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いよいよ8月13日から、重粒子線治療を受けることになる。2015年にも、兵庫県立粒子線医療センターで重粒子線治療を受けたので、そのときの知識はあるが、もう10年も経っているので、進歩している部分もあると思うし、記憶も薄れかけているので、OJRセンターのホームページを参考に自分自身でまとめておきたい。******************************************陽子(水素イオン)や重粒子(炭素イオン)などの粒子を加速させたビームを粒子線と呼ぶ。このうち重粒子を使って治療を行うのが重粒子線治療である。下図のように重粒子線は放射線の一種である。通常の放射線に使われるエックス線も放射線の一種である。図1 放射線の種類エックス線も粒子線も体の中まで進み、がんを殺傷する能力がある。ただ、エックス線は、体の表面近くでその効果が最大になり、エネルギーを与えながら体を通る抜ける。それ故、がん病巣ではない組織も損傷させてしまう。(図2、図3)図2 エックス線治療の照射のイメージ 図3 エックス線治療でのがん病巣のイメージ(正常な細胞も破壊してしまう)それに対して、陽子線や重粒子線は、体のある一定の深さで付与エネルギーのピーク(ブラックピーク)を作ることができ、その前後では弱く抑えることができるという特性がある(図4)。図4 各放射線の生体内における線量分布このブラックピークをがん病巣の位置に合わせることで、がんだけを集中的に狙い打ちすることができ、正常組織への影響を最小限に抑えながら、体の深いところにあるがんだけを殺傷することができる(図5、図6)。図5 粒子線治療のイメージ図6 粒子線治療でのがん病巣のイメージ(がん病巣だけを狙い打ちできる)また、重粒子は陽子線やエックス線と比べて、がん細胞を殺傷する能力が、2~3倍高く、1回の照射で得られる効果が大きいため、治療期間を短くすることができる。図7は、各放射線のDNA傷害の違いを示している。エックス線はDNAの二重螺旋構造の片側のみしか切断しない確率が高いのに対し、重粒子線はDNAの二重螺旋両方を切断する確率が高く、より確実にがん細胞を破壊する。図7 各放射線のDNA傷害の違い 「その2」に続くよろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/04
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【2014年2月21日(金)】◆◆ 伏見区#7(2月1日)稲荷お滝場巡り#17 ◆◆ 地図を見ると、弘法ノ滝に着く前に右の谷底に見えていた社に行く道がありそうです。来た道を少し戻ると、さきほど追い越した外国人の家族が、谷底に降りる道のところで休んでいました。また、挨拶をして、その道を竹藪の中を下っていくと、少し大きな道に出ました。ちょっとした探検の気分です。少し、西に戻ると、八嶋神社があり、その中に八島ノ滝がありました。ちゃんと整備されており、現役のお滝場でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2014/02/22
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2016年6月30日 京都新聞ホームページから 安全対策の見直しで休止中の宇治川花火大会に代わり、夏のイベントとして昨年から始めた「宇治歴史夜噺(よばなし)―あをろしき お化け街道」が今年も8月6日午後1時から、京都府宇治市宇治の府立宇治公園一帯で開かれる。夜には、妖怪やもののけに仮装した人たちが練り歩く「宇治百鬼夜行」がある。 市や宇治商工会議所などでつくる宇治川花火大会実行委員会の主催。昨年は2日間だったが、今年は1日だけの開催になる。 宇治百鬼夜行は午後7時から約1時間あり、特殊メークで妖怪などに扮(ふん)した人たちが、市観光センター南側の頼通公園をスタート、平等院表参道商店会や宇治橋、宇治源氏タウン銘店会の間を歩く。京都文教大の学生約40人も参加する。 お化けの特殊メークの体験が午後2時から、近くの宇治市民会館である。体験は有料の上、事前の申し込みが必要。7月2日午前9時から公式ホームページで受け付ける。締め切りは24日。 頼通公園をメイン会場に、子ども縁日や狐面色塗りなどのブースが設けられる。周辺4商店街などを巡るスタンプラリーもある。今年は写真コンテスト「フォトコン宇治川冥所(めいしょ)」を実施し、イベントの様子を撮影した写真をツイッターに投稿して「いいね」が多い10人にプレゼントを贈る。 問い合わせは、市観光協会TEL0774(23)3334。特殊メークで妖怪などに扮し、イベントをPRする京都文教大の学生(宇治市宇治・市役所) よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/01
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2016年04月13日 京都新聞HP八坂神社の境内に花見時季だけ開設される「お化け屋敷」(京都市東山区)客を呼び込む男性の隣では「ろくろ首」が動く円山公園で夜桜を楽しむ花見客 花見の名所として知られる円山公園(京都市東山区)は、今年も満開の桜に合わせ、たくさんの人々でにぎわった。帰る道すがらの八坂神社境内で、あやしげな「お化け屋敷」に思わず立ち止まった人もいるのでは?! 花冷えの日には背筋が一層ゾクゾクするだろう。花見時季にだけ開設される季節外れのお化け屋敷に潜入した。■酔った勢いのグループ客も 「スリル満点、花見のこの時季しか見られません」。午後9時ごろ、お化け屋敷の入り口の番台に座るお兄さんがマイクで軽妙に呼び込みをしていた。おどろおどろしい太鼓の音とともに番台の隣では「ろくろ首」の人形が揺れている。 赤ら顔の会社員や大学生たちが足を止める。大人500円、小学生以下400円。迷ったあげく通り過ぎる人が多いが、酔った勢いも手伝ってか集団で入っていく人々もいる。男女6人の大学生について小屋に入った。 真っ暗の通路を進む。闇の中から突如迫ってくる「お化け」たち。「きゃー」と女子学生たちの絶叫が響く。男子学生は笑いながらも足取りは重く、友人の袖を握っている。 小屋から出た彼らは少し興奮した様子で「久しぶりのお化け屋敷で怖かった」と感想を語った。京都橘大4年の西村健太郎さん(21)=滋賀県愛荘町=は「コースの距離は短いけれど、とても長く感じた」と笑った。■夜桜見物に昭和の趣 お化け屋敷は、兵庫県篠山市の会社「三好興行」が運営している。「親方」と呼ばれる責任者によると、小屋を運び、全国を回っている。大阪の住吉大社の夏祭りや、「えべっさん」の総本社・西宮神社に出店するほか、夏には東北地方を1カ月かけて巡業するという。 「京都では春の花見時季にここだけでやってます」と話す。今年は3月26日から4月10日まで開いた。毎日昼ごろから夜中まで営業するそうだ。「来場者は1日300~400人ぐらいですかね。最近は外国人観光客も見てくれます」 京都で営業を始めたのは15年ほど前から。それまでは長く「見せ物小屋」が花見時季に開いていたが、その「親方」が体調を崩し、「三好興行」に出店依頼があったという。 夜桜には特にあやしげな魅力が漂う。かがり火がたかれた円山公園内で露店のにおいをかぎながら、幼い日々の縁日を思い出す大人も多いだろう。昭和の趣を帯びたお化け屋敷も、どこか懐かしい気分にさせてくれる。■京都で通年営業は映画村だけ 京都市内のお化け屋敷としては、東映太秦映画村(右京区)で常設の「史上最恐のお化け屋敷」が営業している。市内で通年営業しているのは映画村のみという。かつては毎年7月中旬から8月にかけて、左京区の比叡山頂遊園でお化け屋敷が開設されていた。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/04/14
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【2017年9月13日(水)】 下鴨神社ガイド第9日目でした。 お天気もよく平日にしては多くのお客様に来ていただきました。以前、旧三井家下鴨別邸でのガイドのときお世話になったスタッフの方がお二人見学に来られました。お一人は私が特別参拝所でガイドをしているときに来られたそうですが、気が付きませんでした。失礼してしまいました。 今日は結婚式2組以外に、十二単特別拝観がありました。私が担当のときに、これがあるのは初めてです。三井神社エリアの舞殿で、巫女さんが十二単の着付けを見せ、その後王朝舞を披露します。団体での申し込みがあれば行われ、神社のホームページによると1回4万円の初穂料のようです。1回の時間は30分程度です。 この上演時は、三井神社エリアは立ち入りができなくなりますので、特別拝観所の見学が終わったお客様を、外から回って、大炊殿エリアにお連れしなければなりません。初めての経験でしたが、特に問題なく対応できました。●大炊殿エリア その2 賀茂斎院御所が応仁文明の乱で焼失したときに、大炊殿と呼ばれる社殿も焼失しました。大炊殿は平安時代の「鴨社古図」にも描かれている歴史的な建物でした。賀茂斎院御所は再建されることがありませんでしたが、この大炊殿は江戸時代初め、寛永5年(1628)に再建されました。大炊殿は神様にお供えする神饌を調理する社殿です。今ではここで神饌を作ることはありませんが、昔はここで、主にご飯やお餅などの穀物類を使った神饌を調理し、魚鳥類は別棟の「贄殿(にえどの)」、現在の御供所の一間で調理する慣わしになっていました。 神社建築の中で、この種の社殿が現存するのは非常に珍しく、重要文化財に指定されています。大炊殿 中に入ってご覧いただくこともできます。入り口の土間には竃(かまど=おくどさん)があり、中の間は台所になっており、流し台、用具類、神饌の材料などを置く所です。ここでは「大炊殿神」が祀ってあり、調理を始める前にお祓いが行われました。奥の間は、調理した神饌を盛り付けしたり、ご神前にお供えする前に配膳棚に並べておくところです。ここには神饌料理とはこういうものだというサンプルも置かれています。竈(かまど)(おくどさん)大炊殿の古写真屠蘇(とそ)神饌調理の様子(ピンボケすいません)七五三餅(複製)下鴨神社葵祭神饌(複製)御蔭祭の神饌(写真)御粥祭神饌(複製)賀茂祭舗設図 並仮建物図(かもさいいほせつずならびにかりたてものず)特別拝観エリアの外の駒札(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/09/13
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年6月26日の記事≫ 鹿児島県指宿(いぶすき)市の「メディポリス国際陽子線治療センター」で膵臓(すいぞう)がんの陽子線治療を受けた女性(67)は、腫瘍(しゅよう)が陽子線照射で壊死(えし)した。再発を防ぐために、地元のかかりつけの病院で抗がん剤治療を続けている。 今年6月で陽子線治療の終了から4年たった。体調はよく、食欲も体重も、がんと診断される前とほとんど変わらない。 定期的に受けているCT検査のデータは、病院からセンターに送られ、センターの医師の判定結果が女性に返ってくる。これまでずっと「異常なし」。このままの状態でも、抗がん剤治療をあと1年は続ける予定という。 「検査を受けてから異常なしの知らせが届くまでは、祈るような気持ちです」。長男や次男が送ってくれたお守りに、手を合わせながら結果を待っている。 女性は先月、かかりつけの病院の主治医から、がんと診断した当初のことを教えられた。 「実は、余命は長くて3カ月か半年とみていたんですよ。お子さんたちから『両親は気が弱いので言わないでください』と頼まれたので黙っていました」 思い返せば、長女は東京での仕事をやめて鹿児島に帰って来たし、東京で暮らす長男と次男もたびたび帰省してくれた。女性は「隠していた子どもたちも、さぞつらかったと思います」と話す。 妹(64)からは5枚ほどのコピーを見せられた。主治医からセンターへの女性の紹介状だった。封がしていなかったので、複写したという。そこにも余命は3カ月から半年と書かれていた。「お姉ちゃんが元気になるように、紹介状を仏壇に置いて、拝んでいたんだよ」と妹に言われた。 女性は自分のがんがそこまで深刻とは認識していなかった。「絶対に治ってやるとは思っていましたが、家族からいっぱい力をもらっていたんですね」 長男と次男は毎年1回、航空券を送ってきて、東京の自宅に招いてくれる。東京スカイツリーや浅草寺、東京ディズニーランドなどを孫たちと一緒に回っている。 「医学の進歩のおかげでいただいた命。大事に長生きして、少しでも家族にお返しができたらと思っています」子どもたちから送られたお守り 粒子線治療後、私ももとの主治医のところに戻って経過観察を受けています。この女性の場合はCT検査のデータは病院から陽子線医療センターに行くのに対して、私の場合は、データを主治医から受け取って粒子線医療センターに送っています。 主治医と粒子線医療センターとの間には直接のコミュニケーションが今のところありません。また、主治医の病院は大きな病院ではありますが、粒子線治療を受けた患者さんの経過観察の経験がありません。 従って、どんな副作用が出るかも知識がないし、出ても副作用かどうか判断がつかないのです。かといって粒子線医療センターは遠方にありますので、そこで診てもらいに行くわけにもいきません。今、起こっている照射部に近い腹部、背部の痛みも、本当に照射による副作用であり、時間とともに治癒していくのか不安な面はあります。 また、患者は粒子線治療が終わると、それぞれの主治医に戻るので、粒子線医療センター側も副作用の詳細な実態がつかみ切れていないのではないかと思っています。この辺は今後改善すべき粒子線治療の課題ではないかと思います。>子どもたちから送られたお守り 私も子供たちがお守りをくれました。手づくりのお守りです。入院のたびにこのお守りを持っていきましたし、今もベッドの近くにぶら下げています。家族のサポートは本当に力になりました。 私の場合、放置すれば余命数週間から数カ月でした。抗がん剤で腫瘍は小さくなり残った腎臓ごとの切除(透析を準備したうえで)が提案されましたが、粒子線治療に出会い腎臓を残したまま、普通の生活ができています。「医学の進歩のおかげでいただいた普通の生活」と言えばいいでしょうか。 でも再発のリスク、副作用で腎不全になるリスクは抱えています。いつくしむように時を大切にして生きていきたいと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2015/11/23
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年11月19日の記事≫ 流通ジャーナリストの金子哲雄さんは2011年6月に肺がんの一種「肺カルチノイド」の末期と診断されてからも、雑誌の執筆だけでなく、テレビやラジオの出演にも精力的に取り組んでいた。 肺にできた腫瘍(しゅよう)のまわりの血管をふさぐ治療は繰り返し受けた。その結果、腫瘍は縮小し、圧迫されて6ミリの細さになっていた気管は14ミリに広がった。しかし、病状は容赦なく進み、体の痛みにも悩まされるようになった。 11年末ごろから、骨への転移の影響で、腰の痛みが激しくなった。体を動かすたびに激痛が走り、立つことも歩くこともつらい。翌12年2月、大阪市内のクリニックで、腰に放射線を当てる治療を受け始めた。 この頃、自宅近くの野崎クリニック(東京都江東区)に週1回ほど通院し、骨転移の治療薬などの点滴も受けるようになった。 ネット上では「激やせした」と指摘されることもあったが、出演したテレビ番組では「ダイエットの効果です」などと話し、明るく振る舞い続けた。 「テレビの中にいる元気な自分こそが本来の自分だ」 そう確信していた。 だが、病気は進行し、12年7月上旬には酸素を鼻から吸いながら自宅ですごすようになった。野崎クリニックの看護師、嵯峨崎泰子(さがさきやすこ)さん(50)らが週3回ほど自宅に来て、日々の体調や痛みなど様々な相談に乗ってくれた。 7月中旬、せきが「ゼー、ゼー」とした音に変わり、黄色いたんが絡むようになった。「命取りになるから」と用心していた肺炎の発症だった。8月中旬、ニッポン放送のラジオ番組に出演したのが、家から外に出て仕事をする最後の機会となった。 このころから、痛みを抑える医療用麻薬の貼り薬を使っても、骨転移に伴うひざやひじ、頭部の痛みがうまく抑えられないようになった。8月下旬の早朝、胸が突然苦しくなり、呼吸困難で一時的に危篤状態に陥った。 「死期が近くまで迫っている」。そう悟った金子さんは、遺言を完成させ、自分の葬儀やお墓の準備を始めた。葬儀社の社長や住職らと相次いで会い、死後の手続きを整えていった。ラジオ番組「垣花正 あなたとハッピー!」に最後の出演をした金子哲雄さん(中央)=2012年8月 私は、放置すれば余命数週間から数ヵ月という差し迫った状態で、後腹膜悪性腫瘍の罹病が確認されました。抗がん剤も効くチャンスは3割以下と言われましたので、この金子さんのように、相続のことなど死後の準備を始めました。ただ、仕事に戻るつもりはほとんどありませんでした。余命が少しでもあれば、今までできなかったことをやりたいと考えていました。一つのことをつきつめたいというより、色んなことにチャレンジしたいという私の性格なのでしょうね。人それぞれです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/03/10
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2016年10月11日 京都新聞ホームページから 京都三大祭りの一つ時代祭(22日)を前に、今年新調された衣装が11日、京都市左京区の平安神宮でお披露目された。鎌倉時代の藤原為家の妻や幕末の公家の装束の一部などが新しくなり、行列に彩りを添える。 中世婦人列の「藤原為家の室」は「十六夜(いざよい)日記」の著者として知られる阿仏尼で、袿(うちき)が43年ぶりに新調された。黄緑色の地に黄色の格子柄で、ナデシコをあしらった丸い紋がついている。所領の訴訟のため、鎌倉に向かう姿を再現した。 維新志士列で、近衛忠熙(ただひろ)が身に着ける帯の一種「平緒」をはじめ、姉小路公知(きんとも)と中山忠能(ただやす)の外出着も一新した。 また、室町洛中風俗列の風流傘上部の造花など計216点が約540万円かけて新調された。 時代祭の行列は22日正午に上京区の京都御所を出発する。雨天の場合は翌日順延。新調された「藤原為家の室」の袿(左)や、姉小路公知(中央)、中山忠能(右)の衣装=11日午後2時5分、京都市左京区・平安神宮よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/10/12
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2016年03月14日 京都新聞HP 浄土真宗本願寺派本山・西本願寺(京都市下京区)で14日、今春卒業する京都女子大の学生を対象にした「帰敬(ききょう)式」が行われ、学生たちは仏門に入ることを誓った。 式を希望したスーツ姿の学生335人が御影(ごえい)堂に着座。「仏、法、僧」に帰依することを誓った後、大谷光淳門主(38)が、金色のかみそりを3回ずつ頭部に当てる「おかみそり」を行った。 式では、学生を代表して寺西名子さん(22)が「争いや差別のない幸せな人間社会の実現に努めます」と、誓いの言葉を読み上げた。帰敬式の受式者の頭部にかみそりを当てる大谷光淳門主(京都市下京区・西本願寺御影堂)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/03/15
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【2017年3月23日(木)】 「京都市内全寺社巡り」を思い立ったのは、2012年末にM社をリストラで早期退職した直後。失業保険をもらえるだけもらって、あとはパートタイムで観光ガイドのような仕事をボランティアでもいいからしようと思っていたので、全寺社を巡る時間が十分とれると思ったからです。退職後3ヵ月は順調でした。 しかし、2013年4月に結局再就職し、ペースダウン。とはいうものの土日を利用して何とか続きます。ところが、2014年7月に「がん」を発病。1年半のブランクができてしまいました。そして、経過観察になって9ヵ月後の2016年2月に再開。会社勤めは辞めていたので、再びペースは上がりました。 2017年8月に、ガイド会に入会し、観光ガイドの仕事を始めましたが、フルタイムではないので、ペースダウンはすれど、そこそこのペースで続けられると思っていました。しかし、ガイドとしての有償勤務以外にも、ガイド関係で下見、研修、会議、事前説明会、飲み会など結構時間をとられることが分かりました。それに加え、ガイドの仕事の勉強のため、プライベートにも関係のセミナーを聴きに行くようにもなりました。結果的に、去年の9月10日を最後に「京都市内全寺社巡り」は中断状態になってしまいました。 今日、午前中「京都迎賓館」見学の研修会があったので(こちら)、午後から、久しぶりに「全寺社巡り」をする予定でした。ところが、ガイド仲間といっしょに昼食をして、あれこれしゃべって、終わったのが午後2時頃。あまり時間がないので、直接帰宅しようと思ったのですが、途中で思い直して、東山区の北西の鴨川沿い三条通り付近を短時間でも歩くことにしました。実に7ヵ月ぶりの「京都市内全寺社巡り」となりました。午前中の「迎賓館」での研修も含め、歩いた径路(うろ憶えですが) 三条大橋の袂からスタート。(<>の中の数字は、地図内の番号)三条大橋<1> 天正18年(1590年)、豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱の橋に改修されましたた。徳川家康によって定められた東海道五十三次の西の起点。駅伝の碑<2> 日本で最初の駅伝競走が、ここからスタートしたことを記念する説明碑「駅伝の碑」がある。1917年(大正6年)4月27日から3日間にわたり開催された。高山彦九郎像<3> 三条大橋の南東にあります。江戸時代後期の尊皇思想家。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の1人(「奇」は「優れた」という意味)。13歳の時に「太平記」を読んだことをきっかけに勤皇の志を持ち、18歳の時に遺書を残して家を出て、各地を遊歴して勤皇論を説きました。この像は御所望拝の姿で、土下座ではありません。吉田松陰はじめ、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人物です。また、二宮尊徳や楠木正成と並んで戦前の修身教育で取り上げられました。歌碑 京では岩倉具選宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことにより光格天皇にも拝謁しました。その感激を詠った歌。 「我を我としろしめすかやすべらぎの玉のみ声のかかる嬉しさ」小川亭跡碑<4> 小川亭は,肥後藩御用達「魚卯」の未亡人ていと姑りせが共に開いた旅館。幕末肥後藩士ほか勤王の志士たちに利用され,二人は志士の面倒をよく見たという。大正9(1920)年に廃業し,家屋は第2次世界大戦時の強制疎開で取り壊されました。三条京阪駅から縄手通を少し南に下った西側にあります。京都市立有済小学校に残る太鼓望楼<5> 明治9年8月。入り口に近いところに太鼓楼兼望楼を作り人々に時刻を知らせました。各小学校にあった望楼は明治末までに姿を消し,有済校にだけ残っている日本唯一の文化財。池田屋事件殉難志士墓所跡碑<6> この地にあった三縁寺には、池田屋事件で犠牲になった宮部鼎蔵・松田重助志士らの墓がありました。三条バスターミナルの開発に伴い、1979年に墓は三縁寺とともに、左京区岩倉へ移転しました。大像寺(浄土宗)<7>大将軍神社<8> 素盞嗚尊を主神とし、相殿に関白藤原兼家を祀る。 桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護 のため、四方四隅に祀られた大将軍神社のうち、 東南隅の一つである。 特に平安京東のこの地は、三条口の要地にあたり 邪霊の侵入を防ぐ意を以て重要視されてきた。 このあたりに建てられた藤原兼家邸は、応仁 の乱で廃壊したが、境内に東三條社として名跡を 留めている。又。樹齢八〇〇年と伝える銀杏の 大樹があり、かっては鵺の森とも呼ばれ、源 頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。-境内由緒書き-大将軍神社境内の東三條社樹齢800年と伝わる銀杏の木城安寺<9> 浄土宗。幕末、御陵衛士・伊藤甲子太郎らが最初入った寺。その後すぐに、善立寺に移り、さらに月真寺に移りました。榎木大明神<10>圓光寺<11>市立三条浴場<12> こういう市立の浴場があるところは特別な地域であることが多いようです。蓮沢寺<13> 廃寺になったようです。古道具屋<14> 東山通で目を引くお店です。一澤信三郎帆布 店舗と工房<15> お家騒動でも有名になりましたが、しっかり商売は継続されています。門前白川道【道標】<16> [南]門前白川道 [東]右きく屋ばし [西]左たぬきばしなすありの径碑となすあり地蔵<17>「なすあり」とは、地元有済小学校の「有済」を逆さに読んだもので、中国古代の歴史書「書経」に記されている言葉です。意味は、「耐えて忍べば済す有り(どんな辛い事に対しても、耐え忍んで努力すれば必ず報われる)」ということ。昭和二十九年(1954)に、京都市水道局が花見小路通の水道管工事をした時に、お地蔵さまが白川の川底から掘り出されました。このお地蔵様が何百年もの間、川底の暗闇でじっと耐え、ようやく日の目を見たことを讃えて、「なすあり地蔵」と名付けられました。辰巳大明神<18> 元々は、御所を守るために創建され、御所の辰巳の方角」を守るということから、辰巳神社と呼ばれたのだが、いつしか祇園の芸舞妓が芸事の上達を祈るようになり、いまでは芸事の神として信仰されています。 もう一つ云われがあります。神社の祭神は実は狸で、巽橋に住んでいた狸が、橋を渡る人を化かしては白川の中を歩かせていました。それに困った人が、この狸の為に祠を建て神として祀ったところ悪戯が止んだという言い伝えです。ちょうど婚礼写真撮りがありました。新橋通り<19>巽橋<20>白川南通り沿いの白川(巽橋からの眺め)<21>祇園切通し<22>(巽橋を南に渡った南北の通り) 名前の由来は不明ですが、ネットでは富永町、末吉町、本吉町といった花街を縦に突っ切っている通りだからとの推定がありました。かにかくに碑<23> 祇園を愛した歌人、吉井勇の歌碑。 「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」 祇園白川に「大友」というお茶屋さんがあり、夏目漱石、谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れました。この歌碑は、吉井の古希の祝いに「大友」のあった場所に谷崎潤一郎ら数名が建立しました。 毎年十一月八日には 「かにかくに祭」が祇園甲部お茶屋組合によっておこなわれています。弁財天<24> その昔、賀茂川が手の付けられない暴れ川で、白河上皇も「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と言ったほどの川であり、その賀茂川の治水を受持っていた、防鴨河師の勢多判官為兼が、行きずりの僧から「川の北に弁財天を、南に禹王廟を祀れ」と言われ、そうすると賀茂川の洪水は治まったという謂れに因み、この白川が鴨川に注ぐ弁財天の社が再興されている。青木聾米(ろうべい)宅蹟碑<24> 青木聾米(1767~1833)は,祇園の茶屋「木屋」に生まれ,通称木屋佐兵衛。号を木米といい,晩年に聴覚を失ったため聾米と称した。29歳で作陶を志し,奥田頴川に入門。仁阿弥道八・永楽保全とともに幕末京焼の三名工といわれました。弁財天の一画に立っています。大和橋<25>から白川を望むせせらぎの道碑<26> 1987年(昭和62年)、京阪電車の地下化事業により琵琶湖疏水の三条~七条間が地下化し暗渠になりました。それに伴う川端通の整備・拡張作業の一環として、この散歩道が誕生し、名前は公募により決定されました。北座跡<27> 北座は元和年間(1615~24),四条河原での興行が許可された7か所の常設芝居小屋のひとつ。のちに四条河原の整備により四条橋東周辺に集中した。幕末には7か所のうち,北座と南座だけが残っていたが,明治26(1893)年に取り壊され,現在は南座のみになっています。出雲の阿国像<28> 出雲の阿国(おくに)は、歌舞伎の祖とされる女性芸能者。奈良の春日若宮で「ややこ踊り」を演じたと見えるのが初見。出雲大社の巫女と称して興行。慶長8年(1603)年、京都で「かぶき踊り」を始めて人気を集め、これを模倣した遊女歌舞伎が流行。阿国が興業したのは、北野の社と五条河原などで、四条河原の地は後の遊女歌舞伎の地だといわれています。 短時間でしたが、久しぶりの「京都市内全寺社巡り」でした。五条烏丸まで歩いて、バスに乗り帰宅しました。次はいつ全寺社巡りができるでしょうか。巡りきってからあの世に行きたいものです。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/03/23
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今日は、OKGセンターの大腸外科H先生の診察でした。今日も家内が往復運転してくれました。いつものように感謝。今日は、この前撮った胃カメラによる十二指腸内部の様子も含めて、他科の先生も加えての検討による次の治療方針案についての報告を受けることになっていました。前回のH先生のお話しでは、脂肪肉腫の手術摘出ができる可能性もあるとのことで、少し期待はしていました。しかし結果は、やはり手術摘出は無理とのこと。十ニ指腸などの臓器に密着していて、それを手術で取り去るのは無理とのこと。ちなみに胃カメラによる十二指腸の検体の分析結果は、悪性腫瘍は発見されなかったとのこと。ここはホッとしたところです。しかし、明らかに外から強く押されており途中まで浸潤している可能性はあるとのこと。手術摘出が無理なので、やはり、重粒子線治療を受けることになります。ただし、手術での摘出が無理ということは、臓器との間にスペーサーを入れることが難しいということになります。ですから、スペーサーを入れる手術なしでの重粒子線治療とせざるを得ないとのこと。ということは、臓器近くは避けての重粒子線の照射となるため、中途半端な治療になり、根治ができなかったり、再発のリスクが大きくなったりします。また、元々片腎で、前の粒子線治療で腎機能が低下しており、さらに腎機能が低下し、透析に至るリスクもあります。止むを得ません。癌が消化器に接しているため、重粒子線治療は無理と思っていたので、重粒子線治療ができるだけでも幸いと思わねばなりません。OKGセンターの成形外科から、OJRセンターに繋いでもらって、OJRセンターから私に今週中に、今後の重粒子線治療について連絡があるとのこと。これで、抗がん剤治療の次の方針が決定しました。よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/07/27
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私は2015年3月に「後腹膜悪性腫瘍」のため重粒子線治療を開始しましたが、その直前に同じように重粒子線治療を受けたなかにし礼氏の講演会の動画を発見し、私のブログで紹介しました。以降、「がん」に関する本の紹介や、切り抜きでの新聞記事の紹介などをしてきました。 2015年5月からは朝日新聞の「患者を生きる」というコラムと読売新聞の「一病息災」というコラムの「がん」に関する記事をテキスト形式で引用し、私の体験や意見、気付きなどを添えるかたちで紹介してきました。(2015年12月に一般の新聞記事の切り抜き紹介は終了) 一つは私自身「がん」の治療中であったため、「がん」について広く知識を身につけたいという思いがあったためです。もう一つは、ネットには標準治療を頭から否定してかかる書き込みがあふれており、それらが多く読まれていることに危機感を覚え、微力ですが冷静な情報を提供したいという思いがあったためです。 幸い粒子線治療のおかげで、経過観察に移行でき、現在健康に暮らしており、社会復帰も果たしました。一方で、時間的に今まで通り投稿を続けるのがむつかしくなってきました。また、私の体験に基づくコメント・意見・気付きもほぼ書き尽くした感があります。 そこで、2016年12月15日投稿の記事(こちら)をもって、「がん」に関する新聞記事などの紹介投稿を終わらせていただきます。 もし、皆さまにお役に立つ情報が少しでも提供できていたとしたらこのうえない幸せです。1年10ヵ月という短い期間でしたが、ご愛読いただいた皆様には深く感謝申し上げます。___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/01/04
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【2017年9月28日(木)】 「京の夏の旅」は9月30日が最終日です。まだ見学できていないところが、花山天文台、渉成園の蘆庵、大雲院です。最終日の30日に下鴨神社ガイドの慰労会が夕刻あるので、その日に回ろうと思っていたのですが、最終日というのも慌ただしいし、今朝、雨が上がったので、今日、花山天文台と渉成園・蘆庵に行ってきました。 まず、花山天文台へ。ここは公共の交通機関では行けないので、地下鉄東山駅前からシャトルバスが運行しています。しかし、頻繁に出ているわけではないので事前に時間を調べておきました。同じバスに乗ったのは約10人でした。バスが花山天文台のすぐそばまで行ってくれるのかと思ったら、そうではなく、門の前で降ろされ、緩やかな上りの砂利道をかなりの距離歩かなければなりませんでした。天文台の門 本館、歴史館で先輩ガイドの案内を聴かせていただきました。 花山天文台は「夏の旅」初公開です。というより、こういった形の観光対象としての公開が初めてです。 花山天文台は2つある京都大学理学研究科付属天文台の一つで、もう一つは飛騨天文台です。花山天文台は1929年に建設されました。建設当時は山科区の人口も少なかったのですが、次第に人口が増えて発せられる光で観測環境が悪化し、1968年に建設された飛騨天文台に主力が移りました。今は、花山天文台は研究・教育活動が中心になっています。文化財としての価値を伝え、何とか存続させたいとの思いがあるようです。本館 直径9メートルのドームを頂きます。本館内部45cm屈折望遠鏡 ドーム内には、国内で屈折望遠鏡としては3番目の口径を持つ45cm屈折望遠鏡が設置されています。この望遠鏡は昭和2年、理学部宇宙物理学教室で購入したもので、昭和4年に 花山天文台が創設されたときに移設されました。当初、口径30cmのレンズがついていましたが、昭和44年に性能向上のため、カール・ツァイス製の45cmレンズに換装されました。これにより、 焦点距離が伸びることで鏡筒が長くなり、架台とのバランスが崩れるのを防ぐための工夫が施されています。 それは対物レンズから入った光を末尾の反射鏡で受けて折り返し、鏡筒の真 ん中付近に接眼レンズを設けるというものです。このため、一般的な屈折式の望遠鏡とは少し違った外観となっています。 天体の追尾には現在でも重力時計が使われています。昔の写真 設立当初から一般公開が行われていました。本館ドームからの眺め 右が別館、左が歴史館 別館には、ザートリウス社製の口径18cm屈折望遠鏡が設置されています。 1910年のハレー彗星接近の際にドイツから輸入されました。 現役としては日本最古の望遠鏡。遠くに大阪中心部のビル群が見えます。歴史館(旧子午線館) 子午儀を用いて正確な時刻を知るための観測が行われていました。 子午儀の上の屋根が移動して開閉できるようになっています。 近年はその活躍の場を失い、解体さ れるという話がありました。しかし、子午線館が大正から昭和の洋式木造建築として、日本の建築学史上において、貴重な建築物であるとの専門家から の指摘もあり、花山天文台歴史館として修復保存されました。 子午儀と精密時計(奥の赤いロープの後ろ) 子午儀から精密時計が誤差を生じれば時刻合わせがされました。 持ち運びできる時計をここで合わせ、京大の時計台に持っていって、時刻合わせをしたとのこと。太陽スペクトラム分析装置機械式計算機修復前には河島英五のアルバム「信望」のジャケットに使われたことがあります。二等三角点(明治31年設置) 花山天文台をあとにして渉成園に向かいました(こちら)。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/09/28
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【2020年10月30日(土)】 良いお天気ですが、日に日に寒くなっているような気がします。 だいぶ前の新聞記事からです。10月8日読売夕刊です。 「棋(き)になることば」のコラム記事で、「封じ手」という言葉が紹介されていました。「封じ手」とは、格闘技などのスポーツで禁止されている技という意味しかないと思っていましたが、もう一つの意味があることをこの記事で知りました。 将棋などの対局が2日間に及ぶ場合、初日の最後の手を実際に打たずに、その手を紙に書いて封筒に入れ、立会人に渡すそうで、それを「封じ手」といいます。最後に打った手が相手に特定できると、翌日の第一手まで長考できてしまいます。有利不利の差を最小限に留めるために考え出されたのが「封じ手」です。昭和のはじめに、チェスでやっていたこの方法を取り入れたとのことです。 最近では、「封じ手」がチャリティーオークションに出品されることも多く、藤井二冠の王位戦の「封じ手」のうち1通に1500万円の値がついたそうです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/10/30
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【2020年4月7日(火)】 4月はコロナで状況が大きく変化しました。 3日の西京会歩き、4日櫻谷文庫、昨日6日の事務所がなくなり、6連続フリー日となり、今日が久しぶりの勤務の事務所でした。 通勤途上の東洞院通沿い町家シリーズです。東洞院松原上ルの「藤井松華堂」。朝早くなので、店は閉まっていますが、ネット情報によると次のようなお店のようです。 創業以来200年を数える老舗で、表具用の打刷毛(うちばけ)を製造されています。4代目の藤井源次郎氏は、国選定保存技術保持者で、制作する打刷毛は、国宝・重要文化財の修復に国内だけでなく、大英博物館やボストン美術館といった世界でも使用され、高い評価を得ています。また、大正天皇の結婚の際には、化粧刷毛を献納されるなど、化粧筆も扱っており、7年前から『化粧筆 元祖 ふじや』として、一般の方に向けて、店舗販売しています。藤井松華堂よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/04/07
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【2021年7月29日(木)】 明日の会に必要なものは昨日作成し終わって送り済みなので、今日は少し気持ちに余裕をもって、PCに向かって会のことを進めることができました。今日も朝の涼しいうちに散歩しました。 「若冲と応挙」#27です。応挙の円満院時代の次は黄金期と呼ばれる時期ですが、黄金期のお話しに入る前に、応挙の絵画理論を続けます。 ◆第3章 円山応挙(続き)3-4 黄金期へ ここしばらく円満院祐常をパトロンとした34歳から41歳までの、所謂「円満院時代」の応挙について述べてきました。この時代は、写生法を極め、絵画理論を追求した画風確立期であったともいえるでしょう。円満院祐常の「萬誌」中の「秘聞録」に書かれた写生に関する応挙理論も紹介しました。 もちろん「秘聞録」には、写生だけでなく、正式な作品を描く場合の理論も記述されています。それが、円満院時代の後に続く時代の大作の数々に繋がっていきます。円満院祐常は安永2年(1773)、51歳のときに亡くなります。応挙は41歳でした。その少し前から、応挙は現在の三井グループに繋がる三井家の庇護を受けるようになり、祐常亡き後は、三井家をパトロンとして活躍し、多くの傑作を残しました。この安永2年から安永5年(応挙41歳~44歳)に至る時代は「黄金期」と呼んでもいいでしょう。。 ここで祐常の「秘聞録」に書かれた絵画理論の続きを述べておきます。応挙は立体のとらえ方について、石の描き方を例に次のように説いています。「石見二三面一事、上一面、左右二面、合三面」。=「石は三面を見せること。上面と左右、全部で三面である。」円満院時代の作品ではありますが、その理論を実践したのが、図1の「雪中山水図屏風」です。中央の岩は、上面、左面、右面の三面を見せています。図1「雪中山水図屏風」二曲一双 相国寺蔵(右は中央部分拡大) 「三遠の法」も説きました。「三遠之法、平遠深遠高遠此三、人物花鳥山水万物三遠ヲ可レ意、々不レ掛ハ図不二出来一云々、クルシンデ学ブベシ・・・」=「三遠の法とは、平遠・深遠・高遠の三つである。人物も花鳥も山水など何においても、それを意識しなかれば出来の良い絵は描けない。」 高遠とは仰視、平遠とは水平視、深遠とは俯瞰視のことです。その理論は先ほどの図1「雪中山水図屏風」に見ることもできますが、もっと端的に表れているのが、これも円満院時代の作ですが、図2「湖山烟靄(あい)図」です。川や草庵を俯瞰し、川の上流の岸を水平視し、遠くの山を仰視しています。図2 「湖山烟靄(あい)図」一幅 個人蔵 応挙の絵の卓越したところは、掛け軸にしても、襖にしても、屏風にしても、それがどのように置かれ、観察者がどの位置で見るかを熟考して描かれているところです。襖絵なら、その襖が部屋のどの場所に入れられるのか、主人や客人がどこに座るのかを熟考して、その状態で観賞してベストな絵を描こうとしているし、屏風であれば、平面の状態でなく、折れ曲がった状態で置かれたとき、どう見えるかに思いを馳せて描いているのです。 図3「大瀑布図」一幅(重文) 相国寺蔵 図3「大瀑布図」は、円満院祐常が、同院の庭園に滝がないのを惜しんで描かせたものだと伝わります。滝の上部は仰視、中央は水平視で描かれています。俯瞰視はどうでしょう。この絵は縦3.6メートルもあり、円満院の書院に掛けると畳面でL字型に折れ曲がり、下部は水平に置かれることになります。滝壺や川の流れの俯瞰視は、それを念頭に置いて描かれているのです。バーチャル3次元絵画ではなく、リアル3次元絵画と呼びたいところです。 もう二つ「秘聞録」からの絵画理論を挙げておきます。一つは「遠見の絵」「近見の絵」です。「春台話円山談云画可有其意得或懸物屏風間之絵等其間ヲ置テ見テ宜様二可画近クヨリテハ筆ハナレアリ草木惣而何モツヽカザル所モアレトモ遠見如真ミユル様可心得近ク見之画者細密一毫之所モ真ニセマル様細筆彩色モ可有其意得是其大意也云々甚深妙之理也云々」=「春台という人物が、円山応挙が次のように語ったと言った。掛軸・屏風・襖絵などは、距離を置いて観たときに、よく見えるように描かなければならない。近くで見たときに、筆が連続していなくて、草木が続いてないところがあってもかまわない。遠見で真の如く見えるように描くこと。逆に近見の絵は、細かな部分も真に迫るように、筆遣いや色彩を意識しなければならない。」遠くから見る絵と、近くで見る絵で、意識すべき点が異なるというわけです。「遠見の絵」の例は、後の回で紹介するとして、ここでは「近見の絵」として、図4の「華洛四季遊戯図巻」を紹介します。二巻の巻物に京都の四季景物を描いたもので、老若男女あらゆる階層の人々の営みを描いたものです。巻物は近くで見るものなので、細密に描いています。しかも遠近法はあえて使っていません。近くで見る場合は、遠近法に無理矢理こだわる必要もないし、遠近法を使うと、遠景の人物は小さくなり、描き切れなくなってしまうためです。臨機応変な応挙です。図4「華洛四季遊戯図巻」二巻の内上巻部分 徳川美術館 もう一つの理論は、写生のところで紹介すべきだったかもしれませんが、次の文言です。「・・・難不レ見生ハ可レ依二画本一、不レ見物モ生物数品写内自然ト図モ可二出来一・・・」=「実物を見るのが難しい場合は、画本を写しなさい。存在しないものは、他の生物をいくつか写すと、自然と描けるようになる。」 空想上の動物は見ることができないが、画本を参考にしたり、色んな生物を写したりするうちに自然と描けるようになるという訳です。その理論が結実したのが、図5の「雲龍図屏風」ではないでしょうか。龍は空想上の生き物です。中国のある古い書物には、龍の姿は「頭は駱駝、角は鹿、目は鬼、耳は牛、項(うなじ)は蛇、腹は蜃(みずち)、鱗は鯛、爪は鷹、掌は虎に似る」と書かれています。この絵の龍は、様々な生物、様々な中国画を写生した応挙ならでは龍といえるでしょう。また、図5は平面に拡げた図ですが、屏風は折り曲げられた状態で観賞するものです。応挙は屏風が折り曲げられたときの凹凸に配慮しながら、前後の方向性まで加えており、三次元空間で躍動する龍の圧倒的な立体感が表現されています。さらに、「たらし込み」や「滲み(にじみ)」、「暈し(ぼかし)」など、多彩な画技を駆使して、渦巻く雲や、しぶきをあげる波を表現しています。このような迫真性に富む大気表現はそれまでにはなかったものです。龍の絵は古今を問わず、多くの絵師、画家が描いてきましたが、その中の最高傑作の一つであるのは疑いの余地がありません。図5「雲龍図屏風」(重文)六曲一双の左隻 個人蔵(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/07/29
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米国事情の続きです。 アメリカの人種構成です。出典は「社会と歴史」・e-ガイドです。 黒人12.9%、ヒスパニック12.5%、アジア系4.2%、先住民(アメリカインディアン)1.5%。残り、7割が白人ですが、その中にも、ドイツ系、イギリス系、アイルランド系など、様々な出身の民族がいます。 日本は、平安時代になる前に中国や、朝鮮半島から、移住してきた人がいて、日本の文化発展に寄与しましたが、融合帰化しているので、ほとんど日本人だけの単一民族世界で今まできたと言っても過言ではありません。先進国の中でも稀有の存在です。出張期間:2014年5月7日~5月16日よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/04/13
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2016年5月25日 京都新聞ホームページから 真宗仏光寺派(本山・仏光寺、京都市下京区)は、次の門主となる新門に、渋谷恵照(えしょう)門主(91)の孫で、前々門主の故真承(しんじょう)氏の長男覚(さとし)氏(35)を選んだ。25日開会した同派の最高議決機関、宗会で恵照門主が明らかにした。11月4日に正式に就任する。同派では、門主後継者の選定が懸案だった。 覚氏は1980年京都市生まれ。宮崎県内の高校を卒業し、会社員を経験。現在は京都市内に在住し、僧侶養成機関に通っている。 宗会の冒頭、恵照門主は「長年にわたりご心配をおかけしていた門主後継者に、真承上人の長男、渋谷覚をと考えている。11月4日に法嗣得度式を執行し、新門就任を予定している」と報告した。 同派の規則では、門主は渋谷家が世襲する。これまで昭和天皇のいとこの29代門主、故真照(有教)氏が健康上の理由で92年に退任し、長男真承氏が30代門主に就任。真承氏は95年に退任し、次男曉真(ぎょうしん)氏が31代門主に就いたが、曉真氏も2008年に退任した。120年ぶりに門主不在となったあと、10年に有教氏の妻で2人の門主の母恵照さんが32代門主に就任した。真宗仏光寺派の新門に就任する渋谷覚氏よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/26
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2016年11月28日 京都新聞ホームページから 花街での遊びが手軽に体験できる「舞妓シアター」が、京都市東山区大黒町通五条上ルに完成した。芸舞妓による踊りの観賞や、飲食しながらの歓談などが定額制で楽しめる。 「一見さんお断り」で知られる京都の花街の魅力に、初めての人にも気軽に触れてもらおうと、五花街の一つ、宮川町のお茶屋兼置屋「しげ森」が開いた。 外国人観光客や家族連れでも利用しやすいようにテーブル式を取り入れ、子ども料金も設定。最大36人まで収容。舞台で芸舞妓が演じる舞踊や地唄をめでながら、弁当やお茶のお点前などが堪能できる。 12月1日にオープンし、毎日午後0時半から営業する。料金は大人6800円~1万3千円で、予約状況に応じて当日入場もできる。 28日に関係者を招いて内覧会が開かれ、着飾った舞妓たちが三味線の音色に合わせて優雅な舞を披露した。しげ森の女将の森田繁子さん(69)は「芸舞妓さんの芸をたくさんの方々に知っていただき、交流の場にしたい。一見さんも大歓迎です」と話している。 申し込みは舞妓シアターのホームページで受け付ける。問い合わせは同シアターTEL075(741)8258。12月1日のオープンを前に、内覧会で優雅な舞を披露する宮川町の舞妓たち(京都市東山区大黒町通五条上ル・舞妓シアター)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/11/29
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【2017年9月27日(水)】 清水寺随求堂勤務後(こちら)、いつもであれば、まっすぐ帰るのですが、今日は夕刻6時から、某講座の委員会があるので、歩いてその会場に向かいました。場所は室町出水上ルの京都YWCA。ここに着く頃から雨が降り始めました。 平成30年度のテーマ案と役割分担が議論されました。平成30年度は我がエリアは江戸中期です。江戸中期は京都での政治的な動きが少ない時期です。そこで、絵画を中心にテーマを設定することになりました。詳細テーマは決まっていませんが、おおまかには「琳派と伝統工芸」「若冲と応挙」で行こうということになりました。 私は新参で、補佐的な役割を担当するということになると思ったのですが、なんと座学の講師に指名されてしまいました。お断りしたのですが、最後にはお受けすることになりました。 私担当の座学は再来年の5月頃ですので、まだ1年半先です。しかし、講座自体が来年の9月スタートで、それに合わせて募集要項を決めなければならないので、まずは11月末までにテーマ・サブテーマを決定して、来年3月にはA4で1枚の内容概略を作成しなければなりません。 若冲、応挙とも予備知識は皆無に等しいです。受講料をいただいての講師ですので、質の高い内容が要求されます。手間をかけての準備が必要です。ちょっと大変なことになりました。通常のガイド、特別客員研究員の活動だけでもアップアップなのに、それに加えてこの講師。何とかやりきらなければなりません。次回委員会は11月13日の定例会の前に行うことになりました。 終わってから、軽懇親会ということになりました。家内が飲み会で、私は夕食を外で食べることになっていたので、渡りに船でした。→こちら-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/09/27
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【2021年5月23日(日)】 久しぶりのお日様でした。梅雨の晴れ間ですね。そしてジメジメしたおらず、さわやかな一日でした。一昨日打ったワクチンの腕の痛みは、今日は腕を上げても痛くはありませんでした。幸い私は副反応は軽かったようです。 昨晩はZoom飲み会でしたが、今日は別のグループのZoom飲み会でした。昨日もそうですが、高齢者の会ですので、ワクチン接種がメインの話題の一つでした。自治体によって仕組みが大きく違うことを再認識しました。 昨日、ちょっとのんびりしたので、今日は、在宅で少し会のこともしました。「奇想の画家 若冲と応挙」の第9回目です。◆第2章 伊藤若冲(続き)2-3 生活環境と人となり 若冲は錦市場の青物問屋「枡源」の長男として生まれたことは述べましたが、実際にどんな環境で生活していたのか、どんな人となりだったのか、前述の「寿蔵碣銘」や「藤景和画記」で見ていきましょう。これら文書の原文は漢文ですので、それらを引用する場合は、現代文に変えて示します。場合によっては、省略したり、意訳を加えたりします。 「寿蔵碣銘」にこのように書かれています。「錦街は魚や野菜を扱う店が並ぶ。毎日、荷をかつぐ人が大勢集まる。」ここまでは、想像できる市場の風景ですね。実は、次の一文が重要なのです。「若冲の家は、日々彼らからその場所代をとれば十分な利益を上げることができた。」 問屋というと、百姓から野菜などを買って、それを小売りに売って、その利ザヤで商売するというイメージですが、他の問屋もそうだったかまでは分かりませんが、少なくとも「枡屋」は、商人たちに売り場を貸していて、その場所代で十分な利益を得られたというわけです。家が裕福であると同時に、時間に追われてあくせく働く必要がなかったということです。ですので、若冲は若い頃から、好きな絵を思う存分描くことができたでしょう。そして、若冲23歳のときに、父親が亡くなって、四代目枡屋源左衛門を継いだ後も、絵を描き続けることができたし、高価な画材も手に入れることができました。後述しますが、中国画の模写も数多くしています。大典顕常などを通じて、志納金を納めて、寺社の所蔵する中国画を模写することができたのでしょう。この家が裕福だったという点が、若冲の画風を形作る大きな一要因だと思われますし、ここが、後に述べる応挙と大きく異なるところです。 では、若冲の人となりはどうだったのでしょうか。「藤景和画記」に書かれています。「幼少から学問嫌い。字も下手。芸事も何もできない。音楽や女性にも興味がない。酒も飲まない。金持ちで贅沢な生活をしている人の話は知っているが、そうなりたいと一度も望むことはなかった。」大店(おおだな)の若旦那としては失格なのでしょうが、ただただ絵を描くことが好きだったようです。2-4 絵のスタイルを模索する では、絵画にどのように向き合っていったのでしょうか。15歳頃から絵を学び、30代半ばまでは、絵のスタイルを模索する日々が続きます。 再び「寿蔵碣銘」を見てみましょう。「絵を描くことだけは好きだった。まず、狩野派の技をなすものに学んだ。」 若冲の若い頃の作品には、狩野派画家の絵を模写したものと思われる絵があります。下に30代半ばの作品とされる「日出鳳凰図」と狩野探幽筆「桐鳳凰図屏風」を示します。鳳凰の姿が酷似しています。また、狩野派の画家に学んだといわれる大岡朴(しゅんぼく)の編集した絵手本集「画本手艦」(えほんてかがみ)に所蔵された「野馬」に類似した「馬図」という作品も残っています。下に示します。左:若冲「日出鳳凰図」ボストン美術館 左:若冲「馬図」個人蔵右:狩野探幽「桐鳳凰図屏風」(部分) 右:大岡春卜編「画本手艦」所蔵 サントリー美術館蔵 秋月等観「野馬」部分 龍谷大学図書館蔵 前述したのは、春卜の手本集にある絵から学んだのではないかというだけのことですが、若冲は直接春卜から学んだのではないかという説もあります。江戸後期に編纂された「扶桑名画伝」に「(若冲の)初メノ名は春教」とあります。春卜の弟子には「春×」という名の弟子が多かったことが分かっていますので、初め「春教」と名乗ったという若冲も、春卜の弟子だったのではないかということです(ただし、「春教」の落款がある絵は残っていません)。やはり江戸時代後期の「続諸家人物誌」の「若冲」の項には「初名春教、幼ヨリ画ヲ好ミ、大岡春卜二学ブ」とあるのも、春卜の弟子説の根拠になっています。家が裕福だったので、師をつけるのも経済的には難しいことではなかったはずです。 こうやって狩野派の絵を学んだ若冲ですが、やがて「獲得した技法は、狩野家の法に過ぎない」と行き詰まりを感じるようになります。そして次にとった行動は、「宋元画を学ぶ。千点を模写した。」 中国画に学ぼうとしました。前にも述べましたが、こんなにたくさんの中国画を模写できたのは、それらを所蔵する社寺に志納金を払う経済力があったからです。明確に中国画を模写したと分かる作品があります。下に若冲筆の「白鶴図」と中国・明代の画家・文正筆の「鳴鶴図」を示します。2羽の鶴の姿が非常に類似しています。若冲筆「白鶴図」若冲38歳頃 文正筆「鳴鶴図」(重文)中国・明代個人蔵 相国寺蔵 ですが鶴以外は大きく異なっています。土坡(どは)(地面に当たる部分)の松の木の表現や、青海波(せいがいは)に波しぶきを加えた表現が若冲独特のものになっています。文正の絵は相国寺所蔵です。一方、若冲の「白鶴図」は若冲38歳の頃の作品といわれており、大典顕常と知り合った後ですから、大典と知遇を得たことで、この絵を模写できたと想像できます。 直接中国の絵に学んだ訳ではないですが、中国画を学んだ日本人画家に学んだと思われる作品もあります。下に若冲筆「牡丹・百合図」と鶴亭(かくてい)筆「牡丹綬帯鳥図」を示します。 若冲30代前半「牡丹・百合図」 鶴亭「牡丹綬帯鳥図」慈照寺(銀閣寺) 神戸市美術館 江戸絵画史で紹介しましたが、江戸時代中期、日本に招聘されて三都の画家に大きな影響を与えたのが、中国(清)の画家・沈南蘋でした。長崎に滞在した沈南蘋に学んだ画家の一人が熊斐(ゆうひ)です。長崎黄檗宗の僧であり、画家であった鶴亭は、この熊斐に絵を学びました。下の若冲の絵を見ると、特に木の幹の描き方が、鶴亭のそれに酷似しており、若冲は熊斐の絵に学んだのではないかと考えられます。間接的にではありますが、若冲が中国画に学んだ例といえるでしょう。 ●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/05/23
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【2021年8月9日(月・祝)】 今日は在宅。会の諸事なかなか思うようにはかどらず気持ちが落ち着きません。お天気も台風接近で朝から雨で、朝の散歩は無しです。気温は高くないようですが、蒸し蒸ししています。 「若冲と応挙」第32回。応挙の晩期の続きです。◆第3章 円山応挙(続き)3-6 晩期(続き) 図1 悟真寺 応挙は大乗寺の「松に孔雀図」を描いた3ヶ月後、寛政7年(1795)7月17日、63歳で亡くなります。応挙は菩提寺である浄土宗の寺院・悟真寺に葬られました。悟真寺は元々は四条大宮(大宮東映のあった場所)に在りましたが、1951年に太秦の現在地に移転しました(図1)。応挙の墓は悟真寺の墓地に子孫の墓とともに建っています(図2)。墓地の向こう側に見える建物は東映太秦映画村です。 図2 応挙とその子孫の墓@悟真寺(左から応誠、応震、応挙、応瑞、応立) 右の写真は応挙の墓の拡大 墓碑は妙法院真仁法親王揮毫 中央が応挙の墓で、墓碑は応挙のパトロンの一人であった妙法院宮真仁(まさひと)法親王(光格天皇の兄)揮毫です。応挙の墓の向かって右が円山派2代応瑞、応挙の向かって左が3代応震、一番右が4代応立(おうりゅう)、一番左が5代応誠です。 図3 円山応挙家系図(再掲) もう一度、応挙の家系図を図3に示します。応挙の次男・応受も画家になりましたが、母方の祖父木下萱斎の養子となって木下家をついだので、木下応受とも名乗っていました。養子として出たため、ここには応受の墓がないわけです。2代応瑞は子に恵まれなかったのか、応受の子の応震が応瑞の養子になって円山派3代を継いでいます。しかし、この応震も子がなく、友禅工寺井久次郎の子が養子に入って応立として4代を継ぎます。5代は応誠ですが、4代応立との血縁的な関係を調べましたが、よく分かりませんでした。そしてこの5代応誠のあとは、円山家による円山派は続かなったようで、3代応震の妹(国井家に嫁いだ)の子が国井(円山)応文として、円山派一門の後継者となり(応誠同様5代を名乗った)、その子国井(円山)応陽(6代)に引き継がれました。家系図には書かれていませんが、応陽の子・国井(円山)応祥が7代として継ぎ、現在は応祥の縁戚にあたる駒池(円山)慶祥氏(本名駒池慶子)が8代として活躍されています。近年、悟真寺の天井画や襖絵を、慶祥氏の弟子(恐らくご子息)円山真祥氏(本名駒池真)といっしょに描いています。 図4「応挙誕生地」碑 図5「応挙誕生地」碑 @太秦・悟真寺 @亀岡・穴太寺近く (「もっと知りたい円山応挙」から) さて、この悟真寺で「応挙誕生地」と書いた大きな石碑を見つけました(図4)。そのときは、新しく建てられたもののように見えました。応挙は亀岡で生まれたので奇異ですが、京都府生まれという意味では合っているので、悟真寺なりの解釈によるものなのだろうと、そのときは理解しました。その後、亀岡の穴太寺近くの「応挙誕生地」の碑を訪ねたときに、以前の回で述べたように、近年どここかに移築されて無くなってしまったことを知りました。そのときは気付かなかったのですが、あとでひょっとしてと思って、美術書に掲載された亀岡の碑(図5・再掲)と悟真寺の碑(図4)を比べると全く同じ形、全く同じ字形であるのが分かりました。亀岡の碑が移築された先は、太秦の悟真寺だったのです。悟真寺の碑の近くには何も説明書きがなく、これを見た亀岡市民は「応挙は悟真寺近くで生まれたと誤解するじゃないか」とクレームをつけるのではないかと心配しています(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/08/09
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【2014年3月21日(金)】◆◆ 伏見稲荷お滝場巡り#34 伏見区#6(1月11日)から ◆◆ 以前の日記にも書きましたが、荒木神社の南に「権太夫の滝」があります。宮司さんが、社務所から出て来られて、お滝場のことや、この神社が伏見稲荷の権太夫田中社の出先?であること、伏見稲荷の南側にもたくさんのお滝場があり、立命館高校のところから入っていけばよいこと、常時水が出ていないけど、お願いして出してもらえるお滝場もあることなど、ここで色々教えてもらいました。そういうところですから、気持ちよく、整備されているお滝場でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2014/03/22
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2016年10月22日 京都新聞ホームページから 恒例の「市民大茶会」が22日、京都市中京区の二条城清流園で始まった。朝晩の冷え込みでぐっと秋めいた庭園で、市民や観光客が一服を味わった。 茶道文化に広く親しんでもらおうと、茶道各流派の協力で市が毎年開く。初日は裏千家、11月1日は表千家、3日は藪内家が担当し、それぞれ午前9時半から午後3時まで、有料で茶席を設ける。 着物姿の来場者らは、庭園内の「和楽庵」と「香雲亭」に特別に設けられた茶席で、うっすらと色づき始めた木々を眺めながら、和菓子と抹茶をゆっくりと堪能した。秋めいた庭園の中に設けられた茶席で抹茶を楽しむ来場者(京都市中京区・二条城清流園)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/10/22
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【2019年11月12日(火)】 事務所勤務の途上の東洞院通沿い風景シリーズです。昨日は近代建築の代表格である中京郵便局を紹介させていただきました。今日は、民家の建築です。東洞院高辻の北東角にあります。「松尾外科医院」です。「三丁目の夕日」にでてきそうな雰囲気です。表札の「醫院」がいいですね。よろしかったらぽちっとおねがいします。にほんブログ村
2019/11/12
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【2020年10月31日(土)】 午前中、予約してあったインフルエンザ予防接種を近くの町医者で受けました。私は65歳なので2000円、家内は5,000円。高齢者以外の相場では3000円~4000円なので、ここはちょっと高すぎます。来年からは別の病院を探しましょう。65歳以上の場合、市町村によって支払い費用が違うようです。先日、久しぶりに会った大阪T市の住人S氏は、無料だとのこと。でもそのためか、申し込んだときには「もうワクチンがありません。」と言われたそうです。 だいぶ前の新聞記事です。10月15日の読売朝刊の「深層ニュース Go To 効果 実る観光地」から。 観光地の人出が回復しているが、明暗も見られるという内容です。地図があって、京都の清水寺周辺の人出が、今年のの10月3日、4日が去年の同時期比べ108%だったのこと。 目を疑いました。「そんな訳ないやろ。まだまだガラガラなはずや。」 同じ記事の清水寺三年坂の写真が載っていましたが、去年の108%なら、押し合い圧し合いのはず。清水寺三年坂 で、よく読んだら、日本人の持つ携帯の位置情報を基にした分析だとのこと。これなら納得。この類の数字は気を付けなければ。 それにしても天橋立が191%はすごい。もともとインバウンドがそんなに行っていなかった場所なので、ここは去年よりお客さんの絶対数が増えたのでしょう。京都はインバウンドに頼っていたのですが、インバウンドがいないこの隙にということで、日本人がよりたくさん来てくれたので、108%になったのでしょうね。それに対し、やはりインバウンドに頼っていた大阪難波は、インバウンドは来ない、もともと日本人が観光で訪れる場所ではなかったので、日本人が増えないで、80%なのでしょう。京都も観光関連は苦しいが、大阪はもっと苦しいかも。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/10/31
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【2020年12月31日(木)】 今年もいよいよ大晦日。コロナに振り回された一年でした。12月1日発表の「2020ユーキャン新語・流行語大賞」にもコロナ関連の言葉が多く見られました。2020年12月2日 読売新聞朝刊から トップ10は意味が分かりましたが、ノミネートの中で、よく分からない言葉がいくつかありましたので、せめて意味だけでも知っておかないと思い調べてみました。【AI超え】将棋の藤井聡太二冠(18)が、6月28日に行われた渡辺明棋聖(当時)との棋聖戦五番勝負第2局で指した58手目・3一銀が「AI超え」と称賛されました。この一手は、対局者の渡辺棋聖だけでなく、多くの人々を驚かせた。藤井聡太が考慮時間23分で指した一手は、AIが6億手を読んで導いた最善手(局面において最も良い指し手)だったと話題になりました。【顔芸/恩返し】2013年に「倍返し」が年間大賞の1つに選ばれたTBS系大ヒットドラマ「半沢直樹」からのノミネートです。私は、テレビはニュース番組、ドキュメンタリー、映画、クイズ番組、漫才以外は見ないので分かりませんでした。「恩返し」は、ドラマの中で大和田(香川照之)が中野渡頭取に「施されたら施し返す、恩返しです!」と言う台詞からです。「顔芸」に関しては、出演している歌舞伎俳優たちの迫力ある顔芸を指します。【カゴパク】カゴパクとは、スーパーなどで買った商品をカゴに入れ、そのままカゴを盗んで持ち帰ること。レジ袋の有料化で今年急激に増えたとされます。【香水】無名のシンガー・ソングライター瑛人(えいと)の楽曲「香水」がヒット。歌詞に出てくるドルチェ&ガッバーナの香水が実際に売れるという現象もおこった。【総合的、俯瞰的】日本学術会議が新会員に推薦した105人のうち6人の任命を菅義偉首相に拒否された問題で、首相が述べた「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」が話題になった。【まぁねぇ~(ぼる塾)】4人組お笑い芸人「ぼる塾」のギャグフレーズ。 来年のノミネートにはコロナ関係の言葉がゼロになりますように。 良いお年をお迎えください。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/12/31
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【2021年1月4日(月)】 3が日があけました。お正月モードから抜け出せておらず、気持が落ち着きません。 だいぶ前の去年12月20日の読売新聞朝刊記事からです。 コロナ禍で社会や経済活動が停止した影響で、首都圏に設置した18か所の地震計のノイズが小さくなったという報告です。感染拡大が問題になった3~5月、過去2年間の平均に比べてノイズが大幅に減り、多くの地点で例年より最大2~3割減少し、中には半減した地点もあったとのこと。減り始めたのは、都知事らが外出自粛要請を出す3月26日よりずっと前の、学校の休校が始まった3月2日のポイント。学校休校の開始は、子供たちだけでなく、社会全体の活動に大きな影響を与えたようです。 そういえば去年、北陸のほうに、びくびくしながらも、カニツアーに行ったのが3月1日。すでに列車や旅館はガラガラでした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/01/04
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【2021年1月29日(金)】 1月28日の読売新聞朝刊から、恒例の第一生命主催の「サラリーマン川柳コンクール」100選発表の記事。毎年、色んな世相が反映されるのですが、今年は、やはりコロナ一色の様相だったようです。ネットで100選を見てみました。私なりの10選です。「出社日は 次はいつなの?」 妻の圧YOASAOBIが 大好きと言い 父あせる「5円」見て ビジネスバッグが エコバッグ下書きの 送信キーを 猫が押し会社では 偉そうなのねと 妻が言う「やばいです」 それはいいいのか 悪いのかペイペイは どこのパンダと そっと聞き子は鬼滅 夫婦は亀裂 おうち時間副業で 出前届ける 部下の家ズーム飲み 背景変えて はしご酒よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/01/29
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【2021年5月20日(木)】 今日も梅雨空が続きます。今日は修学旅行ガイドが、コロナでキャンセルとなり、在宅の予定でしたが、午後から臨時に事務所に出向きました。コロナでガイドはなくても、バタバタとしています。 昨日の読売夕刊1面で「米17年ゼミ『狂騒曲』」の記事が目にとまりました。「17年ゼミ」、久しぶりにこの言葉を聞きました。私が米国に赴任したのが2004年。その時にゴルフを始めました。ゴルフ場で、セミの鳴き声が五月蠅くて、「日本の夏と同じだなぁ」と思ったところ、昔からの日本人駐在者が、「17年周期で大量発生する、『17年ゼミ』ですよ。」と教えてくれました。普通の年は、セミの鳴き声はあまりしないとのことでした。 なぜ周期的に大量発生するかというと、ある年に一斉に地上に姿を現すことで、鳥などの天敵に食い尽されるのを防いで生き残りを図っているというのが、一番有力な説のようです。では何故17年なのか? 実は13年ゼミというのもあって、13も17も素数で、この2つの大量発生が重なるのは221年に一度になります。ほかの年数の周期で発生するセミの出現とも重なる確率が低く、別の種類との交雑を避けやすくなるので、種として長く生き残りやすくなるということのようです。 地図を見ると、米国東部に限られているようです。私がいたのはオハイオ州でした。そこも確かに入っています。関連商品やイベントも盛んで、記事には菓子店での「セミ形チョコ」の販売も紹介されていました。 不思議な現象を改めて認識すると同時に、アメリカに赴任したときから、もう17年も経ったんだと、しみじみと思った次第です。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/05/20
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【2020年6月21日(日)】 6月18日(木)、19日(金)はコロナで事務所行きは無し、20日(土)は修学旅行ガイドの予定でしたが、これもコロナでのキャンセルで無し。替わりに泉会のゴルフが入って、新宝塚ゴルフコースでゴルフラウンドでした。OさんとSさんの3バッグでした。スコアは散々で、60+64=124、パットは21+17=38でした。パットはまぁまぁなので、ストロークががたがただったということです。 今日は、もともとか予定はなく在宅でした。 ずいぶん前の記事ですが、6月13日の読売新聞朝刊記事から。 以前、「コロナ」を冠する会社名、店舗名、商品名のことを書いたことがありますが、そのとき石油ファンヒータなどを製造・販売する「株式会社コロナ」も影響を受けるかもとい書きました(こちら)。もう3ヵ月前のことです。 そのコロナ社のことが掲載されていたので、売上げがどうのこうのという話しかと思ったら、そうではなくて、誰かがコロナ社に務めている家族の子供さんへの心のケアのために新潟新報という地元紙に社長メッセージによる全面広告を載せたという記事でした。いいですね。学校が再開しているので、イジメとかに繋がらないことを祈ります。全文です。コロナではたらくかぞくをもつ、キミへまだまだ、せかいじゅうが、しんがたコロナウイルスで、たいへんなことになっているね。そとであそべなくなったり、マスクをしなきゃいけなかったり、つらいこともたくさんあるとおもいます。そんななかでも、わたしたちコロナは、くらしをゆたかにする“つぎのかいてき”をつくろうと、きょうも、がんばっています。コロナではたらいてくれている、キミのおとうさんやおかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、おにいさん、おねえさんも、いっしょうけんめいです。みんな、じまんのしゃいんです。いえにいるときのイメージとは、ちょっとちがうかもしれないけど。もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています。キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです。かぶしきがいしゃコロナのしゃちょう より よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/06/21
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【2021年8月16日(月)】 今日は京都では「五山の送り火」ですが、昨年に続いて、部分点火でした。去年は、来年は絶対大丈夫だと思っていたのに、2年連続となりました。「来年こそは」と思いたいですが、あまり期待しないことにします。会の20日の集まりの準備をしました。 「若冲と応挙」第36回、円山派についてです。◆第3章 円山応挙(続き)3-7 円山派 応挙はたくさんの弟子を受け入れて育て、「円山派」を形成しました。応挙の画風を受け継いだ呉春も多くの門人を育て「四条派」を形成しました。両派合わせて「円山四条派」と呼ばれています。図1に系図を示します(字が小さくなるので、半分に分割しています)。図1 円山派とその派生流派の系図 すでに紹介した宗家の円山応瑞、応震、応立が右端に書かれています。左下には明治時代から昭和前期に活躍した竹内栖鳳の名もあります。応挙と同時代に活躍した若冲や曾我蕭白は、多くの弟子を持たず、ほとんど本人の代で終わっているのに、狩野派のような伝統を持たない応挙がこれほど多くの門人を持ち、かつその画派が長く続いたのは何故でしょう。 まず、応挙の生きた時代が背景として考えられるでしょう。文化にかかわる層が町人へと拡大しました。平常の暮らしの中で、掛軸、襖絵などで美を求める人が増えたわけです。技の秀逸さと、部屋を飾るに相応しい分かりやすく、かつ新しい画風に注目が集まり、注文が増えます。若冲・蕭白とも「平安人物志」の人気ランキングに登場しますが、実際の需要は応挙のほうが格段に大きかったと思います。その需要に応えるには、弟子をたくさん受け入れ、育てなければなりません。弟子を多く持つと、手取り足取り教えるのでは賄えなくなります。明確な絵画理論を弟子に伝え、写生帖を有効活用するなどもして、弟子を育てたのだと思います。そして、既に述べましたが、大規模障壁画の仕事などをするにはチームワークが大切です。そのようなマネジメント能力も応挙は持ち合わせていたのでしょう。そして、弟子たちの個性も大切にしたのではないでしょうか。長沢蘆雪は「奇想の画家」の一人に数えられるほど個性的な絵を描いたし、呉春は四条派を形成し、森徹山らは森派を形成するなど一味違った画風を追求しました。応挙の画風は、秀逸だけれども、発展性があり、応用展開できる余地があったので、弟子たちは師とは異なった高みを目指し、円山四条派は後世に長く引き継がれることになったのではないかと思います。図2 長沢蘆雪「虎図」串本・無量寺 図3 呉春「池辺雪景図」 個人蔵 図2に長沢蘆雪「虎図」、図3に呉春「池辺雪景図」を示します。「池辺雪景図」は雪を白く塗り残す技法や構図が以前の回で紹介した応挙の「雪松図屏風」に似ていますが、応挙の絵にはない洒脱さが加わっています。 これで応挙の章を終えます。次回から若冲と応挙の比較をしていきます。 (続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/08/16
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抗がん剤治療の第6クールを退院して1週間経過するが、体調がよくない。疲れやすいし、食欲がない。第5クール後ほどではないが。昨日、旅行(こちら)から帰って、K病院腫瘍内科での今日の受診をお願いした。血液検査、尿検査をしてY先生の診察を受けた。白血球が第5クール並みに下がっている。ヘモグロビンは第5クールほどひどくないが、かなり下がっている。血小板は第5クール並みに下がっている。入院するほどではないと言われたし、入院するとOKGセンターやOJRセンターへの通院ができなくなってしまうので入院はしなかった。白血球が下がって免疫力が低下しているので、白血球を増やす注射をしてもらった。明日もK病院に行って採血をし、回復が遅いようなら、また注射をすることになった。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→よろしかったらぽちっとお願いします。
2026/07/01
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7月9日にOJRセンターの診察を受け、重粒子線治療を受けることに決めた。最も腫瘍と臓器が近接しているのが、十二指腸。もし、ネスキープというスペーサーがそこに入れらたら、根治の可能性があるが、入れられなかったら、そこを避けて照射するために、不十分な照射となり、再発の可能性が高くなる。今日は、OKGセンターの大腸外科に行った。今日も、家内に車を運転してもらって、同伴してもらった。またまた感謝。今日は、他科も含めた検討結果を聞くのだと思っていたが、それはまだできていなかった。7月16日の十二指腸の奥の方を普通の胃カメラで見ることになっており、それを見てから、他科の先生と相談するとのこと。十二指腸を胃カメラで中から見て腫瘍が浸潤しているようであれば、他の可能な部分にスペーサーを入れるかどうかは別にして、再発リスクの高い重粒子線治療をすることになる。浸潤してなければ、開腹してみないと分からないが、もしスペーサーを入れられるようであれば、スペーサーを入れて重粒子線治療をするのではなく、腫瘍を摘出すべきであるとのこと。7月9日にOJRセンターで撮影したMRI画像を見ながら、そのような話があった。完全にあきらめていた手術での摘出の可能性が出てきた。あまり期待はしないでおこう。今後の予定は7月16日 十二指腸の内視鏡観察他科の先生とも相談していただいたうえで、7月27日に治療方針の決定。その間にK病院腫瘍内科の、血液・尿検査が7月21日にある。白血球、血小板、ヘモグロビンの快復も気になるところである。手術摘出となったら、8月中旬くらいに手術することになるであろう。退院時期は分からない。スペーサーを入れて重粒子線治療をするとすると、スペーサー手術が8月中旬。重粒子線治療が、9月から10月中旬くらい。スペーサーを入れずに重粒子線治療をするとすると、8月中旬から9月末くらいではないかなと思っている。果たしてどうなるか。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→よろしかったらぽちっとお願いします。
2026/07/13
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昨日の投稿で、重粒子線治療期間中に飲む薬のことについて書いたが、今日は、食事制限のことについて書く。以前の2015年の重粒子線治療のときには薬の処方はなかったと書いたが、食事制限もなかった。やはり、2015年の治療のときは腫瘍は腎臓の後ろ側で、食事によって、腫瘍の位置や形が変わったりすることがなかったからであろう。今回は、腫瘍が前腹部側なので、食事の影響で消化器が動き、腫瘍の位置や形が変わるので、食事にも注意を払わないといけないのであろう。次のような注意が一昨日の看護師からの説明であった。まず、照射治療の4時間前までには、食事を済ますせる必要がある。そして水分は照射1時間前まで。それ以降、照射が終わるまで、絶飲絶食。さらにガスが溜まりやすい食べ方をしてはいけない。急いで食事を食べたり、麺をすすって食べたりせず、ゆっくり食べること。そして、ガスが発生しやすい食品を避けること。下表のような食品はガスが溜まりやすいそうだ。炭酸飲料もダメ。さらに禁酒・禁煙。すなわち、ノンアルコール・ビールもダメということだ。かなり厳しいが、治癒のために1ヵ月強我慢せざるを得ない。献立面で家内にも色々気を遣わせる。ガスが発生しやすい食品よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/02
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【2017年2月10日(金)】 今日は粒子線治療後21回目の定期経過観察(1ヵ月に一度)で、大阪府下のM病院に行ってきました。今回は、血液検査とCVポートフラッシュのみです。 午前8時から血液検査、9時に診察の予定でしたが、電車の乗り継ぎが悪かったり、トイレに寄ったりで、30分程度遅刻。余り厳密に時間を守る必要はないので、気にする必要はありません。そのため、血液検査結果が出るのが遅くなり、診察は私より大きい受付番号の方が先に診察で、9時を少し過ぎての診察でした。血液検査結果の要点は下記・・・・ここ1年1.4~1.6で推移してきたクレアチニンが1.76と若干跳ね上がり、腎機能悪化が 心配されましたが、今回1.53とまた従来のレベルに戻りました。一安心です。・先生から指摘はありませんが、ここ1年は正常値だったLDLコレステロールと 総コレステロールが基準値を若干超えました。・前回の血液検査で追加で確認してもらったPSA(前立腺がんマーカー)は3.290と正常値。 また1年後、くらいに測定しますとのこと。 ネットでPSA値の正常範囲を調べてみました。 PSAの数値は加齢とともに上昇します。一般的に50~64歳までは3ng/ml以下、65~69歳までは3.5ng/ml以下、そして70歳以上では4ng/ml以下が正常な値です。http://www.zenritusen-gan.com/cate-kensa/pas-kijyun.html ですので、私の年齢(61歳としては若干高めですが、今のところ心配する必要はなさそうです。血液検査結果クレアチニン、尿素窒素、尿酸値の推移コレステロール、中性脂肪 診察が終わって、CVポートのフラッシュをしてもらいましたが、ベッドに横になって先生を待っているとき、隣の膀胱鏡検査の場所から女性の声で、「はい、これから管が入ります。」とか聞こえます。看護師さんが膀胱鏡を扱っているのかと一瞬思いました。しかし、その女性が私のCVポートのフラッシュに来ました。CVポートフラッシュは看護師はできません。謎が解けました。女医さんだったのです。でも、私が抗がん剤治療でお世話になった、S先生から別の男性の先生に替わったのは、半年くらい前だったはず。すいぶん早い交替です。何かあったのでしょうか。 この女医さん随分お若くて、CVポートフラッシュの経験は少ないようで、看護師さんに方法を聞きながらのフラッシュでちょっと不安でしたが、無事終了。いつもなら、フラッシュが終わったあと、下着が汚れないように、先生がポート回りのイソジン消毒液をふき取ってくださるのですが、その様子がなかったので、私からお願いしました。若い女医さんだから許そう。 会計をし、処方してもらった薬(フェブリク錠)を薬局で求めました。その後、京都に移動し、京都歩き、夕刻からガイド会のエリア会議に出席、そして飲み会でした。別途、投稿します。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/02/10
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【2014年3月31日(月)】◆◆ お滝場巡り#41(伏見区#8) ◆◆ 岩瀧が見つからず、引き続き真心瀧へ。この前紹介した地図では、すでに訪れた青木瀧<と七面瀧の間から脇にそれたところにあることになっています。この地図は非常にアバウトなので、よく分かりません。行ったり来たりしましたが、結局見つからず断念。 引き続き、奥社近くの「清メ瀧」を探します。こちらも、脇にそれたところにあるようです。脇にそれる道がないかどうか気をつけて、何とかそれらしい道を見つけて進んでいき、ようやく見つけることができました。荒れ果てて、ちょっとうす暗く不気味な感じです。お滝の水も流れていません。管理者の方か、信者の方があげたのか、お滝場に供えられたお花は、まだ新しいようでした。ここは、伏見稲荷の官有地外です。 これで真心瀧以外は、今日の目的は全部回りました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2014/04/01
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【2020年10月11日(日)】 台風14号の大きな被害がなさそうで、よかったです。 今朝の読売新聞から「修学旅行地元のススメ」の記事。 コロナ感染防止のため、修学旅行の行き先を遠方の観光地から、学校所在地と同じ県内に変更する動きが広がっているとのこと。地元の観光業支援のため、補助金を出す自治体もあるとのことです。 京都での修学旅行は公共交通機関を使った班別行動をする学校が多くあるわけですが、コロナの影響で、修学旅行そのものを中止する学校も多く、中止しないまでも、公共交通機関を避けて、タクシー移動に変更したり、観光バスで移動という昔のスタイルに回帰したり、このように県内に行き先を変更したりという学校も多くあります。コロナから回復してもこの傾向は残ることになるのでしょう。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/10/11
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【2020年12月26日(土)】 作詞家の なかにし礼 さんがお亡くなりになりました。 ヒット曲のリストを見ると、どれも今も口ずさめるものばかりです。歌詞を改めて吟味してみると、すごい表現だなと思わずにいられません。 2000年に『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞しておられ、小説家としても活躍されました。 それから記事には書いてありませんが、私と同じ粒子線治療で一命を取りとめられた方でもあります。その体験談は私も拝聴しましたし、ブログにも掲載しました。⇒①「著者と語る『生きる力 心でがんに克つ』なかにし礼 作詞家・作家 2013.4.22」 ②『生きる力 心でがんに克つ』なかにし礼氏、インタビュー安らかにお眠りください。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/12/26
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【2020年2月10日(月)】 事務所勤務でした。 通勤途上の東洞院通沿いの風景シリーズです。 東洞院仏光寺上ルに「くみひも芳厳」という「京くみひも」のお店があります。ぱっと見、廃業されたような雰囲気もあります。ネットで調べてみました。 正式には「大林岩次郎商店」で、店主は大林芳雄さん。昭和5年生まれ(ですから89歳)、昭和23年から、「くみひも」の仕事に就いておられますが、体調を崩され今は制作をされておらず、京都の伝統を感じとってもらえるよう、これまで作った「くみひも」の一部を店先に展示しておられます。 「くみひも芳厳」よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/02/10
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【2020年5月11日(月)】 一昨日は二人で三重へお墓参りし後、名古屋でした。昨日は車のディーラーに出向いて修理の見積り依頼でした。コロナ禍で外出が減るなか、2日連続の外出となりました。今日は西京会の京都案内の予定でしたが、コロナで中止です。 昨日で広義のGWが終わりました。例年なら日常に戻った様子がニュースになりますが、今年は、自宅滞在は変わらずテレワーク再開だけという人も多いのではないでしょうか。 昨日、夕刻は 初めてのオンライン飲み会。話題のZoomのテレビ会議機能を使っての飲み会です。オーイ会のメンバーの一人東京のYさんは、新しいもの好きで、ドローンなんかも飛ばしたりしています。そのYさんが企画してくださいました。無料でもできるのですが40分が限度なので、有料会員になってくださいました。今までの11人のメンバーに加え、今回新たにNさんが加わって12人での開催でした。しかし、残念ながら私のインターネット環境がよくないためか、設定がおかしいのか、私の声がよく聞こえないというメンバーが多く、聞き役に回ることがほとんどでした。メンバーの声もときどき割れたりして、聞きにくい場面も何度かありました。 今後も、オンライン飲み会は一つの飲み会の手段として定着するでしょから、上手くできるように何らかの改善をしなければなりません。これから研究します。 初めてオンライン飲み会をやってみてメリットとして感じたことです。・安上がり 飲食代が安い。交通費がかからない。・遠方の人も参加が容易・往復の時間が不要なので、時間が有効活用できる。・自分の好きな物、好きなお酒、自分のペースで飲食できる。・ある程度人数が多くても、全員が同じ情報を共有できる・回りの目や耳を気にする必要がない・普通のお店なら不可能な、音楽演奏なども可能・酔っぱらって家に辿り着くのに苦労することもない。・トイレに行くとき、席を空けてもらったりする必要がない。他にもあるでしょうが、ざっとこんなものでしょうか。 デメリットはやはり会って飲むのに比べると親近感がなくなることですが、もう気心の知れたメンバーなら、これもあまりデメリットではないと思います。 コロナ禍を契機に、オンライン飲み会は増えるでしょう。コロナ禍が過ぎても、飲食店はオンライン飲み会の影響を多少とも受けるのではないでしょうか。オンライン飲み会用デリバリーなんていうのも出て来るかもしれません。 今日は「西京会」のプライベートガイドの予定でしたが、コロナで中止で在宅でした。 昨日の読売朝刊の「ワールドビュー」というコラムから。 外国、特に欧米では「マスクは重病人用の医療用品」という固定観念があるというのは、今やよく知られていますが、このコラムによると、米国の多くの州では「マスク法」と呼ばれる法律があり、例えば南部のジョージア州では「マスクやフードなどで顔の一部を隠すこと」を禁じているとのこと。「犯罪者がマスクやバンダナなどで、身元を隠す」という固定観念もよほどのことがない限り、マスクを着用しない理由の一つになっているようです。 法律で禁止されていることまでは知りませんでした。これでは、なかなかマスク着用が拡がりませんね。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/05/11
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【2021年5月10日(月)】 今日は修学旅行の予定でしたが、コロナでキャンセルとなり、フリー日となりました。午前中、予約してあった歯医者へ。右上奥歯の被せが完了です。これで終わりではなく、本来治療予定だった、左上奥歯(親知らず)の治療が続きます。 続いてこちらは予約ではないA眼科へ。コロナで空いているかと思ったら、結構混んでいました。GWで休診が長かったからでしょうか。緑内症予備群で3カ月か4ヵ月に一度診てもらっていますが、バラツキが大きいので、断定はできないそうですが、悪くなっていることはなそうです。 帰宅したら、ワクチンの申込案内と予診票が、二人分届いていました。近所の掛かりつけ医に電話での予約を試みました。繋がりにくかったですが、家内が2時間の間、根気よく電話してくれて何とか予約できました。6月には2回目打ち終えることができます。 昨日の読売朝刊から。英国がEUから離脱して、構成国の独立への動きが出ているとのこと。そのニュースの解説として、英国の国旗ユニオンジャックの成り立ちが書かれていました。イングランド、スコットランド、アイルランド3国の国旗の合成だったんですね。よく知れられていることかもしれませんが、私は知りませんでした。「ユニオン」=「連合」ですものね。「ジャック」は船首につける「船首旗」だそうです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/05/10
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娘夫婦が我々2人を以前から、昨日、今日の予定で旅行に誘ってくれていました。その後、私に癌が見つかったのですが、幸い治療が始まる直前で、身体も元気なので、お言葉に甘えて連れていってもらうことにしました。娘夫婦と孫、我々2人の5人での旅行でした。車の運転は全部、娘の旦那がしてくれて、我々はシートに座っているだけで楽ちんの旅行でした。1日目の行き先は志摩スペイン村。スペイン村はこれで3回目かな。風が強い日で、最大の呼び物ピレネーなどが運休していたのは残念でした。ただ、ピレネーは65歳以上は、年齢制限でどうせ乗車できないので、我々2人には関係なかったけど。小さな子の年齢・身長制限は前からあったけど、高齢者の制限は前はなかったと思う。昔は若かったので、気が付かなかっただけかもしれないけど。でも、年齢制限のないアトラクションにいくつか乗って1日楽しみました。泊りは相差(おうさつ)という町。ホテルの名前は忘れました。お風呂に入って、海の幸をたっぷり楽しんで、お酒もいただいて、楽しいひとときでした。今日の朝ご飯も最高でした。朝ごはんの後、皆は近くの石神さん(神明神社)に行ったのですが、私はちょっと疲れもあって、入院も控えているのでホテルで休んでいました。相差は海女文化で有名なところで、石神さんは海女を守ってくださる神社だとのこと。妻が病気平癒のため、お守りを買ってきてくれました。ご朱印もいただいてきました。 宿を出て伊勢神宮の内宮にお参りし、「おかげ横丁」で食べ歩きして楽しみました。治療開始、入院前の楽しいひとときでした。ひょっとしたら、もうこういう機会は持てないかもしれません。娘夫妻、孫に、ただただ感謝です。
2026/01/12
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今日はCTシミュレーションのために、OJRセンターに出向きました。7月31日に作った固定具で身体をしっかり固定した状態(実際の重粒子線照射時の体の位置)でCT撮影をしました。この結果をもとに、治療計画が立てられます。本来は造影CTをするのですが、この前の血液検査でクレアチニン値が高く、腎機能が低下しているとのことで、造影剤なしの単純CTになりました。あとで看護師さんに確認したら、クレアチニンが1.91だったとのこと。7月21日のK病院での血液検査のクレアチニン値と全く同じでした。悪くはなっていませんが、1.5レベルには戻っていません。まだ疲れやすさが残っているのも、腎機能が低下しているせいかもしれません。腎機能は赤血球関係の数値にも影響します。看護師さんには聞いていませんが、ヘモグロビン等赤血球関係の数値も元に戻っていないのではないかと思います。CT撮影は、うつ伏せと仰向けの2つの体位で行われました。重粒子線照射時の体位が、この2種ということでしょう。固定具はそれぞれで違います。うつ伏せの方は、問題なかったのですが、仰向けの方が、固定具と体の間の隙間が大きくて安定しないとのことで、2回固定具の修正がありました。作り直したのかなと思って看護師さんに尋ねたところ、樹脂製の固定具は、再度温めると柔らかくなり、それを体に密着させることで修正ができるとのことでした。体重を図ったら、固定具を作ったときより、1.5kgくらい減っていました。固定具を作ったときは昼食直後であったこと、今回は朝5時までに食事を済ませなければならなかったけど、起きることができなくて、朝食を抜いたこと、飲水も極力控えたこと、下剤の処方があるため身体の水分が少なくなったことなどが原因でお腹回りが痩せたのかなと思います。うつ伏せ、仰向け、それぞれのCT撮影が終わったあと、マジック(特殊なものと思いますが)で固定具の位置合わせのための線が、背中や腹部、足に引かれ、上からテープが貼られました。看護師さんから、お風呂でゴシゴシ洗わないように、シャツやタオルに色移りする可能性があるので、汚れてもいいものを使うようにとの注意がありました。また、固定具のフィット性を維持するために治療中は体重はプラス・マイナス2kg以内に収めること、特に下剤を使っていて、かつ夏場なので、水分を十分とるようにとの注意がありました。固定具の修正があったので全部で2時間近くかかりました。同じ姿勢を長時間続けなければならなかったので、多少疲れました。OJRセンターのホームページによると、今後、以前撮影したMRIや今回のCT画像をもとに、医師・医学物理士などが協力して、治療計画の作成が行われます。治療計画専用のコンピューターに標的となる癌の位置や形状を入力し、照射ビームの角度、線量(照射する量)など、最適な照射方法が検討され、カンファレンス(会議)で討議されたうえ、最終的な治療計画が決まります。これに5~7日間かかります。次回は、8月10日の治療リハーサルです。治療室で実際の治療と同じような練習をします。治療台に横たわって腫瘍の動きなども確認されます。今日は公共交通機関で往復しましたが、帰りだけ家内に最寄り私鉄駅まで車で迎えにきてもらいました。感謝。よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/03
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2015年6月13日 読売朝刊 京都版 京都の銘菓「八ツ橋」の由来となった近世筝曲の祖、八橋検校(やつはしけんぎょう)をしのぶ「八橋祭」が、検校の墓石がある金戒光明寺の塔頭・常光院で営まれました。 こちらは「井筒八ツ橋本舗」によるもの。一方、法然院では「聖護院八ツ橋総本店」による八橋忌が行われました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/14
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2016年01月20日 京都新聞HP 舞妓(まいこ)さんを引っ張ったり、垣根にもたれ掛かったらあきまへん-。京都市東山区の祇園町南側地区協議会は、外国人観光客らにイラストでマナー向上を呼び掛ける高札を作製した。マナー違反の事例が目立つ同地区の花見小路通など4カ所に設置した。 祇園町南側地区協議会によると、京都市を訪れる外国人観光客の増加に伴い、2013年ごろからマナー違反の事例が増えてきた。喫煙や飲食をしながら歩く姿や、ごみのポイ捨てが相次いだ。写真撮影しようと舞妓さんの袖を引っ張って破いてしまったり、観光客が無断で家屋に入ったりする事例もあったという。 高札は木製で高さ約2メートル。外国人も一目で分かるように、違反に当たる6項目をイラストで表現した。舞妓さんを触らない▽垣根にもたれたり座り込んだりしない▽「自撮り棒」を使わない-など、絵に「×」を付けて示した。 祇園町南側は市の歴史的景観保全修景地区に指定されている。祇園町南側地区協議会は「祇園の風情・情緒」や「商環境・住環境」を損なう恐れのある業種の営業を自主規制している。コンビニや大衆飲食店も規制対象となっている。 同協議会の高安美三子会長(75)は「景観に配慮するため高札の設置は躊躇(ちゅうちょ)していたが、マナー違反が目に余るようになった」と説明する。「この地域は何でもありの観光地ではない。道を通るなとは言えないので、少しでも事情を理解してもらうため、発信を続けていきたい」と話す。《京都検定お勉強》◆花街の踊り・祇園甲部 「都をどり」(4/1~30) 「温習会」(10/1-6)・宮川町 「京おどり」(4月第一土曜日~第三土曜日) 「みずえ会」(10月)・先斗町 「鴨川をどり」(5/1~24) 「水明会」(10月)・上七軒 「北野をどり(3/25~4/7) 「寿会」(10/8~12)・祇園東 「ゆかた会」(7月下旬) 「祇園をどり」(11/1~10)・五花街合同公演「都の賑い」(6月)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/20
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【2017年1月19日(木)】 中古車ディーラーに貸している土地をそのオーナーに売却するために、去年年末に所有権の移転登記申請をしました(こちら)。年が明けて1月10日には登記完了するとのことでした。何か問題があったり、書類に不備があったら電話連絡するとのことでしたが、何も連絡がなかったので、問題なく登記は済んでいるはずです。 早く登記済み書類を、買主に渡したいところですが、ちょうど1月9日から16日は、地元のお寺の親鸞上人報恩講の期間で、町内が通行止めになります。私の実家は、その通行止めになる区域の真っただ中にあり、車で行くと遠くに車を停めて実家まで歩かなければなりません。それで、この期間を避けながら、できるだけ早いタイミングで私のガイドのない日ということで、この日に行くことにしていました。買主のKオートさんにもそう伝えてありました。 家内といっしょに10時過ぎに車で出て、渋滞もなく三重の故郷の町に到着。まず最初に地元の商工会の方のところへ。上述の報恩講時期の町内イベントで実家の空き店舗を貸していたので、貸していた鍵を返却していただき、いくばくかの謝礼金を受け取るためです。高校卒業後、この町を出て戻っていませんので、何も地元には貢献できていません。こういう形ででも貢献できるのは嬉しいことです。続いて、お墓参り、そしてお正月なので、親鸞上人御廟、納骨堂、阿弥陀堂、御影堂をお参り。さらに氏神様の神社に参拝。地元の氏神さん 途中で買ったお弁当を実家で食べて、私は三重の地方法務局へ。移転登記完了の書類はすぐに受領できました。登記完了証。これは2通あり、売主、買主とも1通ずつ保持できます。登記識別情報。これは一部しかなく、買主が保持するものです。コピーしたものをここに掲載しました。 これら書類を持って、その足で買主のKオートさんへ。年末に送っていただいた「蟹」のお礼を申し上げて、この書類をお渡ししました。融資を受ける銀行にこれら書類を渡して、週明けには私の銀行口座に契約の金額が振り込まれるとのこと。土地を買いたいという意思を示されて、1年と数ヶ月かかりましたが、ようやく所有権を移転できました。Kオートさんも念願の土地が自分のものになったし、私も相場よりは高い価格で売れ、とかくややこしくなりがちな不動産での相続を少なくすることができたので、双方ハッピーな形に終結できました。 その後、駐車場の溝の土取り。溝に流れ込んだ土がなければ、雑草も生えにくいはずです。ゴミ袋に入れて、途中、処分可能なところで廃棄しますので、今回は1メートル分だけ。毎回少しずつこうやって処理していく予定です。 家内は実家の空気を入れ替えし、母の遺した服で、使えそうなものを確認していました。午後4時には実家を出て、真っすぐ帰ってきました。途中「赤福」を買おうとサービスエリアに寄りましたが、売り切れでした。往きのサービスエリアで買っておいたほうがよさそうです。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/01/19
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【2014年4月2日(水)】◆◆ お滝場巡り #43(まとめ) ◆◆ 伏見稲荷大社とその周りには、20以上のお滝場があるとのことです。東山区にある2つのお滝場は、東山区を回るときに訪問するとして、ネットや地図で検索した範囲では、伏見稲荷のお滝場は、発見できなかったところを除き、すべて訪問したのではないかと思います。 ここで、私なりに分類してみたいと思います。 これで、「伏見稲荷お滝場巡り」シリーズを一旦終えます。 名前 所在 伏見稲荷 訪問 瀧水流 との位置関係 1) 五社瀧 東山区 北側 私有地 未 未確認2) 御壺瀧 東山区?北側 私有地? 未 未確認3) 荒木瀧 伏見区 北側 私有地 ○ 未確認4) 権太夫瀧 伏見区 北側 私有地 ○ ○5) 白瀧 伏見区 伏見稲荷官有地 ○ ○6) 清瀧 伏見区 伏見稲荷官有地 ○ ○7) 清明瀧 伏見区 伏見稲荷官有地 ○ ○8) 薬力瀧 伏見区 伏見稲荷官有地 ○ ○9) 末広瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○10) 岩龍瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ×(荒廃)11) 岩瀧 伏見区 南側 私有地 発見できず(廃絶?)12) 御劒瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○13) 白菊瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○14) 七面瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○(荒廃)15) 鳴瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○(荒廃)16) 真心瀧 伏見区 南側 私有地 発見できず17) 青木瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○18) 弘法瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○19) 熊鷹瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ×20) 命婦瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○21) 八嶋瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ○22) 清メ瀧 伏見区 南側 私有地 ○ ×(荒廃) 番外)たつみ瀧 伏見区 宝塔寺境内 ○ ×(荒廃)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2014/04/02
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2016年5月29日 京都新聞ホームページから 流鏑馬(やぶさめ)発祥の地とされる京都市伏見区の城南宮で28日、城南流鏑馬が行われた。時代装束をまとった射手が参道を疾駆し、矢が的に命中すると観客から大きな歓声が上がった。 平安時代に白河上皇が城南離宮で催した流鏑馬が、史料に残る最も古い記述とされる。1221年に後鳥羽上皇が流鏑馬を理由に兵を集め倒幕を謀った「承久の乱」以後は途絶えたが、2005年に復活した。今回は境内の摂社・真幡寸(まはたき)神社と近くの飛鳥田神社が「官社」に昇格して1200年に当たることから3年ぶりに開催した。 参道210メートルに砂を盛って即席の馬場を整え、京都産業大の学生が的を立てる役や矢を拾う役などで初参加した。射手は馬上から三つの的を目掛けて矢を放ち、命中してパーンと音が響くたびにどよめきが起こった。疾駆する馬から弓を放ち、的に命中させる射手(京都市伏見区・城南宮)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/30
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2016年9月25日 京都新聞ホームページから 京都市上京区の臨済宗相国寺派大本山・相国寺で25日、秋の特別拝観が始まった。国内最古の法堂(はっとう)(重要文化財)や開山した夢窓国師像を安置した開山堂、168畳に及ぶ方丈が公開され、初日から大勢の参拝者が訪れた。 法堂は豊臣秀頼の寄進により1605年に再建された。高さ11メートルの天井には狩野光信筆の円周9メートルの「蟠龍(ばんりゅう)図」が描かれ、真下で手を打つと堂内に独特の響きが生まれることから「鳴き龍」とも呼ばれている。 秋だけ公開される開山堂の前庭は、本来は表と裏で分かれる禅宗の庭が一つになった珍しい庭で、かつて御所に水を供給していた水路の跡も残っている。観光客らは白砂が敷き詰められた静かな空間を眺め、ひとときを過ごしていた。 友人と訪れた大阪市の岡本規子さん(77)は「法堂の蟠龍図のにらみは迫力があった。独特な反響音も心に届き、不思議な思いになった」と話した。 12月15日まで(10月18~21日は拝観休止)。有料。「蟠龍図」を見上げながら、手をたたき、音の響きに聞き入る観光客ら(25日午後1時半、京都市上京区・相国寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/09/26
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