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ストレスがたまると、心が圧迫されて息苦しく感じませんか? ストレスは、心の重い荷物です。重荷を背負って、心が重労働をしているのです。 労働すると、酸素がたくさん必要になるので、息が早くなります。 ストレスがたまると、心が労働しているので息が早くなり、呼吸が浅くなります。こんな時は深呼吸をする必要があります。 でも、ストレスがたまっていると、息を深く吸うことができません。ですから、まず思い切って息をすべて吐き出して下さい。 疲れた時、「ため息」をつくことがあります。これは呼吸が浅くなって肺にたまっている空気を、吐き出させようとしているのです。全部吐き切ったら、自然に空気を胸一杯に吸い込むことができます。とても爽快になります。 心の中に溜まった重い気持ちも、「ため息」を吐くように吐き出してしまいましょう。それが祈りです。祈りは神様に自分の重い気持ちを吐き出すことです。ですから、祈りは心の呼吸なのです。 重い気持ちを父なる神に申し上げて吐き出し、かわりに、天国の愛の空気を心一杯に吸い込むのです。 「絶えず祈りなさい。」(テサロニケ人への手紙 第一 5章 17節) 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ人への手紙 4章 6節~7節) 今日は「大みそか」。一年最後の日です。家族の団らんと紅白歌合戦を見るだけで終わるのではなく、神への祈りでしめくくりませんか? きっと、「いい一年だった!」と感謝が湧き上がって来ますよ。
2012年12月30日
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おはようございます。日曜日は何をして過ごされますか? 「教会」という「心の銭湯」にいらっしゃいませんか? みなさんは、銭湯に行かれることはありますか? 今では、木造四畳半のアパートでもなければ、自宅にお風呂がないというところはめったにないので、銭湯に行く人が減って、都会では店をたたむところが多くなっています。 しかし、家にお風呂があっても、あの大きな湯船にゆったりつかるのは魅力がありますよね。マイナスイオンをたっぷり味わうこともできるので、つかの間のリラックスといやしにもなります。 都会の銭湯は、午後2時や3時に始まります。その時間になると、ホームレスの人などがたくさん来ています。その人達と一緒にお風呂に入るのは、若干の違和感と抵抗感がありますが、仕方ないですよね。「お風呂屋には体をきれいにしてから来て下さい」とも言えませんし・・・。 銭湯は体をきれいにしてから行く場所ではなく、体を洗ってきれいにするために行く場所です。程度の差こそあれ、誰もが汚れた体のまま銭湯に来て、体を洗い、湯船につかります。 教会は銭湯に似ています。きれいに聖められた人が来る場所ではなく、この世の中で汚れ、疲れ、傷ついたままの状態でやって来る場所です。教会は、心をきれいにしてから来るのではなく、心を洗い、休み、いやしを経験して元気になって帰って行きます。 教会を敷居の高い場所と考えずに、銭湯のようにあるがままの姿で来て下さい。 同時に、神様の前に謙遜な姿で来ることは大切です。銭湯の湯船に入る前に体を洗ってから入るように、教会に来られたら、他の方々に迷惑をかけない配慮は大切です。 「ありのままでどうぞ」というと、時々、とんでもなくはじける人が居るからです。はちゃめちゃなので、「他の人にも気を配って下さい」と申し上げると、「ありのままでいいと言ったじゃないか!?」と怒ります。それは、「ありのまま」ではなく「わがまま」です。 しかし、神様は、立派になった人を受け入れ、救って下さるのではなく、ありのままのあなたを救って下さるのです。立派になれた人だけが救われるとしたら、もはや「救い」ではなく「解脱」です。 周囲にいるあるクリスチャンを見て、「あれでもクリスチャン?」という人がもしかしたらいるかも知れません。その人は、それだけ汚れがひどかった人なのです。クリスチャンにならなかったとしたら、もっともっとひどい人だったはずです。 銭湯に来て、着替え室で着替えて、TVを見て、雑誌を読んで、風呂に入らないで帰って行く人はいません。でも、教会に来て、腕組みをして批評したり、勉強をしているだけの人も居ない訳ではありません。 教会に来たら、衣服を脱ぐように心を開き、ぜひ聖書の言葉によって罪の汚れを洗って、賛美を歌って心をきれいにし、聖霊の湯船にゆっくりつかって、疲れをいやし、元気になって帰って行って下さい。 教会は、心の銭湯です。あなたのお越しをお待ちしています。 今日は「晦日(みそか)」です。一年の疲れと汚れを洗い流して、すがすがしい気持ちで新年を迎える準備をしませんか? 一年間お疲れ様でした。「教会」という名前の「心の銭湯」にあなたを歓迎いたします。 新宿福興教会(http://www.geocities.jp/sgr_ch/)また、東京近辺でない方は、お近くの教会を紹介いたします。 最後に、教会の日曜日の集会の生放送をご案内します。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年12月29日
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ク⇒苦しくても リ⇒隣人を愛し ス⇒すがすがしい気持ちで マ⇒前に向かって ス⇒進みましょう 今年は、「クリスマス路上ライブ」をやりませんでしたが、毎年、クリスマス頃が一番寒いのではないかと感じます。ホワイト・クリスマスもいいですが、寒く澄み切った夜空に輝く星を見ながらクリスマスを楽しんで下さい。
2012年12月24日
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「クリスマス・イブ(Christmas Eve)」の「イブ(Eve)」は、「evening(夜、晩)」から来た言葉です。ですから、「12/24の日没」から「12/25の日没」までを言います。 日本では、「クリスマス・イブ」を「クリスマスの前日」というような意味合いで使っていますので、「12/23」を「クリスマス・イブ・イブ」何て言うこともありますね。 11月1日から、街のイルミネーションがクリスマスに変わります。おそらく、「世界一クリスマスをお祝いする国」が「日本」ではないかと思います。 その理由は、クリスチャンの人数とか関係なく、日本人が「お祭り好き」というのがまず第一の理由かも知れません。 第二の理由は、日本人は、「クリスマスに不思議な魅力」を感じているのではないかと思います。潜在的に、心は「クリスマスに生まれたキリスト」に憧れていたり、求めているのではないかと思います。 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」<新約聖書 ルカの福音書 2章11節> 「キリスト」のへブル語は「メシヤ」で、日本語は「救い主」です。「救い主」を「医者」に例えるとわかりやすいかも知れません。 キリスト自ら、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」 <新約聖書 ルカの福音書 5章31節~32節> と語りました。 「医者」のいる病院に行くのは、「病気を自覚した人」か「病気の疑いのある人」だけです。「健康だと思っている人」には「医者」は関係ありません。 同じように、「キリスト」のおられる教会に行くのは、「自分には救いが必要であると自覚した人」だけです。中には、「知的興味」で教会に来たり、聖書を学ぶ人もいますが、何らかの意味で「キリストを求めている」人しかキリストに近づくことはありません。 日本人がクリスマスをこれほどお祝いするのは、単に、お祭り好きを通り越して、心の深いところでは「キリストを求めている」のではないかと思います。 「イエス・キリストはあなたを愛しています」 あなたが必要とするすべて救いを持っておられます。 クリスマス。この日は、キリストが実際にこの地上に来られたことを記念する日です。 神がこの地球に人間の姿をとって生まれて下さった。その場所は、家畜小屋の中です。汚い、不衛生な場所です。 キリストは、あなたが誰にも見せられないくらいに罪にまみれ、汚れていても、あなたの心の中に誕生し、来て下さるお方です。 キリストを心に迎えることが「本当のクリスマス」です。 今日、12/24の「クリスマス・イブ」は、「ユダヤ教的」に考えると、「前日の日没から当日の日没」が「一日」と考えますので、「今日の日没」からが「明日の日没」までが「クリスマス」です。 まだ間に合います。 本当のクリスマスを体験して下さい。 メリー・クリスマス!
2012年12月23日
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12/23 夕方5時 礼拝 http://youtu.be/yyfbkQuhTs4 12/23 朝11時 礼拝 http://youtu.be/grP9iIL4J7Q 12/23 朝9時 礼拝 http://youtu.be/DPIrphZu1cw
2012年12月23日
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「メリー・クリスマス!」 今日は、「教会でクリスマス」が行われ、明日は「クリスマス・イブ」、明後日は「クリスマス」です。日本では、11月1日からクリスマスの飾りが飾られ、「世界一・クリスマスを祝う国」ではないかと思います。素敵なクリスマスをお過ごし下さい。 今日は、有名なクリスマスの賛美歌の「きよしこの夜」がどのようにしてできたかのお話をさせて頂きます。 1818年のことでした。いよいよクリスマスというある日の午後、オーストリアのオーベルドルフという小さな村の教会で、一つのハプニングが起こりました。 村の学校の校長先生はグルーバーという人でしたが、この先生は教会のオルガン奏者でした。大事なクリスマスの礼拝のため、練習しておこうと、教会のオルガンの前に座り、ペダルを踏みましたが、さっぱり音が出ません。先生はまっさおになりました。調べてみると、ねずみが空気ぶくろに穴をあけたことがわかりました。すぐに修理など、とてもできる状態ではありません。先生は生きた心地がしませんでした。たいへんなことになりました。 そこに、牧師のヨセフ・モーア先生がやってきました。「グルーバー先生。オルガンがだめなら、ギターがあります。これは私がつくった詩ですが、先生、ギターで歌えるように、曲をつけてください。」 1、きよしこの夜 星はひかり 救いの御子は まぶねの中に ねむりたもう いとやすく 2、きよしこの夜 み告げうけし まきびとたちは 御子の御前に ぬかずきぬ かしこみて 3、きよしこの夜 御子の笑みに めぐみのみ代の あしたのひかり かがやけり ほがらかに その詩は、前日、モーア牧師が、赤ちゃんの生まれた山小屋の家族を見舞ったあと、雪明りの中を下山したとき、あまりの静けさと、聖らかな美しさに深く感動して描いたものでした。 詩を読んでいくうちに、グルーバー先生の心に、熱いものがこみあげてきました。イエス様がお生まれになった夜は、きっとこの詩のとおりだったにちがいありません...。 こおりついた雪を踏みしめ、教会に集まった村の人たちは、生まれてはじめて、オルガンなしの礼拝を経験しました。ところが、ギターとともに聖歌隊が歌うこの讃美歌の、シンプルな美しさに深く感動しました。こうして、ジレルタルの谷間に流れた「きよしこの夜」の歌は、歌いつがれて、ついに全世界をつつんでしまったのでした。 もしも、オルガンがこわれなかったら、この讃美歌は世に現れなかったでしょう。ですから、現実に起こるどんな問題やハプニングにも負けることなく歩んで行きたいものです。この讃美歌が最高のマイナスの状況の中にあって、最高のプラスの出来事として作られたように、御子イエス・キリストを信じる人生は、すべてのマイナスの出来事が、最高のプラスに変えられるのです。クリスマスのメッセージとは、大逆転のメッセージなのです。 教会では、クリスマスの賛美歌やゴスペルを歌ったり、クリスマスのメッセージを聞くことができます。良かったら教会にいらっしゃいませんか? 新宿福興教会 http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 教会のクリスマスの集会の生放送をご案内します。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年12月22日
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おはようございます。一週間お疲れ様でした。総選挙も終わり、クリスマス前、年の瀬ですが、みなさんいかがお過ごしですか? 昨日は、東京の「第三回目のオフ会」を行いました。昨晩は7名。三回のオフ会で、二十名弱の人たちが来て下さり、とても中身が濃く、帰り際は名残惜しく、「これから毎月オフ会やろうね」と口々に語り合いながら帰って来ました。楽しい時間をありがとうございました。 また、時々「オフ会」をやりたいと思いますので、ぜひ次回もお願いします。 今の時代、人間関係が希薄です。深い人間関係を持たないのが風潮です。家族でも、職場でも、教会でも、地域でも深い人間関係があまり持たれていません。忙しかったり、疲れていたり、めんどくさかったり、色々な理由はあると思いますが、寂しい時代です。 ネット上だけの人間関係も悪くありませんが、やはり、リアルの場所で人間関係を持って行くことが大切です。 仕事や利害関係を超えた友達・親友、幸せな家庭、愛し合う夫婦、強い絆で結ばれた親子関係。それは人生の醍醐味です。 人間関係は、時に傷つくこともありますが、その関係を通して人生が何倍も楽しくなります。共に支え合い、励まし合い、力を合わせて生きて行くことが生きる力を与えてくれます。 限られた人間関係だけで固まってしまうのではなく、いつも新しい出会いを大切にしましょう。 「出会い」には、単にお互いに言葉を交わしたとか、時間を共有した以上の感動があります。 「出会い」とは、「自分の殻」から「出て」、相手と「会う」ことです。傷つくことを恐れないで、心を開き、相手のふところに飛び込み、そこで愛を示して行く時に、「出会い」は成立し、その「出会い」は深まり、もしかしたら、「一生続く人間関係」にまで深まって行きます。 ネット上で「出会った」お互いが、素晴らしい友達となり、オフ会でさらに友達関係を深められたら感動的です。 日常生活の中で「出会った」お互いが、素晴らしい友達となって、仲良しになったり、恋愛や結婚に発展したり、ビジネスパートナーになったり、親友になれたらそこに人生の充実があります。 人の幸せの多くが、人間関係を通して与えられます。 最近、幸せを感じない。ストレスが多い。イライラする。などを感じるとしたら、人間関係が希薄か、壊れているか、歪んでいるかも知れませんクリスマス、年末年始の時間を、人間関係を深める時間にしてみられたらどうでしょうか? 人間関係を深めるためには、時間を惜しまないで使うことが大切です。これ以外にありません。 良い友をたくさん作れますように。そして、良い共になりましょう。 「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」(箴言17:17) 良い週末をお過ごし下さい。
2012年12月21日
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こんにちは。今晩オフ会をします。 「オフ会」とは、ご存知のとおり、「インターネット上で知った、知り合った」人同士が、ネット上の「オンライン」を離れて、リアル「オフライン」で会う親睦会です。 年令・性別・国籍不問です。また、「クリスチャンか?クリスチャンじゃないか?」「今までに会ったことがあるか?ないか?」は全く関係ありません。 お時間がありましたら、どうぞ足をお運び下さい。 オフ会参加を希望する方は、メールで連絡をお願いします。 メール ??????@softbank.ne.jp 2012年12月21日(金)夕方6時頃~夜8時頃まで。 場所:ジョナサン大久保店 JR「大久保駅北口」下車2分、JR「新大久保駅」下車3分 また、関西は来年1月に行います。 ★第一回大阪オフ会 2013年1月22日(火)午後2時から夕方位まで。 場所:かごの屋 清水谷高校前店
2012年12月21日
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おはようございます。どのくらいの人が本気で信じているのかわかりませんが、「古代マヤ文明の暦」で、「12月21日」つまり今日、「世界は滅びる」とマスコミなどを通して伝えられていますが、有り得ません。 今日も、いつもと同じように、全力で生きて下さい。 聖書には、二種類のこの世の終わりが書かれています。 一つ目は、私やあなたの「個人の死」です。死んだ日は、その人に取って「この世の終わりの日」です。 二つ目は、文字通り「この世が終わる日」がいつか必ず来ます。この世界は進化し、より良くなって行くのではなく、人の心の愛は冷えて行き、地震、台風、津波などの天変地異が起こり、戦争などが世界各地で起こります。悪くなって行くのです。 神は、この世をいつか終わらせ、「新天新地」を作ってくれます。キリストを信じて救われた人はそこに入ります。 本当に心配しなくてはいけないことは、「マヤの暦」ではなく、「キリストを信じているかどうか?」です。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16) クリスマスまであと4日です。イエス・キリストはあなたを救うためにこの世の中に来られたのです。信じる人は救われます。信じるとは、神が与えられた救いを受け取ることです。まだ救いを受け取っていない人は、今日受け取りませんか?
2012年12月20日
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2012年12月19日
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こんばんは。一日お疲れ様でした。 今日一日は外回りの仕事をしていましたが、「韓国の大統領選」が気になって仕方ありませんでした。 韓国は、お隣りの国です。また、妻の祖国です。気にならないはずがありません。 現大統領の「李明博氏」は、日本の大阪生まれで、クリスチャン大統領として期待していましたが、あまり評判が良くなかったようです。 韓国も、日本と同じように、変化を求めていると思います。 最大野党・民主統合党の「文在寅氏」が当選しても政権が変わりますが、与党・セヌリ党の「朴槿恵氏」が当選したら、韓国では女性初の大統領誕生となります。どちらの候補が選ばれて大きな変化があるはずです。 あと数分で投票が締め切られ、深夜未明にも確定すると思います。 今日一日、神に祈りつつ過ごしました。また、「神の御心の大統領が誕生しますように」と心から祈ります。
2012年12月19日
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「顔で笑って、心で泣いて」ことはないでしょうか? もし「心が泣いている」なら素直に「悲しさ」を表したらどうでしょう。そうしたら、きっと「手を貸して」くれる人がいるものです。 もし「寂しい」なら、「そばにいて」って言えば、きっと一緒に心を温めることができます。 強がって、いかにも「幸せそう」に振る舞い、「強そう」な振りをして心で泣き、心で寂しさに震えているとしたら、もうやせ我慢はやめて「素直に」なって。 素直になることは、「弱くなる」でも「みじめになる」ことでもありません。 「素直になる」ことで、相手と心を通わすことができるのです。 「素直になれない」のは、人にバカにされたくないから? 同情されたくないから? 人をうらやましがらせたいから? 本当の強さ、本当の幸せは、「素直になる」ところから始まります。 「私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(コリント人への手紙 第二 12章10節)
2012年12月18日
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「オフ会に行きたい!」「でも、・・・終わっちゃったの?(´・ω・`)」・・・。 まだオフ会のチャンスはあります。 ★第二回東京オフ会 2012年12月21日(金)夕方6時頃~夜8時頃まで。 場所:ジョナサン大久保店 会費:飲食代の実費 東京都新宿区百人町1丁目17-8 JR大久保駅[北口]から徒歩約2分 xxx-xxx-xxxxx ★第一回大阪オフ会 2013年1月22日(火)午後2時から夕方位まで。 場所:かごの屋 清水谷高校前店 会費:飲食代の実費 大阪市中央区上町1-7-5 JR玉造駅から徒歩約5分 xxx-xxx-xxxxx オフ会参加を希望する方は、メールで連絡をお願いします。 メール ??????@softbank.ne.jp
2012年12月18日
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昨日は、埼玉県の「川口リリア」で「祈りの会」があり、特に、新政権のために祈りました。 「民主党の政権交代劇」が起きた前回の総選挙で、ある集会で「政権交代」について話しました。 集会後、一人の方が、「先生、私、自民党支持者なんです(´・ω・`)」と心を痛めて話して来ました。それ以来、公な場所で、特定政党を支持する発言はやめることにしました。 クリスチャン代議士は民主党に多いと思われがちですが、自民党の麻生元首相はカトリックですがクリスチャンですし、石破幹事長も熱心なクリスチャンです。大平正芳、片山哲、鳩山一郎、吉田茂などの戦後の元首相もクリスチャンとして知られています。なんと、戦前の首相を含めた「歴代の首相」の「13%」が「クリスチャン」であると言われています。また、美智子皇后もカトリックの信仰を持っています。 牧師としてはできればクリスチャンが政治を行ってほしいですが、私は、「誰が政治を行うか?」よりも「どんな政治が行われるか?」が大切だと思っています。 今回の総選挙で、「自民」が圧勝しました。前回の「民主」圧勝の振り子が戻り過ぎたほどの、「自民」快進撃でした。 第三極では、「日本維新の会」が躍進して、「54議席」を獲得。 これから政治が大きく変わることは確かです。 政治は人間が行うことですから、その時々に、議員の多数決で最善と思われる政治が行われます。 私があえて「どんな政治が行われるか?」を重視するのは、通常は、「誰が政治を行うか?」が重視されるからです。 政治に限らず、仕事においても、学校においても、地域においても、宗教においても、同じではないでしょうか。「誰がやるか?」で争っています。 本当に大切なことは、「何がなされるか?」です。そして、その「何」に対して、最もよくできる人がいたら、その人を妬んだり、足を引っ張ったりしないで、その人に協力し、支援して行くことが大切です。 政権与党は、謙遜に「良い政治」を行うように努め、野党は、「良い政治」が行われるように見はっていくことが大切です。国民は、マスコミの報道に右往左往するのではなく、「良い政治」が行われるように、自分の選んだ政党や政治家を支えて行くことが大切です。 聖書には、「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」(Iテモテ2:1~3)と書かれています。 クリスチャンとして、皇室のために、新総理大臣のために、新閣僚、新与野党議員、官僚、国のリーダーたちのために祈りましょう。毎日継続して祈りましょう。 私たちは祈りによって政治と国を動かしていくことができるのです。 神様が、この国の政治を通して御心を行って下さいますように。
2012年12月17日
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前回の衆院選で「民主が圧勝した」のは、「自公政権」に対する失望からであった。しかし、「民主」に対する「期待」が大きかった分だけ「失望」も大きく、現実的な政策を掲げる「自民」が「政権交代」「政権奪還」を果たしました。しかも、「公明」と連立を組むことで衆議院の再可決が可能な320を超える議席を獲得しました。 都知事選挙は、前副知事で作家の猪瀬直樹氏は圧勝しました。 総選挙で国民が選んだ政権であり、都知事選挙で都民が選んだ都知事です。善し悪しを言うのではなく、「この政権(知事)が間違った政治を行うことがないように。より良い国づくり(都政)をして行くことができるように」共に祈って行きましょう。 昨日お話しましたが、神を信頼し、神に祈る時に、この国に希望があることを信じます。政治を導き、動かしておられるのは神ご自身だからです。 神は、仮にマイナスがあっても、マイナスをプラスに変えられます。仮に、ピンチを迎えても、ピンチをチャンスに変えることができるお方です。 さらに、神が御心を行うためには、有能な善人だけを用いるのではなく、とんでもない悪者を用いられることもあります。 色々な先行き不安もありますが、目に見える状況だけを見て心配する必要はありません。聖書の約束は、「神がすべてのことを働かせて益として下さる」ということです。 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」(ローマ8:28) 「心配」を神への「信頼」に変えて下さい。 口に出して言ってみて下さい。「どんな時にも大丈夫!」「Don't worry!」「be happy!」 新しい一週間に神の祝福が豊かにありますように。
2012年12月16日
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おはようございます。日本の政治を決める大きな選挙が、本日投開票されます。すでに期日前投票を済ませた方もいらっしゃると思います。また、事実上機能していない「最高裁裁判官の国民審査」も同時に行われます。 「私の一票で何が変わる?」というのは確かにそうかも知れません。しかし、「一票差」で当落が決定することもあります。また、その一人の人の影響力で「選挙に行かない」「政治に興味がない」という風潮が広がってしまうとしたら大変なことです。ぜひ、神に祈り、自ら確信する候補者と政党に一票を投じましょう。 14日午前、アメリカ東部・コネティカット州の小学校で、銃の乱射事件があり、26人もの犠牲者を出してしまいました。オバマ大統領は、「銃規制」に関してのコメントを発表しました。これは単純な問題ではありませんが、政治のチカラで動く問題です。 15日、内閣府が「男女共同参画社会に関する世論調査結果」を発表しました。「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」という考え方について、賛成は51.6%、反対は45.1%という結果が出ました。少し前に妻が倒れたことをきっかけに、「主夫」の楽しさを見出しました。また、「イクメン(育児を積極的に行う男性」がモテはやされましたが、「男は、育児ばかりしているより、やっぱり外で働いた方がいい」と、「ハタメン(私が作った言葉ですが、働く男性)」がモテはやされるのでしょうか? この変化は、長く続く「デフレ不況」の影響もあると思います。景気も政治のチカラで大きく変わります。 前回の総選挙で、「民主党の政権交代劇」が起こりました。振り子が反対に大きく触れたかのような大きなうねりとなりました。今回は、その振り子が元に戻って、自民の政権奪還がなされるでしょうか? あるいは、横方向に触れて「第三極」が台頭するのでしょうか? 振り子は思ったほど戻らないで「民主が比較第一党」になるのでしょうか? 今回の選挙の争点は、「消費税増税」「原発問題」「憲法改正」などが争点の中心になりましたが、今晩答えが出ます。 私は、神に祈り、神を信頼し、この国に希望があることを信じます。政治を導き、動かしておられるのは神ご自身です。 「どこの政党を支持したらいいのかわからない」「誰を支持したらいいかわからない」という声を身近で多く聞きました。 私は、「神に祈り、確信を持って一票を投じて下さい」と語りました。 神は、マイナスをプラスに変えたり、ピンチをチャンスに変えることができるお方です。例えば、神が御心を行うためには、悪者でさえ用いられることもあります。目に見える状況だけを見て心配する必要はありません。聖書の約束は、「神がすべてのことを働かせて益として下さる」ということです。 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」(ローマ8:28) 「心配」を神への「信頼」に変えて下さい。「どんな時にも大丈夫!」「Don't worry!」「be happy!」です。 今週も素敵な一週間でありますように心からお祈りしています。 アメリカの小学校で銃乱射事件が起こった後、たくさんの人が教会に集まり、神に祈りを捧げました。私たちも、選挙の投票をする前でも、した後でもいいです。教会に集まって、神に祈りを捧げませんか?(http://www.geocities.jp/sgr_ch/) インターネット放送(生中継・録画放送)も致します。良かったら下記からご参加下さい。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年12月15日
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「そりゃー、感謝しているけど・・・」といいながら、不満を口にしている人は、口先だけの感謝です。 「不満」は、秋の落ち葉のように、心に段々溜まって行きます。 「感謝」は、「落ち葉」を掃く「ホウキ」です。「不満」は落ち葉のようにどんどん落ちてきて心に溜まります。いつも感謝して不満の落ち葉を掃いていると、不満が溜まることはありません。 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・ イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ5:16~18) 誰かに対して不満を感じたら、「自分にしてくれなかった」ことを考えるのではなく、「自分にしてくれた」ことだけを思い出して、感謝しましょう。 ある人が反面教師だと思ったら、その人にその役を担ってくれたことに感謝をしましょう。 自分に不満を感じたら、神に感謝を捧げましょう。自分をさげすんでも、あなたを守り、愛し続ける「愛の神」に感謝して下さい。 物事を投げ出したくなったら、いつもあなたと共におられる方に思いを向けて、感謝して下さい。 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ 28:20) 神はこう約束してくれています。 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月14日
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★第一回東京オフ会 2012年12月14日(金)一部は午後2時~5時、二部は夕方6時~夜8時頃まで。 場所:ジョナサン大久保店 会費:飲食代の実費 東京都新宿区百人町1丁目17-8 JR大久保駅[北口]から徒歩約2分 xxx-xxx-xxxxx オフ会に参加を希望する方は、念のためメールで連絡をお願いします。 メール ??????@softbank.ne.jp みなさんのご参加をお待ちしております。お忙しい中ですが、万障繰り合わせてご参集下されば幸いです。 もし、「行きたい」と思っているけど、明日参加できない人は、まだオフ会のチャンスはあります。 ★第二回東京オフ会 2012年12月21日(金)夕方6時頃~夜8時頃まで。 場所:ジョナサン大久保店 会費:飲食代の実費 東京都新宿区百人町1丁目17-8 JR大久保駅[北口]から徒歩約2分 xxx-xxx-xxxxx ★第一回大阪オフ会 2013年1月22日(火)午後2時から夕方位まで。 場所:かごの屋 清水谷高校前店 会費:飲食代の実費 大阪市中央区上町1-7-5 JR玉造駅から徒歩約5分 xxx-xxx-xxxxx
2012年12月13日
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おはようございます。外は青空がまぶしいくらいです。笑顔で笑っているようです。 「笑顔」は「相手に好感を与えるための手段」と思っていませんか? 笑顔には、「相手の警戒心を取り除き」「親しみを感じさせる効果」がありますが、一番の効果は、「自分を幸せにする」ことです。 「笑う」と、顔を若くさせる筋肉が働きます。また「笑う」と、体を健康にするホルモンが分泌されます。 笑いは、「作り笑い」「ウソ笑い」でも同じ効果があるのです。そうであるなら、無理しても「笑顔」を作った方が得ですよね。 聖書の中には、イエス・キリストが「笑った」という記述が一箇所もないので、ある神学者は、「イエス・キリストでさえ笑ったことがないのだから、クリスチャンは笑うべきではない!」と言いました。 私は逆だと思います。キリストはいつも笑顔で笑っていたので、あえて「キリストが笑った」と書く必要がなかったと思います。反対に、「イエスが涙を流された」「キリストが怒った」と書かれているのは、珍しい光景だったからです。 あなたは、いつも「笑って」いますか? 「笑顔」ですか? 笑いは、あなた自身を幸せにし、アンチエイジングを促進させ、心と体を健康にしてくれます。 「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」(詩篇126:1~2) 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月12日
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おかようございます。青空が気持ちいいですね。心も澄み切った青空のように爽快に晴れ渡ったらいいですね。 本来、人生に失敗はないはずです。どうしてそれが失敗だとわかるのでしょうか? 失敗ではなく、「すばらしい発見のチャンス」です。 発明王の[トーマス・エジソン](Thomas Edison)のことを「何万回も失敗した人」と思う人がいるでしょうか? もし、エジソンがそこで「失敗」と決めたとしたら「失敗」でしたが、失敗と決めなかったので失敗ではなかったのです。 失敗を恐れる人は、ちょっとうまく行かないだけで、「失敗してしまった。もうダメだ!」と自分に烙印を押してしまいますが、そのことを「すばらしい発見のチャンス」にするか「失敗」で終わらすかはその人自身が決めることができるのです。 確かに、人生にはいくつもの「後悔」があり、数え切れない「すねの傷」があります。しかし、そのことに失敗の烙印を押してしまうのではなく、「すばらしい発見のチャンス」と捉え直して、前進してみませんか? エジソンは、発明に1万回失敗したと思われる状況になった時、「1万通りのうまく行かない方法を発見した」と考えたのです。 失敗の烙印を取り消せるのは烙印を押した本人だけです。あなただけです。 あなたは、失敗の烙印の数の分だけうまく行かない方法を発見できたのです。それは、「すばらしい発見のチャンス」なのです。 あなたの辞書から「失敗」という二文字を消しましょう。 私の辞書には「失敗」の文字はありません。見たい人が居たら見せてあげましょうか? そのページの部分は破り取ってあります。つまり「失敗」の文字はありません。 「失敗」を「チャンス」に、今日も新しい挑戦をして行きませんか? 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」(ローマ8:28) 素敵なチャンスに満ちた一日でありますようにお祈りいたします。 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月11日
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仮面舞踏会をやっている訳ではないのに、仮面をつけて自分の素顔を隠して生きている人はいませんか? 仮面をつけて、違う自分を見せていた方が人から好かれると思っているのでしょうか? かつての私は、本当の自分が知られることを恐れていつも仮面をつけて生きていました。 青春時代につけていた仮面は、「不良少年」という仮面でした。最初は、自分の殻を破ることが目的でしたが、いつしか、何にでも反抗して、強がって、誰からも「不良少年」と見られるような生き方をしていました。 大人になってからは、「八方美人」という仮面をつけていました。いい顔をすることで人に好かれるという錯覚をしていました。そして、「誰も自分をわかってくれない!」と寂しい気持ちになったりしました。 ある日、そんな自分に疲れ果てて、自分の本音を神に打ち明けました。私の素顔を受け入れて、愛してくれるイエスさまと出会いました。 『岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。』(雅歌2:14) 時間がかかりましたが、少しづつ、素顔で生きられるようになりました。なぜならば、イエスさまが私の全てを知り、許し、愛してくれていることがわかったので、自分に自信が持てるようになったからです。 ある日、仮面を外して、友達に心の深い部分にある本音を話しました。友達も、それに答えて、心の中にあることを話してくれました。友達と人格と人格の出会いを経験しました。感動しました。 その経験から、「仮面を外して素顔で生きて行こう」と決意しました。 素顔を隠す仮面より、素顔の方が比べられないほどすばらしいです。素顔のあなたは、世界にたった一人しかいない最高の神の作品だからです。 『ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。』(雅歌1:15) 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月10日
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おはようございます。青空がまぶしいくらいです。今週もはりきって明るく元気に過ごして行きましょう。素敵な一週間でありますようにお祈りいたします。 今ゴスペルといいますと、音楽の一つのジャンルとなっていますが、ゴスペルとは福音という意味です。言葉の語源は、ゴッド(神)+スペル(言葉)=神の言葉、聖書のことです。 ゴスペルを日本語にすると福音という言葉になりますが、福音とは「よい知らせ」「よいニュース」「よいおとずれ」。もっと言えば、「うまい話」です。しかし、「うまい話ありまっせ!?」(関西風ですが、関西に滞在していますのでお許しください)と商売人に声をかけられますと、だいぶマユツバものだという感じがします。なぜならば、この世の中にうまい話など存在しませんし、うまい話には罠が隠れているものだからです。 しかし、GOSPELがうまい話である理由は、有名な聖書の箇所に、『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである、』とあります。神が私たちを愛し、私たちのために、一人子イエス・キリストをクリスマスに誕生させ、私たちの罪の身代わりとして十字架で死なせて下さいました。ある宗教の人から、「信じるだけで救われるなんて、そんなうまい話があるはずがない!」と揶揄されたことがありますが、GOSPELが福音=うまい話であるのは、私たち人間の側から見るとそうですが、神の側から見たら、私たちを愛するあまり、イエス・キリストの命を惜しみなく与えるほど大きな大きな犠牲が払われていま す。これは、神のあなたに対するプレゼントなのです。 プレゼントならば、「ありがとうございます。」と受け取ることしか出来ません。信じるとは、このプレゼントを受け取ることなのです。そうしたら、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命を受け取ることが出来ます。これは、来世だけではなく、現世でも最高の幸せと豊かな人生という祝福が与えられます。 GOSPELとは、単なる音楽の一ジャンルに留まらず、神が下さったうまい話、神のプレゼントに対しての感謝の歌詞に曲を付けたものです。 GOSPELというと、ブラック・ゴスペルをイメージされる方が多いと思います。日本語では、黒人霊歌とも訳せるだろうと思いますが、ブラック・ゴスペルは、人種差別や奴隷にされて苦しんで来た人たちが、神への叫びとして歌った曲なのです。 もし今あなたが、苦しみや悲しみ、絶望や孤独、借金や病気などの問題に押しつぶされそうだとしたら、あなたこそ、このGOSPELを心の底から歌える人なのです。どうぞ、ゴスペル教室や教会に行って一緒にGOSPELを歌いませんか? この歌詞は、あなたに取ってよいニュースでありうまい話なのです。 繰り返しますが、世の中にはうまい話など存在しません。うまい話のためには誰かが犠牲しなければならないからです。その犠牲は神があなたに喜んで払ってくれました。そして、ただで与えられたプレゼントです。 神はあなたを愛しています。それを知った上でGOSPEL音楽を聞いたり、GOSPELを歌うとしたら、最高の喜びを感じることができるはずです。そんなGOSPELをあなたに。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28) 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月09日
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おはようございます。お元気ですか? 素敵な日曜日となりますようにお祈りいたします。今日もどうぞよろしくお願いします。 昨日は、「携帯をなくした」というお話をさせて頂きましたが、早速、softbank社から「あなた様の携帯が届けられています」と連絡が来ました。WOW! 大喜びです。無くして心を痛めていましたが、なくした携帯が見つかって100倍うれしいです。simカード再発行代2000円は損しましたが、気があんなに重かったのに、人の心は単純ですね。神様は、時々このような試練を与えて、パソコンや携帯端末などに依存し過ぎないようにしてくれます。 今日は、『C世代』のことについてお話致します。 私が、今務める新宿福興教会を始めたのは2001年9月です。アメリカの9.11同時多発テロが起こった頃です。パソコンが一般の人たちに普及し始めていました。しかし、当時はパソコンにほとんど興味がありませんでした。 毎週日曜日礼拝(集会)の時に、週報という集会のプログラムとニュースレターを発行する必要があります。しかし、パソコンはできないし、字があまりきれいではないので手書きで書くのも気が進まず困っていた時に、パソコンの高度な技術を持っている友人が、「菅野先生の教会の働きをぜひ手伝わせて下さい」と申し出てくれました。 これは願ってもないことで、まずは毎週発行する週報を作ってもらいました。それから、看板、名刺、色々な印刷物などのありとあらゆるものを作って頂きました。ところが、しばらくして友人は仕事が忙しくなり、「申し訳ないけど、これからは手伝うことができなくなりました。すいません!」といきなり言われましたので、「ガーン!」。ショックで言葉が出ませんでした。 しかし、友人はそのまま突き放すのではなく、中古のパソコンをプレゼントしてくれて、今までの作業を自分自身でできるように丁寧に教えてくれました。その時からパソコンを始めました。当初は、キーボード入力は指一本で、ゆっくり時間をかけながらでしたが、毎週の週報の制作のほかに、説教(講演)の準備やメールのやり取りなど、たくさんの文字入力をしているうちに、気がついたら上達して行きました。 2003年にはホームページを立ち上げ、礼拝(集会)の生放送をはじめ、チャット、ブログ、掲示板、SNSなどを通して、たくさんの人と関わるようになりました。そして気がついたら、パソコンが生活の一部となっていました。 私を含めて、パソコンやモバイルを生活の一部としている人たちを『C世代』(ジェネレーションC)と呼びます。 本当は、パソコンやモバイルを使わない人たちをアナログ世代と言うとしたら、それを「A世代」(私が作った言葉)と仮に呼ぶことにしますが、私の感覚は、「C世代」には成りきれない「A世代」と「C世代」の中間の「B世代」くらいのように思いますが、冷静に考えてみると「C世代」ですね。 つまり、パソコンやモバイルの依存度はかなり高いと思います。出かける時は、電車はほよんど使わず、通常、車やバイクや自転車で出かけますので、行き帰りに端末をいじることはほとんどありませんが、ちょっとした時間を見つけては、メールのやり取りを絶えずしています。また、ここ数年は、クリスマスカード&年賀状もメールで送っています。 『C世代』(ジェネレーションC)。 聞きなれない言葉かも知れませんが、この『C』は、コンピューター『Computer』の『C』でもあります。コンピュータが生活の一部であり、ネットで知人とつながり『Connected』の『C』、コミュニティー『Community』の『C』を重視する。変化『Change』の『C』をいとわず、自分流を編み出す『Create』の『C』です。 自覚はないかも知れませんが、ネット上知り合ったみなさんは、間違いなく『C世代』(ジェネレーションC)です。 友人が手伝ってくれたことで、パソコンを使って教会の仕事のほとんどすべてをやるようになり、その友人が忙しくなったので、パソコンを教えてもらって、自分でやるようになり、いつしかそれが楽しくなり、生活の一部となり、切っても切れないようになりました。 私は、実用主義ですので、パソコンや持ち運びの端末なども、かっこ良さよりも実用性と機能性を第一に選びますが、そのつもりですが、デザインのかっこ良さやワクワクするような遊び心も大切だなーと感じています。『C世代』の人の多くは、かっこ良さや遊び心を大切にしていますよね。 もし友人が、ずーっと私の秘書のようになってくれていたとしたら、自分ではパソコンをいじらなかっただろうと思いますし、『C世代』の仲間入りはできていなかったと思います。 私に取ってのマイナスはプラスに変わりました。 バイブルには、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)と書かれています。 神を愛する者に取っては、すべてのこと、マイナスもプラスも全部のことが共に働いて益、プラス、良い結果になるとしたら、良いと思えることはもちろん感謝ですが、良いと思えないことに関しても、後に良いことに変えられるので感謝できることになりますね。この人生観は、根拠のない楽観主義ではなく、確かな人生観だと思います。この土台があるので、「全てのことを感謝」して生きていけるのだと思います。 携帯をなくしたことさえも、神はマイナスをプラスに変えて下さいました。そして、携帯が出てきましたので、キーボードを打つ私の手が軽やかです。 『C世代』の最後は、『クリスチャン』の『C』です。共に、神様を礼拝しましょう。 今週も素敵な一週間でありますように心からお祈りしています。 教会の日曜日の集会の生放送をご案内します。 (教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/) 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年12月08日
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おはようございます。今朝はひと際冷え込みますね。身が引き締まる思いがします。昨晩は、大きな地震が起こり、東北の方々は大変だろうなーと思います。祈りつつ、素敵な週末をお過ごし下さい。 実は、私ごとですが、携帯電話をなくしてしまいました。携帯には、たいして重要なデータは入っていませんが、私に取って大切なのは電話帳です。携帯電話一台と聖書さえ持っていれば、出前牧師としてどこでも不自由することはありません。 携帯をなくして、今どうしているかというと、simカードを再発行して、妻が昔使っていた携帯を使っています。ボディーの色はピンク、着信画面もピンクです。個人的にはかわいらしくて好きですが、その電話を使ってる姿は、どのように映るでしょうね(´∀`) 私は、今までに財布を落としたことが二度あります。一度は大金が入っていました。それは、大きな痛みでした。高い買い物をしに秋葉原に出かけましたが、あちらのお店、こちらのお店を転々としながら、公衆電話で値段や在庫の有無を聞いた時、電話ボックスに財布を置き忘れてしまいました。普段なら考えられないことですが、あれやこれやと頭の中が忙しかったので、置いたまま次の店に行ってしまいました。そこで買い物をしようとしたら財布がないことに気づいいて、慌てて取りに行ったら、財布がなくなっていました。後日、拾ってくれた人が、お金だけをきれいに抜いて、免許書の住所に郵送してくれました。「お金がなくなったけど、財布が戻ったし、キャッシュカードなども無事だったので良い ことにしよう!」と自分をなだめましたが、秋葉原で、少しでも安い買い物をしようと思っていた矢先だったので、「二度と物をなくさないように気を付けよう!」と強く決意しました。 携帯をなくした現場は、自宅からマクドナルドの行き帰りの道です。携帯を無造作にジャンパーのポケットに入れていたため、どこかで落としてしまったようです。都会の街の中は、車の騒音や人の声などで騒がしく、携帯を落とした音に気づきませんでした。 私は、自分の持ち物を大切にしていますので、モノをなくすと、それだけで気分が落ち込んでしまいます。そんな時、ひとつのことを思い起こしました。神様も、愛する人間が罪を犯し、神の元を離れて行って、さながら持ち物をなくしたかのように、大きな大きな喪失感を感じておられることを思いました。 ルカの福音書15章8節~10節には、「女の人が銀貨を十枚持っていても、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」と書かれています。 女の人が十枚の銀貨を持っていましたが、そのうち一枚をなくしてしまったという話です。しかし、それは自分の家の中なので、今目の前にある九枚+今見当たらない一枚の十枚が家の中にありますが、確かに家の中にはありますが、それが見当たらないとしたら、女の人にとって一枚は無いに等しいのです。 このなくした銀貨一枚は、罪を犯して、神から離れた人を象徴しています。神様にとって、神の元を離れている人は、確かに存在はしても、神の目にはうしなわれており、居ないに等しいのです。 神様は、宇宙と地球の創造者であり、人間を創造されたお方です。全ては神様のものです。しかし、神様は悪魔の悪巧みによって、最も大切な人類を失ってしまいました。その人類を救うために、2012年前のクリスマスにこの地上に一人子イエス・キリストを送りました。キリストは33祭の時に、十字架にかかり、死んだ後に墓に葬られ、三日目によみがえって、救いの道を完成しました。誰でも信じるなら、神の目に失われていた状態から見つけ出された状態になります。 私が、大切に使っていた携帯電話をなくしただけで、たったそれだけで心を痛め、気が重いのに、神様は、アダムとエバが罪を犯して、悪魔に従って行ってしまった時には、どれだけ大きな失望を経験されたことでしょう。 話は戻りますが、銀貨をなくした女性が、銀貨を見つけたとしたら、「友達や近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。」と書かれています。何となく、家の中でなくなったお金が出て来たというだけで、友達や近所の女たちを呼び集めて、一緒に喜ぶというのは大げさな話のようにも感じます。 もう一度財布を落としたのは、「アサマ2000」というスキー場でスキーをしていた時にポケットから財布を落としてしまいました。私は、財布を落としたことにも気づいていませんでしたが、リフトに乗ろうとした時に、リフトのおじさんが、「あなた菅野さんですか?」と聞くので、いきなり名前を聞かれて戸惑っていると、「あそこで滑っている人があなたが落とした財布を届けてくれたんですよ」と教えてくれて、すぐに返してもらいました。私は、財布を拾ってくれた人にお礼がしたくて、ずっと探しましたがなぜか、そんなに広いスキー場ではないのに会えませんでした。すぐに帰ってしまったのか?わかりませんが、本当に感謝しました。もしかしたら、天使だったかも知れない、と思って、「神様ありが とう!」と叫んでしまいました。それから、妻に電話をし、色々な人に、「財布を落としたけれど拾ってくれた人がいたんだよ!本当に良かった!」と話をしました。うれしくてうれしくてたまりませんでした。 財布を落としたことを自覚していなかったのに、拾って届けて下さった人に感謝をしたとしたら、もし、なくして「どうしよう!困ったなー!」と心を痛めている時に財布が見つかったとしたらどれだけうれしいでしょうか? 神様は、この文章を読んで下さったあなたを探しておられます。すでに見つけられた人もいるでしょうし、まだ見つけられていない人もいると思います。「神が私なんかに関心をもっているはずがない!?」と思われますか? そうではありません。仮に、地球にあなた人しか人がいなかったとしても、神は、一人子イエス・キリストをこの地上に送り、十字架にかけて死なせ、復活させてあなたを救おうとされたはずです。神はあなたを愛しています。そして、あなたを探しています。あなた一人のために一人子イエス・キリストの命を捧げて下さいました。 「神様、私を救って下さい。私罪のために、イエス・キリストが十字架にかかり、死んで墓に葬られ、三日目によみがえったと信じます。」と祈って下さい。 その瞬間、神様はあなたを見出し、あなたを救って下さいます。 私は、携帯を落としたことを通して、神様の心の痛みと、どれだけ失われた人を探し続け、救われる日を待ち焦がれているかのごく一部を感じさせてもらいました。出て来るといいなー(´∀`) どうぞ、財布や携帯など、貴重品をなくさないように気をつけて下さい。良い一日でありますように。 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月07日
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今日の夕方にあった地震で、家族は3.11を思い出したようで、心臓がドキドキし、気力がなくなってしまったようです。 東北にいる友人知人の何人かから連絡が入りました。大規模な避難をしているようです。寒いのに大変だなーと思います。 私も、「いつもと違うな?」と感じて、「神様、守って下さい」と祈りました。 これから夕食の準備という時間でしたが、避難体制に切り替わって、夕食は非常食のカップラーメンを食べました。 みなさんのところは大丈夫ですか? 共に、神様の守りと導きを祈りたいと思います。 「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」(詩篇121:1~8) 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月07日
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おはようようございます。さわやかな朝を迎えました。お元気ですか? 風邪をひかないように気をつけてくださいね。 一昨晩、インフルエンザの予防接種を受けました。 今から十数年前、妻と二人だけで生活をしていたある日のこと、大げさではなく、急に死にそうくらいに具合が悪くなりました。とっさに、救急車を呼びたい気持ちでしたが、もし何の病気でもなく、「救急車をタクシー代わりに使った」と言われたら嫌なので、ガマンして、バイクで病院に行きました。病院に着いたら、お医者さんが熱をはかり、検査してくれました。「インフルエザですね」と診断され、抗生物質の点滴を打ってもらいました。帰り道、バイクを運転しながら、「このまま死んでしまうのではないか」と感じました。 インフルエンザにはこりごりで、その翌年から、毎年、忠実にインフルエンザの予防接種を受けるようになりました。その後、何年に一度かはインフルエンザにかかりますが、軽い症状で済みます。 ただ毎年、予防接種を受けた後に気になることがありました。軽くインフルエンザになったような症状が出て、寝込んでしまうのです。病院に電話をしたら、「おそらく、アレルギー反応でしょう」と一蹴され、取り合ってもらえませんでした。 余談ですが、その病院で、インフルエンザの季節性予防接種と新型の予防接種のダブル注射を打った年には、何と、病院の待合室にインフルエンザの患者さんがいたらしく、予防接種を打ちに行ったのに、インフルエンザに感染して帰って来たので、予防接種の意味がありませんでした。お医者さんいわく、「これで免疫がついたと思いますよ。へっへっへ」と言われ、何とも複雑な気分でした。タミフルの世話になり、一週間寝込みました。 それは特例ですが、予防接種を打つたびに、軽いインフルエンザの症状になるので、今回行った病院の先生に聞いてみました。優しく教えてくれました。インフルエンザの予防接種は、生ワクチンではないけれど、インフルエンザの菌0.5mlを体に入れることで、体がインフルエンザに抵抗して、病気に対する免疫を2~3週間かけて作ってくれるのだそうです。これで納得しました。 つまり、インフルエンザの予防接種は、わざわざ少量のインフルエンザの菌を体に入れることで、軽いインフルエンザにさせて、それに体が抵抗して免疫を作り、それ以降、インフルエンザのウィルスが体に入っても、菌に抵抗してインフルエンザにかからないで済むか、軽い症状で済むということです。 話は変わりますが、私たちの人生には、毎日、色々な試練や痛みを感じる経験をします。これは、インフルエンザの予防接種のように、軽い試練を体験することで、試練に対する免疫が心に作られて、大きな試練がやって来た時に、それに負けないように心が強くされます。 毎日経験する試練の予防接種は、そう考えると悪くないですね。神様は私たちに、色々な種類の試練の予防接種を打って下さっています。その試練の予防接種が、私たちに試練に対する免疫を作ってくれているのです。だから、試練がやって来たら、お医者さんの前に腕を差し出すように、抵抗しないで試練を受けた方がいいですね。試練は、抵抗すればする程痛みを伴うものです。 もっと突っ込んで言うならば、感謝して試練を受け入れて下さい。 「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブの手紙1:2~4) 聖書は、試練に対して、「この上もない喜びと思いなさい」と語ります。「ヤッター!」という具合です。「この人、つらい経験をして頭がおかしくなってしまったのではないか?」と思う人もいるかも知れません。でも大丈夫です。神が共にいて下さるので、喜ぶ力が与えられ、あなたが喜ぶことで、試練があなたを傷つけることがないばかりか、試練が有益なものとなるのです。 試練は忍耐を生み出し、忍耐を働かせると、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な人になります。 忍耐がないことで人生を破壊してしまうことがよくあります。 伝道者が気をつけなければならない誘惑は大きく分けると3種類あります。3つのG、「3G」で表すことができます。 1、Gゴールド⇒金銭の誘惑 2、Gガール⇒異性の誘惑 3、Gグローリー⇒名誉の誘惑 3つのGは、伝道者に限らず、どんな人にもやってくる誘惑であり、試練です。忍耐が身についている人は、3Gに引かれて、おびき寄せられて、誘惑に落ちることがありません。 1、金は愛するものではなく、神を愛し、金は使うものです。 2、異性の誘惑を退けるためには、良い結婚をし、一人の夫や妻で満足することです。不倫は間違っています。決して、肯定されてはいけないものです。 3、名誉欲。人は、「偉くなりたい」「認められたい」「力を持ちたい」という欲があります。高い目標を持つことは大切ですが、同時に、今の現状に感謝し、神が認めて下さっていること、大きな期待をして下さっている事実を受け入れることによって、名誉欲を退け、喜び、全力投球で生きることが大切です。 忍耐が備わっている人は、誘惑に負けたり、試練に押しつぶされることはありません。あせって性急にものごとを判断し、間違った行動をすることもありません。すぐに腹を立てることがないので、喧嘩や争い、殴り合い、ののしり合いなどに巻き込まれることはありません。 今日も神様は、私たちに試練の予防接種を打って下さると思います。その予防接種を嫌がらず、感謝して受けて下さい。予防接種は、夫や妻を通してやって来たり、家族や身近な人を通してやって来ることもあります。想定外のところから注射針が飛んで来ることがあります。その時、この上もなく喜びと思って受け入れて下さい。その試練の予防接種は、やがて忍耐を与え、成長を遂げた、完全な人に私たちを高めて下さるのです。 金曜日になりました。良い一日、良い週末でありますようにお祈りいたします。 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月06日
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おはようございます。今朝も気持ちのいい朝ですね。素敵な一日でありますように。 東京と大阪で年末年始のオフ会を開きます。もし良かったら、この機会にお会いしましょう。 ★東京オフ会 2012年12月14日(金)一部は午後2時~5時、二部は夕方6時~夜8時頃まで。 2012年12月21日(金)夕方6時頃~夜8時頃まで。 場所:ジョナサン大久保店 会費:飲食代の実費 東京都新宿区百人町1丁目17-8 JR大久保駅[北口]から徒歩約2分 xxx-xxx-xxxxx ★大阪オフ会 2013年1月22日(火)午後2時から夕方位まで。 場所:かごの屋 清水谷高校前店 会費:飲食代の実費 大阪市中央区上町1-7-5 JR玉造駅から徒歩約5分 xxx-xxx-xxxxx ※オフ会では、相談や込み入った話はできませんので、個人的なお話を希望される方は、別途、日程を調整致します。ご連絡下さい。どちらにしても、参加を希望される方は、メールにてご連絡をお待ちしています。 PCメール ??????@ybb.ne.jp 携帯メール ??????@softbank.ne.jp 「オフ会」とは何でしょうか? ネット通の人はもちろん知っている言葉だと思いますが、最近ネットやスマホを始めた方にはわからない言葉かも知れませんので、簡単に説明します。 毎日、文章や写真、コメントなどのやり取りを通して交流することをオンラインミーティングと言葉では言いませんが、オンラインミーティングです。「オフ会」は、オンラインに対しての言葉です。 具体的には、インターネットを通して接続された状態での出会い、再会、交流というオンライン(インターネット)を離れて、ネット上で知り合った人々が実際に集まって親睦を行うことを「オフ会」と言います。 かつて私は、自宅にも、車にもアマチュア無線機を持っていました。八木(指向性のある)アンテナを東西南北に向けて、近くの無線局の人々をはじめ、地球の真裏のブラジルや世界各国の無線局の人々と無線で交流を深めました。私の車は、外見はポンコツでも、立派なアマチュア無線局でした。HFから1200MHz帯まで電波の送受信ができました。運転中も、ハンドフリーのマイクが運転席のサンバイザーに取り付けてあって、いつも一人で運転をしても一人ではありませんでした。ある時には、富士山の五合目から、八木アンテナを立てて、夜通したくさんの人と無線で話したことも懐かしい私の青春時代の思いでです。 そのアマチュア無線で出会った人たちが、実際に交流する会のことを「アイボールミーティング」と言います。当時は、月に一度20名くらいの人が参加していて、毎月楽しみでした。 「アイボール」とは「目玉」。すなわち、電波を通してではなく、実際に会って、目と目を合わせて面会することの意味です。 その後、パソコン通信が流行り始めた頃、「アイボールミーティング」と「オフ会」の中間の言葉である「アイボール会」と言う言葉が使われていました。やっぱり、通信を通して知り合った人たちの親睦会でした。 今思うと、アマチュア無線、パソコン通信、インターネットと、媒体は変わっても、数々の出会いと交流のきっかけを作るものとして、神様が与えて下さった出会いのツールとして、感謝して使って来ました。 今日ここでの交流も、アマチュア無線、パソコン通信の延長線上にあるように感じます。 きっかけが電波や通信やインターネットであっても、そこでの出会いや交流は、人と人との関係です。ですから、実際に顔を合わせて、笑いながら、バーチャルな世界で共有して来た話をしたくなるのは、ごく自然なことのように思います。オフ会は、とても幸せを感じる瞬間です。 東京と大阪での「オフ会」は、毎年の年末年始に行う恒例行事になりました。最も多かった時は、50人以上が集まったこともありました。そこでは、ワイワイガヤガヤして、何が何だかわからないうちに終わってしまいました。だから、親しい人同士で二次会で、ゆっくりお話をしたことを思い出します。 ある時は、参加者のみなさんと一緒に、東京の「新宿アルタ前」や大阪の「難波駅前」で、路上ライブをやって、楽しくみんなで歌を歌ったこともありました。 今年はどんなオフ会になるでしょうか? 日時が決まっているだけで、それ以上は決まっていません。きっと、今年も最高に素晴らしい「オフ会」になると信じます。どうぞ、万障繰り合わせてご参集下さいますようにお誘い申し上げます。 「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩篇133:1) 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月05日
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きもちのいい朝ですね。おはようございます。今日もよろしくお願いします。 結婚は、できるのにしない人がいます。また、したいのにできない人がいます。 前者は、自らの意思で結婚をしないという選択をしていますので、尊重されるべき生き方です。 後者は、結婚したいのになかなか相手が見つかりません。そこには、理想が高すぎることが原因かも知れません。あるいは、自分と不釣り合いの人を選ぼうとしているからかも知れません。 結婚のためには、まず自分を知ることが大切です。 1、自分は神に造られた作品である。 2、神に愛されている存在である。 3、神から離れ(罪の状態)、結果として壊れている存在である。 4、回復のために神に立ち返る必要がある。 5、イエス・キリストを信じたら救われ、壊れた自分が修復され始める。 6、神なしの自分は小さい。 7、神と共にある自分は大きい。 8、自分は成長過程にある。 9、自分には無限の可能性がある。 10、神と一つになった時、本当の自分を知ることができる。 結婚の前に、自分をよく知っているならば、自分にふさわしい相手を知ることができます。 自分を過小評価していると、どうも気に入らない相手ばかりを選んでしまいます。その状態で結婚すると、「この相手には私がいないとダメ」と考えますので、ダメな相手を世話することに存在意義を感じますし、相手は、めんどうを見てくれる相手に寄りかかることで存在意義を感じますので、共依存になります。私が知っているある女性は、アル中やDVの夫と結婚をし、やっとの思いで離婚をして、また結婚したら、似たようなタイプの人で、今、離婚調停中です。 自分を過大評価していると、こちらは相手を好きになるのに、相手はこちらに見向きもしてくれないということになります。あるいは、自分をよく見せて結婚をしたとしても、バランスが悪く、性格が不一致になり、結婚生活に苦労したり、結婚生活が破綻したり、多くの問題を抱えることになります。 しかし、神と一つになって、自分を正しく知り、自分と釣り合い、自分にふさわしい人を選ぶと、スムーズに結婚が成立します。もちろん、結婚生活には愛が不可欠ですが、バランスのいいカップルは、愛し合い、共に成長を続けることができます。 自分に対する評価は、セルフイメージという言葉で表現してもいいと思います。セルフイメージが低いのが問題なのは言うまでもありませんが、セルフイメージが高すぎるのも問題です。思い上がっていますので、勘違いした生き方をします。 自分を知ることは、実は、神を知ることにもなります。なぜならば、本当の自分のところで神はあなたを待っておられるからです。だから、自分を知ることは神と出会うことであり、神を知ることです。そして、神を知った人は自分を知ることになります。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28) もちろん、神を知らず、神を信じない人でも、幸せな結婚をしているいくらでもいます。おそらくその人は、直感的に自分を知り、自分にふさわしい人を選び、結婚することができたのだと思います。しかし、その背後には、「運命の糸」という言葉があります。神が働いて、導いて下さったに違いありません。 そうしたら、幸せな結婚ができる人がいるのに、私は結婚できないなんて不公平だ、と感じることでしょう。 結婚できないには、結婚できない理由があるはずです。 相手が自分に振り向いてくれないことを嘆いたり、恨んだり、他人を羨ましがる前に、自分磨きに力を入れたらいいのです。 あなたを好きになった人が、お付き合いや結婚を申し込んで来たとします。しかし、その気持ちはうれしくても、全く好みの相手でなければお断りすると思います。それでストーカーになってあなたを追いかて来たとしたら、全く迷惑な話ですよね。 しかし、その相手が自分を磨いて、外面も内面も美しく、頼もしく成長して、あなたの好みのタイプになったらどうでしょうか? 一度はお断りしても、あなたの方から、「あなたの申し入れをお断りしたのは、どうかしていたと思います。もしあなたの気持ちが今も変わっていないなら、改めて、あなたの申し出を受け入れたいと思います。」と申し入れるのではないでしょうか。 結婚相手が見つからない人は、あなたを好んでいる人がまわりにいないか、あなたを好んでいる人とまだ出会っていないのかも知れません。もちろん、積極的に考えればそういうことになります。しかし、そういう考え方に甘んじていてはいつまで経っても結婚相手は見つかりません。 結婚できないことを、「不公平だ」と嘆いたり、「相手が悪い」と腹を立てるより、自分磨きに集中したらいいのです。自分磨きは、車の洗車とWAXがけのようにとても充実感があることであり、楽しいものです。 どうやって自分を磨いたらいいでしょうか? 秘訣は「3つの愛」に生き続けることです。 「3つの愛」土台は、「神が私を愛して下さっている」という事実を知り、信じ、受け入れることです。 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネ第一の手紙4:10) 神の愛を体験したら、次に、その受けた愛で、以下の3つの愛に生きて下さい。 1、神を愛する 2、自分を愛する 3、他者を愛する これが3つの愛です。 3つの愛に生きる時に、的外れな生き方が軌道修正されて、本来のあなたの生き方がはじまります。壊れて、汚れていたあなたが輝きはじめるのです。 神を愛し、自分を愛し、他者を愛する愛に生きたら、何をしていても自分磨きになります。 さらに、3つの愛は、古い自分が壊れて、新しい自分に生まれ変わって行きます。なぜならば、愛することほど難しいことはこの世の中にはないからです。 愛に生きる時、愛せない自分を嫌というほど見せつけられます。その自分を知ったら、自分で自分が愛の人になれないことがわかりますので、必然的に神のところに行く他に道がなくなります。 神のところに行ったら、神の前に自分を差し出し、明け渡して、まな板の上の鯉のようになることです。そこで古い自分が死んで、新しい自分が始まるのです。 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ書2:20) 愛に生きようとすることが、自分の限界に一早く到着し、神によって新しく造り変えて頂く道の最短距離です。そして、完全に新しく変えられた人になります。 美容整形をしたり、目に見える部分の学歴、職歴、実績などは小手先の変化であって、実は、ほとんど意味がありません。 新しく生まれ変わったら、今までのあなたではありません。しかし、それが本来のあなたです。 そのあなたは、全てが輝き、成長し、豊かになります。結果として、美しくなり、かっこよくなり、実績を残すことができたり、人からの評価を得たり、収入も増えるかも知れません。 そして、そんなあなたを放っておくほど、世の中の男性や女性の目は節穴ではありません。 あなたはすばらしい人です。 1、すでに結婚をしている人は、さらに幸せな家庭を築くように努力して下さい。 2、独身で生きることを決意した人は、それは一つの素晴らしい選択です。独身でしかできない生き方があります。自分の力を、仕事や他者のために100%使うことができます。 3、最後、結婚したくても結婚をまだしていない人は、自分を磨くことで、素敵な出会いが自ずと訪れるはずです。 幸せな結婚、幸せな家庭、幸せな人生を祈っています。 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月04日
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おはようございます。今日もどうぞよろしくお願いします。素敵な一日でありますようにお祈りいたします。 古代キリスト教の神学者、哲学者、説教者のアウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354~430)は、「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」という言葉を残しました。 私たちの社会を見ていると、「大きなことではバラバラで、小さなことで争っている」というような感じがします。 政治を見ていても、職場や学校、地域、友人知己、家庭などの人間関係を見てもどこでもそんなに変わりません。 利害・損得の感情が心を支配しているので、愛することができないのです。 大切なことは、「誰がやるか?」より「何がなされるか?」です。 今日、衆議院総選挙の公示がなされ、16日に執行されますが、政治家を選ぶ上で大切なことは、もちろん、「この人に政治家になってほしい」という考えも大切ですが、選挙は、単なる人気投票ではなく、その政治家の政策、人格、そして、その政治家を通して何がなされるかが大切です。そのような視点で、これからの12日間、真剣に誰に投票するかを祈り、調べ、考えて行きましょう。 また、同じように大切なことは、「個人の損得」より「全体の有益」です。全体の益の中には、個人の益が含まれます。しかし、個人の益の中には、全体の益が含まれていないことがほとんどです。 問題は、「個人の益」を求める心が、「他の人はどうであっても、私さえ得をし、成功し、幸せになればいい」という考え方が根底にあることです。 「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらかったのです。」(ローマ人への手紙15:1~3) 全体の益を考え、全体が喜ぶことを考えたら、それが、自分にとっても一番の益であり、喜びになるのです。 自分だけが益を受け、一人勝ちをし、自分一人が喜んでいるとしたら、その喜びを共有する人があまりいません。その喜びは、聞いた人には喜びではなく、反感を買うことになったり、ねたみの対象にしかなりません。あるいは、好調で上向いている時だけは、ゴマをすって近付いて来る人はいても、風向きが変わった途端に一人ぼっちになります。だから、多くの成功者と呼ばれる人が孤独なのです。 しかし、全体の益を考えたら、みんなが益を受け、WIN-WINとなり、みんなが喜び、みんなで喜びを共有できます。私の喜びがみんなの喜びとなり、みんなの喜びが私の喜びとなります。反対も言えます。好調な時も、風向きが変わっても、一人ぼっちにはなりません。私の痛みがみんなの痛みとなり、みんなの痛みが私の痛みとなって、共に支え合い、助け合い、共生し、共存できる社会が作られていきます。 そのためにどうしたらいいでしょうか? アウグスティヌスが言った、「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」の心で生きることです。 ここで言う大きなことは、原発推進か? 脱原発依存か? 卒原発・脱原発・原発0・原発即時停止なのか? ということではありません。消費税、TPP、憲法改正、景気、雇用、教育、福祉がどのうこうのではありません。これは小さなことです。 大きなことは、「全体の益」を考えることです。 政党や政治家の政策、政権公約が、日本国民の益、しいて言えば、地球全体、全人類の益を考えた結果として出て来たものであるならば、各党・各政治家の多様な政策は小さなことです。 全体の益を考えるために必要なのは、全人類の創造者であり、天のお父さんである神を信じることから来る愛です。 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(ヨハネの第一の手紙4:10~12) 歴史や現状を見て、クリスチャンが愛に生きているか?を見たら、きっと、そうではない現実をあちらこちらで見させられます。 しかし、神の愛は、そんなキリストの名前を汚すクリスチャンを排除せず、兄弟と呼ぶことを恥と思わず、赦し、愛し、成長することを期待して、養育し、導いて下さっています。 もし、「あなた、それでもクリスチャン?」と思える人がいたら、そういう人だからこそ、神が必要なことを理解し、自覚することができたのでクリスチャンになれたのです。もし、「それでもクリスチャン?」と思える人を見たら、こう思って下さい。もしこの人がクリスチャンでなかったとしたら、もっともっとひどい人であった、と。 神を信じるとは、無条件で一方的に与えられた神の愛を信じ、受け入れることです。 「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5:6~8) 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたし(神)はあなたを忘れない。 」 (イザヤ書49:15) 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4) 神を信じ、全体の益を願い、「大きなことでは一致を、小さなことでは自由を、すべてのことに愛を」願い、住みやすい社会、国家、国々を作って行きたいですね。それは、私たちの小さな決断からはじまります。 今日もすばらしい一日でありますようにお祈りいたします。 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月03日
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おはようございます。寒い日が続きますが、どうぞお体を大切にして、今日も素敵な一日をお過ごしください。 毎日、ネット上でみなさんの幸せな顔を思い描きながら、幸せを感じさせてもらっています。みなさんの幸せは私の幸せだからです。 ベルナノスのいう人は、『他人の喜びに喜びを見出すこと。これが幸福の秘訣である。』と言いました。私もそうだと思います。 しかし私たちは、「自分の喜びに喜びを見出すこと」こそ、幸福の秘訣であると考えやすいと思います。お金持ちになり、豪邸に住み、高級車に乗り、豊かな生活をしている人が幸せだと考えやすいです。権力があり、有名人として生きることが幸せだと考えやすいですが、実際は、成功者ほど孤独であったり、物質的には豊かなのに心がすさんでいる人は多いものです。 豊かであることがいけないという話しではなく、その人がどんな状況の中にあっても、「他人の喜びに喜びを見出しているか?」「自分の喜びに喜びを見出そうとしてるか?」にかかっているだろうと思います。 私は牧師として、他人が幸せになることをひたすら願っています。聖書の言葉を語りながら、喜んで聞いてくれている人の姿を見て、無上の喜びを感じます。 他人の喜びに喜びを見出そうとしたら、幸せになる事が出来ます。 他人の喜びに喜びを見出さないと、そこに忍び込んで来る感情はねたみです。自分の幸せだけを願っても、世の中自分より幸せそうな人はいくらでもあります。その人にねたみを感じた途端不幸を感じ、惨めな思いになります。 もし、その時自分の心の貧しさに原因があると気付けたら望みがありますが、不幸と惨めさの原因は、相手のせいだと考えると、不幸のサークルにはまってしまいます。 世の中で、相手を否定したり、非難したり、いじわるをしたり、何らかの悪意を持ってやって来る人は、ほとんど間違いなくねたみの思いがどこかに潜んでいると思います。 ねたんでいる相手が持ってる自由とか、豊かさとか、賞賛とか、富や栄誉などを、自分がほしいと思っているのに、それを横取りされてしまったように思って腹が立って来ます。 しかし、相手の喜びに喜びを見出せたとしたらどうでしょう? つまり、「よかったね。」と心から言ってあげることです。一緒に喜ぶことです。そうできたら、絶対に幸福になるし、喜びに溢れて来ます。 さらにもう一歩進んで、他人の喜びのために仕える事です。他人の喜ぶ顔を見るために自分を犠牲にして、相手に与えるように生きたら、最上の幸せと最上の人生になります。 イエス・キリストは、まさに他人の喜びに仕えた人です。他人の喜びのために、他人が持っている不幸を身代わりに背負って十字架について死なれました。十字架の死によって罪を赦し、悪魔を追い出し、心と体の健康を与え、祝福を与えられ、天国に入れて下さいます。これは他人である私たちの喜びです。その喜びに仕えるためにイエス様は生きられました。 私たちは、誰かの身代わりに死んだり十字架にかかることは出来ませんが、しかし、そういう思いで生きることは可能です。 天国と地獄は、死んでから行く場所ではありません。この世にすでに存在しています。他人の喜びに喜びを見出し、他人の喜びに仕える人の心はすでに天国です。しかし、自分の喜びに喜びを見出そうとしている人の心には、ねたみが付きものです。そうなったら、心は天国から地獄に真っ逆さまです。天国と地獄を分けるのは、他人の喜びに生きるか、自分の喜びに生きるかで二分してしまいます。 あなたは愛されています。そして、あなたの喜びを喜んで下さり、あなたの喜びのために仕えて下さっている方がいます。その愛に感動し、その愛を受け止め、今度はあなたも、他の誰かの喜びを喜びとし、喜びに仕えて参りましょう。そんな幸せと喜びの天国のような一日一日をすごして行きましょう。祝福を祈ります。 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/
2012年12月02日
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おはようございます。今日も素敵な日曜日としてお過ごし下さい。祝福をお祈りいたします。 日曜日恒例のジョークからはじめます。 牧師が説教で、「天国ではお金は大事ではない、なぜなら天国にはお金自体がないのですから」と語りました。 すると、どこかで小さな子供がささやきました。「今の聞いた、ママ? ぼくたちもう天国にいるんだよ」 (´∀`) 子供は、時々辛辣なことを言うことがあります。 「パパ、あのおじさんどうして頭に毛が生えてないの?」 「ママ、あの人変な顔! 」 そのことが当たっていればいるほど返す言葉が見つかりません。 ある時、一人のおじいちゃんが病院に入院し、危篤の状態になりました。昏睡状態が続き、数日後に意識を取り戻しました。 病室の外では、親族が集まって、「まだ死なないですね。葬式はいつになるんでしょう?」と、葬式の日取りを話し合っていました。 そんな時、病室に孫が来ました。「おじいちゃん、まーだー…?」と元気に入って来ました。 雰囲気は凍りました。こっそりと「まだ死なないですね」と話し合っているのに、子供が「まだ…?」と言ってしまったからです。 しかし、同じ「まだ?」でも意味が違いました。 「おじいちゃん、まだ元気にならないの? 早く元気になってね。」 イエス様は、子どもたちを愛しておられます。 「イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」(マタイの福音書19:13~14) ここで語られた「子どもたち」は、素直で正直さであり、その子どもたちのようになりなさいと語られています。 大人になると、なかなか素直になれず、疑い深く、心が頑なになります。経験がそうさせているのでしょう。損得や利害を考えて、嘘も方便で、本音と建前を使い分けたり、偽善的になったり、表面を繕うプロになっていないでしょうか? 本当は、神がおられるなら信じたいし、頼りたいし、お祈りしたいのに、人目を気にして、弱い人に見られたくないので、「私は無神論者です」と強がっている人はいないでしょうか? ある人は、親から「目に見えないものは信じるな!」「神なんか存在するもんか!」と教えられて、素直にそう思い込んでいる人もいるかも知れません。 子どもは、素直で正直なので、我がままになったり、忍耐できなかったり、自分をコントールできなくて、子育て中の親は苦労することがありますが、その反対側は、実にかわいいものです。 神様は、子どものように神を求め、神に頼り、神に祈る人をかわいいと思って、喜んでおられると思います。 日曜日に教会に来て礼拝を捧げるのは、腕組みして高見の見物をしたり、娯楽の一つとして教会の集会を見るために来るのではありません。牧師の説教を聞いて勉強しに来る場所でもありません。ただ神に礼拝を捧げるために来るのです。 どうぞ、インターネットで礼拝の中継も行います。礼拝を見るのではなく、共に、神を礼拝しませんか? 教会では、はじめて教会に来られる方を歓迎します。最近教会に言ってなかった人を歓迎します。 子どものような素直な心で神を礼拝し、一週間をスタートしましょう。月曜日からはじまるカレンダーもありますが、本当は、日曜日から一週間はスタートします。みなさんも、日曜日から一週間をスタートしていますか? 12月になり、クリスマスも間近です。クリスマスは恋人とデートする日やサンタクロースにプレゼントをもらう日ではありません。神が、一人子イエス・キリストを私たちにプレゼントして下さった日です。共に、神に感謝を捧げ、礼拝をいたしましょう。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のYouTubeのURLをお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年12月01日
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