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映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 6
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ドゥニ・ビルヌーブ「灼熱の魂」シネ・リーブル神戸 予告編を見ていて「エッ?」と思いました。主人公らしい女性に見覚えがありました。「一年ほど前に見たモロッコの町で、パンをこねていたおばさんじゃないか。」 見終えて、再確認しました。マリヤム・トゥザニという監督の「モロッコ、彼女たちの朝」という作品でパン屋を営んでいた未亡人アブラを演じていたルブナ・アザバルという女優さんでした。 で、今日の映画はリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」の続編や「砂の惑星」なんていうSF(?)を撮って評判らしいドゥニ・ビルヌーブという監督の出世作「灼熱の魂」、まあ、邦題が「ちょっと、あんたねえ」なのですが、原題は「Incendies」、直訳なら「火事」でしょうか。原作の戯曲があるらしく、その邦訳は「やけこげる魂」だそうで、そっちは理解できますが、映画のチラシのように「灼熱」という熟語を当てると、語感が内容にそぐわないと思ったのですが、まあ、その映画を見ました。 なるほど、出世作というだけありました。ドゥニ・ビルヌーブという監督の才能を感じました。 カナダに住んでいる、まだ、50歳半ばくらいでしょうか、老年に差し掛かった女性ナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)がなくなって、大学生くらいの年齢の二人の子ども、女性がジャンヌ・マルワン(メリッサ・デゾルモー=プーラン)と男性がシモン・マルワン(マキシム・ゴーデット)の双子のようですが、公証人(レミー・ジラール)から遺書を受け取るところから映画は始まります。「父」と「兄」を探せ、探し出したうえで、二人宛の遺書を開封せよ。 まあ、そういう指示が書き残されていて、二人が「母の人生」をたどりかえすというお話でした。 母が生まれたのは中東のどこかの田舎の村で、キリスト教系の住民とイスラム経系の住民が、互いを敵として戦っている地域という設定です。地名や学校名は出てきますが、架空の場所のようです。 で、その村のキリスト教の住民の家に育ったナワル・マルワンという娘が、異教徒の難民と恋に落ち、駆け落ちしようとしますが、兄弟に発見され、恋人はその場で射殺されますが、娘は、祖母の助けもあり、身籠っていた一人目の子どもを生み落とします。そこから、この娘が、どんな経緯で村を出て、その後、何があって、結果的に、二人の子供を連れて、どうしてカナダくんだりまでやってきたのかというのが、二人の子供がたどった母の人生の謎ときでした。 が、まあ、ちょっとネタバレですが、母の人生の謎を追っていた二人は、やがて、自分たち自身の出生の秘密、父、母、兄、そして二人の双子という家族の秘密にまでたどり着きます。 秘密の謎を解くカギは、ジャンヌ・マルワンが大学で研究している数学者オイラーの方程式にありました。 映画が始まって、ジャンヌのキャラクター紹介のように提示されたこの方程式を見て「謎」の見当がつく人が、実際にいるのかどうか、ぼくには想像できませんが、後半に入ったあたりで、三人の子どもを生んだナワル・マルワンは、実はアンティゴネーを生んだイオカステーではないのかという予感は、フト、きざしました。 映画の始まりの母からの遺言「父と兄を探せ」がジャンヌ=アンティゴネーに与えられたヒントじゃないかという予感です。では、じゃあ、オイディプス王は誰なのかというわけですが、ここまででも、ちょっとバラし過ぎている気もします。どうぞ、作品をご覧ください。なかなかスリリングですよ。 この映画の物語を支えているのが有名な数式とあまりにも有名なギリシア悲劇というところは、まあ、ぼくとしては好みですし、面白いのですが、ちょっと話が作られ過ぎているきらいがあるところが引っかかりました。 しかし、岩と砂の山岳地帯の風景があり、その谷間の底を走るバスを俯瞰したパレスチナの風景と、ただ、ただ、何の躊躇もなく人が殺される殺伐たるテロルの光景には息をのみました。それだけでもすごい映画だと思います。 悲惨で過酷な人生を生きながら、「母」であり、最期まで、子どもたちに「愛」を伝えようとした、女性ナワル・マルワンを演じたルブナ・アザバルに拍手!でした。 監督 ドゥニ・ビルヌーブ原作 ワジディ・ムアワッド脚本 ドゥニ・ビルヌーブ撮影 アンドレ・チュルパン美術 アンドレ=リン・ボパルラン衣装 ソフィー・ルフェーブル編集 モニック・ダルトンヌ音楽 グレゴワール・エッツェル挿入歌 レディオヘッドキャストルブナ・アザバル(ナワル・マルワン)メリッサ・デゾルモー=プーラン(ジャンヌ・マルワン)マキシム・ゴーデット(シモン・マルワン)レミー・ジラール(公証人ルベル)2010年・131分・PG12・カナダ・フランス合作原題「Incendies」日本初公開2011年12月17日2022・08・12・no98・シネ・リーブル神戸no160
2022.08.14
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ドゥニ・ビルヌーブ「DUNE デューン 砂の惑星」109シネマズハット 今、どんな映画に人気があるのか、実はあんまりわかっていなのですが、なんとなくこれは流行るんじゃないかと思っていると、話題にする知人の声が聞こえてきたりして、それならボクも!(笑) という感じで出かけたのがドゥニ・ビルヌーブ監督の「DUNE 砂の惑星」です。 やって来たのは、ハット神戸の109シネマです。この映画館が最近のお気に入りです。最寄り駅はJR灘、阪神岩屋ですが、三宮からだと30分くらい歩く必要があります。JR灘からでも10分以上かかりますが、この不便さがいいんですよね。 行きは灘までJRですが、帰り道に春日野道の「大安亭市場」とか立ち寄るのが楽しみです。それにワーナーとかディズニーとかの映画をやっているのですが、休日はともかく、普段の日にはお客がほぼいません。この時世ですから、ぼくのようなサンデー毎日暮らしには、まあ、最適の映画館ですね。 さて「砂の惑星」ですが、題名に聞き覚えがありました。原作の小説が学生時代に早川文庫だったかで出版が始まって、10年くらいかかって完結したSF大河小説だった(多分、今でもある)と思います。 「読んだのか」と言われると「面倒くさくなって投げ出した」という感じの印象しかないのですが、一度映画化もされたような気もしました。見終えて調べてみるとデビッド・リンチという有名な監督の、かなり有名な作品らしいのですが、知りませんでした。 で、映画が始まりました。文字通り「超大作SF」という感じで、超能力あり、箱型宇宙船をはじめとした、なかなか興味深い乗り物あり、怪獣あり、砂嵐あり、月が二つ浮かぶ天空ありで飽きさせません。物語の筋運びは案外古典的という気もしましたが、見ちゃいますね。 乗り物の一つがヘリコプターじゃなくて、なんでトンボなのか訝しみましたが、砂嵐のなかでの動きの面白さはこっちの勝ちですね。 ティモシー・シャラメ君(もちろん知らない人でしたが)が演じるポール少年が見る「予言夢」というか「未来夢」というかが物語を起動しているのですが、その夢を見ながら「この映画、ひょっとして予告編か?」 と思いました。 ポール君がお母さんのジェシカ(レベッカ・ファーガソン)の妊娠を見破ったところあたりで、予想の的中を確信しましたが、見終えてみると、「砂の惑星 年代記 序章」 という感じで、映画の背景世界と物語の段取りの紹介が終わり、主人公の周辺人物たちはほぼ死んで、悪役と過酷な自然(?)の中に孤独な主人公が残されてしまうとでもいう感じの、実は「はじまり」の物語でした。 大きな事件はこれからここで起きますよという、「年代記 第1章」というべき続編(あるのかないのかは知りませんが)の予告編のような結末でした。 折角、覚えた、なかなか魅力的な登場人物たちの多くも死んでしまい、「ええ、これから、また、新しいのがいっぱい出てくるの?!」 と、ちょっとイラっとしたのですが、次回作も見るでしょうね。ストーリーがシンプルなのに、そういう牽引力がある作品だと思いました。 もっとも、個人的な好みで言えば、砂虫の全貌とか、砂の一族フレメンの暮らしぶりとか、ああ、そうそう、ポールの母、ジェシカが身籠っている赤ん坊の正体とか、謎はいっぱい残っているんですよね。 物語の展開で言えば、なんといっても、ポール・アトレイデス伯爵とハルコネン男爵の戦いがどう始まり、どう決着するのかなのですが、「全宇宙」を統べるの皇帝の姿だってまだ明らかじゃないですし、なんだか一話で終わりそうもないですね。 繰り返しになりますが、ぼくが本当に見たいのは砂虫の「全貌」ですが、できればフレメン一族の住居とかも見たいですね。 この映画の映像として魅力は、結局「砂漠の風景」 だったと思うのですが、画面が少し暗かったのが、ぼくには残念でした。というわけで、砂嵐とともに迫ってくる「砂虫」に拍手!でした。監督 ドゥニ・ビルヌーブ原作 フランク・ハーバート脚本ジョン・スパイツ ドゥニ・ビルヌーブ エリック・ロス撮影 グレイグ・フレイザー美術 パトリス・バーメット衣装 ジャクリーン・ウェスト ロバート・モーガン編集 ジョー・ウォーカー音楽 ハンス・ジマー視覚効果監修 ポール・ランバートキャストティモシー・シャラメ(ポール・アトレイデス:公爵家の跡取り)レベッカ・ファーガソン(レディ・ジェシカ:ポールの母)オスカー・アイザック(レト・アトレイデス公爵:ポールの父)ジョシュ・ブローリン(ガーニイ・ハレック)ステラン・スカルスガルド(ウラディミール・ハルコンネン男爵)デイブ・バウティスタ(ラッバーン)ゼンデイヤ(チャニ)デビッド・ダストマルチャン(パイター・ド・フリース)スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン(スフィル・ハワト)シャーロット・ランプリング(教母ガイウス・ヘレネ・モヒアム)ジェイソン・モモア(ダンカン・アイダホ)ハビエル・バルデム(スティルガー)チャン・チェン(ドクター・ユエ)シャロン・ダンカン=ブルースター(リエト・カインズ博士)バブス・オルサンモクン(ジャミス)2021年・155分・G・アメリカ原題「Dune」2021・10・26‐no100・109シネマズハットno5追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2021.10.30
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ルイーズ・アルシャンボー「やすらぎの森」シネ・リーブル神戸 6月の予告編の頃からねらいはつけていました。「これはいけるんちゃうか!?」そんな感じです。7月に入って上映が始まりましたが、時間がうまく合いません。いよいよラスト三日になってようやくたどり着きました。 映画は「やすらぎの森」です。カナダのルイーズ・アルシャンボーという女性の監督の作品です。客は5人でした。 カナダの美しい森のなかの湖が映し出され、ここに隠れ棲んでいるらしい3人の老人が水浴をしています。中の一人が、冷たい水のせいでしょうか、心臓発作を起こします。翌朝、彼が愛犬とともに亡くなっているシーンから映画は始まりました。 残された二人は、元郵便局員で、末期がんのチャーリー(ジルベール・シコット)とアルコール依存症から回復できない歌うたいのトム(レミー・ジラール)です。死んだのはテッド(ケネス・ウェルシュ)、森林火災で家族を失った苦しみを「雨のように鳥が降っ」ている絵を描き続けた絵描きです。 同じころ、スティーヴ(エリック・ロビドゥー)という青年の父がなくなり、父の姉ジェルトルード(アンドレ・ラシャペル)が精神障害者の施設から弟の葬儀にやってきます。彼女の突然の登場に、葬儀に集まった人々は困惑した様子ですが、彼女はいたって正気です。 葬儀を終えて、スティーヴが彼女を施設に送ります。車中でそこに帰ることを拒む伯母の顔を見ていたスティーヴは、彼女を森の棲家に連れて帰ります。ジェルトルードの表情にはスティーヴが彼女にかかわってしまうとことを納得させる、ある「深さ」がある と思いました。 ここから、ぼくはこの映画の世界に一気に引き込まれていったように思います。 スティーヴは客など誰も来ない、森の奥のホテルの支配人を名乗っていますが、本業は大麻の密売人で、その大麻を作っているのが森の3人の老人でした。 彼らは反社会的隠れ家に潜んでいる世捨て人、で、かつ、匿名の犯罪者の集団ですが、そこに転がり込んだのが4人目の老人ジェルトルード(アンドレ・ラシャペル)だというわけです。 施設に帰ることを拒否したジェルトルードが、マリーと名を変えて、森の棲家の暮らしを始めるところから「物語」が動き始めました。 三人の老人が森林と湖水の美しい風景の中で文字通り素っ裸になって暮らす光景が、ようやくたどり着いた穏やかで自由な人生の終わりのための「やすらぎ」のアジール を思わせます。 森を歩くトムが鼻歌で歌う「アメイジンググレイス」、焚火のまえでギターをつま弾きながら愛犬に歌って聞かせるレナード・コーエンの「Bird on the Wire」、死を決意した夜、酒場で歌うトム・ウェイツの「TIME」。トムが映画の中で歌っていたこれらの歌は、この映画のナレーションだったのですが、やがて、森の棲家を追われることに絶望をしたトムは、愛犬とともに自ら命を断ちます。 テッドが描き残して去った、「Il pleuvait des oiseaux(雨のように鳥が降った)」の連作は森林火災で家族を失ってしまった彼自身の心のさまに形を与えた作品ですが、映画に登場する老人たちをシンボライズしているかのように哀しく美しい絵でした。 水辺で日向ぼっこをするマリー、自分の腕で水を搔き、自分の足で水を打って浮かぼうとするシュミーズ姿のマリーを支えようとするチャーリー、水の中で抱き合う二人の老人のほほえましい姿。その夜だったでしょうか、80歳にして生涯初めて、愛の官能を経験したマリーがチャーリーに囁く言葉が「愛撫っていいものね」 でした。 精神障碍者として60年近い隔離生活を強制された人生から逃れてきた彼女の歓びを、こんなに「ズバリ」と表す言葉 が、他にあるでしょうか。彼女は80歳にして、初めて「生きる歓び」に出会い、もっと「生きる」ことを願いはじめます。「自動車が通る道が見える家で暮らしたい。」 やがて、森林火災の危険を理由に、森の犯罪者たちに官憲の手が伸び始めます。しかし、「Il pleuvait des oiseaux(雨のように鳥が降った)」の連作のなかに、一枚だけあった光の絵のように、生まれて初めて自由であることの喜びを知ったマリーは、愛するチャーリーと、彼女が夢見ていた「自動車の見える通り」に面した小さな家に逃れてゆきます。 80歳を超えて、マリーを演じた女優アンドレ・ラシャペルは、公開を待たずにこの世を去ったそうですが、施設を逃亡し、生まれて初めて「人間」の暮らしを始めたマリーの生活が、そんなに長く続くわけではないことを暗示するような女優の最後ですね。庭でサクランボを摘む「笑顔のマリー」は、女優であった彼女の生涯で、最も美しい演技の一つだったのではないでしょうか。 トム役のレミー・ジラールが「今、愛のときが始まる」と歌う「TIME」の深い歌声、アンドレ・ラシャペルの年齢を忘れたかのようなかわいらしく、且つ、官能的な演技、老俳優たちの存在感たるや、ただ事ではありませんでした。 蛇足ですが、この映画は老人たちが美しい森の奥に人生の最後のアジール、静かな逃避の場所を見つける「やすらぎ」の物語ではないと思いました。荒削りの印象はありますが、「生きる」という苛酷を最後まで、自分なりに生き抜こうとする希望の物語!だと思いました。 最後まで輝いていた女優アンドレ・ラシャペルと、若い女性監督ルイーズ・アルシャンボーに拍手!でした。監督 ルイーズ・アルシャンボー製作 ギネット・プティ原作 ジョスリーヌ・ソシエ脚本 ルイーズ・アルシャンボー撮影 マチュー・ラベルディエール編集 リチャード・コモーキャストアンドレ・ラシャペル(本名ジェルトルード・森での名前マリー・デネージュ)ジルベール・シコット(チャーリー)レミー・ジラール(トム)ケネス・ウェルシュ(テッド・ボイチョク)エブ・ランドリー(愛称ラフ=ラファエル写真家)エリック・ロビドゥー(マリーの甥・スティーヴ)ルイーズ・ポルタル(ジュヌヴィエーヴ)2019年・126分・G・カナダ原題「Il pleuvait des oiseaux(雨のように鳥が降った)」シネ・リーブル神戸no106
2021.08.12
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フェリックス・デュフール=ラペリエール「ヴィル・ヌーヴ」アートヴィレッジ 不思議な印象が、静かに残りました。まったく初めて見るタイプのアニメーション映画でした。たしかに「物語」を描いてはいるのですが、淡いモノクロの映像ということのせいもあると思うのですが、物語の輪郭が定めがたい印象で、どんな話だったのかを語ることが難しい作品でした。 カナダの監督らしいですが、フェリックス・デュフール=ラペリエールという人の「Ville Neuve」、「新しい町」と訳せるようですが、という、白黒のアニメーション映画でした。 海辺の一軒家を借りて住み始めた中年の男が、かつての妻だった女性に電話をかけます。彼が詩人であることはよくわかりませんが、物書きであることはわります。離婚の理由の一つは、男のアルコール中毒だったようですが、彼は、今、何度目かの「禁酒」の最中のようです。 越してきた、海辺の一軒家に「訪ねてきてほしい」というのが、男の電話の要件なのですが、それが、うまく言えないのが、この物語のだいじなところです。 妻であった女性は、何度かの電話でのやり取りの後、この海辺の家にやって来ます。二人の間にある「齟齬」が解決したわけではありませんが、その女性が、その場所、「新しい町」へやって来たことには、それなりに、女性の内面を語っていると思いました。 こう書いていると、老年にさしかかった、元夫婦の「やり直し」の話のようですね。確かにそうなのですが、この二人の関係に、カナダで実際に起こっているケベック州の独立運動の話が、鋭角に突き刺さってくるあたりから、映画そのものの「筋書」が、見ていて混沌としてくるのです。 たとえば、チラシにも映っていますが、モノクロのこんなシーンがあります。 ご覧のように、何故だか、二人の実像に対して、鏡面の絵のような、少しトーンを落とした絵が重ね合わせられています。 電話のやりとりの「遠さ」から、会話する二人の影の描写、冷たく静かな海での和解のシーンまで、アメリカの作家レイモンド・カーヴァ―にインスピレーションを得たという、チラシにある創作裏話に納得のいく、「アイデンティティの危機」の描き方なのですが、ここに、ケベック独立運動という、もう一つの、実に切実な社会的要素が重なってきて、見ているぼくは、何が何だかわからないことになりました。「白」の地に、「黒」から、様々な「灰色」を経て、再び「白」が描かれるかに見えるアニメの画面は、ある種の頼りなさを湛えながら、どこか清潔で、極彩色のアニメにはない「心象風景」を作り出していきます。 で、最後に報告しますが、そういうシーンの連続は「眠いのです」。あたかも、催眠術をかけられたかのように、「眠り」と「覚醒」の、ゆるやかな反復の80分、話の筋がよくわからない理由は、そこにもあるのでした。監督 フェリックス・デュフール=ラペリエール製作 ガリレ・マリオン=ゴバン脚本 フェリックス・デュフール=ラペリエール音楽 ジャン・ラポーロバート・ラロンドジョアンヌ=マリー・トランブレテオドール・ペルランジルドール・ロワポール・アーマラニ2018年・76分・カナダ原題「Ville Neuve」2020・12・05アートヴィレッジ(no12)にほんブログ村にほんブログ村
2020.12.06
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ロバート・バドロー「ストックホルム・ケース」シネリーブル神戸 ボブ・ディランが劇中歌を歌っているのを予告編で見て、飛びつきました。まあ、とにかく、ディランの声がスクリーンから聞こえてくるということがうれしいじゃないですか(誰に呼びかけてるんでしょうね?)。 それにしても、チラシに出ている「新しい夜明け」と言い、「今夜はきみと: Tonight I'll Be Staying Here with You」といい、懐かしいのですが、ラブソングなのですよね。 でも、この映画、銀行強盗の話のはずなのですが・・・・。そんな気分でやって来たシネ・リーブルでした。見たのはロバート・バドロー「ストックホルム・ケース」です。 なんだか、アメリカっぽいオニーさんが、カーボーイ・ハットかなにかで登場しました。ピシッと決めている感じで、ディランの「新しい夜明け」かなんかを歌ったのか、聞こえてきたのかの気がします。 で、自動小銃を振り回しなら銀行強盗が始まりました。普段、予想もしない、まあ、ありえないことが起こるというのは、こういうテンポなのでしょうね。なんだかとてもノンビリしています。 自動小銃で威嚇したり、友人の釈放を要求したり、それらしい強面で頑張っているのですが、イーサン・ホークという俳優さん扮する強盗ラース君は、どうも、うまくいく感じが、全くありません。 なんとか人質をとって銀行に立てこもり、いやいや、こんなところに立てこもってどうするの、という展開で、最初の要求が女性の生理用品でした。この辺りまで、コミカルタッチで描かれていて、「笑う」映画なのかなあ とか感じながら、なんだか笑えません。 「身につまされる」といういい方がありますが、この、なんというか、ラースという主人公の頼りなさが、他人ごととは思えないのです。 根本的に「悪意」が理解できないタイプの人の、過剰な無邪気さのようなものが、この男を包んでいて、おそらく、そこのところが人質であるはず銀行員の女性ビアンカやクララにも伝染する感じなのです。 もう、途中からは、人質も一緒に「銀行強盗団」になってしまう風情なのですが、犯人ラースに、その状況を疑う「悪意」が感じられないのですから、人質たちがそうなっても不思議な感じがしないのです。 で、とどのつまりは、「Tonight I'll Be Staying Here with You」というディランの曲の通りの成り行きで、まあ、訳せば「今夜はきみと一緒にいるよ」となってしまうのでした。 「クライム・スリラー」とチラシなんかでは宣伝しているのですから、当然、まさかの展開なのですが、「男と女」、「人と人」という関係で考えるなら、「凡庸」で「普通」の結末だったと感じました。 むしろ、挿入歌として歌われているボブ・ディランの数曲の歌の歌詞そのままに映画が進行し、ディランの歌が、ラブ・ソングなのに、なぜか、悲しいように、映画のラストも、ちょっと悲しい という所にこの映画のよさを感じました。 それにしても、人質だったビアンカが、事件の後、服役しているラースに面会するシーンで、スウェーデンの刑務所が映りますが、すごいですね。映画全体にも、そのニュアンスが漂い続けていますが、施設の雰囲気だけでなく、根っこにある「罪」と「罰」の考え方の違い には、やはり、驚きました。 監督 ロバート・バドロー原作 ダニエル・ラング脚本 ロバート・バドロー撮影 ブレンダン・ステイシー美術 エイダン・ルルー衣装 リア・カールソン編集 リチャード・コモー音楽 スティーブ・ロンドン劇中歌 ボブ・ディランキャストイーサン・ホーク(ラース)ノオミ・ラパス(ビアンカ)マーク・ストロング(グンナー)ビー・サントス(クララ)2018年・92分・カナダ・スウェーデン合作原題:Stockholm2020・11・09・シネリーブルno74にほんブログ村にほんブログ村74
2020.11.21
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