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今日は、和菓子屋さんで和菓子の御布施をお預かりした。 最近、どんなに托鉢してもノルマに見合った結果が出てくれないので、食費を削っていた。一日60円で暮らしていた。だから、物凄くお腹が減っていたのだ。 托鉢が終わって合掌をしてすぐに頂いた。シワだらけのかわいいおばあさんの顔を思い浮べながら… 本当に美味しかった。有難う。助かりました。
2007年04月05日
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昨夜、里の方から再び電話を頂いた。 私の意見を聞いて下さり、『宗興が納得するならそれでいいんじゃないか』と仰って頂いた。そして、先日と同様に『基本は托鉢』そして『寺建立を忘れない事』を話して頂いた。 この行脚を成し遂げた時、私の想像の及ばない素晴らしい境涯があるのだろう。里の方々はそれを知ってるから、私に言うのだろう。だから私はそれを信じ、今は自分が醜く感じてもそれをやるしかない。
2007年04月04日
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今日の托鉢は義務感の強い托鉢であった。 昨日の事で、何やら心が落ち着かないようである。 だが、大きな町だったので、自分を奮い立たせようと藻掻いた。 気が付けば五時間も歩いていたようだ。 充実感はある。だが、なぜ長時間も托鉢をせねばならないのかという、腑に落ちない所もある。 私は托鉢に結果を求めたくない。 だが、結果で私を判断する人もいる。 それに対して私は長時間の托鉢をしようとしているのだろうか。 人から信頼を貰うには結果を出すこと… いや、托鉢は結果を求めるべきものではない。 理想としては、ただただ飄々とこなしたいのだが… いくら托鉢といえども、現実は結果なのだろうか…
2007年04月03日
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今日で旅に出てから半年となる。 その事を知ってかどうなのか、里の方から電話が入った。 どうやら、最近の私のブログを読んで、私が誤った道を進んでいると気付いたらしい。 『誤った道』といっても私自身はピンとこないのだが、私が尊敬する人生の大先輩がそう仰るのだから、間違い無いのだろう。 誤った点というのは端的に言うと『根本である托鉢をそっちのけで観光し過ぎ』という事だ。 確かに仰る通り、最近の私は以前に比べて托鉢の回数が激減しているのは間違いない。そして、様々な観光地に足を運んでいる。 この旅の基本は托鉢であると仰った。どうやら私はそれを忘れているらしい。 私は旅の基本に『学び』を置いていた。それは、托鉢からも学び、観光地(歴史)からも学び、人との偶然の出会いからも学び、自然からも学び、自分の中から出てくる感情からも学び… 私は旅の中で『托鉢とは?』『托鉢のあるべき形とは?』と、托鉢をしながら模索してきたつもりである。そしてここ最近の形が、先に述べた『学び』の理想形であると、確信と実感を得ていたのだが…その話をする前に始めから否定されたのは、やはり辛い物がある。だが、その確信や実感というのは、たかだか25歳の僧堂にも行かない小僧の未熟な経験から出た愚にもつかない物である。故に、人に語る程の大した物ではないだろう。だから、誰にも話す事なく、更に自分の中だけで磨いていこうと思う。
2007年04月02日
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