朝日新聞 2014年8月9日の記事です。
(写真)携帯電話に残った息子のメッセージは、そのまま残してある=静岡市
(掲載を控えました)
45歳で尿膜管がんと診断された広島市のSさんはブログで治療情報などを発信し続けた。一方、静岡市に住む父SRさんとも亡くなるまでの4年間、携帯電話でつながった。
《きょうもまた癌(がん)に病む子にメール打つ暮らしはじまる朝食のあと》
SRさんは、70歳まで静岡大や日本福祉大などで経済学を教えてきた。朝日歌壇賞も受けた、歌人でもある。広島市に住むSさんとは年1度、会うか会わないかだった。だが、Sさんの入院後は毎朝携帯でメールし合うようになった。SRさんが日々詠む歌には、息子への思いがあふれ出すようになった。
《案の定セカンドオピニオンきびし死刑判決きくごとくきく》
入院から4カ月後、Sさんに代わって、SRさんは静岡の病院の医師にセカンドオピニオンを受けた。がんの部位の画像を見た医師は冒頭から「もうこれはだめでしょう」。Sさんに託されていたたくさんの質問項目は、ほとんど聞けずに終わった。
《ガン抱え仕事するとはその意義を考えつづけし夜半寒けし》
Sさんは9カ月に及んだ最初の入院から退院してまもなく、仕事に復帰した。その後亡くなるまでの約3年間、入退院を繰り返しながら公務員の仕事を続けた。病気になる前は、企画畑を歩んできた。残業しながら英語の勉強も欠かさずにやってきた。病気になってからは、有給休暇も使いながら窓口の業務にかかわった。
《四年余を生き抜き書きし厖大(ぼうだい)な闘病記録われに問いかく》
常に淡々とふるまうSさんの姿勢を、SRさ
んは冗談まじりに「近代合理主義者」と評す。
入院まもない4月、見舞いに来たSRさんは、Sさんと歩きながら話をした。「お涙ちょうだいの闘病記が多い。客観的事実に即した、他の人にも役立つものを書きたい」。Sさんが話すのを、SRさんは黙って聞いていた。
「医師任せではなく、自分で調べて分かったことを医師にも提案し、他の人とも共有する息子から、新しい患者の姿を教わったと思っています」
そして、その日は急に来た。
《大息す 意識不明とメールきて思い乱れて言葉揃(そろ)わず》
私は後腹膜脂肪肉腫。放置すれば余命数週間から数カ月と言われました。抗癌剤治療、粒子線治療を受け、そう言われてから10ヵ月、経過観察ではありますが、こうやって元気に生きています。
しかし、再発、重篤な副作用(腎不全=私の場合、片腎しかないので透析)の爆弾はかかています。いつまで元気でいられるか分かりません。
このSさんと同じように、同じような病気に悩む方々に少しでもお役に立てる情報があればという気持ちでアップしています。それと爆弾が爆発したときのための自分自身の勉強のためにという意味合いもあります。
「お涙ちょうだいの闘病記が多い。客観的事実に即した、他の人にも役立つものを書きたい」。なかなか、その領域には行けていません。
「医師任せではなく、自分で調べて分かったことを医師にも提案し、他の人とも共有する・・・・」
これは少しできているのではないかと思っています。
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