みかんの木を育てる-四季の変化

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はなたちばな3385

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2026年08月01日
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齢76歳にして、一つの旅立ち

私のブログを、これまで見ていたたいている方は、ご存じでしょうが、
私は神奈川県真鶴町岩に1950年に生まれで、1969年の二十歳前から東京生活をしていきますが、
今や齢75歳の年よりです。

この間、もっとうとしてきたのは、3つですが、
1つは真鶴・小田原にかよってのみかん栽培。2つは東京・八王子市鹿島団地でのくらし、
3つ目は、これまで歩んできた全体としての学習ということでした。


これまでのブログをふりかえってみると、とどのつまり、この3点が私などの世界だったと思います。
もちろん、その3点はこれからも引き続き続けていくんですが、今回、私自身の第3の学習について、一つの思いたちがありました。
まな板の鯉じゃないですが、ルソーの『告白』じゃないですが、私などの考察を開陳してみようと

今回は、そうした私などの学習の旅、その第一回目の試みです。


一、自然は歴史的な発展をしている、との考えですが。


エンゲルスが『反デューリング論』(『空想から科学へ』1880年 明治13年刊行)で述べ、
ダーウィンが『種の起原』(1859年 安政6年刊行)で論じた点です。




ところで、私などが、ダーウィンと『種の起原』の名を初めて知ったのは、1968年の高校時代でしてエンゲルスの『空想から科学へ』からでした。

それによってダーウィンの『種の起原』ですが、その書名と進化論を提唱した意義については、おおよそですが知ったわけでしたが。なんたってそれは大著ですし、これまでも今も、本棚で埃をかぶっていた次第です。

ところが、最近のことですが、私などにほこりを、幾分ですが、払うきっかけがありました。それはなにか?

どういうきっかけで、1859年刊行されたダーウィン『種の起原』が問題になったのか。とにかく、ダーウィンの『種の起原』が、意識の問題になりました。

それはマルクスが初めて自らの経済学批判をまとめる頃の、1857年-59年を探ったことがきっかけで。

ダーウィンの名が、いつ頃に初めてエンゲルスの意識に登場したのか。
さらに、マルクスはどの様にキャッチしたのか?
二人の認識にとって、ダーウィンという人が、どのように意識の遡上にのぼったのか、この問題です。

〇1859年12月11日付のエンゲルスの手紙(第29巻)と、〇1860年12月19日付のマルクスの手紙(第30巻)とが、ことのはじめと見て取れます。

自然科学を探求していたエンゲルスですが、刊行されたばかりのダーウィンの本に着目した。エンゲルスは、これにより個々の事物がそれぞれの形で発生するとの「目的論」の考え方が、これにより打ち破られ、自然は歴史的な発展をしてきたということが立証されることになる。このことをマルクスに紹介したんですね。

当時マルクスは、20数年間の経済学批判をまとめようとしている時でした。

そのエンゲルスの手紙から1年後ですが、今度は、1860年12月19日付でマルクスが、エンゲルスにあてた手紙です、この本は「我々の見解のための博物学的な基礎をふくんだ本だ」と評価しています。

こうして、モーガンの原始共産制の世界もそうですが、ダーウィンの進化論も、マルクスたちの世界観の中に評価されるところとなりました。それは、1876年の『反デューリング論』ですが、その第一篇「哲学」の七「自然哲学。生物界」で、整理され、公に紹介されるところとなったわけです。

確認すれば、ダーウィンはビーグル号での航海から1837年に帰って、その時に得た着想(進化論)を、その後、事実的な材料を20年にわたって集めて、そうして『種の起原』(1859年)で刊行した。


私たち現代人は、だいたい、パッパ、パッパと思ったことや感じたことを、ただやたらに述べたてているじゃないですか。しかしそれではダメなんです。ダーウィンの『種の起原』、マルクスの『資本論』が、示しています。そんなことで、事柄自体が持つ必然性を証明することになっていないと。

大事なことは、ダーウィンの苦労、努力ですが、育種の成果だとか個々の事実的な材料を、明暗とも徹底して集めたこと、20年にもわたってあつめたこと。そうした材料をあつめ、まとめたことで、その説(考え)が、それとは独立した客観的な事態の中で妥当していることを示したんですね。ヘーゲルは『論理学』の中で、その事物自体の中にある必然性として説いているようですが。これらは、科学者として素晴らしい努力であり、成果です。

マルクスの1860年12月19日の手紙ですが、エンゲルスからの知らせをうけてから1年後の手紙ですが、ダーウィンの著作は「我々の見解のための博物学的な基礎をふくんだ本だ」と評価しています。

こうした経過の流れの中で、エンゲルスの1876年の『反デューリング論』ですが、その第一篇「哲学」の七に、二人のダーウィンにたいする評価がまとめられたんですね。
これは素晴らしいことですね。

二、しかし、問題なのは、それまですすめられてきていたマルクスの人間社会についての探求です。
それは唯物史観の考え方の確立と、その後20年間続けてきた経済学批判をまとめるとの問題です。



マルクスは1846年に唯物史観を、『ドイツ・イデオロギー』で発表しようとしたんですが、
それを刊行することはできませんでした。

唯物史観そのものを、マルクスがあえて正面から論じたものは少ない。どれもそれを語ってはいるんですが、少ない。おそらく、1846年『ドイツ・イデオロギー』と、1858年『経済学批判』の「序言」、『資本論』の序文くらいじゃないでしょうか。

唯物史観は、歴史社会に対する見方ですから、『反デューリング論』(『空想から科学へ』)をはじめ、その思想を表現しているものにはいろいろあります。
エンゲルスだって、1883年にマルクスが亡くなって、そのマルクスの業績の最大ポイントとして唯物史観と剰余価値論をあげて、『共産党宣言』の序文や「共産主義者同盟の歴史」など様々な文章で、様々に紹介しているわけです。

それは枕詞のように当たり前のようになっていますが、問題はその内容です。
唯物史観の内容をどうつかみ、その方法をどのように生かすのか、この問題は簡単ではありません。
唯物史観の内容は、ただ定式(ことば)を暗記すればよいといったものではありません。
生きた精神をつかむ、行動の指針として生かす、それは簡単なことではありません。

その唯物史観は経済学批判における基礎としての意義、その労働者の革命運動において持つ意義など、マルクスの死後にも、理論と実践で問われているわけです。

私などは、マルクスの死後、この問題を、唯物史観の内容と意義の問題を取り上げたものとして、レーニンの『人民の友とはなにか』があるとおもいます。
これは1894年の著作だそうですから、当時は24歳、その時にサークルに報告したものをまとめたものだそうです。
レーニンについては、ソ連邦の崩壊後に、様々な議論にありますから、私などはその一つ一つについてはリアルにみるとして、しかし全体としてはマルクス主義を守り発展させようとした、その一生懸命な努力というのは、人間として素晴らしい人だと思っています。その基本評価はいささかも変わりません。

三、今回、どうしてこうした自己学習を紹介する気になったのか、ですが。
共産党の志位和夫さんが、
『Q&A いま『資本論』が面白い』(2025年8月)に刊行されたじゃないですが。



この志位さんの「赤本」は、日本のマルクス主義の歴史において、大きな功績だと思っています。
マルクスの『資本論』というのは、日本の学術界では、しばらくの期間、世間から忘れさせられていたと思うんです。
そのマルクス『資本論』第一巻の搾取論を、現代にわかりやすく引き寄せてくれたのが「赤本」で、これは傑作な本だと思うんですよ。斎藤幸平氏『人新世の資本論』もそうですが、現代社会の的を探るヒントを提起してくれていると思うんです。

私などは、遠くなった学生時代に苦労したことが、そうした当時のことが、あらためて「赤本」で思い出されます。そこには、たしかな真理を持っているんです。
しかし果たした成果というのは、私などが思うのにごくいち部分なんです。

問題は、私などの探求は、まったくの道半ばにおかれていて、求められる努力はこれからだことです。
そんなことを感じて、かつてからの学習を今に思い返して、
この問題だらけの日本社会に、いまこそ再び、努力を尽くさなければならないと思っている次第です。

今は、かつての時代とは違って、その後新たに出てきている問題もあります。しかしまったくの目新しさではありません。世界が動いています。そのなかで、この間努力してきた自己の力を、さらに高めるということでもあります。


ふりかえれば、マルクスは1846年に唯物史観を意識化したのち、『共産党宣言』をはじめとする探求を進め、経済学批判を進めてきた。
この1859年の『経済学批判』ですが、その1844年以来の努力の成果のまとめです。
この『経済学批判』(1857⁻59年)は、1844年から20年間の経済学批判の探求をまとめようとしているわけです。この文庫本に添えられている33通の手紙、そしてエンゲルスの名になってますがマルクス自身が書いている二つの書評、さらに「序説」と、赤本というのは入口なわけです。
その努力を、ちょこっとした努力で知ったなんて気になるのは、それはおこがましいことじゃないですか。それは昔も今もたいへんな努力が求められている。
それを思うと、まったくの苦労知らずの、「せこさ」といったことを感じます。


わたしなどは、『資本論』の基礎にある哲学、方法というものを、今に生きて問われている方法を学ぶ。どのようにしてか。
それを、私自身の認識において、もっとより明確にして、東京の片隅でも、荒廃の広がるみかん園でも、諸般の事態のもとで、その改善のために、人として努力を探り、尽くすことだと思ってます。
それが課題だと思っている次第です。






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Last updated  2026年08月02日 14時03分13秒
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