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2026.08.13
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 赤来がにこやかに立っていた。

 如何にも大変な時に頑張っている部下を労うような振る舞いで。

 柔らかい声に、整った立ち姿に、今度ははっきりと読み取ることができた。

 あのトイレでの声。

 あのDVDでライトを点けるよう支持した腕の動き。

 阿倍野が体調を崩したそうだ。急病で休んだと言うことだが、流産したのだと噂が流れている。相手が誰か考えるなら、その流産も偶然ではないと察しがつく。

 まじまじと眺めた。

 この男が、そうなのか。

 もちろん、そうでしかない、この息詰まるような『赤』は、他の誰かではあり得ない。

 ようやく見つけた相手が、こんなに近くに立っている。多くの人を苦しめ躓かせ、人生を変えるほど叩きのめしておきながら、同僚とのささやかな情事を楽しむだけの、そこそこ評判のいい上司として、平穏無事に仕事を続けている。

「…はい」

 顔が熱くなった。

 まだだ、まだ攻撃できない。準備が足りない、今のままでは逃してしまう。

「お祝いしなくちゃね……何かおいしいものを奢ろうか」

「そんな」

「いいじゃないか、なんなら、真崎くんと一緒にどうかな?」

 片目をつぶって微笑まれ、気がついた。

 これはおかしい。

 桜木通販が『お祝い』できるような状況ではないことを『赤来課長』はわかっているはずだ。真崎が次期社長になることは告知された。美並が補佐に入ることも報告されたかもしれない。その二人が結ばれることになった、それでもこの状況では、諸手を挙げて喜べないとわかっているはずだ。

 なのに赤来は祝おうと言った。

 違う。

 これは『羽鳥』だ。

 目の前に居るのは、意識的か無意識的かは知らないが、赤来豊ではなく『羽折豊』なのだ。だから、赤来なら心配そうに振る舞いつつ話しかけるところが抜け落ちた。

 同時に理解する。

 『羽鳥』は自分の正体がまだ誰にも知られていないと思っている。ましてや、目の前に居る美並が『羽鳥』を見つけているはずがないと思っている。何の証拠も残さず、自分に繋がる道はことごとく切り捨てて来たはずなのだから。

 なのに美並に近づいてきた。

 理由は、なんだ?

「では…今度……課長に伝えておきますね」

「よろしく」

 嬉しそうに笑い返しながら、手元に用意していたものを準備する。

 もしそうならば。

「はい…楽しみにします、赤来課長」

 ぺこりと頭を下げた拍子に、ファイルを落とした。どこにでもあるクリアファイル、如何にも資料が紛れ込んでいたのが、たまたま落ちたという感じで。するりと滑って赤来の足元へ飛ぶ。

「あ」

「ん……」

 拾いかけた赤来がふいにぴたりと動きを止めた。手を伸ばしたまま動かなくなり、やがてすうっと目を上げる。一緒にかがんで手を伸ばそうとした美並を正面から見る。

「伊吹さん?」

「はい?」

 何でしょう。

 尋ねられたから返答した。そんな顔で赤来を見返す。

「このファイルさ」

「はい」

「何か入ってた?」

「いえ?」

 赤来が目を細める。

「新品か」

「はいそうですね?」

 訝しく首を傾げて見せる。

「それが何か?」

「……いや、知ってるのかな」

「何をでしょう」

 どきりと打った鼓動が痛いが想定内だ。

「ご入用ならもう一枚持ってますから、お分けしましょうか?」

 体を起こし、赤来が拾わなかったファイルを拾い、印刷機に振り向く。正体がバレていないと思っているなら、今ここで攻撃に出ることはない。落ち着いてもう一枚ファイルを抜き出し、少しの沈黙の後に続いたことばに確証を得た。

「……実はさ、そういうクリアファイル」

 背中から呼びかけて来る穏やかな声。

「指紋を取るのにちょうどいいんだ」

「はあ…そうですか」

 ああ、良かった。

 安堵と確信が広がる。

 この人は敵だ。

 この人が『羽鳥』だ。

 くるりと振り向き、本心から笑み綻んだ。

「はい、これも新品ですよ、どうぞ」

「…ありがとう」

 赤来が受け取る。きっとこのクリアファイルは家にしまいこまれるか、それともどこかに廃棄されるのだろう。

「仕事熱心だね、伊吹さん」

 じゃあまたね。

 唇の端を上げた赤来が離れていきながら、思いついたように振り返る。

「ほんと、付き合ってよ、『お祝い』」

「はい、是非」

「頼むよ」

 くすっと笑って、赤来は階段を降りて行った。

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Last updated  2026.08.13 00:00:10
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