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ちょっと前に作ったうたです。今日の空は、真っ青でしたね。じっと見つめていました。じっと、見つめて、そして、考えました。あれ、私っていったい何を見ているんだろう?だって、空には、よく考えたら何もないんですよね。何もないから、夜になったら、遥か彼方の星まで見えるんでしょう?その星はあんまり遠いので、OO億光年とかいって、光の単位で距離を測るんでしょう?ということは、私たちは、ものすごい遠くまで見ることが出来るってことですよね。いいえ、存在しないものまで見てるんです。そしてそこは、時間と距離の両方を使って測る場所なんだ。そう思って空を見ると、遠いところに、手の届かないところに、行ってしまった人を思い出します。空の上に天国があるというのは、遠い所にその人がいるんじゃないか。きっと、その人は、遠い遠い所にいるに違いない。って、信じてるから生まれたことなんじゃないかしら。というわけで、今日の空を見て作りました。もう会えない君の頭上の青空は とわという名の時空間かな
October 25, 2010
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けさ、叔母が亡くなりました。もう、数十年も心臓を病み、私たちが外地に行くたびに、今度こそ、今生の別れと思いながら、不思議な生命力で生きて、やさしく、迎えてくれた叔母でした。私も子供たちも、どれだけ、可愛がってもらったことでしょう。年に不足はないものの、ほんとうにさみしいです。ほんとに、ほんとに。ともしびは静かに消えて なおそこは ほの明るくも見える気がするじっと光を見ていて、それが、ふっと消えた時、しばし、その残像の明るさが、見えることがあります。そんな感じ。そっと、亡くなるって、そんな感じです。
October 25, 2010
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女は、案外簡単に家に帰ってしまう。残されて、男は、どうするんだろう?煙草も値上がりしちゃって、禁煙中だし。女が考えているより、男は、純情かも。やり切れないかも。帰った後も、思っていてくれるかも。そんな、夢みたいな状況をうたにしてみました。会っていない時も、自分を思っていてくれる男性は、理想の男性。って、ことです。 あきらめて深夜ひっそり息をするお前の残した髪ひとすじに
October 4, 2010
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失くすのは、どんな場合もさみしいですね。なくなってうれしいのは、体重くらいじゃないですか?落し物も大変。私は、うっかりしてるので、顔が灰色になる位大変な思いをいっぱいしてきました。パスポートをなくしたり。お財布を落としたり、貴金属を一切合財入れたバッグを置き忘れたり、これは、親切なポリスが確保しておいてくれて、航空券もパスポートも全部無事だったんですけど、もし、誰かに持って行かれちゃったら、もう、おしまいでした。フランクフルトでのことです。アメリカだったら、なくなっていたかなあ。ほんとに大変。こういう品物っていうか、即物的なものも辛いけど、やっぱり、お仕事をなくして茫然としている人たちのニュース(失業は大きな社会問題ですよね。)や、ドラマであっても失恋をテーマにしたものを見ると、人は、なんて弱い心をようやく抱きしめて生きているんだろうと思いますよね。高校生くらいの時のノートが出てきたんですが、「早く大人になって、何も感じないで生きていきたい。」と書いてありました。おとなになったよ。私。でも、あの頃、大人になったら、「もっと強く、ある意味したたかになる」予定だったのに、冴えないなあ。と思います。そんなことをツラツラ考えながら、自然に浮かんだ一首。赤トマト青キウリ恋は紫のナス真二つに切っておしまい
June 8, 2009
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千鳥が淵の夜桜です。やっぱり、ここの桜はすごいです。別世界だと思う?異次元とか?山中智恵子の歌を思い出します。{/s1_spr_sakura/}{/s1_spr_sakura/}{/s1_spr_sakura/}さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて{/s1_spr_sakura/}{/s1_spr_sakura/}{/s1_spr_sakura/}この歌、真昼の歌だと思いますが、夜のイメージです。「くらき遊星」というのが、強烈なんですね。
June 8, 2009
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鎌倉探訪の続きです。鎌倉の鶴岡八幡の向かって右奥、1キロ弱歩いたところに、鎌倉宮があります。ここは、建武の中興の後醍醐天皇の皇子、護良親王を祀って1869年に創建された神社です。1869年、つまり、明治維新の翌年ですよね。後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒そうと挙兵しました。武士から政権を取り戻そうとしました。その志が、明治維新を成し遂げた自分と重なり、明治天皇は幾度もこの地を訪れ、ご参拝されたとうわけ。護良親王は、20歳のとき、比叡山延暦寺での天台座主となられましたが、父後醍醐天皇に請われ、還俗し戦に向かいました。そして、鎌倉幕府を倒幕しますが、足利高氏との間で確執が起こり、捕えられ、鎌倉東光寺の土牢に9か月幽閉され、冬を越し、7月23日28歳の若さで処刑されてしまいました。写真は、その土牢です。私は、たぶん、小学生のころ、この土牢を見たことがありました。今、見ても、暗くて深くて恐ろしいのですが、幼い私にとっては、それは、地獄の底まで続いていきそうな深い深い穴に見えました。そこに、冬の雪の日も、夏のうっとおしい湿気の雨の日も、押し込められているのを想像してしまって、怖くてショックを受けた記憶があります。小さい頃って、なんでも、大きく印象的に見えます。どんな人だったんでしょうね。いろんなドラマがあったんだよね。さて、護良親王の辞世のうたです。果てぬとて 松の緑は 勝りけり 我が黒髪も 風のさなかにネット上で、南北朝の巻 3.4 悲運の護良親王を参考にさせていただきました。
June 8, 2009
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風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残をいかにとやせん「忠臣蔵」の浅野長矩が、桜舞い散る木の下で、まっ白い装束で切腹するシーン、目に浮かぶでしょう?日本人なら、あの情景をどこかで見たことがあるんじゃないでしょうか。本当は、吉良が正しいとか、浅野たくみのかみはおバカだったとか、いろいろ言われたとしても、あのシーンを思えば、やはり涙が出ます。無念。後悔。悔やんでも悔やんでも、取り返しがつかないことへの涙です。そして、藩主は若く桜の花のように儚い(はかない)。辞世のうたとして、まっ先に思い浮かぶのは、やはりこの歌なのでした。歌舞伎や浄瑠璃で繰り返し上演されたこの物語は、次第に日本人の考え方、感じ方に大きな影響を与えましたね。美学ともいえますね。合理的ではないかもしれませんが、共感します。そのせつなさに。お話は、以下の史実をもとにしています。ちょっと、おさらいしました。江戸時代・元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩が高家肝煎・吉良義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発する。松の廊下事件については、加害者とされた浅野は切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしとされた。その結果を不満とする大石良雄をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂浪士、いわゆる“赤穂四十七士”)による、元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)の本所・吉良邸への討ち入り及びその後の浪士たちの切腹までを題材にとった物語の総称として使われる。
June 8, 2009
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親友と大山に紅葉を見に行きました。大山は、彼女の家の近く、伊勢原からすぐの所です。新宿からたった1時間で、別天地のような紅葉の山に行かれるのです。綺麗だった。お昼は、名物の豆腐料理をいただきました。ポンポンダリアは、お豆腐が大好きです。豆乳も大好き!!我が家では、コーヒーも紅茶も豆乳を投入して飲みます。(コホン)これは、大豆イソフラボンが豊富で女性ホルモンの代わりになる(?)らしいですよね。そして、例によってお土産をたくさん買って、ヒイヒイ言いながら帰途につきました。とても、いい所だったわ。紅葉の赤が、緋のようでした。見られてよかったです。今年の終りに。。。そして、一首。。君の眼の睫毛の先を見守れば光る涙に紅葉は赤し登り切り振り返る道に点々と赤き紅葉が記憶のやふに柿色の夕日が沈む山寺は秋深々と抱きしめており落ち葉積もり隠してほしいこともあり
June 8, 2009
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いつの間にか、秋になりそうです。今日もすごく暑いんだけれど、それでもやはり、一時期のあの真夏からは遠ざかっていきそうです。夏の終わりは淋しいなあ。と、しみじみしております。さて、写真は、北鎌倉にある浄智寺さんの山門のあたり。鎌倉が好きという方はよくご存じだと思いますが、この寺の脇を通って歩いていくと、銭洗い弁天に行かれます。鎌倉五山の第4番目に位置する、立派なお寺ですが、比較的空いています。このお寺のたたずまいはとても素敵。たまたま、このお寺のあたりで待ち合わせをしました。ベンチがあって、そばに、俳句を投稿するポストがありました。待ち人はなかなか来ません。もてあまし、拙いのを3句ほど作って投稿しました。そんなことが出来るのも、鎌倉のよさかもしれません。 紅葉待つ ふりして人を待ちにけりまだ、モミジは青いのです。私は、モミジが赤くなるのを待っているのです。別に、誰かを待っているのではありません。紅葉、まだかなあ。ほんとに、紅葉を待っているんですってば。。。。と、いう句です。紅葉は、8,9,10月の秋の季語なんですと。投稿用の紙の裏に書いてありました。俳句も面白いかもしれませんねえ。ぜんぜん知らない世界ですし。あーあ、秋だわ。。
June 8, 2009
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紫陽花の記事や、写真を掲載したいと思っていましたが、なかなか思うようにならず、あっという間に季節が過ぎていきます。すでに、見かける紫陽花は、干からびて海綿みたいです。散らない花は、残酷ですね。あんなに綺麗だったのに、と言われながら、なお、残骸を人目にさらしてしまうんですもの。でも、私は年を取って、今では散らない花が愛おしく思うようになりました。散ってこそ、花だけど、散らない生き方もあるのかもしれません。しおれた花は、花じゃないけど、何の役にもたたないけど、じっと、色の変わった紫陽花を見ていると、さらに乾いて、いつの間にか、消えていくのもいいかな。と思う。静かに、静かに、人知れず。。。さて、私の好きな紫陽花の歌は、満開の頃のものです。。まず、寺山修司 森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし 青い紫陽花は、少年のイメージがあります。大輪の紫陽花は、小さな可能性の集合体のようだ。と思う。そして、塚本邦雄。夜の紫陽花黒くしたたり孤独なる二人むすばれて二人の孤独紫陽花の木の下が、その花のせいでとても暗いことをご存じですか?紫陽花の木の下は、日が差さないので草も生えてこない。孤独な二人は、結ばれて、なお孤独のままです。塚本邦雄歌集 (現代詩文庫)塚本 邦雄思潮社このアイテムの詳細を見る
June 8, 2009
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前回、寺山修司の詩を紹介したところ、アクセス数が最高だったので、やはり今でも好きな人が多いのかしら、と、また続きを書いてみます。歌や句をを作る人は、辞世を作っておこうかと考えることがありますよね。はたして、世の中の有名な辞世の歌は、本当に死の直前に作られたのでしょうか。これは、誰もが疑問に思うことなんじゃないかなあ。だって、非常に取り込み中ですから。。。ふざけて言っているのではありません。私自身、辞世の歌は作っておきたいと思いますから、本音なのです。事前に用意していた場合、時と共に、気持ちが変わってしまうこともあります。そして、作り直すこともあります。それを繰り返すうち、空しくなります。違うんじゃないか。。。。これです。こう思い始める。違うよ、私は、一体、何が言いたかったのか、何を残したいのか、誰に?家族に?思いは かき乱れ、何もまとまらなくなります。悲しいです。さて、寺山修司の辞世の歌が何のか、私は知りませんが、いつか、雑誌で、この歌がお葬式の式次第(?)に選ばれたと読んだことがあります。とても昔の記憶なので、間違っていたらどなたか訂正してください。{/note/} 駈けてきてふいにとまればわれをこえて ゆく風たちの時を呼ぶこえ・・・・・・・・思いはいろいろありますが、たとえば、息子は確かに、私を越えていく風ですね。いずれ私がいなくなったとき、この風が止まらないことを願っている・・・
June 8, 2009
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毎日、私の眼は、いろんなものを見てすっかり疲れています。実際、強度の近眼で、近視性緑内障と診断されちゃいました。さらに、左目は、眼球内に薄いオブラートが張っている状態だそうで、これは、加齢による黄班変性という名前の病気ですが、ものが歪んで見えるし、左右の大きさが違って見えるし、とても厄介です。普通の老眼もすすんでいるので、1日中、老眼鏡が手放せず、めんどくさいなあ。さて、見えないものを見ようとするには、意志の力が必要だと思う。ちょっと、唐突ですけど、、、この発言は。でも、この見えないものに、私は支えられて生きているのよね。バーチャルばあさんです。そのあたりを、これから、掘り下げていこう。それを、これからしばらくの、私の目標にしよう。と、思っています。そして、ずっと、さばっていた短歌も、書き留めておこう。いっぱい、なくなっちゃいましたけど。つまり、気持ちって、書き留めておかないと、霧散しちゃうんだよね。*** 昼ホタル真昼の銀河のほとりにて それでも一瞬光ったような
June 7, 2009
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きょうは、寺山修司ポンポンダリアは、寺山修司が好きです。初めて出会ったのは、高校生の頃だったと思います。彼はすでに、短歌をやめて、変な劇や映画をやっていました。全然ついていけなかったけど、それらの作品の中に、彼の歌の世界があるのかしらと期待して見に行ったりしましたね。でも、やっぱり、どうも、苦手だったな。(笑)あんなシャイな人が、どうしてあんなグロテスクな映像を作るのか、今でも不思議です。今日は、寺山修司の詩の中から、{/mug/} 涙は世界で一ばん小さな海ですの一行を贈ります。その海で、おぼれることだって、できるんです。出典は下記の詩から、、、『目』目はなによりも質問であるその返答は世界である目は燈台である心は孤独な航海者である目は窓である季節は窓拭き掃除人である目は読む力である歴史はかぎりない書物である目は自然をたたえる涙は世界で一ばん小さな海である目は宥(ゆる)す光である視線はことばの水平線である目はいつも二つある一つはおまえを見るためにもう一つはぼく自身をみるために(『寺山修司少女詩集』1981、角川文庫)寺山修司少女詩集 (角川文庫)寺山 修司角川書店このアイテムの詳細を見る
June 1, 2009
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仕事のブログから、個人的な日記を引っ越しすることにしました。ニックネームはポンポンダリア。実は、ポンポンダリアは、短歌が好きです。自分でも少し作っていましたが、最近は、だめですね。お仕事と歌は両立しないみたい。現代では、歌人として、歌だけ作って生活する人はほとんどいないのですから、誰でも、仕事をしながら歌も作っているはずです。また、そうした歌こそ命が通っているのかもしれませんが、私の場合は、現実が苦手なのでしょう。たぶん。そこで、時々、私の好きな歌を書きとめていきたいと思っています。このブログには、悲しかったり、淋しかったり、辛いことがある方が立ち止まるかもしれません。私も決して強い人間ではありませんけど、このブログを読んで、ふっと溜息をついていってもらえたら、と思います。今日は、大西民子の歌てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来るこれは、桜。桜の季節に、書いたらよかったけど、、、、桜の木の下で、立ちすくんでいる自分がいて、花びらが、後から後から、降りかかってくる。私にも、見えぬ傷があって、どうしてもそこから溢れてしまうものがある。そんな歌。忘れたるころに一つづつ咲く薔薇を思ひやさしくなりて眠りつこの歌は、大西民子が妹さんを喪った時の歌です。一つづつ薔薇が咲く、少しづつ、時間が経つ。ゆっくりではあるけれど、眠れるようにもなってきたよ。あなたがいなくても。あなたを失ったけれど、でも、まだ、淋しいままだけど、、、、評伝大西民子有本 倶子短歌新聞社このアイテムの詳細を見る
June 1, 2009
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さよならです。きのう、完全にお仕事から撤退しました。この半年、いえ、約2年間、なんとかしようと頑張ったけど、結局駄目だった。これからは、また読者になります。思えば、私の人生は、いつも読者だったのね。本気で感情移入しちゃって、泣いたり笑ったり、とても忙しい読者です。リアルでは平凡な私ですが、バーチャルな世界では自由です。地球のどこにいても、思い出と情熱は、永遠に私のものよ。さようならやり直すとか、もう一度トライするとか、そういう前向きなことは、もうやめよう。そっと、消えてしまおう。それでも、世界は動いていくし、新しい何かは生まれるし、明日は晴れそうだし、いいことがあるのかも。。。でも、私は、ひとつの季節の終わりをゆっくり眺めていよう。そして、世の中とか、時間とかが、駆け足で過ぎていくのを、ただ、傍観者としてぼんやり他人事のように、やり過ごすのだ。そういう生き方を、私は若い頃に選んだのだった。:: 見上げれば踏み止どまるも運命の 星より遠い君の横顔今は仕事が恋人です。なんて、言ってみたかったなあ。
June 1, 2009
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町を歩いていて、あれ、ここ更地になっちゃった。って発見することがあります。その瞬間、それまでここに、どんな建物が建っていたのか、どうしても思い出せなくなる。通り過ぎて、しばらくしてから、「あ、そうだ。薬屋さんだったっけ。」なんて、思い出したりします。確か、歌の文句にもありましたよね。「変わり続けてえ~くう、街並みのよおおに~~。元にはもどれえないい~、過ぎた日のふたありい~」だったかなあ。さて、今日は、いいお天気だったわ。私も一首、行ってみよう。ーー青空に幕切って落とし現れたガラスのビルに住む人はないそれまで、まるで秘密のように白い布に覆われていたビルが、ある日、目の前に現れます。オフィスビルです。その全面ガラス張りのビルに、真っ青な空が映っている。だから、ガラスなのに、中は全く見えないの。全部、反射しちゃいます。きっと、これから、大勢のビジネスマンが働くんだろう。生活を背負い、生活のために。でも、生活のにおいは嫌いだ。誰も住んでいない美しい建物。それが、いきなり、出現する。そんなふうに、舞台に登場する人。そんなふうに、存在すること。でも、そこには、誰も住んでいないのです。
May 15, 2009
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失くすのは、どんな場合もさみしいですね。なくなってうれしいのは、体重くらいじゃないですか?落し物も大変。私は、うっかりしてるので、顔が灰色になる位大変な思いをいっぱいしてきました。パスポートをなくしたり。お財布を落としたり、貴金属を一切合財入れたバッグを置き忘れたり、これは、親切なポリスが確保しておいてくれて、航空券もパスポートも全部無事だったんですけど、もし、誰かに持って行かれちゃったら、もう、おしまいでした。フランクフルトでのことです。アメリカだったら、なくなっていたかなあ。ほんとに大変。こういう品物っていうか、即物的なものも辛いけど、やっぱり、お仕事をなくして茫然としている人たちのニュース(失業は大きな社会問題ですよね。)や、ドラマであっても失恋をテーマにしたものを見ると、人は、なんて弱い心をようやく抱きしめて生きているんだろうと思いますよね。高校生くらいの時のノートが出てきたんですが、「早く大人になって、何も感じないで生きていきたい。」と書いてありました。おとなになったよ。私。でも、あの頃、大人になったら、「もっと強く、ある意味したたかになる」予定だったのに、冴えないなあ。と思います。そんなことをツラツラ考えながら、自然に浮かんだ一首。赤トマト青キウリ恋は紫のナス真二つに切っておしまい
May 13, 2009
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おめでとうございます。年末は、旭山動物園にいきました。今日は、これから、歌舞伎座へ行きます。午後の部。もうすぐ、主人が帰って来るので、お掃除しなきゃ。そんなのに、断水してます。たまの休みなのにいい。子供は、今日から、学校だし。そんな時は、ふと、歌が浮かびます。たましひに光る音叉を持つ君に触れてふたりの響きあう音◎ishibashi TUNING FORK(音叉)いったい、君って誰でしょう????誰でもないけど、愛する誰かです。吾子(あこ)と代えれば、子ども達だし、夫かもしれないし、いい役者かもしれないけど、今年は、私も、たましひに、密かに音叉(おんさ)を隠しつつ、いいものに触れるときのアンテナとしたいものです。
January 9, 2007
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