医師のM.M.さんは2012年4月、脳腫瘍(のうしゅよう)の一種と診断された。当時、東京・O病院の院長で55歳。手術を受けるにあたって、主治医の荏原病院脳神経外科部長、土居浩(どいひろし)さん(61)に「三つの条件」をお願いした。
手術後に以下の三つは絶対に避けたい。(1)言葉を失うこと(2)医師として活動できないこと(3)直接口から食べられないこと――。
「腫瘍は言語中枢に近かったため、どこまで取り除くかが一番の問題でした。手術後にどう生きたいのか。そこを徹底的に話し合いました」と土居さんは話す。
病気が見つかった4月9日は月曜日、入院は3日後の木曜日だった。残された時間は、火、水曜日だけ。松村さんは当時、院長のほかに、日本小児外科学会や地元の世田谷区の医師会の役員を務め、母校の昭和大医学部や薬学部でも教えていた。すべての仕事を、2日で引き継いだ。
〈厚くなった鎧(よろい)を脱いでいくようだった。地位、名誉、責任、外聞や体裁、そんなことはどうでも良くなった〉。M.M.さんはブログで振り返り、こう続けた。
〈実際には愕然(がくぜん)とするほど生活の整理はできてしまうものだった。それも驚くほど短時間に、それほどの労力を使わずに〉〈結局時間が限られてしまうと、大切な連絡を2、3箇所(かしょ)入れるだけで、ほとんどすべての連絡は済んでしまった。つまり、僕らは自分では結構いろんなことをやっているつもりでも、実際には大きな「ご縁の環(わ)」のなかで、人間は小さく細やかに存在しているにすぎないということなのだ〉
手術の2日前、荏原病院の待合室にO病院の幹部が全員集まった。M.M.さんはこんなあいさつをした。「今まで本当にありがとう。お世話になった。ただ、自分は、これがみんなに会える最後になっても全然怖くないんだ」
4月16日、土居さんは「三つの条件」を心にかけて腫瘍を取り除いた。手術は成功した。M.M.さんは麻酔から覚めた直後に「冷たいビールが飲みたい」と言い、2日後には歩けるまで回復した。ただ、言語中枢のそばの腫瘍は完全には取りきれなかった。
M.M.さんは一気に「私生活の幕引き」を始めた。
写真:2012年12月、O病院恒例のキャンドルサービスで看護師らに囲まれるM.M.さん

(お名前は、頭文字表記に変更させていただきました。写真掲載も控えさせていただきました。)
私の場合、発病が発覚して、そこから会社には行きませんでした。運がよかったのは再就職して初めて担当したプロジェクトが現場で動き始めたときだったことです。前段階では準備が色々大変でしたが、現場で動き始めると、動きを観察して、必要に応じてそれにレスポンスするルーチーンの作業になるので、私の同じ部署のメンバーが自分の仕事としてウォッチしてくれる仕組みになっていました。
私は会社に病状をできるだけ正確に伝えていました。闘病が長くなると判断した会社は、病気が発覚して1ヵ月半で後任を置きました。
戻る場所はもうないと少しショックでしたが、会社としては当然の、そして的確、迅速な対応だったと思います。
上記のプロジェクト以外に、過去やってきたこと、やっていることを後任の方に引き継ぎしなければなりません。普通なら大変なのですが、それぞれの業務の節目節目でレポートとして、誰が見ても理解できるような形にして、それを部門の共用フォルダーに残していました。ですので後任の方とメールのやりとりするだけで簡単に引き継ぎができました。病気を想定していてそうしていたわけではありません。私は58歳で再就職しましたが、最短3年で辞めようと思っていました。そのときのことを想定して、逐次レポートにしてました。これが大いに役に立ったということです。ある程度の年齢に達すれば、長期に病気になることも想定して、仕事を「見える化」しておくことが大切なのかもしれません。
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