全25件 (25件中 1-25件目)
1
托鉢をしていた時、いつものように門口に立った。 一見は普通の民家のような出で立ちではあったが、赤錆にまみれた小さな看板が掛かっている。 それには『東洋はり治療院』とあった。 お経をあげていると、中から男性が出てきた。 この方、目が不自由のようだ。 玄関口で正座して私のお経を聞いていらっしゃる。 盲目の方は耳が良いと聞いた。 私は驚かさない程度の声量に落し、深く響く声に集中した。 この方に送る、私の精一杯。 私にはおよそ想像すらできない苦労に対して、僧である私が出来るのは精一杯を伝える事だ。 お経を唱え終わると、和んだ顔つきで腕を前に伸ばして下さった。 私はとっさに鉢を、この方の手に柔らかく当てた。 ズシリと重い御布施。 それでいて純粋で清らかだ。 お話をしたかった。 この方の目である手を撫でたかった。 しかし、それをしてしまうと私の『我』が出てしまう事になる。 情の絡み合いになってしまう。 それでは、この崇高な空間を汚しかねない。 私の心情までは撤する事が出来なかったが、体だけは行雲流水に撤し、その場を後にした。
2007年02月28日
コメント(0)
私はよく自分の書いた日記を読み返しているのだが、お粗末な文章・内容だなとつくづく思う。 表現力の無さ、誤字、偏った見解、矛盾。 その中でも特に矛盾が多い気がする。 矛盾が多いという事は、一貫性が無いからだろう。 一貫性か。 だが、下手に一貫性というのを形作ってしまうと、今度は柔軟性が無くなってしまうような気がする。 木は、全体を支える根と、基本体の幹と、しなやかな枝がある。 それらが上手く機能して初めて生きていけている。 人間も同じなのでは? 日常から様々な経験をして様々な考えが生まれるだろう。 その中には、例え一つの事柄でも考えてしまえば多面制が出てくる。 多面制があるという事は矛盾も生まれるだろう。 だから矛盾というのは、それほど悪くはないと思う。 だが、矛盾だらけでは良くない。 ちゃんと幹や根がしっかりしていての事だ。 なんだか、言いたい事が上手くまとまらない。 考えれば考えるほど、こんがらがってしまう。 半端な文になってしまって申し訳ない。 いつか、ちゃんとまとまった時に改めて書こうと思う。
2007年02月27日
コメント(2)
今日は気持ちをうまく切り替えて臨む事が出来た。 そして、自分の中で一つの法則のような物を見付けた。 それは、朝早く起きると一日やる気が湧くという事だ。 まぁ法則と言えるほど大した物では無いが、うまく使いこなせば最近多い無駄な一日を減らす事は出来るはずだ。 早く起きるには早く寝なければならない。 そうなると、車が少ないという理由でやっている、夜中の下見を止めなければならないな。 まだまだ生活の中で改良すべき点は沢山有る。 色々と工夫してみよう。
2007年02月26日
コメント(0)
一日中、風も強くて雨も強く降った。 今日から宮崎県に入ったのだが、かなりペースを上げなければならない。 かれこれ、九州に入ってすでに三ヶ月以上たっているのだ。 さぁ、今日も色々と行ってきたのだが、久しぶりだったのが県立美術館だ。 企画展が無い期間だったらしく、常設展を無料で解放していた。 美術という物を全く理解出来ていない私だが、美術品を観るのは好きになってきた。 そしてまた、美術館に来ている方々を見るのも、結構楽しい。 まだ小さな子供の手を引いて、絵を優しく話すお母さん。 腕を組んで、絵に近付いたり離れたりしながら鑑賞する青年。 絵を観るよりも、解説やプロフィールをずっと読んでるおじさん。 足早に周り、館内に響く声でお喋りする老夫婦。 一点の絵の前で、ずーっと見つめているおばさん。 同じ作品、同じ空間の中でもはっきりと個性が出ている気がする。 そして、どの人の見方は良くてこの人はダメ。とか、そういった善し悪しも無いだろう。 すべてが『ただそれ』であるしか無いのだと思う。 何事にも、善し悪しを付けると争いの種にも成りかねないしな。
2007年02月25日
コメント(0)
昨日と同じように、何もしない一日だった。 頭に浮かぶのは屋久島での数日間の事ばかり。 自分にとっては、あまりにも強烈な日々だったのを痛感する。 なんか、むなしいなぁ。
2007年02月24日
コメント(0)
起き上がると足のあちこちが痛む。 特に甲がひどい。 ゆっくり動かしてみると、骨がきしむような音と感触がする。 そして、よく見てみるとかなり腫れているようだ。 托鉢で歩く事には慣れていると思っていた。だが、それは勘違いであった。 托鉢と一日中歩くのとでは訳が全く違うようだ。 今日はまともに歩けないし、休養という事にした。 昼間から温泉に入って、足をほぐした。 のちに、車内で衣の修繕だ。 屋久島でずっと着ていたので、ほころびがひどくなっていた。 明日からはまた頑張らなきゃいけないからな。
2007年02月23日
コメント(0)
ベンチのような所の上で寝れば、夜露から逃れられる事が分かった。 さぁ、今日も夜明けと共に目が覚めた。 早起きは気持ちがいい。特に外だから尚更だ。 今日は歴史民族資料館に行って、後は午後一時半のフェリーまで未定だ。 資料館が開くまでまだかなり時間があるので、近くを散歩して、神社巡りをしてきた。 途中、登校する小学生達の元気な挨拶に、微笑ましさを感じて歩いた。 小さな神社の縁側に腰掛けて休憩。 なぜか神社が好きだ。 お寺みたいに拝観料を取る訳でもないし、それでいて崇高な空気が漂っている。 ここでジーっと黙っているだけで気持ちが良いもんだ。 気が付けば九時。 役場の前にある資料館へ行ってきた。 小さな資料館だったが、退屈そうにしていた学芸員さんに事細かに説明してもらった。 昔の宮ノ浦岳は神の住む場所として崇められていた。 故に、伐採など人が手を加えてはならない地であったらしい。 しかし、平地の少ない屋久島では食物に困った。 薩摩藩とは交流があったものの、年貢として納める物もなく、貧しい生活を強いられたようだ。 それを見兼ねた一人の僧が島の人に、屋久杉を伐採してそれを年貢として納めてはどうかと提案し、それから屋久杉伐採が始まったらしい。 太いのに縄文杉のような木が残ったのは、製材するには形が悪かったからだそうだ。 その他にも、島の様々な話を聞いて資料館を後にした。 役場の前を通ると『世界の屋久島展』という催し事をやっていたので、覗いてみることに。 全国から出展された屋久島の絵が飾られていた。 様々な技法で表現されていたのが面白かった。 さて、まだ時間はある。 川辺に腰掛けて、屋久島の数日間を思い起こした。 歩いた。 野宿をした。 沢山の人と出会い、温もりに触れた。 もののけ姫の森、縄文杉。 どれもかけがえのない大切な事なので、読みにくくなってしまったが、事細かに日記に残した。 自分に課せた事を成し遂げ、十分な達成感を感じるが、一つ、気になる所がある。 独り善がりではなかったか。 という事だ。 こちらからお願いしたのにも関わらず、最後に相手さんからお礼を言われたり。 『頑張ってね』とか『よし、私たちも負けずに頑張るか』と言って下さったり、食物などの御布施を頂いた事から考えれば、私も何かしらの何かを皆さんに与える事が出来たのかもしれない。 『托鉢僧はその姿が説法となる』や『托鉢僧は法の施しを与えている』と聞いているし、実感もしている。 この屋久島行脚もそれに近い所まで出来たと思うのだが… まだ腑に落ちない。 もっと人の為に何か出来たのではないか。 更に踏み込んだ人との関わり合いがあったのではないか。 そもそも、本当に人に何かを与える事が出来たのか。 一個、山を越えたと思ったらまた次ぎなる山が現れた。 しかも、最初の山より険しいようだ。 まったくもって留まる所が無い。 だから辛い。だから楽しい。 自分の中に生きがいが有る。 私の周辺がどう変わろうとも、私の生きがいの本質は変わらない。 死ぬまで続けられるのだ。 いや、ひょっとしたら… 本当に死ぬまで真っ向に貫いたら… 死んでからも続くのかもしれない。 さぁ、船が来た。 帰るとしよう。 ここで自分は大きく成長出来た。 ありがとう。
2007年02月22日
コメント(0)
昨夜は寒かった。さすがに山の中は冷え込み方が違う。 そして、夜中に雨が降ってきた。 暫らくは様子を見ていたのだが、だんだん強くなってきたので、眠い目を擦りながら小屋の中へ。 不気味な小屋だが、やはり外より多少は暖かいから助かった。 ウトウトと眠りについていたら、耳元でガサガサと音がする。 私がわざと大きな音を出したら何かがカサカサと逃げていった。 朝になって荷物整理をしていて気が付いた。 貴重なパンがかじられていたのだ。 多分ネズミだと思う。 山の洗礼を受けて、いざ出発。 屋久島のメイン、縄文杉へ向かった。 雨上がりの朝は気持ちがいい。 うっすらと霧がかっている。しかも、もののけ姫の森という、辺りいっぱいが苔むしている場所なので、より幻想的な雰囲気を楽しめた。 ここは最高に良かった。 小さな水辺が沢山あって、立派な屋久杉、倒木、奇妙な形の木、大きな岩等が溢れていた。 足の痛みを忘れて、一人で大興奮。 もちろんレンズも向けていたのだが、既にバッテリーが残り僅かである。縄文杉まで保つか不安だったが、特に気に入った場所を選んでパシャパシャと撮った。 もののけ姫の森を越えて、辻峠を越えると、昔、屋久杉伐採の際に使っていたトロッコ軌道に出た。 これが妙に趣があって、そのトロッコ軌道に沿って歩くのだ。 ここで初めて人と出会った。 皆さん立派な登山の格好をしてらっしゃる中、私は雲水衣にワラジで風呂敷を背負っている。それでも、グングンと追い抜いていく姿に目を丸くしていたようだった。 それはそうだろう。まさか山の中で衣を着た坊さんと会うとは思わなかったはずた。私でも、きっと驚いたと思う。 何人かの方々とは会話を楽しんだ。 皆、口を揃えて『修行なんですか?』と聞かれた。 確かに修行は修行なのだが、やっている事は皆さんと同じ登山なのに、衣で登っているだけで修行と聞かれるのが不思議で面白かった。 トロッコ軌道が終わってから急に険しい上り坂になるのだが、そこでは息も絶え絶えであった。 ウィルソン株、夫婦杉、大王杉を過ぎると、待ちに待った縄文杉に出会えた。 凄い。 威圧感、存在感がもの凄くある。 撫でたくなったのだが、保護の為に触れなくなっていたのが残念だ。 そしてもう一つ残念なのが、縄文杉の直前でカメラのバッテリーが切れてしまったのだ。 だが、あえてそれが良かったようにも思われる。 本当に良い物は、写真よりも心に残していた方がずっと暖かく覚えていそうな気がするからだ。 暫らく見惚れていた。 一本の木を見るなら縄文杉は最高である。 だが、私はもののけ姫の森の方が好きだ。 最初は感覚的な所でそう思っていたのだが、ずっと理由を考えていてやっと分かった。 私が目指す『共存』という物がそこに在ったからである。 土、水、木、苔、石、動物、空気、光、時… それらが仲良く純粋に寄り添っている空間。 そこに深い魅力を感じたのだ。 まさに、人間の枠を越えた理想の地とも言えるのかもしれない。 さぁ、次は下山だ。 下るのは体力的には楽なのだが、痛んだ足には刺激が強かった。 今日中に宮ノ浦に出たかったので、白谷雲水峡からはまたヒッチハイクをしようと思い、一人で下山している方を見つけて頼んでみた。 快く許可を頂いたので有り難かった。 大阪からいらした方で、片足が不自由なようだ。この足で縄文杉まで行ったというのだから驚きだ。 最後に『良い旅の出会いをありがとね』と言って下さったのが、とても印象に残っている。 さて、日が沈むまではまだ時間があるので、昨日お世話になった薬局のおじさんに結果報告と胃のむかつきも治まったので、お礼を言いに行く事にした。 座りながらおじさんと色々話をした。 中学生の娘さんとも少し話す機会があって『島の暮らしはどうだい』と聞いたら『楽しい!!』と元気に答えてくれた。 遊びたい盛りの真っ只中。 だが、この島には都会の子供達が遊ぶような場所は無い。しかし、テレビや雑誌で情報だけは入ってくるのだろう。 素晴らしい場所で育っていながら、心は都会を見ていては勿体ないなぁと思っていたのだが… 彼女の素直な言葉に安心した。 ホテルの経営もしているそのおじさんに『ウチに泊まってもいいよ』と勧めて下さったのだが、意固地な私は折角のご厚意を断わってしまった。 その後、おじさんに屋根付きで寝れる場所と安い食堂を車で案内してもらい、お別れした。 いつかまた屋久島に来たら必ずお会いしたいなと思う。 さっきの娘さんの友達の家でもある食堂でラーメンを食べた。 帰り際に、大将の奥さんと少し話をしてタンカンとクズなんとかと自家製タンカン100%ジュースを頂いた。 食堂に食べに行ったのに、食べた量以上の食物を頂いたのだ。 生きていれば面白い事もあるもんだと思った。 そして同時に、私が背負っているモノの重大さも実感させられた。 屋根付きの寝床に移動した。海の傍の川沿いにあるから風が強く冷たいようだ。 荷物を置いて暫らく川を眺めていた。 すると、一人のおじさんが怒りながら近付いてきた。 この公園を管理している方で、本当はここで寝てはいけないらしい。 だがこのおじさん、ずっと怒った口調で話されていたのだが、内容をよくよく聞いてみると… 『ワシは見なかった事にするからな!』 『ワシが言いたいのはなぁ、ここで寝て良い悪いじゃなくてな!こんな寒いとこで寝るお前さんが風邪ひかんか心配なんじゃ!』 『腹は減ってないんか!?』 実はとても優しいおじさん。 こういう方、私は好きだなぁ。 最後に『お前さんなら1000円で泊めてやるぞ!』とまで言ってくれた。 旅の出会いはつくづく面白い。 夜になると更に風が冷たい。 だが、折角、紹介して下さった場所なのだからここで寝たい。 今夜が屋久島最終夜か…
2007年02月21日
コメント(0)
だいたい一時間ぐらいずつ目が覚めてしまう。 起きて空を見る度に、星の位置が変わっていたのが面白かった。 最後は午前二時半頃に起きて、また寝ようとしても眠れないでいた。結局、三時半までずっと寝返りの繰り返しだ。 どうせ眠れないのならもう歩き始めようと思い、荷物をまとめて真っ暗な中をライト片手に歩き始める事にした。 そういえば、フェリーで港に着いて島のパンフレットを手にした時、島一周のコースを変えようかと思っていた。 それは一周するよりも、港の反対側の尾ノ間という所から、島の真ん中の宮ノ浦岳を越えて縄文杉を通って、また港に出るコースの方が屋久島らしさを味わえそうだったからである。 しかし今朝になってその尾ノ間に着いた時、やはり一周が目的だったのだから…という、半ば意固地な面が出てしまい、結局は当初の予定通りしっかり一周する事にした。 朝六時ぐらいから、うっすらと明るみだしてきた。 今日も天気が良くて幸いだ。 雨が降ってしまったらどうすればいいか全く分からないからな。 今日も良い出会いがあった。 私が托鉢をしているのだと思った方がいて、托鉢ではない事を説明したが、いづれにしても修行をしているのだからと、御布施をお預かりした。 その後、長い直線の道を歩いていたら、軽トラの方がパンとジュースを下さった。『頑張ってますのぉ~』と言って。 屋久島空港を過ぎた辺りで警察に職務質問された。 話によると、歩いて一周する人は珍しく、しかもお坊さんだから更に目についたようだ。 こちらの事ばかり聞かれるのも何だから、ついでに屋久島の事についてや警察の事まで色々聞かせて頂いた。 それから間もなくして、歩いている途中に足元から『ブシューッ』という聞き慣れない音がしたので見てみると、左足から血が出ていた。 その音と血が本当に繋がっているかどうかは信じがたいが、薬指の付け根から少々血が出ているのは間違いない。 といっても、それほど痛みは無い。というか、そこより両足の甲の痛みの方がよっぽどひどいのである。 一歩、足を出すだけで顔が歪んでしまう程の痛さだ。 しかも、午後からは昨日程ではないが、再び吐き気がしていた。 だが、坊さんが足を引き摺りながら歩くのはみっともないので、痛み等は気にしないように努めた。 出来るだけ平静を… もう少しで宮ノ浦に着くぐらいの所で、道沿いに立派な気を見付けた。 凄いなぁと暫らく見入っていたら、車から元気な女性が降りてきた。 この方もこの木が好きなようだ。だが、周りの人達は誰も見向きもしないので淋しかったららしい。そこで私がジッと眺めていたのを見て嬉しかったそうなのだ。 本当に嬉しそうにしながら足早に去っていかれた。 そう言われると何故か私まで嬉しくなってしまうから不思議だ。 でも、本当に立派な木なのだ。大きいし、枝ぶりと言えばいいのか、幹ぶりと言えばいいのか、根ぶりと言えばいいのか分からない、不思議な形。だが、奇妙なエネルギーのような物を感じてならない。 良い出会いが出来た。 それから痛みと吐き気を堪えて、午後一時頃に宮ノ浦に着いた。 この時の感動は何とも言えない。 たった丸二日だけなのだが、濃厚過ぎる程の二日間だった。 暫らくは高台のベンチで感動に浸り、足の傷口を見てもらいに薬局へ行った。 痛くは無いが、これから縄文杉を見に山に行くのに、膿んでしまったら厄介だからだ。 そこの薬局のおじさんがまた独特の雰囲気の方で、多くを語らないが妙に親切なのである。結局、消毒も絆創膏もこのおじさんがやってくれた。そして吐き気がすると言ったら、サンプルの胃薬をいっぱい下さった。 何度も繰り返し言うが、屋久島の人は優しいなとつくづく思う。 おじさんに今日中に白谷小屋まで行きたいと言うと、急いだ方が良いと言われたのでお礼を言って薬局を後にした。 案内板を見ると白谷小屋の下の白谷雲水峡まで10キロとある。 時計を見ると既に三時を過ぎている。 白谷小屋は山の中にあるから、これは着く頃には夜中になるなぁと思っていたが、何とかなるだろうと安易な気持ちで山に向かった。 一応、白谷雲水峡までバスが出ているのだが、ここまできてバスは使いたくなかった。 すると、勾配がきつくなってきたぐらいの所で、よちよち歩く私の横に車が停まってくれた。 乗せて下さるという事だったので、これは天の助けとばかりに甘えさせて頂いた。 急な上り坂をグングン登りながら車内で色々と話をした。 神奈川から単身赴任でいらしたらしく、もう二ヵ月ぐらいたつらしい。そして私を乗せてくれているのも仕事中という事を聞いて恐縮だった。 ちょっと変わった事を聞かれた。それは『縄文杉を見て何になるの?』という質問だ。 この方はそういった物に何も関心が湧かないらしい。 一瞬答えに迷ってしまったが、私はこう答えた。 『確かに縄文杉を見たところで、特に何にもなりません。ですが、それはあくまで損得を中心に考えた場合です。私は、世界が認めた縄文杉が持つ命のエネルギーみたいな物を感じてみたいのです。そして、そこから僅かではあるかもしれませんが、何かしらの何かが得れると期待しています。』 これが正解なのか正論なのかは分からないが、とにかくそう思ったからそう言った。 話している内に工事で道が極端に狭くなった。仕事中に乗せて頂いている事もあって、ここまでで結構ですと言ってお礼を告げて車を降りた。 いやはや、本当に助かった。 案内板には白谷雲水峡まで三キロとある。 日もそろそろ落ちてきそうだったので、痛い足を無理に持ち上げながら急いだ。 急な上り坂の三キロは長い。 息を切らしながらかなり急いだが一時間以上かかった。 白谷雲水峡に着いたのが五時過ぎ。日が落ち始めてきた。 ここから白谷小屋まで小一時間かかるらしいので、休む間もなく急いだ。 白谷雲水峡には弥生杉等の立派な屋久杉が何本もあるらしいのだが、夜の山道を歩くのはいくらなんでも恐い。 そこは後日行くことにして、とにかく今は白谷小屋へ向かう。 ここからは山道だ。見渡せば辺りは立派な杉があったり倒木があったり苔もむしていて、屋久島らしさが伺える。 そんなところを、まるで千日回訪行のように走って行った自分がもったいなく思う。 白谷小屋に着いた頃には大分暗くなっていた。 初めて山小屋に寝る。しかも一人で。 山小屋とは不気味でしょうがない。電気はつかないし暗くて湿っぽい。おまけに臭かった。 こんな所で寝るなら、外で屋久杉に囲まれて寝た方が気持ちが良いと思い、大きなテーブルがあったのでそこに寝袋を敷いた。 ちゃんと部屋があるのに、わざわざ寒い外で寝る自分が可笑しかった。 パンを一個食べて薬局のおじさんから貰った胃薬を飲んで寝袋へ。 日の出と共に目覚め、日が沈むと同時に寝る。その間はひたすら歩くだけ。 最高にシンプルな暮らしだ。 それに何故かあまり腹が減らない。 さぁ、冷えてきたぞ。 明日は縄文杉だ。頑張らなきゃな。
2007年02月20日
コメント(0)
一昨日は徹夜したので昨夜は少々寒かったが、なんとか眠れた。それでも、夜中に何回かは目が覚めた。 初めて地ベタで寝てみて、一番の印象は夜露の多さだ。 これは湿度の高い屋久島だから特別だったのかもしれないが、寝袋の中は濡れたように水っぽいし、下に敷いた合羽には水滴が出来ていた。外に置いていた紙類はシワシワになっていた。 少々、夜露というものを侮っていたようだ。 さて、起きたのは六時半。 外はだいぶ明るくなってきていた。 そこでタンカンを食べて出発だ。 昨日のお陰で既に足が痛い。足の付け根がズキズキするが、歩き始めたらだいぶ和らいでくれる。 今日はすこぶる快晴だ。 歩き始めて数分後にまた車が止まって話し掛けてくれた。顔を見ると昨夜、最後に忠告を下さった方だった。 道端で少し会話をして、ビニール袋いっぱいのタンカンを頂いた。本当にありがたい事だ。 後で知ったのだが、丁度この時期がタンカンの収穫期らしい。本当に甘くて美味しかった。 さて、屋久島灯台を過ぎると西部林道だ。 忠告通りの細くて暗い道。 この地域は、屋久島一周のコースの中で唯一の世界自然遺産登録地内である。 だから、昨日よりももっと森が深く私を楽しませてくれた。 そして、野性の動物に何度も出くわした。 屋久鹿と屋久猿だ。共に体は小さい方だと思う。 私に気付いた瞬間は少し警戒するが、こちらが立ち止まったりゆっくり動いたりすれば、気を許してくれるようだ。 とはいっても、鹿はある程度の距離に入ったら逃げてしまった。 でも猿は私の足元で毛繕いを続けてくれた。 屋久猿は本当にかわいい。体格が小さく毛がふさふさしていて、何より色が良い。白銀に近い茶色だった。 京都の嵐山で会った猿達は目が合うと襲い掛かられそうになったが… 屋久猿に一目惚れだ。 西部林道を抜けて、遠目で大川滝を眺めてたところあたりで、湧き水を飲んだ。 こうやって歩いていると、水の有り難みが増す。 歩き始めて五時間ぐらいでやっと集落に出た。 そこでそば屋の看板を見付けて寄ってみる事にした。 外観は普通の民家のような感じだったのだが、入ってみると木目が綺麗で温もりのある木材をふんだんに使った立派な空間だった。 『注文して30分後に出来ます』という注意書きに島の暮らしを感じつつ、背中の曲がった老婆に天丼とかけそばを注文した。 ちょっとした贅沢を堪能して再び出発。 それから一時間ほど歩いていたら、どうも具合が悪い。胃がもたれたのか。 我慢して歩いていたが、どんどん悪化してきて吐き気に変わってきた。 ただでさえ、もう足のあちこちが痛いのに、吐き気までしてきたらどうしようもなく辛い。 何度も腰を下ろして休憩したが、どんどん悪くなる。 しまいには道端でしゃがみこんで思いっきり吐いてしまった。しかも、唾には血が混じっていた。 一回吐いてしまえば、かなりすっきりして歩きだした。 だが、暫らくすると再び吐き気がして結局はまた吐いてしまった。 そして気を取り直して歩き始めたが、三回目の気配がしてきた。しかも、軽い目まいと手足の先が痺れてきた。 これはもう限界だと思い、日も暮れかかった事だし、空き地も見付けたので、今日はここまでとした。 寝床を見付けて三回目を吐いてすぐに寝た。 が、寝付けない。車道のそばで車がうるさいのもあるが… 今日のこの吐き気は、食当たりなのだろうか。明日に残したくないなぁ、と思う。 さて、いろいろ考えてもしょうがない。綺麗に光る星達を眺めながら寝よう。
2007年02月19日
コメント(0)
朝八時半のフェリーで屋久島へ。 格好は雲水衣に看板袋と脚絆とわらじ。 荷物は寝袋、合羽、下着、冬用肌着、タオル、懐中電灯、里のしおり、眼鏡、コピーの地図、ペットボトル、本、財布。 これらを風呂敷二つに包んで、周りの人々の視線を浴びながら乗船した。 船内ではどうも衣の格好で横にはなれないので、屋久島のビデオと映画を観ていた。が、エンジン音のお陰で全く音声は聞こえず映像だけ楽しんだ。 時折、酔いそうになると甲板へ出て流れる島々を見渡し、これから訪れる自分にとって未開の事を思った。 三時間半程、波に揺られて屋久島に着いた。 上陸してみると意外と普通の町があった。しかし、町と後ろに大きくそびえる山々とが密接している。 観光案内所へ行き、島の詳しい地図が載ったパンフレットを探し、再び歩き始める。まずは島一周だ。 案内所を出てすぐに話し掛けられた。 『雲水さんですよね?』と。 この旅に出てから、托鉢以外で話し掛けられる事のなかった私にとって意外な展開に驚きながら話をした。 私と同世代ぐらいの男性で、同じ船に乗って島に来たようだ。身一つで。荷物なんて持たずに『自分を高めるために来た』と仰った。 仏教にも関心があるようだったが、ある程度の好きな事をしながら高めていきたいそうだ。だから、座禅はしたいが坊さんにはなりたくないらしい。 なかなか難しい道を選ばれる方だなぁと思いながら、もっと話をしたかったが、私には私の目的があり、彼には彼の目的があって島で出会ったわけだから、あまり長いこと付き添ってもしょうがない。別れ道の所まで来て里を紹介して別々の道へ。 いつか、里の禅堂で再会できる事を願いながら歩き始めた。 屋久島には県道が二本あって、島を一周している。それを私は左回り。つまり宮ノ浦港から西へ向かった。 歩き始めてたった数分後、再び声を掛けられる。 今度は車の中から… 『どこに行くの?乗っていく?』 二回も連続で人に話し掛けられた事と、その優しさに心底嬉しく思ったが、あくまでも歩くのが目的である事を告げて丁重にお断わりした。 島に来ていきなりの出会いに嬉しくなってニヤニヤしながら歩いていると、右手に小さな海岸があった。 まださほど歩いていないが、引き付けられるように海岸へ行った。 丁度良い大きさの石を見付けて腰をおろす。 凄く静かだ。 足元の石ころを拾っては撫で、拾っては撫でと繰り返し、気の乗ったところで立ち上がった。 どうやったら歩くのに風呂敷が邪魔にならないか工夫をこらしてみて、人気も民家も無い道を再び歩き始める。 右側に海、左側に深い森、その中を通る一本道。 見たことのない、奇妙な形をした植物達に目を奪われた。ゆえに退屈なんてしなかった。常にキョロキョロとして足を止めては葉をさすり『お前は不思議だなぁ』と話し掛けていた。 四つ目の集落ぐらいで日が傾いてきた。 だが、道はまだ長いしライトも持っているからと歩いていたら、小さな看板に目が止まった。 『マムシ注意』とある。ちょと心配になって偶々近くにいた方に尋ねてみた。 話によるとこの時期は出ないらしい。それよりも、その方はこの道の先を夜中に歩こうとする私を心配して下さった。 ここから先は西部林道という場所で外灯も集落も無く、道も細くなってほとんど森の中を通る道らしいのだ。ライトがあるからといっても危ないらしい。 そしてお礼を言って私が再び歩きだそうとしたら『タンカン食べる?』と言って立派なタンカンを沢山の下さった。 屋久島の人は優しいなぁとつくづく思いながら歩き始めたら、車で横を通り過ぎた方がバックして戻ってきて、さっきの方と同様に『この先は危ないよ』と半ばあきれた感じで仰った。 二回も連続で忠告して下さったので、これはもう従った方がいいだろうと、今日はここまでとした。 偶々近くに空き地があったので今日はここで野宿だ。少し高台にあって、さっきの集落と海が見渡せる。 どこかの会社の石置場のようで、ちょっとした石垣に使うような石が転がっていた。 その石影に隠れるように寝袋を敷いて、海を見渡しながら頂いたタンカンを食べる。 厚い雲がかかっていたので雨が心配だったが、島の方が仰っるには今日は大丈夫らしい。 初めての一人の野宿。 森の中からガサガサと音がする度に緊張してしまう。 衣のまま寝袋に入って、夜って意外と明るいんだなとか思っていたら、いきなり『ピーッ』と動物の鳴き声がして驚いた。 おそらく鹿だろう。 遠くから近くから、何回も鳴き声は響く。 全くもって貴重な経験だなぁと、妙に興奮して寝付けない。
2007年02月18日
コメント(2)
今日も本降りの雨。 だが托鉢が出来ない程度ではなかった。 最近、何もしない日が増えてきた。 言い訳はどれだけでも出来る。 そしてそれによって傷つく人もいない。 いつも一人だからだ。 そこに付け込んでだらけてしまう自分が嫌だ。 明日から屋久島に行く。 複雑な感情が去来する。 だが、考えたところでどうしようもない。 やってみるだけだ。 私が尊敬しているお坊さんが、酔っ払いながらもギラギラした目で、震えた小さな手で私の腕を強く引っ張り、よくこう仰った。 『とにかく、やれ』
2007年02月17日
コメント(0)
午後から知覧に向かった。 ご存じの通り、太平洋戦争の沖縄決戦の特攻隊は、ここ知覧基地を主軸に出撃した。 そこの知覧特攻平和会館に行ってきた。 遺影、遺品、資料等が大量に保存されている。 その中でも私が心惹かれた物は、隊員が出撃前夜に書いた遺書や両親や妻子にあてた手紙だ。 文章のどこにも死への恐怖を感じれない。 それどころか、自分の使命に満足しているような感じも受け取れた。 だが、文章と心は違う。 相手を心配させない為の言葉を選んだのかもしれない。 そして、兵隊ならば戦況というのは把握できたのではないだろうかと思う。 その中で特攻をしても本当に打開出来ると信じていたのだろうか。 無謀な死と分かっている兵隊もいたはずである。 その心境はいかなるものか… それと同時に、光栄なる死を遂げた兵隊もいたのだろう。 光栄なる死。 私の死はどこなのだろう。 その後、隣にある知覧歴史資料館へ行って、興の湧く事柄を見付けた。 ここ薩摩藩は江戸時代頃は一向宗を禁止し弾圧していたようだ。 なぜ禁止していたのか理由は定かではないが、キリスト教と同様の刑罰を行っていたという。 しかし民はそれに満足するはずは無く、隠れて念仏を唱えていた。 厳しい取り締まりの目からのがれるために、山中の竹林の影に洞窟を掘り、そこで阿弥陀仏を拝んでいたのだ。 そしてその洞窟(かくれがま)が、現在も残っているという事で学芸員さんに話を伺い、そこにすぐに向かった。 畑に囲まれた道を山に向かい、資料の通りの竹林の中にそれはあった。 本当に静かな場所である。 最近になって整地されたらしく、歩道もアスファルトだった。ほんの二・三年前までは当時のままの山道であったらしい。 そして洞窟を発見。 入り口は大人が身を小さく屈めて通れるぐらいの大きさ。 当然だが中は真っ暗闇。そして風穴から吹いているのであろ風の音が響く。 まことに不気味である。 だが、恐いもの見たさというか、どんな場所で人々が熱心に拝んでいたのかが知りたくて、恐る恐る洞窟内へ。 中の天井は低く常に中腰で、真っすぐには立てない。 だが入り口と比べて意外と横に広く、二部屋あった。 大きいほうの部屋は大人が四・五人程度入るだろう。 一見すれば、寺院の本堂とは天と地の差がある。 だが、本質は同じであろう。 いや、むしろこの不気味な洞窟内の方が私には崇高さを感じてならない。 現代人は拝む事がなくなったような気がする。 それは文明が十分に発達したからだろう。 息子が病気になったならば、仏に拝むよりも病院へ行く。 昔の人々が難とする事柄が、現代人には難とはならない。 それは良い事なのかもしれない。 だが、はたして本当に良いのだろうか。 作物の有り難さを知る事無くスーパーで手に入ってしまう。 病の恐ろしさを知るから、命の有り難さを知る。 一人では生きれない己の無力さを知るから、助け合いが出来る。 今は何でも容易に出来てしまうから、現代の諸問題が発生しているのではないのだろうか。 殺人、ニート、公共性の無さ等は特にそれに当たると思う。 昔の方々は拝むより他はなくて、一心不乱に拝んだのだろう。 だが、不自由なく暮らせる今の私たちが一番に欠けているのはそれではないのだろうか。 手中の便利さや自由を手放すのは容易な事ではないが、今一度手放してみれば、何か大切なモノが分かるはずである。
2007年02月16日
コメント(0)
托鉢を始める直前。毎回緊張している。 これは、ただの経験不足だけではないと思う。 私は中学生の時から托鉢をしている。大学の四年間は一回もしていないので、その分を省くと九年目になるだろう。 それでも、第一歩目、第一声目は緊張する。 今日はその第一声目をあげようと大きく息を吸い込んだ瞬間、つい飲み込んでしまった。 それは、歩道ですれ違う小学生にいきなり囲まれて質問攻めにあったからだ。 皆、不思議な格好をしている私に興味津々。 目がキラキラと輝いている。 子供は良い。 突発的な所、率直な所、無垢な所。全部が良いと思う。 今日は私自身が作った緊迫した瞬間を、一瞬にして悟してくれた。 だがいつからか、その率直さは失われてしまう。 それは社会で生きる為の術を身につけたからだろう。 その場に人間が二人以上いたら、そこは社会となる。 その社会の中で生きるには最低限の規律が必要になるのは致し方ない。 だが、もっと自由で解放的な暮らしが有るはずだ。 規律は守っても、心は穏やかな喜びを求めていれば、そこには必ず平和が有ると思う。 極論になるのかもしれないが、法律だけで平和は得れないと思う。 倫理があって初めて法律が成り立つのではないか。 少し話はそれるが、高校の授業で倫理がある。 それは三年生だけの授業だったので、私は一・二年生の間、首を長くして待った。 三年生になってワクワクしながら受講したが、教科書も黒板も人の名前や論理ばかりだったのに興醒めた。 そして大学になって、自由科目で哲学をとった。 これも高校生の時と同様に興味津々で臨んだが、またしても期待はずれ。 本当の倫理や哲学は教えていないような気がしてならない。 学校で教えているのは『何世紀の何国で誰が何論を説いた』というのばかりだ。それは学者を目指す人が聴けばいいのではないだろうか。 人間が社会で必要とする倫理や哲学は、もっと身近にあって、自分の中にさえもあるのだと思う。 子供達に生きる事を教えるのはどこだ?誰だ?
2007年02月15日
コメント(0)
今日はすごく風が強い。しかも大雨だ。 海辺に車を停めたから余計に風が強いのか。ちょっとした船に乗っているみたいに揺れる。 さすがにこういう日は托鉢は出来ない。 今日は一日のんびりと過ごした。 地図を見て今まで通った道程を追ったり、これからどうゆう風に通ろうかと考えたり… それだけでも結構楽しいもんだ。 そして、作務衣の修繕もした。 持ってきた作務衣は三着。もう全部ボロボロになってきた。生地が薄いからか、次々と破れていく。 簡単な裁縫をしている時は、ボーッとしているから好きだ。昔、学校でマフラーを編んだのだが、意外と熱中して夜な夜な三時間ぐらいやっても疲れずに楽しめた。 あとは、本屋で写真の雑誌を読んだりしていた。 この旅の写真は全部携帯のカメラで撮っているのだが、やはり機能的に限界がある。一番問題なのがピントだろう。これだけで随分と表現に差が出来てしまう。 ちゃんとしたカメラが欲しいのだが… 良いカメラじゃなくても、カメラってだけで良い値段が付いてしまう。 ここは我慢して、今有る手持ちの携帯カメラで更なる工夫をしよう。 不具合を感じたからといって、すぐに新しい物を探しても良い事はあまりない。 まずは不具合の中から楽しみを探し、面白みを味わい、工夫をする。 特別に急ぐ必要がないのならば、それぐらいゆったりしても良いのでは? きっと、この不便な携帯カメラだからこそ可能なショットがある、はずだ。
2007年02月14日
コメント(0)
久しぶりに早起きできた。といっても七時半だから、早いとは言えないか… いつもより早く起きれた。 まだ夜が寝付けない。昨夜は九時半に床に着いたが、それから三時間ぐらいはゴロゴロと寝返りばかり。 様々な事が頭に浮かんでしまうようだ。 屋久島に行く事にした。 旅の当初もその予定であったが、先日の里帰りとその後の引きこもり期間で、随分と予定が変わってしまったから、屋久島に行くかどうか悩んでいた。 だが、行く。 絶対に行きたい。 そして、本当の行脚をする。 歩いて島を一周だ。 地図で目測してみると、100キロぐらいだと思う。 托鉢はしない。 宿泊施設等は利用しない。 衣で行こうか悩み中。 食物が一番心配している。どうしようか… はっきり言うと、恐い。 今まで、青春18切符やヒッチハイク等の旅はした経験はあるが、今度は歩き。いくら鹿児島でも真冬の野宿の経験は無い。 雨が降ったら?何日で廻れる?水は?必要な物は? 何も分からない。 いや、何も分からないからこそ挑んでみたい。 この屋久島行脚。 パパラギの為になることなんて何一つとしてないだろう。 『托鉢をせよ』 と言われた事から背いていると思う。 『一人は皆の為』 にはならないだろう。 だが… ノルマなんかより、もっと広く深い意味でパパラギの為になると思っている。 まぁ、たった100キロ程度で考えすぎなのかもしれないが… 一つ、淡い夢心がある。 縄文杉の根を枕に眠る事。 出来るかなぁ?
2007年02月13日
コメント(2)
先日行ってきた、星野富弘さんの文で、私が気に入ったのを紹介したい。 見ているだけで 何も描けず 一日が終わった こんな日と 大きな事をやりとげた日と 同じ価値を見出だせる 心になりたい
2007年02月12日
コメント(0)
今日は日曜日なので色々と観てきた。 いつもは先に何があるかを調べてから行動していたのだが、段々とマンネリ化してきたので少し趣向を変えてみる事にした。 今朝、目覚めたここ田浦を出発点にしてゴールは水俣市。その間にはいくつもの観光案内板があるだろうから、それを発見してその場で行くか行かないかを決めてみる事にした。 すると意外にも、車を走らせて30秒もしない内にまず第一の行き先を決めた。 岬の高台にある温泉だ。先月末に里に戻っていた時に入って以来、まだ風呂に入ってなかった。 不知火海を一望し、遠くには天草の山々が連なっていてまさに絶景。鳥達の戯れる姿にも癒された。 新鮮な石けんの香りに気分を良くしながら再び南下。 すると今度は美術館の看板があった。 星野富弘美術館とある。 これも迷わず立ち寄ることにした。もちろん、私はこの方の事は何一つ知らないのだが、とにかく美術に触れたい一心である。 この方は、中学校の教諭になるが事故で手足の自由を失い、入院中から口に筆をくわえて文や絵を書き続けている方だ。 心に響いた作品が数点あり、一気に星野富弘ファンになった。 世界観がもの凄い。五体満足な私では、いくら修行を積んでも獲得出来そうにない境涯をお持ちである。 もの凄い人を発見してしまった。 言葉の余韻に浸りながら次の偶然の看板を目指した。 次に誘われたのは、またしても美術館。 つなぎ美術館である。 駐車場がどこにあるのか分からないぐらい小さな美術館だった。 車を降りてまず目に入るのは、川の向こう岸の小さな山にあるゴツゴツとした荒い岩肌。そしてその上に何故か国旗が掲げられていた。 とても気になるがまずは館内へ。 企画展で秀島由己男の作品展が催されていた。どこか聞いた事のあるような気がしていたが、一向に思い出せない。 しかし、作品を観ていてひらめいた。私が行った高校にあった絵と雰囲気や書き方がそっくりでなのである。 ただの勘違いの可能性も高いが、今度、後輩に聞いてみよう。 その後、気になっていた裏山に登ろうとしたが、道が分からずにウロウロと彷徨った。その道中に、神社を見つけて拝みに行き、私には梅なのか桜なのか分からない綺麗な花を写真におさめて、次ぎなる町へ出発。 車を走らせてすぐに水俣市に入った。一応ゴールしたわけだが、水俣市に来たのなら必ず水俣病の資料館か何かがあるはずだから探し回った。 特に、今日の一番の目的は水俣病を心に焼き付ける事だったから、時間を気にしながら探した。 私の持ってる地図の範囲外の場所にあった。 水俣病資料館。 見るに耐えない悲惨な姿の写真や映像だった。しかし、見なくてはならない。目を背けてはならない。 これが人間の浅ましさが生んだ悲劇なのだ。 特定した人間が目先の欲を取り、その結果、一万人を超える被害者を生んだ事実。 決してこんな事が再び起こってはならないと確信した。 目先の欲に捉われる。 水俣病についてはそれが本当に大きな結果として出てしまった。 しかし大小構わず、そういった事は日常の中に溢れていると思う。 近年、日本人の公共性が失われてきているという、この渦中にあって、どうしたらそれを防げるのか。 真剣に考えさせられる。 今日は様々な分野で恵まれていたと思う。 だが、なかなか宗教団体の門を叩くのに踏み出せない。 様々な思想や実践を学びたいとは思っているのだが… この壁は早く超えなくてはいけない。
2007年02月11日
コメント(0)
お茶を頂いた。 托鉢の最中に。 最近、暖かい日が続いていたので、今日はいつもより薄着で托鉢に出たのだが、意外と寒かった。 そして今日の町は大きな町だったので長めの托鉢となったのだから、最後の方は日暮れと共に芯まで冷えていた。 喉も枯れかかった最後の方のお宅で、玄関先に立ってすぐに、お盆にお茶を乗せてすすめて下さった。 とっても熱いお茶。 冷えた体を温め、枯れた喉を潤してくれた。 そして何より、その気遣いが有り難い。 玄関先に立ってすぐに熱いお茶を出して下さったという事は、何件も先から準備を整え、タイミングを見計らっていないと出来ない事だと思う。 頂いている最中にそれに気付き、そのあまりに心優しい接待ぶりに涙しそうになった。 身も心も温めてくれる、美味しいお茶。 こんなに素晴らしいお茶はなかなか味わえないと思う。
2007年02月10日
コメント(0)
最近、自分が目指しているモノが何なのかを考えている。 『目指している』と言っていいのか『欲している』と言っていいのかも分からないが、とにかくそれが私の奥底に有るのは間違いない。 言葉を色々と探ってみた。 自由 解放 純粋 聖なる物 確固たる物 信頼 強さ 自分らしさ 済度 忍耐 大我 静寂 … 様々ある。 だがどれもピンとこない。 具体的にあげるなら『より多くの苦しみを持つ人々と共に生き、全てを分かち合いたい』だが、その更に奥に何かがありそうなのだ。 もっと生命の根本にある何かを知りたいし目指しているし欲している。 ような気がする。 それを得たならば、または、それを知ったならば、先にあげた全ての物が結果として含まれるような気がするのだ。 まだ自分が何を目指しているのかも分からないのが、現段階の自分である。 『周りを気にせず』 と言うが、気にしてしまう。私の周りの大体の方は、歩むべき方向性を固めているのに… だからといって、良い意味なのか悪い意味なのか分からないが、焦ってはいない。 私は昔から人より成長が遅いようだ。そしてそれに対して特別な感情も持っていない。 だからこれからも、人よりゆっくり成長させていきたい。
2007年02月09日
コメント(0)
大した事ではないが、気になる事がある。 誕生日を祝うという習慣は、いつから、何の為に行われたのだろう。 理容店は『床屋』というが、なぜ『床』という言葉を使っているのだろう。 今はこのぐらいしか思いうかばないが、日常生活の中にこういった疑問点は多々ある。 その答えを知った時は、腫れ物がとれたかのようにスッキリして気持ちがいい。 だが、それだけである。 由来や理由を知っても、ただスッキリするだけなのだ。 よく『自分は何の為に産まれてきたのか』とか『自分に課せられた運命とは何か』を考える人もいる。 もしその答えを知ったならば、まずは間違いなくスッキリするだろう。 だが、その後は? そう。日常はなんら変わり無くやってくる。 これはかなりの極論になるかもしれないが… もしかすると、『知る』という行為はそれ程大切な物では無いのかもしれない。 例えば、富士山をある場所から見たとしよう。そしてこれが富士山かと『知る』訳だが、当然、その場所からは見えない裏側の富士山の姿もあるはずだ。 そう、『知った』つもりでいても、実はそれは偏見である可能性がかなり高いのではないか。 本当に大切な物は体が勝手に『覚えている』ものだ。 例えば、呼吸はすごく大切だろう。だが、呼吸の仕方を知っているから呼吸をしている人はいないのではないか。呼吸の仕方は体が勝手に覚えているのだ。 動物の狩りの仕方もそう。 植物の花の咲かせ方もそう。 『知る』という行為は、一見大切なようだが、実に危ない物なのかもしれない。
2007年02月08日
コメント(0)
肥後の山間部にある小さな町。ここは石橋が多くあるという。 町のポスターに、いつかどこかで見たことのある写真が載っていた。 石橋の両側から勢い良く水が出ている。 後で知った事だが、この石橋は教科書にも載っているらしい。 昨夜は、その石橋の近くまで来て眠りについた。 そして今朝、托鉢を始める前に行こうと予定していたのだが、あまりに面白くて結局は午前中いっぱいは観光していた。 というのも、石橋のほかにもすぐ近くに滝があり、そこがとても良かった。森林に囲まれ、つり橋が架かり、かなりの高さから落ちる滝が迫力満点。 なぜか私は滝が近くにあると知ると近寄りたくなる。そして、出来るかぎり滝壺に近寄りたくなる。 しかし、今日の滝は勢いが凄まじく、10メートルぐらいまで近づくので精一杯だった。それでも風圧と水飛沫を体いっぱいに浴びて大満足。 それにしても、石橋から滝口まで行くのは山道だったので足がくたびれた。 以前はこの程度で疲れる事はなかったのだが… やはり数日前ずっと引きこもり、ほとんど歩きさえもしなかったからだろうか… 体が鈍っているのを実感している。 最近、箒を握りたくてしょうがない。 以前、鳥取のお寺で庭掃除を手伝わせて頂いた時の爽快感をまた味わいたい。 たまに『ここ掃除したいな』という場所があったりするのだが、箒が無い。 まぁ箒がなくてもやる方法はあるのかもしれないが、やはり箒が良い。 寺小僧と箒は良く似合うし。 車に竹箒を積もうかと思案中である。
2007年02月07日
コメント(2)
つい三日程前は雪が降るぐらい寒い日があったが、今日はとても暖かい。 昼の休憩の時、まったく暖房等はつけていない車内で、Tシャツでいても暑かったのでドアを少し開けていた。 すると、蜂が入ってきたので驚いた。この時期の東北で蜂なんて考えられない。あまりにも珍しくて私の足元を飛び回っていたのだがしばらく見つめていた。 托鉢の最中にも春を感じた。 ふと、脇道に目をやるとちょっとした坂道の上のほうに梅が白い花を咲かせていた。 しかも夕日に照らされ、その傍らを制服姿の女学生達が自転車を押し、笑顔でお喋りをしながら歩いていた。 ほのぼのする風景。 やはり自然は良いなと思う。 樹木、土、空、水の自然。 人、動物の気の抜けている時の自然。 共に良い。警戒心や恐怖心は何故か直ぐに相手へ伝わってしまう。そこには張り詰めた息苦しさしかない。 願わくば、自然のままでありたい…
2007年02月06日
コメント(0)
やっと出来た。 やっと踏み出せた。 久しぶりだからだろう。 衣に違和感を感じた。 声が安定しないのは予想していたが、第一声を発した時、自分の声に耳が驚いていたのは意外だった。そういえば暫らく声と耳を必要としなかったからなのだろう。 今日、やっと乗り越えれた気がする。 ショックな事や悲しみを引きずってしまうのは、しょうがない事だしそれ自体は悪い事だとは思わない。 だがそれが元で、いつまでも目の前の事を避けていては駄目だ。 やはりいつかは立ち上がらなければならないのだから。 その立ち上がるべき時まで、大いに悲しめば良い。大いに打ち拉がれば良い。 私たちは感情というモノを無理矢理に持たされて生まれてきたのだから、無理に押さえる必要なんてないと思う。充分に活用すればいいのではないだろうか。 まぁ、八つ当たりは良いとは言えないが… 私の高校の修学旅行はお寺の修行道場に行ったのだが、そこの和尚さんの説法が今でも私の底にある。 『人は様々な感情を持っているが、まず一番に出てくるのを初念という。そしてその初念が元に二念・三念が出てくるのだが、悪さをするのが二念三念だ。禅ではその二念三念を捨てるのだ。例えば、あなたが殴られたとしよう。そこで痛いと思うのが初念である。これは勝手に出てくるのだから押さえようがない。次に、仕返しを考えたり、なぜ殴られたのかを考えたりするのを二念三念と呼ぶのだが、その念は要らない。その念が殴られた事実よりも深い苦しみを呼ぶのだ。』 と、こんな感じの事を仰っていた。 よく感情を押し殺す方を見かける。 そういった方は何故か女性に多いいような気がするが、大概は顔が引きつっている。 ものすごく辛そうだ。 全ての感情を理性で収めようとしているのだろう。それ自体は生真面目で悪い事はないが、先に述べたように初念だけは任せてみたらどうだろう。 それだけで随分と心が落ち着くのだから。
2007年02月05日
コメント(0)
時が止まっているような気がする。 岩手から戻ってきて数日たつのだが、まだ一回も托鉢してない。それにどこかに行ったという事もない。 だからずっと同じ町の同じ場所の車の中にいる。 毎日毎日一人で、まったく知ってる人の居ない場所で何もしていないと… 時間の感覚がおかしくなるようだ。 そしてもう一つ。 考える事、頭に浮かぶ事も同じ。 今の私は数日前の出来事をずっと引きずっている。 人は日常に追われる事によって、器を空にしたり満たしたりする。 だがここまで消極的な暮らしだと、器は常に一定の量しかない。 こんなにつまらない生活はない。 こんな生活に喜びなんてない。 だが、心の片隅に『更にこの無気力な生活に芯まで浸かるとどうなるのだろう』という興味もある。 明日は明日の風が吹くだろう。それに委ねよう。
2007年02月04日
コメント(4)
全25件 (25件中 1-25件目)
1