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笠井千晶「拳と祈り 袴田巖の生涯」元町映画館 東京のほうで先にご覧になった方から勧められて見ました。実は、この映画が撮っている袴田事件について、冤罪事件であるらしいという、その経緯というか大筋というかについて、かなり昔に関心を持ったことがありましたが、忘れていました。 今回、見たのは笠井千晶という監督が、2024年9月26日の再審無罪という判決を機に公開した「拳と祈り 袴田巖の生涯」というドキュメンタリー映画でした。 映画は2014年、東京拘置所から釈放された袴田巌さんが乗る自動車のシーンから始まりました。そこから、彼自身と彼の無実を信じ続けてきたお姉さんの袴田秀子さんの生活が映し続けられていますが、ボクの脳裏に刻まれたのは彼の歩く姿!でした。 はじめは、故郷、浜松に帰ってきて暮らし始めた秀子さんのマンションの部屋の中でした。部屋から外に出ることが出来ない袴田巌さんは、部屋から部屋へ、行ってはかえり、また、行ってはかえり、歩き続けます。 やがて、なんとか外に出られるようになると、帽子をかぶり少し猫背で、がに股、半歩づつ前に進むかのようによちよち歩き続けます。その、袴田巌さんの後をカメラがついて歩き、彼の後姿を撮りつづけます。 ボクは、その後姿に見入りながらことばを失いました。 目の前のスクリーンを歩いているその男は80歳を越えていて、まだ、死刑囚なのでした。 で、死刑囚の姉という境遇を58年間生き抜き、弟の無実を信じ続け、ついには弟の冤罪を晴らした袴田秀子という女性の笑顔に圧倒されました。最後に「もう、死刑囚じゃないよ。」 と弟さんに笑いながら語りかけられた時、彼女は90歳でした。 言葉を失うとはこういうことですね。正直、全編を見終えた今も言葉を失ってしまっている映画でした。 ボーっとして見るしかない映画の迫力ということに思いを致すならば、このお二人の生活をカメラとマイクをを持って20年以上もの年月、徹底的に追い続けた笠井千晶という監督にも唸るような気持ちがこみ上げてきます。 繰り返しになりますが、見ているあいだも、見終えた後も、なんと言っていいかわからない、なにを言えばいいのかわからない、ただ、浮かんでくるのは彼の後ろ姿なのですが、その後姿をボンヤリと思い浮かべながら、人間という生き物がこの世に生まれて生きるということがどういうことなのか? ボクも、もちろん、その一人であるところの人間というものについて、漠然とした思いが浮かんでくるのでした。 帰ってきて、2024年10月8日の検察庁の控訴断念の記事をネット上で探しました。そこで検事総長が語っていることを読んで、唖然としました。ボクが読んだNHKの記事の一部を写してみます。 本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。 しかしながら、1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。 それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。 このように、本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。 しかしながら、再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。 語っている人は自分を何様だとお考えなのでしょうかね。 検察がしなければならないことは、まず、裁判においては一人の人間を死刑にするに十分な説得力を持ちうる証拠物件を示すことであり、その証拠物件の正当性を証明することですね。で、もしも、その証拠について捜査過程での捏造が裁判所に疑われたのであれば、その疑いを晴らすことだとボクは思いますが、エライ人たちというのは自分は振り返らなくてもいいようにできているのですね。 「無実」の人間を68年間も「死刑囚」として、まあ、法的地位だか何だか知りませんが、取り扱ってきたことについてどう考えていらっしゃるのですかね。 映画の中で、袴田巌さんが「検察庁」という看板を見て「ここには用がないから帰る。」 といって、踵を返されたシーンがありましたが、そこには誰も笑うことのできない袴田巌という一人の人間の人生の姿を、ボクは感じたのですが、彼を死刑囚として「取り扱った」人たちは、そのあたりについてどんなふうにお考えなのでしょうね。 描写されている世界に圧倒されて、どうしていいのかわからないのですが、やっぱり拍手!ですね。すごい作品でした。監督・撮影・編集 笠井千晶整音 浅井豊音楽 スティーブン・ポッティンジャーナレーター 中本修 棚橋真典タイトル題字 金澤翔子キャスト袴田巖袴田秀子2024年・159分・G・日本2024・11・18・no149・元町映画館no267追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.22
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谷川俊太郎「はだか 谷川俊太郎詩集」(佐野洋子絵 筑摩書房)「さようなら」谷川俊太郎ぼくもういかなきゃなんないすぐいかなきゃなんないどこへいくのかわからないけどさくらなみきのしたをとおっておおどおりをしんごうでわたっていつもながめているやまをめじるしにひとりでいかなきゃなんないどうしてなのかしらないけどおかあさんごめんなさいおとうさんにやさしくしてあげてぼくすききらいいわずになんでもたべるほんもいまよりたくさんよむとおもうよるになったらほしをみるひるはいろんなひととはなしをするそしてきっといちばんすきなものをみつけるみつけたらたいせつにしてしぬまでいきるだからとおくにいてもさびしくないよぼくもういかなきゃなんない 詩人の谷川俊太郎が亡くなったそうです。2024年の11月13日のことだそうです。 11月19日、月曜日の朝起きるとチッチキ夫人が寝ぼけまなこのボクにいいました。「谷川俊太郎がなくなったって。」 で、その日のフェイスブックで、友達が詩人の死を悼んでいました。谷川俊太郎さん「さようなら」ですね。 谷川俊太郎が、もう、30年以上も昔にだした「はだか」(筑摩書房)という詩集をチッチキ夫人が大切にしていたことを思い出しました。 上の写真が、箱装の外箱です。で、これが中の姿です。醜いかもしれませんが、何かの包み紙でカバーしてあって、真ん中にはだかと谷川俊太郎という文字が赤エンピツで書かれています。 ホコリを払って「はい、これ。」といって渡すと「ぼくもういかなきゃなんない、でしょ。」「うん、挿絵は佐野洋子さん。彼って、いったさきで大変ちゃうの?」「そうねえ、少なくとも三人は確実に待ってるからねえ(笑)」 で、これが皮をむいた姿。 美しい詩集ですね。1988年の出版です。挿絵は佐野洋子さん、装幀は平野甲賀さん、最初の詩が「さようなら」です。懐かしいですね。 で、これが、この詩集のオシマイの詩「とおく」のページの写真です。 佐野洋子さんの挿絵ですね。読めますか?読みにくいので、詩は書き写しておきますね。とおくわたしはよっちゃんよりもとおくへきたとおもうただしくんよりもとおくへきたとおもうごろーよりもおかあさんよりもとおくへきたとおもうもしかするとおとうさんよりもひいおじいちゃんよりもごろーはいつかすいようびにいえをでていってにちようびのよるおそくかえってきたやせてどろだらけでいつまでもぴちゃぴちゃみずをのんでいたごろーがどこへいっていたのかだれにもわからないこのままずうっとあるいていくとどこにでるのだろうしらないうちにわたしはおばあさんになるのかしらきょうのこともわすれてしまっておちゃをのんでいるのかしらここよりももっととおいところでそのときひとりでいいからすきなひとがいるといいなそのひとはもうしんでてもいいからどうしてもわすれられないおもいでがあるといいなどこからかうみのにおいがしてくるでもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける 「うみよりももっととおく」へ行ってしまった谷川俊太郎の声が、やっぱり聴こえてくるようですね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.21
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谷川俊太郎・尾崎真理子「詩人なんて呼ばれて」(新潮社) 地下鉄を降りたら新宿方面へ少し戻って右に折れ、なだらかに住宅地を下っていく。谷川俊太郎はここ、東京都杉並区成田東の住宅地の一角に、生まれたときから暮らしている。(中略)「やあ、いらっしゃい」玄関で呼び鈴を押すと、たいてい本人がドアを開け、迎え入れる。(中略) 詩人、谷川俊太郎は、あらためて紹介するまでもなく日本でもっとも有名な、ただ一人の職業詩人である。しかし人はその名から、どんな作品を連想するだろう。火星人が〈ネリリし キルルし ハララしている〉、デビュー作の「二十億光年の孤独」だろうか。子どものころに覚えてしまった〈かっぱかっぱらった〉が反射的に出てくるのか。元妻の作家、佐野洋子に捧げた愛の詩集『女に』を女性たちが思い出すのもうなずける。東日本大震災後、被災地の人々の間に次々とインターネットを通じて広がり、一人ひとりの気持ちを支えたのは「生きる」という、四十年以上も前に生まれた一編の詩だった。(以下略)(「はじめに」) こんな書き出しで本書は始められていますが、長年、読売新聞の文化欄の担当記者だった尾崎真理子による、詩人、谷川俊太郎に対するインタビューです。 ただ、並みのインタビューとは違います。本書は、計5回にわたって、詩人の出発から現在まで、かなり熱のこもった質問と、それに対する、率直で本質を突く答えで出来上がっていますが、それぞれのインタービューに合わせて尾崎真理子の、気合の入った解説がつけられており、その上、話題として取り上げられた「詩」は、本書中央に20篇収められているものに加えて、途中の引用を合わせれは100篇を超えるのではないかと思います。 読み進めていけば谷川俊太郎の代表作を、20代から、80代に至った現在まで、読み直すことが出来るという作りになっていて、まあ、それだけでも読んで損はないと思います。 しかし、やはり、インタビューですから、どんな質問に、詩人がどんな答えをしているのかということですが、父、谷川徹三との家族生活に始まって、詩人仲間との交友などはもちろんですが、「詩」や「ことば」を巡っての内容も、当然読みごたえがあるのですが、まあ、ぼくが一番興味深く読んだのは「女性関係」についてでした(笑)。尾崎 谷川さんにとって、やっぱり佐野洋子さんは特別な、別格の女性ですか?谷川 ええ。ぼくにとっては、全然、特別。でも、いろんな意味があるから。佐野さんはプライベートな批評家として別格で、彼女のお陰で女性にも人間にも理解を深めることが出来たという意味で特別だし、衿子さんは最初の女性だから、やはり別格なんです。大久保玲子さんは二人の子どもを生んでくれて、一番長い時間、一緒にいたという意味で別格だし…。誰が一番とか、言えませんね。それぞれ別の関係で、今は言葉で言い難いな。 ぼくは怨んだりする気持ちは全然なくて、感謝の気持ちしか残っていない。そう言うとまた佐野さん、怒るんだろうけど。でも、僕は少なくとも詩を書くより何よりも異性とのつきあいが大事。それだけは彼女もよく知っていたでしょう。よく言われてたもの、「あんたは女が一人いれば、友達なんか一人も要らないんでしょう。」って。(第4章 佐野洋子の魔法) まあ、何とも言えませんが、すごいでしょ。80歳を過ぎているからとか、話に出てきた女性が三人とも、もう、この世にはいないとかいうことと関係なく凄いですね。 なんか言葉が出てこないので、ここで、ちょっと、詩を紹介しますね。 素足赤いスカートをからげて夏の夕方小さな流れを渡ったのを知っているそのときのひなたくさいあなたを見たかったと思う私の気持ちはとり返しのつかない悔いのようだ(「女に」1991) いずれにしても、この本は、まず、今までの生活のどこかで谷川俊太郎の詩に触れ、その時々、共感や違和感をお感じになりながら、いい年になってしまわれた方にすすめます。 谷川俊太郎の詩に出会ったことのある人は、彼の詩が生まれ、読まれてきた紆余曲折を、詩人が、かなり正直に語っていること、そして、語られている事実にまず驚かれると思います。で、その驚きと一緒に、自分がそれぞれの詩と出会った、あの頃の有為転変を思い浮かべ、今、目の前に「初々しく」、しかし、あいかわらず「泰然自若」としてある「詩」そのものに驚くという、どうも、この年になったからできるとしか思えないおもしろい興奮をお感じになるのではないでしょうか。 まあ、加えていうなら、「谷川俊太郎の詩って?」という感じを、お感じになっている方なら、お若い方でも、是非お読みいただきたいですね。ある意味、現代詩の歩みをたどっているところもあって、とても分かりやすい入門書でもあるのです。 偉そうに言いましたが、お読みになった方が、皆さん、必ずそうなるとは思わないのですが、ぼくなんかは、なんとなく、谷川俊太郎をはじめとする、現代詩の作品を一つ一つ読んでみようかな感じる本でした。皆様、是非どうぞ!
2021.08.27
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「三島市の柿田川公園って知ってました?」 徘徊日記 2024年10月20日(日)三島あたり 三島市を徘徊しています。駅前のホテルを出発して三島大社、それから三島暦師の館と、ウロウロして三島大社の鳥居の前からタクシーです。「あんな、シマクマ君、三島に来たらこれを見ないと、という場所が柿田川公園やねん。」「何、それ?来たことあるんですか?」「うん、学生時代の友だちと箱根を散策して、連れてきてもらった。」「その友だちって、やっぱり…」「いや、男性やで。」「えー。いつもと違ますやん。で、なにがあるの?」「富士の湧水や。」 で、到着したのが柿田川湧水群のある柿田川公園です。 鬱蒼とした木立の中を歩いていくと、向こうに大きな川が流れているようです。柿田川なのでしょうかね。ボクは三島大社からタクシーに乗ったせいで、どちらが北でどちらが南かわからなくなっていたのですが、どうも、右手が富士山のある北、左手が駿河湾のある南のようです。 川の手前の展望台になっているところから真下を覗きこみます。 ありました。井戸のようにまわりをコンクリートで囲った湧水池です。この向こうに川が流れていますす。「すごいやろ!」「すごいです!」 青みがかった深い色の底から、もこもこ水が湧き上がっています。スゴイです(笑)。モコモコ感がうまく写真には写らないのが残念です。 小さな、浅く、細い流れにも、少しも濁ることなくわらわらと水が湧き出しているところがあります。下の写真がそれですが、ボクの写真では単なる小川にしか見えません。ザンネンです(笑)。 さっき、木立の向うに見えた流れがずっと見通せる場所に出てきました。ボート遊びもできるようです。大きな流れです。みんな湧水でしょうか? 大木が林立している森の道があって、その大木のふもとにワラワラ、もこもこ、湧き出しているのが見えます。 あちこちにある湧水を次々と見て歩きながらM君が面白い事を言いました。「シマクマ君、こういう森の中を歩いていると、なんだか、ムラムラしてこないかい?」「ムラムラって何ですか?」「だから、ムラムラだよ。」 もこもこと湧きあがる「生命力」が巨木化するイメージからの発言ですかね? 一緒に歩いていた東京から来ていたMさんが「私はしませんね。」「うん、意味不明やんな。」 M君はたしか75歳、Mさんはもうすぐ70歳でシマクマ君と同い年。「いつまでも、若いねえ(笑)」 と、隣で歩いていたNくん、ちなみに、彼も確か75歳が仲を取り持っていましたが、 これが、看板です。 で、こちらが「柿田川公園」の入口です。 確かに、一見の価値がありましたね。富士といえば、樹海を想像していたのですが、すそ野の広さというか、すそ野の地底を流れる水流群がこうして吹き上がってきていて、湧水群をつくっているんですね。地底の流水群を想像すると、ちょっと興奮しません? で、それが駿河湾へということらしいです。「だから、駿河湾の水はきれいやねん。だから、ここのウナギがおいしいねん。」 というわけで、次はウナギ屋さんまで歩くそうです。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.19
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谷川俊太郎「みみをすます」 中村稔「現代詩人論 下」(青土社)より 中村稔の「現代詩人論」(青土社)の下巻です。上巻もそうでしたが700ページを越える大著です。下巻では飯島耕一、清岡卓行、吉岡実、大岡信、谷川俊太郎、安藤元雄、高橋睦郎、吉増剛造、荒川洋治の9人の詩人が論じられています。 フーン、とか思いながら最初に開いたページが谷川俊太郎でした。 谷川俊太郎は多能・多芸の詩人である。「ことばあそび」の詩も書いているが、平仮名だけで書いた詩集「みみをすます」がある。一九八二年に刊行されている。これには表題作「みみをすます」の他、五編の詩が収められているが、私はやはり「みみをすます」に注目する。ただ、たぶん一五〇行はゆうに越す長編詩なので、全文を紹介することは到底できない。かいつまんでこの詩を読むことにする。 ここで論じられているのはこの詩集ですね。 本棚でほこりをかぶって立っていました。谷川俊太郎「耳を澄ます」(福音館書店)、チッチキ夫人の蔵書ですが、ボクも何度か読んだことのある懐かしい詩集です。箱入りです。箱から出すと表紙がこんな感じです。 わが家の愉快な仲間たちが小学生のころ、多分、教科書で出逢った詩です。今でも教科書に載っているのでしょうか。 子供向けのやさしい詩だと思っていましたが、今回読み直してみて、少し感想がかわりました。 まあ、それはともかくとして、中村稔はこう続けています。 まず短い第一節は次のとおりである。みみをすますきのうのあまだれにみみをすます いかに耳を澄ましても、私たちは、昨日の雨だれの音を聞くことはできない。読者は不可能なことを強いられる。次々に不可能な行為を読者の耳に強制する。みみをすますしんでゆくきょうりゅうのうめきにみみをすますかみなりにうたれもえあがるきのさけびになりやまぬしおざいにおともなくふりつもるプランクトンにみみをすますなにがだれをよんでいるのかじぶんのうぶごえにみみをすます 恐竜の呻きを聞くことができるはずはもないし、燃える木の叫び、プランクトンの音、まして自分の産声を聞くことができるはずもない。「みみをすます」は全編、こうした、いかに耳を澄ましても聞くことができるはずもない音、声などに耳を澄ますのだ、という。作者は読者が空想の世界、想像の世界に遊ぶように誘っているのである。読者が空想、想像の世界に遊ぶ愉しさを知るように、この詩を読者に提示しているのである。たとえば、山林火災で樹木が燃え上がる時、燃える樹木が泣き叫んでいると思いやることは私たちにとって決して理解できないことではない。この感情を拡張し、深化し、豊かにする契機をこの詩は私たちに提示しているのである。 こうした試みによって、谷川俊太郎は現代詩に新しい世界をもたらしたのである。彼でなくてはできないことであった。(P269~P370) ただ、ただ、ナルホド! ですね。この詩が書かれた時代、つまり、1980年代の始めころから、当時、三十代だったボクたちの世代が、十代で出逢った戦後詩の世界に新しい風が吹き始めていたのですね。 この詩を学校の教科書で読んで大きくなった愉快な仲間たちも、もう、40代です。今でも教科書に載っているのか、いないのか、そこのところはわかりませんが、小学校や中学校の教員とかになろうとしている、若い人たちに、是非、手に取ってほしい、読んでほしい詩集! ですね。 せっかくなので、谷川俊太郎の詩集にもどって中村稔が引用しきれなかった「みみをすます」全文を写してみたいと思います。みみをすます 谷川俊太郎みみをすますきのうのあまだれにみみをすますみみをすますいつからつづいてきたともしれぬひとびとのあしおとにみみをすますめをつむりみみをすますハイヒールのこつこつながぐつのどたどたぽっくりのぽくぽくみみをすますほうばのからんころんあみあげのざっくざっくぞうりのぺたぺたみみをすますわらぐつのさくさくきぐつのことことモカシンのすたすたわらじのてくてくそうしてはだしのひたひた・・・・・にまじるへびのするするこのはのかさこそきえかかるひのくすぶりくらやみのおくのみみなりみみをすますしんでゆくきょうりゅうのうめきにみみをすますかみなりにうたれもえあがるきのさけびになりやまぬしおざいにおともなくふりつもるプランクトンにみみをすますなにがだれをよんでいるのかじぶんのうぶごえにみみをすますそのよるのみずおととびらのきしみささやきとわらいにみみをすますこだまするおかあさんのこもりうたにおとうさんのしんぞうのおとにみみをすますおじいさんのとおいせきおばあさんのはたのひびきたけやぶをわたるかぜとそのかぜにのるああめんとなんまいだしょうがっこうのあしぶみおるがんうみをわたってきたみしらぬくにのふるいうたにみみをすますくさをかるおとてつをうつおときをけずるおとふえをふくおとにくのにえるおとさけをつぐおととをたたくおとひとりごとうったえるこえおしえるこえめいれいするこえこばむこえあざけるこえねこなでごえときのこえそしておし・・・・・・みみをすますうまのいななきとゆみのつるおとやりがよろいをつらぬくおとみみもとにうなるたまおとひきずられるくさりふりおろされるむちののしりとのろいくびつりだいきのこぐもつきることのないあらそいのかんだかいものおとにまじるたかいびきとやがてすずめのさえずりかわらぬあさのしずけさにみみをすます(ひとつのおとにひとつのこえにみみをすますことがもうひとつのおとにもうひとつのこえにみみをふさぐことにならないように)みみをすますじゅうねんまえのむすめのすすりなきにみみをすますみみをすますひやくねんまえのひゃくしょうのしゃっくりにみみをすますみみをすますせんねんまえのいざりのいのりにみみをすますみみをすますいちまんねんまえのあかんぼのあくびにみみをすますみみをすますじゅうまんねんまえのこじかのなきごえにひゃくまんねんまえのしだのそよぎにせんまんねんまえのなだれにいちおくねんまえのほしのささやきにいっちょうねんまえのうちゅうのとどろきにみみをすますみみをすますみちばたのいしころにみみをすますかすかにうなるコンピュータにみみをすますくちごもるとなりのひとにみみをすますどこかでギターのつまびきどこかでさらがわれるどこかであいうえおざわめきのそこのいまにみみをすますみみをすますきょうへとながれこむあしたのまだきこえないおがわのせせらぎにみみをすます 中村稔が言うとおり、結構、長い詩です。あのころと違った感想と上で書きましたが、今回読み直して、たとえばしょうがっこうのあしぶみおるがんうみをわたってきたみしらぬくにのふるいうたにみみをすます というあたりに、今の、ボクのこころは強く動くのですが、あのころには、その感じはあまりなかったわけで、この詩が「ひらがな」で書かれていることの意味というか、効果というか、が、子供に向けてということではなくて、ボクのような年齢になった人間の、まあ、年齢は関係ないのかもしれませんが、ある種の「記憶」は「ひらがな」である! ということこそ、この詩の眼目だったんじゃないかという驚きですね。 詩人は「ひらがな」という方法の意味についてわかってこう書いているにちがいないのでしょうね。実感としてとしか言えませんが、「小学校の足踏みオルガン」ではなくて、「しょうがっこうのあしぶみおるがん」という表記が、老人の思い出を、記憶の底の方から揺さぶるのです。大したものですね(笑)。追記2024・11・20 2024年の11月13日に谷川俊太郎さんが亡くなったそうです。老衰だそうです。この詩人は宇宙人だから死なない! そう思っていました。まあ、ボクなんかには想像できない、どこか遠くへ行かれたんでしょうね。お声はみみをすませば、いつまでも聞こえてくるのかもしれませんね。 著者の中村稔さんは、谷川俊太郎さんより年長で、今年、97歳だったかだと思います。いつまでもこっちにいて書きつづけてほしいと思います。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.15
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森井勇佑「ルート29」シネリーブル神戸 なんとなくですが、スクリーンに出てくるとうれしいという方が、何人かいらっしゃって、まあ、そのお一人が綾瀬はるかさんなんですね、ボクの場合(笑)。だから、まあ、封切り初日に駆けつけることになるわけで、駆け付けました。森井勇佑監督の「ルート29」です。 で、どうだったか????!! ?マーク三つで、!マーク二つです。!マークは綾瀬はるか演じるトンボと大沢一菜演じるハルちゃんの存在感です。 ?マークは、映画の筋立てから結末、シーンの作り方、まあ、全部ですね。映画製作者、だから監督ということになりますが、彼が準備した結末がボクには「そうだったの???」という印象だったのですが、そこまでの、まあ、謎に満ちた、それなりに意味深で面白かった、あれこれのシーンが一気に色あせていくというか、うっかり気づかないまま見ていましたが、それじゃあ、たとえば、トンボがずっと着ていた掃除婦の衣装は囚人服だったということなんですかねというか、「あんた、なにしたの?」 途中、お姉さんにそう訊かせましたが、トンボとハルは何をしたんですか? と、やっぱり問い直したくなる結末でしたね。 せっかくの綾瀬はるかさんだったのですが、まあ、結末を見て、こんなふうにイラつくのは、見ているボクの映画を見る目なのか、人を見る目なのかがないからなのでしょうかね。 この監督の作品でキレるのはこれで二度目ですね。前作の「こちらあみ子」でも、ほぼ、同じようなキレ方をしたと思うのですが、理由が共通していることは自分では感じますが、では、その理由は何なのかがよくわかりません。ただ、映画を見ながらの印象ですが、あんたら、人のこと、わかったふうな目で見てへんか?なんか、ちがうんちゃうか? まあ、意味不明ですが、そんな感じですね。 最近の日本映画に、イマイチ乗り切れないというか、見ていてシラケることの多い徘徊老人ですがついにいってしまったという感じですね(笑)。 いやはや、老人の繰り言なのかもしれませんが、なんとも後味の悪い作品でしたね。ちょっと、拍手する気になりません(笑)監督・脚本 森井勇佑原作 中尾太一撮影 飯岡幸子編集 早野亮音楽 Bialystocksキャスト綾瀬はるか(中井のり子・トンボ)大沢一菜(木村ハル)伊佐山ひろ子(赤い服の女)高良健吾(森の父)原田琥之佑(森の少年)2024年・120分・G・日本2024・11・08・no144・シネリーブル神戸no279追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.15
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ピーター・グリーナウェイ「プロスペローの本」元町映画館 今日は2024年の4月2日、火曜日です。元町映画館でやっている「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」という企画に、なんとなく興味が湧いてやって来ました。 これが企画のチラシです。冒頭の「美しい狂気」という言葉が目に飛び込んできます。「狂気ねえ?!」 1980年代から90年代にかけて話題になった人らしいですが、まったく知りません。高山宏という、英文学の研究者、まあ、かなり変わった人ですが、が、どこかで話題にしていたような気がしますが、定かではありません。 で、見たのは「プロスペローの本」という、1991年の作品で、代表作の一つだそうです。「プロスペローだから。シェイクスピアか?」 まあ。その程度の予備知識です。で、見始めて、見終えて笑ってしまいました。たしかに、シェイクスピアのテンペストの、翻訳では「嵐」かな?の映画化でした。プロスペローもそうですが、娘のミランダとか、妖精のエアリエルとかの名前が出てくるたびに、ああそうだな、やっぱりそうだな、 と、気付き直し、気付き直し、しながら、えーッ?でも、これ、ちょっとちがうんちゃうか? とか思いながら見ていたのですが、終わってみてらテンペストでした。ハハハハハ。 何故、違うと思ったのかの、大きな理由は、この映画、筋を運ぶ数人の登場人物以外は全裸なのですね。 で、なんで、みなさん裸で、オチンチンとかオッパイとかブラブラさせながらウロウロするのかというのが、ボクには、まったくわからないんです。ただ、不思議なのは、慣れてくると、そういうシーンがイヤらしいとかエロイとかいうことにつながらないというか、まあ、そういうふうにしたいんでしょうかね??? という感じで、最後まで見ると、たとえば、ナショナルシアターライブとかで見る、まあ、演出に差はありますが、「テンペスト」という演目のひとつ、という印象なのですね。たしかに独特ですが、別に、狂気だとも魔術だとも思いませんでしたが、なんか、微妙に引きつけられることは事実ですね。 そういえば、「テンペスト」ネタのお芝居はナショナルシアターだったか、他の映画だったか忘れましたが、ここ、数年の間に見たような記憶があります。その時、「リア王」とかなら読み直したりしないのですが、この戯曲だけは読み直したはずで、まあ、だから、ああ。テンペスト! だったわけです。 で、この映画ですが、プロスペローが手にれる魔法の本の扱い方とか、いかにも映画的で、面白いし、プロスペロー(ジョン・ギールグッド)を演じている俳優のお芝居力も大したもので、奇妙奇天烈なシーン、いいようによれば荒唐無稽な展開を支え切って歴史劇を演じている印象で、シラケさせません。拍手!ですね。 なのですが、やっぱり、なんで裸なの?でした(笑)。 もちろん、その演出は、ボクごときには意味不明でしかありませんが、なんか、引っかかるのですね。そこで思い出したのが、高山宏ですが、でも、まあ、すぐには見つかりそうもありませんね。 ということで、グリーナウェイ、続けて見ることになりそうです(笑)。監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ原作 ウィリアム・シェイクスピア美術 ベン・バン・オズ ヤン・ロールフス撮影 サッシャ・ヴィエルニー音楽 マイケル・ナイマン編集 Marina Bodbyl衣装デザイン ワダエミ ディーン・バン・ストラーレンキャストジョン・ギールグッド(プロスペロー)マイケル・クラーク(キャリバン)ミシェル・ブラン(アロンゾ―)エルランド・ヨセフソン(ゴンザーロ)イザベル・パスコー(ミランダ)1991年・126分・イギリス・フランス・イタリア合作原題「Prospero's Book」2024・04・02・no053・元町映画館no237 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.09
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こうの史代「この世界の片隅に(上・中・下)」(双葉社) 2020年も終わろうとしていますが、今思えば、コロナ騒ぎが最初の頂点を迎え、政治家のインチキが、あっちでもこっちでも露呈しはじめた2020年の4月、ゆかいな仲間のヤサイクンのマンガ便に入っていたマンガでした。 こうの史代「この世界の片隅に」(上・中・下)(双葉社)です。 すぐに読みましたが、なかなか、思うように感想が書けないまま放っていました。 この作品は、広島で育ち、隣町の呉の北条周作のもとに嫁いだ浦野すずという主人公の、戦時下の日々の暮らしを描いた物語でした。ぼくが知らなかっただけで、アニメ映画として評判になり、単行本のマンガもよく読まれている作品であるらしいですね。誰でも知っている物語のようなので、ここでは筋書きの紹介はしませんね。 ぼくは、アニメも見ていませんし、評判になっていたらしいこのマンガも読んでいませんでした。ヤサイ君のマンガ便がなければ読むことはなかったでしょう。 ところが、最近「ペリリュー」という武田一義のマンガを読みながら、 「そういえば、あのマンガの主人公も漫画を描きたかったんだよな」 と思い出したのが、このマンガの主人公すずのことでした。 彼女は戦地に出征した兵士ではありませんが、戦地で命懸けの男の人に代わり、一人でも多くの男の子を生むのが「義務」だと考えるような、純朴な女性です。にもかかわらず、子供が出来ずに悩むすずが、遊郭の女性白木リンと語り合うこんなシーンがあります。「ほいでも周作さんもみんなも楽しみしとってのに子供が出来んとわかったらがっかりしてじゃ」「周作さん?」「あ 夫です」「あんたも楽しみなんかね?」「はあ まあ・・・」「うちの母ちゃんはお産のたびに歯が減ったよ しまいにゃお産で死んだよ それでも楽しみなもんかね?」「そりゃあまあ・・・怖いこた怖いけど ほいでも世の男の人はみな戦地で命懸けじゃけえこっちもギムは果たさんと」「ギム?」「出来のええアトトリを残さんと それがヨメのギムじゃろう」「男が生まれるとは限らんが」「男が生まれるまで産むんじゃろう」「出来がええとも限らんが」「予備に何人か産むんじゃろう」 すずは、子どもができないことで、嫁ぎ先に居場所がないことを不安に思い、子どもを産めない女性が実家に帰されるということを、素直に信じる女性でもありました。 そんなすずを「売られてきた女性」白木リンはこんなふうに慰めます。 「ああ、でも子供が居ったら居ったで支えんなるよね」「ほっ ほう! ほう!! 可愛いし‼」「困りゃ売れるしね!女の方が高いけえ、アトトリが少のうても大丈夫じゃ 世の中、巧うできとるわ」「なんか悩むんがあほらしいうなってきた・・・・」「誰でも何か足らんぐらいで、この世界に居場所はそうそう無うなりゃあせんよ すずさん」「有難うリンさん」 ここに、このマンガの読みどころの一つがあると思いました。白木リンがどんな人間にも「この世界の片隅に」、「生きる場所」というのはなんとかあるものだと教えるなにげないシーンですが、落ち着いて読み返すと哀切極まりないシーンなのです。 二人が、仲良しになって、悲しい会話をしたこの時にすずには、戦火の下とはいえ、まだ、大好きな絵を描く右手がありました。そして、苦界で生きる白木リンにも、永らえる「いのち」があったのでした。 やがて、ペリリュー島で田丸1等兵たちが苦労して守っていたはずの「本土攻撃」の防衛線は、肩透かしのように突破され、東洋一の軍港の町「呉」もアメリカ軍の空襲にさらされていきます。そんな戦況の中で、すずは街角の不発弾に遭遇し、手を引いて歩いていた6歳の姪、晴美ちゃんの命と、つないでいた自分の右手を一緒に失います。 「この世界の片隅に」居場所を失ったように苦しむすずは「居場所はそうそう無うなりゃあせんよ」と励ましてくれた、白木リンを探しますが、彼女は居場所だった遊郭ごと、「この世界の片隅」から消えていました。 敗戦の日のシーンです。 ああ、暴力で従えとったいうことか じゃけえ暴力に屈するいう事かね それがこの国の正体かね うちも知らんまま死にたかったなあ・・・ この世界に取り残されたことを、もだえ苦しむすずの頭を、天から降りてきたのでしょうか、やさしく撫でる「右手」が描かれます。 戦死した兄、要一の石ころ入りの骨壺。爆弾に吹き飛ばされた姪の晴美。やっと、話ができたのに遊郭ごと消えた白木リン。1945年8月6日から行方不明の母。原爆病で起き上がれない妹のすみ。 すずの失われた「世界」が、次々と想起される中で、幻の「右手」が彼女の居場所がまだあることを教えるかのようです。 焼け野原の呉の街で拾った戦災孤児を背負って歩いている周作とすずの後ろ姿が描かれ、マンガは、再び「この世界の片隅」のような北条家の居間に戻っていきます。 戦後社会への着地の仕方が、とてもソフトなところに好感を持ちましたが、何よりも「マンガを描きたかった」浦野すずという設定と、あくまでも小さな日常にこだわった筋運びに、戦後70年たって書かれている戦争マンガの新しさを感じました。 蛇足のようになりますが、宗教学者の島薗進という方が「ともに悲嘆を生きる」(朝日選書)という本の前書きで、執筆の数年前に流行った3本の映画、「シン・ゴジラ」と「君の名は」、そして「この世界の片隅に」を見たことを話題にしてこんなことをおっしゃっていました。「シン・ゴジラ」と「君の名は」は見ごたえはたっぷりあるが、観客も涙を流すような感動はなかった。 ところが、「この世界の片隅に」は見応えがたっぷりあるとともに深く心を揺さぶられた。こうの史代の同名のコミック作品に基づく、片渕須直監督の作品だ。そこですぐ原作を買って読んだ。2006年から09年にかけて発表された作品だが、予想にたがわずため息をつきながら読みふけった。 そして、それは悲嘆が身近に感じられる21世紀の現代という時代と深い関わりがあるように感じた。 ぼくが、気になるのは、このマンガが、なぜ、今、みんなに受け入れられたのかということですが、島薗さんは、始まったばかりの「21世紀という社会」には、「悲嘆」の方向に動きやすいの空気が漂っていて、そのことと、このマンガの描く「世界」が繋がっていると論じておられますが、そうなんでしょうか。 そういえば、お葬式の作法とか、そっち方面の話が映画になったりしたのは今世紀に入ってからですね。島薗さんの御意見は、そのうち「案内」するかもしれませんが、とりあえず、そちらの本のほうで直接ご確認いただきたいと思います。追記2021・08・06 コロナの感染者数が日々新記録を刻んでいますが、大運動会の報道に夢中にみえるNHKという「公共放送(?)」は大運動会の報道に夢中で、この世界で本当に起こっていることからはかけ離れた「公共(?)」ぶりです。 そのうえ、例年、8月6日に放送していた「原爆」特集番組を、こっそり、取り止めにしたりしているようです。 なんだか。恐ろしい時代の始まりを演出して、いい気になっている夜郎自大なものを感じます。本当に気味の悪いことですね。
2020.12.30
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金子信久「長沢蘆雪 かわいいを描くこと」(東京美術) 明石の市民図書館の新入荷の棚に並んでいました。「おっ、蘆雪!」 まあ、そんな感じで手に取りました。金子信久という美術館にお勤めらしい方の「長沢蘆雪 かわいいを描くこと」(東京美術)という、大判の美術書(?)です。表紙からして「かわいい」でしょ(笑)。 長沢蘆雪という人は「かわいい」で人気なのだそうです。ページを繰ると、江戸のかわいいがあふれていました。 まあ、ボクにとっての江戸絵画との出会いは、この長沢蘆雪に限らずなのですが、40代の終わりごろだったでしょうか、橋本治の「ひらがな日本美術史(全7巻)」(新潮社)という、まあ、ものすごく面白い美術全集との出会いが始まりました。 その後、辻惟雄という、これまた、ものすごいセンスの人の「奇想の系譜」(ちくま学芸文庫)、「奇想の図譜」(ちくま学芸文庫)に夢中になり、ちょうどいい具合に職場の図書館の蔵書整理係だったこともあって、誰も来ない図書館で、そのころ出たばかりの「日本美術の歴史」(東京大学出版会)という新しい入門書の記述と、書庫でほこりをかぶっていた古い美術全集の1ページ、1ページの埃を拭いながら照らし合わせたりして、まあ、本人はそれなりに勉強しているつもりで面白がっていたのですが、定年退職がゴールで、図書館の住人でなくなったことが淋しかったこともあって、日本美術史総覧、完走、ゴールしたことに満足して、すっかり忘れていました(笑)。 まあ、そんなわけで、ようするに、実物、本物の絵なんて見たことはほとんどないのです。だから、面白がることはあるのですが、感動がないんですね(笑)。いかにも、参考書風の知識ばかり振りましたがる、安物の教員根性の興味なのですが、それでも、好きなのは好きなのでしょうね、図書館の新刊の棚に「長沢蘆雪」の名前と、彼の独特の子犬を見つけると、思わず手に取ることになるのでした(笑)。 長沢蘆雪という人は円山応挙のお弟子さんです。曽我蕭白という、これまた、奇想で評判の絵描きさんがいますが、ほぼ同時代の人といっていいでしょうね。有名なのは、和歌山県の串本にあるらしい無量寺というお寺にある「虎図」とかです。 この絵ですが、素人目にも絵に愛嬌があるんですね。辻惟雄が「奇想の系譜」で彼のことを「鳥獣悪戯―長沢蘆雪」と章立てして解説・紹介しています。そのななかで、この虎の絵についてこんなふうに書いています。 獲物に襲いかかろうとする虎の全身が、襖三面いっぱいの大きさにクローズアップされ、見る人をたまげさせる。少なくとも、こうした表現は、従来の動物画には類を見ない型破りなもので、師応挙の目から離れた蘆雪の開放感の所産ともいえるだろう。ただ気になるのは、この虎が、猛獣らしい凄みをさっぱり欠いていて、むしろ猫を思わせる無邪気さが感じられる点である。(P196)」 ねっ、ちょっと笑えるでしょ。「皮肉な蘆雪が胸中ひそかに戯気を描いて巨大な猫を描いたのではないか」 という山川武という人の説を同意しながら付け加えられていますから、決してバカにしているわけではありません。「鳥獣悪戯」と評している所以ですね。 まあ、そういうわけで、長沢蘆雪の持ち味の特徴は悪戯=いたずら、そして、かわいさなわけですが、ボクが図書館で見つけた金子信久「長沢蘆雪 かわいいを描くこと」(東京美術)は、そのかわいさに目をつけて編集されています。 「かわいい」というコンセプトで編集、紹介、解説しているところがミソですが、たとえば、上の写真「唐子図」のような子どもといい、表紙の子犬といい、まあ、虎といい、可愛さ花も並ではありません。楽しい本でしたよ。若い人が、このあたりから江戸の絵画、ひいては日本美術に興味をお持ちになるのもありだなあと、まあ、そんな気持ちで案内しました。 ちなみに、上の引用で貼った写真は辻惟雄「日本美術の歴史」と「奇想の系譜」からのコピーです。「かわいいを描く」にも所収されていますが、もっと美しい写真です。あしからず(笑)。
2023.10.24
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イリヤ・ポボロツキー「grace グレース」元町映画館 まあ、なんといっても、出だしのシーンで鷲摑みでした!(笑) 風景がすごいんですね(笑)。小さな滝というか、湧き水の水口で若い女性が水を飲んでいるのか、手を洗っているのか、いや、水を汲んでいたらしいのですが、彼女が水の入ったポリタンクを持って歩き始める、その動きに沿ってカメラが引いて行って、小さく細い水の流れが、ものすごい谷の底を流れていく川になっていって、崩れた崖の谷間の上の大きな山々、その山の麓に点在する集落が遠くにあって、彼女が歩いていく先には立ち木なんて一本もない、なんだか荒涼とした丘の上に赤いキャンピングカーがとまっていました。おおー、スゴイ! 見たのはイリヤ・ポボロツキーという、ロシアの若い監督の作品、「グレース」でした。 キャンピングカーで移動して、野外映画会を興行している父親と娘の旅 のお話のようです。現代ロシア版ニューシネマパラダイスやん(笑) とか、なんとか、お気楽に見ていましたが、どうも違うようです。現代ロシア版地獄めぐりというのとはちょっとちがいますが、現代ロシア版辺境めぐり という風情のロード・ムービーでした(笑)。 老眼のボクには、なんというか、画面のトーンが暗くて、眠くて仕方がない映像だったのですが、にもかかわらず、面白かったですね(笑)。 まず、主役の娘さんが、まあ、彼女も暗いっちゃア暗いんですが、実にいいんですね。それから少年、親父さんも、親父さんとわけわからん関係になる、観測所とかで一人暮らしのおばさん、まあ、みんなよかったですね。会話らしい会話はほとんどなくて、どの組み合わせも、たがいにずっと喧嘩しているようにしか見えない関係なのですが、父と娘、少年と少女、旅の興行師と観測所の女、それぞれの描き方が、絶妙なのですね。人間同士ってのはこういうもんでしょ。 まあ、監督さんがそうおっしゃっている感じで、納得しちゃうんですね。 それから、先日、ゴンドラという映画で気に入った、多分、コーカサスあたりの山岳風景、都市のアパート群、ショッピングモール、娘が海に行きたい というので、そうはいってもロシアですからねえ、どこの海に行くんだろう? と思っていると、多分、北極海に面した北方地域の海ですね。で、そのあたりの空き家ばかりのお屋敷群、遠くに見えている海、何も通らない道路。ドキュメンタリィータッチでジーっと、だからロングショットで映し出される風景があって、その画面のどこかを走る赤いキャンピングカー、何もない山の間からフッと出て来たり、目を凝らしていないと見えないと思っていると消えてしまったり、アカン、寝てまう! で、まあ、とどのつまりに、寒そうな海にじゃぶじゃぶ入っていった娘がすることを見て、ようやく、ああ、そういうことか! と腑に落ちて、納得でした。 いや、いや、この監督、この映画の娘の描き方もちょっとしたものですが、今後に期待しちゃいますね。拍手!です。 この映画で、印象深いのは現代ロシアの社会の描き方 ですね。都市と辺境、男と女、子供と大人、要素はたくさんあるのですが、なんだか、とてもアンバランスで、そこがとてもリアルなんですね。 それから映画のトーンですね。画面のトーンじゃなくて、お話の筋立てですが、暗さとしか受け取られかねない展開なのですが、最後にたどりついたところに「希望」というか、未来への可能性を暗示しているとボクは思いました。拍手!です。監督・製作・脚本・編集 イリヤ・ポボロツキー製作 イバン・ニチャエフ 撮影 ニコライ・ゼルドビッチ音楽 ザーカス・テプラキャストマリア・ルキャノバ(娘)ジェラ・チタバ(父)エルダル・サフィカノフ(少年)クセニヤ・クテポワ(観測所の女性)2023年・119分・ロシア英題「Grace」2024・11・17・no148・元町映画館no266追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.18
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荒勝俊「日本狛犬大全」(さくら舎) 徘徊暮らしを始めて7年ほどたちました。自宅を出るときはホンダのスーパーカブです。で、最寄りの駅の駐輪場に止めて電車に乗ります。JRの神戸線です。いや、本当は山陽本線と呼ぶのが正しいのかもしれませんね。垂水駅から電車で出発です。で、まあ、気が向いたところ降りて歩き始めます。元町駅あたりで降りて、映画館を目指して、というのが一番普通のパターンです。 で、最寄りの駅から歩き始めて、小さな神社の境内とか小さな公園、JRの高架下、時には道端とかで座っておにぎりとかを食べたりタバコを吸ったりします。もちろん、お茶は自宅から持参したペットボトルが必須です。寒くなると保温水筒にコーヒーがある場合もあります。 徘徊ですから、道端も、格別、苦にすることはありません。神社に立ち寄る時には、まあ公園とかでもですが、写真を撮ることがあります。神社の場合の場合の被写体はたいてい狛犬です。 あの、狛犬に共通した、「やる気」があるようで、実は「やる気」が固まってしまっているように見える、まあ、たいがい石ですから固まって当然なのですが、なりというか、風情が好きなんです。 で、市民図書館の新入荷の棚にこんな本を見つけました。「日本狛犬大全」(さくら舎)です。狛犬の図鑑です。世の中には狛犬が好きな人がいるのですね。著者の荒勝俊という人は、早稲田の理系、バイオなんちゃらの教授らしいのですが、まあ、すきがこうじてということだと思いますが、すでに、同じさくら舎というところから「江戸狛犬図鑑」という、文字通り図鑑を出版されているようです。ほとんど研究者です(笑)。 ページを繰ると、狛犬の解説があって、北は北海道から南は沖縄まで狛犬の所在神社、写真、および解説です。 何が面白いといって、みんな違う顔なのです。狛犬といえば、一応、対で座っていて、それぞれが「阿」と「吽」という口の形をしているものだと思っていました、そうと決まったわけでもなさそうです。動作には、型はあるようですが、一匹というか一頭というか、それぞれの個性が溢れていて写真を見ているだけで笑えます。 適当に開いたこのページは山梨県です。見にくいかもしれませんが、かなりユニークというか、個性があるというかですね。山梨とか長野の狛犬は、この図鑑を見る限りやる気のかたまり方に独特の愛嬌があって、とりあえず、一度お出会いしたい! という気になりますね。こういうのが近所にいると思うと、徘徊も精が出ますよね(笑)。 ちなみにこちらが兵庫県です。何と地元の海神社の子連れ狛犬が出ています。もちろん、知っていますが、チョット嬉しいですね。 とりあえず、神戸市内の狛犬探索徘徊を始めるしかありませんね。東灘から西区まで、ウロウロして、どれくらいの狛犬さんと出会えるんでしょうね。そういえば、北区もありますよね。そう考えると、神戸市は広いですね(笑)。まあ、そうはいいながら、そのうち狛犬写真帳かなんかを、このブログに載せ始めるかもですよ。がんばります!(笑) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.20
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穂村弘×東直子「回転ドアは、順番に」(ちくま文庫) 唐突ですが、あの小野小町にこんな和歌がありますよね。恋ひわび しばしも寝ばや 夢のうちに 見ゆれば逢ひぬ 見ねば忘れぬ「こひわび」なのか「おもひわび」なのか、ボクには、まあ、判然としませんが、それはともかく、恋する乙女には「夢」なんですよね、カギは。 で、これに返事する人が出てくれば「相聞歌」ですよね。今回の読書案内「回転ドアは、順番に」(ちくま文庫)は穂村弘と東直子という現代歌人二人による、いわば、相聞歌集なのですね。 もっとも、お二人とも還暦を過ぎていらっしゃるようですから、まあ、ごっこというこというか、気鋭の現代歌人共作の相聞和歌小説とでもいうべきかもでしょうね。 で、平安の昔であれば文であったのでしょうが、現代では、お二人の間を取り持つのはメールです。 俳諧には付け句ということがありますが、連歌の伝統を考えれば和歌にもあったはずで、それをお二人でやっていらっしゃるという面白みですね。 出会いは、ある年の春です。で、やがてめぐってきた再びの春に別れがやって来ますね。ボクは一年間の出来事として読みましたが、さて、短歌とメールが描き出す歌物語の主人公にはどれほどの歳月だったのか、まあ、お読みくださいという感じですね。 最初のページにこんな短歌が出てきます。遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた夢見ていた夢の中でボクは自転車に乗っていた(P9) 巻頭、この歌を詠み、「夢見ていた」とメールに書いているのは東直子さんです。日溜りのなかに両掌をあそばせて君の不思議な詩を思い出す と答えて、夢から覚めたのが穂村弘さん。恋の季節の始まりです。歩くなら一人がいいの青空に象のこどもがうまれたようにおはよう。今、こちらは、朝です。生まれたての今日を、歩いています。ゆうべ少し降った雨が、空気にとけていて、音が遠くから近くからひびきます。清潔な音だな、と思います。わたしたちの身体は、どのくらい同じ時間をすごしたのだっけ。わたしたちを動かしていたものは、なんだったのかな。いちどあなたの身体にふれたものは、あなたのにおいが消えないね。ねえ、蜘蛛の巣があるよ。露をびっしりとまとって、それがひかりをはねかして、とてもきれい。ここに棲んでみたいよ。じょうだんでもかまわないから、あなたと、あなたのにおいと。ありがとう、時間。おはよう、時間。さよなら、あなたの身体。(P169) 東直子さんのオシマイの短歌とメールです。メールで相聞される短歌がやがて、こんなふうにとじられるまで、さて、何首の歌が詠まれたのか。で、二人に何があったのか。そのあたりはお読みいただいて、ということですね。なかなか、いけますよ(笑)。 最後の最後は、元に戻って、こんな結末でした。日溜りのなかに両掌をあそばせて君の不思議な詩を思い出すジテンシャデユクネ遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた 1冊にまとめられた、二人の夢の跡ということでしょうか。まあ、それにしても、達者なものですね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.14
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岸田奈美「傘のさし方がわからない」(小学館) 小学館からシリーズ(?)で出ている岸田奈美さんの3冊目です。ついでに「もうあかんわ日記」(ライツ社)も読みましたから、ボクとしては4冊目ですね。ちょっと、飽きてきた!ゴメン。 というのが正直な感想ですが、理由ははっきりしている気がします。困ったことに、売れっ子の「作家さん」の文章 になりつつあるんですよね。 要するに、商品としての文章といえばいいのでしょうか。 彼女の文章の持ち味は、ボクのようなボンヤリ人生では気づかない、まあ、ナイーブな感受性の持ち主である岸田さんだからこそ直面する「突然の危機」があって、そこで彼女が、「いかに開き直るか」の体験のスリルとサスペンスなのでしたが、身の回りから、ひょっとしたら面白いかもというエピソードを探し始めていらっしゃる、まあ、そういうニュアンスを、何となくなのですが感じてしまうのですね。着地点は、彼女らしい柔らかな感受性、おおらかさ、というのは変わらないのですが。 ネット上に記事を書きつづけるという難しさもあるのでしょうね。題名になっている「傘のさし方を忘れてしまったお母さんの話」なんて、相変わらず、だいじょうぶ! と声をかけたくなる話なのですが、「作家」としての岸田さん、最初の正念場に差し掛かっていらっしゃるようですね。 まあ、しかし、新しい本が出れば、ボクは読みますね。ボクにとってはそういう方です、彼女は(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.11.10
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吉本隆明「廃人の歌」(「吉本隆明全詩集」思潮社) 病院のベッドで、まあ、眠れない夜を過ごしながら思いだしたのは吉本隆明の詩でした。で、帰宅して、こんな本があることを思い出して、久しぶりに開きました。 「吉本隆明全詩集」(思潮社)です。箱装で、写真は箱の表紙です。2003年の出版で、その時に購入した詩集です。全部で1811ページ、価格は25000円です。1冊の本としては、ボクの購入した最高値です。なんで、そんな高い本を買ったのか。 まあ、そう問われてもうまく答えることができません。ただ、2003年にまだ存命だった詩人が「現在集められる限りの詩作品を一冊にまとめて全詩集とした。」 と、この詩集のあとがきで述べていますが、彼の書いた詩を一生のうちにすべて読み切りたい。 という、人にいってもわからないないだろうと思い込んでいる願望のようなものが40代の終わりのボクにはあったということですね。「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ」 という詩句と十代の終わりに出逢ったことで始まった、この詩人に対する信頼と憧れがその願望を培ってきたことは紛れもない事実ですね。 病室の天井を眺めながら、この詩人の詩句を思い浮かべている自分に気付いたときに「えっ?」 という驚きを感じたのですが、スマホの画面で、いくつかの詩を読み返していくにしたがって、50年、溜まりに溜まった、なんだかわけのわからない妄想にも似た、忘れていたはずの記憶が、次々と湧いてきて、まだ、やり残していることの一つが見つかったような気がしたのでした。 というわけで、今回は1953年の「転位のための十篇」に収められている「廃人の歌」です。 廃人の歌 吉本隆明ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい 夕ぐれ時の街で ぼくの考へてゐることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ ぼくの休暇はもう数刻でおはる ぼくはそれを考えてゐる 明日は不眠のまま労働にでかける ぼくはぼくのこころがゐないあひだに世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものは赦すものたちだ 神はそんな者たちを愛撫する そして愛撫するものはひよつとすると神ばかりではない きみの女も雇主も 破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがひない 幸せはそんなところにころがつている たれがじぶんを無惨と思はないで生きえたか ぼくはいまもごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ そこで不眠をうつたえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはまだとく名の背信者である ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでゐる 街は喧噪と無関心によつてぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お訣れだぼくの足どりはたしかで 銀行のうら路 よごれた運河のほとりを散策する ぼくは秩序の密室をしつてゐるのに 沈黙をまもつてゐるのがゆいいつのとりえである患者だそうだ ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい 生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間でぼくの好きな奴は三人はゐる 刑罰は重いが どうやら不可抗の控訴をすすめるための 休暇はかせげる 「転位のための十篇」(1953)(「全詩集」P75~P76) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.01
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クリストファー・ノーラン「インターステラー」109シネマズ大阪エキスポシティ 映画.com 2020年の8月のはじめに、初めてIMAX映画を見るために「109シネマズ大阪エキスポシティ」という映画館に来ました。二度目が9月の2日、そして今日で三度目です。 どの映画も監督はクリストファー・ノーランで、「ダンケルク」、「インセプション」、今日が「インターステラー」でした。 先の二回は最上階あたりで見ましたが、今日は、なんと、そのあたりが満席でした。横にずれるかどうかで迷いましたが、観客が結構多そうなので、思い切って下の席を選びました。最前列から5列目の、ほぼ中央の右寄りでした。 覚悟はしていましたが、映画が始まってみると、宇宙船酔い(?)しそうな気分でした。世界そのものが頭の上からのしかかってくる圧力で、体をまっすぐに立てて座っていることができない感じがしたのには驚きました。 幸い、前後左右に誰もいませんでしたから、かなりのんびりした姿勢で見る事が出来ましたが、人間の視覚というのはあやふやなものだと納得しました。 この監督の3本目にして、IMAX効果を最も堪能した映画でした。宇宙空間を飛ぶ話だったのですが、実は宇宙ではなくて、「大波」、「氷の世界」、「砂嵐」の映像が面白かったのが意外でした。 特に壁になって、上から迫ってくる大波のシーンでは、意味もなく体に力が入って疲れました。取り残されたドイル君には申し訳ないですが、シーンが終わって「まあ、可哀そうだけど、仕方がないよ、ぼくは助かったから」と、ちょっと本気で考えてしまいました。もう、実体験アトラクションのノリでしたね。 SFネタとしては「5次元」が出て来て、「ああ、複数の時間か・・・」 という、半分諦めの納得で見ていましたが、書棚のポルターガイストと、娘に残した時計の使い方には感心しました。 とはいうものの、ぼくにとって面白かったのは、主人公の、実に古典的な「生きざま」の「物語」を映画の骨にしていたことですね。 見終わってみるとSFを見た感じがあまりしなかったのが不思議ですが、考えてみれば、故郷の「家族」のもとに必ず帰ってくると約束して旅立ったクーパー君は、べつに、荒野に旅立つカウボーイでもよかったわけで、帰ってきた彼が、旅先に置き去りにした「友達」のためにもう一度旅立つのは当然といえば当然ですよね。 映像のイメージやIMAX的な立体感、スピードは、実に現代的で「新しい」と感じたですが、映画のリアリティを支えているのが「父と子」の、あるいは「家族」や「友情」の「物語」だったことが、続けて見た三つの作品に共通していることを面白いと思いました。 この監督は、ひょっとすると「古典的」な「物語」を、超現代的な映像、小説でいえば「文体」で書き直そうとしているのかもしれませんね。そこには、今までとは違う「何か」が生まれているのかもしれませんが、よくわかりません。 ただ、とても強く惹きつけられたことは確かです。次は、新作「テネット」。楽しみですね 監督 クリストファー・ノーラン 製作 エマ・トーマス クリストファー・ノーラン リンダ・オブスト 脚本 ジョナサン・ノーラン クリストファー・ノーラン 撮影 ホイテ・バン・ホイテマ 美術 ネイサン・クロウリー 衣装 メアリー・ゾフレス 編集 リー・スミス 音楽 ハンス・ジマー 視覚効果監修 ポール・フランクリン キャスト マシュー・マコノヒー(ジョセフ・クーパー元空軍パイロット) マッケンジー・フォイ(クーパーの娘マーフ子供時代) ジェシカ・チャステイン(娘マーフ成人) エレン・バースティン(娘マーフ老女) ケイシー・アフレック(息子トム・クーパー ) ティモシー・シャラメ(トム幼少期) ジョン・リスゴー(クーパーの父ドナルド・クーパー) アン・ハサウェイ(アメリア・ブランド宇宙船クルー) デヴィッド・ジャーシー(ニコライ・ロミリー宇宙船クルー) ウェス・ベントリー(ドイル宇宙船クルー) マイケル・ケイン(ジョン・ブランド教授) ビル・アーウィン(ロボットTARS) マット・デイモン(ヒュー・マン博士) 2014年製作・169分・G・アメリカ 原題「Interstellar」 日本初公開:2014年11月22日 2020・09・10109シネマズ大阪エキスポシティno3追記2020・09・11「ダンケルク」、「インセプション」の感想は題名をクリックしてみてください。にほんブログ村
2020.09.11
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100days100bookcovers no66(66日目)兵庫県在日外国人教育研究協議会『高等学校における外国につながる生徒支援ハンドブック~すべての生徒が輝くために~』 「復活」を宣言しながら遅くなりました。 相変わらず世の中は落ち着きませんね。新型コロナ感染者は増え続けているのにワクチン接種はなかなか進みません。 そんな人間世界をせせら笑うかのように、自然は例年より早く動いているようです。桜の開花も種類によって長く楽しませてもらいました。自宅の裏庭にも梅、椿、山桜、牡丹、シャガ、満天星つつじ、芝桜などが順に花を咲かせ、心を慰めてくれています。今は木々の緑が一斉に萌え、目に眩しいです。 さて、ブックカバー・チャレンジは萩尾望都「ポーの一族」、ちばてつや「あしたのジョー」、「アウシュビッツを志願した男」、エーリヒ・ケストナー「飛ぶ教室」と続きました。それらの本を懐かしく、読みたいと思い、その延長の文学から次の作品を探そうと思っていましたが、あまり時間の余裕はありません。そこで、勝手ながら「少年や少女たちの物語」という文脈に無理やりこじつけてこの冊子を紹介させてください。『高等学校における外国につながる生徒支援ハンドブック~すべての生徒が輝くために~』 編 集 / 高等学校における外国人生徒支援ハンドブック作成委員会 発 行 / 兵庫県在日外国人教育研究協議会【兵庫県外教】 印刷・製本 / ミウラ印刷 この3月末に発行したばかりのハンドブックで、まだほぼ世に出ていません。みなさんのお手元にないことをわかっていながらの選択ですみません。しばらく頭を悩ませ、今年に入ってからは編集作業に追われ、この「100days100bookcovers」リレーの1回休みの原因の冊子です。8月から準備、9月から実質スタート、3月末に発行したという突貫工事でした。ひょうごボランタリー基金助成事業(地域づくり活動NPO事業助成)なので、会計年度が厳格なのです。主な贈呈先に送付し、その後助成金の報告作業や関係者への配布などを終えました。予定外の事務所の急な移転のための引っ越し作業などもあり、相変わらず慌ただしい日々を送っていました。そんな中、ふと「あ、このハンドブックも少年少女たちの物語だ!」と、思い至ったのです。 昨日の朝刊(朝日新聞4.13オピニオン&フォーラム)にNPO法人自殺対策支援センターライフリンク代表の清水康之さんのインタビュー記事が掲載されていました。タイトルは、「生きるのをやめたい国」―自殺者が11年ぶりに増加、女性や若者が「生きるのをやめたい」と「生」が脅かされていると。もちろん、コロナが引き金になっているのだけれど、コロナ以前からも勤務していた高校で、生徒たちが学校で生きにくい思いをしていると感じていました。もちろん、多くの生徒は楽しく、充実した学校生活を送っていると思うのですが…。ベルトコンベアーのように学校で勉強していい大学に入って生活の安定が保障される仕事に就いて…という人生だけではないはずなのに、それ以外の選択肢をあまり提示できない日本の教育。会社に入っても心と身体を疲弊させてしまう働き方を改革することができていない。(最近変わってきたのでしょうか?私はまだ楽観的になれないのです。)中・高生の自殺者も、あまりニュースにはならないけれど、身近なところで少なくなかったのです。 ハンドブックに表面的には関係がないような今朝の新聞記事の話題を紹介しましたが、私の中では地続きなのです。多様な、それぞれの個性が生かされず、認められない、そんな窮屈なこの国のままでは希望が持てないという点で。 2019年の文部科学省発表は、大きな衝撃を与えました。「日本語指導等特別な指導を受けている者の割合は外国籍児童生徒で79.3%、日本国籍は74.4%」「『特別の教育課程』による日本語指導を受けている者の割合は同じく外国籍児童生徒59.8%、日本国籍は56.4%」「日本語指導が必要な高校生などの中退・進路状況については、全高校生などと比較すると中途退学率で7.4倍、就職者における非正規就職率で9.3倍、進学も就職もしていない者の率で2.7倍高くなった。また、進学率では全高校生等の6割程度となった」 高校の中退は、その後の就職に大きくかかわります。本人の希望や努力と関係なく、外国につながる生徒たちは、学びを保障されていません。「外国につながる生徒」というのは、外国籍生徒だけでなく、日本国籍で外国にルーツのある生徒も含みます。日本国籍の生徒で日本語が話せない生徒もいます。義務教育でもその支援は大きな課題で、長年様々な取り組みがされてきました。ようやく兵庫県の公立高校に外国人特別枠入試が始まりましたが、外国につながる生徒、特に日本語指導が必要な生徒の支援はスタートしたばかりと言えます。 もちろん、日本で生まれ、日本語の能力に問題がない場合でも、国籍や外見、文化や価値観の違いで学校や社会から疎外されがちです。本名(民族名)や民族性を尊重し、多文化共生社会を築いていくことが、外国につながる生徒だけでなく、すべての生徒、すべての人がだれ一人として取り残されることのない学校や地域をつくることにつながると考えます。このハンドブックには学校で実践できるそんなヒントをまとめました。 本の内容は実践的なもので、各章のタイトルは以下のとおりです。第1章 すべての生徒が輝くために ~一人ひとりの人権が尊重される多文化共生社会の実現に向けて~ 第2章 外国につながる生徒の思いを知ろう第3章 日本語指導が必要な生徒の受け入れ第4章 日本語指導が必要な生徒の学習指導第5章 外国につながる生徒の進路指導 第6章 日本語指導が必要な生徒の高校での学び 第7章 生徒たちの自身の振り返り 〜自分のルーツとルート〜 第8章 多文化共生をめざして 第9章 学校生活におけるその他の留意事項資料編 How toだけの冊子に陥らないように、生徒たちの思いや背景がわかる彼らの作文を紹介したり、コラムを入れたりして、感性に訴え、共感してもらえるよう工夫しました。特に第7章は、ベトナムと韓国のルーツをもつ2人の生徒が、自分たちのルーツとたどって来たルートをインタビューで紹介するストーリーになっています。揺れる思いや誇りを取り戻していく過程が目に浮かぶようです。第7章の最後の箇所を紹介します。執筆者は野崎志帆さん(甲南女子大学教授)です。 名前や見た目で判断せず、学校やクラスには外国にルーツをもつ生徒がいるということを、まず学校現場で生徒に関わる教職員自身が認識する必要がありそうです。多様なルーツをもつ仲間がいることを知らせることは、多文化化しつつある日本で学ぶ全ての生徒にとって大切なことなのではないでしょうか。また、外国にルーツをもつ子どもの側だけに努力と頑張りを求めているだけでいいでしょうか。子どもの成長にストップはかけられません。国籍やルーツがどうあれ、彼らは日本の将来を担う日本社会の一員であるということを理解し、目の前の外国にルーツをもつ子どもに何ができるか、粘り強く考えていきたいものです。 このハンドブック作成の過程で、ことばのこと、相手にわかりやすく伝えるための表現、異なる立場の者どうしが話し合う中で生まれるものなど、気付くことがたくさんありました。高校教員、国語という科目、外国人教育に関わってきた中で、(良しあしは別にして)独りよがりな見方もありました。自分のフィールドから足を踏み出すのは勇気が必要ですし、葛藤も伴うのですが、そんなことを実感する機会になりました。 なんか抽象的で、個人的なことを書き込みました。みなさんがコメントすることも難しいのではないかと思います。ごめんなさい。 最後に表紙と本文中のイラストについて紹介させてください。兵庫県出身の漫画家、ゆととさんが担当してくれました。お父さんが高校教員をされていて、同じく兵庫県在日外国人教育研究協議会のメンバーというご縁です。「うちの娘もイラスト描けますよ」と。趣味の範囲かと思ったら、新進気鋭のプロの漫画家さんでした。 コミック作品(作画担当)として、『恋する男子に星を投げろ!』『樹海村』(KADOKAWA)ほか。ちょうど映画『樹海村』(『犬鳴村』に続く映画)公開前で、そのコミカライズ版の発行に忙しい中、無理難題の注文に応えていただきました。固い印象を与えがちなハンドブックが表紙のレイアウトとゆととさんのイラストで、手に取って開いてみたくなる魅力的なものになったと感謝しています。 では、バトンを次に託します。SODEOKAさん、よろしくお願いします。2021・04・14・N・YAMAMOTO追記2024・04・06 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2022.02.02
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ノーム・チョムスキー「9.11 アメリカに報復する資格はない」(文春文庫) なんか、いい加減な連想なのですが、「エターナルメモリー」という、チリのドキュメンタリー映画を見たので調べ直していると「9.11」という日付が出てきて、チリのほうが本家、というような話に出合って思い出したのがこっちの本でした。 ノーム・チョムスキー「9.11アメリカに報復する資格はない」(文春文庫)ですね。 9月11日に起きた恐るべき残虐テロは、世界の出来事においてきわめて新しいものである。規模とか性質の話ではない。標的が違うのだ。米国は1912年の英米戦争以来、本土を攻撃されたことはなく、脅威すら受けたことがない。 多くのコメンテイターが真珠湾と対比したが、これは誤解を招く。1941年12月7日に攻撃されたのは、二つの米国植民地にある軍の基地だった。米国はハワイを「領土」呼ばわりするのを好んだが、実際は、領土ではなく植民地だった。過去数百年の間に米国は土着民(何百万もの人々)を絶滅に追い込み、メキシコの半分を征服し、(事実、土着諸族の領土であるが、そのことをは今日の話題とは別問題である)、周辺地域に暴力をもって介入し、ハワイと、(数10万のフィリピン人を殺害し)フィリピンを征服した。 以来、特にこの半世紀間に、世界の大部分に武力による政策を押し広げてきた。その犠牲者は膨大な数に上る。そのアメリカ本土に初めて、銃口が向けられた。これこそ、劇的な変化である。 同じことは、欧州についても、アメリカ以上に劇的に当てはまる。欧州は、殺人的な破壊を蒙ってきたが、これは内戦による破壊だった。 一方で、欧州列強は世界の大半を極度の野蛮さで征服した。ごく稀な例外はあるけれども、被害を与えた外国に攻撃されたことはない。英国がインドに攻撃されたことはないし、ベルギーがコンゴに攻められたこともなく、エチオピアがイタリアに攻め込んだ話も、アルジェリアがフランス(フランスはアルジェリアを「植民地」と見なしていないが)を攻めた話も聞かない。だから、9月11日のテロに欧州が、すっかりショックを受けたことは、驚くに当たらない。ただし、再度言うが、残念ながら、テロの大きさに衝撃を受けたのではない。 これからいったい何が起きるのか、誰にも見当がつかない。しかし、これが目覚ましく新しい事件であることだけは、一目瞭然である。 第1章の冒頭です。2011年、9月13日イタリアの「イル・マニフェスト」という雑誌のインタビューですね。 出来事の新しさについて、歴史的に振り返っているわけで、論旨は明快だとボクは思います。ボクたちは歴史的な現在に生きているということですね。 で、その結果、次に何が起こるのか予測もできると考えてきたわけですが、未来が予測不能なことを明らかにしたのが9.11だったというわけです。 チョムスキーという人は世界的な言語哲学者で、MITの教授だった人です。 で、この事件をめぐるこの本にまとめられている、インタビューやラジオ放送での発言で、過激な反アメリカ主義者とか言われたりして10年たちました。日本で本になったのは2001年の11月、文庫化されたのが翌年ですが、その頃、傍線だらけにして読んだ記憶があります。彼の「言語哲学」には歯が立ちませんでしたが、こちらはインタビューですからね。 その後、エドワード・サイードが、パレスチナを論じるとき参照されたり、講演が映画になったりしましたが、まあ、ボクなりの読み方ですが、彼の「歴史的現在からの視点の大切さ」 とでもいうべき考え方をきちんと理解して、世界を見たいと思ってきました。 「エターナルメモリー」というチリの映画の主人公たちを見ていて思い出したことですが、アジェンデ以後のチリの軍事独裁を援助したのはどこの国だったのか、チリのキューバ化を恐れて暗躍したのは、どこの国の情報機関だったか、直接の戦争状態に介入したのではないので、評判になりませんが、映画の主人公たちが戦った相手は、自国の独裁者だけではなく、それを支えた、どこかの国だったんじゃないか、そして、今、主人公は、自分が命がけで記録した「歴史の事実」が、平気でないがしろにされることがありうることこそ恐れているのではないかということでした。 本書にもどりますが、チョムスキーが、どのくらい「反アメリカ」的な人なのか、あるいは、そうではないのか、この1冊で概ね判ると思います。ボクは「反アメリカ主義」などではないと思いますが、まあ、全部で、150ページくらいの薄い文庫本です。自分で読んでお確かめください。 一応、目次を貼っておきます。目次第1章 真珠湾と対比するのは誤り第2章 ブッシュ政権が取るべき方法9.20 9.21第3章 なぜ、世界貿易センタービルか第4章 アメリカは「テロ国家の親玉」だ第5章 ビンラディンの「罠」第6章 これは「文明の衝突」ではない第7章 世界に「明日」はあるか 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.10
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「立冬の日の須磨の海」 徘徊日記 2024年11月7日(木) 須磨・一の谷あたり 2024年、11月7日、木曜日、ちょうど正午です。今日は立冬だそうです。ここは須磨、一の谷の丘の上です。海には西へ行く船、空には東にながれるクジラくんたちが群れています。 ここに座ると、柄にもないことを思いつきます。熊掌は、形勢不利になると碁盤をかきまぜる困った奴に碁ガタキがつけてくれた名前です。もう、30年以上も昔のことです。霜月やクジラ群れ飛ぶ須磨の空 風強し今日は立冬須磨の海 熊掌 そういえば、最近、目の前の海にクジラくんが迷い込んで保護されたというニュースがありました。 一の谷の丘の上では、まだ、朝顔が咲き続けていました。朝顔の季は秋だと思いますが、まあ、そうはいっても、今日は立冬ですからねえ(笑)。 さて、一服して、今から高倉台です。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.09
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「風鐸〔ふうたく〕のすがたしづかなれば」 2019年 法隆寺徘徊 その5 境内にある休憩所で一服しています。見上げれば金堂の廂(ひさし)に何かぶら下がっています。風鐸ですね。廂々に 風鐸のすがたしづかなれば ひとりなる わが身の影をあゆまする甃のうへ 三好達治の詩「甃のうへ」の一節ですね。この詩の季節は春なので全部は引用しませんが、ムードはこんな感じ。風鐸は、まあ、いわば風鈴、鈴でしょうか。石畳を撮り忘れたのがザンネン! ここからこんなシーンも見えますね。「九輪」というそうです。「空輪」とか「相輪」ともいいますね。五重塔の空に突き出した先端。なんか、いい眺めですね。 五重塔というのは釈迦の舎利、遺骨が納められている舎利塔なわけで、考えてみれば、お墓の石塔の王様みたいなもんですね(ちがうかな?)。地・水・火・風・空の重なりから宇宙に突き出ているのが九輪だそうです。とか何とか、ボンヤリしている目の前に花が咲いていました。 百日紅です。この夏は東京でも信州でも、四国でもこの花を見ました。住んでいる団地の部屋の前にも咲いていました。これは、法隆寺の百日紅です。この花が終わると秋ですね。 さて、次は夢殿ですが、どっちかな。 長い土塀が続いていて、ずっと向うが西門です。あっちから歩いてきました。それにしても、この土塀の感じがいいですね。右側を見ると、何でしょうこれは。 「東室(ひがしむろ)」、「妻室」と看板があります。僧房らしいですが、「妻室」とは何でしょう。女性もいたんでしょうか?別の意味があるのですかね? しばらく歩くと東門にたどり着きます。 東門を出て境内を振り返っています。人が見える方から歩いてきました。今気づきましたが、向こうから、ずっと、石畳を歩いていたんですね。 振り返って、東を向くと、さあ、そこが東の伽藍、夢殿です。 夢殿から中宮寺は「法隆寺徘徊(その6)」でどうぞ。にほんブログ村ボタン押してね!
2019.09.19
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谷川俊太郎「夜のミッキー・マウス」(新潮文庫) 百三歳になったアトム 谷川俊太郎人里離れた湖の岸辺でアトムは夕日を見ている百三歳になったが顔は生れたときのままだ鴉の群れがねぐらへ帰って行くもう何度自分に問いかけたことだろうぼくには魂ってものがあるんだろうか人並み以上の知性があるとしても寅さんにだって負けないくらいの情があるとしてもいつだったかピーターパンに会ったとき言われたきみおちんちんないんだって?それって魂みたいなもの?と問い返したらピーターは大笑いしたっけどこからかあの懐かしい主題歌が響いてくる夕日ってきれいだなあとアトムは思うだが気持ちはそれ以上どこへも行かないちょっとしたプログラムのバグなんだ多分そう考えてアトムは両足のロケットを噴射して夕日のかなたへと飛び立って行く「夜のミッキー・マウス」(新潮文庫) 友達との間で、矢作俊彦の「ららら科学の子」(文春文庫)の話が出て、丁度その頃、尾崎真理子が谷川俊太郎にインタビューした『詩人なんて呼ばれて』(新潮社)を読んでいたものだから、この詩集を引っ張り出してきました。 平成18年(2006年)の7月に発行されたと奥付にありますが、単行本の詩集は平成15年(2003年)、9月の発行です。 表題作は「夜のミッキー・マウス」ですが、今回は、まあ、話題に沿ってということで「百三歳になったアトム」を引用しました。 谷川俊太郎といえば「スヌーピー」の全訳の人なのですが、「アトム」は主題歌の作詞者ですね。空を越えて ラララ 星のかなたゆくぞ アトム ジェットの限り 60代より御年の方は必ず歌える(?)歌じゃないでしょうか。 で、「百三歳になったアトム」のことなんですが、アトムの生まれたのは1951年「アトム大使」だとすると、103歳というのは2054年くらいですね。そのことが、今日一日、なんだか不思議でした。 この詩のなかの「アトム」は、ぼくなんかもいなくなった世界のアトムなんですね。多分、アトムに自分を重ねてこの詩を読むのは、やはり1960年代に小学生だった人じゃないかと思うのです。この詩はそういう詩だと思うのですが。うまくいえませんね。 まあ、今、もしも高校生と一緒にこの詩を読むとして、どういったらいいのかわからないなあという感じですね。 文庫本の解説のなかでしりあがり寿さんがこんなことをおっしゃっています 電車の中、ぼくの手の作品集にはしっこを折ったページが増えてゆく。 はしっこを折った詩は誰かに読ませたい詩だ。妻によませたい詩。娘に読ませたい詩。あてはないけど誰かに読ませたい詩。詩があったらからと言って橋や道路のようになにかが便利になるわけじゃ。どっかの占い師のように悩める心に答えをくれるわけじゃない。コレステロールや血糖値を下げて長生きできるわけでもない。でもそれがあるだけで確実に何かが変わる。 妻は「ママ」という詩を読んで苦笑して「私はちがう。」というだろう。 小学生の娘は「よげん」という詩を読んで、世界のちょっとヤバイところを感じてとまどうだろう。 「ああ」を読まされた女性スタッフは、なんのつもりでこれを読まされかいぶかしく思うだろう。(谷川俊太郎の詩になりたい P109) キリがないのでこれくらいでやめますが、「ああ」とかどんな詩なのか、きっと気になる方もいると思いますので、ちょっとここで引用して話を終えたいと思います。 ああ 谷川俊太郎あああああああああ声が出ちゃう私じゃないでも声が出ちゃうどこから出てくるのかわからない私からだじゅう笛みたいになってるあつうぬぼれないであんたじゃないよ声出させてるのはあんたは私の道具よわるいけどこんなことやめたいあんたとビール飲んでるほうがいいバカ話してるほうがいいでもいいこれいいボランティアはいいことだよねだから私たち学校休んでこんな所まで来てるんだよねでもこのほうがずっといいどうして苦しいよ私嬉しいけどつらいよあ何がいいんだなんてきかないで意味なんてないよあんたに言ってるんじゃない返事なんかしないで声はからっぽだよこの星空みたいにもういやだああねえあれつけて未来なんて考えられない考えたくない私ひとりっきりなんだもの今泣くなっていわれても泣いちゃうあああああいい「夜のミッキー・マウス」(新潮文庫) さすが、谷川俊太郎、やるもんですね。もちろんこの詩を「女性スタッフ」にすすめたり授業で取り上げる「勇気」はぼくにはありません。でも、悪くないと思うのですがいかがでしょう。(笑)
2021.09.07
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「旧年中はご無沙汰しておりましたジジとキキでございます。」バカ猫百態 2022年 その1 新年あけましておめでとうございます。 昨年のお正月のあいさつからご無沙汰しておりましたが、二人(?)とも元気に暮らしております。 ぼくがジジくんです。こうやってるとちょっと凛々しいでしょ。なんちゅうか、だんだん人間とかに似てきている気がしますが、ほんとは平和ボケです。獲物を追わない生活ですから仕方ありません。 あたいがキキちゃんです。一生寝てたい猫です。どっちかというと高みの見物タイプです。 結局、寝てるのがいちばん好きです。太り過ぎを危惧する声も聞こえてきますが、気にしてません。 同じ所にいても、ぼくは気になっちゃうんです。周りの喧騒が。太り過ぎはキキと一緒です。あんまり気にしてません。寝てらればいいんです。 時々二人で遊びますが、結局寝てしまいます。 まあ、こうなってしまいますね。何はともあれ今年もよろしくお願いいたします。 「ねえ、寝苦しいから、ちょっとそっち行ってよ」 久しぶりにヤサイクンからジジとキキの写真が届きました。二人はキキちゃんが姉でジジくんが弟です。今年は、もう少し登場していただくつもりです。よろしくね。ボタン押してね!
2022.01.20
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「生きる」谷川俊太郎:「谷川俊太郎詩集 続」(思潮社) 「生きる」 谷川俊太郎生きているということいま生きているということそれはのどがかわくということ木もれ陽がまぶしいということふっと或るメロディを思い出すということくしゃみすることあなたと手をつなぐこと生きているということいま生きているということそれはミニスカートそれはプラネタリウムそれはヨハン・シュトラウスそれはピカソそれはアルプスすべての美しいものに出会うということそしてかくされた悪を注意深くこばむこと 生きているということいま生きているということ泣けるということ笑えるということ怒れるということ自由ということ生きているということいま生きているということいま遠くで犬が吠えるということいま地球が廻っているということいまどこかで産声があがるということいまどこかで兵士が傷つくということいまぶらんこがゆれているということいまいまが過ぎてゆくこと生きているということいま生きているということ鳥ははばたくということ海はとどろくということかたつむりははうということ人は愛するということあなたの手のぬくみいのちということ (詩集『うつむく青年』1971年刊) 装幀家の菊地信義の「装幀の余白から」(白水社)というエッセイ集を読んでいると、谷川俊太郎の「生きる」という詩の最初の4行が出て来て、さて、残りはどうだったかと書棚から探し、ページをくっていると、いろいろ思い出した。 この詩は、ぼくが学生の頃にすでに書かれていて、「うつむく青年」という詩集に入っていたらしいが、発表された当初には気づかなかった。そのころぼくは詩集「定義」の中に収められているような詩に気を取られていた。 一緒に暮らすようになった女性が持っていた、上に写真を乗せた詩集「谷川俊太郎詩集 続」(思潮社)は900ページを超える、分厚さでいえば5センチもありそうな本だが、この詩、「生きる」のページには、学生時代の彼女の字体で、あれこれ書き込みがしてあった。今でも残っている書き込みを見ながら、実習生として子供たちを相手にこの詩を読んでいる彼女の姿を思い浮かべてみる。 我が家の子どもたちが小学校へ通うようになった頃、この詩は教室で声を合わせて読まれていた。詩であれ歌であれ、様々な読み方があることに異論はないが、声を合わせて読み上げられるこの詩のことばに違和感を感じた記憶が浮かんでくる。 今、こんなふうに書き写していると、「働く」ということをやめてから、さしたる目的もなく歩いている時の、のどが渇き、日射しが眩しい瞬間が思い浮かんでくる。 一緒に詩のことばの異様なリアリティが沸き上がってくる。記憶の中に残っていた子供たちの声の響きが消えている。公園の垂直に静止したブランコに、ふと気を留めながら、のどの渇きに立ちどまる。誰も乗っていないブランコのそばにボンヤリ立っている老人がいる。その老人がぼくなのか、別の誰かなのかわからない。でも、その老人を肯定する響きがたしかに聞こえてくる。いま遠くで犬が吠えるということ 三十代でこの詩を書いた詩人のすごさにことばを失う。 追記2020・03・03菊地信義「装幀の余白から」(白水社)の感想はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.03.03
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山形梢 編「六甲のふもと 百年の詩人」(ほらあな堂)松のある岩山のいただき近く仰げば雲の湧くつかみ取れそうな空の青さ、 八木重吉 このブログでは「小枝ちゃん」と呼ばせていただいている、お友達の山形梢さんが、一才になったばかりのおちびちゃんと暮らしながら、小さな詩集を作りました。 大正時代の詩人「八木重吉」の神戸時代の詩を集めたアンソロジー詩集です。装丁からすべて手作りで、20篇余りの詩と、詩人の神戸での足跡が紹介されています。 裏表紙はこんな感じです。 表紙から裏表紙を飾っている、六甲の山並みを感じさせる版画も「小枝ちゃん」の作品です。 30ページ足らずの「小さな本」ですが、編集者山形梢の最初の一歩。さわやかでりりしい本です。みづがひとつのみちをみいでて河となってながれてゆくようにわたしのこころもじざいなるみちをみいでてうつくしくながれてゆきたい 66歳のシマクマ君にとっては、八木重吉は思い出の詩人です。久しぶりに読み返しながら、「小枝ちゃん」と「フクロウくん」に「いずみ」と名付けられ、ようやく一歳のお誕生日を迎えたばかりのおチビさんの「こころ」が、「うつくしくながれ」続けることを祈っている本だと思いました。追記2021・05・21「小枝ちゃん」がこの詩集の続編を作りました。感想を書いています。覗いてみてください。山形梢 編「赤ちゃんと百年の詩人 八木重吉の詩 神戸・育児編」(ほらあな堂) |追記2020・10・05「小枝ちゃん」と「フクロウくん」と出会うために、久しぶりに六甲道辺りを歩きました。 灘区の区役所がこんなところに移転していたことさえ知らなかったのですが、新しくオープンしたらしい小さな絵本屋さんに連れて行っていただきました。 「えほんのトコロ」という喫茶店を兼ねたお店でした。お店の中に展示されている「絵本」を自由に手に取ることができるようです。子どもたちのスペースもあります。始めたばかりのようですが、うまくいくといいですね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.10.06
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小林まこと「JJM女子柔道部物語 社会人編01」(EVENING KC 講談社) 久々に届きました。トラキチクンの2024年6月のマンガ便です。小林まこと「JJM女子柔道部物語」(講談社)の「社会人編」開幕!です。 第1話から第8話まで、高校生活最後のおバカシーンが満載です。で、いよいよ登場したのが、この方、柔ちゃんですね。 中学生選手として彗星のように現れて、やがて世界王者として一つの時代を作った、あの田村亮子さんがモデルです。1990年のことですが、テレビを見ているカムイ南高校の二瓶さんは、中学時代のヤワラちゃんと戦って、ぶん投げられていたんですね。このマンガに、そのシーンがあったのかどうか、まったく覚えていませんが、要するにその時代のことですね。 で、エモちゃんたちがカムイ南高校を卒業し、大学生、社会人として巣立っていったのが1991年の3月だったわけです。 エモちゃんは「音羽海上」という会社に就職が決まって、いよいよ上京するというのが第9話です。 全日本から世界へ向けての活躍がいよいよ始まりますが、親一人子一人で育てて来られたお母さんは、涙を隠してのお別れです。でも、まあ、当のエモちゃんは・・・(笑)。 第2巻、楽しみですね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.24
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「高倉台の夕焼け!ピンボケ(笑)」 徘徊日記 2024年11月14日(木)須磨・高倉台あたり 週に一度だけのお仕事が終わって、校舎から出てくると夕焼けです。帰りを急ぐ女子大生さんも立ち止まって見上げていました。 もっとも、写真はピンボケです(笑)。 先々週は、ここに鞄を置き忘れました。この日は教卓に老眼鏡を忘れていることにも気づかず空を見上げてため息をついていました。「おおー、・・・」夕焼けが、やけに身にしみる年になりましたね(笑)夕焼うつくしく今日一日はつつましく 種田山頭火 さすが、山頭火ですね。何もいうことはありませんね(笑)にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.18
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谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(青土社) 1975年、ぼくは大学1年生だったか、2年生だったか?大学生協の書籍部の棚にこの詩集が並んでいたことを覚えています。 価格の900円が高かったですね。書籍部の書棚の前に立って、棚から抜き出して立ち読みしました。 芝生そして私はいつかどこかから来て不意にこの芝生の上に立っていたなすべきことはすべて私の細胞が記憶していただから私は人間の形をし幸せについて語りさえしたのだ 巻頭の、この詩を読んで、自分から、なんだか限りなく遠い人が立っているような気がしたのを覚えています。 それから45年たちました。先日、同居人の書棚にある詩集を見つけ出して、そのまま書棚の前に座り込んで初めて読む詩のように読み始めました。 2 武満徹に飲んでいるんだろうね今夜もどこかで氷がグラスにあたる音が聞こえるきみはよく喋り時にふっと黙り込むんだろぼくらの苦しみのわけはひとつなのにそれをまぎらわす方法は別々だなきみは女房をなぐるかい? 4 谷川知子にきみが怒るのも無理はないさぼくはいちばん醜いぼくを愛せと言ってるしかもしらふでにっちもさっちもいかないんだよぼくにもきっとエディプスみたいなカタルシスが必要なんだそのあとうまく生き残れさえすればねめくらにもならずに合唱隊は何て歌ってくれるだろうかきっとエディプスコンプレックスだなんて声をそろえてわめくんだろうなそれも一理あるさ解釈ってのはいつも一手おくれてるけどぼくがほんとに欲しいのは実は不合理きわまる神託のほうなんだ 谷川俊太郎も若かったんだなあ。というのがまず第一番目の感想ですね。「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」と題された詩篇は、全部で14あります。二つ目に「小田実に」とあるのが、なんだか不思議な感じがしましたが、どの詩も、印象は、少し陰気です。 14 金関寿夫にぼくは自分にとてもデリケートな手術しなきゃなんないって歌ったのはベリマンでしたっけ自殺したうろ覚えですが他の何もかもと同じようにさらけ出そうとするんですがさらけ出した瞬間に別物になってしまいますたいようにさらされた吸血鬼といったところ魂の中の言葉は空気にふれた言葉とは似ても似つかぬもののようですおぼえがありませんか絶句したときの身の充実できればのべつ絶句していたいでなければ単に啞然としているだけでもいい指にきれいな指環なんかはめて我を忘れて1972年五月某夜、半ば即興的に鉛筆書き、同六月二六日、パルコパロールにて音読。同八月、活字による記録お呼び大量頒布に同意。 気にとまった作品を書きあげてみましたが、あくまでも気にとまったということです。それぞれに、刺さって来る一行があるのですね。 四歳年下の同居人が、大学生になってすぐに購入していることに、今更ながらですが、驚いています。この詩人の作品を愛していた彼女に、ぼくとの生活について問い直すことは、やはり、今でも、少し怖ろしいですね。
2020.12.20
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100days100bookcovers no60 60日目 アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』 福島正実訳 ハヤカワ文庫 KOBAYASIさんが選んだ村山斉著『宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎』は、以前読みました。しかとはわからないながら、「読んでいる間はずっとわくわくしていた。妙な『高揚感』みたいなものがあった。」 とKOBAYASIさんが書かれていたのに同感です。 それにしても、SODEOKAさんの寺田寅彦の『柿の種』にこの本を付けるというのはいいなあ。引っ付けすぎないでつながっている感じ。私もこんなふうにあっさりと付けたいと考えているのですが……。無理。 実は、KOBAYASIさんの選んだ本の題名を見た時から「オッ!待ってました。」 と付き過ぎの本が2冊すぐに浮かんできました。野暮は避けたくて頭を冷まそうとしたのですが……。もはやこの本以外には思いつきません。 『幼年期の終わり』アーサー・チャールズ・クラーク作 福島正実訳 ハヤカワ文庫SF 『幼年期の終わり』アーサー・チャールズ・クラーク作 池田真紀子訳 光文社古典新訳文庫 (もう一冊の方は、 もっと付き過ぎになってしまいますので、また別の機会に。) この有名な作品を今まで読んだことがなくて、この正月休みに初めて読みました。SFは中年以降読めなくなってました。文字だけで理解するのが難しくなって、もっぱら絵柄のすぐ出る映画だけになってしまっていました。でも、おととし世界的大ヒットの劉慈欣の『三体』を読んでから、また気になりだしました。ケン・リュウやらテッド・チャンやSF関連の話をググっていたら「今あるSFの作品の元ネタはほとんど『幼年期の終わり』にあるから、これはぜひよむべき。」とのコメントに出くわし、珍しく素直に図書館にあった池田真紀子訳、光文社古典新訳文庫を読んだという次第。今頃、この歳で、やっと読みました。 必読のSFと言われるのに納得。今まで見てきた宇宙や怪獣ものの映画の発想や絵柄はこの本にあったんですね。(『2001年 宇宙の旅』も『インディペンス・デイ』も『ゴジラ ファイナルウォーズ』も)おかげでそのあともSFクラシック小説を借りてきたり、YouTubeでSF作家会議を視聴したりの毎日です。covid-19パンデミックのせいで現実がまるでSFのようですが、もっと大きな空想世界に浸っています。 作者アーサー・チャールズ・クラーク(Arthur Charles Clarke、1917年12月16日 - 2008年3月19日)は、イギリス出身。1950年代から1970年代にはロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍した。 “CHILDHOOD’S END”を1953年に発表しているが、現実世界の状況変化に応じて、技術変化や歴史の事実に合わせて書き直したり、あるいは元の版に戻したりと何度か改稿している。ただし根本的な書き直しはほとんどしていない。 日本語への翻訳は文庫本では現在3種類ある。一応全部見ました。解説もどれもよかった。1 福島正実訳がハヤカワ文庫から1964年と1979年に刊行。解説/福島正実2 『地球幼年期の終わり』という題で沼沢洽治訳が創元推理文庫から1969年に刊行。解説/渡邊利道3 池田真紀子訳が光文社古典新訳文庫から、2007年に刊行。解説/巽孝之 1、2のハヤカワ文庫と創元文庫の場合、米ソ冷戦でロケット打ち上げ競争が熾烈な頃、3は冷戦後、国際合同宇宙開発の時代。 ある日、「大きな宇宙船の一群が未知の宇宙の深淵の彼方からひたひたと押し寄せてき」て、「ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワ、ローマ、ケープタウン、東京、キャンベラなど」の大都市のちょうど真上に微動だにせず静止し続け、人間を震え上がらせる。人間は彼らの圧倒的知性の証である宇宙船を見てまったく勝ち目がないので、つまらない宇宙開発競争をあきらめざるを得ない。彼らは何もしないがずっと上空にいて人間を監視し、国家間紛争も、人種差別も、動物虐待もなくさせる。逆らったときには、その地域の太陽が30分間消滅させられたりする。 このような人間にはなしえない物理学の能力を見せつけて、腕力は振るわずに人間を自ら従わせるオーバーロード(主上)となる。人間界では宗教的対立どころか宗教そのものもほとんど意味を持たなくなり、多数派はオーバーロードの統治に満足するようになる。 ただ一つ人間が引っかかっているのは彼らがいつまでもその姿を見せないこと。自分たちをすっかり安心させ油断させたあげくに地球を乗っ取ろうとするのではないかという疑いはどうしても捨てきれない。しかし、オーバーロードは「自分たちの姿を見せられるほど、人間の知性は高くない。いつか姿を見せられるときはくるが、今はまだそのときではない。」と寂しげに言うのみ。 それから50年後、やっとオーバーロードは姿を現す。角と三角槍が先についたしっぽを持つ悪魔の姿そのもの。(姿はちがうけれど、『未知との遭遇』の宇宙人登場シーンもイメージが重なる?)でも、その時には人間は彼らの良き統治に慣れていて、もはやさほど驚きはしない。その後数世代は平和と安定と繁栄の黄金時代が続く。その間人間は宇宙開発はあきらめるが、今まであった科学技術を洗練させて人類に平等にいきわたらせるようにするし、オーバーロードはそれを見守り(監視)続ける。 オーバーロードの統治のおかげで(?)核戦争など自ら破滅する道を逃れることができ、安定した人類は、やがて大きく変化するときがやってきた。10歳以下の子どもたちすべてが超能力を持ち、次第に今までの人類の記憶をすっかりなくしてゆく。親たちは自分の子が自分の子でなくなっていく運命をなすすべもなく受け入れるしかない。 子の世代を失うというのはつまり自分の未来を失っていくことだから、希望を失い人類はやがて消えていく。世界中の数億人の新しい子どもたちは意識の底では一つの統合体となり、銀河系の外の夢を見るようになり、親と離れて集合するようになる。細胞の一つ一つのように同じような顔をして、食べず、眠らずに一定の動きをするようになる。新しい力を得た彼らは月を回転させて遊ぶことも太陽をおもちゃにすることもある。 これでやっとオーバーロードが地球に来た目的が達成される。彼らが地球に来たのは自らの自由意思ではなくて、その上にいるオーバーマインドの指示だった。オーバーロードはオーバーマインドの単なる手足に過ぎず、逆らうことはできない。オーバーマインドは宇宙全体から超物理的力(神秘的とか、心霊的とか)をもつ種族がいる星を観察し、可能性があればオーバーロードを派遣し戦争や環境破壊などで自滅しないように、順調に超進化するように、栽培、庇護、観察させ、もしうまく超進化することができれば、そのときにはその星やその種族を吸収する。そして今、新しい段階に達した人類もオーバーマインドに吸収されていく。 最後に、地球の黄金時代にただ一人、オーバーロードの宇宙船で40光年先にある星に密航した若者がいる。彼が地球に帰還してからオーバーロードの秘密も説き明かされる。 人間にとってオーバーロードの姿が恐怖と邪悪の象徴(悪魔)とされるのは、有史以前に彼らとの忌まわしい出会いがあったのではなく、地球人類が終焉のときに居合わせた彼らのことを「過去の記憶ではなく未来の記憶」として持っていたのだと。人間にとっての予兆を記憶として持っていたのだと。この解き明かしはゾクゾクしました。 そして、この若者は最後の人間として、地球の最期を見届けるんですが、このシーンは映像で見たいところです。新しい子どもたちだったものは物質ではなくなりオーバーマインドの一部となっていくと同時に、地球も溶解して最後にエネルギーを一挙に吐き出して消滅する。大きな火柱が立ち、嵐も地震もオーロラも見える。マーベル映画で「ハルマゲドン」としてよくやってるような気もしますが。 最後は、オーバーロード目線です。地球を去りまた新たな使命のために遠くの星をめざしているオーバーロードの姿と心情が語られています。 構想が壮大で、久しぶりにこんな大きな小説を読んだなあという気がします。現在の宇宙物理学では確認することはできないけれど、「物質」としての性質を持つ「ダークマター」と、「物質」ではないけれど「ある」と措定しなければつじつまのあわない「ダークエネルギー」は、この小説の中の「物理学」のルールに縛られている「オーバーロード」と、「超物理学的」で宇宙に遍在し、最終的に吸収する「オーバーマインド」に相当するんじゃないかしらと想像したりもしました。 登場人物造形とか語り方とかでは物足りないと思う方もいるかもしれませんが、文体よりもプロットの面白さに先に惹かれる方なので、いやーめっちゃ面白かったです。皆さんはすでにお読みだと思いますが、また想い出してみてください。 まだしっかり理解できていなくて、うまくまとめられませんでした。SIMAKUMAさん、おあとをよろしくお願いします。(E・DEGUTI・2021・01・23)追記2024・04・01 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2021.09.02
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「銀杏並木が、今、見頃ですよ!」 徘徊日記 2023年11月21日(火) 朝霧あたり 季節が季節なので、黄葉の話ばっかりです(笑)。とりあえず、黄色くなった葉っぱの話が続きます。ここはJR朝霧駅の山手、北向きに行くと神陵台から伊川谷に向かう道路のイチョウ並木です。 右が神戸市垂水区狩口台、左が明石市松ヶ丘です。 神戸市の垂水あたりの、まあ、舞子あたりのともいえますが、山手、地下鉄の学園都市という駅とJRの垂水駅、舞子駅の中間に住んでいますから、明石の図書館とかに行くときには通る道の一つです。素晴らしい黄葉並木ですね。 こうやって、写真を撮っても、誰も人が写らないのが、まあ、何というか、このあたりの町の特徴です。50年ほど前には明舞団地の東の一角で、名を知られていた街ですが、今はお年寄りの町です。 今日は、お天気が良いので並木が、余計に美しいですね。まだ、緑が残っている木もありますが、おおむね黄葉しています。一本、一本、とても風情があるので、一本、一本写真を撮ればいいのですが、実は原付、スーパー・カブ号で明石に行った帰り道なので、所々ということになります(笑)。 狩口台の団地です。多分、植えられたころから、並木の世話が丁寧だったんでしょうね。 いかがでしょうかね、イチョウの並木は、兵庫区とか、長田区、まあ、あちらこちらにありますが、これだけ樹木の高さが揃っていて、葉っぱが茂っている並木には、なかなか出会えませんね。 見上げると、やはり見事なものです。お暇な方は、一度、歩かれたらいいんじゃないかなあ、という気持ちです。まあ、他には何もありませんが、南に下ると朝霧駅あたりから明石の海と明石大橋を眺めることはできますよ(笑)。ボタン押してね!
2023.11.24
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羽海野チカ「3月のライオン(15巻)」(白泉社) 14巻まで読んで、待つこと二ケ月、羽海野チカ「3月のライオン(15巻)」(白泉社)12月に発売されましたよ。 これが最新刊の最初のページです。少女マンガですねえ。ホント。それで、最後のページがこれです。 月島でもんじゃ焼きを食べて、みんなで歩いて帰る様子です。おそらく墨田川にそった遊歩道で、向こうに見えるタワーマンションなんかは、東京の人にはわかる風景なんでしょうね。 ぼくには2019年夏の、東京お出かけ徘徊で「歩いたことがある」ような気がする風景なのがうれしいシーンでした。 このマンガが出た頃、12月の末に「ハッピーアワー」という映画を観ましたが、あれは「神戸」が舞台で、六甲山、三宮、東灘の山沿い、ポート・アイランド、多分、芦屋川、ああ、それから有馬温泉、暮らして、馴染んでいる町の実景がスクリーンの上に物語の場所として映し出されるのは、馬鹿みたいに思われるかもしれませんが、ちょっと違った感じがしますね。 地下道を歩いていて、外に出ると、いつもの場所なのに、ちがったところに出てきたような感じがすることがありますが、あんな印象でした。 このマンガも、将棋の世界を描いているのですが、主人公の「零くん」や、お人形さんのような絵で描かれていますが高校生になった「ヒナちゃん」の淡々しい心のさまを読者の印象に刻み込みながら、彼らが住んでいる町が、ふと、東京のどこかにあると感じさせるところが肝なんじゃないかと思います。 それにしても、うーん、ヤッパリ少女マンガですね。 映画「ハッピーアワー」の感想はここをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.01.05
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リー・ルイジュン「小さき麦の花」シネ・リーブル神戸 どうも、土間という感じの室内のようですが、土壁に四角い穴が開いていて、そこから30秒間隔くらいで土(?)が放り出されてきます。映画を観終えた後も、このシーンが浮かんできます。そんなシーンで映画が始まりました。 リー・ルイジュン監督の「小さき麦の花」です。 原題は「隠入塵煙」で、英語の題が「Return to Dust」ですから、「土埃の中に消えていく」というニュアンスでしょうね。邦題の「小さき麦の花」は寡黙この上ない貧しい夫婦である有鉄ヨウティエ(ウー・レンリン)と貴英クイイン(ハイ・チン)の二人の間で、唯一、情愛の表現として映し出されるシーンに由来しているようです。 もう、40代なのではないかと見える、まあ、実に貧相で時代についていけない男である有鉄(ヨウティエ)と「体は悪いし、子供も産めない」貴英(クイイン)という女性の結婚話が物語の発端でした。 舞台は甘粛省の農村のようですから、中国の西の果て、もうそのあたりから砂漠が始まっている農村でのお話です。 それぞれの家の厄介者が片付くという周囲の思惑で二人は一緒になります。二人の結婚をからかうものはいますが、きちんと祝福するものは誰もいません。 男は女を連れて、「これが墓なのか!?」 と,あらためてスクリーンを見直してしまうような、砂漠の真ん中に少し大きめの石が置かれている家族の墓に結婚を報告し、紙のお金(纸钱 zhǐqián)を燃やして祈ります。二人は、離農の結果でしょうか、点在するあばら家のような空き家に暮らし始めます。ロバと男と女の話でした。ちなみに、上に書いた最初のシーンは男がロバの小屋(部屋?)の敷き藁を掃除しているシーンでした。 で、二人の生活なのですが、所謂、初夜の夜、女が「オネショ」をして呆然としてるシーンから始まりました。男は知らんふりで起き上がり、小屋の外に出て、帰ってきて、また向こうを向いて眠ったようです。「なんなんだ!?」 やがて、畑を耕し、借りてきた麦の種を撒き、これまた借りてきた卵を孵化させ、包子を蒸し、という二人の暮らしが映し出されていきます。美しく貧しい生活です。 農村振興政策とかで、二人は住んでいる空き家を追い出されます。空き家の所有者が、空き家を処分すれば金が出るらしいのです。町に住んでいた空き家の持ち主がやって来て、二人を追い立てます。で、住んでいた家を失うことになった男は土レンガ作りはじめます。泥土を練って、型に入れて地面に並べ干すだけのレンガです。二人が暮らす家を作るつもりのようです。嵐の夜、二人して干してあったレンガを身を挺して守ります。 やがて、新居は出来上がります。一頭のロバと数羽の鶏と数匹の豚が財産です。畑には、穂をつけた麦、トウモロコシ、そして日々の野菜が育っています。軒下からはツバメが巣立ち、雨樋がわりの空きビンが美しい音を響かせます。裸電球の電灯と懐中電灯以外、電気製品はありません。BMWを乗りまわす若い奴がいて、スマホもテレビもある現代の話です。 暮らしが生活の姿をし始めたある日、男が女に言います。「トウモロコシが売れたら、町の病院で診てもらおう。」「生まれてから今日まで、一度も町には行ったことがないのよ。」 女の、恥ずかしそうな笑顔が二人の生活のクライマックスでした。。 映画はここでは終わりませんでした。終わっていれば、清く、貧しく、美しい、いつかの時代にあったかもしれない「愛」が描かれていた映画として記憶に残ったと思います。 ここから映し出されたラストシーンまでの30分間ほどの映像の中に、監督リー・ルイジュン李睿珺の現実認識が凝縮されていました。 ネタバレになりますが書いておこうと思います。 二人が話し合った翌日でしょうか、女が水路に落ちて亡くなります。男は女をあの墓に一人で葬り、村の人に借りていた卵や麦のお金を支払って回り、あらゆる場面で男を助けたロバを砂漠に放ち、新築した家をブルドーザーが壊していくシーンとともにスクリーンから消えてしまいます。 女の死は水路に落ちるという事故によるものでしたが、その結果、男が投げ出されたのは、まさに、役立たずの二人が、泥にまみれて支え合うことで、初めて手に入れたはずの大切なものが土埃の中に消えてしまった場所でした。そして、それが、とりもなおさず私たちが生きているこの世界だということを突き付けて映画は終わりました。 観終えたぼくは、原題「隠入塵煙」が「Return to Dust」と英訳してあったことにようやく納得がいくのですが、男はどこに消えたのでしょう。あるいは、私たちはどこに行こうとしているのでしょうね。 中国ではこの監督に、今後、映画を撮ること禁じたそうです。甘粛省の観客が「我々はこんなに貧しくない」 と抗議したからという理由だそうですが、現代中国に限らず、現代の資本主義が徹底して破壊し、隠蔽している本来の豊かさを映し出したこの映画を権力者たちが禁じるのは、ある意味で当然だと思いました。 一万数千元の「農村振興費」を手に、男はどこへ行ったのでしょう。粗削りなストーリー展開ではあるのですが、静かに胸をかきむしられるという不思議な感慨を刻み付けらた作品でした。 貧しい夫婦を演じたウー・レンリン(マー・ヨウティ農夫)とハイ・チン(ツァオ・クイイン 妻)に拍手!。今頃、きっと砂漠をウロウロしているロバ君に拍手!。監督リー・ルイジュン李睿珺に拍手!。そして、美しく貧しい農村の風景に拍手!でした。 マア、なんというか、こういう映画がぼくは好きですね(笑)。リー・ルイジュンが次に、どこで、どんな作品を撮るのか、いや、撮れるのか、心配ですが、期待しますね。監督 リー・ルイジュン李睿珺脚本 リー・ルイジュン撮影 ワン・ウェイホア美術 リー・ルイジュン ハン・ターハイ編集 リー・ルイジュン音楽 ペイマン・ヤザニアンキャストウー・レンリン(マー・ヨウティ農夫)ハイ・チン(ツァオ・クイイン 妻)ヤン・クアンルイ(チャン・ヨンフーの息子)2022年・133分・G・中国原題「隠入塵煙」「Return to Dust」2023・03・03-no031・シネ・リーブル神戸no175
2023.03.14
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高村光太郎「レモン哀歌」「智恵子抄」(新潮文庫)より 十代の終わりから、二十代の初め、詩と出会い、読みはじめる。そういう体験は、今の若い人たちにもあるのだろうか。 「智恵子抄」の高村光太郎、「春と修羅」の宮沢賢治、「在りし日の歌」の中原中也。やがて、「わがひとに与ふる哀歌」の伊東静雄を知り、「荒地」派の詩人たちを知る。それが十代から二十代前半への、精神の成長のあかしのように思っていたころがある。1970年代初頭の高校生の「青春」だった。 レモン哀歌 高村光太郎 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた かなしく白くあかるい死の床で わたしの手からとつた一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズいろの香気が立つ その数滴の天のものなるレモンの汁は ぱつとあなたの意識を正常にした あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ わたしの手を握るあなたの力の健康さよ あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが かういふ命の瀬戸ぎはに 智恵子はもとの智恵子となり 生涯の愛を一瞬にかたむけた それからひと時 昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まつた 写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光るレモンを今日も置かう こんな詩句をこっそり口ずさんでいた少年は、やがて、四畳半の下宿の天井に貼り付けた詩句を呪文のように繰り返しながら、四年で出られる学校に八年も在籍する、怠惰で無為な青年になる。 ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでいる 街は喧騒と無関係によってぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちょうどぼくがはいるにふさわしいビルディングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お袂れだ(吉本隆明「廃人の歌」部分) ようやくもぐりこんだ、海の見える丘の上にあるキャンパスは明るい廃墟のようだった。神戸製鋼所の溶鉱炉が深夜になっても赤い炎を立ち昇らせていた。 生協の書籍部に積み上げられた「構造と力」、「チベットのモーツアルト」、「映像の召還」。みんな眩しかった。40年近く過去の出来事になった。 今でも、こんな詩を読む人はいるのだろうか。丘の上で大きく一つ深呼吸して、もう一度読みはじめるのも、悪くないのではないだろうか。(S)2019・07・11追記2022・04・26 半世紀前に出会った詩や小説を読み直そうかと思っています。「読む」というよりも「書く」、一つずつ手で書き写してみようかと。思い出をたどりたいわけではありません。なにか、新しいことが起きないか、そんな気持ちです。 新しく目の前にやって来る作品群についていけない抵抗感の由来が知りたいという思い付きもあります。さあ、どうなることでしょう。にほんブログ村ボタン押してね!レモン哀歌 高村光太郎詩集 (集英社文庫) [ 高村光太郎 ]今はこんな装丁なんです。【送料無料】 智恵子抄 詩集 愛蔵版詩集シリーズ / 高村光太郎 【本】こういう、単行本もあるんだ。
2019.07.11
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レイモンド・ブリッグス「風が吹くとき」あすなろ書房「エセルとアーネスト」というアニメーション映画に感動して、知ってはいたのですが読んではいなかったレイモンド・ブリッグスの絵本を順番に読んでいます。今日は「風が吹くとき」です。こういう時に図書館は便利ですね。 彼の絵本は「絵」の雰囲気とか、マンガ的なコマ割りで描かれいる小さなシーンの連続の面白さが独特だと思うのですが、ボクのような老眼鏡の人には少々つらいかもしれませんね。 仕事を定年で退職したジムと妻のヒルダという老夫婦のお話しで、彼らは数十年間真面目に過ごしてきた日々の生活を今日も暮らしています。「ただいま」「おかえりなさい」「町はいかがでした?」「まあまあだな。この年になりゃ、毎日がまあまあだよ。」「退職したあとはそんなもんですよ」 こんな調子で、物語は始まります。妻ヒルダのこの一言のあと、無言で窓から外を眺めながらたたずむ夫ジムの姿が描かれています。 小さなコマの中の小さな絵です。で、ぼくはハマりました。当然ですよね、このシーンは、ぼく自身の毎日の生活そのものだからです。このシーンには「普通」に暮らしてきた男の万感がこもっていると読むのは思い入れしすぎでしょうか。 「核戦争」が勃発した今日も、二人はいつものように暮らし続けています。そして・・・。という設定で評判にになった絵本なのですが、読みどころは「普通の人々」の描き方だとぼくは思いました。 例えば妻の名前ヒルダは、読んでいてもなかなか出てきません。彼女は夫に「ジム」と呼びかけますが、ジムは「あなた」と呼ぶんです、英語ならYOUなんでしょうね、妻のことを。そのあたりのうまさは絶品ですね。 物語の展開と結末はお読みいただくほかはないのですが、最後のページはこうなっています。これだけご覧になってもネタバレにはならないでしょう。 「その夜」、二人はなかよく寝床にもぐりこみます。そして、たどたどしくお祈りします。イギリスのワーキング・クラスの老夫婦のリアリティですね。ユーモアに哀しさが込められた台詞のやり取りです。「お祈りしましょうか」「お祈り?」「ええ」「だれに祈るんだ?」「そりゃあ・・・神様よ」「そうか・・・まあ・・・それが正しいことだと思うんならな…」「べつに害はないでしょう」「よし、じゃあ始めるぞ…」「拝啓 いやちがった」「はじめはどうだっけ?」「ああ…神様」「いにしえにわれらを助けたまいし」「そうそう!つづけて」「全能にして慈悲深い父にして…えーと」「そうよ」「万人に愛されたもう…」「われらは・・・えーっと」「主のみもとに集い」「われは災いをおそれじ、なんじの笞(しもと)、なんじの杖。われをなぐさむえーっとわれを緑の野に伏せさせ給え」「これ以上思い出せないな」「よかったわよ。緑の野にっていうとこ、すてきだったわ」 「エセルとアーネスト」でレイモンド・ブリッグスが描いていたのは、彼の両親の「何でもない人生」だったのですが、ここにも「何でもない」一組の夫婦の人生が描かれていて、今日はいつもにもまして、まじめに神への祈りを唱えています。 明日、朝が来るのかどうか、しかし、この夜も「普通」の生活は続きます。 ここがこの絵本の、「エセルとアーネスト」に共通する「凄さ」だと思います。この「凄さ」を描くのは至難の業ではないでしょうか。自分たちの生活の外から吹いてくる「風」に滅ぼされる「普通の生活」が、かなり悲惨な様子で描かれています。しかし、この絵本には「風」に立ち向かう、穏やかで、揺るがない闘志が漲っているのです。 この絵本はブラック・コメディでも絶望の書でもありません。人間が人間として生きていくための真っ当な「生活」の美しさを希望の書として描いているとぼくは思いました。 今まさに、私たちの「普通」の生活に対して「風」が吹き荒れ始めています。「風」はウィルスの姿をしているようですが、「人間の生活」に吹き付ける「風」を起しているのは「人間」自身なのではないでしょうか。ブリッグスはこの絵本で「核戦争」という「風」を吹かせているのですが、「人間」自身の仕業に対する厳しい目によって描かれています。今のような世相の中であろうがなかろうが、大人たちにこそ、読まれるべき絵本だと思いました。追記2020・04・10 「エセルとアーネスト」の感想はこちらから。追記2022・05・17 2年前にこの絵本を読んだ時には「新型インフルエンザ」の蔓延が、普通の生活をしている人々にふきるける「風」だと案内しました。世間知らずということだったのかもしれませんが、今や、絵本が描いている「核戦争」の「風」が、現実味を帯びて吹き始めているようです。 「戦争をしない」ことを憲法に謳っていることは、戦争を仕掛けられないということではないというのが「核武装」を煽り始めた人々の言い草のようですが、「核兵器」を持つ事で何をしようというのか、ぼくにはよくわかりません。「戦争をしない」ことを武器にした外交関係を探る以外に、「戦争をしない」人の普通の暮らしは成り立たないのではないでしょうか。 追記2024・08・04アニメの「風が吹くとき」を見ました。1986年に作られたアニメの日本語版でした。絵本よりもきついです。感想をブログに載せました。上の題名をクリックしてくださいね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!ボタン押してね!【国内盤DVD】【ネコポス送料無料】エセルとアーネスト ふたりの物語【D2020/5/8発売】
2020.04.11
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谷川俊太郎・瀬川康夫「ことばあそびうた また」(福音館書店) 谷川俊太郎さんの「ことばあそびうた」を案内しましたが、ヤッパリ、「ことばあそびうた また」(福音館書店)も、もののついでということで、いや、ことのついでが正しいか?少し、ご「案内」しようかと思います。 こっちの表紙は、表も裏も、ご覧の通り「かえるくん」が大集合です。もちろん瀬川康夫さんの絵ですが、残念ながら、瀬川さんは、もう、この世の方ではありません。 松谷みよ子さんの「いない いない ばあ」(童心社)という、チョー有名な絵本の画家さんといえば、「ああ あのくまさんの」とお気づきになるでしょうか。 エエっとあったはずなんですが。ないですねえ。ああ、これです、これです。 はじめておうちに赤ん坊がやってきて、はじめてよんであげて、はじめて笑ってもらった本だったような気もします。 松谷みよ子さんも、5年ほど前に亡くなっていらっしゃるようです。お世話になりましたね。 で、「ことばあそび また」の「かえるくん」ですね。 かえる 谷川俊太郎かえるかえるはみちまちがえるむかえるかえるはひっくりかえるきのぼりかえるはきをとりかえるとのさまがえるはかえるもかえるかあさんがえるはこがえるかかえるとうさんがえるはいつかえる 父さんガエルさんがどのあたりをうろついていいらっしゃるのかといいますと、この辺りのようですね。 このへん 谷川俊太郎このへんどのへんひゃくまんべんたちしょんべんはあきまへんこのへんどのへんミュンヘンぺんぺんぐさもはえまへんこのへんなにへんてんでよめへんわからへん 今夜も、おとうさん、どうも、帰っていらっしゃらないようですね。このあたりは、どのあたりなのでしょね。四丁目の赤ちょうちんのあたりでしょうかね。 いのち 谷川俊太郎いちのいのちはちりまするにいのいのちはにげまするさんのいのちはさんざんでよんのいのちはよっぱらいごうのいのちはごうよくでろくのいのちはろくでなししちのいのちはしちにいれはちのいのちははったりさくうのいのちはくうのくうとうのいのちはとうにしにじゅういちいのちのいちがたつ というわけで、そろそろ退場ですかね。新しいいのちに期待することにいたしましょう。 で、これが裏表紙です。 おしまい。追記2020・05・30「ことばあそびうた」の感想はここをクリックしてみてください。追記2022・05・31 「谷川俊太郎さんがらみの絵本を!」と思いついて2年前に投稿し始めたのですが、頓挫していますね。思いついては、忘れるということが、ここのところ頻繁におこりますが、くよくよしてもしようがありませんね。また思いついたので、また始めればいいじゃないかという毎日です。 というわけで、最近また思いついて「あいうえおつとせい」とか、案内しました。また覗いてくださいね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.30
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週刊 マンガ便 魚豊「チ。 第2集」(スピリッツCOMICS) 何となくほったらかしにしていた魚豊くんの「チ。」の第2巻です。9月のマンガ便に第1巻と一緒に入っていたのですが、ようやく読み終えました。 現代マンガという感じですね。第1巻でもいいましたが、ヨーロッパの中世世界を舞台にした、まあ、歴史マンガです。 中世のキリスト教、マンガではC教ということになっていて、そのC教がよって立つ世界の摂理を揺るがす考え方は「異端」ということで、まあ、かなりグロテスクな絵柄で処刑されるわけです。グロテスクに描くということが、このマンガ家の欲求として、どこかにあるんじゃないかと思わせる、小学生6年生のマンガ大好き少女の小雪姫が投げ出した雰囲気が漫画には漂っている、そういう特徴がある作品だと思います。 もう一つの特徴は例えばこんなセリフです。「いつみても空の世界は綺麗だ。・・・・なのに。我々の世界は、なんで汚れているのですか?」「それは、地球が宇宙の中心だからだよ。」「中心というのはね一番底辺ということだよ。重いものは下に落ちる、地球上のどこであろうと常に下に向かって落ちる。なぜなら地球が宇宙の一番底にあるからだ。神様がそうお創りになられた。」「な、何故ですか?」「地球は位が低く穢れていて、そこに住む人類は無力で罪深いと思い知らせる為だよ。君の見上げる夜空がいつも綺麗なのは、この穢れた大地(セカイ)から見上げているからだよ。」 第2巻の開巻すぐに描かれている、やがて主人公になっていく代闘士オクジー君がC教の聖職者の説教を聞くシーンでの会話の一部です。なかなか含蓄があると思うのですが、いかがでしょう。 やがて、マンガは、「神」が作った「宇宙の摂理」、地動説に対して、「観察」がもたらした「自然の摂理」、天動説が記された「異端の書」を巡るドタバタの中心人物として、命じられて人を殺すことが仕事の代闘士、最も最下層の世界の人間であるオクジー君が育っていく展開なのですが、オクジー君の「回心」がどんな契機で起こるのかというのが、まあ、ストーリーの肝だと思います。 ちょっと、ネタをばらせば、C教の摂理に従って「天国」、すなわち「死を望む」人間にたいして、「死を恐れる人間」のなかに「自然の摂理」、「真理」へ向かう可能性を信じる力、すなわち「希望」を描こうとしているのかなという感じです。 そのあたりの「物語」の作られ方が、絵柄とは対照的に初々しい感じがするのですが、なんといっても、絵柄とのアンバランスが、妙に「現代的」な印象なのです。 自然の摂理、天動説の正当化を説明する話題で出てくるのが「惑星」、第2巻の場合は火星ですが、その軌道の遡行現象の話とかが出てきますが、今の若い人たちにはウケるのでしょうか。なんだか素朴な感じがしてしまうのですが。そのあたりも、ぼくの年のせいかもしれませんね。
2021.11.12
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大江健三郎「頭のいい『雨の木』」(「自選短編」岩波文庫) 大江健三郎の「自選短編」(岩波文庫)という、分厚い文庫本を図書館から借りてきたのは、「飼育」という作品を読み直す必要があってのことで、とりあえず、その作品についての、まあ、今のところの感想を綴り終えて「皆さんもどうですか」なんて調子のいいことを書いたのですが、「飼育」の次あたりに所収されている「セヴンティーン」や「空の怪物アグイー」という題名を目にして、へこたれました。 説明のつかないうんざり感が浮かんで、「もういいかな、今さら・・・」という気分で放りだしたのでした。 にもかかわらず、深夜の台所のテーブルに、放りだされた文庫本が、ちょこんとしているのを見て、思わず手を伸ばし、中期短編と標題されているあたりを読み始めてしまうと、困ったことに、これが、止まらなくなってしまい、夜は更けたのでした。 「雨に木を聴く女たち」という作品集は、単行本や文庫化されたときには「頭のいい『雨の木』」、「『雨の木』を聴く女たち」、「『雨の木』の首吊り男」、「さかさまに立つ『雨の木』」、「泳ぐ男――水の中の『雨の木』」の五つの作品が収められていたはずですが、この自選短編には、理由は判りませんが、「首吊り男」と「泳ぐ男」は入っていません。 で、「頭のいい『雨の木』」です。ハワイ大学で催されている文化セミナーに参加している、英語力がままならないことを、まあ、大げさに嘆く作家である「僕」の一人称で語られている小説です。1983年に発表されて、読売文学賞を受賞した「雨の木を聴く女たち」の連作の最初の作品です。 この連作、少なくともこの自選短編に所収されていた三つの作品の特徴の一つは、書かれた作品をめぐって起こるエピソードが、次の作品を構成してゆくというところです。この前の作品をめぐる、作品の外のエピソードから、次の作品が語りはじめられるということですね。 それは私小説の手法だと思うのですが、それぞれの作品は「事実」に基づいているわけではなさそうです。日常生活という、あたかも事実であるかのイメージを額縁にした画面に、作家の想像力の中で起こっている出来事が描きくわえられているといえばいいのでしょうか。そういう意味で、これらの作品は、いわゆる私小説ではありません。 想像力の世界の描写として共通して三作に共通して描かれているのは、繰り返し、暗喩=メタファーだと強調される「雨の木レイン・ツリー」と、二人の女性の登場人物でした。 下に引用したのは、その一人目の人物であるアガーテの登場が描かれることで始まる、「頭のいい『雨の木』」の冒頭場面です。― あなたは人間よりも樹木が見たいのでしょう?とドイツ系のアメリカ人女性がいって、パーティーの人びとで埋まっている客間をつれ出し、広い渡り廊下からポーチを突っきって、広大な闇の前にみちびいた。笑い声とざわめきを背なかにまといつかせて、僕は水の匂いの暗闇を見つめていた。その暗闇の大半が、巨きい樹木ひとつで埋められていること、それは暗闇の裾に、これはわずかながら光を反映するかたちとして、幾重にもかさなった放射状の板根がこちらへ拡がっていることで了解される。その黒い板囲いのようなものが、灰青色の艶をかすかにあらわしてくるのをも、しだいに僕は見てとった。 板根のよく発達した樹齢幾百年もの樹木が、その暗闇に、空と斜面のはるか下方の海をとざして立っているのだ。ニュー・イングランド風の大きい木造建築の、われわれの立っているポーチの庇から、昼間でもこの樹木は、人間でいえばおよそ脛のあたりまでしか眺めることはできぬだろう。建物の古風さ、むしろ古さそれ自体にふさわしく、いかにもひそやかに限られた照明のみのこの家で、庭の樹木はまったく黒い壁だ。― あなたが知りたいといった、この土地なりの呼び方で、この樹木は「雨の木(レイン・ツリー)」、それも私たちのこの木は、とくに頭のいい「雨の木(レイン・ツリー)」。 そのようにこのアメリカ人女性は、われわれがサーネームのことははっきり意識せぬまま、アガーテと呼んでいた中年女性はいった。(P333~P334) セミナーの開催されている期間中、毎晩のように開かれるパーティーの場面ですが、これは、この夜、地元の精神病者のための施設で開かれたパーティーの場面で、主催者の一人であるアガーテというドイツ系だとわざわざ断って描写されている女性が「僕」に、施設の庭にある「雨の木」を見せるシーンです。 『雨の木』というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。(P340) アガーテによる「雨の木」の紹介です。実は、この作品は、発表されると、ほぼ同時に、武満徹という作曲家によって「雨の木」という楽曲に作曲されていて、ユー・チューブでも聞くことができますが、その冒頭でこのセリフがナレーションされていて、まあ、今では、知る人ぞ知るというか、それなりにというか、まあ、有名な一節です。 「雨の木」をめぐる、この連作小説の主題は「grief」、訳せば悲嘆でしょうが、作品中では「AWARE」とローマ字で表記されています。英語の単語を持ち出して、ローマ字表記で「あはれ」という音を響かせようとするところが、良くも悪くも大江健三郎だとぼくは感じるのですが、この「頭のいい『雨の木』」という作品で、「grief」がどんな風に描かれているのかは、まあ、説明不可能で、お読みいただくほかありませんが、人間という存在の哀しみの中に座り込んでいる「僕」がいることだけは、間違いなく実感できるのではないでしょうか。 ついでに言えば、武満徹の「雨の木」という曲も、10分足らずの短い曲ですが、お聴きになられるといいと思います。 二作目の「雨の木を聴く女たち」は、その曲をめぐる作家の思いの表白から始められて、小説の構成としても、なかなか興味深いと思いますよ。
2022.12.03
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マッティ・ゲショネック「ヒトラーのための虐殺会議」シネ・リーブル神戸 今年になって、この映画が上映されていることは知っていました、ナチス映画、ホロ・コースト映画といえば、なんとなく観に行ってしまうのですが、題が「ヒトラーのための虐殺会議」とあって、「ヒットラー暗殺とかの陰謀映画かな?」と、勝手に勘違いして「まあ、どうでもいいか。」とか思っていたのですが、題名を読み返して、どうもそうではないらしいことに気づいて、「まあ、観てみましょう。」と思い直してやって来たシネ・リーブルでしたが、あたり!でした。 観たのはマッティ・ゲショネック監督の「ヒトラーのための虐殺会議」です。 原題を確認すると「Die Wannseekonferenz」で、そのまま日本語にすれば「ヴァンゼー会議」です。これなら、勘違いは起こりません。1942年、ヨーロッパのユダヤ人1100万人の絶滅計画を立案・決定した歴史に残る会議です。 出席者はゲシュタポの長官ハイドリヒ親衛隊大将に召集された13人と、資料及び計画の実質的提案者であり、ゲシュタポのユダヤ人担当課長だったアドルフ・アイヒマン親衛隊中佐、そして、書記のインゲブルク・ヴェーレマン女史の16名です。 ゲシュタポと通称で書いていますが、国家保安本部、保安警察のことです。まあ、秘密警察というほうがわかりがいいですかね。 映画は、会議の朝から会議終了までの、まあ、いわばドキュメンタリー仕立ての作品でした。もちろんBGMなど使われません。ナチス映画に挿入されることが多い歴史的なフィルムも一切使われていません。良質の室内劇の趣で、会議の進行と出席者の発言がくっきりと刻印されていきます。 少し調べて驚きましたが、この会議の議事録は残されているらしく、その歴史的な議事録が忠実に再現されていた印象です。 会議が終わり、議場であったヴァンゼー湖畔の別荘を去っていく人々や、今晩、どこかのキャバレーで気晴らしをすることを呼びかける若い将校が映し出され、最後にアイヒマンを労い満足げに任地に帰るハイドリヒ長官の車が出たところで映画は終わりました。 映画学校の歴史好きな学生が、まじめに作り上げた歴史映画といった印象でしたが、唸りました。決定された内容に今更驚いたわけではありません。映像に映し出されている80年前の人びと振る舞いが、現代の高級官僚社会を彷彿とさせたことが驚きでした。 会議を主催したハイドリヒ長官は、この半年後に死亡しますが、有能な事務官僚であったアイヒマンは戦後まで生き残り、アルゼンチンでの逃亡生活中にモサド(イスラエルの秘密警察)に捕えられエルサレムでの裁判の結果、絞首刑になりました。1962年のことです。「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」 一人だったか、百人だったか忘れましたが、こういう言葉を残したと言われている人です。そのあたりについて哲学者のハンナ・アーレントが「エルサレムのアイヒマン」(大久保和郎訳・みすず書房)の中だったかで「彼は愚かではなかった。完全な無思想性―これは愚かさとは決して同じではない、それが彼をあの時代の最大の犯罪者の一人にした素因だったのだ。」 と評して、いろいろ話題になりました。 絶対的権力者に媚びることで出世や保身を目指しているハイドリヒという人物やほかの官僚たちをどう考えるかということにもまして、有能な官僚であることの無思想性こそが「時代の最大の犯罪者」を生み出すとアーレントが言ったのは50年以上前のことですが、映画を観終えて、コロナ騒動の顛末や、オリンピック汚職の記事が新聞紙上をにぎわしている様子に、マッティ・ゲショネック監督の意図というか狙いがここにあると感じたのは穿ちすぎなのでしょうか。 何はともあれ、マッティ・ゲショネック監督に拍手!でした。 余談ですが、映画の中に時代を映すものは、まあ、親衛隊の制服とかは別にして、ほとんどありません。ただ、官僚たちが公用車で乗り付ける、今の目で見ればクラッシク・カーですが、そのロゴがベンツなのですね。メルセデス・ベンツが正式名で、メルセデスというのはユダヤ系の女性の名前だと思いますが、戦時は国策会社化していて、この映画では公用車として出てくるんですね。で、戦後も、まあ、ご存知の通り世界のベンツなのですね。そのあたりが、ちょっと、面白いと思いましたね(笑)。監督 マッティ・ゲショネック製作 ラインホルト・エルショット フリードリヒ・ウトカー製作総指揮 オリバー・ベルビン脚本 マグヌス・ファットロット パウル・モンメルツ撮影 テオ・ビールケンズ美術 ベルント・レペル衣装 エスター・バルツ編集 ディルク・グラウキャストフィリップ・ホフマイヤー(ラインハルト・ハイドリヒ ゲシュタポ長官・親衛隊大将)マキシミリアン・ブリュックナー(カール・エバーハルト・シェーンガルト ポーランド保安警察およびSD司令官、親衛隊上級大佐)マティアス・ブントシュー(エーリッヒ・ノイマン 四ヵ年計画省次官)ファビアン・ブッシュ(ゲルハルト・クロップ ナチ党官房法務局長)ジェイコブ・ディール(ハインリヒ・ミュラー ゲシュタポ局長、親衛隊中将)ペーター・ヨルダン(アルフレート・マイヤー 東部占領地省次官・北ヴェストファーレン大管区指導者)アルント・クラビッター(ローラント・フライスラー 司法省次官)フレデリック・リンケマン(ルドルフ・ランゲトヴィア 保安警察及びSD司令官代理、親衛隊少佐)トーマス・ロイブル(フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリツィンガー 首相官房局長)サッシャ・ネイサン(ヨーゼフ・ビューラー ポーランド総督府次官)マルクス・シュラインツアー(オットー・ホーフマン 親衛隊人種及び移住本部本部長、親衛隊中将)ジーモン・シュバルツ(マルティン・ルター 外務省次官補)ラファエル・シュタホビアク(ゲオルク・ライプブラント 東部占領地省局長)ゴーデハート・ギーズ(ヴィルヘルム・シュトゥッカート 内務省次官)ヨハネス・アルマイヤー(アドルフ・アイヒマン ゲシュタポユダヤ人担当課長、親衛隊中佐)リリー・フィクナー(インゲブルク・ヴェーレマン 書記)2022年・112分・G・ドイツ原題「Die Wannseekonferenz」2023・02・09-no016・シネ・リーブル神戸no173
2023.02.10
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宮崎駿・池澤夏樹 他「堀田善衛を読む」(集英社新書) 宮崎駿の新作アニメ映画「君たちはどう生きるか」が、今年(2023年)の夏前に公開されて、さっそくでかけて愕然というか、唖然というか、あらためて、宮崎駿にカンドーしてきました。「ボクはこう生きてきた、君たちはどう生きるか?」 69歳のボクにさえ、イヤ、その年齢だからこそなのかもしれませんが、その問いかけが鋭く迫ってくる傑作だと思いました。 映画については、他にも書きましたから、ここでは触れませんが、そうはいっても、これが最後の仕事だろうというのが、ボクの率直な感想でした。宮崎駿は1941年生まれですから、今年82歳です。ボクは、この作品を彼の最後の作品として見ましたという気分でした。 ところが、2023年の9月の月末、「映画製作会社のジブリ・スタジオが日本テレビの子会社になった。」というテレビ・ニュースがながれて、その中で、宮崎駿自身は自作のアイデアを練っているという鈴木敏夫の言葉があって、もう一度、唖然としました。「ジブリが日本テレビの子会社になる?!」 本当はこれだけで、現在の日本という社会の鬱陶しさについてあれこれ言いたいところなのですが、引っかかったのは宮崎駿の新作? という言葉のほうでした。 で、この本を思い出したのです。「堀田善衛を読む」(集英社新書)です。 本書は、「ゴヤ」(集英社文庫)、「方丈記私記」(ちくま学芸文庫)の作家、堀田善衛の生誕100年を記念して、2018年に富山県の高志の国文学館で開かれた「堀田善衛―世界の水平線を見つめて」という展覧会での、インタヴュー、講演の書籍化で2018年に出された本です。 今回、この本を思い出したのは、この中に宮崎駿のこんな発言があったとこを思い出したからです。(上に、所収されている文章についてか行きましたが、ここで引用する宮崎駿の文章は、2008年の講演の転載のようです) 堀田さんという人は、私にとっては非常に大事な人です。(中略) 堀田さんが芥川賞を受賞された「広場の孤独」という本と、「祖国喪失」という短編集の中に入っている「漢奸」を、ちょうど二〇歳過ぎぐらいの時にたまたま読んだのですが、この体験が、その後ずっと長い間、自分のつっかえ棒になってくれました。(中略) ボクは一九四一年、昭和でいうと一六年、太平洋戦争の始まった年に生まれました。戦争が終わった時は四歳でした。父親に負ぶわれて逃げる中で、B29が落とす焼夷弾が降ってくるのを目撃した最後の世代だと思いますが、戦争に負けて、小さい子どもなりに屈辱感に満ちていたのです。 同時にそれは,自分のいる日本という国が、何という愚かなことをして周りの国々に迷惑をかけたのだという、恥ずかしくて外に出られないような感覚でもありました。何を支えにこの国で生きていけばいいのだろうと。そういうことで日本がすっかり嫌いになって行ったのです。 「広場の孤独」という作品は、朝鮮戦争が始まった時期の東京で、ある新聞社を舞台に、そこで働く主人公が歴史の歯車にいやおうもなくまき込まれ、いやおうなくコミット―参与してしまう中で、どう生きるか苦しむ姿を描いています。アメリカの資本主義下で戦争に加担するのか、共産党やソ連なのか・・・・。 結局、最後に主人公は、日本からが逃れて亡命するという道を拒絶する、という筋なのですが、この作品から僕は、たとえ日本について嫌いだと思うところがあっても、”それでも日本にとどまって生きなければならない“という実に単純化したメッセージを受け取ったのです。 で、「漢奸」に関しての話が続きます。長くなるので、省略しますね。そして、彼が大切にしている三つの作品の話になります。 もう一つ僕が大切にしている堀田作品に、「方丈記私記」があります。これは昭和二〇年三月、東京大空襲の最中に堀田さんが「方丈記」を読み、自身の体験と重ね合わせて、そこから新たに発見したことについて書かれたものです。 「方丈記」。 そう、今日はこの話をしなきゃいけないんですけど・・・・(中略) その堀田さんが、何かの機会にお会いした時に、「方丈記私記」を映画にしないかとおっしゃっていました。「あげるよ」と。 僕は「方丈記私記」を初めて読んだ時、夜中に寝床で読んでいたのですが、まるで平安時代に自分がいるのではないかと思えて、立ち上がって思わず窓を開けてしまったほどの感覚に陥りました。外には火の手がほうぼうに上がる平安時代の京の町があり、その上、見たはずのない東京大空襲の時、3000メートルの高さまで下りてきて焼夷弾を落としていくB29の腹には地上の火が映って明るかった、といろんな人が書き残していますが、それがいっぱい見えてきそうなぐらい、リアリティのある小説でした。 「そういうものを、ちょこちょことやればいいんだよ、劇画で」とおっしゃるのですが(笑)、「いや、それは難しいです」と。「路上の人でもいいよ」だとか(笑)、いろいろなことをおっしゃるのですが、以来、「方丈記私記」が何とか映画にならないかと、とにかく考えています。 それには、実は知らないければいけないことや、分からないことが、まだまだいっぱいありますから、折りに触れて何か拾って、ひょっとしたらこれは映画になるかなとか、ここが骨になるかなとか、そういうふうに探してはいますけれども、なかなか実現には至っていません。 鴨長明がどういうまなざしで生きていたのかについて、もう少し深く立ち入らないと、簡単に映像にはできないだろうと思うからです。 見た人が、鴨長明と堀田さんと同じように生きた気分になって映画館からよろよろ出てきて新宿の町を歩く時、実は自分は平安時代の京都をさまよっているんだと思える―そんな映画だったらつくりたい。 「方丈記私記」を読むと、そういう気持ちになるのですから。しかし、だからこそ、これは映像になかなかできないだとも思うのです。 長々と引用しましたが、ご理解いただけたでしょうか?宮崎駿の最終作は堀田善衛の「方丈記私記」だ!? どうでしょう、スクープになるでしょうか?(笑)ボクとしては、かなり期待を込めて待ちたいですね(笑)。 まあ、1998年に亡くなって、25年経ってしまったのですが、堀田善衛なんていう作家が、今読まれるのかどうか、よくわかりません。宮崎駿が私淑している作家であることは結構有名ですが、彼の読みは素直で、深いと思います。ボクにとっては「ゴヤ」(集英社文庫・全4巻)、「ミッシェル」(集英社文庫・全3巻)が宿題として残っていヒイキ作家なのです。 で、本書で堀田善衛を論じている方々に関心をお持ちの方には目次のラインアップが参考になるかと思いますので載せておきます。じゃあ、また。目次 はじめに 『方丈記私記』から第1章 堀田善衞の青春時代 池澤夏樹第2章 堀田善衞が旅したアジア 吉岡忍第3章 「中心なき収斂」の作家、堀田善衞 鹿島茂第4章 堀田善衞のスペイン時代 大高保二郎第5章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎駿終章 堀田善衞二〇のことば年表 堀田善衞の足跡付録 堀田善衞全集未収録原稿―『路上の人』から『ミシェル 城館の人』まで、それから…
2023.06.07
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小梅けいと「戦争は女の顔をしていない(5)」(KADOKAWA) 2024年9月のマンガ便の1冊です。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの原作を、マンガ家の小梅けいとさんがコツコツと描き続けている「戦争は女の顔をしていない」(KADOKAWA)の第5巻です。 このマンガでもいいし、岩波現代文庫の原作でもいいです。まあ、お読みになっていただきたい! というのが今回の読書案内の主旨です。他には、何もいうことはありません(笑)。 戦争から、半世紀ほどたって、一人の女性が戦争を体験した女性たちに、一人、一人、インタビューして、それを記録した、ただそれだけの結果です。 もちろん、どういう問いを発し、どういう答えがあったか、取捨選択もあるでしょうし、作家なりの、作品として成立させるための取材の意図の反映もあるでしょう。しかし、そこに響いている「声」を聴いてほしいんです。それは、やはり作り事ではないとボクは思います。 何もいうことはないといいながら、メンドクサイことをしゃべっていますが、この5巻で印象に残ったのはこのエピソードです。 パルチザンの連絡係だったワレンチーナ・エヴドキモヴナ・Mという女性の告白のシーンです。彼女の夫も従軍し、行きて帰ってきましたが、捕虜になったことを糾弾され、戦後7年間も収容所暮らしをさせられた人です戦争が始まる前に軍隊の幹部を抹殺してしまったのは 誰なの?戦争が始まる前に赤軍の指導部をつぶしてしまったのはわが国の国境はしっかり守られていると国民に請け負ったのは 誰?訊きたい・・・もう訊けるわ私の人生はどこへ行っちゃたの私たちの人生は? レーニン亡き後の党派闘争を勝ち残ったスターリンの独裁への「歴史」の途上にあった戦争ですね。戦後40年、スターリンは失脚し、ソビエト・ロシアが崩壊してしまった今の時点で、ようやく、「もう訊けるわ」という声が響いています。しかし、次ページの彼女の結論はでも私は黙っている夫も沈黙している今だって怖いの私たちは怖がっている恐怖のうちにこのまま死んでいくんだわ悔しいし恥ずかしいことだけれど… アレクシエーヴィッチは勿論ですが、絵を描いている小梅けいとが、この「声の響き」を何とか伝えようとしていることに、ボクはホッとします。 この記録が日本語に訳されて10年ほどたちました。主人公たちが語った戦争から80年です。で、今、主人公たちの世界では再び戦争が始まっています。90年前に、主人公たちが振り返った、その同じ戦争を始めた極東の島国では、戦後「誰?」と問うことを忘れ、80年の歳月の果てに、歴史を振り返ることを疎んじる風が吹きすさんでいます。どうなることやらですね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.09.28
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「三島暦師の館」 徘徊日記 2024年10月20(日)三島あたり 三島大社を東の裏口から出て金木犀が匂う住宅地を、ほんの数分歩くとなんだか立派なお屋敷があって、玄関にはカンカンと叩く板木(ばんぎ)が置いてあります。 ちょうど、庭あたりで掃除をしていらっしゃったオジサンがお声をかけてくださいました。「その、板、叩いてごらんなさい。」 で、4人組の二人が交互にカンカンと叩くと、中からセンセー!という雰囲気のおじいさん が出ていらっしゃって、お屋敷の案内が始まりました。三嶋暦師の館の主(ぬし) のようです。 お屋敷は、昔の代官所の建物を移築保存していらっしゃるようで、玄関の正面には三島の宿の古地図です。というわけで、ご講義が始まりました。 そもそも「三嶋暦」とは何かに始まって、三島の地理、歴史、三島暦の歴史、ああ、それから中国の暦と日本の暦の歴史、イヤアー、ベンキョーになります(笑)。 で、これがパンフレットです。「三嶋暦師の館」というのは三島市が管理運営している公共の場のようです。 こちらが、今も作り続けていらっしゃる三嶋暦です。大判とポケットサイズとあります。購入を希望すると、「いやあ、来年の暦の時期になってましてね。新しいのが来週届くのですが、これでいいですか?」「もちろん!です。」「じゃあ、ポケットサイズはサービスです。持ってってください。」 お年は、平均年齢70歳越えの4人組の一回り上という雰囲気で、頑固なオジーさんの雰囲気でしたが、とても御親切で丁寧な方でした。 これが、三嶋暦です。大きい方は見開きで吊り下げられるカレンダーです。一年間の月の形の変化が印刷されているのが、まあ、あたり前ですが特徴です。 壁掛けタイプが500円でしたよ。 開いてみるとレイアウトというか、デザインというかはこんな感じ。 お伺いした日の2024年10月20日を調べて見ると、縦向きに「九月十八日・月は十八夜・ひのとみ・日・友引・秋の土用の入り・19:07~09:16」 でした。最後が月の出、月の入りの時刻でしょうね。 庭には小さなお社があります。お祀りしてあるのは加茂神社の神さんらしいです。 で、その前の庭に何気ないのですが日時計です。暦は月齢の旧暦ですが、一日の暮らしは日時計という感じでしょうね。なんか、いい雰囲気でしたね。 これが、建物の看板です。三島市の歴史的風致形成建造物だそうです。 もしもですが、三島の町とか徘徊なさることがおありでしたらおススメですね。もっとも、シマクマ君は、たとえば二十四節季とかが、結局、「太陽暦」なのか「陰暦」なのか、まあ、よくわからないままなので、必ずしも、かしこくなれるとは限りませんけど(笑)。 さて、いったん三島大社に帰って、次はどこでしょうね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです
2024.11.12
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高橋源一郎「読むって、どんなこと?(その3)」(NHK出版) せいぜい100ページ余りの「読むって、どんなこと?」を案内するのに、えらく手間取っています。単なる偶然ですが、引用されているテキストのほとんどがぼくの書棚にもあることがうれしくて読み直しているとかしているわけでもありませんが、案内し始めると立ち止まってしまって、やっぱりこれも書いておこうという感じなのです。 だからと言って、ここに書いていることに意味があるとか言いたいわけではありません。でも、例えば今から案内する6時間目のテキストの詩なんて、やっぱり考え込んでしまうわけです。 で、(その3)は6時間目の紹介です。テーマは「個人の文章を読む」ですが、国文学者で、詩人の藤井貞和の詩がテキストです。 とりあえず詩を引用します。高橋先生は「いい詩だ。」と言い切っていますが、いかがでしょうか。 雪 nobody さて、ここで視点を変えて、哲学の、 いわゆる「存在」論における、 「存在」と対立する「無」という、 ことばをめぐって考えてみよう。 始めに例をあげよう。アメリカにいた、 友人の話であるが、アメリカ在任中、 アメリカの小学校に通わせていた日本人の子が、 学校から帰って、友だちを探しに、 出かけて行った。しばらくして、友だちが、 見つからなかったらしく帰ってきて、 母親に「nobodyがいたよ」と、 報告した、というのである。 ここまで読んで、眼を挙げたとき、きみの乗る池袋線は、 練馬を過ぎ、富士見台を過ぎ、 降る雪のなか、難渋していた。 この大雪になろうとしている東京が見え、 しばらくきみは「nobody」を想った。 白い雪がつくる広場、 東京はいま、すべてが白い広場になろうとしていた。 きみは出てゆく、友だちをさがしに。 雪投げをしよう、ゆきだるまつくろうよ。 でも、この広場でnobodyに出会うのだとしたら、 帰ってくることができるかい。 正確にきみの家へ、 たどりつくことができるかい。 しかし、白い雪を見ていると、 帰らなくてもいいような気もまたして、 nobodyに出会うことがあったら、 どこへ帰ろうか。 (深く考える必要のないことだろうか。) 高橋先生は「nobodyがいたよ」という言葉が生まれる場所について「あちらの世界とこちらの世界」を行ったり来たりする「すきまの世界」だといっています。そして、そういう場所にしか存在しえないものとして「個人」という概念を持ち出してきました。 で、その話の続きで引用されるテキストが詩人荒川洋治の「霧中の読書」(みすず書房)というエッセイ集からウィリアム・サローヤンの「ヒューマン・コメディ」(光文社古典新訳文庫)の紹介である、「美しい人たちの町」についてという文章でした。 5時間目の「審判」の主人公は「故郷」から旗を振って送り出された兵士が「帰るところ」を失った話だったといってもいいかもしれません。藤井貞和の詩に登場する小学生は、あっちの「故郷」とこっちの「故郷」の間に立って友だちをさがしています。サローヤンが描いた、「イサカ」という美しい町は戦地で死んだ青年の戦友が、友だちの話に憧れてやってくる町でした。 気付いてほしいことは、それぞれの登場人物たちが、それぞれ「一人」だということだと高橋先生いっているようです。 さて、やっとたどり着きました。「おわりに」の章は、「最後に書かれた文章を最後に読む」というテーマで批評家加藤典洋の「大きな字で書くこと」(岩波書店)から「もう一人の自分をもつこと(2019年3月2日)」というテキストの引用でした。 鶴見俊輔の文章もそうでしたが、このテキストも加藤典洋の遺稿といっていい文章です。「読む」ということを考えてきた授業の最後に高橋先生が取り上げたのは、批評家が書き残した「キャッチボールの話」でした。ボールは言葉だなんていうことを言ったわけではありません。「一人」で生きてきたことを自覚していた批評家が何故、最後の最後にキャッチボールの思い出を書いたのか。そこを考えることが「読む」こととつながっていると高橋先生はいいたかったのかもしれません。 なんだか、ネタをばらさないで書こうとした結果、最後まで意味の分からない文章になりました。 多分図書館で借りることができる本だと思います。「読む」だけなら半日もあれば大丈夫です。興味を引かれた方は是非読んでみてください。まあ、考えはじめれば「尾を引く」かもしれません。少なくとも、子供向けで済ますことはできない話だろいうことはわかっていただけるのではないでしょうか。 いや、ほんと、ここまで読んでいただいてありがとうございました。(その1)・(その2)はこちらからどうぞ。
2021.03.04
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