先祖は越前の国主であった 朝倉義景
。義景は朝倉家の養子。義景は天正元年(1573)8月、 織田信長
との戦いに敗れ自刃。そのとき與三兵衛という者が、義景の息子 又兵衛
と娘を連れて、丹波の 八木の庄
(今の南丹市八木町)に逃げた。丹波の国は、当時、 明知光秀
の所領。光秀は義景に仕えていたこともあり、彼らを客人として迎えた。
又兵衛はそこに居住。八木の地名を姓にしたのであろう、八木姓を名乗ったが八木家初代となる。義景の娘は越前にいたときの約束で、西本願寺に嫁入り。儲けた子が後の 教如聖人
。その後、豊臣秀吉の時代に、又兵衛は山城国葛野郡洛西 壬生村
へ移住し、 壬生郷士
となった。壬生郷士は、武士の身分で壬生の農政を取り仕切った 地方(じかた)役人
。
八木家の家紋は 「三つ盛木瓜(もっこう)」
。朝倉家の家紋でもあります。瓜を輪切りにした断面や鳥の巣を図案化したものといわれ、子孫繁栄を祈る家紋です。
(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)
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