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おはようございます。曇っていますが、気持ちがいいですね。仕事がある人もない人も週末をゆっくりお過ごし下さい。とは言っても、今日から12月に入り、師匠も走る「師走」。忙しいと思いますが、忙しいからこそ、生活をシンプルにして、ゆっくり過ごして下さいね。 「ありがとう」。これは不思議な魅力に満ちた言葉です。どんなに疲れていても、その一言を聞いただけで元気になることができます。 一昨日のことですが、講演をした後で、聴衆の何人かが、「とっても良かったです。ありがとうございました。」という言葉をかけてくれました。その言葉を聞いただけで、疲れは吹き飛び、元気になりました。「ありがとう」には力がありますね。 「ありがとう」という言葉は、通常、何かをして頂いてうれしい時、感謝を表す時に使いますが、「ありがとう」は、良かったことに対してだけではなく、とてもそう思えない時にも使うことができます。 漢字で「ありがとう」は、「有難う」と書きます。つまり、「有る」ことが「難しい」ということです。 めったにないような好意を受けた時、かゆい所に手が届くような心配り、親切などは「有る」ことが「難しい」ことでしょう。 しかし、めったにないような最悪な出来事、とてつもない惨事、珍事。侮辱されたり、ひどい目に合ったり、腹が立つような対応を受けた時。これも「有る」ことが「難しい」です。 「ありがとう」は、良くても悪くて、「有る」ことが「難しい」ことに対して使っていい言葉です。 しかし、後者の悪い方の「ありがとう」は、その相手や状況に対して口にしたら、それを見た人から、「この人どうかしちゃったんじゃないだろうか?」と心配されてしまうでしょう。この時の「ありがとう」は、祈りによって、「有難い」ことを与えて下さった神に対して語って下さい。 ところで、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という小冊子を読んだことがあります。「五日市剛氏」の講演をまとめたものです。五日市さんが大学院生の頃、自分の研究に行き詰まり、人間関係に悩み、現実逃避のために一人でイスラエルを旅行しました。しかし、旅先でもトラブルが続き、飛行機が遅れるし、財布を失くしてしまうし、詐欺に会って所持金のほとんどを失ってしまいました。さらに、大寒波が襲来し、泊まる宿も見つかず、一人つぶやきました。「なぜ俺ばっかりこんな目に遭うんだ!」「俺ほどツイいてない人間はない!」。 そんな時、一人のユダヤ人のおばさんと出会い、親切にも自宅に泊めて頂きました。ツキに見放されていた五日市さんを見たおばさんは、かわいそうに思って、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を教えてくれました。 後日、五日市さんはこの言葉を実際に使うようになりました。そうしたら、次々に幸運なできごとが引き寄せられるようになりました。人間関係の改善。研究の成功。工学博士号取得。一流会社に就職が決まり、さらによい会社からヘッドハントされ転職し、世界的な発明をし、理想の女性と結婚をし、まさに、いいことずくめです。かつての五日市さんの面影もありません。 五日市さんの人生と運命を変えた「ツキを呼ぶ魔法の言葉」とは何でしょう? それは、「ありがとう」と「感謝します」と「ツイてる」の3つです。 嫌なことがあったら「ありがとう」。うれしいことがあったら「感謝します」。そして、口ぐせのように「ツイてる」と言います。難しくないですね。 人生は、だいたいうれしいことか?うれしくないことか?のどちらかです。うれしかったら「感謝します」。うれしくなかったら「ありがとう」と言うだけです。そして、どんな時にも、「私はツイてるなー」と言えばいいのです。 五日市さんに「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を教えたユダヤ人のおばさんは、ユダヤ教徒ですから聖書を信じています。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、実は聖書の言葉なのです。 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ5:16~18) また、「ツイてる」も聖書にあります。 「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩編1:2~3) 「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」(詩編23:6) 「ツイてる」と信じたら、自然に口からもその言葉が出て来るものです。しかし、今は信じられなくても、いつも口にしていたら、段々、「私はツイてるかも知れない」⇒「私はツイてる」と信じられるようになり、やがて現実も、信じた通りになって行きます。 イエス・キリストは、「あなたの信じたとおりになるように。」(マタイの福音書8:13)と言われました。 聖書は、さらに「ツイてる」と語ります。 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28:20) 「いつも、あなたがたとともにいます。」⇒「神は私にツイていて下さる」のです。こんな素晴らしい人生がツイてないはずはありません。ツイて ツイて ツキまわる人生です。 神が一緒にいて下さるなら、「マイナスはプラス」に、「ピンチはチャンス」に変えられます。だから、有難い、嫌なことがあっても「ありがとう」と言えるのです。 最後に、創世記に出て来るヨセフの物語をお話します。 うぬぼれの強かったヨセフは、兄弟たちにねたまれ、嫌われて、半殺しの目に会い、エジプトに奴隷として売り飛ばされました。ヨセフは主人に気に入られるが、主人の奥さんから誘惑され、それを断ったヨセフは奥さんから濡れ衣を着せられて牢屋に入れられました。牢屋の中で他の囚人の夢を解き明かし、ある日、エジプトの王様の夢を解き明かしたことがきっかけで、ヨセフは牢屋から出してもらっただけではなく、エジプトNO.2の地位である総理大臣になりました。ある日、自分を半殺しにし、エジプトに奴隷として売り渡した兄弟たちが、ヨセフが総理大臣とは知らずに陳情に来ました。ヨセフは自分の身分を明かし、恐れた兄弟たちにこう言いました。 ヨセフは彼に言った。『恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。』」(創世記50:19~20) みなさんも「ありがとう」と感謝の人生を歩んで行きましょう。神はいつも共に(ツイて)いて下さるのです。これが「ツキを呼ぶ魔法の言葉」なのです。ありがとうがあなたを幸せにします。 良い週末でありますようにお祈りいたします。今日もありがとうございます。
2012年11月30日
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おはようございます。朝晩が冷え込む季節になりました。もう真冬は目の前。真冬と言えば白銀のゲレンデを思い浮かべます。かつて冬が大の苦手で、冬嫌いでしたが、スキー、スノーボードの面白さを知ってからは、一気に逆転して、うだるような暑さ続きの夏が嫌いになり、冬が一番好きな季節になりました。 逆転するというのは、世界が正反対になることです。昼と夜が逆転してしまった人は、夜起きて、昼に寝る生活です。逆転満塁ホームランは、今まで負けていたのに、一気に形成が変わって勝利することです。 ところで、「義〈ギ〉」という字は、「義〈タダ〉しい」とも読みます。ただ、常用漢字ではないので、パソコンや携帯の変換では出て来ませんし、辞書にも載っていないかも知れません。 数日前に、「正しい」という字は、「一」に「止まる」と書くというお話をしました。「一」の下に「止まる」生き方こそが「正しさ」のようです。 一つは、あれもこれもではなく、一つに徹すること。 もう一つは、「一」すなわち、「唯一の神」の「下」に入り、留まり、直結する生き方こそが正しさという意味です。 今日の「義しい」は、「羊」の下に「我」が入る生き方です。 「羊」とは何でしょうか? 「羊」は、全人類を贖うイエス・キリスト=神の子羊を指します。 「義しさ」とは、人と人を比較して、「この人よりこちらの人の方が義しい」という次元のものではなく、私を造られた神、私の救い主である「神(神の子羊)」の下に、「我」が入る生き方のようです。 これは、逆転であり、主客の転倒です。 人は、自分を人生の決定者の地位においています。これは当たり前のことですが、最初に人類が神に創造された時には、神より少し低く造られ、神が人生の決定者でした。しかし、悪魔の誘惑によって、神を捨てて、悪魔に従い、自分を神の地位におきました。これが罪の始まりです。 福沢諭吉の「学問のすゝめ」の中に、「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずと言えり」という言葉があります。「学問のあるなしが人を二分しているのだから、学問は大切だよ。学問をしなさい」とすゝめた言葉です。学問が貧富の差や、様々な格差を生んでいることは事実だと思います。しかし、人は、どこまで行っても人です。違いはあっても、上下や優劣はありません。上下や優劣があるとしたら、神と人間の関係です。 神以外を崇めたり、教祖を称えたり、目に見える木や石で作ったものに手を合わせるのではなく、私たちを造られた神を神とし、その下に入って生きる生き方こそ、義しさであると、「義」という字は表しています。これが、人間の本来の姿だと言わんばかりです。 これからは、自分が一番の生き方から、神に仕え、神と共に歩む人生を歩み始めてみませんか? ある人は、その歩みを継続し、ある人は、新たに決断をして、生まれ変わるるとしたら、ここに真の維新がはじまるのです。 政治は重要です。民・自・公の第一極や第二極が政権を取るのか、維新の会・未来の党を中心とする第三極がどこまで議席数を増やしてくるのか、あるいは政権を取れるのか? フタを開けてみなければわからないし、今、とても熾烈な選挙戦が繰り広げられています。国政選挙の行方が、憲法改正、原発、TPP、消費税などの今後の行方が変わります。さらに、重要なのは衆議院総選挙だけではなく、都知事選挙も重要です。 しかし、根本的には、どこが政権を取り、誰が総理になっても、誰が都知事になっても、この国に平成維新・日本維新をもたらし、真の復興をさせることは難しいと感じます。今の日本を変える力は神にこそあります。人間は器であり、道具です。そこに神が働いて下さらなければ、小手先で終わってしまいます。 私は、日本の国民がイエス様に一票を入れることこそが、真の平成維新、日本維新を起こすことにつながると確信します。 イエス様に一票を入れるというのは、人を頼ったり、偶像を拝むことを選ばないで、創造者であり、救い主であるイエス・キリストを信じます、という決断です。選挙に比例と小選挙区は別として、一人に二票が与えられていないように、誰を自分の神とするのか? これは、いつか決断しなければならないことです。 どうぞ、神様に、ふさわしいリーダー、代議士・首長が選ばれますように、と共に祈って行きましょう。 祈るとは、「羊」の下に「我」が入って、「羊」と一体になって、直結することです。これが義しさであり、本来の人間の姿です。 そして、あなたと私の祈りが、日本の未来を変え、未来をつくって行きます。 今日も良い一日でありますようにお祈りをいたします。毎日ありがとうございます。
2012年11月29日
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ストレスが溜まると病気になりやすいそうです。心がストレスを感じ続けると、交感神経と副交感神経のバランスを崩れて、自律神経が失調し、体の免疫が低下し、病気になりやすい状態になります。 ストレスという言葉は、1936年にカナダの生理学者ハンス・セリエ博士(Hans Selye, 19xxx-xxx-xxxxx)によって初めて使われました。これはもともと物理学の言葉でしたが、後日、生物学の世界で一般的に使われるようになりました。 物理学で使われた時には、金属に対して、歪むような形での力が加えられ続けると、金属疲労を起こし、やがて折れてしまうということですが、もし、金属でさえ壊れてしまうとしたら、私たちの体はなおさら壊れてしまうのではないでしょうか。 ストレスを解消する秘訣はたくさん語られていると思いますが、一番強力な方法は笑うことだと思います。これは、ある医学博士も、笑いの効能が医学的に証明されていると語っている話を本で読んだことがあります。 笑うと、交感神経と副交感神経のバランスが良くなり、免疫が強化され、ストレスを跳ね飛ばします。 ストレスの多い社会の中で、ストレスを感じないで生きることは難しいでしょう。また、ストレスのない状態がいいとは限らないと思います。地球に重力が働いているように、適度なストレスは必要です。 ストレスを感じる人への朗報があります。それは、神を信じて、笑うことです。なぜ神を信じたら笑えるのでしょうか? これは、「なるようになる」という意味の「ケセラセラ」(Que sera sera/ケ・セラ・セラ)とは違います。心からの安心から出て来る笑いです。 200Kgのバーベルを持ち上げられる人に取って20Kgのバーベルを持ち上げることはわけありません。 神はキリストを通して、人類最大の問題である死を討ち滅ぼして下さいました。最大の問題が解決されているということは、それより小さい、日常の雑多な諸問題は200Kgに対する20Kgのようなもので、もっと簡単に解決されるはずだからです。 だからバイブルは、「いつも主にあって喜びなさい」(ピリピ人への手紙4章4節)と語ります。 みなさんは最近大笑いをしましたか? 私は毎日たくさん笑います。しかし、それでもすごいストレスをたくさん感じます。もし私から笑いを取ってしまったとしたら、とっくにうつ病などの精神的な病気になってしまっていただろうと思います。笑っていると、いつの間にか嫌なことを忘れています。 これは、お酒やタバコや、法に触れますが、覚せい剤などを使って、一時的に気分を紛らわすのとは違います。二日酔いをしたり、効能が切れてきてイライラすることもありません。笑いは、心の奥底から掃除してくれます。 笑いは、無理に笑っても効果がはあると思いますが、ポイントは、心から笑うことです。それは、前述のように、人生最大の問題が解決していますので、「今は問題があっても、やがて解決する!」あるいは、「今のマイナスの出来事は、やがてプラスの出来事に変わる!」そう信じたら、深刻になりようがありません。 私が深刻になるのは、この問題解決の秘訣がそれを必要としている人に伝わってないことに対してだけです。もちろん、その秘訣を知った上で、「興味がない!」と言われるなら仕方ありません。でも、知らないままでいてもらいたくないと思います。 もし仮に、不治の病の特効薬があり、不治の病にかかってる人がいるとします。その人の目の前に特効薬は置かれていますが、特効薬が自分の病気に効くとは知らされていません。それでは、目の前に薬はあっても、何の役にも立ちません。知ったら飲むでしょうし、あるいは、飲まない人もいるかも知れませんが、特効薬の存在を知らないということは悲劇です。 イエス・キリストが救い主であるかどうかを多くの日本の人が知りません。それを「単なる外国の宗教」と括ってしまって終わっています。私は一度いいから、このイエス・キリストと対面し、イエスを知ってもらいたいです。その上で、「私は興味がない!」というのはその人の自由です。しかし、「知らなかった!もっと早く知りたかった!」と言って信じる人がたくさんいます。 昔こんなコマーシャルがありました。「あなたにもチェルシーあげたい」。私は、「あなたにもイエスをあげたい」と思います。 どうぞ、ストレスは金属さえ壊してしまいます。ストレスを溜めない。ストレスを解消し、ストレスを味方に付けるような毎日をすごせたらいいですね。 いつもありがとうございます。週の後半も笑って楽しく過ごして下さい。
2012年11月28日
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2012年11月27日
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おはようございます。昨日は雨でしたが、今日は晴れて気持ちがいいですね。私は、雨も好きですが、晴れはもっと好きです。今日も素晴らしい一日でありますように。 人生を生きていると、思い通りに行かないことがあるものです。しかも、そういう時に限って悪循環が続きます。 私は昨日、悪循環の落とし穴にはまりそうでした。 午前中、集会の奉仕をするために楽器を車に積んで出かけました。外はしとしと雨が降っていますので、気分は若干斜めでした。車を運転していると、いきなりタクシーが無謀な運転で割り込んで来ました。その運転マナーの悪さは、おおよそプロのドライバーとは思えないもので頭に血が上ってしまいました。怒鳴りたい衝動にかられましたが、信号無視して逃げられてしまいました。 気が立っていると、あれもこれも気になります。さらに頭に血が上りそうになりましたが、しかし、イライラした気分で集会で歌を歌ったり、楽器を演奏することはできないので、とにかく気持ちを押さえることにしました。 集会がはじまる40分前に現地に着きました。すぐにコインパーキングに入れてもいいですが、100円や200円高くなってしまうので、ギリギリまで駐車場の近くに車を停めて時間まで音楽を聴きながら待っていました。15分前になり、「さあ入れよう!」と思ったら、目の前で、さーっと軽自動車が一足先に最後の一台のスペースに車を入れてしまいました。そのパーキングは特別に安いところですし、今車を入れようと思ったところだったので、また頭に血が上りました。 しかし、このまま高い駐車場に入れるのも納得が行かないので、狭いけれど安いパーキングを見つけて、そこに何とか駐車して、いい気持ちで集会の音楽奉仕をしました。ハレルヤ! それで終わったらいい一日ですが・・・。 さあ、いよいよ帰ろうと思ったら、他の車の停め方が悪いので、私の車が身動きできない状況になっていました。外は大雨、車は動けない。そんな状況の中、何度も切り返して車を少しづつ動かして、やっと出れそうだと思ったら、何と、車の側面を塀にこすってしまいました。これは相当ショックでした。 私は深呼吸して、冷静になるために車を停めてお祈りをしました。この気持ちのままで車を運転していたら、イライラして事故を起こしてしまうかも知れませんし、何か悪循環が待っているような気がしましたので、しばらく立ち止まることにしました。 しばらくしたら、お腹が空いて来たので、車をラーメン屋さんに停めて、入りました。その時、さっきこすった場所をチラッと見たら、かなり派手に傷が入っていて、またショックがよみがって来ました。でも、ラーメン食べることに集中しました。次に、雨も降ってることだし、まだ夕方なので、近くの温水プールに行くことにしました。そこで、たっぷり三時間泳ぎました。泳いでいるうちに、気分が落ち着いて来て、段々冷静さを取り戻して行きました。 みなさんがもし、このように腹が立つようなことが立て続けに起こったり、冷静さを失い、悪循環が続きそうな時には、そのまま行動し続けるのではなく、ちょっと立ち止まることをお薦めします。そして、時間が許されれば、気分転換のために何か違うことをしたり、おいしいものを食べたたり、誰かに電話をしたりして、冷静さを取り戻し、楽しい気分になるまで違うことをすることをお薦めします。 私は、お祈りし、ラーメンを食べ、水泳をしたことで完全に気分を切り替えることができました。 次に、冷静さを取り戻せたら、起こったできごとを回想してみるといいと思います。 私は、朝のマナーの悪いタクシー運転手のこと、目の前でコインパーキングの最後の一台のスペースを停められてしまったこと、安い狭いパーキングに入れたら、下手な運転手の駐車の仕方が悪くて、車を出せなくなって、無理に出そうとしたら、塀にこすってしまったことを思い起こしていました。 タクシー運手はプロドライバーのはずだけど、プロドライバーでも、いつも安全運転をするとは限らない。もちろん、一言言ってやりたかったけど、私が言わなくても、あんな運転をしていたらきっと痛い目に合うはず。私がそこまで過剰に反応しなくても良かった。何より、その車とぶつからなくて良かった。 集会がはじまる40分前に現地に到着できて良かった。本当は、100円~200円をケチらず、すぐに駐車場に停めれば良かったし、少しくらい高くても、広い駐車場に停めても良かった。また、狭いけど安い駐車場に停めることができて良かった。ただ、車を出す時に、出すことが難しかったら、無理しないで、しばらく待っていたら良かった。 大切にしている車に傷がついてしまってショックだった。私自身、大型二種まで免許を持っているし、プロドライバーという自覚があるので、こんな初歩的な運転ミスを犯してしまってプライドがボロボロでした。しかし、車は傷ついたけれど、自分の体が怪我したわけではないし、人に怪我をさせてしまったわけでもないし、他の車にぶつけてしまったわけでもない。塀には傷がついていない。ただ自分の車に傷ついてしまっただけだ。少しお金がかかるかも知れないけれど、板金修理をしたり、同じ車の廃車を探して、部品を外して、傷ついたところと交換すればいいじゃないか。 帰り道は、「色々気分を悪くした一日だったけど、車が傷ついたことだけで済んだことを感謝しよう。」「今度からは細心の注意をして車を運転しよう」と新たに決意し、ゆったりした気分で家路に着きました。 物事が思い通りに進む時、気分は最高ですし、ずっとこの状況が続いてほしいと考えます。順境の時は大いに喜び、感謝をしたらいいですね。しかし、そういう時はあまり深く物事を考えていないし、あまり学んでいないものです。 物事が思い通りに進まない時、気分は最悪だし、下手すると二度あることは三度あるで、悪循環が続きます。しかし、そういう時こそ、色々なことを考え、学べます。反省したり、新たな決意をしたり、方向転換することもあります。また、人の痛みを感じられ、優しい心を持てるようになります。 「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。」(伝道の書7:14) 人生は、思い通りに行っても、思い通りに行かなくても、どれも素晴らしいものです。「順境の日には楽しみ、逆境の日には考え」ながら、一日一日を大切に、一生懸命に生きて行きたいですね。 今日は、区民健康センターで総合検診と癌検査をします。普段は、健康に関してあまり心配はしませんが、1年に一度、念のために検査をします。家族と共に、また、みなさんと共に、健康で長生きをして、幸せな一生を送りながら、幸せを出会う人と分かち合い、幸せの共生共存ができる社会を作って行きたいです。 今日もありがとうございます。そして、いつもありがとうございます。素敵な一日でありますように。感謝を込めて。
2012年11月26日
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おはようございます。新しい一週間も最高に幸せな一日一日を歩んで下さい。 あなたは、自分の生活、仕事、人間関係、家庭環境等について幸せであると感じているでしょうか? もし不幸を感じているとしても大丈夫、幸せになりたいと思っているなら、必ず幸せになれます。 今の状況は、ほとんどの場合、偶然ではありません。自尊心やセルフイメージに応じて、それにふさわしい人間関係や状況を引き寄せています。(これは、無意識の領域なので、意識していることとかけ離れている場合もあります。) 健全な自尊心やセルフイメージを持っている人は、他人からの敬意、協力、友情などを期待し、おおむねそういうものが得られますが、自尊心が乏しくセルフイメージの低い人は、居心地の悪い不快な状況にしばしば巻き込まれ、けなし合う人間関係になってしまうことも少なくありません。 キリストは、「あなたの信じた通り、あなたになる。」と語られましたが、健全な自尊心とは、神の目に映る自分と同じように、自分を信じ、尊敬し、愛することです。 セルフイメージとは、自分に対してどう思うか?ということですが、神が私たちを好きであるように、自分を好きになることです。 しかし、自分を好きになれない原因があります。それは罪です。 神に背を向け、神から離れた状態を罪と言います。そして、神に向きを変えることを悔い改めるといいます。 クリスマスは、救い主であるキリストが生まれたことをお祝いする時です。この方は、あなた罪の身代わりに十字架で死に、墓に葬られ、三日目によみがえりました。信じるだけで罪が赦され、神の子となり、永遠の命が与えられます。 幸せな人生を生きるためには、神に心の向きを変え、キリストを信じ、神の目に映る健全な自尊心と高いセルフイメージを持つことに意識を集中して下さい。そうしたら、「私は幸せになっていい」⇒「幸せになるに値する」⇒「幸せになれる」と心から確信できるようになり、そうなったらもう簡単。気がついたら自然に幸せになっています。 運命とは決して変えられないものではありません。運命とは、イエス・キリストが語られた通り、「あなたが信じた通りに」あなたになります。それこそ、神があなたに願っておられることであり、あなたのために持っている計画でなのです。なぜならば、あなたは幸せになるためにこの世に生まれて来た人だからです。 さあ、「私は幸せになるに値しない」という考えを捨て去って、幸せな一日一日をご一緒に歩んで参りましょう。あなたは幸せになるために、この世に誕生した人なのです。11月も下旬になり、クリスマスまで一ヶ月になりました。今年のクリスマスは、あなたに幸せを与えるためにこの世に来られたイエス・キリストの誕生をお祝いしたいですね。 新しい週も、あなたの幸せに向けて一歩踏み出して行きましょう。God bless you!
2012年11月25日
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おはようございます。朝から晴れて気持ちがいいですね。連休最後の日になりました。日曜日、共に神さまに目を向け、礼拝をしませんか? 今日も良い一日でありますように。 今日も、日曜日恒例のジョークから 「ママ。どうしてこんなに白髪があるの?」「あなたがいたずらするたびに一本ずつ白くなったのよ」 「じゃあ、ママもたくさん、いたずらしたのね。だっておばあちゃんの髪、まっ白じゃない」 「パパはどうして髪の毛がないの?」 「いろんなことを深く考えるからだよ」 「じゃあ、ママはあまり考えていないんだね」 このお母さんは、教育的な意味で、「いたずらをしない子どもになってほしい!」という願いから言ったことが、その思いが伝わらなかったばかりか、かえって裏目に出てしまったのでしょうね。 重要なことは、遠回しに言うよりも、愛を込めて、ストレートに伝えるのがいいのだと思いますね。 聖書が語る重要なことは、 1、神がおられる。 2、神が天地万物と人類を創造された。 3、人類の祖先アダムとエバは、悪魔にそそのかされて罪を犯した。 4、罪の結果、人類は神から離れ、のろわれ、死ぬべき存在となった。 5、神は義と愛の性質を持たれ、義のゆえに罪を裁かれる。しかし、愛のゆえに、人類の救いのために、一人子イエス・キリストをこの地上に送られた。 6、イエス・キリストは、全人類と私の罪を贖うために、十字架に掛かり、死んで葬られ、三日目によみがえり、救いの道を完成させた。 7、この事実を信じるなら救われる。信じさない。 8、この知らせを全世界に伝えなさい。 9、イエス・キリストはまもなく来られ、この世界には終わりがあり、新天新地が造られる。 その中で特に大切なことは、6番の福音です。 「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」(第一コリント15章3節~4節) 「私の罪のためにイエス・キリストが十字架で死なれた」 「死んだ後に墓に葬られた」 「三日目によみがえられた」 この三要素を信じるだけで、完全で失うことがない、永遠の救いが与えられます。 多くの人は、キリスト教の中からイエス・キリストを除いてうまく利用しています。キリスト教式の結婚式、ゴスペル、ミッションスクールなど。キリスト教がもたらした素晴らしい影響力は計り知れません。しかし、どれもこれも、イエス・キリストがおられるから与えられたものです。そこからイエス・キリストを除外してしまったら、何が残るでしょうか? 形骸化したものに過ぎません。 イエス・キリストがおられるならば、これからも、今まで以上に素晴らしいものが出て来ます。 みなさんの環境に、みなさんの家庭に、そして、みなさん自身の中にイエス・キリストを迎え入れませんか? イエス・キリストを迎え入れるならば、あなたは生まれ変わり、救われ、神の子となり、永遠の命を得て、祝福と幸福に満ちた人生を歩み始めることができます。 イエス・キリストは、神がクリスマスに、全人類に与えられたプレゼントです。プレゼントを修行したり、お布施をしたり、善人になることで受け取るのではありません。今のままのあなたが、「ありがとうございます」と受け取るのです。 どうぞ受け取って下さい。そして、次の祈りを捧げて下さい。 「神様、私を愛して下さり感謝致します。私は罪人です。私の罪のために、イエス・キリストが十字架に掛かり、死んで墓に葬られ、三日目によみがえられたと信じます。今、イエス。キリストを、私の罪からの救い主、人生の主として心の中心にお迎え致します。私を救って下さり感謝致します。イエス・キリストのお名前によりお祈りします。アーメン」 この祈りを、本音で捧げた方は、今新しく生まれ変わり、救われ、神の子となりました。おめでとうございます。 今日は日曜日です。今日イエス・キリストをはじめて信じた人も、クリスチャンの諸先輩方も、みんな教会に集まって共に主を礼拝しましょう。 1、「新宿福興教会」に歓迎致します。 http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 2、地域を教えて頂ければ、みなさんの地域の教会を紹介致します。 3、インターネットで教会の礼拝を生中継と録画放送致します。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のYouTubeのURLをお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年11月24日
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おはようございます。曇りの気持ちのいい朝です。連休二日目ですが、今日はどんなご予定ですか?(連休じゃない人はごめんなさい) 一日のはじめに文章を通し心通わすことができることを感謝しています。今日もどうぞよろしくお願いします。 最近、どうも満足感がない、イライラすることが多いなどということはありませんか?その原因の一つが完全癖かも知れません。 完全癖を持った人が、人生を満足して生きている姿を見たことがありません。それは、完全を求めても、キリのない世界であり、らっきょの皮むきと同じようなものです。 いつも「まだダメ!」「まだダメ!」と、現状を否定して、理想だけを追求しても、敗北感だけしか与えてくれないものです。いつも欠点をほじくりだして、無理やりなおそうとしても、不満とイライラしか出て来ません。 例えば、散らかった部屋、車の引っかき傷、自分の容姿、仕事の出来、また、他人の欠点に対して、生き様、言動、センスと、悪いところばかり見ていると、人に優しくし、愛するという大きな目標を見失ってしまうことになります。 だからといってベストを尽くさない訳ではありません。人生の悪い部分ばかりに捕らわれ過ぎないこと。完全癖にならないことです。 もっと今を楽しみ、感謝し、自分の失敗をも笑い飛ばせる心のゆとりを持って、よい部分を伸ばして行ったらどうでしょう。このように生きていたら、人生が楽しいですし、満足ですし、人に対しても寛容になれますし、自分の能力が最大限発揮されますので、完全癖を持ってる人以上に優れた生き方が出来るはずです。 どうぞ、完全癖を捨て去って、ベストを尽くした自分をほめてあげて下さい。今の現状をあるがままを受け入れる心を持ってみて下さい。そうしたら、人生が今より100倍楽しく、充実し、輝いてくるはずです。 「心に楽しみのある人には毎日が宴会である。」(バイブル 箴言15:15) 「For the despondent, every day brings trouble; for the happy heart, life is a continual feast.」(Proverbs15:15)
2012年11月23日
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おはようございます。今日から三連休の方々も多いのではないかと思います。朝から雨でしっとりしていますが、素敵な一日、素敵な三連休、素敵な週末でありますようにお祈りいたします。 人には、誰かに打ち明けたいけれど、なかなか言えない悩みがあるものです。そうじゃないでしょうか? 自殺など、取り返しがつかないことが起こってしまった後に、「誰かが聞いてあげられたらこんなことにならなかったかも知れないのに・・・、」と言われることがあります。 話して理解してもらえるなら、とっくに話しているでしょうが、話しても理解されないばかりか、批判されたり、馬鹿にされたりして、かえってストレスを溜めたり、言ったばかりに余計につらい状況になってしまうことがあります。 言えない悩みを解消する一つの方法は、 1、小出しにして、多数の人に打ち明け、相談することです。この場合、話す相手がどこまでならば許容してくれるか、理解できるかを見極める必要があります。 2、自助グループなど、共通の悩みを持ち、クローズドで、秘密が守られるような集まりの場で話を聞いてもらったり、互いに受け止め合うことです。これは前の方法よりももう少し深い話ができますが、どこまで話すことができるかは微妙な部分です。 3、カウンセラーや私のような牧師や各専門家に相談することです。その道のエキスパートですから、色々な経験もありますので、適切なアドバイスをしてもらえる可能性があります。しかし、専門家でも完全な解決を得られることは稀です。 4、神に全てを打ち明けることです。神は、あらかじめ私たちの全てを知っておられ、完全な解決策と解決する力を持っておられます。全知全能です。ですから、神に祈ることが完全な解決への第一歩であり、全てです。もちろん、神に祈ると同時に、1~3の方法も併用したらいいと思いますが、まず祈ることです。そうしたら、問題は解決していなくても、すでに、心は解決しています。そして、適切な方法を神は導かれますので、1~3に限らず無限の方法が与えられます。 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6~7) 「Don’t worry about anything; instead, pray about everything. Tell God what you need, and thank him for all he has done. Then you will experience God’s peace, which exceeds anything we can understand. His peace will guard your hearts and minds as you live in Christ Jesus.」(Philippians 4:6-7) 「いつくしみ深き 友なるイエスは 罪・咎・憂いを 取り去りたもう 心のなげきを 包まず述べて などかはおろさぬ 負える重荷を」(賛美歌312「いつくしみ深き」) 「What a Friend we have in Jesus, All our sins and griefs to bear! What a previlege to carry Everything to God in Prayer! O what peace we often forfeit, O what needless pain we bear, All because we do not carry, Everything to God in Prayer.」(What a Friend we have in Jesus)
2012年11月22日
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おはようございます。当初は雨予報だったので、「雨かなー?」。恐る恐る外を見ました。何と、晴れと曇りの中間くらいのさわやかな朝でうれしくなりました。今日は二つの音楽の仕事で出かけます。機材もたくさんありますし、雨じゃなくて良かったです。みなさんはどんな一日ですか? 今日も元気に一日をお過ごし下さい。 昨日は、妻と二人で「小林旭 熱き心のコンサート」に行って来ました。ここのところ忙しい毎日を過ごしておりましたが、親しくしている方から、一昨日の晩、急にコンサートチケットを頂き、思いがけず楽しい時間を過ごしました。 コンサートの会場は「川口リリア」で、毎月集会をしている場所ですので、何となくおなじみの場所に行く感じもしましたが、会場はたくさんの人で活気に満ちていて、久しぶりのデートを楽しみました。少し前までは、過労とストレスで倒れていましたので、まだ完治ではありませんが、快気祝いにもなりました。 コンサートの前半は、昭和三十年代の話題のトークと歌でしたので、石原裕次郎の話題が出たり、小林旭の武勇伝の披露が中心で、妻には「全く、何のことからわからない(´д`)」という感じで、退屈気味でした。私も、退屈モードに入りそうでしたが、思いを切り替えました。 先日ここでお話した、「クラシックコンサートを聴きに来た二人の話」を思い出しました。一人は、つまらない苦痛の二時間半を過ごし、もう一人は、感動して涙を流し、「ブラボー!」と叫び、最高の時間を過ごしました。 よし!ここは、何とか楽しもう!と心に決めて、照明などの演出やオーケストラの演奏や指揮者の姿を見たりしながら、「さすがにプロのステージはすごいなー」と感心しているうちに、段々楽しくなって来ました。しかし、妻は退屈そうでした。同じ空間にいるのに、私は楽しく過ごし、妻は「来て失敗した!」とまでは思わないと思いますが、退屈そうなので、せっかくのデートと快気祝いなのに「困ったなー(´・_・`)」と思いましたが、私は、どうせ同じ時間を過ごすのですから、楽しむことに集中しました。 後半になると、衣装替えがあり、雰囲気もガラっと変わって、小林旭のトークも昭和の話題や自身の武勇伝から、色恋話しに切り替わりました。突然楽しくなり、ついに笑ったり、ジーンとした気持ちになり、気持ちも高ぶって行きました。 トークの中心である恋の話し≒「こいばな」を聞きながら、初恋のことや、妻との結婚前にデートをしていた頃をなつかしく思い出したりしていました。妻も、後半に入って少しづつ楽しむようになっていました。(´Д`) 良かったです(*´ω`*) さすがにプロのコンサートは違うなーと思わされました。S席で8000円のチケットですからね。何といっても、ディズニーランドより高いんですよ。 恋は恋でも、純粋で切ない恋の歌とお話で、忘れかけていた、すれていない、純粋で純情な恋を思い起こして、なつかしさと共に、もっとこういう恋を日本の若者たちにしてもらいたいなーと感じました。 最近、中高生の女の子が、公衆便所で出産して、赤ちゃんを捨てたという事件を何度もニュースで知らされて、とても心を痛めました。「きっとこの子は、後でとっても後悔して、もしかしたら、一生罪責感を引きずってしまうのではないかなー」と。もちろん、イエスさまと出会えば、その傷もいやされ、その痛みを持った分だけすばらしい人生を歩むことはできますが、未成年の性関係の乱れは大きな社会的問題だと思います。 ところで、「恋」という字は、「心」を下に書きますが、「恋」には「下心」が含まれることを字を通しても知ることができます。しかし、恋が悪いのではなく、恋があるからこそ、男女は惹かれ合い、愛が生まれるのです。「愛」という字は、「心」を真ん中に書きますが、「愛」は「真心」であることを字を通して表しています。「下心」に始まっても、「真心」に育って行ったら素晴らしいですね。 私は、純粋で、素敵な恋をして、それが愛に生まれ変わり、すばらしい結婚をするという環境をもっと作って行く必要を感じます。 恋は、周囲からブレーキをかけられても、当人同士を止めることは難しく、ある場合は、ますます火が付いて、駆け落ちに走ってしまったり、不適切な関係になってしまう可能性があります。 アメリカでは、学生時代から男女の出会いの場がたくさんあります。自然に恋を楽しみ、若くして結婚する人が多くいます。ただ、「若さ」とは「バカさ」で、未熟な部分もありますので、結婚が離婚に終わってしまうことが多数あります。日本の離婚率が三人に一人の割合なのに対して、アメリカの離婚率は、二人に一人。半数です。ただ、ここからがすごいのですが、懲りないで何度も結婚をします。アメリカ留学時代、周囲には、結婚三度目、四度目という人もたくさんいて、大きなカルチャーショックを感じたことを思い出します。日本だと、あまり人様に言えない経歴ですよね。 素敵な出会いをし、純粋な恋をし、愛し合って結婚をし、最高に幸せな家庭を築く。これがあちらこちらで起こらないと日本の未来はありません。少子化だけが問題なのではなく、家庭が壊れているだけが問題なのではなく、結婚をしたくない若者、男女が急増しているのです。 本当の恋、本当の愛は、イエスさまと出会ってこそできるものだと信じます。なぜならば、人は、誰かからしてもらったようにしか人に与えることができないからです。 一人子イエスさまを十字架にかけるほどの愛、イエスさまが十字架で死ぬほどに命を懸けた愛、心が引き裂かれそうなほど情熱的にあなたに向けられた愛。それが神の愛です。その愛を知り、その愛を受けてこそ、本当の意味で人に恋をしたり、愛することができる人になります。日本の多くの人に欠けているのは、この神の愛、イエスさまの愛ではないかと思います。恋や愛の前に、イエスさまに出会うことが必要です。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4) 「主は遠くから,私に現われた。『永遠の愛をもって,わたしはあなたを愛した。それゆえ,わたしはあなたに,誠実を尽くし続けた。』」(エレミヤ31:3) 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(ヨハネ第一の手紙3:16) 「創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」(マルコ10:6~9) 結論として、 1、すでに結婚している人は、さらに幸せな家庭を築いて下さい。 2、今恋をしている人は、その関係を深め、願わくは結婚に発展するように祈って下さい。 3、出会いがこれからの人は、神さまに「良い出会いを与えて下さい」と祈って下さい。 人生で味わえる幸福の多くは、おそらく、神が与えられたパートナーとの出会いと愛の関係を通してです。「寂しい!」「誰も相手がいない!」と嘆くより、神さまにお祈りして下さい。神さまは、必ず最高の出会いを導いて下さるはずです。私もお祈りしています。 週の後半に入ります。すべての領域で祝福されるようにお祈りをしています。素敵な一日、素敵な週末でありますように。
2012年11月21日
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おはようございます。朝一番に外に出て深呼吸をしてみるととてもさわやかな気持ちになります。今日もよろしくお願いします。 私たちは、いちいち自分の考えている内容を自覚していないと思います。目に見えないからです。それはさながら、二酸化炭素を吐き出して、酸素を吸うという呼吸をいちいち意識しないでしているようなものです。 同じように、私たちの考えについても、いつも絶えず何かを考えているために、自分が考えていることすら忘れているのではないでしょうか? しかし、呼吸なら忘れていても、考えを忘れると、数々の問題が発生して来ます。気が付いたらイライラしたり、ストレス、葛藤、怒りなどを感じて不幸な気持ちになります。 しかし、何も腹を立てる理由もないのに腹を立てることができるでしょうか? 何も悲しくないのに涙を流すことができるでしょうか? 妬みを感じる人もいないのにジェラシーを感じるでしょうか? ストレスも感じないのに、ストレスに押しつぶされることはないはずです。それは不可能です。 人が不幸を感じたり、腹を立てたり、妬んだり、ストレスを感じるのは、自分の考えと深い関わりがあります。必ず、人生を否定的・消極的・破壊的に考えているはずです。ですから、今度、不幸だと感じたり、腹を立てたり、妬んだり、ストレスを感じたら、自分が今、何を考えているかに耳を傾け、意識を集中してみて下さい。 自分の考えを知ったら、その流れを変えることができます。 バイブルには、「静まって、私こそ神であることを知れ。」と書かれています。 「静まる」とは、考えを停止させることです。「神を知れ」とは、神に目を向けることです。静まって考えを停止させ、神に目を向けて行ったならば、必ず考えが変わり、その結果気分を切り替えることができます。 祈りは、不幸を幸せに変え、怒りを思いやりに、ストレスを爽快な気分に変える力です。 どうぞ、自分が今何を考え、どのように感じ、思い巡らしているかを知り、その上で、静まって、神に祈って下さい。 忙しい方々には、なかなかそのような時間は持ちにくいかも知れませんが、しかし、忙しいからこそ、なおさら静まる時間を持って下さい。今日一日も、最高にすばらしい時となることを確信しています。ありがとうございます。
2012年11月20日
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旧ソ連の詩人であり小説家のポリス・パステルナークは、「人は生きるために生まれる。生きる準備をするために生まれるのではない。」と語りました。確かにそうだなーと思います。 人生は丸々本番です。だから、「こうなったら~」という生き方は終わりにしましょう。小さな子供は、「大きくなったら~」と、今を生きないとしたらどうでしょうか? その子が大きくなっても、大きくなったことが現在になった途端に、今度は、「お金を沢山もらえるようになったら~」「もっと偉くなったら~」「結婚したら~」となり、これは、終わりのない堂々巡りのようです。 結婚をしたら、今度は、「子供が生まれたら~」「この子が大きくなったら~」「この子が働くようになったら~」「この子が結婚をしたら~」「この子を通して孫が生まれたら~」「孫が大きくなったら~」と、果てしなく今を生きない生き方をしたら、いつ人生の本番が来るのでしょうか? 人生は、いつも今が本番です。 しかし、人生を完全燃焼し、いつも今が最高!と感謝しながら生きている人は少ないかも知れません。人は生きるために生まれてきたのに、生物学的には生きていても、生き生きと充実していな人生は、生きていていても死んでいるようなものです。 この世界にただ一人、死ぬために生まれて来た人がいます。クリスマスに生まれたイエス・キリストです。この方は、十字架で死ぬために生まれました。自分が死んで、死んでいる人を生かすためにです。 キリストは、あなたの身代わりで死にました。自分を造られた神から離れた状態の人を罪人と聖書は語ります。切られた植物がやがて枯れるように、神から離れた人もやがて死にます。人が死ぬ原因は、神から離れた罪です。その罪の刑罰を身代わりに引受けられたキリストを信じ、キリストと出会い、キリストと直結されるならば、神の命が流れ込み、神の命によって生きるようになります。 キリストを信じ、キリストと出会い、キリストと直結される人生を生きませんか? そして、生き続けませんか? そうしたら、人生が輝き始め、本当の自分の人生を行き始めるようになります。今日も素晴らしい一日をお過ごしください。ありがとうございます。
2012年11月19日
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おはようございます。新しい一週間がスタートし、どんな気持ちで迎えておられますか? 私の子どもたちの様子を見ていると色々です。「月曜日と金曜日は大好き!」と言う子がいます。理由は、一週間がスタートし、終わる時だからだそうです。この子は学校が好きだから月曜日が好きだし、同時に、家族が好きだから金曜日が好きなんだなーと思います。みなさんは、月曜日と週末どちらが好きですか? 3日前に、札幌で親しくしていた西森昌二牧師が天に召されました。西森先生とは、札幌のすすきのと新宿の歌舞伎町で伝道活動をした同志であり、信仰に燃えた熱い人で、親しくしておりましたので、突然の訃報を聞いて心を悼め、とても残念な気持ちです。 時を同じくして、今日と明日、都内で葬儀の司式をします。 結婚式の司式をすることもあります。結婚式は、新しい門出を祝うとてもうれしいセレモニーです。みんなうれしい気持ちになるものですが、うれしいだけではありません。これから、この二人は夫婦となって、何度も何度も喧嘩をし、仲直りをすることを繰り返しながら、涙を流し、人生の半ばを過ぎて、やっと幸せな家庭を築くのだろうなーと内心思ったりします。また、最近の日本では、3組中1組が離婚をする割合いだそうです。離婚しないで、結婚を全うしてほしいなーと、二人の祝福を祈ります。 葬式の司式は、人生の最後のお別れを悼む悲しいセレモニーです。これから先はありません。とても悲しく、心を悼めます。しかし、人の心の真実に触れられるような気がします。人生に終わりがあることを認識させられます。生かされていることに対する感謝と、人生を大切に生きて行かなければならないことを決意させられます。 牧師は、誕生、病床、結婚、死などの冠婚葬祭に立ち会います。それは、人々の色々な人生の節目です。その都度感じることは、この地上での生涯は長いようで短いということです。 先日、80歳の人とお話をしていました。この方は、「つい先日まで私は若かったんですよね。あっという間にこの歳になってしまいました。120歳までは生きたいですね。」と言われました。 この話を聞いて、私は41歳になったけれど、80歳はあっという間なのか、と衝撃を感じました。41年の自分の人生を振り返って見て、色々なこともありましたが、そんなに長い時間が経ったとは思いません。 また、昔思っていたほど、人生は思い通りに進むものではありません。学生時代、夢に燃え、万能感に満ちていました。もちろん、そういう心は今も失ってはいませんが、当時は、手放しで「なんでもできる!」と考えていましたが、今は、自分の力の小ささ、足りなさを痛感していますが、「人にはできないことも、神にはできる!」と信じています。これは大きな違いです。 自分の限界を知った時に、あれもこれもと、たくさんのことをするにはあまりにも時間が短か過ぎると痛感します。 だから、限られた時間を感謝しながら生きること。そして、一つに徹する生き方が大切だなーと感じます。 「正しい」という漢字は、「一つ」の下に「止まる」と書きますが、この一つとは、あれもこれもではなく、一つに徹する生き方が正しさになるということです。一つに徹する時に、その一つは一つで終わらず、一つから始まって、また一つ、一つと広がって行くものです。 もう一つの一つは、天地万物と人類を創造された唯一の神に止まることです。 「正しい」という漢字が、「一つ」の下に「止まる」と書くように、唯一の神の下に入り、しっかりとそこで止まり、直結して、神との関係の中で生きて行くことです。 神と私の関係は、 1、創造者と被造物の関係 2、牧者と羊の関係 3、陶器師と粘土の関係 4、ぶどうの木とその枝の関係 などです。 神と私は、切っても切れない関係です。その関係の中で生きて行く人生こそ「正しい」人生です。 そのために、神との関係が切れていることを罪と言いますが、その罪を認め、神と人との橋渡しをされた、人間の姿と取ってこの地上にこられた神の一人子イエス・キリストを通して神と直結することです。 良かったら、今この祈りをして下さい。 「神様、私はあなたから離れて生きて来た罪人です。私の罪を赦して下さい。私の罪のために十字架で死んで、復活されたイエス様を救い主として信じ、受け入れます。」 この人生こそ、一つに止まる人生です。その一つから無限に広がって行きます。 1、罪が赦され、神との関係が修復されました 2、神の子どもとなり、永遠に神と親子の関係になりました。 3、永遠の命が与えられ、永遠に神と共に生きることができます。 この人生は、この地上での、一回だけの繰り返すことができない人生を変えます。 一日一日を感謝しながら、大切に、一生懸命に生きて行くようになります。 日本では、今多くの人が、「死にたい!」と思いながら、死ねなくて苦しんでいます。ある人は、自分で死を選んでしまっています。しかし、自殺は問題の解決ではありません。神を信じて、新しく生まれ変わることが、今ピン的な問題の解決です。 そして、死に急がなくても、死ぬ時はそんなずっと先のことではありません。あっという間に最期は来ます。その時まで、一生懸命に走り続け、生きて行きましょう。休むのは、天国に行ってからでもできますし、疲れたら、今立ち止まって休んでいいのですから。 「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たちよ。私は、すでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ人への手紙3:12~14) 今の人生は、永遠につながっています。しかし、この地上での人生には限りがあります。私の友人牧師の死、冠婚葬祭の司式を通し、毎日のTVや新聞を通して知らされる著名な人の死、知り合いや家族の死を毎日のように知らされますが、その死は、いつか私の死になります。しかし、その日が来た時に、「私の人生は幸せだった。精一杯生きて来た。悔いはない!」と言って、「ハレルヤ」で天に召されて行けたら幸いですね。 今週も、そんな人生の一部です。一生懸命に生きて行きましょう。祝福を祈ります。
2012年11月18日
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おはようございます。今朝は、空は曇っていて空気しっとりしています。雨の一日になりそうです。こんな日は、一日ゆっくり読書をしたり、音楽を聴いたり、部屋を片付けたり、家族でゆっくり過ごせたらいいですね。良い週末をお過しください。 「悲しみこらえて 微笑むよりも 涙枯れるまで 泣く方がいい」 は、武田鉄矢さんが歌った「贈る言葉」(武田鉄矢 作詞 千葉和臣 作曲)のサビの一節です。 「悲しみこらえて 微笑む」人は、一見強そうです。しかし、「心で泣いて、顔で笑う」という生き方は、案外もろく、ある時に、「ボキッ」と折れてしまうことがあります。まじめで、責任感が強い人にこういうタイプが多いのかも知れません。 しかし、「悲しみこらえて 微笑む」という、我力で生きる人生よりも、「涙枯れるまで 泣く」ことで、悲しみを吐き出す生き方の方が、心がしなやかになり、結果、強くなります。しかし、ただ一人で泣き、泣いたまま寝入ってしまう「泣き寝入り」ではなく、友達に心を打ち明け、その涙をしっかりと受け止めてもらうことです。 酒飲み友達、親友、恋人、専門のカウンセラー、牧師などの宗教家などに話すことも解決の助けです。しかし、一番は、「いつくしみ深き 友なるイエス」(賛美歌312番)に相談し、泣いて祈り、悲しみという心の重荷を委ねることです。 「贈る言葉」は、「人は悲しみが多いほど、人にはやさしくできるのだから」と続きます。悲しみはマイナスではなく、プラスに変えられます。なぜならば、悲しみを「悲しい」と感じたら、その傷みが誰よりもわかります。そして、悲しみを受け止めてもらって、慰めてもらった経験は、大きな喜びのエネルギーに変わりますので、悲しんでいる人に優しくできる人になれるのです。「優しい」という漢字は、「憂いの人」と書きますが、悲しい憂いは、優しさの源泉のようです。 今日悲しんでいる人がいますか?「悲しみこらえて 微笑むよりも 涙枯れるまで 泣く方がいい」 のです。どうぞ、人生の中で、悲しみを受け止めてもらえる親友を見つけて下さい。できたら、私がその親友の一人になれたらと願います。あなたと私は、一生続く友達です。そうでしょ? これからもよろしくお願いします。 しかし、私は二番目の友達で、一番の親友は、友なるイエスです。一人で悩まないで、その方に、心の悲しみを打ち明け、祈り、溜めないで、悲しみを喜びに変えてもらって下さい。そのエネルギーはどんな力よりも強く、人の悲しみも喜びに変えることができます。そして、世界中にいる悲しんでいる人の友達となり、幸せを広げて行くHappy maker(ハッピーメイカー)になれたら素晴らしいですね。 「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。(Weeping may endure for a night, But joy comes in the morning.)」[聖書]
2012年11月16日
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おはようございます。何と気持ちのいい朝なんでしょうか。このままどこかきれいな景色の場所に出かけたい衝動にかられてしまいます。この青空のように、心澄み切った素敵な一日でありますように。 いよいよ今日の午後衆議院の解散です。来月の16日に総選挙が行われ、新たな政権の枠組みが作られます。日本のリーダーのために、良い政治が行われるようにお祈りをしましょう。 私の好きな言葉です。「government of the people,by the people,for the people」(エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln 1809~1865) さて、今日の本題に入りますが、人生の極意、それは許しにあります。許されているから許すのです。 今、私たちがここに存在しているのは、許されているからです。神の許しがなかったら、1秒であっても生き続けることはできません。一緒にいる人たちの許しがなかったら、争いが起こったり、「出て行け!」と言われてしまいます。 今ここにあること事態が許されているんだということを知ったら、自然に感謝が湧いてきて、許しの人生を生きて行こうと思わないでしょうか。 許しの対象は、両親 自分自身 気になるアイツ などです。 聖書は、「あなたの父と母を敬いなさい」と語ります。それは、人間関係の基本だからです。一番最初の人間関係であり、一生涯続く人間関係です。もし、親子の人間関係でつまづいたとしたら、必ず、他の人間関係にも悪影響を及ぼしてしまいます。 敬い、尊敬できない親から生まれた自分に対してもいい感情を持てなくなり、自分を許せなくなります。自分を許せなくなると、その自分と似た人を見ると許せなくなるものです。 あるいは、尊敬できない親と似たタイプの人に、強烈に拒否反応を示すようになり、人間関係は、いつでもどこでもぶつかるようになります。 その原因が、自分自身の親子関係にあることに気づいた人は、そこから一歩進むことができますが、人間関係がうまくいかないのは、親のせいだ、社会が悪い、人がいけないんだ、と責任転嫁しはじめたら、もう堂々巡りになってしまって、抜け出すことができなくなります。 神が親子関係を重視されたのは、その関係が良好ならば、自分自身との関係もよくなり、ほとんどの人間関係がうまく行くようになるからです。 親子関係がうまく行かない原因は、親の言葉や態度によって傷ついている場合があります。しかし、子どもを愛していない親はいません。その愛が完全ではなかっただけです。あるいは、親はその親から愛されないで育ったのかも知れません。愛されなかったから、自分の子どもを愛することができないのです。 これは悪循環です。親から愛されなかった傷を自分の子どもに仕返していたら、子々孫々に悪影響をもたらします。その悪循環を断ち切る方法は、天の父と出会い、和解し、天の父との親子関係を築き上げることです。 その橋渡しをしてくれたのがイエス・キリストです。私たちが神との親子関係が切れている罪を赦し、和解させ、修復してくれるのは、イエス・キリストの十字架と復活です。 「わたしは道であり、真理であり、命である。だれ でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」 (ヨハネによる福音書14:6) 天の父との親子関係が築かれたら、それは地上の親子関係に反映されます。天の父の愛を受けたら、地上の両親を理解し、祈り、許す力が与えられます。「親も苦しんでいるんだな」「親は一生懸命に生きているんだな」と理解し始め、さらに、子どもを持つようになると、さらに親を理解できるようになります。 親を理解できるようになったら、きっと親を許せるようになります。親を認め、尊敬し、敬えるようになると、他の人間関係に影響を及ぼします。親を立派だから尊敬するのではなく、親が親だから尊敬するのです。 親子関係が修復されると不思議なものです。自分との関係も他人との関係も、すべて修復され、良い関係を持つことができるようになります。 しかし、それでも、どうしても許せない人がいるものです。 きっと自分の中で許していない自分やこだわりのゆえに許せないのです。 自分が神によって100%赦されていると知ったならば、自分で自分を許すことができるようになり、許せない人が減って行きます。 最後に残るのは、悪意に満ちた人や極悪人、そして、自分自身ではないでしょうか? 極悪人を「手放しで許しましょう」ということではありません。悪意に満ちた人と「手放しで仲良くしましょう」というのではありません。 「罪を憎んで人を憎まず」という精神が必要です。つまり、その人の行為と人格を分けて考える必要があります。 自分自身が、その極悪人や悪意に満ちた人の立場で生まれて来たら、自分も同じ生き方をしていたかも知れないし、もっと悪かったかも知れません。 ただ、環境が恵まれていたから悪くならずに済んだだけなのかも知れません。一重に、神の恵みと守りです。 人は環境が変われば、ものすごい卑劣なことをする可能性があるのです。ということは、どんな極悪人や悪意に満ちた人などと同じ罪を潜在的に持っていることになります。 「私は大丈夫です!」と言い切れる人がいるでしょうか? 最後に残るのは、きっと自分自身だろうと思います。その自分が許せない!変えたい!というのは、健全な向上心に向かうのはいいですが、自分を責めつけ、いじめ、最後は、抹殺したいと思うようになり、人は自殺してしまうのかも知れません。 自殺ではなく、許せない自分に死に、自分を変えることが神の救いです。 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ人への手紙2:20) 人は、キリストと共に十字架にかけられて、古い自分に死に、新しく生まれ変わり、リセットされて、人生をやり直すことができるのです。 その時、最後の最後まで残った許せない!が消えて、生まれ変わり、完全な赦しが与えられ、許せる人に生まれ変わります。人生の極意は許しにあります。その赦しに生きて下さったイエス・キリストの十字架と復活を通して、許しの人に生まれ変わることができます。そんな人生をご一緒に歩んで行きませんか?
2012年11月15日
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おはようございます。気持ちのいい朝ですね。元気にお過ごしでしょうか? 今日もすばらしい一日となることを信じています。 世の中には、「妥協してもいいこと」と「妥協してはいけないこと」があります。その線引きは各々違いますが、妥協できないものを持つ人生をおすすめしたいと思います。 私が乗っている車は日産のエルグランドです。本当は、燃費のいいもう少し小さい車がいいなーと思っているんですが、家族6人で旅行などに出かけると、子供たちの体が段々大きくなりますので、「せまーい」という意見が出ますので、このクラスのミニバンになりました。 ところが、普通の日は、私1人で移動することが多いですし、せいぜい妻と2人で買い物に行く程度です。日曜日は教会があるので、土曜日に家族でちょっと出かけたり、休日に旅行に行く以外は広々としたスペースが余っているのでもったいないなーと感じます。 しかし、ある時に家族でスキー旅行に行くことになり、荷物を車内に積み込むと、3列目席のシートを半分畳まなければならず、案外、荷物が積めないのです。こんな場合、座席はギュウギュウになります。もちろん、屋根にスキーキャリアなどを付ければ解決しますが、キャリアも安くありませんので・・・。 私に取ってこの車は、「帯に短し襷に長し」と言う感じです。 これは文句を言ってるのではなく、1人で乗っても、家族で旅行に行ってもピッタリな車があったら理想ですが、そういう訳には行きませんので、こちらが車に合わせ、感謝し、工夫しながら使うというのが賢い妥協だと思います。 みなさんには「帯に短し襷に長し」というような問題はないですか? 妥協できること、妥協してもいいこと、しなやかさと柔軟な心で対応したらいいものです。しかし、誰にでも妥協できないことがあると思います。 昨晩、野田総理大臣が衆議院の解散について具体的な表明をしました。たまたまユーストリームで生放送を見ていましたが、「近いうち」「近いうち」と、のらりくらりかわし続け、解散時期の明言を避けていましたので、気になるニュースですが、それに一喜一憂するよりも、あまり気にしないように心がけていましたので、これには驚きました。首相は、妥協できない課題の一つ一つが解決しつつあるので、ついに腹をくくり、党内の反対を押し切って伝家の宝刀を抜きました。 私に取っての妥協できないことは、聖書が明確に語るいくつかのことです。逆に考えれば、それはごくわずかなことですから、そこだけをきちっと押さえれば、あとはかえって自由です。電車が線路の上を走ることが不自由なのではなく、安全であり、結果として自由なのに似ています。 偶像崇拝をしない 不品行をしない 「自分がしてもらってうれしいことを人にする」精神と「自分がされて嫌なことは人にしない」という精神 日曜日の礼拝を大切にすることです。 日曜日は、教会員の方々が教会に来られます。牧師である私は、日曜日に礼拝を導くことが仕事です。他の仕事をすることはできません。しかし、日曜日は、色々な身近な行事や消防団の活動などがありますので、それを断るのは案外つらいです。一つ言えることは、日曜礼拝が私自身を守ってくれたと思います。 ユダヤの格言に、「ユダヤ人が安息日を守ったのではなく、安息日がユダヤ人を守ったのである」という言葉がありますが、2000年近く国を追われ、ユダヤ人は離散して国を持たず生きてきました。第二次世界大戦中には、ドイツによって600万人もが殺されるという試練に遭いました。しかし、1948年に国を建国した時にも、ずっとへブル語を使い続け、民族のアイデンティティーを守り続けて来たのは、金曜日の日没から土曜日の日没までの安息日を守ったからだと言われています。 私は、一週間というリズムで生活しています。6日間働き、1日を休み、神に礼拝を捧げます。これが信仰を保たせ、体と精神を休ませ、リフレッシュさせ、ストレスや精神的な病い、大病などから私を守ってくれました。 この4点以外は、基本的に自由です。本当に自由です。しかし、この自由が自由となるのは、妥協できないものをきっちりと持っているからです。先ほども話しましたが、電車が線路の上を走っていることが安全であり自由なことと似ています。電車に、「自由にどこでも走っていいよ」と言われても、鉄の車輪でハンドルがついていない電車は、線路がなければ制御不能で危険きわまりありません。 人が、妥協できないものを持っていないと、全てが自由のようで、実は、不自由になります。自己中心、利己主義、放縦・放埒になり、罪の奴隷、欲望の奴隷、自我の奴隷となってしまいます。人は、必ず何かの奴隷になる存在です。奴隷という言葉は、嫌々支配される状態や身分を指しますが、私たちを造られた神は、私たちをマインドコントロールし、奴隷として嫌々言う事を聞かせるような方ではありません。神の子どもとして下さり、友となって下さいました。 私たちの中に、妥協できないものの中に、創造者である神を持たれたらどうでしょうか? 「イエスは主。我らの救い主」と告白するだけで、完全で、永遠の救いを与えて下さるお方です。 妥協できない筋を一本通すことが、他のどちらでもいいことに自由に対応し、柔軟な生き方ができるようになるのです。今のような不確かな時代だからこそ、確かな神を信じる生き方をおすすめしたいです。 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネの福音書 14:1) すばらしい一日でありますように。今日もありがとうございます。
2012年11月14日
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おはようございます。毎朝外に出て感じるのは、1日として同じ空はないです。今日も新しい1日です。今日は今までにない、これからもないすばらしい日となることを信じます。 昨日は、「ハレルヤの人生のすすめ」というお話をしました。今日は、へブル語の「アーメン」という言葉から、「アーメンの人生のすすめ」をお話したいと思います。 「アーメン」は、「たしかに、本当に」という意味の言葉で、クリスチャンが、お祈りの最後に「アーメン」と唱えますが、その祈りは「本当にその通りです」と同意の意味があります。 「アーメンの人生」とは、神から与えられたものに対して同意することであり、否定しないで受け入れますという表明です。 過去のできごと 自分自身 人や状況 に対してです。 アメリカの神学者の「ラインホルド・ニーバー」は、次の祈りを神に捧げました。 神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ O GOD, GIVE US SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED, COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED, AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM THE OTHER の「過去」との「人や状況」は、基本的に変えられないものですから、そのまま受け入れる冷静さを神に求めることが賢明です。変えられないものを変えようとすることはストレスであり、エネルギーの浪費です。もちろん、過去に対する評価や人や状況も自分が変わることで変えることができますが、過ぎ去った過去、人、現状を柔軟な心で受け入れ、感謝し、その上で、変える必要があれば、変えて行く知恵と勇気を祈り求めたいものです。 の「自分自身」は、変えられない部分と変えられる部分があります。変えられない部分。親から譲り受けた顔や形、皮膚・髪の毛の色・目の色などを嫌わないで受け入れることが大切です。その上で、変えられるし、変えたほうがいい部分、成長できる部分を勇気を持って変えて行く力を祈り求めましょう。 「アーメンの生き方」とは、変えられないものをそのまま受け入れる生き方です。そこで、良いか悪いかを判断しないことです。三角のものは三角として受け入れ、丸いものは丸いものとして受け入れ、四角いものは四角いものとして受け入れ、曲がったものは曲がったものとして受け入れ、長いものは長いものとして受け入れ、あなたはあなたのまま受け入れて下さい。 人が心病んでしまう主な原因は、自分をそのままで受け入れられないところから来ます。自分を責め、否定し、文句を言い、自分じゃない自分になろうとします。 あなたを造られたのは神ご自身です。あなたは世界で唯一のオンリー1の存在として神によって造られたのです。どうぞ、その自分自身を好きになり、受け入れ、許し、責めないで下さい。 人は、自分自身を受け入れるようになると、他の人をも受け入れられるようになります。あなたが、もし、人を受け入れられないとしたら、人を拒絶する前に、自分を受け入れていないことを知って下さい。自分を受け入れたら、人も受け入れられる心のゆとりとスペースが作られるので、自然に受け入れられるようになります。 人や自分を受け入れられないと、変えられるし、変えた方がいい部分を変えるのではなく、停滞か現状維持をしてしまったり、受け入れられない心の不満の代償として、道を外したり、犯罪に走ったり、快楽に溺れたり、心を病ませてしまいます。「アーメン」と受容する生き方ができないと、生き方は悪循環してしまうのです。 今朝、変えられないものを受け入れる柔軟さ、変えられないものを変える勇気、その両者を見分ける知恵は、神に祈り時に与えられます。共に、祈りを持って一日をスタートいたしましょう。その知恵と力は、祈る時に与えられます。 祈りは、「最後にアーメン」でしめくくって下さい。その「アーメン」とは、神に同意することです。神に同意するときに、神と調和し、神と一つになって歩む人生が始まります。 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。」(ヨハネの福音書15:5) 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者の書 3:11) 「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。 これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16~18) 合言葉は「アーメン」です。「アーメン」で生きて行きましょう。祝福を祈ります。GOD Bless you!
2012年11月13日
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おはようございます。すばらしい一日がはじまりましたね。今日も素敵な一日でありますように。 昨日は、「晴れの日はハレルヤ! 雨の日はアーメン!」というお話をしました。私たちの目から見たらマイナスに思えても、神は、最善以外を行われませんので、晴れの日も雨の日も感謝、いいことも悪いことも感謝、つまり、全てのことを感謝する生き方のすすめの話をいたしました。 今日は、「ハレルヤ」という言葉から、「ハレルヤの人生のすすめ」をお話したいと思います。 「ハレルヤ」はへブル語です。意味は「神をほめたたえよ」という意味です。その意味を踏まえて使われているかどうかは確認していませんが、最近では、歌謡曲やお店の名前などでよく使われていますね。 「ハレルヤ」の内容は、神に対する賞賛であり、賛美であり、礼拝の言葉です。ハレルヤの人生は、「神様、あなたはすばらしいです!」とたたえることですから、肯定的な態度です。心は豊かになって行きます。 「ハレルヤ」の反対はなんでしょうか? 文句、批判、中傷であり、無視するか「あなたはすばらしくない」と引き下げることですから、否定的な態度です。心は貧しくなって行きます。 神をほめたたえることは、私たち人類の創造者をたたえることですから、創造の神によって造られた自分自身と他者の価値を高めることにつながります。自分のすばらしさと無限の可能性を信じることになりますし、他者のすばらしさをほめる人になります。 神をほめたたえないことは、創造者である神を信じず、否定し、進化論者や無神論者であり、人間は偶然に存在し、下等動物から進化した存在であり、自分のすばらしさや無限の可能性を信じるよりも、競争原理の中で、人と自分を比較し、自分が勝った場合は優越感を感じますが、劣った場合は劣等感を感じ、妬みを感じ、人の粗を探してチクチクと批判し、人を引き下げる人になります。 日本は多額な借金を負った国です。しかし、中流階級の人が多く、今日や明日の衣食住に困っている人はまずいません。病気になっても保険があります。経済的に困窮しても生活を保護してもらうことができます。先行きの不安はあっても、何とか生きて行けますし、平和な国です。しかし、だから幸せか?というと、そうではありません。一部の勝ち組になっている人は生き生きと生きていても、勝ち組になれなかった人は元気がありません。加えて、精神的に病んでいたり、自殺志願者が数多くいます。多くの人が幸せではないのが私たちの日本の現状です。 日本に欠けているものは何でしょうか? 色々考えられますが、その一つが「ハレルヤの生き方」です。自分を造られた神を信じ、その方をほめたたえる心です。 もし、自分を創造された神がいらっしゃることを知らなかったとしたら、ぜひ知って下さい。神はあなたの創造者です。神はあなたを愛しています。 聖書は、創造者である神を知らず、神に背を向け、神から離れた状態で生きていることを「罪」=「的外れ⇒αμαρτια(ハマルティア)」と語ります。罪を認めて、罪を赦し、贖うために救い主としてクリスマスに来られたイエス・キリストを信じるならば、神と直結し、神と共に歩み、神をほめたたえる人生を生きられるように導いて下さいます。 世界には、クリスチャンが20億人以上います。この人数は、地球の人口の3人に1人の割合です。 日本のクリスチャンの人口は1%未満です。なぜでしょうか? わかりませんが、日本は風が吹くことでなびく人たちだと思います。風を感じ、空気を読むことに実に敏感です。2005年の小泉首相の郵政改革選挙で自民党の圧勝や2009年の衆議院の解散総選挙で民主党の圧勝はある意味、風が吹いたのです。戦争中には、神風が吹くと信じて国民は戦争に向かいました。しかし、戦争が終わると、風向きが変わって、一斉に平和を求める国になりました。 日本には今、イエス・キリストを信じない風が吹いています。しかし、イエス・キリストを信じる風がこの国に吹き始めたら、日本人は、「私も、イエス様を信じます」という人で満ち溢れると思います。 聖書が語る、「初めに、神が天と地を創造した」(創世記 1:1)「神が人を創造した」という言葉は、嘘か本当のどちらかです。こんな大それた話が中途半端であるはずがありません。 神を信じないというならば、単に、信じない風で、「みんんが信じないから私も信じない!」ではなく、自分で聖書を読み、吟味し、確かめてみられたらどうでしょう? 「もし私を創造した神がおられるなら、そのことを私に教えて下さい」と祈ってみられたらどうでしょうか? ちゃんと根拠を持って、「私は神を信じない!」と言い切れる人は、ある意味立派だと思います。しかし、「神はいない!」とちゃんとした証拠を持って証明できた人はいません。それは、「神はいない」という宗教を信じているに過ぎないのです。 私は神を信じます。また、神が私を創造し、愛して下さっていると信じます。神をたたえる人生を生きています。幸せです。しかし、その生き方を押し付けたり、マインドコントロールしようとしているのではありません。おいしいラーメン屋さんがあったら、「あそこのラーメンおいしかったよ、一緒に食べに行かない?」と誘うように、「ハレルヤ」の人生をおすすめしています。この人生は楽しいものであり、幸せを与えて下さいます。 例えば、ある人から有名なクラシックのコンサートに誘われたとします。そのコンサートを鑑賞するためには数万円支払わなければいけないのですが、無料でご招待されました。それで行くことにしたとします。もしあなたが、クラシック音楽を好きでないとしたら、退屈以外の何物でもありません。しかし、クラシックが大好きな人は、感動し、涙を流し、立ち上がり、「ブラボー!」と叫ぶかも知れません。その人にとっての数時間のコンサートは天国です。クラシックが好きでないとしたら、その時間は苦痛であり、眠く、退屈で、地獄です。 あなたの毎日の人生は、クラシックコンサートのように、楽しくないこともあるかも知れません。しかし、そんな時にも、私たちに命を与え、導いて下さる神に、「ブラボー!」いや、「ハレルヤ!」と叫ぶならば、その人生は、豊かで、楽しく、幸せなものになるに違いありません。 「ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよう。御力の大空で、神をほめたたえよう。その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。」(詩篇150:1~6) 「ハレルヤの人生」は、喜びに溢れ、エキサイティングあであり、幸せな人生です。今日私はみなさんに、そんな人生をおすすめしたいなーと思います。 すばらしい一日でありますようにお祈りいたします。今日もありがとうございます。
2012年11月12日
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おはようございます。昨日から雨が降っています。みなさんは雨は好きですか? 晴れの日はハレルヤ! 雨の日はアーメン!という生き方をしてみたらどうでしょうか? 聖書はイスラエルを中心に書かれました。日本と違って、いつでも水がある訳ではないので、水の価値は全く違います。急に雨が降ると、鉄砲水で災害が起こりますし、雨が降らないと、生命が生き続けるために必要な飲み水がなくなってしまいます。 水は、蛇口をひねれば出るし、お店に行けばペットボトルで売られていて、当たり前のようですが、そうではないんですね。3.11直後から、お店の棚から食べ物や飲み物がほとんどなくなった時期がありました。水道水には放射能が混じっているのではないかと考えて、水を買いだめしたいという気持ちになったと思います。 「ハレルヤ(hallelujah)」の意味は、へブル語で「主をほめたたえよ」という意味です。「アーメン(amen)」の意味は、ヘブル語で「本当に」「まことにそうです」「然り」という意味です。また、お祈りや賛美歌の最後に同意する意味でも使われます。 晴れや雨は、天気のことを言っていますが、一般的な感情として、「晴れ」は過ごしやすくうれしいものです。「雨」は過ごしにくく、濡れるし、うれしくないものです。だから、「晴れ」は、ダジャレにもなっていますが、「ハレルヤ」「主をほめたたえよ」と感謝することが自然です。しかし、「雨」は、これもダジャレにもなっていますが、「アーメン」。同意です。つまり、「神は、最善以外をなされない、だから、神がなさることに同意し、感謝します。」という、神への信頼です。 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者3:11) 「晴れ」や「雨」は、私たちにとっての「いいこと」や「悪い」ことに言い換えてもいいと思います。 人生は、いいこともあるし、悪いこともあります。それでこそ人生です。いいことを「いい」と感じられる部分と「悪い」ことを「嫌」と感じる部分はきっと同じです。しかし、私たちの心は、いいことはすぐに忘れてしまって、嫌なことばかりいつまでも忘れないものです。良かった事、うれしかったこと、守られたことなど、思い出して感謝したらどうでしょうか? 普段自分が考えている以上に自分が恵まれていることに気づくのではないかと思います。 嫌なこと、つらい悲しい経験はどうでしょうか? そういうことの方が後で懐かしかったりします。ふっと、昔のことを思い出して、「懐かしい」と感じるのは、大変だった時や、一生懸命に生きていた時の記憶だったりしませんか。嫌なこと、雨というのは案外悪くありません。 さらに、嫌なこと、つらい悲しい経験は、人を謙遜にさせます。思い上がりを砕き、人の痛みがわかる優しい人にします。また、「自分の力で生きている」と思っていたのが、「神によって生かされている」ことに気づき、神に頼り、信頼し、信仰が深められます。雨は、思っている以上にすばらしいものです。 雨がなければ、飲み水もなくなりますし、生物も存在できません。生きて行くことができません。雨は、よごれた空気を掃除したり、乾いた大地に潤いを与え、地球に住む生き物が生きて行くために必要なものを与えてくれます。同じように、私たちの人生における雨である、嫌なこと、つらい悲しい経験は、きっと私たちに取って必要な経験なのではないでしょうか? 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」(ローマ8:28) 聖書は、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と語ります。「すべてのこと」とは、「晴れ」も「雨」もです。「いいこと」も「嫌なこと」もです。 つまり、プラスはプラスなので感謝できますが、マイナスはプラスに変わるので感謝できることになります。これはすごい悟りです。奥義です。真理です。すごい発見です。 聖書は、さらにこう語ります。 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ5:16~18) つまり、「晴れの日はハレルヤ! 雨の日はアーメン!」の人生です。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しながら生きる人生です。 これは、根拠のない(失礼!)引き寄せの法則やスピリチャルな教えとは違います。ちゃんと根拠があるのです。「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」という確かな根拠です。根拠のない感謝は、きっとどこかで行き詰まってしまいます。同じことをしているようでも、しっかりとした根拠を持って「感謝します!」「ありがとうございます!」「ツイています!」と語る人生は幸せな人生です。 「感謝します!」と「ありがとうございます!」は、神に対しての「ハレルヤ!」です。「ツイています!」は、「幸運」「ラッキー」という意味もありますが、「神がツイている」「神が共におられる」ことを信じる「アーメン」です。 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28:20) 今日は、ダジャレや若干こじつけの面もありましたが、大筋では間違っていませんのでお許し下さい。こんな幸せな生き方を共にして行きませんか? 一回の人生を幸福にも不幸にもできますが、それは、あなたの決断があなたのこれからになるのです。 最後に、今日は、「ハレルヤ牧師会」が新宿福興教会で行われます。牧師だけの集まりなので、普段話せないような深い話も互いに話します。楽しく有意義なひと時です。また、牧師会終了後の夕方4時半~5時頃に、参加した牧師たちによる聖書のお話番組を行います。もし良かったらご視聴下さい。生放送+録画放送を見ることができます。 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 新しい一週間が始まりました。感謝に満ちた、すばらしい一週間でありますようにお祈りいたします。
2012年11月11日
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朝礼拝 http://youtu.be/d_tPMdZJOfs 夕礼拝 http://youtu.be/XmEuo6WfuFQ
2012年11月11日
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おはようございます。みなさん元気でお過ごしですか? すばらしい日曜日をお過ごし下さい。 日曜日は、恒例のジョークからお話いたします。 あるご婦人が旦那さんにこう話しました。「あなたに二つの悪い知らせがあるの・・・。」 「何だいお前?」 「実は、お医者さんから言われたの。あなたの余命が3年なんですって」 「そっ、そうだったのか・・・。どおりで、最近、体の調子が悪いと思った・・・。でも、残された時間、最後まで頑張るよ。で、もう一つの悪い知らせって何だい?」 「あなたに伝えるのをすっかり忘れてしまっていて・・・。お医者さんに言われてから、そろそろ3年たつのよ・・・。」 余命の宣告には賛否両論があります。余命を告げられたことで、すっかり元気をなくしてしまって、死期を早めてしまう人もいます。しかし反対に、残された人生を楽しもうと、世界旅行をしたり、今までしたいと思っていたことにチャレンジしたりしているうちに、喜びや笑いがガンを死滅させてしまって、生き続けている人もいます。 あるクリスチャンの人は、脳に腫瘍ができていて、余命半年と告げられました。あわてて聖書を読み、毎日祈るようになりました。ある日、聖書を読んでいたら次の聖句を見つけました。 「まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。しかし、私たちは思った。彼は悩まされ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの罪のために傷つけられ、私たちの不義のために砕かれた。彼(イエス・キリスト)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼(イエス・キリスト)の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(旧約聖書 イザヤ書 53章4~5節) 「彼(イエス・キリスト)自身、木にかかって、私たちの罪をその体に負われました。それは私たちが罪に死んで、義に生きるためです。あなたがたは彼の打ち傷によって、いやされた(健康になった)のです。」(新約聖書 ペテロの手紙第1 2章24節) この人は、聖書の中に神が健康を与えて下さるという約束を見つけ、信じました。そして、毎日祈り続けました。何と、それから数年が経ちましたが、今でも元気に生きています。 余命宣告は、通常、人を窮地に追いやります。しかし、そこで目を覚ますかのように、ハッとして、人生を何倍も中身のある生き方をしたとしたらとても良かったことになります。ある場合は、楽しいことをしているうちに病気が治ってしまうこともありますし、神に祈ることで、病気がいやされることもあります。事実を直視できる人には、厳しい内容ですが、プラスになります。 実は、すべての人が余命宣告をされているのと同じです。長い人は100年以上行きますが、平均70~80年です。ある人はそんなに長くありません。にもかかわらず、人は自分の死に関してほとんど考えていないのではないでしょうか? あなたはどうですか? 今晩が人生の終わりの時であっても、悔いの最期を迎えられるでしょうか? 「私の人生これで良かった!」と言えるでしょうか? 神が与えられる救いには二種類あります。命の救い 人生の救い です。 命の救いは、来世、つまり、死後に与えられる救いです。復活し、永遠の命が与えられて天国に入ります。 人生の救いは、現世で与えられる救いです。私たちは、いつか必ず死ぬべき存在です。しかし、一回きりの人生を最高に幸せに生きれたら、その人の人生は救われていることになります。人生の救いは、人がどう思うかではなく、自分自身が「私の人生これで良かった!」と言える人生を生きているということです。 神様は、キリストの十字架と復活を通して、来世と現世を救って下さいます。 これがGood Newsです。しかし、このGood NewsがGood Newsになるために、まずBad Newsがあります。聖書は、「あなたは罪人です」と語ります。 この「罪」とは、ギリシャ語で「αμαρτια(ハマルティア)」で「的外れ」という意味です。犯罪者というより、原罪(original sin)を持った存在という意味です。人は、罪を犯したから罪人なのではありません。原罪を持った罪人だから罪を犯すのです。だから、罪を犯さない人は一人もいません。人に迷惑をかけないように心がけていたとしても、人は、大なり小なり、必ず罪を犯しており、全てを知っておられる神の前で言い逃れができる人がいません。これはBad Newsです。 そして聖書は、「罪の支払う報酬は死である」(ロマ6:23前半)と語ります。 何だ、聖書は人を脅かし、Bad Newsを語って布教しているのか・・・!とある人は思うかも知れません。脅かしているのではなく、これが事実なのです。この死には、肉体の死 魂の死 の二つがあり、肉体の死の後に、神の裁きを受けて、第二の死である魂の死、つまり、地獄に永遠に送られてしまう死があります。絶望的なBad Newsです。 しかし、ここからがGood Newsのはじまりです。その罪の刑罰と肉体の死と魂の死と地獄の裁きを、神のひとり子イエス・キリストが十字架で身代わりに引き受け、墓に葬られ、三日後に死人の中から復活されました。このできごとが私の身代わりであったと信じる人は誰でも救われるのです。 もし私が、あのご婦人が余命宣告を死の直前までしなかったように、このBad NewsとGood Newsを誰にも知らせなかったとしたら、ひどい人です。 私を知っている人なら、死んだ後に神の前に立った時、「菅野直基という男は、クリスチャンなのに、しかも、牧師なのに、このBad NewsとGood Newsを知らせてくれなかった。ひどい奴だ!」と言われてしまうことでしょう。 私は、できる限り毎日、このBad NewsとGood Newsを知らせています。 その時になって、「信じておけば良かった!」と後悔することだけはしてもらいたくありません。どうぞ、チャンスのある今、このこのBad NewsとGood Newsを信じ、イエス・キリストの救いを受け取りませんか? この救いは、来世だけではなく、現世でも与えられ、幸せな一生を送り、その喜びを分かち合いながら生きて行きませんか? 今日は日曜日です。教会では礼拝の集会を行っています。どうぞいらっしゃいませんか? また、インターネットで中継や録画放送をしています。もし良かったらご覧下さい。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年11月09日
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おはようございます。土曜日になりました。一週間お疲れ様でした。外は穏やかな秋晴れで気持ちがいいです。こんな日はゆっくり散歩でもしたくなります。 今日は、人の運命を変えてしまう祈りについてお話します。それは、「ヤベツの祈り」と呼ばれる祈りです。「えっ?キャベツの祈り?」と、つい聞き返してしまいたくなるような、聞きなれない(クリスチャンの人は知っていると思いますが)名称です。 「ヤベツ」というのは人の名前です。その意味は、「悲しみ」「痛み」という意味です。「名は体を表す」と言われますが、名前は重要です。いつもその名で呼ばれますので、顕在意識だけではなく、潜在意識にまで影響を与え、自画像(セルフ・イメージ)を形成しますので、立派すぎる名前を親に付けてもらって、「名前負け」している人も、やがてその名前のように生きて行くようになるものです。それだけ名前は重要です。 ヤベツのお母さんは、悲しい状況の中で出産しましたので、「ヤベツ」と命名しました。ヤベツは、生まれながらにして、悲しみと痛みの運命を背負わされて来たような人なのでしょう。 しかし、ヤベツが次の祈りを祈った時に、神が祈りに答えられて、運命が変えられました。 『彼(ヤベツ)の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから。」と言って、彼にヤベツという名をつけた。ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。』(旧約聖書 第一歴代誌 4章9節~10節) 悲しみに運命づけられたヤベツが、神に祈ると、神はその祈りに答えられた、と言うのです。 みなさんの中で、自分は恵まれていない。貧乏くじを引いた。不幸の星の下に生まれた。貧窮生活を送り、辛酸を舐め、不遇生活苦にあえいでいる。と感じている人もいるかも知れません。いや、そこまでは行かなくても、私たちの日本は、世界一幸せな国と言われるブータンに比べると、「幸せ」と感じていない人が少なくありません。自殺未遂者を除く、年間自殺者数が毎年3万人を超えることもそのことを裏付けています。 今日ここに、あなたの運命を変える祈りがあります。それが、「ヤベツの祈り」です。 その内容は4つです。 1、私を大いに祝福してください 2、私の地境を広げてください 3、御手は私と共にありますように 4、災いから遠ざけて苦しむことがないようにしてください この祈りは、きっとあなたも共感してもらえるのではないかと思います。神は私たちの天の父です。私たちを子として見て下さっています。ですから、もし、天の父である神に祈りを捧げるならば、その祈りに神は答えて下さいます。 そのために、この天の父である神から離れた状態を聖書では罪と呼びます。心の向きを変えて、「私の神を信じます」と天の父の元に立ち返りませんか? その願いがあるならば、この祈りを心こめて祈ってください。 「天の父である神さま。私を愛して下さり感謝します。私はあなたから離れていた罪人です。しかし、今あなたの元に立ち返ります。イエス・キリストが私の罪の身代わりに十字架にかかり、死んで墓に葬られ、三日目に甦られたと信じます。このイエス・キリストを、私の罪からの救い主、人生の主として心の中心にお迎えいたします。アーメン。」 この祈りを心から捧げたならば、神の子供となりました。そしてもう一度、「ヤベツの祈り」に目を向けて、遠く離れた神ではなく、いつも共におられる天のお父さんに向かって、1、「私を大いに祝福してください」 2、「私の地境を広げてください」 3、「御手は私と共にありますように」 4、「災いから遠ざけて苦しむことがないようにしてください」と祈って下さい。 神は、あなたの祈りに答え、あなたの人生は祝福され、テリトリーが広げられ、神がいつも共におられ、災いと苦しみから遠ざけてくださるでしょう。 簡単な祈りですが、大きな効果のある祈りです。神は愛です。あなたを愛し、あなたの幸福を願っておられます。神はあなたの自由意思を尊重されるので、あなたが祈るときに答えてくださるのです。 この週末は、祈り時間を持たれたらどうでしょうか? すばらしい時をお過ごし下さい。
2012年11月09日
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おはようございます。今日は特に気持ちのいい朝です。この青空のように、私たちの心も晴れ渡り、喜びにあふれた一日でありますように。 植物は、自分が植えられた場所で花を咲かせます。私たちも、今置かれているところで花を咲かせて行けたら素晴らしいですね。「ナンバーワン」を目指す人生ではなく、「オンリーワン」の人生です。 「オンリーワンの人生」と「今いるところで花を咲かせる人生」を良く表現している歌が、SMAPが歌った「世界に一つだけの花」(作詞・作曲・編曲:槇原敬之)です。 「オンリーワンの人生」のメッセージは、この曲が世に出る前から語っていましたので、それが歌になったことにとても驚きました。しかも、紅白歌合戦で歌われれているのを聴いた時には、賛美歌がTVで歌われていると感じて感激したほどです。 世の中は、競争原理で動いています。成績、実績、外見などで評価が決まることがほとんどです。しかし聖書は、「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル16:7)と書かれています。神は、心、本質、実態を見て評価されるのです。公平に評価して下さる神のまなざしを意識したら、人や世の中の評価だけにとらわれる必要はありません。 あなたは、世界で唯一の存在ですから、比べる対象はいないのです。どうしても比較したいとしたら、過去の自分です。人と人を比べることで人の心は病み、やる気をなくし、争いを生み出します。 「ナンバーワン」という尺度は、結果に過ぎません。世界で唯一の「オンリーワン」である自分自身を最高に生き、今いるところで花を咲かせた結果、「ナンバーワン」と評価されることもあります。あるいは、「最下位」と評価される場合もあります。それでも、「オンリーワン」の自分を自分らしく、最高に生きたとしたら、それこそが「ナンバーワン」なのです。 花屋の店先に並んだ いろんな花をみていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で 一番になりたがる? そうさ 僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 「今いるところで花を咲かせる人生」は5つあります。 (1)与えられた今、この時、この場所、この自分を感謝する生き方。 (2)ありのままの自分をそのままで受け入れ、自分じゃない自分になろうとしない生き方。 (3)自分と人を比較しないで、自分に与えられた使命と可能性の花を咲かせることに一生懸命な生き方。 (4)自分と誰かを比較したいなら、過去の自分と比較して、昨日より今日、今日より明日にもっと成長し、前進することを目指す生き方。 (5)神と直結して、神の命によって成長する生き方です。 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネの福音書15章5節) 「オンリーワン」のあなたの一日の祝福をお祈りいたします。
2012年11月08日
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おはようございます。今日も素敵な朝を迎えられて感謝致します。家の外では鳥がきれいな声でさえずっています。東京の朝を朝を彩ってくれています。今日もすばらしい一日でありますようにお祈りいたします。 相手の利益だけを考える。これが私の仕事に関する基本的な考え方です。しかし、結果として自分にも利益が与えられ、やりがいを感じられたり、「あー良かった!」と思えることが多くあります。 牧師の仕事の一つは、人から色々な問題解決の相談を受けることです。 「相手にとって一番いいことは何だろう?」「どうしたら一番相手が喜んでくれるだろうか?」と考えます。 「どうしたらこの人をうまく利用して利益を得られるだろう?」と考えていたら、相手に取ってありがたくない相談相手になり、結果、「この人に相談をしても自分にとっていい解決が得られない」と感じて離れて行きます。 相手に取って一番いいことを一緒に考えてあげたら、その人はとても助かり、うれしくなります。私は損をするでしょうか? そうではありません。 相手に役に立てたという充実感を得られます。 問題解決を一緒に考える中で、その解決法が自分の問題解決にも適用することができて、自分の問題も解決します。 相手は喜び、感謝してくれて、良い友達になれたり、慕われたり、良いパートナーになることもあります。 ある場合は、感謝の献金やすばらしいお土産を持って来てくれることもあります。 教会の信者となり、教会を支えてくれることもあります。 私は妻帯者ですが、独身で結婚相手を探している人なら、その相手が異性であったら将来のパートナーになることもあります。 相手の利益を考えて生きることはいいことずくめです。 相手の利益だけを考えたならば、相手がうれしくなり、相手の喜んでいる姿を見てこちらもうれしくなります。人生は、これだけで幸せを感じられます。 相手の利益は後回しで、自分の利益を優先して考えていたらどうでしょうか? その気持ちはすぐに相手に伝わります。相手もあんまり喜んでくれないし、その相手の姿を見てがっかりし、さらに、「こんなに時間を割いてやってるのに、何だあいつの態度は!!」と感じて、人間関係にヒビが入り、良いことはなく、悪循環です。 「相手の利益だけを考える」ことは、どんな仕事にも適用・応用ができ、即役に立ちます。 サラリーマンなら、上司・同僚・部下の利益だけを考えて仕事をしてみて下さい。きっと最短で出世して行くか、そうでなくてもかけがえのない存在として愛され、かわいがられるでしょう。良いものが帰って来たり、上司から信頼され、同僚に好かれ、部下から慕われるようになり、その職場は天国のように感じられるようになることでしょう。 セールスマンならどうでしょうか? 相手のニーズを知り、相手の利益を考えるセールスマンセールしたら、相手はとうれしくなり、きっとあなたを信頼するようになり、好意・好感を持ち、感謝し、最後には、あなたが売っている商品を買ってくれることも稀なことではないはずです。 政治家はどうでしょうか? 区議・市議・町議・村議というような身近な議員の働きはよく見えますが、都議・県議・府議・道議などになると、どんな仕事をしているのかあまり見えて来ないことがあります。知事、区長、市長、町長、村長などの首長はそれなりに見えますが、国会議員も、激務のはずですが、閣僚や与党議員でないと、あまりTVに映りませんので、あまり見えて来ません。自分の実績を自分で語らないとわかってもらえない部分がありますが、政治家が、人々の良い生活と利益だけを考えて体を張って働いていたとしたら、その思いが必ず伝わり、応援し、支援する人が段々増えて行くものだと思います。しかし、そういう思いを持たない人が、ある日総理大臣になったら、真の姿が国民の前にさらされてしまうことがありま す。 私がネット上で文章を投稿する理由は、相手に取って何が有益で、何が助けになり、どんなことを書いたら気持ちが軽くなり、救われるか?だけを考えるようにします。牧師の仕事全般も同じです。もちろんその思いは完璧ではありません。自己中心的な思いに傾いてしまうこともあります。しかし、方向だけは、相手の益だけを考えています。その時私は、何とも言えない幸福感を感じます。相手への肯定的な思いは、まず私の心を通過して行きますので、通過している段階から幸せです。そして、その思いは相手に流れて行った時に、幸せを感じてもらえるとしたら、その人が幸せになって、幸せな顔をしていたら、その顔を見た私は幸せになり、幸せを感じた人と一緒にいる私は、さらに幸せになります。幸せ な人は、何もしなくても周りを幸せにしてしまうものです。 最後に、どうしたら、人の利益、得ばかりを考える生き方ができるのでしょうか? あなた自身の利益や得だけを考えてくれる人との出会いが鍵です。その方に出会ってもらうために私は毎日生きています。イエス・キリストです。このような方は世界中どこを探してもいません。しかし、愛と善意と優しさに満ちたキリストは十字架にかけられて殺されました。私やあなたの罪、全世界の罪がキリストを十字架にかけたのです。 傷ついた人は、他の誰かを傷つけることで自分の傷をいやそうとします。これがいじめのカラクリです。いじめっ子は、かつていじめられっ子だった場合が多いそうです。私の傷、怨念、怒り、悲しみ、どうすることもできない悶々とした感情は、キリストが引き受けて下さいます。 「重荷を負って苦労している人は私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげよう」と、キリストはあなたを招いています。今日、あなたの心の重荷、孤独、傷の全てをキリストに引き受けて頂きませんか? 愛された経験を持ったら、別に無理をしなくても、気がついたら愛の人になって行くものです。人は、いつも一緒にいる人に影響され、似て行きます。似た者夫婦が良い例です。目に見えませんが、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストと共に歩んだら、気がついたら、人の利益や得だけを考える人になり、その生きたは好循環と幸せと祝福をもたらせ、毎日の生活が天国のようになり、豊かな毎日を生きる人になることと思います。 聖書のゴールデン・ルールである「自分がしてもらってうれしいことを他の人にもしてあげなさい」という教えを実行しようとする前に、あなたを愛して下さるイエス・キリストと出会い、その方との交わりを深め、いつも共に歩んでもらいたいと思います。そうしたら、生き方は、気がついたら変わって来るものです。 一緒に、幸せな毎日を生き、この世界に幸せをまき散らし、幸せな地球、日本、町、家庭を作って行きたいですね。いつもみなさんに心から感謝をしています。ありがとうございます。
2012年11月07日
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おはようございます。昨日までの雨があがり、すがすがしいですね。心も体もすがすがしく、喜びに満ちた一日でありますようにお祈りいたします。 「レ・ミゼラブル」を書いたフランスの詩人であり、小説家である「ヴィクトール=マリー・ユゴー」(Victor-Marie Hugo 18xxx-xxx-xxxxx)は、『人生 最上の幸福は 自分自身の いかんにかかわらず 愛されているという 確信である』と言いました。 人が最上の幸福感を感じる時は、「愛されている」「自分は自分で大丈夫!」という実感がある時です。私たちは、この「愛されている」「大丈夫」という実感が必要な存在です。 人は、生まれてから3歳くらいまでの間に、親からの無条件の愛を受けるものです。その時期、そういう愛が必要だから、赤ちゃんはかわいらしくあるのではないかと思います。私の友人は、自分の子どもを「食べちゃいたいくらいにかわいい」と言いました。 しかし、3歳を過ぎたくらいから、無条件の愛は条件付の愛に移行し、教育がはじまります。教育は必要です。この教育が教育となるためには、3歳くらいまで無条件の愛を愛された土台が必要です。教育とは、「そのままではダメだよ!」というメッセージだからです。 無条件の愛という土台の上で、適切な教育を受けて来なかった子どもはわがままになり、人の話が聞けなくなり、社会に適応することが難しく、人間関係に大きな問題を抱え、精神的に病んでしまったり、引きこもってしまうことがあります。 心が病んでしまった方のご両親に会ってみますと、非常に冷たいタイプの人をイメージしていたのに、意外にも優しそうな両親なのでびっくりしてしまうことがあります。しかし、3歳までの無条件の愛を与える時期に夫婦仲が悪くて、愛するどころではなかったり、教育をしなければいけない時に、しっかり教育をして来なかったのかも知れません。 人は、無条件で愛されたという土台があってこそ、教育を教育として受け止めて成長することができます。 無条件の愛の土台がない教育は、ゆがんだ性格を育成してしまったり、心に問題を抱えてしまうことがあります。 また、教育のない優しさは、自分の思った通りにならないと気が済まないわがままな性格を育成し、社会への適応が難しくなります。 毎日TVや新聞、インターネットなどから流れるニュースを見ていると、異常だと思える事件が数多く起こっています。これらの人を育てた親の教育の失敗は決して否定できません。 しかし、その両親も、その両親から適切な愛と教育を受けて来なかったのだと思います。先祖伝来の負の連鎖が連綿と続いています。この悪循環をどこかで断ち切ることができないのでしょうか? 人は、親から受け損なった無条件の愛を求めて恋をしたり、結婚をします。しかし、その相手に愛を求めても得られないので、互いに争いになります。なぜなら、その相手もこちらに無条件の愛を求めているからです。互いに愛を求め合うのにそれが得られない関係はとてもつらいものです。そして、泥沼の関係になり、離婚をしたり、傷つけ合ってしまいます。 無条件の愛は、3歳までしか受けることが極めて難しいのです。 その愛を人に求めて得られませんし、物質や権力や名誉に求めても満たされることはありません。一体どうしたらいいのでしょうか? 一つだけ無条件の愛を受けられる方法があります。イエス・キリストの十字架を通して与えられる神の愛です。 「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛してくださって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」 (ヨハネの第一の手紙 4章10節) 神の愛は、今、この瞬間にも、あなたが信じるなら与えられる愛です。3歳までに受けそこなった無条件の親の愛をはるかに超えるものです。 神の愛は、あなたを新しく生まれ変わらせ、必要な無条件の愛を与え、教育を与え、人生をやり直すことができます。 「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」(ヨハネによる福音書3章3節) 私は、18歳の時に神を信じてクリスチャンになりました。それから、紆余曲折もありましたが、一つだけ失わなかったものがあります。神から愛されているという実感です。今でも、図々しいくらいに、神が私を愛して下さっていると感じています。愛されている実感は、どんな状況の中にあっても、どんな試練が押し寄せたとしても、幸福感を失うことがありません。 あなたは、もしかしたら、親の愛を受けて来なかったかも知れません。あるいは、何らかの事情により、親の愛を知らないかも知れません。しかし大丈夫です。神は、孤児の父です。「たとい親があなたを捨てたとしても、私はあなたを捨てない」と語られます。神は、キリストの十字架を通してあなたを無条件で、一方的に、完全に愛しておられます。 この事実を信じ、受け入れませんか。無条件の愛こそ、あなたに絶対不可欠な人生の土台なのです。この愛があなたに注がれ、実感されているならば、どんな教育も素直に受けられますし、どんな逆境をも乗り越えて行くことができます。 無条件の愛は、あなたの行い、あなたの過去、あなたの現在の生き方に左右されない愛です。どうぞ、そのままの姿で、あなたを造られた神の前に出て来てください。キリストは、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』とあなたを招いています。この愛を実感しながら今日も歩んで行きましょう。この愛は、手を伸ばせばそこにあるのです。 良い一日でありますように。God bless you!
2012年11月06日
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おはようございます。今日は雨の一日になりそうです。加えて、冷え込みも厳しくなっています。風邪をひいたり、体調を崩されませんようにお祈りいたします。 昨日、皇居勤労奉仕に行って来ました。勤労奉仕の期間は4日間で、うち3日が皇居、1日が赤坂御用地です。昨日は東御所を中心とした勤労奉仕でした。あと2日間は、宮殿と天皇陛下のお住まいである御所の周辺です。 草むしり、草刈りを中心とした作業をしながら、愛する日本の復興、復活、救いをひたすら祈りました。神様が、どれだけこの国を愛しておられるのかを強く感じました。 昨日の皇居は、とても冷え込みました。急に寒くなっているので、風邪などひかないように気をつけなければいけないなーと感じます。みなさんも気をつけてくださいね。 何日か前に、中国河北省にある万里の長城で日本人3人が遭難事故に遭い亡くなるという痛ましい出来事が起こりました。旅行を企画した「アミューズトラベル」は、2009年にも、トムラウシ山で悪天候に見舞われ、登山者9名が低体温症で死亡するという事故が起こしましたが、その事故の教訓は生かせなかったのでしょうか。「あんな大雪が降るなんて想定外でした」では済まされません。 もちろん、わざと事故を起こした訳ではありません。シンドラー社のエレベーター事故にしても、チェルノブイリや福島第一原発の事故にしても、想定が甘かったので起こった事故ですが、当事者に「責任を取れ!」と言っても、完全に責任を取り切ることはできません。 アメリカに上陸したハリケーン「サンディー」は、巨大な木をなぎ倒し、クレーンをへし折りました。自然の驚異を見せつけられました。天災の責任は誰にあるのでしょうか? 聖書は、私たちの住む地球は、最初が一番良かったと書かれています。家も車も、どんな物でも新品が一番です。使い込むほどに味が出るというものもありますが、同じお金を出して、あえて他人が使った中古を買うという人はまずいません。 神様は、全知全能のお方ですから、一瞬で地球を造ることもできましたが、6日間もかけて造って下さいました。完璧な創造であり、人間が住むのに最も適した環境です。環境が整った最後に人間を造られました。アダムとエバが生きていた頃の地球は、どれだけ美しく、すばらしいものであったか想像もできないほどです。 神様は、何をしてもいい自由を人間に与えました。ただ、一つだけ禁止事項を設けました。エデンの園の中央にある善悪の木の実を食べることです。しかし、アダムとエバは、悪魔にそそのかされて、禁じられた罪を犯しました。神を捨てて悪魔に従う罪でした。 アダムとエバの子孫は、りんごの種をまけばりんごが生えてくるように、罪人として生まれてきました。やがて地球には、罪を持った人で満ち溢れて、収拾がつかない状態になり、神様はその人類を洪水で裁きました。洪水は、地球全体が沈められるほどの大規模なもので、地球環境は破壊されました。しかし、ノアの箱舟に乗ったノアの家族と全ての動物のオスとメス一匹ずつが助かりました。 みなさん、地球の歴史は、ノアの洪水で、一度環境が破壊され、地殻変動が起こり、環境が激変したのです。それまでの人間は、平均900歳まで生きていたのに、それ以降は、平均70~80年になり、長くても120歳が寿命になりました。これは、地球と地球をを取り巻く環境破壊による結果です。 今、どんなに自然がきれいだと思えても、神様が地球をすばらしく装って下さっていますが、一度破壊された環境です。 秋の紅葉は美しいです。大好きです。日本は自然が豊かで、山も川も湖も海も林も森も美しいです。 皇居は武蔵野の自然の宝庫です。日本全国の木々が植えられ、昭和天皇の意向で、自然にできるだけ手を加えない環境が保たれています。 しかし、地球の環境は破壊されているのです。 アメリカに上陸したハリケーン「サンディー」も破壊された環境がもたらしました。3.11の東日本大震災も破壊された環境が大地震を起こしました。豪雨、台風、火山爆発、津波、暴風、そして、万里の長城での突然の大雪(豪雪)も、地球の環境が破壊が原因です。さらに、その環境破壊の原因を追求して行ったら人間の罪(原罪)にまでさかのぼります。 ある人は、「人間に罪を犯す可能性をつくった神がいけないのではないか」と言います。神が善悪の知識の木をエデンの園に植えられたのは、人類に与えられた自由意思のゆえです。禁止事項がなければ自由意思は自由意思ではなくなります。 例えば、結婚関係においての禁止事項は貞操です。誰でも好きになったら心のおもむくままに男女関係を結んで行ったら結婚の意味はありません。神と人類の関係も同じです。全てが許されていた。しかし、人類は、たったひとつの禁止事項を犯してしまいました。それが、人類に死をもたらし、地球環境を破壊しました。 進化論は、宇宙の始まりはビックバーンで、生物はアメーバーのような単細胞からはじまり、偶然に進化して人類が誕生したとの仮説です。一言で表現すると、最初は良くなかったものが、段々良くなって来て、未来にはもっとよくなって行くという考え方です。あくまで仮説で、証拠は何一つありません。 聖書は、神が6日間で天と地球を創造され、人間を神に似た愛の対象として手作りで造られたと語ります。そして、地球環境も、人間も、最初が一番良かったと書かれています。一言で表現すると、最初良かったものが、段々悪くなり、未来にはもっと悪くなる。そして、この世界には終わりの日があると教えます。 さらに、神は新天新地を造られると語っています。 「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」(ヨハネの黙示録21:1~4) 数千年前に、誰も予期せずノアの洪水が突然やって来ました。しかし、ノアの家族と全ての動物のオスとメスが生き残りました。ノアの箱舟に乗ったからです。 1000年に一度と言われる3.11の東日本大震災も突然起こりました。「想定外だった」と口々に語った言葉を聞きました。 世の終わりが近づいています。それがいつなのかは誰にもわかりません。ノストラダムスの大予言、新興宗教、カルト宗教、エホバの証人などの終末予言は全て偽りです。この世の終わりの日は、神以外誰も知らされないのです。しかし、泥棒や強盗が、予期せず突然やって来ることがあるように、世の終わりの日はやって来ます。 ノアの家族がノアの箱舟に乗ったので救われたように、私たちは、イエスの箱船に乗る必要があります。それは、イエス・キリストを信じることです。 クリスチャンは世界に20億人以上います。その人たちは、いい人もいますが、そうじゃない人もたくさんいます。これは宗教ではないからです。ただ、イエス・キリストを信じたことによって、恵みによって救って頂いただけの罪人です。いい人にならなければいけないというプレッシャーは必要ありません。それでは救いではありません。 「人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」(ガラテヤ 2:16) 今日は、とても長くなってしまいました。ここまで読んで下さってありがとうございました。 結論として、この世の終りは、火による裁きによってやって来ます。その裁きに耐えられる人は一人もいません。イエスの箱船に乗ること以外に救いはありません。しかし、たった一つですがそこに救いがあるのです。そして、その救いは、誰にでも平等に差し出されています。 今の世界を見ていたら、段々悪くなっていることを誰も疑わないでしょう。また、この世の終わりの日が来ることを多くの人が意識しはじめています。 神は、なぜキリストを信じないと救ってくれないの? と問うのではなく、神は、キリストをクリスマスに誕生させ、私たちの罪のために十字架にかかって死なれ、死んで墓に葬られ、三日目に復活して救いの道を与えて下さったことを感謝して下さい。 神は、なぜ食事をしないと生かしてくれないの? と考えるでしょうか。食事がなければ文句も出ますが、食事を食べることで生きて行けます。食べたらいいのです。 同じように、イエス・キリストは、今、あなたに救いの御手を差し伸べています。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) どうぞ、この救いを受け取って下さい。「イエスが私の罪のために十字架で死に、葬られ、よみがえられました。私を救って下さい!」と祈って下さい。救いは、その瞬間与えられます。 雨の一日になりそうです。温かい服を着て、足元に気をつけて過ごして下さい。すばらしい一日でありますように。 今日もどうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。
2012年11月05日
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おはようございます。外は曇り気味で静かな気持ちのいい朝です。最高に素晴らしい一週間でありますようにお祈りをいたします。 今日は、皇居勤労奉仕に行って来ます。内容は皇居掃除のボランティアです。皇居を掃除しながら、愛する日本のために祈りたいと思っています。 勤労奉仕は数回目ですが、その都度、皇居の色々な場所の掃除を頼まれますので、新しい発見があります。落ち葉を集め、草をむしり、土いじりをすることで自然と触れ合う時間がつかの間のいやしになります。 聖書は、人間を土のちりで造り、命を息を吹き込んだと語ります。 「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」(創世記2:7) DNAを調べると、人と土のDNAの形はほとんど同じだという話を聞いたことがあります。人の体は土から造られ、やがて土に帰って行くんですね。しかし、人の魂は永遠の存在です。 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(第二コリント4:18) 勤労奉仕に行くと、三つの出会いがあります。一つ目は、皇室と方々との出会いです。天皇皇后両陛下と皇太子殿下とお会いすることができます。 二つ目は、同じ時に、勤労奉仕に来られる方々との出会いです。毎回、何人かの友だちができます。今回も新しい出会いを楽しみにしています。 三つ目は、祈りを通して、日本を愛しておられる神との出会いです。日本は、政治も経済も混沌としていますが、神さまは必ずこの国を顧みて下さり、復興と復活を与えて下さりと信じます。 新しい週が始まります。今週、みなさんにとりましても、きっと新しい素敵な出会いがあることを信じます。 ユダヤの哲学者のマルティン・ブーバー(1878年~1965年)は、「人生は出会いで決まる」と言いました。本当にそうだなーと感じます。 友達との出会い、恋人との出会い、師との出会い、配偶者との出会いなど、出会いによって人生は大きく変わります。いい出会いはいい人生をもたらし、悪い出会いは悪い人生をもたらします。出会いは大切です。 人生を決定的に変える出会いは、神との出会いです。マルティン・ブーバーは「我と汝」と言いました。神を神話の中の抽象的な存在として捉えることではありません。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というような神対集団というような関係でもありません。一体一で神と出会い、一人神の前に立ち、神と向き合い、神と共に歩んで行く出会いです。神と「我と汝」という出会いをしたならば、人生は必ず大きく変わります。 人生には、起こってほしくない不測の事態が起こりえます。「あー、こんなことしなければ良かった。」「こんなことを言わなければ良かったのに!」と後悔するようなことが起こりえます。しかし、神との出会いは、どんなマイナスもプラスに変えてしまいます。また、ピンチをチャンスに変えてしまいます。そんなことが起こったらすごいですね。しかし、それが起こるのです。 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1) 新しい一週間、素敵な人との出会い、神との出会いを求め、祈り、期待して歩んで行って下さい。GOD bless you!
2012年11月04日
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おはようございます。週休二日目の日曜日、外は青空が広がり最高に幸せを感じます。みなさんもぜひ、外に出て、気持ちのいい青空を見て、深呼吸してみて下さい。心の中に幸せが満ち溢れるのではないかと思います。 ♪幸せなら 態度でしめそうよ♪は、「幸せなら手をたたこう」(作詞:きむら・りひと)の一節です。 子供を見ていると、幸せを態度で現します。それを見ている人も、不思議と幸せを感じて、幸せになるものです。 心にある感情を、素直に表現すると、心と心が通い合い、その感情が伝わります。そのようにして、気持ちを共有することができます。 私は、自分の気持ちをできるだけ素直に、そして、ストレートに伝えたいと思っています。それは、この幸せを共有してもらいたいからです。 私の仕事である牧師は、宗教の布教をしているのではなく、神が私にして与えて下さった良いニュースを伝えることです。 宗教は、ほとんどの場合、禁欲的な側面を持ち、面白くない部分があります。自分が無理をして、面白くないものを伝えようとしても、そこには無理があります。 もちろん、宗教によって悟りを開いた人は、そこに見出した幸せや喜びがありますので、それを伝えるなら、わかる人には伝わって行きます。 私が伝えている神から頂いた恵みは、私の根本的な部分の幸せと喜びです。インスタントで、表面的なものではなく、静かで、深く、永遠に変わらないものです。忙しく、手軽さを求める時代の中で、なかなかダイレクトに伝わらないと感じますが、私は伝え続けたいと思っています。 イエスは、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と語りました。 病気であっても、病気を自覚しない人には医者を必要とは感じません。しかし、必要です。同じように、罪人であっても、罪の自覚がない人にキリストの救いを必要とは感じません。しかし、必要です。 私が体験してうれしかったこと、良かったことは、私が救われたこと。天国に行けることです。私の人生最大の問題はすでに解決しています。もちろん、人生に悩みや葛藤は付き物ですが、最大の問題が解決しているのならば、それ以下の問題もおのずと解決するはずです。例えば、200kgのバーベルを持ち上げる力のある人には、それより軽いものを持ち上げることは難しくないことと同じことです。 毎日、色々な問題やつらく悲しいこともありますが、その状況の中にあっても、喜びがあります。私は、日常の些細な幸せ、うれしかったことも表現し、伝えたいと思っています。 日曜日、神を礼拝することは、神をたたえることであり、幸せを態度でしめすことです。共に、創造者である神を礼拝しませんか? 『幸せなら 手をたたこう 幸せなら 手をたたこう 幸せなら 態度でしめそうよ ほら みんなで 手をたたこう』 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のYouTubeのURLをお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年11月03日
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おはようございます。今日は国民の祝日「文化の日」です。他に、「まんがの日」「レコードの日」「文具の日」「関西文化の日」 などでもありますが、知っていましたか? 「日本の常識・世界の非常識 世界の常識・日本の非常識」と言われますが、本当だなーと感じます。 外国に行って、自分が「井の中の蛙」のようだと感じました。そして、自分が嫌というほど日本人だと感じさせられました。 日本の嫌な面をたくさん知りましたが、同時に、日本の素晴らしい面がたくさん見えてきました。 まず、日本は平和です。これを感謝したいと思います。 少し前に、シリアの内戦の激戦地で、日本人のジャーナリストの山本美香さんが銃撃を受けて亡くなりました。シリアでは、国民が政府軍に殺されているのです。 また、日本は安全です。最近では、安全神話が崩れつつありますが、通常の場所では夜女性が一人で帰宅しても心配はありません。世界を見ると、そうじゃない国がたくさんあるのです。 他に、日本は清潔です。当たり前のようですが、町がきれいだなーと感じます。ディズニーランドの掃除キャストもすごいですが、日本の町は、行政のちからもありますが、お互いに町をきれいにしています。 また、日本人は、礼儀正しく、優しく、サービスが行き届いています。かゆいところに手が届くような気配り、阿吽の呼吸というような精神があります。 日本のすばらしさをあげようと思ったら、いくらでもあげることができます。 足りないところに目を向けて改善して行くことは大切ですが、どうも、日本人には、海外の文化や外人さんに対する劣等感、はたまた、自虐史観などが潜在意識の中にまで根付いているように感じます。これも、すばらしさと取れば、謙遜さなのですが、少なくても、自分が生まれ、住んでいるこの国を好きになり、誇りに思う心は大切です。 本当の謙遜さは、自己を卑下することではなく、事実を直視し、事実を事実と認め、そのままで受け入れる柔軟さです。 これは、国に対する態度だけではなく、自分自身に対しても同じです。 キリストは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合い なさい。」と語りました。 キリストは、私たち人類を「ダメだ!」と言って否定したのではありません。確かに、罪とは的外れなことを言いますが、キリストは私たちを愛しているので、十字架で死んで、墓に葬られ、復活して救いの道を開いて下さいました。 キリストは、私たち一人一人を命をかけて愛して下さっています。そして、私たちの国である日本を命をかけて愛して下さっています。 あなたは愛されています。あなたは、神の愛の対象として、愛されるためにこの世に生まれて来たのです。その愛に気づき、信じ、受け入れ、自分を愛し、他者を愛し、日本を愛して行けたらすばらしいと思います。 その愛があれば、日本は沈没したり、滅びることはありません。今、閉塞感があり、窮地にあることは確かですが、日本は必ず復興し、復活します。 文化の日は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」1946年に定められました。これに、「日本のために祈る日」を加えたらどうでしょうか。そして、15回ある国民の祝日の一つではなく、日本を愛する日として、幸せな一日を送りましょう。
2012年11月02日
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こんばんは。一日晴れて気持ちのいい日でしたね。一週間お疲れ様でした。 先程まで、消防団の仕事で歌舞伎町の雑居ビルの抜き打ち検査に行って来ました。先頭は新宿区長で、消防隊員、警察官、区役所の方々と共に、区役所から隊列を組んで歌舞伎町のビルに行って来ました。 2001年9月1日に、東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル」で起きた火災では、44名の方が亡くなる大惨事になりました。このようなことを繰り返してはいけないということから、毎年、雑居ビルに抜き打ちで検査をし、もし問題があった場合は、指導をし、もう一度改善されているかどうかを後日、消防隊員の方々が検査に行き、改善されていなければ、徹底的に改善してもらうように指導をします。 私の仕事は牧師で、人の心に火をつけ、希望を与えることです。しかし、本業の傍ら、消防団員として、自分たちの街を火災から守るためにボランティアをしています。これは、火を消す仕事です。大きな火災や震災が起こった時には、実際に火事の現場の消火活動も行うことになります。 東日本大震災が起こった後、多くの消防団員が活躍しているニュースをTVで見ました。中には殉職した団員もいました。その使命感に敬服し、ますます何とかお役に立ちたいという思いです。 みなさんの自宅や会社は、もし火災が起こった時に、きちんと避難できるルートは確保されていますか? 火災報知器などもつけて、いざという時に備えて下さい。 今日は、花の金曜日。歌舞伎町では、多くのお店が人でごった返していました。そんな中を検査させてもらうのは気が引けましたが、これは、人の命を守ることであり、とても大切なことをしているんだなーと感じました。もし、このような検査がしっかりなされていたとしたら、11年前の火災、あれほどの人たちが亡くなるという大惨事にならなかったはずです。繰り返してはいけないと痛感します。 お互いに気をつけて行きたいですね。明日から二連休、どうぞゆっくりお休みください。
2012年11月02日
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おはようございます。外は雲一つない青空が広がっていて最高の気持ちです。今日も、楽しく、愉快な一日であることをお祈りいたします。 世の中には、無意識に相手を不愉快な気分にさせてしまう人がいます。悪気がなければ、こちらの受け止め方次第で何とかなりますが、わざと相手を不愉快な気分にさせようとする人がいます。 こういう人はいてほしくはありませんが、残念ながらどこにでもいるものです。しかし、非難するのではなく、同情してあげなければならない人です。 こういう人は、攻撃しやすい人を見つけると、けなして「気分を悪くさせてやろう!」と考える不幸な習性を持っています。 その意図は、相手をだしにして優越感を感じることで自分の自尊心の不足を補おうとしています。 このようなことに一々腹を立てたり、気分を害したりしていると、それこそ相手の思うツボです。あなたが余裕を持って受け止めることができるまでは、このような人は避ける方が身のためです。 「うまく言い返してやろう」と考えて、やり返しても逆効果です。何も言わずにほほえんだり、適当なあいづちで受け流したりして、肯定的な気持を失わないことが大切です。 バイブルには、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝をしなさい。」とあります。私たちは、相手の自尊心を高めるために、自分の自尊心を犠牲にする理由はないのです。 あなたは、どんな状況の中にあっても、幸せでいいし、「こういう人がいなければ幸せなのになー」と考えなくていいのです。 イエス・キリストは、「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と語りました。 人があなたに何を言っても、神はあなたを愛しています。その愛に目を向けて、嫌なことを言う人のために祈れたら最高の対応策です。 あなたはその人を乗り越えたのであり、あなたの幸福は失われませんし、やがてその人をも引き上げてしまうのではないかと思います。 今日も幸せな一日でありますように。God bless you!
2012年11月01日
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