朝日新聞2014年9月6日の記事です。
小児がんが脳に転移した高校2年生のC.Y.さんは2011年3月、長崎大病院から福江島の自宅に戻った。残り少ない時間を家族とともに過ごした。
C.Y.さんは尿路感染を起こして何度も高熱を出した。血小板も著しく減った。輸血で補うものの、不安定な状態が続いた。顔は青白くなっていった。食事はとれずに点滴を続けた。
島の内科医の宮崎昭行さん(61)は体調が悪化する度に駆けつけた。4月21日はC.Y.さんの18歳の誕生日だった。その日を迎えさせてあげたい。その一心だった。
「寝たきりになってもいいから、娘と過ごす時間が続いて欲しい」。母Sさん(49)は願った。起き上がることも、声を出すこともできなくなり、3月末には呼吸の回数が減ってきた。
最期の時が少しずつ近づいていた。だが、両親は「延命はしない」と決めていた。
4月1日。連絡を受け、千葉県から兄も戻ってきた。家族全員がそろった。ベッドは、友人たちから送られた千羽鶴やひまわりの飾りで囲まれていた。
午後2時16分、大きく呼吸をすると、息を引き取った。18歳の誕生日は迎えられなかった。
「お母さん、ちーちゃんをお風呂に入れてあげませんか」。訪問看護師の柿森悦子さん(59)が提案した。体が思うように動かなくなってからは、首までお湯につかっていなかった。「最後ぐらいゆっくりさせてあげたい」
Sさんは、亡くなったC.Y.さんを抱きかかえて風呂に入った。妹は泣きじゃくりながら、姉の髪をシャンプーで洗った。
身ぎれいになったC.Y.さんに、生前お気に入りだったスカートをはかせた。「やせたから細身のブーツやミニスカートがはける」。治療に前向きに取り組んでいたころの姿が目に浮かんだ。
葬儀では、高校の友だちや家族らが一輪ずつ花を添えた。ひつぎに納まるC.Y.さんは、まるで白雪姫のようだった。
その年の5月、母校の小学校に同級生たちがC.Y.さんのことを忘れないように桜の木を植えた。校庭を見渡せる場所に植えられた「桜」は今年3月、初めて花を咲かせた。
(患者さんのお名前は頭文字とさせていただきました。)
写真:校庭の「桜」。初めて花開いた=3月27日
ケース・バイ・ケースですが、延命治療を選択するのが幸せなのか、残りの時間を濃密に生きるのが幸せなのか、私が再発してそういう状態になったらよく考えなければなりません。
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