ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2016/01/27
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カテゴリ: 京都のニュース
2016年 01月26日 京都新聞HP

 平安京の最東端の道だった「 東京極大路 (ひがしきょうごくおおじ)」の変遷が京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査で26日までに分かった。平安時代から小さい道路幅で整備され、鎌倉時代からさらに狭くなったことが分かり、「大路」とは名ばかりの小さな道路だったことが確認された。

 平安京の「大路」の幅は 朱雀大路 (現在の千本通あたり)の 約85メートル をはじめ、 おおむね24メートル以上 の大きな道を指す。文献の「 延喜式 」では、東京極大路も30メートル級の道とされていた。



 道路幅は造営当初は7・7メートル以上あったが、10世紀前半ごろには4・5メートルに縮小されていた。平安京の左京の開発が進んだ10世紀後半には大規模に再造成され、路面幅は拡幅されていたが、8・0メートルと大路としては狭かった。また、鎌倉時代から室町時代には5・5メートルに再度縮小され、平安京の 「小路」(約12メートル) よりも小さい道だった。安土桃山時代には 豊臣秀吉の京都改造 でなくなっている。

 文献では、東京極大路の東側では平安時代中期以降、 藤原道長による法成寺 が建設され、 東京極大路と鴨川の間に「東朱雀大路」 という新しい大路を設けたとされる。また、平安京の西端の「 西京極大路 」も発掘調査では10メートル前後の小さな道と確認されている。都の両端の道路はさほど重視されていなかったようで、埋文研は「大きな東朱雀大路があったことから、東京極大路は『大路』として使われず、あまり大きさは必要なかったのではないか」とみている。

 調査地では「 海老錠( えびじょう)」と呼ばれる錠前も出土した。銅製で全面に鍍金(ときん)が施され、宝相華(ほうそうげ)の美しい文様が彫られていた。仏壇などに付けたとみられ、精巧な作りから、東京極大路の脇には高い身分の貴族の邸宅があったと考えられる。発掘はすでに終了した。

 東京極大路の遺構の写真パネル、海老錠や土器など出土物は上京区の市考古資料館で展示している。2月28日まで。無料。


東京極大路の道路の断面層。石を敷き詰め、土で平らに整地した面が重なって見られた(2014年、京都市中京区)
20160126(平安京).jpg


調査地から出土した銅製の「海老錠」(上京区・市考古資料館)
20160126(平安京2).jpg



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最終更新日  2019/02/17 08:22:40 AMコメント(0) | コメントを書く


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