全27件 (27件中 1-27件目)
1
2月、久々に実家に帰りました大雪のなごりで、かまくらを作ったり娘は雪遊びを堪能♪それから、いざおばあちゃんの畑へ!大根にねぎ、ニンジン..冬野菜をいっぱい収穫して氷のお皿にのせたよ♪冬でも畑の土はふっかふか収穫の恵みを体験できて幸せそうな娘ですまずはネギ!!この大根もマホがほったよ~にんじん、ひとりでほ~れた♪雪のおさらだよ、つめたいつめたい!!
May 2, 2008
大好きな根尾にて木々を仰ぐ近頃の猛暑ですこしバテ気味でしたが主人の奉仕している学生キャンプに差し入れがてら?顔を出してきました真っ青な空の下透明な根尾川に足を浸しながら水遊びに興じるキャンパーを眺めているうちにすっかり心が潤されていました 真の愛はひからびるようなものではないそれは深い深い流れである『朝ごとに』スポルジョン著 8月7日抜粋今朝読んだことばを肌で感じたひとときでした深く澄んだ流れのような愛・・!わたしもいただきたいです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真歩は暑さにも負けず元気です!毎夏恒例のおでこ全開スタイルトウモコロシ(!?)大好きなの~♪♪パパはやくかえってこないかな~
August 7, 2007
桜が満開ですもう一年がめぐってきたのだな・・義母が天に召されて1年記念会では教会の方々と共に思い出を分かち合いましたみんなの偉大な母であった義母その足跡は今も私たちに励ましと気づきを与え続けています1年たっても遺族の心中には様々な言いようのない思いがありますがそんな思いがあえて言葉にされて今までこらえていた涙が流れてはじめて 新しい歩みへと踏み出せるのかなそんなことを感じた記念会でした 私たちは 切迫流産 そして流産を経験しました千葉から駆けつけてくれた実家の母にこころから感謝していますちいさないのちの喪失は何度経験しても辛く悲しい出来事ですが身も心も静かに休むときを与えられてすべては神様の時の中にあるのだと心から受け止めて平安をいただきましたしかし、主よわたしはあなたに信頼していますわたしの時は 御手の中にあります詩篇31:14,15真歩はこの間 パパとおばあちゃんの愛情をたっぷり注がれてめきめきと成長しましたほめ上手な母は子供のやる気を引き出すようでいろんなことにチャレンジした1週間でした引越し以来ダンボールの中にいたかわいそうな観葉植物たちは母と真歩の手によってベランダに植え替えられちいさなガーデナーさんはおお張り切り!お箸で食べるようになりトイレに喜んで行くようになりついでに断乳にもあっさり成功(ママはちょっぴりさびしかったけどね)公園から帰ったらうがい手洗い朝起きたらお料理のお手伝い・・娘の「頑張る力」がどんどん引き出されていくのにびっくりの日々神のなさることはすべて時にかなって美しい伝道者の書3:112人の素敵な母の後ろ姿を模範に私もすこ~しずつでも 日々成長させていただきたいと思うこのごろです彼女は力と気品を身につけほほえみながら後の日を待つ彼女は口を開いてちえ深く語りその舌には恵みの教えがある箴言31:25,26
April 5, 2007
あさって隣町岐阜に引っ越します思いでのいっぱいつまったアパートともお別れ物思いにふけりそうになるのをこらえて鬼のようにちゃっちゃか荷造り中です瑞穂は人口5万人のちいさなまち若い世帯が多く自然にあふれた暮らしやすいところでした素敵な出会いもたくさんありました新しい住まいは牧師館なので必要以上に緊張している私なのですが神様が備えてくださるひとつひとつに感謝して歩みたいと思います落ち着いたころに(笑)ぜひお立ち寄りくださいませ♪おそれてはならないおののいてはならないあなたの神 主があなたの行くところどこにでもあなたと共にあるからであるヨシュア記1:9・・・・・・・・・・真歩ぐんぐん成長中!!蕗をせっせとむいて・・ ケーキつくりながらつまみ食いして・・お人形もおんぶしてあげちゃうもん♪
March 3, 2007
見よ、新しいことをわたしは行ういまや、それは芽生えている新年礼拝の聖句で一年をはじめました小さな歩みをはじめる私たちに先立って神様が新しいことを備えていてくださるあれもこれも!と自分で頑張る前から・・!「芽生えている」という言葉に励まされます新しいいのちが もう種から芽を出している力強くいのちは伸びるのです私たちがどんな状況にあったとしてもなお今年もきっといろんなことが待っていますどんなことが起こったとしても神様の愛と最善がかわることも離れることもない大きな希望と共に2007年始動です本年も どうぞ宜しくお願いいたします・・・・・・・・・・この聖句を聞いて脳裏に浮かんだ絵本雪に閉ざされた土の下で無数の種から芽が出ていますぐんぐんぐんぐん季節と共に伸びてそして・・生命の営みに涙が出る素敵な絵本ですよ「木のうた」イエラ・マリ・・・・・・・・・・・・・・・1年半ぶり(!)に実家に帰省してきました真歩は初日やや緊張気味でしたが猫のかりんとすっかり仲良しに♪千葉の家族にも愛されて至福のときでしたかりんちゃん、おやさい、ど~じょ!(真歩のあそびにしぶしぶ付き合うかりんの図)
January 5, 2007
今日は静かに真っ青に晴れています。用事がキャンセルになったので、のんびり娘と散歩。毎日、親の用事につき合わせてしまうのでおまけ時間をいただけて、とっても感謝。お天気なのでカーテンもお洗濯!!部屋の中が明るくなったような気がします。神様がくださるたくさんの光をさえぎってしまってはもったいないから。心のカーテンもいつもきれいにしなくちゃ。わたしを透き通る空気にしてくださいどんな色をも通してゆがめることのない空気にしてくださいあってない私という空気を通して神の愛の美しさが輝きますようにエミ・ーカーマイケル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「おっとっと!!」わざわざ道の端を渡りますあいかわらずのおのぼりさんですすべり台にも自分でのぼれちゃうよ~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Mちゃんは先月受けた骨髄移植が成功し無事に回復しつつあるということです神様、感謝します!このお知らせのあと、再発がわかり再び治療中です続けてお祈りいただけたら幸いです
October 25, 2006
この夏、家族と念願の無言館へ戦没画学生の遺作を集めた美術館ひとりで行っていたら号泣してしまったかもしれない奥様の絵や、赤ちゃんのデッサンに胸を刺される今の私たちと同年代の彼らの平凡な幸せな時間が続きを刻むこともなく漂っているのが切なかったこれらを遺作として守り続けてきた家族を想った絵だけを遺してこの世を去った夫を恋人をどんな気持ちで想い続けたのだろうと思う十字架の形をした建物から一歩出るまぶしい光と美しい深緑蟻にウェハースをあげる娘の屈託ない笑顔いただいている幸せをかみしめながら思う愛するものを戦場に送る時代にはしたくない主よ、わたしたちをあなたの平和の道具としてください・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「あなたを知らない」無言館館主 窪島誠一郎遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ私はあなたを知らない知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だあなたの絵は赤い血の色に染まっているがそれは人の身体を流れる血ではなくあなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼け色あなたの胸を染めている 父や母の愛の色だどうか恨まないでほしいどうか咽かないでほしい愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に今ようやく 五十年も経ってたどりついたことをどうか許してほしい五十年を生きた私たちの誰もがこれまで一度としてあなたの絵の切ない叫びに耳を傾けなかったことを遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ私はあなたを知らない知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だその絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ
August 15, 2006
私たちの教会の愛するMちゃんが骨髄移植を必要としています適合するドナーが与えられるようにとみんなで心合わせて祈っています祈るなかで心に迫ってきたことMちゃんのドナーは自分かもしれない・・誰かが同じように待っているかもしれない・・私も骨髄バンクに登録しようと思います今このときも病気と闘っているMちゃんとご家族を神様、どうぞ今日もお守りください・・・・・・・・・・・・・・・・毎年2000人の移植を必要とする方々のうち2割もの方が適合するドナーが見つからないそうです現在の登録者数は21万人もしも30万人の登録があればほぼすべての患者さんにドナーが見つかるのだそうです骨髄液を採取するのかと思っていましたが登録は少量の採血でできるとのこと興味をもたれた方はぜひご覧下さい骨髄バンク・・・・・・・・・・・・・・・・あなたの手に善を行う力があるとき求める者に、それを拒むな箴言3:27(聖書)
May 20, 2006
かなり遅ればせながらですが荒川静香選手の演技、素晴らしかったですね。エキシビジョンでの演技にもため息・・そして、選曲にも感動しました。Celtic WomanのYou Raise Me Upでしたが、毎日のように聴いている大好きな曲なのです。(我が家のはSelahバージョンです)クリスチャンワーシップであるこの曲。歌詞が素晴らしいのでここでも紹介します。・・・・・・・・・・You Raise Me UpLyrics by Brendan Graham music by Secret GardenWhen I am down and, oh my soul, so weary;When troubles come and my heart burdened be;Then, I am still and wait here in the silence, Until you come and sit awhile with me.You raise me up, so I can stand on mountains;You raise me up, to walk on stormy seas;I am strong, when I am on your shoulders;You raise me up... to more than I can be.You raise me up, so I can stand on mountains;You raise me up, to walk on stormy seas;I am strong, when I am on your shoulders;You raise me up... to more than I can be.There is no life - no life without its hunger;Each restless heart beats so imperfectly;But when you come and I am filled with wonder, Sometimes, I think I glimpse eternity.You raise me up, so I can stand on mountains;You raise me up, to walk on stormy seas;And I am strong, when I am on your shoulders;You raise me up... to more than I can be.You raise me up... to more than I can be.© 2001 Universal Music Norway / Acorn Music, Ireland身も魂も疲れ果てるとき苦難にあって重荷を負うときじっと静かにあなたを待つそばに来て共にいてくれるまで*あなたが引き上げてくれるから山々の頂にだって立てるあなたが引き上げてくれるから荒海だって越えられるあなたに支えられるなら私は強くなれるあなたが引き上げてくれるから自分を超えられる飢え渇かない人生なんてない不安な心がばくばく鳴ってるけどあなたがいれば奇跡で満たされる永遠を垣間見たような気にさえなる*あなたが引き上げてくれるから山々の頂にだって立てるあなたが引き上げてくれるから荒海だって越えられるあなたに支えられるなら私は強くなれるあなたが引き上げてくれるから自分を超えられる・・・・・・・・・・・・・「あなた」と言われているのは神様のこと。あなたがいるから私はどんな境遇の中でも歩み続けることができる・・心からこの歌詞に共感しているこのごろです。こんなに人に感動を与えられるまでにはきっと険しい道のりも通ったことでしょう。荒川選手もきっと、この歌詞をかみしめながらリンクで演技したのでしょうね!(誤訳があったらお知らせください!)
March 1, 2006
駅前バリアフリー工事が終わりました。ベビーカーで歩くと、うわぁ・・快適!ほとんど段差を感じさせません。こういう気配りって嬉しいものです。車生活のときには気がつきませんでしたが、けっこうバリア(障壁)ってあるものですね。段差、狭い歩道やトンネル、階段・・ベビーカーならまだしも、車椅子だったり足が弱かったりする方にはまだまだ優しくないところがいっぱい。私たちの教会は、弱さを抱えた人に優しいかしら・・礼拝堂に上がることができずに帰っていかれたある高齢の新来者の方を思い出しました。バリアフリーの体現者イエス様の教会ですからすべての人に優しいところでありたいなと思います。キリストこそ私たちの平和二つのものをひとつにし隔ての壁を打ちこわしご自分の肉によって敵意を廃棄された方ですエペソ2:14,15(聖書)・・・・・・・・・本日のマホあれもしなくちゃこれも・・と思うときにはあえて子供を連れ出すことにしています。今日は児童館で思い切り遊びました。リフレッシュして気持ちを切り替えます。さぁ、がんばるぞ!
January 25, 2006
今夜は真歩とふたりぼっちの夜。容態のすぐれない義母のため、主人は病院で付き添いです。先日お見舞いにいったときには意識の朦朧とした中で義母は「マホ~!」と呼んでくれました。早く風邪を治してまた行こう。また元気なおばあちゃんになれるように全能の神様に一緒に祈ろうね。・・・・・主は倒れるものをみなささえ、かがんでいるものをみな起こされます。あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。詩篇145:14,16
January 4, 2006
あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。新しく始まったこの一年にあたって再びこのみ言葉を思い巡らしています。私たちはこの宝を、土の器の中に入れているのです。・・私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行き詰まることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されるが、滅びません。・・すべてのことは、あなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人に及んで感謝が満ち溢れ、神の栄光が現れるようになるためなのです。2コリント4章よりすべてのことを通して恵みが多くの方々に及び感謝が満ち溢れ神の栄光が現われるとても大きな約束、そして慰めですね。しっかりと信じて歩みたい2006年です。・・・・・・真歩も2度目のお正月を迎えることができました。初めて高熱を出しましたがやんちゃぶりは衰えず!
January 3, 2006
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた!!(ヨハネ1:9)・・・この光は人生のどんな闇でも照らすことができる。そこに希望を見出しながらこの週も歩みたいと思います。・・・Sun.大雪の中でこどもクリスマス会。子どもたちと共に喜びを満喫しました。「蒔かれた種からいつかきっと芽が出るね」(クリス兄)・・・Tue.飾火礼拝のためにお菓子作り。粉まみれの婦人会の交わりもまた楽しく♪「何でもみんなでやると楽しいね」(木姉)・・・Wed.K姉宅でもたれたクリスマスクッキング集会。心も体も魂も満たされたひとときでした。恵みの分かち合いで盛り上がり・・おもてなしの心に愛をじんわり感じ・・企画準備してくださったK姉、感謝します!直☆さん歩☆ちゃん親子からの贈り物で我が家の玄関もほっこりいい感じに・・!・・・・・・・・・・・・・・・そしてそして・・・1歳ホヤホヤの真歩はヨチヨチと歩くように!!私たち夫婦にとってのクリスマスプレゼント♪毎日連れ出されて大忙しですがみんなと一緒にいるのが好きな子です(つづく)foto by:satsuki/shinji/katsura
December 21, 2005
朝起きたら一面の銀世界・・「きゃぁ~(涙)」隣町の教会のクリスマス会でメッセージ奉仕があり、大雪の中、娘を抱いて出るのを内心ためらいました。が・・雪をかぶって当の娘はきゃっきゃと大喜び!そうか、この雪を喜べばいいんだ!!ざくざくと雪を踏む道のりもガゼン楽しくなり。今年はじめてのクリスマス会は心温まるひとときに。集われた方々おひとりおひとりの証しに神様の取り扱いを見せていただき感涙でした。これからクリスマスの行事が目白押し。たたみかけるように味わえる幸いを期待しつつ。・・・・・・・・・・・・・・・ウラバナシメッセージ準備にバタバタしている私を気遣い昨日は休日だった主人が真歩を連れ出してくれました。今日も帰宅したら家はピカピカに・・!「最高の奉仕ができるよう支え合うのが夫婦でしょ」と(涙)。(がんばりすぎて熱を出してしまいました・・ゴメンネ・・)・・・・・・・・・・・・・・・冬が来たら 冬のことだけ思おう冬を遠ざけたりしないでむしろ進んで 冬のたましいにふれ冬のいのちにふれよう「冬がきたら」坂村真民
December 13, 2005
教会暦では今日からアドベント(待降節)。教会の皆さんとクリスマスツリーを出して飾っていると、あら不思議・・・なんだか心が静かにじ~んわり嬉しく。内から外から、こうして体全体で待ち望むのがアドベントの過ごし方なんですね。嬉しくなってアドベントカレンダーを入手!開くことで日々喜びを蓄えられるように。・・・・・・・・・・・・・・・あなたの最善の御手に信頼して「待ち望む」ことを教えてください今年のアドベントの祈りです。約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはないヘブル10:36-37・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真歩 もうじき1歳お誕生日ママのまねっこ大~好き!アイロンだってかけちゃうも~ん(フフフンフン♪)注)電源は入っておりません
November 27, 2005
今週は、はからずも交わりウィーク。ひとりでいるのも大好きですが人と共にいることの幸いを満喫しました。・・・・・・・・・・・Mon.-Tue.知多半島にて夫人リトリート。先輩牧師夫人・宣教師夫人の赤裸々な証しにタイムリーな励ましをいただきました。(感謝!)同室のJさんとは育児の話に花が咲きマホとケイシくんもすっかり仲良しに♪どんな苦境の中でも「しかし」と主を信頼する(B夫人)育児に関しても聖書の教えに従いたいんです(J夫人)・・・・・・・・・・・・・・Wed.もてなし上手、気配り上手なK姉のお宅で収穫感謝ランチ♪若いご婦人たちと過ごす幸いの時間・・(きりたんぽ鍋も美味~)時間を共有することで愛を感じる(K姉)・・・・・・・・・・・・・Thu.-Sat.土浦めぐみ教会から405ちゃんが来訪。すっかり大人の女性になった彼女との語らいも夜な夜な楽しく・・・(ん?ちょっと寝不足??)やるんならマジメにやりたいんだよね~(405ちゃん)「見よ。きょうだいたちがひとつになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさでしょう!」詩篇133:1
November 19, 2005
待ちに待った岐阜での上映・・見てきました!「マザー・テレサ」(クリックすると公式サイトへ)一本筋のとおった生き方に憧れる。マザーテレサの人生はまさにそれだ。わたしは神に用いられるペン描いてくださるのは神さま最も苦しんでいる人に仕えることがキリストに仕えること核心がブレないからどんな外的な圧力にも屈しない。彼女の強さってこの「ブレのなさ」なのかもしれない。最後のシーンで「平和を求める祈り」が流れる。マザーテレサのはじめたミニストリーが愛という連鎖でずっとつながっていく・・彼女の人生が終わっても愛は残っていく。・・・・自分の足跡にイエス様の愛が残るような広がっていくようなそんな生き方をしたい。そう。今。ここで。地道に。でも、たゆまずに。まずはとりなしの祈りをもっと充実させよう。毎日6時間の祈りを絶やさなかった彼女にならって。いろいろと思い巡らすことがありすぎて今日はまとまりませんがこの辺で。私たちのしていることは大海の一滴にすぎないけれど何もしなければその一滴も失われてしまう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・娘を初めて(!)託児所に預けて、教会の姉妹達と4人で見てきました。岐阜ではCINNEXで28日まで独占上映デス。(まだの方、急げ~~~♪)
October 26, 2005
10年来の友人T子ちゃんの結婚式へ。岐阜⇔土浦 日帰り強行スケジュール。でもやっぱり、「行ってよかった!」二人とみんなの愛がぎ~っしりつまった素敵な式でした。祝福したくて集まったのはなんと500人!そのど真ん中に神さまがおられる臨在感・・。二人が考えた手話つきの誓いの言葉にホロリ。「神が結び合わせたものを人が離してはなりません」おごそかな宣言に祈りをこめて「アーメン・・!」。これから献身の道を歩いていく二人に「だいじょうぶだよ、一緒にいるよ」神さまと人との大合唱だったような。本当におめでとう!!とってもきれいだったよ、T子ちゃん。A間くん、T子ちゃんをよろしくね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真歩10ヵ月。2度目の新幹線二人旅でしたが周囲の方々のご好意もあり快適。式は3階の母子室でのびのび参列。ガラスにしっかりかじりついて式を目に焼き付けていた模様。新幹線に乗ったよ~♪
October 11, 2005
遅まきながら衣替えを始めた今日、タンス脇の額を久しぶりに引き出してみました。タイを離れるとき青年達が作ってくれた宝物。「スチャダの心の中に私たちがずっといるよ」と、青年達ひとりひとりの顔写真で描かれた肖像画。懐かしい大好きだった青年たちの顔・顔・顔・・。何度見ても胸がいっぱいになる大切な宝物です。でも、同時に胸がちくりと痛みます。彼らの多くは教会から離れていると聞いて。私たちの務めは人と神さまを結ぶ架け橋となること。でも、もしかしたら私は人と人で終わってしまう橋ではなかったか・・3年間、何度もそう問い直し続けているのです。人のたましいのことは神さまだけがご存知です。彼らがいつか主のもとに帰れるようにと祈ります。架け橋として生きる私たちが、どこに置かれても人を主のもとにお届けできるようにと祈ります。イエス様はご自分をお捨てになった・・決してご自身に栄光を帰さなかった・・私の上を踏んでゆけと道になられた・・ほこりをかぶった額を拭きながら考えたこと。
October 6, 2005
あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よイザヤ51:1夏のお休みをいただいてきました。久々の実家でゆった~り過ごすつもりがついついあちこち走り回ってしまい・・でもこれが、大きな恵みの時となりました。神学校時代の友人達との再会。立場や場所は違っても同労者。多く語らずとも励まされます。主に仕えるため学んだ母校にも寄りました。自分の愚かさ、神さまの憐れみ深さ・・肌で学んだことが走馬灯のように・・。当時家庭教師で教えていた高校生が先日教会を訪ねてくれたと聞いて涙・・。10年間お世話になった土浦めぐみ教会。本物の家族も同然のこころの故郷。清野先生は「岐阜の孫が来た!」と喜んで迎えてくださいました。「懐の広さ」「ダイナミックさ」・・先生から学ぶことは尽きません。懐かしい礼拝堂に入ったとき、胸に熱いものがこみ上げました。ここで涙し、悔い改め、祈り、決心し・・凝縮された信仰の家でした。(土浦めぐみ教会の清野牧師ご夫妻と)日曜日は実家の家族と共に、洗礼を受けた船橋キリスト教会へ。この日は私の受洗15周年の記念日。ちょうど洗礼式もあり、かつての自分を思い出しました。ここから私の新しい人生が始まったのだ・・またまた目頭が・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私自身が自力で得たものなど、なにひとつないのでした。イエス様にお会いしたがゆえに、今こうして生かされているのでした。あなたに出会ってからのこの15年間、あなたの恵みは大きすぎるほどです。感謝でこころを満たされて新しいふるさと、岐阜に帰ってきました。多くの方々に愛され祈られてきたことを再確認。わたしはここでどれだけお返しができるかしら・・!
September 6, 2005
ブログでお知り合いになった牧師ご家族と初めてお会いしました。互いの考えていること、日常の出来事、普段話さないようなことも、読んでいる。それから実際に対面。こういう出会い方もあるんですね。初対面なのに昔からの知り合いだったような。それにしてもやっぱり顔と顔をあわせて会うのはいいものですね!気取らず人を和ませるとっても魅力的なご家族。もっとお話したい!!時間は飛ぶようにすぎてしまいました。転勤でこちらに移られた姉妹の訪問が今回の目的。温かい羊飼いの姿を先輩牧師夫妻に学ばされます。二人の幼いお子さんを抱えながら奥様の携えてくださった素敵な鉢植え。そんな心配りの美しさにもうっとり・・。「ボクのうちにも来ていいよ~♪」帰り際にニコニコと招いてくれた長男のH君も、ありがとう!ぜひお邪魔させてくださいね。おまけに自主的に掃除に来てくださった壮年の方々にもチャペルでばったり遭遇。帽子の下の汗に、またまたじ~ん。感謝だらけの月曜日となりました。
May 30, 2005
昔からアイロンがけが大苦手。残念ながら未だに得意ではない。一方、几帳面な主人の腕前は天才的。それでも毎日、私は主人のシャツにアイロンをかける。娘が生まれてから以前のようには全部の奉仕を共にできなくなったから「ごめんね・・」「ありがとう」「がんばれ!」そんな想いを込めて下手くそでもかける。「神さま 彼がこのシャツを着て出かけていく場所で 語る言葉を 出会いを 働きを祝福してください」家事の苦手な私からのささやかな応援歌。 大切なのは どれだけ多くのことをしたかでなく どれだけ心をこめたかです -マザー・テレサ-
May 27, 2005
最近、デジカメを使うことが多くなった。子どもの成長や、美しい季節の色、ついついたくさん撮っていると、前触れもなく表示が出てきて「あ~・・」と思う。「空き容量がありません」先日もこれがでてきた。どうやら容量自体があまり大きくないらしい。ふっと思った。私の心もこうなってるな・・。何が忙しいわけでもないのだと思う。それでもばたばたと走り回って心の余裕をなくしている自分がいる。本当に心を使うべきところまで届いていない自分がいる。「動いている」ということに満足している的外れな自分がいる。「何をするか(doing)よりも どうあるか(being)が大切だよ」かつての恩師の言葉を思い出す。神様の前にもう少し静まろう。的外れにならないように。「空を打つ拳闘」をしないように。 わたしのそばにいる魂が 傷つき悩んでいるのに もしそれを読み取るだけの思いやりが わたしになくて 無関心のままでいるならば その時わたしは カルバリの愛を全く知らない -エミー・カーマイケル- 「カルバリの愛を知っていますか」より
April 17, 2005
ふとした匂いや動作で昔のことを思い出すことがある。夕食の干物の魚を無心に箸でほぐしていたらふっとよみがえってきた10年も前の風景。バンコクのスラムに初めて行った頃のことだ。ある教会のメンバーの家に立ち寄ったらちょうどみんなで夕ご飯を食べていた。床の上にあぐらをかいて、円座になって。「おいでよスチャダ(私のこと)、一緒に食べる?」誘われてあがってみたら囲んでいたのは小さな干魚。ちびちびとみんなでつつきながらある人はナンプラー(魚醤)をご飯にたらして。涙が出そうになった。食事が貧しかったからではなくてこんな貴重な食事にもう一人招くことのできるその心に驚いたから。彼らはいつでもそうだった。ポッキーを食べていても、ソムタム屋台でも、会うと必ず「いっしょにどう?」。持っているものは多くなかったけれど分け与える喜びを知っている人たちだった。豊かな心を持っている人たちだった。彼らのそんな生き方が、頭でっかちだった私を変えてくれた。生意気で世間知らずだった私を1年も居候させてくれたタイの日本人宣教師達も。自分が何者なのか、忘れちゃいけないと言われた気がした。豊かに与えられたものを自分だけのために抱え込もうとするそんな社会、そして私の心。その貧しさを恥ずかしく思った。「あなたがたの切り出された岩、 掘り出された穴を見よ。」イザヤ51:1
February 9, 2005
「われわれは、次に歩みだすべき一歩と最後の目標だけを 知っているに過ぎないが、神は道全体を知っている。 足をひとたびこの道に降ろした者の人生は旅となる。」 ボンヘッファー昨日は、ドイツ人宣教師E先生ご夫妻のところを訪ねました。将来の夢(ビジョン)についての話が弾んで、ついつい夕方まで話し込んでしまいました。自分達が何を目指して働いているのか、どんな夢を描いてどこに向かって今ひとつひとつのことをしているのか、話していると、わくわくしてきます。地道な働きの積み重ねを、もっと大切にしたいと思えてきます。日常に追われていると、視野が目の前のことに狭まってしまいがちですね。臨月に入り、なんとか毎日をこなすのが精一杯、というような毎日になってはきましたが、目を上げて広い視野で展望することの大切さを、会話の中で改めて教えられたような気がします。日々の小さな一歩と、向うべきところ、ふたつの地点を行き来しながら地に足をつけて、しっかりと今の生活を送りたいと思います。
November 10, 2004
アメリカ大統領選挙の争点のひとつに中絶についての立場があったといいますが、アメリカの人々は中絶に対するどちらかの立場をはっきりと持っており、表明するのだそうです。生命と権利に対する問題意識の高さなのかなと思います。昨日、ちょうど集会でそんな話題になりました。「育てる責任が果たせないならば中絶するべき」という意見が出て、いろいろと考えさせられました。幼児虐待、ネグレクト、といった無責任で悲惨な状態を引き起こすよりは、むしろその前に責任を取るべきだというのがその方の意見でした。生む側の選択の権利よりも、生まれる側の生きる権利が勝っている、というのが私の意見です。自分の命でさえも、自分の所有ではない、ましてや自分の胎内の子の命はゆだねられている一個の命であり、それを断つことはある種の殺人だと考えています。10代の女の子たちの50人に一人が中絶を経験する。これが、私たちの国の心痛む現状です。喜んで中絶手術を受ける人など、どこにもいないでしょう。私は昨年、流産を経験し、除去手術を受けました。胎内に宿っていた命が死んでしまうということ、決して癒されないのではないかと思うほどの悲しみでした。ましてや自分がその命を断つという選択をする苦しみはいかばかりかと推察します。多くの方は様々の追い詰められた状況で、涙をのんで選択し、その悲しみと傷とを背負って今も生きておられるのだと思います。失われた命も、残された命も、傷ついているのです。命って何だろう、権利って何だろう、そんなことがもっと公の話題になったらいいなと思います。気がついたら問題の当事者になっていた、という前に与えられた命の重さを、その素晴らしさを、深く分かち合うそんな場を身の回りでもつくっていけたらと思っています。(参考)「ちいさないのちを守る会」[連絡先]〒101-0062 千代田区神田駿河台2-1 OCCビル TEL=03-3233-4988
November 5, 2004
「誰も自分の命を断つ権利はもっていないと思うんです」古館さんて、時々ぽろりと光る言葉を残されますね。集団自殺に関する報道○テーションでのコメント。私もまったく同感です。命の所有者は自分ではないから。昨晩、教会の集会で「もうだめだ」と思う時どうやって立ち上がることができるか?という質問がありました。本当に辛いとき、苦しみの中にいるときはどんな言葉も慰めも、心に入ってこないことがあります。でも、ふとしたきっかけで目が開かれて、「私を決して見捨てない方がいる」と気づくときが私にとっての「立ち上がる」時だったと思うのです。目を閉じて自分の世界にぐるぐると漂うときにはこの漂流に終わりはきません。でもいったん、目さえ開けたら、そこに、差し伸べられた温かい手がある。暗闇だと思っていた先に光が差している。命を与えてくださった方は決して見捨てることがない。苦しみの中で目をつぶっている方たちに伝えたいメッセージです。私のおなかに宿っている小さな命にも、今から語りかけています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしは、あなたを愛している。(聖書)」
October 14, 2004
全27件 (27件中 1-27件目)
1