの2avと5st近くのシーフードレストランに食事に行ってきました。この辺りは、あの当時とは、全く変わったのですよね〜。1990年に来た頃は、ホームレスと売春婦とドラッグの売人がストリートにうじゃうじゃいるようなエリアでしたが今は、おしゃれなレストランが立ち並んでいてとてもきれいなエリアになっています。19年前におさむと出会ったのも、2aveのストリート。その頃の昔話をしながら二人でしっぽりと過ごすクリスマスもまた素敵な時間でした。そして、ディナーの後、イーストビレッジのブルーマンの近くの劇場に『Nutcracker Rouge(くるみ割り人形 ルージュ)」を見に行きました。実は、このショーについて、どんなものがよく知らずたまたまネットで検索してヒットしてこれおもしろそう、と事前にチケットを購入して出かけたのですが予想以上に素晴らしくて感動でした。劇場に入ると、クラシカルなシャンデリアや椅子が置かれてある雰囲気のよいラウンジがありそこで待っていると、係の人がやってきて一組ずつ劇場の席に案内してくれます。席に着いたら、クレジットカードを預けて飲み物をオーダーするシステムです。バレエのくるみ割り人形は、2度ほどリンカーンセンターで見ましたがクリスマスの夜に主人公クララがおもちゃの世界に入って冒険とファンタジーを体験していく物語ですがこの「クルミ割り人形、ルージュ」の方はある一人のセックスに奥手な堅い?感じの女性がくるみ割り人形をきっかけに、めくるめくエロスの世界に迷い込みそこで次第に、自らのセクシャリティと女性性を開いてゆき最後は素敵な男性と巡り会いセックスでの一体感の喜びと情熱を表現してゆく、という感じのまさに、大人のためのクルミ割り人形という感じです。(あくまでも、舞台を見ていて感じたストーリーですが)劇場は狭いので、とても近くで見ることができます。女性はほとんどトップレスになり、男性はあの部分だけ隠して踊るのですがダンサーたちの鍛えられた肉体も、踊りも素晴らしいし衣装も舞台も素敵〜♪またオペラのようなアリアを歌い上げるボーカルの女性も素晴らしい。バレエとバーレスクとシルクデソレイユが一体化したようなファンタジックでエロティックでとても美しい舞台でした。ニューヨークって、こんなすごい舞台が気軽に見れるのがやっぱり素晴らしいです。1月4日まで上映しているようなのでNYにお住まいの方でチャンスがある方はぜひ見に行かれてみてくださいませ。そうそう、バーレスクと言えば、2週間ほど前に見に行った友人のかおるちゃんのバースデーショーも素晴らしかったので、ここでご紹介。(どれもiphone で撮った写真なので、画像は粗いけど)パワフル〜でセクシャルな女性を見るのは、ほんと楽しいです。おさむにもキネシでセッションしてもらったしこれから私もセクシャル〜な自分を表現してゆきたいわ〜ということで、あと1週間で今年も終わりですね。みなさま、残り少ない2014年心に残る時間をお過ごしくださいますように。Blessings
2014年12月24日
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これは日本人だからなのか、毎年年末になると大掃除、大片付けをしたくなり12月に入ってから、家のデトックスに力を入れています。自然と溜まってしまうのが、ヒーリング関係の資料や本や道具。古いアロマオイルや使わないパワーグッズなどを処分。フラワーエッセンスも何百種類もありますがメーカーごとにセットで購入したものは使いやすいものの単品で購入したもので、セッションでは出てこないものは処分。くたびれてしまった感じのパワーストーンなどは今度、どこかの土に還します。ヒーリング関係の本や資料は、なかなか捨てれずこれはちょっと時間がかかりそうですが必要なところだけプリントアウトするなどできるだけ整理して、減らしていこうと思っています。キネシオロジーの場合、資料はスキャンリストになるのでどんなものでも取っておきたくなるのですが実際のセッションで、資料が大量にあっても逆に使わなかったりするのですよね。また私のデスク用に使っていた椅子やプリンター用に使っていたチェスト台や古くなったクッションなども処分。私は物持ちがよくて、どれもけっこう長く使っていて10年、20年と使っているものも多いのですが中にはガタが来ているものもあり私の身体に処分するどうか、筋反射で確かめつつ処分してゆきました。捨てるかをどうか身体に聞いてみる、というのは迷わずに済むので、とてもスムーズです。だいたいは、自分の頭での判断と一致しますがたまに「これは必要だよね』と思って、身体に聞いてみると「ノー』と出たりします。捨てるかどうか、迷っているものは処分と出てくることが多いですがアリゾナのタオスプエブロで購入した焼き物の飾り物がちょっと欠けていたので「これは処分かな~?」と思って身体に聞いてみると「処分しない」と出てきたこともありました。茶碗やお皿などは少しでも欠けていれば「処分する」と出てくるのにおもしろいなあと。たぶん、もともとその物自体の波動が高いものは、少々欠けていたとしても、オッケーなのでしょうね。シピボ族の刺繍の布なども、以前はとても気に入っていましたが最近の私の気分ではないので、壁から取り外そうかなあと身体に聞いてみると何度やっても「そのまま飾っておく」と出るのでそのままになっています。さて、部屋のデトックスもそうですが、身体と精神のデトックスも新たな年を迎える前には、力を入れたくなります。以前、よくヒマラヤンソルトをバスタブに入れて入浴していたのですが最近は、エプソムソルトも使うようになりました。エプソムソルトと言えば、先日、たまたまあるブログを読んでいてアイソレーションタンクのことが出てきてああ、そう言えば、以前行きたかったなあと何年かぶりに思い出し何気に検索してみたら、以前はなかったのにNY市内にアイソレーションタンクができるところが出てきました。アイソレーションタンク(フローティングタンク)についてはたぶん10年以上前にジョンCリリー博士の本だったか映画だったかを見て以来、やってみたいなあと思っていたもののNYになかったこともあり、機会がありませんでした。実は以前も一カ所はあったのですが、サイトで見る限り何となく設備なども怪しい感じだったので行く気にならず。今度見つけたところは、主にフィジカルセラピーを行っているところでサイトの写真を見てもちゃんとしているし、サイトで予約もできました。ご存知の方も多いでしょうが、アイソレーションタンクを開発したリリー博士はイルカの研究で有名な脳科学者です。彼の著書をテーマにした映画「イルカの日」や『アルダードステーツ」などは、かなり昔に見たことがありそれほどおもしろかった記憶はないのですが、印象に残っています。アイソレーションタンク内は、音も聴こえない、真っ暗闇の状態で高濃度のエプソムソルトを溶かした水に浮くのでもともとは感覚遮断の時の脳の状態を研究するために作られたそう。当時の私は、変性意識や至高体験などに、より興味があったのですがキネシオロジーを初めてからは日々の生活に根ざしている、地に足が着いたスピリチュアルの方に意識が向かっていったこともあり、ここ何年かすっかりフローティングタンクのことは忘れてしまっていました。でも、たまたま見つけたのも何かのきっかけだし、一度行ってみようと。最初、おさむにフローティングタンクのことを話した時はそれほど興味なさそうにしていたので、私一人で予約をしたのですが後から「俺も行く」と言い出し結局、おさむも一緒に行くことになりました。到着してみると、ここはどちらと言えばリハビリセンターというか、事故や病気で車椅子になった方やびっこを引いている方や、もともとの骨格に問題がある方などたくさんの方が1階のトレーニングルームでセラピストから、フィジカルセラピーを受けられていました。フローティングタンクは、トレーニングルームの上の階にあります。以前はアイソレーションタンクと言うとあまり一般の方が行くようなイメージではなかったのですがここは、フィジカルトレーニングの一環としてリラックスや身体の痛みの軽減のために取り入れているようでマッサージを受けるような感じなのだろうなあと。ここにはフローティングタンクは二つあり私の予約時間は3時30分で、おさむの予約時間は3時で一緒に行ったのですが、私の予約したタンクもすでに空いていたので、同じ時間からスタートできることになりました。一部屋に一つのタンクがありそれぞれの部屋にシャワーやトイレがあり、完全にプライベートです。(おさむの部屋にはシャワーだけでトイレはなかったそうですが)これは、私の部屋のフローティングタンク。(おさむの部屋のタンクは形が違っていました)最初にさっとシャワーを浴びて、耳栓をしてから裸のままタンクの中に入ります。入った後に、中の黒いボタンを押すとドアが閉まり白いボタンを押すと、タンク内の照明が消えます。(全くの暗闇ではなく、外からの光が薄く見える状態でした)フローティングタンクは、確か死海より濃い濃度でエプソムソルトを入れるそうで、水はぬるぬるしています。深さは20cmぐらいの浅さですがそこに浮いているのは、何とも不思議な感覚。と、すぐに胃がむかむかしてきました。実は、フローティングタンクに入る前30分は何も食べてはいけないのですが私はここに到着する前にお腹が空いていて30分前までだったらいいだろうと、近くのカフェで、食べてしまったのですが予想に反して、早くスタートすることになったので胃を休める時間がなかったのです。タンク内で、キネシオロジーの調整で使う胃のリンパ点を刺激すると少し楽になりましたが、もともと胃が弱っていたということに後から気づきました。このタンクの中で、浮いていると、普通は感じなかった身体の滞りが感じられのです。普通にしているとどこも痛くないのに、浮いていると肩に何とも言えない違和感を感じました。痛いというのではないのですが、重いものが肩にのしかかっているような感じ。外部の感覚が遮断されてくると、自分の身体や精神の感覚が研ぎすまされてくるのだなあと。しばらく浮いていると、肩の圧迫感も気にならなくなりだんだん、まるで夜の海にポツンと一人で浮いているような広い宇宙空間に一人で漂っているような感覚になりました。水温は体温と同じの調整されているので暖かいとも寒いとも感じません。ふと恐れを感じました。あ〜これは私が昔から持っている「海に対する恐れ」だなあと。もちろん実際に海にいるわけではないことはわかっているので本当に怖いわけではないのですが意識のどこかで海に身をゆだねることに対する確かな恐れがあるのがわかります。海でも浅瀬で足がつくところではいいのですが足が届かないところになると怖いのです。以前、コスタリカに一人旅をした時、シュノーケリングのツアーに入ったら船で沖まで出て、そこで海に降ろされたことがありました。ライフジャケットで浮いていたら、波に流されて、周りに船も誰もいなくなってその時、強く深い海に対する恐れを感じました。これまでキネシオロジーで一度も、海に対する恐れに関して調整したことがなかったのですがおもしろいことに、その日の朝、たまたま朝に来られたクライアントさんが息子さんの水恐怖症の調整のための代理セっションを行ったらその子の溺れた前世というのが出てきました。私も修も二人とも海が怖いのでたぶん二人とも前世の要因はあるのではないかなあと。今度、キネシオロジーで海恐怖症を手放す必要がありそうです。フローティング時間は私たちは今回60分を選びましたが終わった後は、何時間も海につかった後のようなけだるい疲れと心地よさがありました。おさむの方もいろんな感情がわき上がってきたそう。フローティングは、レイキをやっている時のようなリラックス感だろうと予想していたので、ちょっと意外でおもしろかったです。たぶん感覚は毎回違うでしょうからまた来月にでも行ってみようと思います。ということで、今日はここ最近のデトックス記録でした。来週はもう冬至でクリスマスですね。みなさま素敵なホリデーをお過ごしくださいますように
2014年12月16日
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先日、奈央さんのメルマガで、今度、奈央さんが開発した潤滑剤が発売されることが報告してあり「わ♪これはいいかも〜」と思っていました。潤滑剤と言わずに(膣の)美容液と言われているのも素敵♪以前は、私もセックスの時にはいつも充分、潤っていたので潤滑剤などはピンと来なかったのですが気がつけば、ここ2年ぐらい、毎回ではないものの日によっては潤いが、少なくなっていることに気づきました。潤いが少ない時にオーガズムを得たとしても何だか浅い感じで、深い充実感みたいなものがないんですね。以前、タントラの先生カーラが、潤いが足りない時は潤滑剤を使うといいよ〜と教えてくれたのでいくつかネットでオーガニックの潤滑剤を購入して試してはみたものの使用感は今一つで、使わなくなってしまっていました。それで、先日、とりあえず、キネシオロジーで調整してみようとおさむに、愛液、ラブジュース(正式名称、膣分泌液)の調整をしてもらうことにしました。私はクライアントさんに対してのラブジュースの調整はやったことがありますが、自分に対してはなぜかこれまで調整することを思いつかず、今回初めてです。と、もちろん、ラブジュースであれ、何であれ身体の機能の調整であっても身体そのものの要因だけではなく精神的、感情的な要因が大きいわけですがおさむが筋反射で私の身体に聞いてラブジュースに関する、精神的な要因を見ていたら私がおさむを男性として見ていない、ということが上がってきました。今、私たちは二人とも家で仕事をしていてセッション以外の時間は、一日中一緒にいるわけで仲はとてもいいのですが、あまりにも一緒にいすぎるせいなのかおさむを男性として見る、という感覚は確かに薄れてゆくような。1日中一緒にいるまったりした状態で、セックスに入るわけなので安心感はあるのだけど、興奮わくわく感は少ない。まあ、結婚して長い多くのカップルが、こんな状態になりやすいのでしょうしそれが、セックスレス、などにもつながってくるわけですが。ということで、そのあたりの精神的な要因も調整しつつ私のラブジュースの調整を行っていったわけですがおさむが、私のあそこにチューニングフォークを当てて調整している最中、まるでバイブレーターを当てられているかのようないや、それ以上の衝撃というか感覚がありもういてもたってもいられないむらむら状態となりセッションが終了しないうちにセックスになだれ込むという事態になりました。セッション中にこんな風になったことは初めてです。いきなり、潤い具合も感度もいい感じとなって美容液はもう必要ないかも〜というぐらい私本来の状態に戻ることができて、やっぱりキネシはすごいなあと。(でも、いつか美容液も試してみたいけどね)セックスに入ったのは、セッションが終了していない状態だったのでつまり、IHヒーリングのホログラフィックセットアップが開いている状態(ヒーリングモードに入っている状態)それで、セックスを行ったのが、さらによかったのかも知れません。IHのマチルダが、セックスの時もホログラフィックセットアップしてからがやるといいわよと言われていたそうだけど実際にやってみたのは今回、初めてでした。今度から、いつもヒーリング状態にセットアップしておいてからセックスしようということになりました。それにしても、女性が潤っていると、男性もさらに気持ちいいんですよね。やっぱり潤いって大事〜と改めて、実感したわけです。ということで、女性の方で、潤い調整が必要な方はセッションでお知らせくださいませ。(ただし、むらむらきても責任持てませんが)さて、先日、クライアントさんからジェムリンガを購入して、使っていていい感じですというご報告を聞いて、私も使ってみたくなりました。ジェムリンガというのは、女性の膣に入れるために作られたクリスタルでそんなものを膣に入れるわけですから私たちの本来の自然な状態ではないとも言えるわけですが女性の本来の力を高めることにつながるものなら一度、試してみたいと前々から好奇心があり日本に行った時に購入しようと思っていたのですがいつのまにか、すっかり忘れてしまっていました。その方から、海外発送もしてくれるという話を聞いたのでおさむに話したら、それじゃあクリスマスプレゼントに買ってあげるよということになり、オーダーしてもらって、数日で届きました。人によって、ジェムリンガを膣に入れても、すぐに出てくる人もいればしばらく出て来ない人もいるそうでどちらかといえば、長くとどめておく方が難しいのだそう。早速、ジェムリンガを入れてみるとすんなり膣内に落ち着いてくれたもののもちろん若干の違和感というか、存在感はあるので何かセッションなどで集中してやっている時以外はいやがおうでも、自然にあそこに意識が向きます。これがジェムリンガを使うことで膣(女性の身体と心の中心)に意識が向いてくるということなのだなあと。やはりPC筋を鍛えるのにはよさそうです。トイレで用を足す時も、ジェムリンガをしたままやるのでジェムリンガを出さずに排出するためにはPC筋のコントロールが必要なのです。一回、他の作業を集中してやっていて、その最中にすっかりジェムリンガが入っているのを忘れて普通にトイレでおしっこしたら、ポンと勢いよくジェムリンガが飛び出してきて、あっちゃ〜忘れてた〜と。でも、ちゃんと意識してジェムリンガが出ないようにして用を足せば出てこないんですね。ちなみにPC筋を鍛えるのは、タントラのクラスでは必ず学びますが何もなくてもできます。いわゆる、PC筋を引き締めるケーゲル体操ですね。ケーゲル体操は、けして尿を止めることを続けてやってはいけなくて尿を全部出し終わった後に、行う必要があるのですが(出てこようとしている尿が逆流して、膀胱炎などになりやすくなるそう)実は、私も数年前に、このことを知らずに、尿を止める訓練をやっていて膀胱炎になったことがありました。このケーゲル体操もしばらくやっていなかったのですがこのジェムリンガなら、つけておくだけでPC筋を鍛えられそうです。ジェムリンガは膣から出そうと思ったら、手を入れて引き出せば出てくるようで自然と降りてくる時もありました。もっとも、私は、ジェムリンガもある程度、効果を実感したらたぶん使わなくなるんじゃないかなあと。どんな素晴らしいものでも、物は物ですからそれがないとだめ、となれば、自分の力は逆に失われtてゆきます。私はジェムリンガに限らず、クリスタルやパワーストーンは昔から好きですが、例えこういったものがなくても常に自分のエネルギーが、波動が高い状態でいたいなあと今は、たまに気が向いた時だけ使うという感じです。大切なのは、自分自身が本来持っている力を最大限に高めること。そのためのヘルプとなるものならある時期、集中して使ってみたり、たまに使ったりしたいなあと思います。ちなみにジェムリンガのリンガは、シバのおちんちんの意味なのだそう。昨日、たまたまアーユルヴェーダのみささんのところに行って、ジェムリンガの話をしたらリンガの意味を教えてくれました。なるほど〜「クリスタルでできたシバの神聖なオちんちん」なのですね。また話は変わりますが、今日、FBで友人がシェアしてくれた内容がまさにその通りだなあ、と共感したのでシェアします。『いま、世の中に『オンナ』がいない。それがあらゆる問題を作り出しています」http://www.lifedesignmethod.jp/blog/2014/02/post-230.php日々、女性たちにキネシオロジーのセッションをやっいて感じるのは女性の男性化。『メンタル、完全に男だね〜」というような女性多いです。もっとも私も人のことは言えませんけどねいつも論理的に物事を捉えようとし、自立心が強く、必要以上の責任を果たし甘えたり頼ったりしない。性のこともあまり積極的に関わろうとしない方が多いです。そういう男性性が強い方は、話さなくてもエネルギーが固い感じがするので私は「四角いエネルギー」と呼んでいますがその方から出てくる雰囲気が角張っている感じがするのです。そのエネルギーが、夫婦間やカップル間の関係だけでなく無意識に様々な問題を生み出しているのですよね。この記事にあるように、女性が性に目覚めると世の中の問題がすべて解決される、というのは誇張でも何でもないと私は実感しています。ということで、女性のみなさま、2015年も光輝く世界のために内側から女を上げてゆきましょうね
2014年12月13日
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これまで、キネシオロジーのセッションでいろんな方の身体の声を聞いていく中で多くの人は、それぞれの人生の中でいろんな上手くいかなかった時期や出来事を経験していますがそこから「人生は大変」とか「人生はそう簡単には上手くはいかない」という思い込みを生まれる人と同じようにいろんなことがあっても全くそう感じていない人といます。これはもちろんストレス対応能力、グランディング力といったものも関係していますがそれだけでなく、その人の人生が上手く回らなくなった時や何か困難が起こった時にどういう選択をする思考になっているか?が大きく作用しています。例えば、結婚や離婚、就職や転職、出産や病気、別離など人生にはいろんな事件や出来事が起こりますが何か上手くいかないことがあってそれを何とか解決しようとがんばってしまう人とそこで何とかしようとするのをやめて、新たな発想や視点でこれまでとは違った道を選択する人とでは同じようなことが起こったとしても、全く別の学びとして脳やエネルギーフィールドに記憶されていきます。何か起こった時に、何とかしようとがんばっていたのにも関わらず思い通りにならなかったりすると「人生はそう簡単には上手くいなない」という思い込みが生まれその現実がさらに強化されてゆきますが一方で、何か起こった時に、そこで抵抗するのをやめて流れに従った選択をすることができれば困難は単に自分の人生の方向を軌道修正してくれる気づきのきっかけにしかならず何か上手くいかないことも、新たな可能性へのチャンスとなるのです。この「流れに任せる」「ゆだねる」ということはあきらめる、とか。そのままそれに対して何も行動しないでいるということとは、全く違います。全く違うことをやってみる、環境を変えてみる自分がこれまでやってみなかったことに対して何らかの行動を起こしてみることが人生の流れに身をゆだねることにつながる場合もあるです。つい先日、私の福岡に住んでいる弟から近いうちに結婚することになったとお知らせがありました。私の弟は、去年の夏にニューヨークに3ヶ月ほど滞在してそれから福岡に戻ったのですがその後、彼の希望していた職種での就職が決まり、しばらくして素敵な彼女もできて、この度めでたくl結婚することになったとのこと。彼曰く『NYに行ってから、なにか今まで錆びて動くことがなかった歯車が一気に回り出した感じがする」と、とてもうれしいメールでした。NYに来る前の彼は、東京を引き上げて福岡に戻ったものの福岡での就職がなかなか決まらず、実家でもんもんとしている状態で私は去年の5月に彼と何十年かぶりに実家で会った時にあ〜これは環境を変えた方がいいなあ、と思い「NYにしばらく来てみたらどう?」と勧めました。でも、彼は、前々からアメリカには全く興味がなく海外より日本が好き、という人でしかも、どちらかと言えば、目標達成型思考なのでただニューヨークでしばらく暮らしてみるなんてことは、なかなかしそうになかったこともあり私は「英語を習得して、それで就職活動したら?』と勧めたわけですが正直なところを言えば、たった3ヶ月の滞在で英語を修得うんぬんということよりただ環境をしばらく変えてみる必要性を感じたからでした。多くの場合、就職活動をしているのにも関わらず、就職が決まらないという状態が長く続いてくると「自分は社会に必要とされていない」という思いが強くなり本質的な自信や自分への信頼を失ってゆくことになりがちです。でも、それは、限られた狭い世界だけを見て判断した思い込みであってちょっとその環境を変えてみれば、世界にはいろんな場所がありその人ができること、その人を必要とする環境もたくさんあることに気づきます。私の弟は、たぶん最初は、NYにわくわくしてやってきたとは言い難たい感じだったのでしょうがそれでもNYにやってきたのはこれは、彼にとっての「ゆだねる」レッスンだったのだなあと今から振り返ってみれば思うのです。もちろん、NYに来たというだけではなく滞在中に私やおさむのセッションを受けたこともあるし学校に通い海外の人たちと交流したり、NYでボランティアで働いたりしたことで彼の中の何らかの意識が変化していったのは間違いなくそしてそれが、日本に戻ってから、違う流れになっていったのだなあと。人生に行き詰まった時に、これまでとは全く違うことをやってみる違う場所に住んでみる、違う人と会ってみるというのは、けして逃げることではなく流れにゆだねることであり、自ら人生を切り開いてゆくことでもあります。自ら人生を切り開くことと、流れにゆだねることは一見、正反対のことのように見えて、実は同じことなのです。私もこの人生で何度も行き詰まった時がありましたがその度に環境を変えたり、新しいことを始めたりすることにつながったので、人生は大変、という信念は生まれませんでした。もともと私がアメリカにやってきたのも、25歳の頃に音楽の仕事に行き詰まりを感じて、では結婚でもするか〜と結婚の準備をしていたにも関わらず、結局、彼と別れることになりすべてに行き詰まったのがきっかけでした。じゃあ結婚しないのなら、と前から一度ニューヨークに住んでみたかったので行ってみることに決めたわけですがその頃の私には全く貯金もなく、飛行機代さえない状態でしたがニューヨークに行きたい、と周りに伝えたら、いろんな方のサポートがありニューヨークでの仕事を紹介してもらって着いたその日から働くことができたのでした。上手く行かないことや困難はチャンスや新たな可能性ににつながってゆくという学びを若い頃から、たくさん経験してきましたがそれは、何か上手くいかなかった時にそこで無理して何とかしようとがんばったりせず、方向転換したり発想を変えたりしてきたからです。ニューヨークに最初に来た時も、ここで何かを達成しようとか成功しようと目指してやってきたわけではなくただ環境を変えたかったからでした。何かを始めるために、何かをやってみるのに目的や目標は必要ないと私は思っています。ただ何となくやってみたかったから、とか勢いでやってみた、とかたまたまそういう話があったら、などというのが実は、最も人生の、つまりは宇宙の流れにゆだねていることにつながることは本当によくありますから。ということで、今、もし流れが上手くいっていない、とか人生で何度か同じパターンを繰り返している感じがする、とか何かが行き詰まっている感覚がある方はもちろん、そこでがんばることも必要な時もあるかもしれませんががんばるのをやめて、全く発想を変えてみたり、全く違うことをやってみると何か人生の流れが変わり、新たな展開が開けてくるかもしれません。(責任は負えないけどね)例え、何かそれを解決するしか道はない、と思っていても実際は、選択は無限にあり単に今の自分にはそれが見えていないだけですから。Good Luck
2014年12月11日
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もう12月ですね〜1日は24時間ではなく、数時間しかない感じだね〜と先日もおさむと話していましたが、あっという間に過ぎてゆきますね。最近またいろんな変化もあり、書きたいことも次々とありますがとりあえず、今日は、先日FBで友人と話していた「わくわくすることをする」「やりたいことだけをする」ということについて少し書いてみようかと。「わくわくすることをやる」というのはバシャールを初め、スピリチュアルな世界ではよく言われていることで私も昔から、ひたすらそれに従って生きてきたわけですが多くの人が理解していないことの一つに「わくわくすることだけが魂の導きだとは限らない」ということがあります。それをわかっていないと、逆に本当に自分が進みたい道には進めなくなってしまったりやりたいことはある程度はやれているのだけど現状が何も変わっていないということになっていることがあります。まず、もし自分が何かをしようとする前にそれをやってどうなるとかはわからなくてもわくわくと気持ちが高鳴る感じがあったりやってみたいと感じることはあれこれ考えず、ただやってみればいいわけです。でも一方で、実は、わくわくしないこと、やりたくないと感じることが本当の自分、魂レベルの自分にとってはやりたいことである、ということも、よくあることなのです。ではなぜ、魂では望んでいることなのにわくわくしないのかやりたいと感じないのか、ですがそれは、何かそのことに関しての恐れやブロックがある場合いくら魂レベルでは望んでいても、マインドがわくわくしないのでやりたいと感じなくなってしまうからです。例えば、わかりやすい例を上げてみるとアメリカに長く住んでいる方で、もうそろそろ日本に帰りたいと本当の自分は感じているのにも関わらず日本に帰ることがわくわくしない、帰りたいと思わないという人が、たまにいらっしゃいます。ブロックの要因は、人それぞれなのですがよく出てくるのは「日本に戻ると自由でない」という恐れです。これは日本の社会が自由でない、ということが本当の問題なのではなく周りに合わせなければいけない、という思い込みをその人が持っているために(自ら)自由でない道を選んでしまうということが問題なのですが例え、魂レベルの自分は。日本に帰って新たな出発をしたい、と感じていたとしてもマインドではその恐れの方が大きければ日本に帰ることにわくわくを感じなくなってしまうわけですね。もちろん「帰りたくない」と感じているのですからそのまま、アメリカにいればいいのですが「その恐れから逃れるために」今の道を選んでいる限りはいつもどこか満足できない状況が続いてしまいます。この恐れが大きければ、大きいほどわくわくを感じなくなりますから案外、自分が最もやりたくないと感じていることが魂レベルでは本当にやりたいことだったというようなことはよくあるのです。ただやってみたい、と感じることと(〜〜から逃れるために)〜〜がやりたいと感じることはその本質が全く違うのです。前者は魂のわくわくであり、後者はマインドのわくわくです。大切なのは、何かから逃れるために〜〜を選んでいるというようなケースでは、その逃れたい「何か」にしっかりと向かう合うことです。そうしなければ、いつまで経っても魂のわくわくを見つけることができなくなります。だから私はたまにセッションでクライアントさんに「最も自分が恐れていること何ですか?最もこうなりたくないと感じることは何ですか?」と聞いてみます。そこに大きなヒントがあることがよくあります。もちろん、まずは、自分がやりたくないと感じることをできるだけやめるということは、第一歩です。今、私は日々の生活の中で、やりたくないことをやっている時間は限りなくゼロに近い状態です。ところが、仕事はやりたくない、掃除もやりたくない人とのつきあいも面倒でもすべてやらなければならないので仕方なくやっているそんな風に一日のほとんどをやりたくないことばかりやっている、という方も中にはいます。では、そういう方はやりたくないことをすべてやめていいのか?ということですがもしそれができるのなら、一度思い切って、すべてやめてみるのはいいと思います。例えば、しばらく旅に出てみる何もしないで家でボーっとしているとか。そこから何かが見えてくることもありますから。でも、実際は魂はそこを欲しているところではないことがほとんどなのです。時々、クライアントさんに「どんな自分になりたいですか?どんな風になったら幸せですか?」とお尋ねすると、たまに「素敵な家があって、働かなくても好きなことがやれて、、」などという答えが返ってくることがあります。仕事をしない人生が幸せと仕事から逃れるための夢ですから明らかにマインドのわくわくです。一方で、私のところには、親からの財産や自分で築いた財産や夫のお金などで、全く働く必要はなく、好きなことを一生やれるにも関わらず、幸せを感じておらず「何か自分がわくわくすることを見つけたい」「打ち込める仕事をしたい」とお越しになる方もいます。また、仕事を辞めたい辞めたい、と思い続けていた方がある時、ようやく仕事をやめることができてうれしいはずなのに、しばらくすると、何か満たされないものがあり何かの仕事をしたくなりましたなどと言われる方もけっこう多いです。私がキネシオロジーでそれぞれの魂レベルで望んでいることにアクセスしてきた中では、ほとんどの方にとって仕事は魂の喜びであり(仕事は子育てや家事なども含みます)遊びは魂の喜びであり掃除や食事は魂の喜びであり人とのつながりやコミュニケーションも魂の喜びです。自分にとって心地よく感じない人とのつきあいはやめることは必要ですが人とのつきあいはやりたくないと感じるから、といって人との深いつきあいをやめてしまえば心からの喜びは得ることはないのです。もし今の仕事がわくわくしないのなら二つの選択があります。一つは今の仕事をやめること、わくわくする仕事に変えること。もう一つは今の仕事の中でわくわくできる自分に変えること。先日、あるアートや演劇関係のお仕事をされている方が来られてお話を伺いながら「夢があってクリエイティブで素敵なお仕事だなあ〜」と思ったのですが実際、その方の身体に聞いてみるとその方は、全く仕事を楽しんでいないという反応が上がってきました。その方の中では、仕事は責任であり、目標を達成しなければならないものであり人とのコミュニケーションも面倒なもの、という意識だったので例え、夢のあるお仕事であっても心から楽しむことはできていなかったのです。ですから、仕事にわくわくを感じるかどうかは仕事の内容そのものではないこともよくあります。さて、かくいう私も魂では求めていたのにやりたくないから、わくわくしないからとやらなかったことがありました。その一つが「練習すること」私は、以前から、ルーティーン、繰り返し同じことをすることに全くわくわく感を感じませんでした。だからどんなことでも練習はしない。キネシオロジーも研究や勉強はずっとやってきましたが最初から本番でセッションをやっていたので練習したことはありませんでした。キネシオロジーの場合は、仲間内での練習では本当の力にはならないことが多いので、練習しなくてもよかったのですがさて久々に音楽をやろうとすると、音楽には繰り返しの練習が必要という揺らぎない事実に突き当たってしまいました。でも、練習はわくわくしない、だから音楽をやらないというループに入っていたわけですが先日、ようやくそのブロックを取るためにおさむにキネシオロジーのセッションをやってもらったわけです。よく考えてみれば、子供の頃はピアノの練習も好きで親から練習しなさいと言われなくても自分からよくやっていたのにいつのまに練習嫌いになってしまったんだろうと筋反射で見てもらったら大学1年生というのが上がってきました。ああ〜と思い出したのが、バイオリンの練習。私は教育学部の音楽科なので、専門は音楽だったのですがこの大学では、ピアノと声楽のクラスの他に一つ楽器のクラスを取らなければならず、オーケストラの人数上私は全く興味が持てなかったバイオリンをやることになりました。(大学卒業してかなり後になって、バイオリンが好きになったのだけど)で、バイオリンの練習を始めたものの、最初ギーコーギーコーとひどい音が鳴るわけです。ピアノはいくら下手でも、気分が悪くなることはありませんが自分の耳元でひどい音が鳴るので練習していると、気分が悪くなって倒れていました。(自分でバイオリン弾いて倒れている図は、笑えるけどね)それで、練習しないで大学のクラスを受けるわけです。教育学部としての授業は共同で行われますが専門はすべてプライベートレッスンで行われるのでバイオリンの授業も、プライベートなのですがその先生がかなり厳しい方というか、すぐに感情的になる方で私がバイオリンを弾き出すと、あまりのひどい音に怒りだし数分もしないうちに「今すぐ出ていけ〜〜」と部屋を追い出されるわけです。普通の人なら、そこで練習すると思うのですが当時から私はやりたいことしかやらなかった人でいくら先生に毎回のように「出ていけ〜」と叫ばれてもけして練習していかず、この先生から「君はこの学校始まって以来の恥さらしだ〜」とまで言われてもとうとう最後まで一度もまともに練習したことはありませんでした。いやまあ、これは「やりたいことしかやらない」というのを通りこして、柔軟性、共鳴力の欠如ですけどね。今から考えてみれば、大学のクラスとはいえ先生は貴重な時間を費やしてプライベートでレッスンをしてくれているのですから何とも気の毒なことですが。もっともこの頃の私は大勢にこびない自分が好きだったのでそのことを特にストレスには感じていかなったのですがとにかく、これは私にとって練習嫌いになった最初の出来事だったわけです。それから、月日が経ち、20年近く前に、おさむと出会い当時のおさむは毎日10時間ぐらいギターの練習している人で私が彼の練習中に遊びや食事に誘ったりすると「練習をじゃまする悪魔」のように受け取られていたので(今は全く違うけどね)私にとって、練習やルーティーンはまるで牢獄に鎖でつながれているようなイメージで人生を楽しめなくするもの直感やその時々の流れに従うことを防ぐものだったわけです。今回のセッションで、そういった過去の記憶とそこから来ている精神的、感情的要因をおさむに解除してもらったらようやく練習やルーティーンにもわくわくするようになりました。ということで、話がまた長くなりましたが「自分の夢や目標のためにや嫌なこともやらなければならない」というのは、もう何かがずれてしまっているんですね。嫌なことをやらずに自分の夢を叶えることができる可能性はあるしまたは、その嫌だと感じていることも本当はやりたいこと、わくわくすることである可能性もあります。そのどちらなのかを見極める力が内観力ですが自分の中の恐れと向き合ってゆくことがその力になってゆくのです。
2014年12月08日
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