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ディンボチェからナムチェバザールまで1日で戻るのだがよくもまあこんな山肌を削る道を作ったものだ。それにしてもヘリコプターがたくさん飛んでいる。最初は「高山病などの救助搬送ヘリか」と思っていたがヘリに乗ってエヴェレスト・ベースキャンプやカラパタールまで一気に行く”ヘリツアー”が多いそうだ。そこで記念写真を撮ってすぐ帰りのヘリに乗るというものでインスタやSNSにアップする旅行客が利用するんじゃないかな。5万円程度で簡単に5000m以上の山に行けるのである。そして高山病にならないうちにさっさと麓に戻る。金の使い方でそういうツアーも可能なのだ。シェルパやガイドを雇って10数日かけて登ると宿泊代や食事代やガイド代も結構かかるわけでヘリで半日を割いて行ってきた方が安く済むらしい。一般ツアー客ならば特に抵抗はないだろう。お金を払って見晴らしの良い場所に行く、それは当たり前のことなのだから。しかし山登りが好きな人達からは物凄く邪道に感じる。歩いて登ってこそ山だ、ヒマラヤを観光名所と一緒にするな、そんな楽で卑怯なことするな、など色んなことを感じるだろう。でもヘリ遊覧なんだから卑怯でも何でもない。別にそこまで苦しい思いして山に行きたくねえし。インスタやSNSにアップするのが目的なだけだし。だからどちらが正解だなんてことはない、どちらでも良いのだ。乗鞍の雪の壁見学バスツアーは邪道なの?麓から苦しんで何日もかけて登らなきゃいけないの?恋愛のプロセスを経てエッチをする、風俗店で金を払ってエッチをする、どちらも行為自体は同じだ。トレッキングとソレとを混同するのも極端だけど僕にはヘリを使って5000mに行く選択肢は有り得なかった。登山道を歩いた後に辿り着くという行程を楽しみたいからだ。標高5000mまでの苦労をカットするのがNGなの?じゃあ4000mまでは? 3000mまでは?2800mまでのルクラまでなら飛行機OKなの?日本からカトマンズまでの飛行機はOKなの?本人の自由なのだ。どんな手段を使って山に行ったっていいのだ。自分のやりたい方を選べばいいのだ。僕は歩いて行きたいから歩いただけだ。個人的な考えでヘリツアーを選ばないだけだ。ヘリで簡単に目的地の絶景を見るよりも色んな集落に泊まって色んな人に会って色んな体験をしたいから歩いて往復するのだ。こんな無意味な思いを堂々巡りしている間もヘリコプターは僕達の頭上を通り過ぎて行った。こちらは多分緊急搬送ヘリな。ちなみに日本の山の保険では救助ヘリ保険というのがあって掛け捨てで5000円だったかな?を払えば万一の遭難の時に1時間70万円もする民間救助ヘリの費用に保険が適用されて無料になるというものがあるらしいが(県警ヘリなら無料だとかも聞くがそのへんはよく分からん)海外旅行保険のヒマラヤでのヘリ保険は認められないと聞いた。下山時に仮病を使ってヘリ遊覧飛行を楽しむヤツがいるそうで...。まあ僕は海外に行く時も保険に入らないのでどうでもいいけど。妻からは「墜落して死んだら慰謝料が多く入る飛行機に乗れや」「中国東方航空に乗った時は墜落して死ぬんじゃねえぞ」とごもっともな恫喝を受けていることはココでは割愛しておく。
2024年02月25日
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ディンボチェ最後の朝。ヒマラヤの山がピンクに染まった。今からナムチェバザールに戻ると思うと何か感慨深いものがある。朝8時頃の気温は-10度ぐらい。背景の山はすっかり太陽に照らされているのにこの気温。明け方はもう少し気温は低かっただろう。2泊したディンボチェのロッジはこんな感じで僕の部屋の向こうの窓からはアマダブラムが大きく見えていた。2日前にチェックインした日は宿泊客がいなく貸し切りだったので好きな部屋を選べたのだった。昨日はアルゼンチンからのトレッカーが1人。「アーヘンティーナ」というスペイン語で自己紹介されて「え?どこ?」と尋ねたら「メッシ!メッシ!」と言うのであ~、アルゼンチンか~、と分かった。昨夜は彼と一緒に食事をした。これがロッジのメニュー。ネパーリー・ルピーのRs.400は大体400円ちょい。さて、いよいよ出発。偶然に同じタイミングでメリーとカルマ・シェルパがお向かいのロッジから出てきた。メリーとギュッと抱き合う。お互いに「楽しかったよ、ありがとう」と言い合ってメリー達はエヴェレスト・ベースキャンプに向かって歩き出した。しかしメリーは楽しいやつだったな。「カトマンズから飛行機がなくてチョッパーで来たのよ」とか屋根裏のネズミに向かって「シャラップ!」と怒鳴ったりこのネパールの続きで中国に飛んでハーフマラソンに出るとかおいおい、イギリスの警察官の仕事ってそんなに長く休暇とれるの?リンジ・シェルパが荷物を背負って言う。「私達も出発しようか。今日はタフな日になる」今日は一気にナムチェバザールへ。
2024年02月22日
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今回の厳冬期ヒマラヤトレッキングには上から下まで全てワークマンで買った服を着て行った。カトマンズやパタンの下界から標高4000mぐらいまでは常にこんな服装でも寒くもなく快適に過ごした。上の赤っぽい服は980円だがめちゃ暖かい。色違いで3着も持っている。内側がこんなんなってて暖かい空気を逃さない。ズボンは裏ボアの2900円のもの。職場ではコレ履いてる人いっぱいいる屋外作業者必須アイテム。マフラーはチェンマイで300円弱で買ったもの。夫婦で各2本を全部色違いで買ったんだけど今回は妻の使ってる赤系統の色をチョイス。これを持って行って大正解だった。イスラム教のように頭から被ったりもできるし気温によって鼻まで隠したり緩く巻いたり砂埃対策にもなったりで、今回一番活躍したアイテム。防寒ジャケットはバートルの黒いジャケットも持ってて(カメラマンやってる会社がタダで支給してくれたもの)すごく暖かいので雪山ピクニックの時にいつも着て行くんだけど今回は「ヒッピーっぽい放浪」をテーマにしてたのでこれまたワークマンで10年以上前に買ってボロボロになってるいわゆるドカジャン(コットン製で裏ボア)を選択。ちなみにドカジャンとは土方の人が着るジャンバーの略だ。撥水性のないコットン製だが、雨は降らんだろうという前提でもはや色褪せて裾もちぎれてるんだが気に入っているコレで行った。これが実に暖かいのだ。このブログを読んでくれてるかもしれない同僚からすれば「ははは、いつも仕事してる恰好のままじゃん」と思うだろうがそうなんだよ、いつものままの服装でヒマラヤ行ってきました。このボロジャケットで平気で地面に寝転がってたよ。黒いズボンはこれまたワークマンで1900円で買ったやつな。シューズだけは奮発してメレル。防寒と靴擦れ保護のため靴下は2枚履き。さて、ディンボチェのロッジに戻って来て何気なくお向かいのロッジの方を見たらカルマ・シェルパも偶然2階の窓から外を見てて目が合って驚いてお互いの手を振った。まさかお向かいのロッジに泊まってたとは。カルマが急いで外に出てきて再会を喜び合った。「メリーも2階のダイニングにいるよ」と言われたけど泊ってもない別のロッジにわざわざお邪魔するのもなあ、ということで遠慮しておいた。「サイトーは明日下山しちゃうんだよな。 もし良かったらロッジで履いてたルームシューズ、 年老いた父親にあげたいんだが売ってくれないか?」ナムチェでもロブチェでもロッジの中で僕が履いてたやつだ。「今夜は使うから明日の朝な」「やっぱり日本製のは品質がいいからね。 ネパール国内で売ってるのは中国製で裏底も良くないんだ」ネパールでも「クオリティ・コントロール神話」が根強いのだ。その夜、僕は持って来たヴィクトリノックスの小さなナイフでこのルームシューズの内側のタグを切り取った。そう、MADE IN CHINAの部分だけを。(笑)翌朝カルマと別れの挨拶の時に渡した。カ「いくらだい?」僕「お金は要らないよ、あなたのお父さんへのギフトだ」カ「いやいや、こんな高価な物をタダで貰うなんて」僕「俺のために杖になる丈夫な木の枝を拾ってくれたじゃないか」カ「じゃあせめてチャイを1杯おごらせてくれ」買って数度しか履いてない980円のルームシューズだがあげてしまうことに何の抵抗もなかった。むしろあげられる人を見つけて嬉しかった。僕が履くよりも大切に喜んで履いてくれるだろう。下山時の荷物も少しは軽くなるしな。
2024年02月21日
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昨日はメリーとカルマ・シェルパと離れ離れになった。2人はこの集落のどこかのロッジに泊まっているはずなのでリンジ・シェルパと探してみたが見つからなかった。明日には僕達2人はここから下山する。今日は最後の見納めのために近くの山に登った。山というよりピークが幾つもある稜線なのでどこかで見切りをつけてロッジまで戻って来る程度の散歩だ。今日の僕は酷く体調不良だった。寝不足、咳、鼻水、少し歩くだけで息切れ。どこの山に登ってもこんなことは今までなかった。現在の標高は4700m程度だ。これが高山病なのか?あとで気付いたのだが明らかに水分不足だった。シェルパはほとんど水を飲まない。僕も山では水分をほとんど摂らない。3000m級の山歩きで1日500ccから1リットル程度だ。ヒマラヤの乾燥した空気の中でのトレッキングでは1日3リットル前後の水分補給をすること、とあったが僕は1日500ccぐらいしか飲んでいなかった。そんな中で標高4400mから更に登っていた。1つのピークを過ぎるとまた向こうに次のピークが見える。キリがない。どこかのタイミングで戻ろう。ひとつの山を越えたらまた次の山があるだけで結局は終点になんて永遠に辿り着けないものなのかもしれない。それなのに何で山を歩くのだろう?「リンジ、先にロッジに戻ってて。俺はここでのんびりしていく」彼が下って行った後、岩にもたれてヒマラヤの山々を眺めた。何の音もしない世界。誰も通らない場所だ。慰霊碑がいくつも建っていた。ふと気がつくと黄緑色のジャケットを着た欧米人男性がいた。ドキリとして挨拶をしたが返事がない。「キットカット食べる?」と声を掛けたら手を差し出して来た。左斜め前の岩の陰から黄色いジャケットの金髪の女性が出て来た。這ってくる。両足が伸び切ったままで歩けないようだ。「足どうしたの?」と言った途端に2人の姿は消えた。白昼夢? 幻覚? めちゃくちゃリアルだった。まさか真っ昼間から霊じゃあるまいし。しばらくそこでぼんやりとヒマラヤの山々を仰ぎ見る。すごいヒマラヤ襞だ。ずっと見ていても全く飽きない。さあ...、ロッジに戻ろう。四方のどこを向いても荒涼とした雄大な世界。みんな何を求めてこんなとこに来るんだろう?空と山と地面しかないじゃないか。
2024年02月20日
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昨夜は星を何度も見にロッジの外に出たりしていたしベッドに入って温まると咳が止まらなかったので明らかな寝不足だったが体調不良というわけではなかった。軒先に置いておいた100均の温度計はマイナス9度。想定していたよりもずいぶんと暖かい。明け方は室内のペットボトルも凍っていて振るとシャーベットのように飲めるようになった。朝食の後にディンボチェの集落を散歩した。西の空に月が沈んで行く。何だか地球以外の別の惑星にいるように思えた。本当ならカラパタールに向かうための高所順応としてこのディンボチェに連泊するつもりだった。でも諸事情でこの先の奥にはもう行かない。ここディンボチェで引き返すのだ。名残惜しいので予定通りここで連泊する。その代わり明日からは猛スピードで下山する。壮大な風景。ずっと見ていても飽きない。明日で見納めか...。
2024年02月18日
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標高4410mのディンボチェに到着。僕とリンジ・シェルパの歩くペースが速いのでメリーとカルマ・シェルパは追い付いて来れなかった。数日前から夕方前になると雲が多くなっていた。右側のピラミッドみたいな山はアイランドピーク。左側の山は何だったかな?どこかのサイトの画像だけどアイランドピークすげえな。こんな場所から滑り落ちたらヒザ擦りむくぞ。リンジの馴染みのロッジにチェックインしたがメリーとカルマは別のロッジにチェックインしたようでその夜は彼らとは会えなかった。宿泊客は僕達の他にはいなかった。いよいよ完全なオフシーズンか。ロッジのオーナーが薪ストーブをつけてくれた。燃料が薪の時は煙も多くて少々目が痛かったが乾燥させた牛の糞に変えたら急に暖かくなった。牛の糞は匂いもない。その夜は眠れなかった。時々窓の外を見るものの空は厚い雲に覆われていた。夜中に苦しくて目が覚めた。とうとう高山病の症状が出てきたのか?布団をめくろうとしたが腕が重くて上がらない。咳も出る。鼻水も出る。風邪か?おしっこに行こうと外に出たら月明かりの中に星が出ていた。Canonのデジカメs120を取りに戻る。うわあ、すごい星だ。西に沈みゆくオリオン座を撮影。月が出てなかったらもっと星がたくさん見えただろうに。凛とした静かな夜にたった独りでディンボチェを散歩した。日本のことも人間のことも忘れ、欲も煩悩も何もかも忘れただただ宇宙を見て至福の夜を過ごした。
2024年02月16日
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デボチェからディンボチェまでは楽な道だった。右手に美しいアマダブラムが終始見えている。圧巻だ。こんな山に登るなんて想像を絶する。途中には土着的なストゥーパが建っている。振り返るとコンデリの山々。画像左下にはタンボチェ僧院が見える。それにしてもこのエリアの信仰心はすごい。石にはびっしりと経文が彫られている。彫られているのではなく経文が浮き彫りなのだ。一体どれだけの時間、労力、集中力を要することか。こんな芸術品が山道にゴロゴロと無数にあるのだ。お土産に持って帰りたいがそれはやっちゃいかんし。それに重いし。ヒマラヤ街道にはゴミ箱も設置されている。燃えるものとプラ・ペットボトルを分別。山道に沿って風除けというかガードレールの代わりというか50cmから70cmぐらいの高さに岩が積まれているのだがこれはシェルパが荷物を楽に下ろせる配慮のためじゃないかな。トレッカー達も座って休憩するんだけどこういう場所で交流できたりするんだよね。ちなみにカトマンズを発ったクリスマスの時からこの元旦まで1日もシャワーも浴びてないし髪も洗ってない。水は貴重だし、こんな気温で洗髪したら風邪ひくしね。ということで僕の髪はボサボサになっているので記念に撮影。あ、いつもとそんなに変わらんかった。メリーとカルマ・シェルパが追い付いてくるのを待って途中のティーハウスで昼食にする。ベーコンポテトとマサラチャイ。マサラチャイかジンジャー・ハニー・レモンティーが定番になった。シェルパティーと呼ばれるものはどうにも不味くて好きになれない。紅茶にバターと塩を入れるなんて...。まあその組み合わせが高所での栄養補給には合ってるだろうけど。現在地は標高4040m、高山病の症状は皆無。今日のこのエリアが一番楽で眺望も良かった。
2024年02月14日
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2024年の元旦は夜明けに目が覚めた。高山病の予防薬ダイアモックスを半錠飲んだせいか夜中に2回おしっこに行ってウトウトしていた。窓は凍っているが外が何だか色づいている。ロッジの外に出てみるとヒマラヤが赤く染まっていた。室内気温はマイナス2度。この温度計は日本を出る前に100均で買った物。ブログネタの小道具ってワケですわ。窓ガラスは氷の結晶アート。今日のみんなとの朝の挨拶は「Happy new year」だ。ダイニングルームでみんなで食事。窓辺には経典が置いてあった。食後に薪ストーブを囲んでマサラチャイ。今日は標高4400mの村、ディンボチェまで。横にはヒマラヤの雪を源流とする川が流れている。画像右下に見える吊り橋を渡るとガレ場になっておりアマ・ダブラムのベースキャンプに続いている。こんな丘でテント張ってのんびりしたいなあ。
2024年02月12日
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デボチェの宿泊先は僕達4人しかいなかった。川の近くに建つロッジは水力発電のためキッチンにもLEDライトが煌々と光っていた。モモを注文。これだけで腹一杯になる。晩ご飯の後はみんなでストーブを囲んでの会話。リンジ・シェルパと今後の日程について話す。天候はだんだんと下り坂に向かっている。ここ数日は昼過ぎから雲が広がってきて夕方には曇る。夜に星空は出るもののそれも長く続かない。朝から午後2時ぐらいまでは快晴なのだが3日後ぐらいから雪が降り始めるらしい。これでは4日後に到着予定のカラパタールまで行ってもエヴェレストやウォーターフォール、クンブ氷河は見れない。僕とリンジ・シェルパの脚力では余裕で到着可能だがカラパタール周辺で天候による停滞をする時間の余裕はないし折り返してルクラまで下りた時に飛行機がすぐに飛ぶか分からない。世界一危険だといわれているルクラの空港は同時に世界一欠航や事故の多い空港ともいわれている。もし欠航になったら往路と同じでジープを使うのだがジープでカトマンズに帰ったら日本行きの飛行機に間に合わない。「リンジ、ディンボチェまで行ったら下山するよ」「それは良い判断だと思う」とリンジ・シェルパが答える。「ディンボチェに2泊した後、ルクラまで2日で下りれるか?」「私は可能です。問題はあなたの足次第です」「よし、ベストを尽くそう」それを聞いたメリーは絶句している。「このまま一緒にトレッキングすると思ってたのに...」寝る前に星を見に行くと言ったらメリーが「私も行く」と言って2人でロッジの外の真っ暗な場所まで歩いた。外に出た途端に満天の星空が見えた。メリーが「・・・アンビリーバボー・・・」と言葉を失う。「ロンドンでは絶対に無理。今までに見たことのない星だわ」もう日本は2024年を迎えている時間だ。wifiもなく聞こえる音もない真っ暗なネパールの山の中で僕はイギリス人女性と2人で星空を眺めていた。それは星空というより「宇宙」だった。
2024年02月11日
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ナムチェバザールのカイラスロッジに2泊して今日はタンボチェまで行くことにした。カイラスロッジでの費用は2泊+4食+飲み物数杯で3500ルピー。1泊2食あたり1800円強という値段だ。あれだけ楽しんでその値段なら大満足。今日もイギリス人のメリーとカルマ・シェルパ、僕とリンジ・シェルパの計4人で話しながら歩く。タムセルク峰に隠れていたカンテガ(6799m)が見えてきた。途中のレストランでチャイを飲んだり食事をしたりで夕方前にはタンボチェに到着した。タンボチェはマスク舞踊のお祭りで有名なお寺がある。そのお寺には極彩色の神様の壁画があった。山門もサイケデリック。この地点まで来ると川も全て凍っていた。湧き水も凍っていて水の補給も出来ない。タンボチェに着いた頃には濃霧になった。僕はこのタンボチェが今夜の宿泊場所だと思っていてみんなと離れて写真を撮っていたらはぐれた。営業している3軒のロッジを回ってみても彼らはいない。もしかしてもっと先に行っちゃったのかな?と歩くこと30分、リンジ・シェルパが途中で待っていてくれた。こんな場所ではぐれたら困っちゃうよなあ。途中で飼い主に見捨てられた牛がいた。或いは水と干し草を探しに行っているのかも知れない。近くに生えている草をみんなで刈って食べさせた。復活してくれるといいんだがなあ。夕方になって今夜の宿泊先デボチェ(デブチェ)に到着。日本から持ってきたお菓子の袋は気圧により膨れ上がっている。このピーナッツ揚げと柿の種わさび味は大好評だった。
2024年02月08日
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オフシーズンのナムチェバザールはトレッカーが少なく商店やロッジの半数以上(8割ぐらい?)が閉まっている。厳冬期のヒマラヤに行くバカなんてそんなにいないからね。ハイシーズンのロッジは満室ばかりで、高い宿泊代を出してもダイニングルームで雑魚寝をする客も溢れるらしい。まるで富士山の山小屋のようだ。オフシーズンはどのロッジも1泊500ルピー(約500円強)になる。しかも毛布や布団は別の部屋の物を無償で使わせてくれるので冬期に行く人は寝袋を持って行かなくてもいいと思う。昼になってから昨夜は高山病で苦しんでいた韓国人女性とナムチェバザールの西側の山道へ散歩しに行った。石の階段を下りてナムチェを出て民家の集落を抜ける。韓国人女性は英語がほとんど出来ないが何となくのニュアンスで意思疎通は出来るので右へ曲がったり左の道を選んだりと彷徨いながら歩いた。ナムチェの集落が一望できる場所まで戻ってきた。風雪に耐える造りなのでしょうがないけど同じような四角い建物ばかりで見た目がつまらんな。2時間ほど散歩してカイラス・ロッジに戻ってからは日当たりの良い空き部屋でイギリス人のメリーを交えて3人でお菓子を食べながら話をした。カトマンズでは1リットル20ルピーだったミネラルウォーターがナムチェでは10倍の200ルピーになっていた。これから高度が上がる奥地では更に高くなる。ロバやゾッキョによる運搬費が加算されるから仕方がない。日本の山でも飲料水や食事代は高いから同じことだ。ナムチェ郊外の丘の上で寛ぐゾッキョさん。郊外に立ってた看板。ネパール人と外国人では値段が違う。スカイダイビングやパラグライダー、バンジージャンプなどお馴染みのアトラクションをやるなら分かるけどサッカーやバレーボールを7ドルも払ってやるアホおるか?酸欠ですぐ倒れるぞ。その夜のカイラスロッジは国際色豊かだった。バングラデシュ人、シンガポール人、韓国人、日本人、イギリス人、中国人、ネパール人。各国からは1人ずつ、ネパール人はシェルパ達とロッジスタッフ。みんなで薪ストーブを囲んで盛り上がった。中国人は英語が話せなかったがスマホの翻訳アプリが凄かった。みんなの会話が瞬時に中国語の文字に同時翻訳されてその文字を読みながら会話に加わるのだ。音声翻訳ではない。喋った言葉が瞬時に文字になるのだ。誰かが「こりゃ中国の悪口は言えないな」と笑う。中国人が「中国では天安門事件と検索しても何も出ないんです」とか「アプリは凄いけど情報規制が激しい」と愚痴を言う。でも日本では日本人が閲覧できないサイトもあるだろうし日本寄りや現政権寄りに湾曲された報道が流されてるしそれはどの国でも同じだと思うよ、と皆が言う。イギリス警察官のメリーが「まさにその通り」と言う。「母国の真実を知らないのは自国民のみ」「それはイギリスでもアメリカでもどの国でも同じこと」「例を挙げればロシアとウクライナの自国有利の報道だよね」「そういえば上のロッジでロシア人とウクライナ人が同宿してたよ」「やりあってた?」「いや、仲良くやってたよ」「結局国民同士は問題ないんだよね」「国家間の国益のために我々国民は情報洗脳されるんだ」そんな小難しい会話などをしながら過ごしたのだった。しかもアルコールもガンジャも無しで。1つだけのストーブっていいね。お互いが「もっとこっちにおいでよ」と寄り添えるんだから。
2024年02月07日
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ナムチェバザールでは高所順応のために2泊した。着いた翌日は朝8時過ぎからシェルパのリンジと一緒に標高3860mのシャンボチェの丘に登った。富士山より標高が高いがまだ森林限界に達していないので空気が薄いという感覚はない。シャンボチェの丘からはエヴェレスト(8850m)が遠望できる。山頂からの雪煙が非常に速い。この時期にアタックしている登山隊はいないが物凄い強風が吹き荒れているんだろうな。右を向けば世界で最も美しい山といわれるアマダブラム(6812m)。リンジはアマダブラムにペコリとお辞儀をしていた。後ろを振り向くとコンデリ(またはクワンデ)は標高6187m。同じような写真をバチバチ撮った。芝生に寝転んでリンジとお菓子を食べて寛ぐ。日本の山とはスケールが全然違う。
2024年02月02日
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夜になってカイラスロッジのダイニングルームの薪ストーブの前でトレッカーやシェルパ達と暖を取っていたら別のロッジのスタッフなのか地元の子なのかは分からなかったがネパール人の女の子2人が遊びに来た。なぜか僕と2ショット、3ショットを撮ってちょうだいと言われしばしのハーレム状態となったのであった。僕は日本ではモテないが、なぜかアジアではモテるのである。それは僕自体がモテるのではなく、日本国籍がモテるのかも知れない。ついでにみんなで集合写真大会となった。翌朝、僕は薄暗いうちから起き出して外に出て散歩をした。ロッジに戻ろうとして2階の窓を見上げると昨夜は高山病でダウンしていた韓国人女性が部屋の窓を開けて僕に手を振っていた。ダイニングルームでミントティーを飲んでいたらメリーが起きて来た。「おはよう。眠れた?」と尋ねたら「ネズミの足音で眠れなかった」と言う。そうなんだよな、夜中じゅうネズミがうるさかった。「ミッキーマウスパレードだったよなあ」と言ったらそのフレーズが気に入ったようだった。
2024年02月01日
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ナムチェバザールのカイラスロッジにチェックインした夕方、集落から20分ほど登った広場でのんびりとタムセルクを眺めた。夕陽に赤く染まるのを期待したがなりそうになかったので日が沈む前にロッジに戻った。カイラスロッジの宿泊客に韓国人の女性がいた。8人グループのツアーでルクラまで飛行機で来てエヴェレストベースキャンプを目指している途中で彼女だけが高山病にかかりナムチェまで下山したそうで独りでカイラスロッジで寝込んでいたらしい。僕と会った時はまだ高山病の症状が厳しく嘔吐や頭痛でぐったりとしてダイニングルームに座っていた。僕は塩タブレットと御岳百草丸を手渡し英語も出来ない彼女とipadで単語を翻訳して介抱した。夜になって「あの漢方のお陰で良くなった」とお礼を言われた。夜も更けて宿泊客のみんなが各部屋に戻る頃僕が「外に星を見に行く」と言ったら彼女も付いてきて一緒に氷点下の外に出て空を見上げた。しかしナムチェバザールの路地という路地は煌々と街路灯が光りまともに星を眺めることが出来なかった。まさかこんな山の上の集落が街灯だらけとは。2人共がっかりしておやすみをして部屋に戻った。
2024年01月31日
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ナムチェバザールの入り口には山門のようなものがありその中の壁面や天井には極彩色の神様が描かれていた。ナムチェバザールの上部にあるカイラスロッジにチェックイン。リンジがシェルパの仕事の時によく泊まる宿らしい。カイラスロッジからはタムセルク(6623m)がよく見える。2階の部屋に荷物を置いてダイニングルームに行きチャイを飲んでから部屋に戻ったら聞き慣れた声が。ロンドン警察のメリーもこのロッジにチェックインしたのだった。その後、メリーとはずっと一緒にトレッキングすることになる。
2024年01月26日
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パクディン村を朝の7時半出発。街道に出るとゾッキョのキャラバンが首の鈴を鳴らしながら重い荷物をぶら下げて通り過ぎて行く。今日から僕の荷物はリンジ・シェルパが担いでくれる。長い吊り橋を渡るリンジの後ろ姿。吊り橋の両サイドには無事を祈る五色のタルチョーがはためく。パクディン村を出発して数時間歩くとモンジョ(モンゾ)という場所にチェックポストがある。ここで3000ルピーでトレッキング許可証を発行してもらう。僕は麓の別の場所で2000ルピーの許可証を作らなかったのでここで一括して発行してもらった。つまり5000ルピー。許可証の発行には顔写真が必要だと聞いていたので日本でわざわざ1000円出して撮ったのに不要だった。これからの連絡先としてモバイルの電話番号を訊かれるが「モバイルは持っていない」と言うと驚かれた。でも書類に入力しないといけないのでリンジのモバイルを連絡先として登録。(まあ1度も電話来なかったけど)許可証発行後にサガルマータ国立公園のゲートをくぐる。SAGARMATHA NATIONAL PARKと書かれた派手なゲートだ。サガルマータとはネパール語でエヴェレストのこと、ちなみにチベット語ではチョモランマと呼ぶ。ここからは石段のアップダウンが続く。ナムチェバザールまでの道で最もキツい区間だ。川沿いを歩く。ああ、水って本当に水色なんだな。この辺りでロンドンから来た同年代のメリーと出会う。メリーはロンドン警察で働いていて初めてのネパール旅行。カルマ・シェルパと同行していた。僕とリンジのペアの方が歩くペースが速いのだが峠のティーハウスではいつも一緒に休憩をした。そしてやっとナムチェバザールに到着。大きな集落だ。川で洗濯をしている女性達が多い。ほとんどのトレッカー達は高度順応のためここで2泊する。 ⇒ 【ナムチェバザール入り口のマニ車】13秒動画 ⇒ 【ナムチェバザールを歩く】 19秒動画昨日までローカルな場所にいたのでナムチェバザールの色彩が何だか俗っぽく感じてしまう。
2024年01月25日
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薄暗くなった頃パクディン村に到着。パクディン村は街道沿いに20軒ほどのロッジがある。バーやベーカリーもある比較的賑やかな村だ。各国からのトレッカー達の姿もチラホラ見られる。その中で「ここは誰も泊まってないだろう」というような1階が雑貨屋の見るからに古そうなロッジにチェックイン。PHARI VIEW GUEST HOUSEは1泊約500円。この辺りから上のロッジはオフシーズンになるとどこも一律500ネパーリー・ルピーの同一料金となる。ただし上に行くほど食事や飲み物の値段は上がっていく。ダイニングキッチンの薪ストーブに火を入れてくれた。夕食はモモとカボチャスープを注文。夕食を食べ終えた頃、一人のおじさんが遊びに来た。このロッジの奥さんのお兄さんらしい。僕を見て「シェルパは雇わないのか?」と言ってきた。”パクディンからナムチェバザールまでは急登”という情報を日本にいる時に下調べをしておいたのでその区間だけポーターを雇ってもいいかな、とは思っていた。ちなみにシェルパとポーターの違いを説明するとシェルパは登山隊などの道案内やルート開拓をする人達、ポーターはただ単に荷物運搬をしてくれる人達とある。ただ最近は両方を総じてシェルパと呼ぶこともあるそうだ。彼は日本隊のエヴェレスト遠征時にポーターをやったりメラピーク、アイランドピークにも登頂したスーパーシェルパで見た目は60歳ぐらいだが実年齢42歳という人で名前はリンジ。シェルパ族のリンジなので氏名はリンジ・シェルパとなる。パクディンからナムチェバザールまでのポーター料金を訊くと1日3000ルピー(約3000円)で宿泊代と1日3回の食費込みだそうだ。ということは経費を差し引くと1日1000ルピー程度の実収入となる。「あなたがシェルパを必要とするなら私の部下に連絡を入れます」当初はシェルパを雇うなんてことは想像もしてなかったが自分の8kgの荷物を持ってもらってその値段なら僕も楽だし現地の人の収入源にもなるということで「じゃあお願いしようかな」ということになった。「で、目的地は?」「カラパタール」「なぬ!ナムチェまでじゃないのか!じゃあ私がシェルパをやろう」リンジはカラパタールまでという行き先を聞いて目を輝かせ部分入れ歯をテーブルの上に飛ばして興奮した。慌てて部分入れ歯を口に戻したリンジは「そうと決まったら」と早速自宅に電話して「ワシは明日から遠征じゃ。今夜からしばらく家に戻らん」と奥さんに連絡してから僕との打ち合わせに入った。ここからここまでは1日、ここで高所順応で1日滞在、翌日はここまで行く、その次の日はここまで...といった感じだ。「ワシは今夜は酒は飲まん。明日は7時に朝食、7時半に出発じゃ」と自分の荷物の準備をして早々に寝に行ってしまった。ちなみにこの先は9日間の道程ということで1日3000ルピーx9日=27000ルピー、もし満足したなら1日1000ルピーぐらいのチップ、これは不満足だったら払わなくてもOK、支払いは全ての行程が終わってから、という条件だった。つまり9日間で約36000ルピー(約36000円)になる。こんな古びたロッジでベテランのシェルパと出会った。リンジ・シェルパは僕の身体や足を見渡して「全てはあなたの足次第、体調次第だ」とシェルパとしての自信満々の口調になっていた。僕はこのスーパーシェルパについて行けるのだろうか?ということで僕も早々に部屋に入って寝た。(寒くて夜中に2回トイレに行ったけど)ちなみにカトマンズで買った高山病予防薬ダイアモックスはまだ服用せずにとっておいてある。部屋はこんな感じ。寒いから今夜から寝袋を使って寝る。
2024年01月24日
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パクディン村に向かって歩いているとある集落の入り口に山門のようなものがあった。中を通ると天井にはマンダラが描かれていた。ひざまずいて見上げる格好になる。また分岐点があった。どちらに行けばナムチェなんだ?よく見たら画像中央右寄りの岩にNAMCHEの文字。いやいや、こりゃ分からんだろ。迷子になるわい。だんだんと宗教色の強い道となる。オムマニペメフムと彫られた石が積み重ねられている。こういう場合はその左側を歩くのが礼儀だ。大きな岩には必ず経文が彫ってある。この労力がすなわち信仰心である。こういう場所も必ず経文を右側にして通り過ぎる。夕暮れ迫る山道を学校帰りの子供が歩いている。こんな大変な山道も彼らにとっては生活路だ。子供の頃から山道を通学路にしているのだからしかも学校までの距離も相当長いのでそりゃ大人になったら立派なシェルパになるはずだ。日暮れまでにパクディン村に辿り着けるのだろうか?
2024年01月23日
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小さな集落のポヤンの朝は霧に包まれていた。薄暗い部屋から出て階下のダイニングルームに行ってもオーナー家族はまだ眠っているらしかった。戸口を開けて外に出てタバコを吸っていたら薄暗い道をロバのキャラバンが歩いて来た。荷物を運んでないので既に仕事を終えたようだ。 ⇒ 【朝靄の中のキャラバン】39秒動画7時半頃に朝ご飯を食べて8時頃出発。インド人が「この先も一緒に歩こう」と言ってきた。しかし彼の歩きは非常に遅い。遅すぎる。彼に付き合っていたら僕の予定は大幅に狂ってしまう。「もしあなたの方が速いペースなら先に行ってくれ。 その逆で俺のペースが速かったら先に行くからね。 俺の今日の予定はルクラをパスしてパクディンまで行く」そう答えながら2人で歩き始めた。案の定、彼のペースは非常に遅かった。最初のうちは立ち止まって彼を待ってはいたのだがもうダメだ、明らかにペースが違い過ぎる。そのうちにナムチェとルクラの分岐点に出た。インド人はルクラで登山靴を買うだろう。僕はルクラに用はないのでそのままナムチェに向かう。ということでインド人とはこのままお別れになった。こんな小さな看板でも見逃すことはないだろう。悪いけど肩の荷が下りた僕はペースアップして歩いた。国内外問わず、僕は単独行が好きだ。他人のペースに合わせる気はないし、責任を背負ったり感じたりするのは嫌なのだ。相手に責任を背負わせたり感じさせたりするのも忍びない。気分次第で先を急いだり停滞してのんびりしたり自分中心の行動をしたいのだ。そうして黙々と山肌を削り取った道を歩く。谷間に架かる吊り橋を渡る度に静かになっていく。この静かな山村の独り歩きもルクラ⇔ナムチェのメインルートに合流したら少しはトレッカーで賑わうだろう。人恋しいようでいて独りでいたい妙な心境の中、遠くからキャラバンの鈴の音が微かに聞こえていた。
2024年01月22日
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ファプルから更に奥地に向かうジープ道はタクシンドゥ辺りでいきなり終点となった。いやあ、この7時間はスリルがあって楽しかった。ファプルからのジープ代1200円を支払う。さあ、ここからが登山道歩きの始まりだ。と思ったら「ジープ乗り換え」なんて言っている。え、この先にまだジープが通れる道があるの?ショベルカーの脇を通り過ぎるとアチラ側に別のジープが。ジープを乗り換えて行ける所まで200円で行くそうだ。ジープを乗り換えて2時間ほどで今度こそ本当の終点になった。ファプルから一緒のジープだったインド人もここで降りた。彼はニューデリーでエンジニアをしているというのだが職業柄なのか非常に几帳面で真面目な感じだった。なにせスーツと革靴、ショルダーバッグという格好でエヴェレスト・ベースキャンプまで行くというのだ。周りの人達は全員が「ははは、無理!」と言っていた。車道の終点からいきなり崖を下りるという場所になった。道路の続きを切り拓くために最初に木々を切り倒し(木々は燃料として使えるからまず伐採する)岩盤はダイナマイトで爆破していくという方法だ。ひと山越えてから撮った写真がこちら。現地のネパール人達や僕は崖を苦もなく下りて行った。日本の山歩きでも時々出くわすレベルの傾斜だ。数百m下りた辺りでインド人がいないのに気付いた。足を滑らせたら崖下まで落ちていく難度なのであの革靴じゃ下りるの大変だろうな、大丈夫かなあ?とリュックを置いて戻って見に行った。インド人は崖下を覗き込みながら茫然と立ちすくんでいた。「僕の靴じゃ無理だ、置いて行ってくれ」置いて行けるわけがない。ファプルに戻るジープは今日はもうない。僕は彼が立ちすくんでいる場所まで登り返し「荷物を持つよ。さあ、まずは片足をこの岩に」「出来ない。危なすぎる」とビビりまくっている。これじゃあエヴェレスト・ベースキャンプどころか次の村まで行けるのがやっとだろう。「今度はこの木をつかんで。次はこの岩に足をのせて」彼のリュックとショルダーバッグを担ぎながらまるで登山ド素人のようなインド人を手助けする。「ダメだ、僕には無理だ」「もう戻れない。俺達には進むしか選択肢はないんだよ」崖の上からは工事現場の人達が覗き込んで何か叫んでいる。「ありがとう、もういいよ。僕を置いて行ってくれ」「大丈夫、行けるよ。ほらもう少しだ」やっとのことで安全な登山道まで下りた。彼にとっては地獄の数百mだったろう。「ルクラまで行ったら登山靴を買わないとダメだよ」「ああ、この靴じゃちょっとなぁ」「買った方がいい、じゃなくて買わなければいけない」ベターではなくマストだ、と僕は彼に言った。10分後、その崖が大音響と共にダイナマイトで爆破された。僕達が安全な場所に下りたので工事が再開されたのだ。「わお!俺達ダイナマイトで吹っ飛ぶところだったぜ」「ああ、助けてくれて本当にありがとう」もう周りには誰もいない。静かな村の中を2人で話しながら歩いていく。宗教色もないようなモノトーンの質素な村だ。僕は今日は急ぎ足でパクディン村まで行く予定だった。今夜中にパクディン、明日中にナムチェに着いておけば高度順応を含めて楽な日程になるはずだった。生活登山道になってもインド人の歩みは異常に遅かった。放って行ってもいいがやっぱりそれはできなかった。薄暗くなった頃、ポヤンという村に着いた。仕方ない、今夜はこの村に泊まろう。どんよりと曇った空からはすぐにでも雨が降り出しそうだった。ポヤンの宿のお客は僕とインド人だけだった。インド人は疲れてすぐに寝てしまったようで僕は宿の家族達と楽しく過ごした。ほとんどの旅行者はこの先のルクラまで飛行機で行くのでヒマラヤ街道のトレッキングルートとなっているこの村はジープを使ってヒマラヤ入りするシブい人達しか通らないがハイシーズンは多くのトレッカーが宿泊することもあるそうだ。このルートは「ヒマラヤ・クラッシックルート」と呼ばれている。しかしあと1年か2年でルクラまでのジープ道が貫通したらもうこの村にトレッカーが来ることはなくなるだろう。山を削るダイナマイトの爆発音はまだこの村には届いていなかった。
2024年01月21日
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ファプルの宿は貸し切りで静かだったし素朴で良かった。特にダイニングルームはネパール奥地の生活そのままで1泊2食+飲み物で約1500円だった。しかしただ1つ納得できないものがあった。朝食である。アップルパンケーキ(約300円)+チャイを注文したのだがこのアップルパンケーキが酷かったのである。薄~い小麦粉を焼いてペラペラの乾燥リンゴが4切れ、味なんてあったもんじゃなかった。ジープの出発時間7時半になってもやはりジープは現れず。チェックアウトして外で待っていたら犬達が寄って来た。僕はなぜか犬猫に異常にモテるのである。1時間遅れでジープがやって来た。今日はこの車で7時間の旅となる。本日の乗客はネパール人の乗り降りの入れ替わりが多くその中で最初からインド人の旅行者がいた。このインド人がちょとしたキーマンになった。(詳細は後日)今日もジープは悪路をひた走る。「歩けば1日半だけどジープなら1日」という噂は聞いていたがなるほど、そんな感じかなというほどの極悪の道だった。ゲロゲロ吐かなかったのが奇跡なほどである。崖側はもちろんガードレールなどない。では皆さん、この動画見て吐いて下さい。 ⇒ 【ファプルから更に奥地へ~車内から】 動画39秒
2024年01月19日
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ジープの終点となったファプルは小さな集落である。終点というのは「現時点での終点」なだけでジャイカの造っている「車も通れる道」は現在も工事中で数年後にはカトマンズからルクラまで貫通するらしい。泊まったファプルの宿の外観。おしゃれな2階はオーナーの住居らしい。一番左の間口を入って行って左に曲がると1階は左右にドアがあるゲストルーム。一番奥の左側が僕の泊まった部屋。といっても他に宿泊客はいなかったので貸し切り。背の高い人が寝転んだら足がはみ出る長さのベッド。幅はセミダブル程度。部屋にはコンセントがあってwifiは速かった。日本のコンセントプラグがそのまま使えた。ダイニングルームに行くと...ふんわかクッションの上にチベッタンカーペット。龍の顔が迫力ないけど...。写真のフライドライスが約450円、チャイ約90円。薪ストーブがあったかい。1泊約500円。とっても静かな夜だった。明日の朝はこの先へ進むジープが7時半に出るらしい。ま、どうせネパーリータイムで1時間ぐらい遅れるだろうな。
2024年01月18日
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カトマンズからファプル行きのジープは早朝3時半発。泊まっていたホテルのフロント係が気を使ってくれて「3時に起こしてあげるよ」と言ってくれたのだが3時半近くになって出発のために1階フロントに行くと彼は毛布にくるまって爆睡していた。「出発するから入り口のドア開けてくれ」と頼むと「お~、寝てた。すまん」やっぱり他人をあてにしなくて良かったわ。そんな感じで真っ暗なピックアップ場所に向かう。ジープを手配した店が僕に紙切れを渡してくれていた。「もし何か問題があったらここに電話するように」真っ暗なチェトラパティ・チョークでジープを待つ。時々タクシーのおっさん達が声を掛けてくるが「ジープを待ってる」と答える。4時。ジープは来ない。4時半、来ない。5時、まだ来ない...。こりゃ忘れて置いて行かれたか?あまりにもヒマなので道路のゴミ拾いをして集めたゴミを歩道に置いてあるゴミバケツに入れて待つ。バイクに乗った現地の若者が再度話しかけてきて紙切れに書いてある番号にスマホで電話をかけてくれた。「忘れてた!今からすぐ行く!」だってさ。5分ほどでジープが到着し出発。結局ジープが出発したのは5時半、実に2時間遅れだ。「昨日の夜は寝るのが遅くて寝坊した」だってさ。真っ暗の中、次々に乗客をピックアップしていく。最終的にはドライバー+乗客6人で、僕以外は全員ネパール人。 ⇒ 【夜明け前に走るジープ車内 10秒動画】 ⇒ 【夜が明けて朝靄の中を走る 動画25秒】朝食休憩タイムになり村で停車。これが乗っていたインド製のマヒンドラ。朝食は各自でダルバートやら揚げパンを注文。僕はダルスープ(豆スープ)、タルカリ(野菜)、ツァパティー、サモサを注文。(日本円で150円)再び出発してだいぶ田舎の方に来た。「なあ、さっき屋根の荷物が落ちたようだけど」と乗客のネパール人がドライバーに声を掛ける。ジープを停めて屋根の荷物をチェック。「あ、俺のバッグがない!」と他のネパール人乗客。Uターンして落ちた荷物をみんなで探す。バイクに乗った女の子が「向こうに落ちてたよ」と教えてくれて無事回収、屋根の荷物を固定して再出発。そんなシリアスな時でも「これがネパール」とみんな笑う。今度は昼食のため停車。峠にある小さな集落だ。走っている最中、ドライバーはカッ飛ばしたり眠気が襲って来てフラフラ運転になったりする。ガードレールのない谷側に寄っていっちゃったり対向車線にはみ出したり(中央分離線ないけど)そんなドライバーに乗客は声を掛けながらまさに一蓮托生の間柄のように助けながら進む。休憩時に撮った生死を共にした他の乗客達。「日本のジャイカが造ってくれてるんだよ」という山道は次第に山道となりジャンプ&シェイクの悪路になる。 ⇒ 【こんな渡渉する場所もある 25秒動画】そして遂に10時間後、終点のファプルに到着。有り難いことにファプルから更にジープが出ているという。しかし日没のため今夜はこのファプル泊となる。同乗していたネパール人達はこの近くの村に帰省する人達でみんなとはここでお別れになった。
2024年01月17日
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カトマンズのチェトラパティ・チョークの近くに10年前に妻と次男と行った安食堂がある。あの時はチャイとサモサを食べた。今回もご飯を食べに行ってきた。食堂内のテーブルから見た路地の風景。食堂の壁にはヒンドゥー教の神様のポスター。こんな何気ないポスターを貰って来て家に飾ったらいいな。厨房の写真。衛生的とは言い難いが別に腹を壊したことはない。食堂のおかみさんが僕のテーブルの正面に座って「ジャパニ?」と声を掛けてきた。「この店には10年前に妻と息子と一緒に来たんだよ」と言ったらすごく喜んでくれてこちらも嬉しかった。おかみさんはネパール新聞に包んだ地豆を延々と食べている。旅はこういう何気ない時間が面白い。食堂を出て路地のお土産屋さんを見て回る。お面、いらんな...。仏像めっちゃ高くなってる!とにかくネパールのお土産屋さんは見ていて楽しい。じゃあ何が買いたい?と言われると特に何もないのだがヒンドゥーの魔法にかかって何か欲しくなっちゃうんだよな。(実はこのテの仏像、数体持ってます)
2024年01月16日
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カトマンズからファプルまでのジープの予約をしに地元ネパール人のバイクの後ろにノーヘルで乗ってレンガ造りの細道をうねうねと走った。表通りにある観光客用の旅行代理店でも予約できたが話の流れで現地の人用のジープに乗ることにしたのだ。乗るジープによって旅は変わる。たまたまそのジープに乗り合わせた人達と今後の日程が同じになって一緒に旅をすることはよくある。ジープ選びは旅の最初の岐路といっても過言ではない。カタコトの日本語で対応してくれたジープ代理店で「明日の早朝3時半にチェトラパティ・チョークで待ってて」とピックアップしてくれる場所を指定された。泊まっている安ホテルから3分の場所だ。かなりの長距離移動だが料金は日本円で3000円ちょい。これで明日からトレッキングに向けて出発できる。今日のやるべき事は終わったのでカトマンズを散歩しよう。古いレンガ壁の町並みをゆらゆらと歩く。ダルバール・スクエアの屋台。2015年のネパール大地震の爪痕が残っている。白壁につっかえ棒だけで大丈夫なん?20数年前に30円ぐらいで泊まったHOTEL SUGATはまだあった。ここの屋上でハッパ吸いながら色鉛筆で絵を描いてたなあ。アジアのどの国でも見られる電線の絡みっぷり。そうだ、20年前に1週間ほど居候したことのあるヴィシュヌさんの古アパートを訪ねてみよう。彼のアパートはフリークストリートと呼ばれていたジョッチェンの裏通りにある。でもネパール大地震で壊れちゃったんだろうなあ。かつてはヒッピーの聖地といわれていたその通りはマリファナやハシシ、コカイン、ヘロイン、LSDなどを売る密売人達がウロウロしていたし、小さなお土産屋や安いレストランなどがあって危ないが居心地が良かった。いよいよヴィシュヌさんのアパートのある場所に来た。やっぱりな、予想はしてたけど新しい建物が建ってる。上を見上げれば建物の間に狭い空が見えた。【ヴィシュヌさんの子供】と行った駄菓子屋さんもなかった。この辺りをゆっくりと2周した。もしかしたらすっかり青年になったヴィシュヌさんの息子が「あの...もしかしてサイトーさんでは?」と声を掛けて来て感激の再会をするかも知れないと淡い期待を抱きながら。会えなかった。誰からも声を掛けられなかった。僕はバイクにクラクションを鳴らされる孤独な異国人だった。ジョッチェンに来なければよかった。楽しい思い出のまま封印しておけばよかった。もう2度とジョッチェンには来ないだろう。どこかの店からネパール音楽が流れていた。哀しく寂しいメロディーだった。
2024年01月14日
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カトマンズ到着の翌朝、ダルバール広場周辺を散歩する。広場で一番目立つのがカーラ・バイラブ像。道端の至る所にある祠にはガネーシャ像が多い。コンビニっていうか駄菓子屋さん。両替屋。店によってレートが違う。それにしてもコロナ禍の間に日本円が弱くなったのかアジア通貨が大躍進したのか、物価上昇がすごい。こりゃ仕入れ出来ませんわ。以下、朝のカトマンズの動画 ⇒ 【ダルバール・スクエアのカーラ・バイラブ像周辺】31秒 ⇒ 【ダルバール・スクエア周辺】21秒 ⇒ 【お土産屋の屋台】48秒
2024年01月11日
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2023年12月24日、セントレアから仁川経由でカトマンズへ。セントレアの喫煙室は日本らしくて綺麗だった。こんな喫煙室初めてだわ。仁川(インチョン)空港の管制塔トラブルのため出発は2時間遅れた。どうやら積雪のため離発着が遅れてるらしい。仁川に到着。仁川で約2時間トランジットしてカトマンズへ。大韓航空利用で往復13万円ちょい。定刻より2時間遅れて20時頃カトマンズに到着。飛行機から見下ろすカトマンズの町並みは電気やネオンサインが煌々と輝いていて「これがあのカトマンズ?」と驚くほどだった。到着後に早速アライバルビザ取得のため機械に並ぶ。え?スマホがないと申請できないの?空港の係員にデータを打ち込んでもらって完了。30日有効のビザ代50ドルを日本円で支払う。日本で撮った証明顔写真は無駄になったじゃん。カトマンズ旅行を考えてる人、ビザのことは考えないで何にも準備せずに行ってもOKだからね。空港の外にいた客引きに促されるままタメル地区へのタクシーに乗る。(約900円)連れて行かれたホテルは1泊1500円と少々お高い。部屋でipadを充電。B3変換アダプター持って来て良かったわ。でもホテルによっては日本のコンセントプラグのままでOK。チェトラパティの食堂で晩ご飯。フライドライス120円かあ、高くなったなあ。紙パックジュース30円。高山病の薬ダイアモックスを10錠100円で購入。クリスマスイヴの夜、カトマンズをブラブラ歩く。明日はジープの手配をしよう。
2024年01月10日
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ネパールに出発まで1週間を切った。デジカメのバッテリーを充電しておこうと思ったら予備のバッテリーがない。どこに行っちゃったんだろ?ということでAMAZONで購入、翌日には届いた。バッテリー1個なのにこんな大きな箱に。商品代金は約1000円、送料無料。これで儲かるんでしょうか?ヒマラヤ極寒期のマイナス20度では電池の消耗早いだろうな。いつもポケットで温めておかないとな。さて、他に現地で困るものといえばシャワーだ。1リットルの水のペットボトルが500円らしい。そんな水が貴重な場所ではシャワーなんてない。てことでウェットティッシュを買ったんだがそんな寒さで身体を拭くなんてことも気合が要るだろうなあ。あと準備するモノって何だろう?日焼け止めも持ったしサングラスも持ったし。目薬って凍っちゃうのかなあ?
2023年12月20日
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ヒマラヤピクニックまであと1週間。そろそろ旅の準備をしようとしたらリュックがない。いつも使っている小さめのリュックならあるのだが寝袋、ダウンジャケ、セーターなどの防寒具が必要な今回はせめて60~70リットルの大きめの物が必要なのだ。登山グッズを入れてある押し入れを探しても自分の部屋や息子の部屋、他の押入れ等どこを探してもない。捨てるなんてことはないはずなのに。まあ、その大きめのリュックが見つかったとしても今回の厳冬期ヒマラヤの防寒装備が入るか微妙だったので近くのスポーツ用品店で買うことにした。店に入ってリュックコーナーを見てみると大抵は30~40リットルの普通サイズしか売ってなく50リットルになると28000円、70リットルは39000円。ひえ~、むちゃ高え!有名メーカーなんだが僕はブランド名なんてどうでもいいのだ。近くの部活用品を入れるバッグのコーナーを見たら中高生の野球部員やテニス部員が持ってそうなヤツを発見。アディダスとかナイキとかアンダーアーマーとかいかにも運動部員が食い付きそうなメーカーばかりだ。ほとんどはショルダータイプだがリュックタイプが見つかった。75リットル容量で8690円。まあコレでええわ。置いた時はいかにも運動部員が持ってそうなヤツ。僕は中学1年の初夏から運動部には関わってないので(ボール拾いの時に先輩に”オマエが拾えや”と言ってクビになった)こういった運動部っぽいメーカーは嫌いなのである。タグには3泊4日程度の滞在旅行にオススメのサイズとある。オレ、17泊だけどいいでしょうか?中は至ってシンプル。そのへんはどうでもいいわけよ。アディダスのロゴが自分には恐ろしく不似合いだがピクニックにはそんなことは関係ないのでヨシとしよう。
2023年12月17日
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ヒマラヤトレッキング出発まであと10日。今日は厚手の靴下を購入。ホカロン靴下だってさ。ホカロンってロッテが作ってると初めて知った。真ん中の靴下を折り曲げて撮ってるけど内側はモフモフのボア。こりゃ暖かそうだわ。
2023年12月13日
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カタバミ科のオキザリスには色んな品種があるが我が家のものはピンク色で葉の形も少し変わっている。この時期になると円筒形の蕾が陽の光を浴びて開き、陽が傾く時間になるとまた円筒形に戻っていく。居間の南側の外に置いてあるので陽に良く当たる。サッシを開けて中庭に出る通路はこういった花だらけだ。今日は休みだったのでyoutubeでヒマラヤの動画ばかり観ていた。日本語で「カラパタール youtube」で検索するとツアー案内が多く「kala pathar youtube」で検索すると個人トレッカーの動画が多い。大抵は春か秋のハイシーズンの動画なので今夜は厳冬期の動画を検索してみるか。
2023年12月10日
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厳冬期のヒマラヤトレッキング出発まであと2週間ちょい。先日はワークマンでメリノウール製のタイツを買った。ポリエステルのインナータイツも暖かそうだったけどパッケージが「体感温度プラス5度」とか「マグマの力」とか大袈裟な表示が多くて胡散臭く、やっぱりウール100%だな、と金額で迷った挙句にそちらにしたのである。ポリエステル製のが1500円に対してメリノウール製のは1900円、ドド~ンとプラス400円の大奮発である。もう1つ買ったのがダウンのルームブーツ。海外の宿はベッドに入るまでは靴のままなので寝る時以外はトレッキングシューズを履き続けることになる。それだと何か窮屈な感じだし蒸れちゃうような気がするので許せるならば宿にチェックインした後は靴を脱いで暖かいルームシューズに履き替えたいなと思っていた。カトマンズにはヤクの毛で編んだ靴下が売ってるだろうしそのまま寝袋に入ればいいやと思っていた。厳冬期の標高5000m以上に行った人のブログなどを調べてみると室内でも氷点下20度ぐらいまで下がるらしい。そんな中で寝るなんてそのまま低体温症で死んじゃうんじゃね?で、ワークマンで見つけたのがコイツ。僕が冬場の外仕事で愛用しているケベックNEOの室内版だ。靴底が厚いスリッパみたいになってて軽くて暖かい。これ履いたまま寝袋に入ってもいいじゃん。店内で見つけた瞬間「おお!これぞ求めていた物!」と思った。お値段は何と税込み980円。いやあ、これで氷点下20度のロッジ内でも安眠ですわ。ただ、高山病の薬「ダイアモックス」を服用すると排尿作用が促進されるので夜中に尿意で起きちゃうらしい。ダイアモックスは日本じゃ高いけど現地の薬局では1錠100円程度。あと問題はロッジ、山小屋の宿泊。厳冬期は9割以上のロッジ、山小屋が閉鎖されて従事者は麓に下りちゃうらしいので泊まるとこあるかなあ。もちろん日本から宿の予約なんて出来ないしね。まあとりあえず行ってみましょう。
2023年12月06日
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先日の三重県宮妻峡へはs660で行ったのだが岡崎ICから四日市までは高速道路を往復使用、高速を出てからは山道を走ったのだがカッ飛ばすでもなくエコ運転でもなく一般的な走り方で往復180kmぐらいだった。(高速道路使用が3分の2の割合程度)それで燃費は驚きのリッターあたり26.0km強だった。s660はハイブリッド車ではない、普通のガソリン車だ。6速マニュアルにより回転数を低く抑えれるということもあるが大人2人で乗ってこの燃費というのは嬉しい。しかも軽自動車なので高速料金安いし。ちなみに自分のアルトワークスで同じ道で同じ走り方したら5速マニュアルなのでリッター20~22kmぐらいだろうなあ。(独りで乗ったら絶対20kmまで伸びないな、運転荒くなるから)下の画像が二重にボヤけて見えてしまう中高年の方、安心して下さい、シャッターブレですからね。
2023年12月03日
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三重県の宮妻峡と水沢もみじ谷の紅葉を見に行って来た。高速道路を使って1時間半弱で宮妻峡に到着。最奥部の駐車場にs660を停める。駐車場近くの林道から。近くの宮妻キャンプ場に下りて行く小道。後ろ姿のシルエットを妻に撮ってもらう。宮妻キャンプ場は来年2024年3月末で閉鎖となるそうだ。まあアクセスが悪いし林道も車が擦れ違えないほど狭いし特にこれといった特徴もないので閉鎖も仕方ないかな。昭和のままの風景が残っている。ただ、宮妻キャンプ場の横を流れる川は清らかで広い河原で星を眺めるには絶好の場所だ。山に囲まれてるので四日市市の光害の影響を受けないな。でもここで夜を過ごすのはさすがに怖過ぎるなあ。次に三重県の紅葉見どころランキング1位と紹介されている水沢(すいざわ)もみじ谷に寄ってきた。確かに紅葉はきれいだ。しかし規模が小さ過ぎる。え?ここだけで終わり?って感じでガッカリ。これで三重県紅葉ランキング1位?もみじ谷という名前に全然伴っていない。愛知県の香嵐渓や小原の紅葉、タカドヤ湿地には遠く及ばないし僕の家から徒歩5分の岡崎東公園のもみじの方が多いし綺麗だ。水沢もみじ谷はせっかく行ったのに残念な紅葉スポットだった。
2023年11月29日
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2年前のちょうどこの時期に豊田市の小原町に四季桜と紅葉のコラボを見に行ったのだが今日はそこを再訪してみた。朝10時に自宅を出発。途中のSAでs660の幌を外してオープンに。少しの渋滞はあったものの思ったよりスイスイ行けた。明日が祝日なので今日行く人は少ないのだろう。小原ふれあい公園に着いたのは11時頃。駐車場料金1000円を払う。その代わりそこから出るシャトルバスは往復無料。10分で小原の川見(せんみ)地区に到着。バスを降りた目の前がこの景色。アップ写真。今日は気温が20度、無風なので暖かい。もみじのトンネル遊歩道を歩く。もみじの種類によってはまだ少し早いかな。四季桜(10月桜)は淡いピンクというより白色にほど近い。逆光気味だと銀色にも見える。遊歩道の一番きれいな場所。道路を渡って川沿いのもみじを撮る。雨に打たれてまだらになってるし色も悪い。人があんまり来ない場所でパシャリ。写真には観光客が写っていないけど実際は結構な人出で中国語なんかそこら中で聞こえてたな。シャトルバスで帰る際の車内から。ちなみにこの写真の左側に見えるグリーンシートは今年の6月の豪雨による土砂崩れの崩壊跡。この部分だけ残念だったな。
2023年11月22日
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僕は物欲は非常に少ないとは思うのだがワークマンに行くと宝の山に見えてしまうのである。ただしそれは所有欲ではなく、仕事兼プライベートで買っておけば重宝するな、という現実的な考えだ。というか、着用していたものが悪くなり買い替えるため夏場と冬場に各1回ずつ程度の買い物というレベルだ。先日は1万円以上の買い物をした。今日はその内訳を備忘録としてアップしておく。まずは年末のヒマラヤハイキング用の防寒ミトン。裏地はフリース。1900円。仕事兼プライベート用の靴 2900円。夏場に履いていた1900円の靴の底が完全に擦り減ってまるで足袋のような接地感覚だったので廃棄してその代わりに買ったもの。つま先に強化プラスチックが入っている軽量安全靴なんだけどこれも年末のヒマラヤハイキングのため、あえて重めの靴を購入。防寒靴ケベックNEO 2900円。これはすぐに品薄や完売になっちゃうため予備として2度目の購入。高値で転売されるぐらいの超人気アイテム。冬場にコレを履いたらもう他の靴は履けません。仕事兼プライベート用の長袖シャツ 980円。この値段でこの暖かさはありがたい。裏地は四角いブロックになっていて抜群の保温性。軽くて暖かいのでヒマラヤにも着て行きます。裏ボア冬用ズボン 2900円。これはもう4~5回目のリピート買い。丈夫だし暖かいし履き心地もいいし、とにかく欠点ナシの逸品。これがもし4900円で売ってても買います。数日経ってからまたワークマンに行って中綿入り防寒ズボン1900円も追加で買いました。それも仕事兼ヒマラヤ用。以上、セレブの大人買いレポートでした。
2023年11月21日
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土曜の夜は仕事を定時で帰って来た。その日も残業は19時過ぎになるほどの忙しさだったけど同僚達が寒い中を動き回ってるのを見てみんなより早く帰るって何か優越感あるなあ、と思いながら申し訳ないですけどという気持ちはサラサラ感じず「ケケケ、ざまあみろ。あと2時間がんばって」と声を掛け鼻歌混じりで帰路に着いたのであった。今夜は女子会に参加するのだ。帰宅してアルマーニのスーツに着替える。髪を整えて香水をつけ多額の現金を入れたヴィトンの財布を持ち玄関のシューズクローゼットから黒い革靴を取り出して履く。さあ、今夜はどの子をお持ち帰りしようか。あ、イカン。妄想のままにキーボードを打ってしまった。正しくは、帰宅して着替えなどせずそのまま。僕には仕事服と私服の区別などないのである。髪を整えるもなにも、手でパパッと整えるだけだ。仕事で履いてた靴をそのまま履く。よそ行き用の靴など持ってないのである。妻と一緒に行くのでイベント後も残念ながら妻をお持ち帰りだ。それにしても女子会というには語弊がある。"元"女子会と言わねばなるまい。職場で「今夜は"元"女子会に行くんだ」と同僚に言ったら「え?何でそんな羨ましいトコ行くんですか?」と言われたので「俺さ、"元"女子なんだよね」と答えたら信じてもらえなかったので「俺の高校は女子が9割だったから女に囲まれても違和感ないんだよな」というわけで約40年前は女子高生だった会に参戦なのである。某レストランに到着すると他のメンバー6人は既に着席しており僕達夫婦が着席して元女性7人の中に男1人となる。もはや場末のB級熟女キャバクラに入店したような様相だ。久し振りの再会を祝してなのか、まだ生きてることへの乾杯なのかそれからはマシンガントークが火を噴く如くの近況報告というか会話の内容は白内障がどうの、階段の上り下りのヒザがどうの、義父母の介護がどうの、長男の嫁がどうの...というお決まりの会話で主人への愚痴話も出るかと思いきや主人の存在すら忘れてるご様子でまあどこの元女子会もこんなもんなんでしょうなあ。テーブルのアチラ側では温泉話に花が咲いており僕も席を移して温泉談義となったり旅行の話となったりじゃあ今度俺と秘境の温泉に2人で行こうかと誘っても当然却下され「だけどタットくんと結婚してたらヤバい人生だったよね」だとか(注:中学時代からの同級生はタツジン、高校時代の女子はなぜかこう呼ぶ)どうも皆さん僕のことをハチャメチャな野蛮人とお思いのようである。そうこうしてるうちにいつの間にかお開きの時間となり”女子会”改め”腐敗間近完熟女会”は終了したのであった。この店ってveryberryくんがオーナーなのかな?
2023年11月19日
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今日は自分のアルトワークスの車検をやった。陸運局まで行って必要書類を見本を見て書いて検査ラインに通すという簡単なものだ。まずは保安部品の動作チェック。ライトやウインカー、ホーンやワイパーの動作確認。で、先回のブログに載せた擦り減ったタイヤでアウト!検査ラインではサイドスリップでアウト。サイドスリップ調整は近くの整備工場で1600円払って調整。陸運局から家に戻ってガレージに眠ってるタイヤに交換。前後でホイールもタイヤも違うけど問題なし。ちなみに陸運局の検査書類はこんなんです。車検不合格の時だけ貰えるレアな紙。不合格当日に再検査するなら追加料金なし。では2023年時点での軽自動車のユーザー車検費用。・重量税 ¥6600・検査代 ¥2200・自賠責 ¥15470 以上、合計¥24270僕の場合はサイドスリップ調整費用¥1600がかかったので支払い総額は¥25870となった。この他は一切の費用はナシ。軽自動車の車検は民間工場でやってもらうと7万から10万、ディーラーでやってもらうと10万以上はかかるのが相場だけどそれは「オイルとかワイパーゴム交換しときました」だとかどこどこが摩耗してたので交換しないと車検が受からないとか素人相手だとメチャクチャなこと言うからね。ほら、BIGナントカって中古車販売店でも問題になったじゃん。たとえば、エアコンのスイッチが点かなくなったとする。原因はスイッチ裏の配線が外れてて差し直しただけでも「エアコンコンプレッサーの何々が悪くなってて...」とか言って数万の交換費用を請求されることだってあるのだ。「これはウォーターポンプが不良」だとか「プーリーが」とか専門用語を使ってきて、車の所有者は「じゃあ修理お願い」まあそう答えるしかないもんね、でも実際はベルトをキュッと増し締めするだけで直るとかね、まあこれは例え話だけどこんなの日常茶飯事なわけよ。BIGナントカっていう中古車店だけじゃないんだよね。マスコミって1つ事件になると該当会社や該当人が潰れるまでとことん声色のトーンを低くしながら報道するからねえ。そのターゲットが潰れたら「はい、次~」って感じだよね。
2023年11月15日
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6月下旬に新品のタイヤにしてから5ヶ月弱。走行距離4,500kmでほとんどが通勤での走行。今日はそのナンカンNS-2Rのタイヤレビューを。赤い矢印を辿っていくと溝が無くなってるのが分かるがこれをスリップサインという。スリップサインが確認できるようになったら交換の時期だ。タイヤの溝は既にこんなんなっちゃいました。画像は左前に履いてたタイヤなので、右側の減ってる方が外側。主に通勤での走行のみといってもカーブの遠心力などがあるので外側が減っちゃうんだろうな。ではNS-2Rのレビューを。(通勤で使うというレベルで)直進安定性 10点 問題なしグリップ力 10点 問題なし雨の日の制動 7点 まあまあ寿命 3点 当然エコタイヤに比べて短命走行ノイズ 1点 ワオーンという共鳴音がある日本製のタイヤは製造時に1ヶ所だけを接着する。ところがこの台湾製のNS-2Rは僕の予想だけれども1枚が角度60度のいわゆる扇形状のゴム板を6枚繋ぎにして1本のタイヤにするという製造過程と思われる。(違ってたら申し訳ない)だからゴム接合部分が6ヶ所あるというわけで当然タイヤバランスも悪くなるし共鳴音も出る。ホイールバランスが悪いと時速110kmぐらいでハンドルがガタガタと小刻みに揺れるんだけど時速100kmに落とすか120kmに上げるかで揺れは治まる。或いはタイヤとホイールを組む時にウエイト調整をしてバランスの悪さを解消することができる。ただ、このナンカンNS-2Rは時速60km前後でワオンワオン...と共鳴音がするのである。音の原因はこれじゃないかな、と思う。タイヤなんてもんは結局は硬さや溝のパターンの違いだけで一概に「このタイヤはダメ」なんて決めつけれないというか例えばサーキット走行する時でもコースレイアウトだとか晴れか雨か、暑いか寒いかでタイヤチョイスが変わってくる。いつもスピードを出さない安全運転って人はエコタイヤでいいしクンホやハンコック等のゴムだかプラスチックだか分からんような韓国製のタイヤでも問題はないのである。それらは驚くほど安いし減らないのでコストパフォーマンス抜群だ。ゴロゴロ...という走行ノイズを気にしなければいいのだしスピードを出さずにいれば制動距離も伸びないから問題ない。僕のような通勤だけでの走行なら、NS-2Rはもったいない。4,500km走っただけでこんなに減っちゃうのだ。ただグリップ力はヨコハマ ネオバの1ランク下レベルなので(僕のNS-2Rはミディアム・コンパウンド)かなりのスピードでカーブを曲がってもスキール音はしないしオーバースピードで突っ込んでもアクセルをちょいと離せばまたフロントタイヤにグリップが戻るのでコントロールも楽。ちなみに直前に履いてたのはブリジストンのネクストリー。まあエコタイヤのちょっといいレベルなので通勤での走行だと20,000kmで寿命を迎えるぐらいだった。コーナーではギャ~ッと滑りながらタイヤが鳴くが滑りながらもコントロール可能なバランスの良いタイヤだった。タイヤによる燃料消費は溝の多いエコタイヤの方が燃費が良い。おまけに空気圧を少し高めに入れれば接地面積が少なくなるのでグリップ力は落ちるが燃費は伸びる。要は自分の走り方に合ったタイヤがいいってことだな。
2023年11月12日
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田立の滝群の最深部にある丸渕には小さくて緩やかな滝がある。そこの滝壺の色はエメラルドグリーンだ。どれぐらいの水深があるかも分からない。今回はスローシャッターで撮ってみた。今回もここでお昼ご飯を食べた。1時間程のんびりして夫婦で2ショット写真と撮ったりした。誰も来なかった。静かな滝のせせらぎが聞こえるだけだ。丸渕の下流にある箱渕の水の色も透明感があるグリーンだ。帰路で初めて人に出会った。滝好きの青年で3人でしゃべりながら下山した。赤や黄色の落葉を踏みしめながら駐車場に到着。帰り道の集落は見事な紅葉だった。夕方には家に戻り、妻は筋肉痛で死んでました。
2023年11月10日
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朝7時半に岡崎市の家を出発して高速道路に乗り途中の恵那サービスエリアのコンビニで食料を買ってここでs660の幌を外してオープンにして中央道の中津川ICで下りて山道を走る。紅葉の中を走る時はオープンカーは気分が良い。妻は助手席でパーカーを着てヒーターを入れている。外気温10度の山間部でも快適だ。10時過ぎに田立の滝の駐車場に到着。あれれ?貸し切りかよ。数日前の雨と風で紅葉は散ってしまったか。それでも残ったわずかな紅葉が青空に映えている。去年の今頃にBerryくんと来て以来、ちょうど1年振りだ。山の斜面に作られた木道を歩く。抜け落ちたら結構落ちるよなあ。登山道から1時間ほどで霧が滝、次に天河滝に到着。落差約40メートルの滝が一枚岩を流れている。そこから10分20分歩いた場所にある不動の滝は滝の落ち口まで行けてスリル満点だ。今回も【動画】を撮ってきた。
2023年11月09日
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2週間ほど前の御嶽山ピクニックに行った際にトレッキングシューズが壊れたので新しいのを買った。我が市の大型ショッピングモールのAEON(イオン)は端から端まで1kmもあってただっ広いので行きたくないのだが靴を買うためだ、仕方がない。僕は18年間ずっと商業施設で自分の店をやっていたがその頃から商業施設というのは嫌いだった。イオンの無料駐車場は4,300台分もあってまずは駐車スペース探しから始まり、店を探し、帰る時にまた「はて、ワシの車はどこに停まってる?」などと本来の目的の買い物時間よりもそっちの時間の方が長いのだ。僕は商業施設に一人で行くのが嫌いだ。迷子になるからである。というわけで妻と一緒にイオンのスポーツショップ店に行きお目当てのMERRELL(メレル)のトレッキングシューズを探す。噂には聞いておったがお値段20,790円ですと!店内で自分に合うサイズを履いて帰宅。あれ?せっかく行ったのに買わないの?そうなんです、サイズ合わせだけして後でネットで買うんだよ。その方が安いからね。そういう人多いよ。帰宅してから同じヤツを検索すると値段はまちまちだけど税込み送料無料で17,250円で売ってる。しかも1,017円分のpaypayポイントも貰える。ネットで買ったMERRELLは翌日には配達可能。僕は翌々日の時間指定で受け取った。いつも履いてるワークマンの1,900円シューズの10倍近い値段がするとはなあ。色は黒色、黄色、この茶色の3種類があったけど黒色はいつも履いてる色だから今回は却下、黄色は赤と緑のアクセントも入ってて目立って良いけど自分の持ってる服とのカラーバランスが合わないしなんかベネトンカラーみたいなのでこれも却下。アーシーカラーのこの色を選択。僕は通常は25.5cmか26.0cmを履いてるんだけどメレルは0.5cmほど小さい作りになってるしヒマラヤトレッキングでは厚い靴下2枚履きなので26.5cmのワイド幅を購入した。底面のゴムはビブラム社製で抜群のグリップ。メレルは過去に何足か使ってたけど岩場でも食いつくし履き心地も良くって1度履いたらリピーターになっちゃうよね。このシューズは当然GORETEX素材も使っている。さあ、11月からはこれ履いてピクニック行くか。
2023年10月29日
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昼休みに職場近くのコスモス畑の中を散歩した。このコスモス畑は迷路になっていて見上げた空は雲もなくまさに秋晴れだった。コスモス畑の向こうに見えるのが僕の職場。この時点では車の量は少ないけれど1ブロック200~300台収容のスペースにどんどん車が搬入され毎週水曜日のオークション開催日になればそのブロック約20数個が中古車でギッチリ埋まる。(つまり4000台以上収容可能)僕の仕事は搬入されてきた中古車全ての写真を撮ること。この車の間を縫って毎日延々と写真を撮っている。当然毎日違う車が入ってくるわけで飽きない。昼下がりのコスモス畑は静かだった。会社の敷地には絶え間なくキャリアカーが中古車を積んで来るし車のエンジン音が途切れることはない。会社の敷地から少し離れるだけで別世界だ。雲一つない青空をバックにコスモスを撮る。昼休みもシャッター押してるんかい!夕方になって遠くから雷が聞こえてきて暗くなった頃からは雷雨になった。稲光があちこちで見えてきれいで楽しかった。
2023年10月27日
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1週間ほど前の火曜日、中古車オークション会場で写真撮影の仕事をしながらブラブラしていると外国人が中古車出品のために搬入しに来てて警備員さんと外国人は言葉が通じずに困っていた。僕はヒマといえばヒマなどうでもいい立場なのだが(その時は使い終わった機材を事務所に返却した帰り)近くを通った僕に外国人は"困ったオーラ"を出してこちらをジッと見てきたのである。こういうシーンがなぜだか実に多いのである。多分ここに来る外国人は僕の事を日本人以外の人種、ベトナムかインドネシアかネパールなどのいわゆる”アジア人”(日本人は英語が通じないが他のアジア人なら英語が通じる)そんな感じで英語で助けを求めてくる事が多々ある。その時もちょこっと書類の記載漏れを助けてあげた時、顔立ちがスリランカ人のイスラム系だったのでスリランカ語で挨拶したらやっぱりスリランカ人だった。パキスタン人やインド人とは少し違うのだ。先月のスリランカン・フェスティバル行ったかい?と訊いたら行かなかった、みたいな会話をして「じゃあね」と別れさて事務所前でタバコでも吸うか、と歩いていたら後ろからそのスリランカ人が走って追いかけてきた。「私は日本に来てまだ5ヶ月、友達になって下さい」と名刺を手渡されたので「じゃあ夜メールするよ」と言った。彼がその場から立ち去る時に急に雨が強く降ってきたので「この傘持って行きな」と手渡すと遠慮していたのだが「コレ、俺のじゃなくて忘れ物の傘だからさ」と押し付けて彼はその傘をさして濡れずに済んで帰って行ったのである。彼とはその夜からViber(LINEのようなもの)で連絡を取り合い今日は豊田市のハラル・レストランで一緒にディナーをした。何とかライスと何とかカレー。あとはナンとマンゴジュース。まずは先日のお礼から始まってビジネスの話とかお互いの話とか色々な話題であっという間に時間は過ぎ途中で「ごめん、お祈りの時間なんで」とレストランの中でお祈りを始めたりという感じで楽しかった。「サイトーさんは100%ジャパニーズなの?」と言われたがほら、やっぱりいつも外国人にはそう訊かれる。「両親も両祖父母も全員日本人だよ」と答えたがアジア大陸やアメリカ、ヨーロッパなんかは陸続きなので中華系タイ人とかラオスとベトナムのミックスとかそういう混血はいっぱいいるわけよ。こういう突然の出会いって面白いよね。てか、RakutenViberで繋がってるの全員外国人なんですけど。なぜにオレには日本人の新しい友達ができないんだろ...。
2023年10月25日
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先日、パソコンで秋の紅葉状況を検索していたら突然「トロイの木馬ウィルスに感染しました」と警告音と一緒にこんな画面になった。あ~あ、またトロイの木馬詐欺か...。これで何度目だろう。僕は工口サイトやいかがわしいサイトは見ないのだが秋の紅葉状況の三重県版を見てただけでこうなるなんて。宮妻峡の紅葉時期って検索してただけなのに。時々あるんだよね、何の変哲もない普通のサイトなのにいきなりフリーズしてトロイの木馬に感染しました、なんて。こういう時はこの電話番号に連絡してはいけない。どうやら片言の日本語の人が出て対応されるらしい。こんな詐欺画面が出てきた時のために「トロイの木馬 警告 消し方」で検索してパソコンの近くに対処方法のメモを書いておきましょう。OSによって警告を消すための操作が違うみたい。ちなみに僕のパソコンはOSは何か知らないけど「AltとctrlとDeleteを一緒に押す」次に「タスクマネージャーを開いて起動」その次に「タスクの終了」→「すぐに終了」をクリックでこの画面も警告音も消える。
2023年10月24日
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皆さんも同じだと思うけど毎日送られてくる迷惑メール、これって削除するのに本当面倒臭いよねえ。僕のパソコンには1日200通ぐらい来る。パソコンは居間にあって家族の誰でも見れる環境にあるし僕はいかがわしいサイトを閲覧することはない。それでもこんなに来るんだよなあ。何でも迷惑メールの約90%は中国からの発信で1回で1億通もの迷惑メールを同時発信が可能だとも聞く。一応全ての迷惑メールは別のフォルダに入るしそれを確認せずすぐに一括削除している。皆さん、こんなものは絶対開いちゃダメだよ。次回は「トロイの木馬詐欺メール」を解説します。
2023年10月22日
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御嶽山の黒沢登山口から入って8合目の女人堂に行きそこから東斜面を三ノ池方面に歩いてしばらく行くと滝の音が聞こえてくるようになる。目を凝らして見るとあんな所に発見。望遠レンズで撮るとこんな感じ。登山道はこの上流にあり、鎖を使って渡渉する。夏場は絶好の休憩スポットとなる。7月に歩くとまだこの辺は雪渓になっている。クレバスもあって面白い。今日はネパールに履いて行く登山靴を見に行く予定だったが(実際に履いてフィット感を確認して、安いAmazonで買う)色々と予定があって行くことができなかった。で、某場所で日本人初のF1ドライバーの中嶋悟さんと会った。すぐ斜め前のソファーに座ってたんだけどプライベートの時間なので声は掛けなかった。20歳の頃、イベントで握手とサイン貰ったことあるけどまあ岡崎市が地元なんで出会う確率はあるわな。相変わらずお元気そうでなにより。
2023年10月18日
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年末年始にヒマラヤトレッキングに行くということでそれ用のトレッキングシューズをネットで検索していた。僕は新品じゃなくてもいい、というタイプなんだけど他人が履いた中古シューズはなあ...と思ってたんだがゴアテックスのシューズって2万から3万円するんだよね。でヤフオクを見てたらゴアテックスの中古が売られてて何と3,200円で落札できてしまったのだ。届いたシューズは外観も程度が良く、底面のゴムも減ってない。おお、こりゃ良い物を安く手にできたと喜んでまずは履き心地チェックのために御嶽山に履いて行ったのだ。だから今回の御嶽山ハイキングは紅葉を見るためというより登山靴の履き心地チェックが1番の目的で次に自分の脚力のトレーニングが目的だった。毎日仕事で履いてる靴はワークマンの軽量シューズ(1900円)で久し振りに履いた登山靴はやはり重く感じた。さて、御嶽山の黒沢登山口を出発して歩き始めると岩の上や木道を歩いた時の靴のグリップが悪い気がする。やはり中古なのでゴム底が硬化しているようだ。どんどん登って行くと登山道には霜柱が。秋の山ってのはやっぱいいなあ。で、先日のブログにも載せたお昼寝スポットでの写真。あ、靴の側面のゴムのとこがひび割れて削れちゃってる。それにつま先部分がこんなんなってる...。やっぱ中古シューズはダメだな。下山時、靴の底面がパカパカと言い始めた。うわ、こりゃヤバい。靴に気を遣い慎重に下り道を歩く。かかと部分を岩や木道の”ヘリ”にぶつけたら症状が一気に悪化してしまう。歩く音はこんな感じ。コツ(右足)パカ(左足)コツ、パカ、コツ、パカ...何とか登山口駐車場まで持ち堪えてくれよ~。こんな山道をケンケンして歩くなんてやだよ~。そのうちに右側の靴もパカパカしてきた。コツ、パカ、コツ、パカ、パカ、パカ、パカ、パカ...終点まであと10分ぐらいの所まで来た。パカ、パカ、パカ、パカ、・・・、パカ、・・・、あ!右足死んだ...。ズル、パカ、ズル、パカ、ズル、パカ...もはや右足は旅館の便所のスリッパを履いてる感覚だ。なんかもう笑えてしまって独りでアハハと声を出して笑って足音(もはや足音と呼べる音ではないが)に合わせてズル、パカ、ズル、パカ、と口ずさんで歩いた。まあ残りちょっとだから裸足で歩いてもいいんだけどね。映画”復活の日”のラストシーンの草刈正雄のような歩き方で(分かる人には分かるネタですまん)遂にゴールイン。いやあ、よくがんばりました、靴よ。家に帰ったら接着剤で直してヒマラヤに一緒に行こうな。って、んなことあるかい!翌朝の粗大ゴミでとっとと捨てました。この度は安物買いの銭失いの典型的な例だったが亡くなられた登山靴くんの名誉のために言っておくがこの3,200円が無駄だったかというと断じて違う。脚力トレーニングのために命を投げ出してくれたし、ぶっつけ本番でヒマラヤに履いて行かなくて良かったし、(アチラでこんなんなったら歩けんし直せんし凍傷になるし)特にこの靴が死ぬ間際には足元のマネージメントっていうか足元に意識を集中して歩くという訓練になったのだ。だってほら、ヒマラヤ街道ってキャラバンのロバやゾッキョの糞が至る所に落ちてるんで踏まないように足元注意ってわけよ。靴くん、ありがとう。岡崎クリーンセンター処分場で灰になっちゃったけどブログネタになったというお前の功績は大きいよ。ということで今月中には新品の登山靴を買うつもりである。
2023年10月15日
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御嶽山の女人堂から三ノ池方面のルートの途中に見晴らしの良い場所があってベンチが置いてある。今回はそこで昼寝をすることにした。頭上の雲を見ながら寝ようとしてふと思い立った。「こんなとこで昼寝しましたの図」を撮ろうと思ったのだ。むくりと立ち上がり簡易三脚にデジカメを取り付けて10秒タイマーをセットしてベンチまで戻って寝転ぶ。って写真を撮ったんだけどさ、その動作が虚し過ぎる...。まぁ誰もいないからいいんだけどさ、セルフ写真って常に虚しさがつきまとうよね...。ちなみに今日の服装はユニクロの裏ボアジャケット、ワークマンの裏ワッフル長袖シャツ。ズボンもワークマンの裏ボアズボン。なあんだ、冬に仕事してる時の服装と一緒じゃん。リュックの中には会社から支給されたバートルのジャケット。これはすっごく暖かくて冬山用に使用もしている。でも今日の御嶽山ごときの暖かさでは着るまでもなくリュックの中でお荷物になっていた。軍手も持ってたけど使わずにコレもお荷物。つまり写真のように格好の枕になっただけだ。食料はおにぎり(エビマヨ)、ピーナッツパン、ジャガリコ、キットカット、カフェオレの500ccを1本。すぐに眠りに落ちた。なにせ2時間仮眠しただけで夜通し走って来たからな。2枚しか着てないので「寒っ!」と目が覚めた。うわ、曇ってる。あっちもこっちも雲ってる。デジカメで時間を見たら11時。1時間半寝たのか。急いで下山にとりかかる。写真の右の方が登山道。中央やや左は涸れた沢だから下りて行っちゃダメだよ。斜面のダケカンバの葉っぱはほとんど枯れ葉状態。8合目の女人堂はそのままスルーしてひたすら下山。どんどん下山している時に過去に体験したことのない「こりゃ困ったことになったぞ」という事態に陥った。まさに「天国での昼寝」から「地獄の下山道」という急展開になっていくのである。無事に持ち堪えて麓の登山口まで辿り着けるのか? つづく
2023年10月12日
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夜中の2時に岡崎市の自宅を出発して御嶽山に行った。片道約180km、中央道の中津川ICからは一般道を走る。高速道路や国道19号線は眠かったけど山道になってからはギンギンに冴えまくる。中古のアルトワークスを買って5ヶ月、初めて本気で山道を走ってみた。メーターパネル内のトラクション・コントロールランプがカーブを曲がる度に点滅する。こりゃ面白いわ。まもなく登山口に到着する頃に朝焼けを迎えた。雲海も久し振りに見た。黒沢登山道を朝6時半から登り始める。8時に8合目の女人堂小屋に到着。小屋前からは手前に大きく乗鞍岳が見える。その背景の右側には槍穂高連峰。御嶽山の東側斜面の下の方は黄葉。しかし例年より色が悪い。8合目付近の紅葉は先日の3連休の雪で散ってしまっていた。葉が落ちて幹と枝だけになったダケカンバ。女人堂から三ノ池に続くルートの途中が今日の目的地。通行止めの杭の上におやつを乗せて撮影。まだ朝の9時だ。写真を撮ってたら9時半ぐらいになった。よし、このポカポカ陽気の中で昼寝でもするか。さっきから誰一人として通らない。秋らしい雲が次から次へと流れてきて形を変える。目に入る生き物といえば秋空を飛ぶトンビのみ。こんな貸し切りの無音の場所で昼寝なんて最高の贅沢だ。その後、目覚めてからの急展開は次回。
2023年10月11日
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