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おはようございます。今日から7月。そして今日は日曜日。みなさんはどのようにお過ごしですか? 素晴らしい一週間となりますように心からお祈りいたします。 ある家族は、毎週家族そろって教会に通っています。ある日曜日、教会の帰りの車の中でお父さんがこう言いました。「今日の牧師の説教はつまらなかったし、長かった。聖歌隊の賛美も全く感動しなかったな!」・・・その話を聞いた息子がこう言いました。「お父さん、たった500円献金しただけで期待が大き過ぎるよ。」 クリスチャンが毎週教会に行く目的は、何かを得たり、娯楽のためではありません。礼拝は勉強会ではないし、ショーではないからです。また、人との出会いも目的ではありません。教会に行く目的は、神に感謝を捧げ、賛美を捧げ、礼拝するために行くのです。 教会で具体的にどんなことを感謝したらいいでしょうか? 神が私を創造して下さったことに感謝。 神が罪の中から私を救い出して下さったことに対する感謝。 神が私を守り、導いて下さることに対する感謝。 その時神は、求めもしなかった祝福を与えて下さるのです。生きて行くのに必要な全てを神が与えて下さいます。 「まず神の国と神の義とを求めなさい。 そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイの福音書6章33節) 「神は私たちの天のお父さんである」とイエスさまは教えてくれました。父は、子供が願う前から子供が願うものを知っていて、それを用意し、必要な時に与えて下さいます。 子供がお父さんの顔を見るなり、「おこずかい下さい」「~をして下さい」「~を下さい」と言ったらお父さんの心は寂しくなることでしょう。 お父さんはどうしたら喜ぶでしょう? お父さんといるだけで喜び、はしゃいだり、笑ったり、楽しんでる様子をみる時にうれしくなるものです。 週に一度は教会に通い、神と出会い、神に感謝と賛美と礼拝を捧げたらどうでしょうか。 神は私たちの天のお父さんであり、永遠の父親です。しかし、神との親子の関係が壊れていることを罪と言います。しかし、その罪を赦し、解決するために神の一人子イエス・キリストがクリスマスに生まれ、十字架にかかり、死んで葬られ、三日目に甦って下さいました。イエス・キリストを通しての神との親子関係が修復され、神があなたの天のお父さんとなり、あなたは神の子となります。 人はなんで死を恐るのでしょうか? おそらく、死んだらどうなってしまうのかわからないからです。死んだら無になってしまうのでしょうか? 天の父はあなたに、キリストが復活したように復活を与え、永遠の命を与えて、天国に入れて下さいます。その神との関係をしっかり持っていたら何も心配は要りません。神がいつもあなたと共におられるからです。 どうぞ、日曜日は教会へ。また、ひと時、インターネットを神を礼拝しませんか? すばらしい一週間のスタートをお祈りします。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年06月30日
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http://www.youtube.com/watch?v=Q5p283KZGa8&feature=player_embedded 昨晩、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に抗議する総理官邸周辺にデモ隊が集結しました。主催者発表は20万人、警察当局発表は2万人。国民が声を上げはじめています。真剣に考えなくてはいけない時が来ているんですね。その声を代表するような動画がありました。どうぞ、一度ご覧下さい。
2012年06月30日
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「愛」を考える時に「恋」と混同しやすいかも知れません。「愛」と「恋」の違いは、恋は相手のいい部分だけを見、相手を過大評価していることが往々にあります。そして、結婚をした後に理想と現実のギャップを知り、相手を変えようとして喧嘩をしたり、DVをしたり、性格の不一致等の理由によって離婚をする人がたくさんいます。 次に、「愛」は「恋」とどう違うのでしょうか? 愛は、相手のすべてを知った上で、なお愛することです。最初、「あばたもえくぼ」に見えていた相手が、やがて「あばたはあばた」であったと気付きます。下手すると、「えくぼまでがあばた」に見えて来ることもあります。そこで恋は終わります。愛とは、恋が終わったところからはじまるものです。 人は他人の欠点はよくわかりますが、自分の欠点はなかなか見えません。自分にある明らかな欠点は、「愛がない」ということではないでしょうか。もちろん、恋する相手はいることでしょう。相性のいい人、好きなタイプがあると思います。しかし、愛せないタイプ、「こいつは許せない!」と思う人に遭遇するのは時間の問題です。 聖書は、『神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。』と語ります。 まず、人を愛するとは、目の前にいる人を受け入れ、幸せを願っているかどうかでわかります。遠くにいる人は愛せても、身近な人を愛することは難しいです。 また、インターネット上で出会う人々を心から愛し、祝福を祈れでしょうか? 好きなタイプの人はいても、好きなタイプでない人にどう接するかで、自分に愛があるかどうかがわかります。 天皇陛下、総理大臣、大スターにねたみを感じることはまずないと思いますが、自分と立場があまり変わらず、年齢が近く、能力的に近い人が自分よりも脚光を浴び、賞賛され、成功し、豊かな暮らしをしていること知った時に、何とも言えないねたみを感じる人がいることでしょう。ねたみとは、自分の興味のあるジャンルで、しかも、自分が「こうしたい!」「こうなれたらいい!」と思っていることをしている人を見た時に、複雑な感情になります。しかしそんな時、心から祝福して、「よかったねー」と言って、一緒に喜んであげられるかどうかで愛せるかどうかが現れます。案外それは難しいものです。しかし、愛とは、身近な人の幸福や成功を心から喜べる心を持つところからはじまります。 次に、愛とはあるがままの相手を受け入れる心を持つことです。消極的には、気に入らない人が居ても、誹謗中傷をしたり、うわさ話をしたり、拒絶したり、無視したり、嫌がったり、否定しないことです。そんなところから愛は始まるのです。積極的には、喜ぶ人と共に喜び、悲しむ人と共に悲しむことです。そのような愛に生きる人は、幸せを感じるものです。 聖書は、『目に見える兄弟(人々)を愛することが、神を愛することになる』と語ります。 聖書を一言で要約するならば、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』という言葉になります。隣人愛に生きるなら聖書を生きていることになります。 しかし、愛に生きることは困難です。だから、敵を愛し、十字架の上で赦しを祈ったイエスさまが必要です。しかし、「愛を下さい」と祈り求めるなら、少しづつかも知れませんが、愛に生きれるようなりますので、愛せるようになった分だけ幸せになり、周りの人を幸せします。そして、その愛は、世界中広がって行くものです。海に水を注ぐ川は、最初一滴の水からはじまり、それが大きな川になるように、あなたの小さな愛が、やがて大きな愛となって、地域を満たし、地方を満たし、国を満たし、世界を満たします。共に、幸せな国、幸せな世界を作って行きたいですね。
2012年06月28日
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あなたは物事がうまく行かないような時に、自分に不平不満を言う癖はないでしょうか?そして、もしこのような癖が少しでもあるならば、それが自分に取ってプラスになったと感じたことがあるでしょうか? 自分に不平不満を言うのは、それなりの理由があると思います。しかし、この癖は事態をますます悪くさせるだけです。そんな時は、ありのままの状態を受け止めて、事態を好転させることに力を入れたらいいのですが、不平不満を言うならば、みじめな気分になり、被害者意識が出てきますし、その通りになってしまいます。 不平不満を言う理由は、人生の暗い部分、陰を見ているからなのです。陰の180度反対側には何があるでしょうか? 光があります。 ひまわりの花は、太陽に向かって向きを変えながら咲きます。私たちも、あのひまわりのように明るい方向に向かって向きを変えながら生きていきたいものです。 聖書に書かれている悔い改めとは、心の向きを変えることです。闇から光に向かって、悪魔から神に向かって、病気から健康に向かって、問題から祝福に向かって向きを変えることです。 私たちの口から不平不満が出て来る原因は、人生の光の部分を見ていないからです。暗い部分を見て、そして、そのまま口にしているのです。しかし、言葉で発することは、そのまま感情に直結してみじめで、暗く、被害者であるという気持ちになります。また、それにふさわしい行動を取ってしまいます。 イエス様は、「悔い改めなさい。天国が近づいたから。」と言いました。それは、わかりやすく言えば、手を伸ばせば届く所に天国があるから、あなたの心の向きを変えなさい。ということです。 どうぞ、一緒に今日、心の向きを変えましょう。そこには、罪の赦しがあり、神の霊(聖霊)の満たしがあります。また、心と体の健康があり、人生の祝福があります。そして、天国の鍵があります。それを手に取って下さい。それはあなたのものです。 イエス・キリストは、あなたのために十字架でそれを与えて下さいました。そうしたら、もう不平不満を言う必要がなくなるのです。 今日から、不平不満を言う癖を終わりにしましょう。代わりに、感謝と喜びとありがとうを口にしたいですね。そうしたら、あなたの気分は幸せになり、事態は好転し、最高の人生がはじまります。祝福を祈ります。God bless you!
2012年06月26日
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おはようございます。新しい週が始まり、清々しい朝を迎えていらっしゃいますでしょうか? この一週間は、先週とは違う、素晴らしく、無限の可能性に満ちた週です。有意義な週となりますようにお祈りします。 今日と明日の二日間、「日本民族総福音化協議会」の評議委員会と理事会が持たれます。私のその協議会の評議委員と理事をさせてもらっていますので参加します。何かすごい名称ですが、「日本を愛し、日本の真の復興」を願う草の根運動です。 また、今日の夜と明日の午後は、同協議会主催の「ジーザス・ジュン・フェスティバル」が開催されます。講師は、韓国の芸能人教会牧師の趙コニ氏です。芸能人教会とは、オンヌリ教会の創設者である故・河ヨンジョ牧師が創設した、韓国の芸能人だけが通う教会です。現在は、一般の人も通いますが、韓流ブームで、韓国の芸能人をTVや雑誌を通して見る機会があると思いますが、2/3位がクリスチャンだそうです。 クリスチャンってどんな人でしょうか? まじめで、品行方正で、立派な人が多いという印象を持っている人が多いようです。しかし、日本のクリスチャン人口は1%未満ですので、ほとんど知らない人も多くいるようです。事実、「菅野牧師さんが初めて親しくなったクリスチャンです」という人を何人も知っています。知ってるようで知らない人が多いようです。 ところで、日本の総理大臣経験者の13%がクリスチャンだそうです。また、リーダーや経営者にクリスチャンが意外に多くいます。しかし残念ながら、庶民のクリスチャンが少ないのです。そこに、「教会は敷居が高い」と言われる所以があるのかも知れません。教会の本当の姿は、全ての人が、あるがままの姿で来れる場所です。 私の使命は、特に、庶民の方々にイエス・キリストの愛を知ってもらうことです。しかし、信じるかどうかは聞いた人の自由ですが、今のところ、キリスト教を、「あっ、宗教ね。間に合ってま~す」みたいな感じで、あしらわれてしまうことが多いです。 世界には、全人口の30%にあたる20億人がクリスチャンなのに、日本は特別に少ないです。私は、はっきりした理由が少なくても2つあると思います。その1つは、1612年に江戸幕府が出した「禁教令(キリスト教禁止令)」により「邪宗門」と呼ばれて、キリスト教を信仰したり、布教することを禁止する法令の影響がまだ残っているのではないかと感じます。 次に、オウム真理教の特別手配犯が全て逮捕されましたが、オウムをはじめとするいかがわしいカルト教団、新興宗教の影響で、宗教を一括りに考え、宗教アレルギーを持つ人が増えているからではないかと感じます。 キリスト教は客観的には宗教という形を取っていますが、実態は宗教ではありません。「神」「罪」「救い」を教え、神と共に歩み、永遠の命への道です。ですから、「キリスト教」と言うより「キリスト道」と言った方がいいのではないかと思うくらいです。 聖書は難しいことを語っていません。神がおられること。神から離れた状態が罪(原罪)であること。罪からの救い主として、神の一人子イエスがクリスマスに人間の姿を取って地上に来られたこと。そして、人類の罪を十字架で背負い、死んで葬られ、三日目に甦って救いの道を完成したこと。信じるだけで救われることを教えます。 ここで、なぜ信じるだけでいいのでしょうか? 神の側で救いに必要なことを全て行なってくれたからです。 そうしたらなぜ、信じることが必要なのでしょうか? 救いは、神から与えられた一方的な恵みですが、神は、人にマインドコントロールをして信じさせたり、強引に押し付けたりしないからです。 私の使命は、キリストの道を伝えることです。この救いが日本の真の復興に繋がると信じています。 クリスチャンになると、すぐに聖人で、敬虔で、立派な人になる訳ではありません。人が変わるためには時間がかかります。しかし、自己中心で、利己的な人間が、神の愛に触れると、神が無条件で愛して下さったように、人を愛し、人の幸せを願うようになり、徐々に変わって行きます。 日本の政治家、リーダー、経営者がクリスチャンになったら、人が大切にされる国になって行くと信じます。野田総理大臣は、政治生命をかけて、税と社会保障の一体改革法案の可決と、同じ党内の中間派の議員が賛成に回ってくれるように説得する戦いをしていますが、日本の国を神様が導いて下さるようにと祈るばかりです。 庶民がクリスチャンになったら、今の時点でも日本は世界から評価されています。震災で避難生活をしながら、自分よりもっと大変な人を慮り、一つのおにぎりをもらために何時間も待たされてもちゃんと列を作り、文句を言わない姿に世界は驚いています。もちろん、避難生活の中で、報道されていない醜い出来事はたくさんあることも事実だそうですが、それでも、日本人は優れた人々だと思います。そんな日本人がクリスチャンになったら、世界一幸せな国と言われるブータンよりもっと幸せな国になるのではないかと思います。 日本は、世界で唯一原爆を体験した国です。戦争は何のいいこともありません。戦争の恐ろしさと世界平和を伝えることができる国です。加えて、原発事故を経験しました。日本の技術力で、世界に脱原発依存のモデルを示せる国となり、世界中の国々が、幸せな国になるための一翼を担う国となることを願いします。 TVでチェルシーのコマーシャルがありました。「あなたにもチェルシーあげたい」 私は、「あなたにもイエス・キリストあげたい」です。
2012年06月24日
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イエス・キリストは、「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」と語りました。すごい言葉ですね。 元プロレスラー・元政治家のアントニオ猪木は、「限界なんて言葉はこの世の中にはない、限界と言うから限界ができるんだ。」と語りました。 アメリカ合衆国の著作家ナポレオン・ヒル博士(Napoleon Hill 1883-1970)は、「心に抱いて信じたことはどんなことでもかなえることができる。」と語りました。 これらの言葉は、「心で願い、信じるならどんなこともできる」と語っていますが、これらの言葉には前提があると思います。 100歳の人が強く願い、心で確信したらオリンピックで金メダルが取れるか?と言ったら、それは無理な話だと思います。 「自分」という言葉は、「自身に与えられた分」と書きますが、人にはそれぞれ分が与えられています。その分を超えようとする時に、思い上がりであり、分を超えることになります。 しかし多くの人は、「自身に与えられた分」を知らずに生きています。そして、その分よる遥かに低く生きている人が多くいます。あるいは、「自身に与えられた分」とは全く違う自分になろうとしてがんばっています。残念なことです。どうしたら、「自身に与えられた分」を知ることが出来るでしょうか? それは、神と出会うことです。 「あなたの若い日に、あなたの創造者(神)を覚えよ。」(伝道者の書12:1) 自分を造られた神と出会ってこそ本当の自分を知ることができます。あなたは神と出会っていますか?今多くの日本人が聖書に興味を持っています。しかし、聖書を知的に学び、教養とすることは悪くありませんが、聖書に書かれているイエス・キリストと出会うこと、これがなければ本当の意味で聖書を読んだことにはなりません。 世の中の自己啓発は、「どんなことでも信じるなら思考は現実化する」と教えますが、これは前提である「自身に与えられた分」を知った人にのみ効果のある言葉です。でもどうして、その部分だけを語るのでしょうか?これは、植物に例えたら花や実の部分です。花や身は根っこがあり、茎があり、葉っぱがあってこそ咲くのですが、人々は根っこである神、また、茎や葉っぱという地味な部分に興味がないからでしょう。 本当の自分を知ったら、その自分になれると信じたら必ず成れます。神の力により、必ず実現します。 教会では、日曜日に神と出会い、神に礼拝を捧げます。はじめての方は一度教会に行ってみませんか?また、クリスチャンの方は今日も教会に行き、神と出会い、神を礼拝し、神と共に一週間をスタートしませんか? 本当の自分を知り、本当の自分を目指して今週も歩んで行きたいですね。 教会に行けない人にはインターネットで礼拝に参加できます。よかったらどうぞ。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年06月23日
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「愛は惜しみなく奪うものである」という言葉を聞いた事がありますが、なるほどなーと思わされましたが、少し背筋が寒くなりました。 聖書は、『愛しなさい』という一言で要約できます。イエスは、『私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。』と言われました。 この言葉を聞いたある人は、「聖書にこう書いてあるのだから、私をもっと愛してよー」と反応しました。しかし、確かに「互いに」という言葉が付いていますが、これは、それぞれの人に対して、「ただ愛しなさい!」と語られたのです。 しかし、この『愛しなさい』は、愛せるということが前提ではなく、愛せないということが前提で書かれています。イエスは、『あなたの敵を愛しなさい!』と言われましたが、敵を愛せる人がいるでしょうか? 敵を愛したら、その人はもう敵ではありません。 『愛しなさい』と言われても、出来ないということが前提ですが、だからと言って、「私を愛して!」と愛を要求したら、その要求が強い分だけ愛がもらえないので不満が出て、結果、不幸になります。まず、あなたの願う愛を満たしてくれる人はいないからです。 この『愛しなさい』とは、三つのことを教えます。 第一には、私たちは、愛のない罪人であるということ。 第二には、愛は神にしかないこと。 第三には、神によってのみ愛せるようになるということです。それは、祈りによってです。自分の中に愛がないと思うからこそ、「神さま、愛を下さい」と切実に祈るようになります。そして、その祈りは答えられ、愛を実践できるようになると、すごいことが起こります。愛せるようになった分だけ、その人の人生が幸せになります。人を愛していて不幸な人は、みなさんも一度も見たことがないと思います。 愛の実践は、大きなことからではなく、小さなことからもはじめられます。例えば、出会った人に、幸せになることを願いながらほほえむことです。それを無条件でしてみることです。相手が無表情であっても、相手がこちらに嫌な顔をしても、心からのほほえみを向けてみてください。そこから、幸せのいのちが流れ、幸せが広がって行くはずです。難しいことではないでしょ? 固い雰囲気、殺伐とした雰囲気、無関心な雰囲気、イライラした雰囲気、どんなマイナスの雰囲気も、相手の幸せを願うほほえみは負けません。そこで、「相手がほほえんでくれたらこちらもほほえむよ」というのは、「愛して!」という心です。愛するとは、相手がどうであっても、こちらからすることです。週末で疲れている人が多いと思います。あなたの小さな愛が多くの人を幸せにし、あなた自身も幸せな時間を過ごせますように、お祈りを致します。God bless you!
2012年06月22日
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今日から3日間、千葉県市川市にある「山崎製パン企業年金基金会館」で3日間、「信徒前進宣教大会」という泊まりがけの集会があり、音楽の仕事で行って来ます。 自宅と教会にいると、仕事がいくらでもあるので、仕事に追われるような気分になることがありますが、泊まりがけで仕事に出かけると、移動時間や休憩時間が自由時間になりますので、ゆったりと安息の時を過ごせたらいいなーと思っています。しかし、パソコンを持って行ってしまうと、忙しくなりますけどね(^O^)! ところで、聖書には、神が6日間で天と地を造られ、最後に人類の先祖であるアダムを造られました。神は創造の業を終えて、翌日は安息されました。アダムの1日目は安息日でした。このことから、人間にはまず安息が必要です。6日間仕事をして、7日目に休むのではなく、まず安息をしてから6日間仕事をすることが人間らしい生き方のようです。 クリスチャンが日曜日に神を礼拝することは、神と共に安息をしています。牧師に取っての日曜日は、一番忙しい日ですが、実は、心の底から安息し、いやしと充電の時になっています。 カレンダーの日曜日は赤になっています。全国民が日曜日に仕事を休んでしまったとしたら、電車やバスが動かず、お店が休みになってしまって困ってしまうかも知れません。また、節電対策としてマイナスかも知れません。しかし、少なくと週一日は休み、自分を造られた神を礼拝する時を持てたら素晴らしいです。 ところで、みなさんが見ているカレンダーは誰のですか? 「彼んだー」(´▽`)(ダジャレ) 聖書は、人間の取扱説明書です。聖書は、人間を創造したメイカーであり、人間を知り尽くした神の著書です。 もしあなたが、最近、疲れてしょうがない、イライラする、ストレスが溜まって仕方がない、肩がこるなどの症状があるとしたら、安息を取っていないということはないでしょうか?酒や趣味、道楽も少しは解消になるかも知れませんが、一番いいのは、神を礼拝し、安息することです。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28) 良い週末をお過ごし下さい(#^.^#)
2012年06月20日
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昨日、車の話をしましたが、今日はバイクの話をします。16歳でバイクの免許を取得し、高校生の頃、学業と仕事に毎日明け暮れていましたが、時間を見つけては、バイクに跨って出かけていました。 当初は、かっこ良く、速く走ることだけに興味がありましたが、次第にそんな無謀な運転をして、命を落としてしまったら何になるんだ!と考えるようになりました。そう考えるきっかけとなった決定的な出来事は、環状八号線(通称、環八)で、数台の見知らぬバイクライダーとシグナルGPをしていました。赤信号で停車すると、停止線に横一列に並び、青信号になると同時に発車します。当時、CBR400FとDT200Rの二台持っていましたが、どこを走っても無敵だったと自負しています。 10台くらいでシグナルGPをしていた時、隣にRZ350が並びました。私はDT200Rでした。スタート後しばらくは、私が圧勝ですが、RZ350が後半に排気量に物を言わせて追い上げてきます。そんなことを繰り返しているうちに、どんどんヒートアップして行き、RZの彼が熱くなってしまいました。そんな時、少し先の交差点で右折車が曲がって来ました。私はよけましたが、RZは車のわき腹に激突し、即死してしまいました。 その日は日曜日で、教会を休み、高校の学級委員長の会議に向かう途中でした。私は、教会を休んだからこんな恐ろしい出来事に直面してしまったののだろうか?と、悩み、考え、夜うなされて眠れない日が続きました。これは、神の罰ではないと思いますが、命を大切にしろ!という神の警告だったと思います。 ショックが大きかったので、CBRとDTをすぐに売って、TWという、当時、一ヶ月に50台も売れないようなマイナーなバイクに乗り換えました。後にこのバイクは、木村拓哉がドラマの中で乗ったことで大ブレイクし、多くの若者が改造して乗るようになりましたが、私は、車と同じ位の太いタイヤ、ギリギリで高速道路には乗れるけれど200ccの4サイクルという遅いエンジン。ゆえに、パワーを持て余すことなく、どこにいても使い切れる性能。そして、オフロード(舗装されていない道路)を走るのに向いたオフロードスタイル。 クリスチャンに成り立てで、あの事故の衝撃と共に、神に愛され、救われた自分の人生と命を大切にしないといけないと感じた私は、いくら早いバイクに追い抜かれても、景色を見ながら、ゆったりと楽しくバイクに乗るようになりました。そして、林道などのオフロードを景色を楽しみ、時々休み、コーヒーを沸かして、コーヒーを飲みながら、神さまが造って下さったきれいな景色を堪能し、時にはテントを張って野宿したり、自然派ライダーになってしまいました。 一時は、大型バイクに乗っていたことがありますが、今は、昔乗っていたTWと同じような、バンバンという200ccのオフロードバイクに乗っています。小回りがきくし、スクーターにはないバイクらしさがあって、今でも時間があったら、林道に行きたいなー、野宿をしながら自然を感じたいなー、ゆったりとバイク旅行したいなーと思うことがあります。 バイクに乗らない人の中には、バイクは危険な乗り物という認識を持つ人が多いと思いますが、乗る人によってバイクは危険な乗り物にもなりますが、安全運転をすれば、もちろん、突っ込まれたりしたら車よりも危険ですが、燃費がいいし、走り出しただけで楽しいし、小回りがきくし、バイクはいいもんですよ。 思い起こすと、あの頃バイクを乗り回すことで、人生で学ぶべき多くのことを学んだような気がします。 しかし、最近、交通事故のニュースがたくさん目や耳に飛び込んできますが、ドライバーやライダーの技術の低下もあるかも知れませんが、脱法ハーブを吸った状態での運転。無免許運転。酒酔い運転。てんかんなどの持病を持ちながらも危険を承知しつつの運転。心が病んで、イライライしたり悩んだ精神状態での運転など。どれも、そんな状態で運転は差し控えなければならないのに運転してしまったことのゆえに起こっています。法令を遵守し、安全第一で乗り物に乗ってもらうためには、人々の心の闇や病みに対して、神の愛によって救われ、変えられて行かなくてはならないと感じます。私は今日も、神の愛をたずさえて出前牧師に出かけます。週の後半もよろしくお願いします。
2012年06月19日
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今、日本列島に台風4号が上陸しています。みなさんのところは大丈夫ですか?被害が起こらないことを心から祈ります。 しかし台風は悪いことばかりではありません。自然界にとって必要なものです。お風呂に入る時に、お風呂をかき混ぜるように、空気がかき回され、海がかき回され、大地は大掃除されます。ちょうどいい強さで通過しますように、共に祈りたいと思います。 「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。(詩篇19篇1節~6節)
2012年06月19日
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今興味あるもの。それは「TOYOTA 86」です。10代の頃私は、バイクや車で峠最速を目指す走り屋を自称していました。今思えば無謀で、よく命が守られたものだと思い、思い起こすとハラハラドキドキです。そんな私が牧師になることを決意した時、自分の人生のすべてを神様に捧げたいと思いました。その時からバイクや車の運転が変わり、乗るバイクや車の種類も変わりました。今乗ってるのは、「スズキ バンバン200」と「日産・エルグランド」です。安全運転そのものです。 ところで、かつて一世を風靡した(私の中では)「TOYOTA カローラ・レビン/スプリンター・トレノ」通称「AE86」というライトウェイトのFR(フロントエンジン・リアドライブ)のスポーツカーを彷彿とさせる「TOYOTA 86」が少し前から発売されています。 車の駆動方式は、単純に3種類あります。前輪駆動、後輪駆動、4WDです。車は動けばいい、恰好さえ良ければいい、と考える人にはどうでもいいことだったりしますが、私は、後輪駆動へのこだわりがあります。今まで一度だけ、フルタイム4WDの車に乗ったことがありますが、後は、今のエルグランドも含めて、みんな後輪駆動です。それは、ハンドルは前輪で、駆動輪が後輪という方式のフィーリングが好きなのです。特にカーブでのフィーリングがたまらないのです。そして、限界を超えると、ドリフト(逆ハン)走行も行えます。(笑) 今は、家族6人を乗せて、さながらバスの運転手です。安全が第一で、安全が全てです。そして、家族が安心して乗ってくれて、目的地まで行ければいいのですが、昔の私の血が騒ぐような車が出たので、気になっている今日のこの頃です。こんな車で、出前牧師で日本全国回れたら楽しいだろうなー、と考えていました。 ところで、最近車やバイクを運転して感じることは、うまくない(はっきり言えば、下手な)運転手が多くいるように感じます。論外ですが、集団登校をしている子供たちの列に突っ込む車。横断歩道を渡っている人に気付かないで跳ね飛ばしてしまう車。また最近では、自転車が車道を通るようになり、自転車のマナーの悪さがすごく気になります。私は、「神様、今日も事故で被害者にも加害者にもならないように守って下さい」とお祈りします。そうすると、不思議と心にゆとりが出て来て、ゆったりとした気分になります。ぜひ、乗り物に乗る時には、神様にお祈りし、ゆったりした気分で、そして、早めに出発する、そんなことで、今日も、今週も、安全運転で行きたいですね。 「TOYOTA 86」の夢は、またいつかです。それよりも、今ある車とバイクに感謝することにします。私のつかの間の夢にお付き合い下さり感謝します
2012年06月18日
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おはようございます。今週も日曜日を迎えられてうれしいです。一日一日生かされていることに感謝して過ごしたいですね。 2日前に高橋容疑者がマンガ喫茶で逮捕され、オウムの特別手配犯は全部逮捕されました。高橋容疑者は17年も逃げ続け、このまま逃げ切れると思ったこともあるだろうと思います。逮捕された瞬間どう思ったのでしょうか?彼の半生はオウムと逃亡生活に費やされました。 聖書には、「なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。聞く耳のある者は聞くが良い。」(マルコ4:22~23)と書かれています。 この地上で隠されたままのこともあるかも知れません。しかし、すべてを知っておられる神の前に隠れているものはありません。 神は正義のお方です。私やあなたのすべてを知っておられます。そして不義を裁くお方です。そういうお方が私の味方なので安心です。しかし同時に、正義の神の前に私のすべてが知られているのです。誰にでも、スネに傷の一つや二つはあるはずです。 神は愛のお方です。神が正義で不義を裁く神であると同時に、その不義と裁きから私たちを救うために、クリスマスに一人子イエス・キリストを与えて下さり、人類の罪の刑罰を身代りに十字架で背負わせて、死と復活を通して、信じる者を救い、永遠のいのちを与えて下さいました。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16) 神は、あなたのすべてを知った上であなたを裁く方ではなく、イエス・キリストを通してあなたを救って下さる方です。神の前では、麻原死刑囚や平田容疑者、菊池容疑者、高橋容疑者だけではなく、すべての人が罪人です。「あの人より私はまし」「私は人に迷惑をかけないように生きて来た」「私は法に触れるような罪を犯したことはありません」そうかも知れません。しかし神の前にはみんな罪人です。 世の中、病気を自覚した人だけが病院に行くように、罪を自覚した人だけがキリストのもとに行きます。罪人を愛されるイエスのもとにあなたも行きませんか? イエスはあなたを愛しています。 イエスは、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカの福音書5:31~32)と言われました。 教会では、毎週日曜日礼拝を行っています。礼拝生放送もしています。良かったらどうぞ。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年06月16日
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私たち日本人は、人から招待されたり、好意を受けたり、プレゼントをもらう時に、一度遠慮して断り、もう一度すすめられて、「そこまで言って下さるならば…」と受け取ります。(そうしない人もいるかも知れませんが)これは日本だから通じるものかも知れません。アメリカでこの美徳が通じるかとやってみたことがありますが、もう一度すすめてくれませんでした。受け取る意思がない、とみなされてしまったのだと思います。 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6) 神様はどうでしょうか? 神は私たちに、たくさんのすばらしい招待、好意、プレゼントを与えたいと願っています。一度遠慮し、断り、拒絶して、「あっそう。いらないの」と手を引っ込めてしまうことはありませんが、「ありがとうございます」と言って、頂けたらいいですね。 聖書には、32500種類の神からのプレゼントが書かれています。そして、最大に贈り物は、クリスマスに生まれたイエス・キリストです。そこに、全ての求め、全ての必要、全ての答え、全ての解決があります。何も思い煩わないで、神からのプレゼントを頂いて下さい。 私は、約一週間の風邪からやっと完全に元気になり、昨日から復帰しましたが、今日も、出前牧師として出かけて行きます。そこで、神から頂いたプレゼントを出会う人々に手渡します。何度か、幼稚園や公共の場所から呼ばれてサンタクロースをやったことがありますが、私は毎日、サンタクロースのようです。今日も行って来ます。素晴らしい週末をお過ごし下さい。
2012年06月15日
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私たちの人生はたった一度だけです。しかも、時間には限りがあり、あっという間に過ぎ去ってしまいます。 だからこそ、人生は面白いのかも知れません。 もし、明日もあると思えば、今日できることを明日に先延ばしすることもできます。そうやって、やりたいことを先にして、やるべきことを先延ばしにする傾向が私たちにはあるのではないでしょうか。 そして、この世が永遠に続き、この世で永遠に生きれるとしたら、だらだらして、「数百年後にでもやればいいんじゃないの? そんなに急いでも疲れるだけだよ。ゆっくり行こうよ」ということになるのでしょう。 これは、もし・・・の世界です。現実は、70~80年で多くの人の一生が終ります。そうしたら、今日一日という日がどれだけ重要でしょうか? こちらももし・・・ですが、もし、今日が最後の日だとしたら、あなたはどんなことをして過ごしますか? 誰と会いますか? 何をしますか? どのように過ごすでしょうか? 必ず、単にやりたいことではなく、最重要なことからやるだろうと思います。中には、「そのうちやろう」と思っていたことかも知れません。 あるいは、先延ばしにしていたこと。しかし、それが重要なことであるとしたら、「今日」、あるいは、「近々」やってもいいのではないでしょうか? おそらく、今日が最後の日ではないでしょう。しかし、今日が最後の日だと思って生きてみたら、充実感のある日になるはずです。 何気ない出会いも、この人と会うのは今日が最後だと思ったら、大切にするのではないかと思います。険悪の仲だとしたら、修復するのではないかと思います。 今日は、昨日の延長ではありません。明日になったら過去になります。この有限で常に動いている「今日」そして「今」を最高に生きるためにも、今日を最後の日として生きて行けたら素晴らしいと思います。 週の後半も、素敵な今日を最後の日と考えて、素敵な時間を過ごして下さい。God bless you!
2012年06月12日
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こんにちは。どんな時間を過ごしていますか?梅雨らしい雨の一日でしっとりした日ですね。私は、まだ安静で過ごしていますが、徐々に回復しています。お昼にすき家のうな丼を食べました。ひと切れというか、半切れというか、若干小さめのうなぎが温かいごはんの上に乗っているだけですが、元気が回復して来ています。また、みなさんのお祈りに感謝しています。 おいしい食事はいいですね。世界で一番はじめの教会は家でした。食卓を囲み、食事をしながら賛美歌を歌い、お祈りをし、聖書を学び、聖餐をし、交わり(交流)をしていました。 イエスが説教をした場所の多くが食卓だったことをご存知でしょうか?そこには色々な意味がありますが、イスラエルでは、食事を一緒にするということは、「過去を許す」「過去を問わないよ」というメッセージが込められていました。敵軍同士の兵士、裁判中の2人、喧嘩をしている2人がまず一緒に食事をしたいとは思わないはずです。無理やりしても、おいしいものを食べても砂を噛むようでしょうね。 イエスが罪人、遊女、取税人などと食事を共にしたのは、それ自体が「赦し」の宣言でした。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(ヨハネ黙示録3:20) 私は、妻が買って来てくれたうな丼を一人で食べながら、あー、家族みんなで食べれたらもっとおいしいだろうなー、ネットのお友達のみなさんと食べれたらもっとおいしいだろうなー、と考えていました。という訳で、投稿する予定がなかったのに、急きょ写真付きで投稿しました。 私は、イエスが人々が敬遠する人たちと共に食事をし、友となり、愛されたように、いつか日本全国で、うまいもの食べるオフ会をしながら、楽しい時を過ごしたいなーと思います。午後も素晴らしい時間を過ごして下さい。
2012年06月12日
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こんばんは。新しい週がはじまり、梅雨に入ったかと思えば夏日で、湿気が多く、体調を崩しやすい季節かも知れません。どうぞ、健康が守られますようにお祈りしています。 私は、先週木曜日から夏風邪で寝込んでいます。今日の日曜日は、「絶対に礼拝で説教をすることは出来ないなー」と朝起きた時に感じました。しかし、妻に頼んでも引き受けてもらえず、他の人にも今からでは頼めず、「どうしたらいい」と思いあぐね、直前まで寝込みながらお祈りしていました。 時間が近づくにつれて覚悟し、腹をくくり、シャワーを浴びて、すぐに礼拝がはじまりました。そんな日に限っていつもよりたくさんの人が来られ、賛美を歌い、説教がはじまりますと、段々元気になりました。教会に毎週通う信徒の人は、牧師が語る説教を聞いて元気が出ますが、牧師は、自分が語った説教を聞いて元気になります。 日曜日は、二回集会がありますが、朝の礼拝が終わった後、夫婦で来られた方が、「先生、体調は大丈夫ですか?礼拝中、ずっとお祈りをしていました。」と言ってくれました。その祈りに支えられたと思いました。後でお話ししますが、お祈りの力はすごいなーと感じます。 また、鍼灸師の方が来られていて、何と、「先生、マッサージを致しましょうか?」と言ってくれました。脈を測ると、脈が速く、かつ弱いようで、だいぶ調子が悪いと判断したようです。しかし、調子が悪いところが全て見えるかのようにマッサージをしてくれて、体が楽になりました。鍼灸師の方は全盲ですが、手の感覚でわかるようです。まさに、かゆい所に手が届くような感じでした。この経験を通して、牧師は、人の心の状態が手に取るように分かり、適切な祈りと聖書の言葉によっていやし、励まし、強めて行けるようにならないといけないなーと感じました。 ところで、お祈りの効果があるという、知っている実例を挙げます。一つは、ガン患者10人ずつを、2つのグループに分けます。一つ目のグループの人のために全然知らない人ですが病気が治るように祈ります。しかし、もう一つのグループの人たちのことは祈りませんでした。結果は、祈られた人たちの病状は明らかに良くなったというのです。 もう一つの実例は、目の前で見ましたが、一人の人が背中を向けている状態で、こちらにいる50人位の人に、「『あの人は強い』と念じて下さい」と言われますので、そのように念じました。握力を測るとすごい数値を示しました。次に、「『あの人は弱い』と念じて下さい」と言われますので、そのように念じました。握力を測ると、半分くらい行きませんでした。その人には何も知らされていませんので、すごい世界があるんだなーと感じました。 祈りは、単なる念じることではなく、神との対話です。はるかにすごい力があるはずです。ですから、どんなこともお祈りしてみたらいいと思います。 3日間寝込んでいましたので、だいぶやせたようですし、立ち止まって色々と考えることができました。病気になって寝込んだり、入院する時というのは、案外すばらしい時間ですよ。でもみなさん、くれぐれも風邪には気を付けて下さい。素晴らしい一週間でありますように。
2012年06月10日
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おはようございます。良い日曜日を過ごされているでしょうか。新しい週もどうぞよろしくお願いします。 日曜日は教会で神を礼拝しますが、その起源はイエスの復活にあります。イエスのお墓は日本国内ではなく、イスラエルにあります。園の墓と言いますが、そこにはこんなプレートが付いています。「He is not here, for He is risen.」(彼はここにはおられない、復活されたからだ)イエスの復活は救いの根拠です。イエスは死を打ち破り、不可能の壁を破り、今も生きておられます。 人生には数々の苦難があり、無理難題があります。しかし、不可能の壁を破ったイエス共におられるなら、どんな人も、どんな人生もやり直せます。 オウムの特別手配逮捕は残すところあと一人になりましたが、何と有能な、素晴らしい人の人生が滅茶苦茶になってしまったかと残念です。しかし、イエスと出会ったら、今からでも遅くありません。私もあなたも、イエスによって最高に素晴らしい人生を生きることができます。イエスは復活されたからです。 教会の礼拝の生中継を行います。良かったらどうぞ。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年06月09日
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こちらが嫌だとか、都合が悪いと思っているのに、自分の仕事や要求を押し付けてくる人がいます。 しかし、その人の要求に負けてそれを受け入れると、後で、こちらが不愉快になったり、犠牲者になったように感じるものです。 こういう状況にならないために、断る理由を色々考えても、うまく行かないことの方が多いし、相手は、さらに言葉巧みに説得してくるものです。 それは、電話や訪問のセールスを見てもよくわかります。あんまりしつこいので、「今日は都合が悪いです。」と言うものならば、「いつならば都合がいいですか?」と切り替えしてきて、結局、次の約束をさせられて、嫌々買うはめになってしまったという話をいくつも聞いたことがあります。 しかし、こんな時は、はっきり断ればいいのです。一番いい方法は、「私はそれをしたくありません。」ときっぱりと言い切ることです。そこに理由づけの必要はありません。 相手が自分の仕事や要求を押し付けてくるのを疑問を感じてないのと同じように、あなたも、相手の要求を断ることに疑問を感じる必要はないのです。 神さまは私たち人間を、ロボットのように何でもボタン一つでいうことを聞くように造られたのではなく、自由意志を与えられました。それは、何でも自分で選んでいいのです。 神さまは、人を脅かしたり、恐れさせて、強制的に動かせようとはしません。悪魔やカルト的な宗教等は、「こうしなければたたりがある。」と脅かして、人の自由意志を奪いますが、神さまは、優しく導きます。これを忘れないで下さい。 神が私たちに与えられた最高のプレゼントは自由意志です。これは、いかなる権力を持ってしても侵害できないものです。 もちろん私たちは、自分の義務や責任を果たし、人を愛して行くことは必要です。しかし、自らの意思で決断して行なうものです。嫌々させられてするものではありません。 どうぞ、自分の責任でもないことを引き受ける義務はないことを知り、不当な要求をはっきりと断ってもいいことを忘れないで下さい。 週の後半も、素敵な時間をお過ごし下さい。God bless you!
2012年06月06日
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おはようございます。今日は雨か曇りの一日になりそうですね。晴れの日は「ハレルヤ」。雨の日は「アーメン」で行けたらいいですね。今日も、日曜日恒例のジョークから始めます。 あるユダヤ教の教師の家庭。息子が突然、「キリスト教に改宗したい」と言い出した。 両親はショックのあまり言葉を失い、夜一心不乱に祈り始めた。すると、急に天から神が現れた。そこで両親はこう叫んだ。「主よ、わたしたちの息子がキリスト教に改宗すると言っています。あの憎きキリスト教に息子が盗まれてしまいました!!」すると神は溜息を1つつきこう言った。「実は、わたしの息子もそうだった。」 この意味がわかる人は、なかなかです。 人生は何が起こるかわかりません。一寸先は闇なのか?光なのか? でも、なるようになる「ケセラセラ(Que sera sera)」という訳にも行きません。仏教徒の「リチャード・カールソン」という人が書いた「小さいことにくよくよするな!―しょせん、すべては小さなこと」という本がベストセラーになりました。この題名は説得力がありました。しかし聖書は、2000年も前から、小さいことだけではなく、「何事も(大きいことも、小さいことも)思い煩ってはならない。(くよくよするな)ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」と語ります。これは「ケセラセラ(なるようになる)」ではなく、「神が共におられるから大丈夫!」と言っているのです。 そういう確かな土台を持って、新しい週をスタートしたいですね。 それは、自分を造られた神を信じ、頼り、讃えるところから始まります。教会の礼拝から一週間をスタートしたら素晴らしいですよ。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年06月02日
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