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真藤順丈「宝島」(講談社) もう10年以上も昔のことになるのですが、生まれて初めて、育った家と神戸の町を出て、沖縄で暮らし始めた「ヤサイクン」からこんな手紙を受け取りました。「巨大大国アメリカと日本が、また小さな島国沖縄を襲ってきた。」「ここには人も動物も暮らしているという事が、政府の人間にはわからないのだろうか。」 辺野古で座り込みを続けているうちなーんちゅの言葉だ。 日本、アメリカの両政府の移設案には始めから「普天間基地の県外移設」と言う言葉はなかったようだ。「普天間のヘリ部隊は嘉手納のF15戦闘機との合同訓練が不可欠なため県内の嘉手納から近場の基地に移転する。」という事だ。 麻生外務大臣も「沖縄に基地があるのは地理的環境からみても当たり前。」と発言している。過去に沖縄が基地の使用期限を求めたのに対して「基地に使用期限など無い。」と発言した人間だ。その人間を新内閣の外務大臣として任命した小泉首相という人間。 考えられないほどの借金を抱えている国のはずだが、軍事費だけは右肩上がりに年々上昇。アメリカから何十兆円もする戦闘機やミサイルを毎年購入。こんな危険な国は他に存在しないだろう。「反対する人間がいても関係ない。日本政府も了承済み。」アメリカ側の発言だが何故日本の政府の人間は誰も怒らないのか?政府の人間だけじゃない。「日本人が何を言おうが関係ない。」って言われてるのと何も変わらないのに。たいして問題にならない理由は簡単だ。これは明らかに沖縄県民に向けられた発言だからだ。 それは日本の政府にしても同じことだ。沖縄に来て、この手のニュースを見るとき、いつも違和感を覚える。それは沖縄で暮らして初めて分かることだと思う。 政府の人間にとって、沖縄の人がどうなろうと明らかに他人事でしかない。そのように沖縄県民が受け取ってもおかしくない発言、行動を繰り返している。日本という国全体の問題なのに沖縄の問題になってしまっている。だから内地の人間も政治家も誰も反論しない。それが当たり前であるかのように聞き流している。 「平和の代価」と言う名目の下で米軍基地を日本に作ると言う以上は、その責任は日本全土で負わなければならない。少なくともその「代価」の八割~九割を沖縄に押し付けている現状は間違っている。 テレビで普天間基地の特集番組が沖縄で先日放映されたが、その中で沖縄在住の内地の人が「沖縄側が拒否を続けていたら政治家だけでなく内地の人達までが沖縄に怒りの矛先をむけるようになるだろうから、受け入れたほうがいい。」と言う意見を述べていた。 僕も「内地の人達が怒る・・・。」と言うことは考えたことがあった。でも、今は根本的にこれは間違ってると感じる。怒ろうが怒らまいが、おかしいのは沖縄に基地を押し付けている事なのだから。むしろ怒られるべきなのは内地側である。 沖縄に来たことがある人は分かると思うが、必ず「ないちゃーですか?」と、うちなーんちゅは質問する。僕はこの事に違和感を覚えることがあって友達に何故だか聞いてみた。そしたらこう答えた。「沖縄が好きだし、沖縄や沖縄の文化を守ろうと思ってるから。」と。 沖縄を守るというのは、内地の人間から沖縄を守るという事だ。二十歳前後の学生でさえこう思っている。僕は以前、うちなーんちゅは沖縄に閉じこもり過ぎだ!と書いたことがあるけど、それは少し違う気がしてきた。そんな小さなことではないように思う。酔っ払いながら話を聞いたわけだけど、何一つ反論もできずうなずくだけだった。 僕は20年神戸で育ったわけだけど、神戸が好きだとか守ろうだとか、一度も考えた事は無かった。 「守る」という気持ちが生まれると言う事は冒頭での「アメリカと日本が・・・」と言ったようなことが、たった20年の間で幾度もあったということだろう。(実際あったのだが。) 何にも知らずにのほほんと生きてきた僕に何が言えるのだろうか。僕が沖縄に来て「おかしい」と思った事を、産まれたときからずーっと背負わされて生活している人々がこの島にはいるのだと言うことを、今やっと分かったのかもしれない。 「沖縄を守る」という、うちなーんちゅの気持ちはそう簡単には無くならないように思うし、無くなって欲しくないとも思う。 どんな土地であっても人は暮らしていて、例えば移設候補にあがっている辺野古にももちろん人は暮らしている。辺野古は漁業の村だ。その海に飛行場を作ればどうなるか。そんなこと誰にでも分かることだ。 どこからどこまでが「戦争」なのか、僕にはよくわからない。少なくとも沖縄では「戦争」は終わっていない。「また小さな島国沖縄を襲ってきた。」という言葉が、今の沖縄の全てを語っているように思う。 「戦争があったことを風化させてはいけない。」 「震災があったことを風化させてはいけない。」 よく聞く言葉だけれど、最近自分の中での理解の仕方が変わった。ずっと「震災があって町は焼けて、たくさんの人が亡くなって・・・。」と言う事を忘れなければいいのだと思っていた。けれども、そうではない。「震災の結果、今も、家がなく公園で寝ているおじちゃんがいます。家族を失い小さな頃から一人で生きてきました。」 そういうことが、今、現在もあると言うことなのだ。沖縄で暮らして、やっと気付いた・・・。 話はがらりと変わるが沖縄のてんぷらには驚かされる。内地のてんぷらからは想像できない料理だ。沖縄のファストフード=てんぷらと言われている。出店などで売ってる。内地のてんぷらのコロモは出来るだけ混ぜないようにして作る、さらさらのコロモだ。だが、沖縄はその正反対。出来るだけかき混ぜてグルテンを発生させて、まるでお好み焼きの生地のようなコロモを作る。サクサク、パリパリではない。ブニョブニョだ。もちろんコロモにも塩コショウ等で味がつけてある。だから基本的には何もつけないで食べるのだ。 個人的な感想として、はっきり言っておいしくない!と言うより僕はてんぷらとして認めたくない・・・! 沖縄には僕には想像出来ない料理が多い。だから、とてもおもしろい。 この手紙が届いた2005年、本土でも本格的に話題になり始めた米軍普天間基地移転問題。基地と隣接した学校にヤサイクンは通っていたし、基地移転が、米軍の兵士による度重なる少女暴行事件や、軍用ヘリコプターや戦闘機の墜落事件に端を発していたことを否応なく知る経験をしていた。 当時、メールで手紙を受け取ったぼくは、彼を沖縄に送り出したことを、心の底から「よかった」と思ったが、返事には困った。 あれから東北で大きな震災があり、津波による想像を絶する数の死者や被災者のこと、原子力発電所の爆発事故による放射能汚染で住む家や街を失った故郷喪失者たちのことは、阪神の震災の時と同じように風化が問題になり始めている。戦争であれ、自然災害であれ、本当に苦しむ人たちを忘れることで踏みつけにする風潮が当たり前になりつつある社会は何処か狂っているのではないだろうか。 普天間基地の辺野古移転は、強引に推し進められる中、移設工事に待ったをかけ、抵抗を明らかにした翁長雄志沖縄県知事が、今年の夏、亡くなった。彼が主張していたのは「沖縄が過去100年どんな目に会ってきたのか、思い出してくれ!」ということではなかったか。彼の死に際して、やりきれない気分だったぼくは、ちょうど、その週に、まったく偶然、この小説真藤順丈「宝島」と出会い、一気に読み終えていた。 「ヤサイクンが送ってくれた手紙にこたえる小説が出現した。」 ジャンルとしてはエンターテインメントとされているが、読み終えて、ただのエンタメではない。そう思った。 22歳のヤサイクンが、あの時「戦争は今現在も続いている」といった現実認識は、10年たった今も、ぼくたちが暮らしているこの社会でも、相も変わらず有効なのだが、沖縄の歴史、いや、沖縄に「今、現在も続いている」ことを、戦後の沖縄を舞台に英雄叙事詩として、堂々と語った小説が現れたことに心が躍った。 それが東京の作家によって書かれたことは驚きだが、間違いなく素晴らしい作品だとぼくは思う。 小説は1952年に始まり、1972年に終わる。その20年の間に何があったか、それぞれの年に何があったか、現代の日本人の多くは知らない。忘れたのではない知りもしないというべきだろう。 しかし、読み終えれば、きっと、「日本という国」が、少なくとも、それぞれの年に、「沖縄」に何をしたのか知ることになる。それだけでも読む価値があると思う。 腰巻にある「さあ起きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきた」という、1952年、作中の英雄の一人が発したことばが、今、この時、2018年にも生き生きと蘇り、響きわたってくることを、読者は思い知るだろう。 ヤサイクンも納得するに違いない。乞うご一読。(S) 2018/08/17追記2019 この文を書いてから半年たった。「宝島」は直木賞を受賞した。めでたい。 辺野古の埋め立ては、知事選挙、県民投票、すべての結果を無視して、無理やり進められている。都合のいいときだけ「国民の声」を持ち出す政治権力が、だれを踏みつけにしているのか。ぼくたちは真剣に考えた方がいいのではないだろうか。時代は暗い方へ向かっている。追記2019・10・01 かつて、脱原発とか、リベラルを気取っていた男が防衛大臣になった。県知事との会談が、先日報道されたが、無理解と無能をさらけ出しただけだった。隣国に対する居丈高な態度を外交交渉だと考えたこの男は、今度は、きっと、国内に向かってふんぞり返って見せるだろうと予測していたが、その通りだったことには、もはや驚かない。 「辺野古をめぐる問題」が、「この国全体の問題」へと大きくなるにはうってつけの人物かもしれない。追記2020・04・24 「辺野古の埋め立て」が工事計画のずさんさを露呈して頓挫している。玉城知事の意見は無視され、「普天間飛行場の一日も早い危険性除去」というありもしない大義名分のインチキも露わになっている。米軍基地から毒性の強い消火剤が街に拡散している。駐留米軍にコロナウィルスが蔓延し、本来、安全なはずの市中でも感染が広がっている。 それが2020年4月の沖縄なのだが、本土のメディアはまともに報道しない。事件が東京湾ででも起きない限り、隠し続け、押し付け続けられるというのが「この国」のやり方なのだろうか。 「在日米軍」のコロナ感染についてはこういう記事もあります。追記2023・03・01 沖縄の戦後教育をめぐる論考で山里絹子さんの「米留組と沖縄」(集英社新書)を読んでいます。ヤサイクンが通っていた琉球大学が、米軍によって作られた学校だということに初めて気づきました。 つくづく何にも知らないまま、それなりに分かったような口をきいていた自分が嫌になりますが、とにかく、少しづつ知る努力をしようとは思っています。 ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.10
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若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社・河出文庫) 何故だかわかりませんが、まあ、多分、偶然でしょうが、2018年の春の芥川賞、直木賞は二作品とも宮澤賢治がらみで不思議な感じがしました。 芥川賞は若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社)でした。 若竹さんの小説の題名は宮澤賢治の「永訣の朝」という詩の中のクライマックス、妹トシの最後の言葉の一節、詩の中では 「Ora Orade Shitori egumo」 とローマ字表記されているところですが、そのもじり?、イヤ、引用だと思うのですが、どうでしょう。門井さんの「銀河鉄道の父」はそのものズバリという感じでした。 実際にお読みになればわかりますが、若竹さんの作品は賢治と、直接的には、何ら関係はありませんでした。夫を亡くした高齢の女性が「おらおらでひとりいぐも」という生活を暮すありさまを描いた小説です。 賢治の妹トシの言葉は「この世」で生きることができなかった一人の若い女性の「一人ぼっちの死」の無念を印象させる宗教的な象徴性の高い言葉として表現されているところが眼目だと思いますが、それが、現世を生きる女性の「一人ぼっちの生」 の姿の核心になっているところが若竹さんの意図のようです。 この作品について、ここでは詳しく触れませんが小説を支えているのは東北弁、そうです、我々のような関西在住の人間が高等学校の国語の時間、宮澤賢治の詩の一節の中で、初めて出会ったあの響きが「いのち」になっている小説と言っていいと思います。若竹さんは、柳田国男で有名な、あの遠野の出身らしいですが、おそらく、現在では東北地方の人たちだって、この響きの言葉を日常語として使っているとは思えません。ただ、NHK的な言葉の嘘くさい、着飾った響きの奥には、この言葉の響きがあるのかもしれません。「はだかのこころをはだかの言葉で描いた」 まあ、そういう小説だと言いえばいいのでしょうか。ぼくは「ひとりえぐも」というやわらかい言葉にこめらた、女性の決意の響きがいいなあと思いました。2018/06/03追記2020・06・28 この作品を原作にした映画がつくらているそうです。まあ、ヤッパリ見に行くことでしょうね。ちなみに、今では河出文庫から文庫版が出ています。こんな文庫です。 門井さんの「銀河鉄道の父」の感想はこちらをクリックしてみてください。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.04
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佐藤泰志「海炭市叙景」(小学館文庫) 2010年に映画になりました。残念ながら見ていませんが、監督は熊切和嘉。帯の写真は映画の写真からとられているようです。 この小説がとてもいい小説だと、上手に伝えられたらうれしいと思って書き始めました。ある作品がいい作品かどうかなんて、学校の国語の時間にはもっともらしく解説されるのですが、本当はそんなことは、読んだ人が決めればいいことであって、客観的にいい作品なんてものはあるんだろうか。教室でかたる仕事をしながらいつもそんなふうに感じてきました。 それにしても、この小説がいい小説だと上手に言うことが出来れば。というのは、読み終わった人の多くはどちらかというと暗くて哀しい印象に捉われるだけかもしれない、そんな小説だからです。 その上、この作品は未完です。佐藤泰志という作家はこの連作小説を短編小説のように雑誌に掲載していたのですが、書き終えることなく、自殺してしまったらしいのです。それが1990年の10月のことで、もう20年以上も前のことです。彼は何度か芥川賞の候補として名が出た人であるらしいのですが、それも、もちろん1980年代のことです。 ところで、人というものはどこからかはわからないけれども、この世に投げ出された存在であるという考え方があります。この小説は、人という生きものが、投げ出された存在である自分というものと格闘しつづける姿を書き綴った作品でした。 この案内を読んでくれる人たちの中で、お正月の朝、二人の全財産がポケットにある230円ポッキリだという、27歳の兄と21歳の妹という境遇を想像できる人はいるでしょうか。それが「まだ若い廃墟」という最初の小説の設定です。 妹は兄が389メートルの山を歩いて下りてくるのを、ふもとの待合所で待ち続けています。なけなしの所持金をはたいて、初日の出を見に登った展望台のロープウエイの帰りの料金が、一人分、足りなかったのです。 帰りのロープウエイに乗るとき、兄は残った小銭でキップ一枚しか買ってこなかった。どうしたの、とわたしはその理由を知っているのに、きかずにいられなかった。百も承知だ。兄は前歯を覗かせて笑い、ズボンのポケットから残りのお金を出し私の手に渡した。 一時間待ち、二時間待ち、三時間待ち、とうとう六時間になろうとしている。時間はだんだん濃密になる気がする。なんということだろう。 女が売店の少女に、「この人、頭が少しおかしいわ」と聞こえよがしにいっていた。「厭になっちゃう」少女は大声を出した。「そうでなくったって、元旦から仕事に出てきているっていうのに」あやまらない。誰にもあやまらない。たとえ兄に最悪のことがあってもだ。兄さん、私はあやまらないわよ。もしも、どこかで道に迷いそこから出てこれなくなったのだとしたら、それは兄さんが自分で望んだ時だけだ。 街を見下ろす展望台のある山の中で遭難死した、貧しい青年を巡るエピソードでこの連作小説は始まります。街の中の、どこにでもある哀しい話が、季節のめぐりとともに書き継がれ、秋の始まりに作家自身が描き続けてきた「投げ出された生」に耐え切れなくなったのではと考えさせるような絶筆となりました。 あやまらない。だれにもあやまらない。たとえ兄さんに最悪のことがあってもだ。 つぶやき続けて待合室のベンチから立ち上がれない二十歳を少し過ぎた女性の姿を思い浮かべながら、読者の僕にはとめどなくわきあがってくるものがあります。 そして、うつむきながら、小説に向かって、こんなふうにつぶやいている自分を発見することになるのです。 「うん、あやまる必要なんかないよ。」 やはり、うまくいうことができませんね。今では、もう古い作品かもしれませんが、「お読みいただければ・・・」そう思います。(S)追記2020・01・10同じ作家の「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)の感想はこちらをクリックしてみてください。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.30
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佐伯一麦 「空にみずうみ」(中央公論新社) 佐伯一麦の新しい小説「空にみずうみ」(中央公論新社)を読み終えました。新しいといっても2015年に出版されているわけで、すでに文庫になっているようですし、「麦主義者の小説論」(岩波書店)とかと出版は同じ時期、2014年から15年にかけて読売新聞の夕刊に連載された小説のようです。もう五年ほどたっていますね。 本のカバーの絵が面白いのですが、樋口たつのさんという絵描きさんの絵で、新聞の挿絵は同じ人だったようです。単行本には、挿絵はありません。 食卓のテーブルで夜中の二時くらいに読み終えて、しばらく座ったままボンヤリしました。 「空にみずうみ」という作品の題名が、最初から、小説の構想のシンボルとして書きだされていたことが最後になってわかりますが、ここでは詳しく書きません。「登場人物たちは、いったい、どこで空にみずうみを見るのだろう?」 読み進めながら、ずっと考え続けていた疑問です。読み終えてみると、その題名にこそ、しばらく立ち上がれなかった理由があったと、今、感じています。どうぞ、お読みになって気づいていただきたいと思います。 小説を書いている早瀬と、草木染の作家で、編み物をしている柚子という、もう中年とはいえない夫婦の日常が、春先から、次の年の三月まで綴られています。 早瀬の名前は、「コウジ」だったか、一度どこかで出てきたように思いますが、わかりません。廸子の旧姓は輿水といい、東京育ちです。 日々の暮らしに大きな事件は何も起きません。二人が出会う人たちが、その他の登場人物ですが、恐ろしげな人は一人も出てきません。鳥の声を聞き、日々の食卓があつらえられ、ちょっとした事件や、困りごとが季節のめぐりとともに描かれているわけで、読んでいてなにが面白いのかと言われれば、「さあ、なんでしょうね。」と答えるよりほかにないのかもしれません。 青葉木菟(アオバズク)、画眉鳥、鶯、時鳥、トラヅグミ、雀、ジョウビタキ、カモシカ、タヌキ、蛇、クサガメ、ゾウムシ、青虫、チョッキリ、水琴窟、御衣黄、枝垂れ桜、上溝桜、山法師、欅、小楢、筍、かなかな、ニイニイ蝉、なめくじ、エダナナフシ、アメリカシロヒトリ、アシナガバチ、ミヤマカミキリムシ、紙魚、ヒメシャガ、半夏生、藍、臭木、鉢植え椿、栃、シオジ、ハンカチの木、合歓の木 冷や奴、赤かぶの酢漬け、きゅうりの辛子漬け、さやいんげんのおかか和え、自家製梅干し、無花果の甘露煮、カレーうどん、冷やしきつねうどん、麩まんじゅう、鰹のたたき、スイカ、鳥ソバ、はらこ飯、栃餅、参鶏湯ふうスープうどん、しおむすび、千切り大根の梅漬、七草粥 一年の季節を巡る中で、出てきた鳥や、虫、樹木や花を上にあげてみました。今、思いだせるものを並べたのですが、知らないものはチョッキリくらいです。その次に食楽に並んだり、客をもてなしたりする料理で、食べてみたいと思ったものを上げました。 普通の生活ですね。この普通の生活を描写するに際して、書き手である佐伯一麦はいくつかの工夫をしています。 一つは、視点人物の複数化とでもいうのでしょうか。 「私小説」の手法では視点人物は、普通、一人です。作中の主人公が作家として語るというのがよくあるパターンです。三人称で書かれている場合もありますが、事情は変わりません。ところがこの小説には視点人物が二人いるのです。佐伯と等身大の人物である早瀬以外に廸子も語るのです。 二人の家庭を、立体的に構造化するために使った手法なのかもしれませんが、今まで読んだ佐伯作品にはなかった書き方で、現実に暮らしている、別の人間に語らせるわけですから、かなりスリリングです。 読み手にすれば、二人が同時に登場する場面で、例えば、「あたたかかった」というような言葉が主語なしで使われると、「えっ?」という疑問と、その場が「ことば」を生みだしているような不思議な錯覚を生みます。 それにしても、佐伯一麦が、「私小説」世界から離陸し始めている印象は、なかなか興味深いのです。 二つめは、新聞小説という執筆の条件を、作品の中に取り込むことによって、読み手の読書の印象を重層化するとでもいえばいいのでしょうか。 小説の後半に前半で読み終わった部分を書いている作家が登場します。時間をずらしたトートロジーの世界で、読み手は不思議な臨場感を味わうのです。作家が、書いている自分自身を書く。読者は、今、書いている時間を読むわけですから、現場に立ち会っていると錯覚する、そんな感じですね。 三つめは複数の時間を、同時に書き込んでいるということです。 カモシカ騒ぎの話の中で、早瀬は誰も来ない高台でひとりの少年と出会います。さびれた山中の出会いを不思議に思った早瀬が少年に声をかけます。少年は噂になっていて、一度出会ったことのあるカモシカに出会いに来たことを告げます。 「また、シカサブロウがいないかと思って」「シカサブロウ?」「カモシカ。前にこのへんで見つけたの」「えっ、カモシカみたんだ」 早瀬が驚くと、、男の子は得意気にうなずいた。「一緒に見つけた大人の人が、たぶんまだ子供のカモシカだろうって。一頭しかいないから、親からはぐれてしまったみたい。それで、ぼく、シカサブロウって呼んでいるの」 シカサブロウは、漢字で書くなら鹿三郎だな、と早瀬は思った。「でもどうして鹿太郎や、鹿二郎じゃないんだ」「ぼく次男だから、弟がほしくて」 ― 略 ―「あ、キビタキの声だ」相変わらず囀っているのを聞いてシン二郎君が言い、あたりを見回した。「そうだね。よくわかったね」「だって、ぼく、前にいた県の鳥だから知ってる」 この少年が、ここで、一人、はぐれたカモシカを、弟を慕うように探している姿の中に、この小説の2014年という現実の時間の底に流れている、もう一つの時間が顔を見せています。東北の震災から三年という大きな時間の流れです。 早瀬には早瀬の三年の時間が流れたのですが、この少年の過ごした三年の時間、具体的な境遇や友達について、読者が言葉にして聞くことは、つまり作家が小説として書くことはできません。しかし、この少年が、なぜここにいたかということこそが、この作品が描こうとしていることじゃないかという印象が浮かび上がってきます。 作品は最後にこんな詩を引用して幕を閉じます。息子はどこかの墓に眠っているでもわたしにはどこだかわからない母親が息子をみつけられないでいるのだから神の小鳥たち、どうか息子のためにさえずってあげて母親が息子を見つけられないでいるのだから 小説の中で、小鳥が囀り続け、二人の男女は耳を澄まし、木々や花々、小さな虫やドングリや栃の実に、コンクリートの壁から聞こえてくる騒音や、喘息の発作や手首の痛みに一喜一憂しながら、静かに暮らしています。 作家は神の小鳥や花々を描きたかったのではないでしょうか。 ともあれ、佐伯一麦という作家が新しい書き方に挑みながら、震災後の文学として、鎮魂の文学の結晶化を、見事に成功させた作品だと思います。どうぞお読みください。(S)追記2019・11・24 佐伯一麦はこの作品とほぼ同じ時期に「渡良瀬」という作品を完成させています。感想はこちらをクリックしてくださいね。「渡良瀬」追記2022・03・26 最近、佐伯一麦の「アスベストス」(文藝春秋社)という、新しい作品を読みました。その感想を書きあぐねて、昔の作品のことを考えています。もう少ししたら感想をアップしますが、やはり胸に迫る作品でした。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.25
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佐藤泰志「きみの鳥は歌える」(河出文庫) 以前、佐藤泰志の「海炭市叙景」(小学館文庫)について、この小説がとてもいい小説だと、上手に伝えられたらうれしいと思って案内を書いたことがある。 その佐藤泰志のデビュー作が「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)。2018年、映画になったので読み直した。映画は、この小説が描いている決定的な「暗さ」を避けることで、青春映画として成功している。 佐藤泰志の小説の「暗さ」や「貧しさ」が、読者を遠ざけるようなところがあると思うけれど、彼が描き続けた世界には明るさは似合わないのかもしれない。ひとが生きるということを、小説として描く。作家が「生きている人」として描く登場人物の「ぼく」や「静雄」は、どうにもやりくりのつかない「今」を、こちら側の世界から投げ出された人として生きるほかはないという様子だ。 彼らは高校を出て、そのままアルバイト暮らしを始めて、偶然知り合った友人同士として、今ふうにいえば部屋をシェアして暮らしている。学校に通って将来に備えているわけでもないし、「静雄」に至ってはアルバイトもやめてしまい、ポケットにある資金が尽きたときの算段すら放棄している。 「ぼく」がアルバイトをしている本屋の同僚だった「佐知子」も、「ぼく」が放つ、出たとこ勝負のいい加減な快活さに逃げ込むようにして、この部屋にやってきた。しかし、彼女はやがて、「ぼく」との刹那的に繰り返される肉体関係にではなく、深く静かに絶望している「静雄」に惹かれてゆく。 映画が描くことをやめたのは、ここから後だ。 兄と一緒に病気の母を見舞ったはずの「静雄」は、世界から投げ出された人になっていた母を殺し、彼の身を案じた「佐知子」はあとを追うように街を出る。残された「ぼく」はすべてを知るが、アルバイトに出かけ、いつもの酒場に立ち寄る。 小説がここで終わることを、納得できない人たちは、新人作家の失敗小説と評する場合もあるだろう。映画を作った監督が、この結末を予想すらさせない映画的なラストで締めくくったのも、そういう読みの結果だったのかもしれない。 しかし、今、映画の最後で、120数えて佐知子の部屋に向けて歩き出した「ぼく」を思い浮かべながら、このシーンは佐藤泰志には決して描けなかったし、「静雄」の母親殺しと、その顛末の描き方もこれ以上書き込む必然がなかったのではないだろうか。 「投げ出される」とはそういうことだ。佐藤泰志の絶望的な出発点がここにあったのではないだろうか。それでも、彼は、その世界を書くことでこっち側の世界とつながろうとしていた。それだけは確かなことだったと思う。2019/02/03追記2019・11・20映画「君の鳥は歌える」の感想はこちらをクリックしてください。「海炭市叙景」の感想はこちらをクリックしてください。押してねボタン!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.21
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佐伯一麦 「渡良瀬」 (新潮文庫) 佐伯一麦という作家のエッセイ集「とりどりの円を描く」(日経新聞社)を読み終えた。 本の紹介を集めた本だが、書評というには短い、新聞を読む読者に向けて小さなエピソードと、作家の考えが過不足なくつづられていて読みやすい。いつから、こんなふうに穏やかで落ち着いた文章を書くようになったのか。老成した作家然としている落ち着きように少しいやみだと感じないわけでもない。 「ショート・サーキット」(当時、福武文庫・現在、講談社文芸文庫)が初めての出会いだった。続けて「ア・ルースボーイ」(新潮文庫)を読んでハマった。たしか、野間文芸賞新人賞、三島由紀夫賞をそれぞれとったはずだ。 印刷用紙を触っていて手を切ったりすることがある。たいして切れているわけではいないのに、じわじわ痛い。数日すると細く長いかさぶたができる。そんな小説だった。 2005年くらいまで、新しい作品が出ると、しようがないような気分で買いこんで読んでいた。この春に書棚の整理をしていると、大きめの判型の「鉄塔家族」(日本経済新聞社)が、妙に邪魔になる感じで座っていた。ところどころに付箋が貼ってあるから、読んだことは確かだ。たしか、これを読んだのを最後に、この人の小説を読むのを一旦やめた。 家族との不和、仕事の現場で被災したアスベストによる喘息、ずっと、ルースボーイのままで、職場や家庭はいつまでもショートサーキットしている主人公のありさま、読み終わると、切れないカミソリきずのようなひりひり感、大作の「鉄塔家族」を読み終えて、つくづく、この人の作品は疲れると思ったはずだ。 あれから十年余り、とっている新聞の書評欄に佐伯自身が書評を書き始めた。地に足が着いたというか、穏やかな物言いで作品をほめている文章に、はてなと思った。 「この人、何か変わったかな。」 何が変わったのかは、よくわからない。知り合いが勤めている大阪にある大学の文芸科で先生をしていると聞いたのもこのころだった。 新潮文庫の新刊のラインナップにあった「渡良瀬」(新潮文庫)という小説を久しぶりに読んだ。 読み終えて、 最後のシーンが引っ掛かった。しかし、全体の印象は「化けた」という感じだった。以前のイメージが、小枝にとまって囀り続ける小鳥だったのに対して、大きく羽ばたいて、空をゆく感じがした。 主人公を取り巻く家族や、職場の状況が大きく変わっているわけではないし、主人公の描写も年齢を重ねた様子が違うだけのようだが、読んでいると読者まで傷つけるような、錆をなめたような不快感が消えていた。 あわてて、なんであわてなきゃあいけないのかわからないが、気分はあわてて「還れぬ家」(新潮文庫)を読んだ。家族も仕事も変わっていた。40年前に飛び出したはずの仙台が舞台だった。東北の大地震を被災したふるさとの町に主人公は帰っていた。 微妙なニュアンスは、以前の味わいを残しているが、この作品も「渡良瀬」に近い印象だった。 「渡良瀬」は「鉄塔家族」と描かれている時期が重なっているように感じたが、何かが変わっている。小説世界は1980年ころの作家の生活、子どもがいて、小説を書きたがる主人公がいて、それを嫌がる妻がいる。街の電気工事ではなく、配電盤製作工場の勤め人をしている。 今、手元にないのであやふやな記憶で書くが、小説の中で、この遊水池の野焼きのシーンが、日々の配電盤の製作のシーンと対照的なイメージで描写されており、ここに妻や子供たちを連れて来たいと思う気持ちを生活のなかでは素直に表すことができない主人公の哀切な心情の穏やかな深さがこれまでの作品にはなかった印象だった。しかし、最後にもう一度描かれた、この「遊水池」のシーンに引っかかった。 何故このシーンがもう一度ここで描かれるのか、そこまで書かれてきた電気工の主人公の描写と、このシーンがどうつながるのか。 ここで湧きあがった 自分なりの疑問に答えを出したいからというより、「還れぬ家」(新潮文庫)を読んだあと、再び自分のなかでブームになっていて、図書館という強い味方を得たこともあり、今まで読まなかった小説論やエッセイ集にも手を出しはじめた。 「とりどりの円を描く」の次に手にとった一冊は「麦の日記帳」(プレスアート)という佐伯の最新の著書だ。そのなかに「渡良瀬遊水池ふたたび」と題したこんな文章があった。 はるか上流の足尾銅山の鉱毒によって渡良瀬川は汚染され、流域の農地にまで及んでいった。日本における郊外に始まりととされる足尾鉱毒事件。そのために、時の明治政府によって、洪水調整の名目で、もともとは肥沃な農地で流れている川には魚影も濃かったこの土地は、遊水池として強制的に水没させられ作り替えられたのだった。 そして今、上流の足尾山地や赤城山一帯は、放射能の汚染地帯が広がっており、大雨のたびにセシウムを含んだ大量の土砂が、遊水池へ運ばれてくる。震災によって三年ぶりにおこなわれた野焼きは、放射能の悲惨を懸念する声を配慮して、焼く葦原の面積を例年の四〇%にとどめたという。百年を経て歴史が繰り返されている思いが湧く。 「あっ、そうか、ここが『谷中村』の水没地点だったんだ。」 さすがのぼくでも、渡良瀬川が足尾銅山の鉱毒が垂れ流された川だということくらいは知って読んでいた。 しかし、主人公が自転車に乗ってやってくるこの場所の水底には100年前に沈められた村が一つある事には気づかなかった。 気づいてみると、この場所を小説の中に描こうとしていた作家の意図のようなものが浮かび上がってくる。作家は、人が生きている、小さな「とりどりの円」を描きながら、癒しの風景としての自然としてこの場所を描いていると読んでいたのだが、そうではなかった。この風景もまた100年を超える時間をたたえた「とりどりの円」の一つだったのだ。 日々のうたかたのような人の暮らしを描く小説の最後に、この風景を描くことで、人の命や生活を越えた時間が小説世界に流れ込んでくると作家は考えたに違いない。それがぼくの納得だった。 この日記は2013年の春に書かれていて、「渡良瀬」(岩波書店)が単行本として出版されたのはその年の暮れだ。小説は20年以上も昔の生活を描いているわけで、震災も放射能汚染も想像すら出来ない主人公の暮らしが描かれている。しかし、作家のなかには100年を超える時間の流れが意識されていたことは間違いなさそうだ。 引っかかっていたとげのような読後感はこうして解消し、小説「渡良瀬」の大きさを、あらためて実感した。2018/12/30 追記2019・04・19佐伯さんの新作「山海記」(講談社)が出ましたね。楽しみです。朝日の書評委員を退かれたのは、とても残念ですが。追記2019・11・24「山海記」を読みました。ぼくの中では2019年のベスト3に入る作品でした。感想はいずれ書きますが、ほかにも「空にみずうみ」の感想を書いています。表題をクリックしてくださいね。 ついでというわけですが、黒川創「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社)という評論で、「渡良瀬川の遊水池」をめぐって田中正造と吉屋信子の父の出会いのエピソードが書かれています。それについて感想を書いています。表題をクリックしてみてくださいね。追記2022・09・29 「山海記」の感想は書けないまま3年経ちました。難しいものですね。自分の家のどこかにあるはずなのですが、読み終えたその本がどこにあるのかもわからない状態です。黒川創の作品の感想も書きたいと思いながらうまく書けないのでほったらかしです。「読んだ本はどこに行った?」と、自問したのは晩年の鶴見俊輔だったと思いますが、とりあえず「ああ、ここにあった」にたどり着きたい今日この頃です(笑)。 にほんブログ村(ボタン押してね!)にほんブログ村(ボタン押してね!)
2019.04.19
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