ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2016/06/12
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テーマ: 京都。(6074)
2016年 6月4日(土)「京都市内全寺社巡り」 山科区10日目の第2回(最終回) です。


◆この日の行程、ルート地図、歩行データを示します。
 この日の出鼻のトラブルも書いてあります。 
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201606040006/


◆この日の訪問スポットのプロット
https://drive.google.com/open?id=1Q58QCLqeGbALUgZhK3dOo0QPpbc&usp=sharing


◆第1回投稿
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201606090001/



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山科区第10日の第2回(最終回) です。

山科盆地の東の小山にある円如上人御廟を訪れた後、西に戻り、三条通りを横断し、旧東海道に入り、西に向かって歩いていきます。

四ノ宮 と呼ばれる地に 徳林庵 があります。


●徳林庵


六地蔵 の一つ 山科地蔵 で有名です。夏の六地蔵の日には賑わいます。去年の夏に家内と六地蔵巡りをしたときに訪れました。

http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201508280009/

臨済宗南禅寺派の寺院。室町時代、天文年間(1532~1555年)に南禅寺の260世住職である雲英正怡(うんえいしょうい)が 仁明天皇 (にんみょうてんのう:第54代天皇)の第四皇子である 人康親王 (さねやすしんのう)の隠棲した故地に親王の菩提を弔う為創建したのが始まりと伝わっています。

この辺りの地名を『四ノ宮』と呼ぶのも、人康親王が第四皇子(四ノ宮)であることにちなんでいます。

人康親王は琵琶の名手といわれ多くの盲人に琵琶を教えていた事から 『琵琶法師の祖神』

その為、徳林庵は『琵琶法師の聖地』とも呼ばれています。

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地蔵堂
山科地蔵(四ノ宮地蔵) が安置されています
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人康親王蝉丸供養塔
 地蔵堂の北東にあります。
 蝉丸は、平安時代前期の歌人であり琵琶法師として知られています。

 いつの間にか同一視されるようになったのではないかとのことです。
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わらべ地蔵
 地蔵堂の裏に六体のかわいらしいわらべ地蔵が安置されています。
 向かって一番右に安置されるお地蔵さんの前掛けをめくると琵琶を持っているらしいです。
 これを書くに当たって色々調べていて知りました。
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井戸・手水舎

 「京都 大阪 名古屋 金澤 奥州 上州 宰領中」と刻まれています。
 「宰領」とは、旅行者や荷物の運搬等の取り締まりのことをいいます。
 井戸水が落ちる水槽の方には、 「定飛脚 宰領中 文政四年巳年六月吉日」 (写真には
 写っていませんが)と書いてあるそうです。

 交通の要所にある立地のためか、文政年間に全国各地の飛脚たちが徳林庵に手水舎と
 瓦を奉納しました。そして奉納物には、写真に写っている「通」マークを入れました。
 どこかで見たマークですね。そう日本通運のロゴマークです。
 ルーツはここの手水舎にあるこの「通」のマークなのです。
 明治時代になり飛脚たちは陸運元会社を設立。内国通運と名称変更した際にこのマーク
 をロゴマークとしました。その後、 日本通運 という会社になりました。

 當所 「松村興三郎」 とあります。當所の意味はよく分かりませんが、松村興三郎は明治から大正に
 かけて「やましな飴」で財をなした人物だそうです。

 ちょうど観光ツアーの一行が来られていて、ガイドの方もこのような説明をされていました。
 今後の向学のために混じって聞かせていただきました。

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●徳林庵横の道標

(右)伏見・六地蔵【道標】

    [東]伏見六ぢざう【以下埋没】
    [南]南無地蔵菩薩【以下埋没】
    [北]元禄十六 癸未【以下埋没】
    [西]施主 沢村氏道【以下埋没「範」か】

(左)人康親王墓【道標】

    [南]人康親王御墓
    [北]大阪皇陵巡拝会

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裏側
 左側の道標に 沢村道範 の名が刻まれています。沢村道範はこの日の第1回でも登場しましたが、
 江戸時代の 資産家で、京都に多くの道標を建てた人物です。

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●十禅寺

  徳林庵横の大きな石碑に従って北上し、京阪京津線を渡ります。
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  本山修験宗、聖護院門跡の末寺。
  平安時代の859年(貞観元年)に 人康親王 が病気によって失明し出家した山荘(山科宮)を
  親王が崩御された後、寺にして聖徳太子(しょうとくたいし)の作と伝わる聖観音像
  (しょうかんのんぞう)を本尊とし親王を開山に創建したといわれています。

  その後、度重なる戦火で荒廃してしまいますが、江戸時代前期に
  江玉真慶(こうぎょくしんぎょう)が再興をし真慶に帰依した
  明正天皇(めいしょうてんのう:第109代天皇)が1655年(明暦元年)に伽藍を
  寄進しました。


  また、天皇が崩御された後遺言によって天皇と父母の位牌が安置され菩提寺勅願所として
  36石の禄と 数々の宝物が下賜されました。


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●人康親王墓
  十禅寺の北東にあります。
  参道の入り口は閉っていたので、参道横の駐車場の奥まで行き、横から撮影しました。
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わずかにお墓の頭が見えます。
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十禅寺に、「弦楽ふるさとマップ」というのが置いてありました。
そこにGoogle Mapに載っていない 「四宮大明神」 が案内されていましたので行ってみることに。

途中、さきほどの観光ツアーの一行が戻ってくるのに会いました。

住宅地の間の細い道の入り口に案内がありました。

P1070926.JPG

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●琵琶琴元祖四宮大明神
  琵琶・琴などの弦楽器の祖として人康親王が祀られています。
  前出の「やましな飴」で財を成した 松村興三郎 が祠を再興したそうです。

 格子戸のある祠には、人康親王の時代の 園城寺(三井寺) 再興者、 智証大師円珍
 慕われ信仰された大峰山修験道の祖として知られる 役行者 の石像が安置されています。
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御足摺水(おあしずりのみず)
  運命を嘆いた親王が、悔しさに地面を足でこするとみるみる泉が湧きだしたといいます。
  東海道線がすぐ奥を走っており、その工事で水が出にくくなったとのことで、今は水が
  溜まっていませんでした。
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御足摺水を示す石柱
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京都石仏 不動明王・大日如来・地蔵尊(右から)

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最近、三井寺が寄進を受け、飛び地境内地として守っていくとことになったとの駒札が立っていました。
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●圓光寺(浄土真宗大谷派)


旧東海道に戻ります。
この圓光寺も十禅寺同様京阪京津線の北にありますが、旧東海道に戻ってもう一度踏切を渡らなけ
ればいけません。 踏切の先には圓光寺しかないので、踏切は圓光寺専用のようです。

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寺名の石柱の裏に、前出の 松村興三郎氏 の名が刻まれていました。
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旧東海道を西に歩きます。

●毘沙門尊天是より北へ八町【道標】

  [北]毘沙門尊天 是ヨリ北江八町
  [南]文政五年壬午三月
    皇都施主 山田又左衛門綏正
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●東海道【道標】

 [南]東海道
 [東]京三条はし迄 一里半
 [西]大津札の辻まで一里半
 [北]為往来安全 三品英造建之
  昭和二十三年十一月日
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道標の後ろには、江戸時代に牛馬車の車輪の幅にあわせて道路に二列に敷設された
凹状の舗石 「車石」 が置かれています。
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旧東海道を西進し、外環状線を横断します。

●旧東海道【道標】
  [北]旧東海道
  [西]平成十二年二月建之
  京都洛東ライオンズクラブ

 ラクト・ショッピングセンターの南側にあります。新しい道標です。
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●明治天皇御遺跡碑

上記の「旧東海道道標」の西にあります。

明治天皇(1852~1912)は,明治元(1868)年9月の東幸,同2年3月の還幸,同11年10月の還幸の途中,毘沙門堂領地内で東海道沿いのこの地にあった 茶店奴茶屋 に駐輦した。奴茶屋は,片岡丑兵衛という勇猛な弓の達人が,街道に出没した盗賊を討ち取り,文安4(1447)年,茶店を建てて旅人を送迎したことにはじまると伝える。以後,茶店,宿場,本陣として利用された。この石標は,明治天皇が立ち寄った奴茶屋を示すものである。なお,奴茶屋は,平成(1994)年に山科駅前再開発に伴い建物を取り壊し移転した。
(「フィールドミュージアム京都」から)
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そばに説明板があり、そこには「奴茶屋」は近くのショッピングセンターRACTO2階に移転したとあります。でも、ネット検索で調べると「閉店」とありました。
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●本願寺山科両別院是より左六町【道標】

京阪山科駅東の踏切の東北にあります。

  [北]本願寺山科両別院 是より←ひだり 六丁
  [西]明治四十二年十二月建之
P1070943.JPG



地下鉄山科駅から帰途に就きました。

山科区第10日は、これで終わりです。



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最終更新日  2019/08/26 10:34:42 AM
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