日本史雑学発掘の館

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2009.01.08
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カテゴリ: 江戸時代中期
江戸時代幕府は、幕府に対抗できる力を弱めようと、参勤交代などにより諸藩の財源を削減してきました。
薩摩藩 の財源を減らす目的で、薩摩藩に対して 木曽三川 の治水工事を命じました。この川には洪水が発生しており、それを防ぐための工事という名目でした。

この工事は1755年の5月に終わりますが、幕府の監視下で行われたこの工事で、薩摩藩は多額の財源を使い、また工事にあたった薩摩藩士たちも幕府の監視下に置かれ、食事も満足に与えられず、その他必要品なども自由に扱えず、また工事した箇所が幕府の役人により破壊されるなどの嫌がらせが多発しました。

そして、抗議のために自害した藩士が51名、さらに過度の労働や栄養不足、赤痢により病死した藩士が33名にものぼりました。
総奉行に任じられた薩摩藩家老 平田靱負 も工事が終わり帰国した後に自害しました。
このような自害者を報告することは幕府に対しての反抗とみなされるので、あえて自害ということは伏せて報告されました。
宝暦治水事件 といいます。

この事件のおよそ110年後、薩摩藩は幕府を倒し、関が原の合戦と宝暦治水事件における幕府に対する雪辱を果たすことになったのです。





宝暦治水・薩摩義士

箱根用水と宝暦治水物語



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最終更新日  2009.01.08 23:20:48
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