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先日行った、野呂山の弘法寺をよく思い出す。 孤独に苛む私は、その孤独の中から自己を見つめようと醜く藻掻いている訳なのだが… 昔の偉い僧侶は、山の中に一人で入っていき、自分の場所を決めて座していた。 その境涯は如何なるモノか。 私にはとても真似できない。 今の私は、毎日知らぬ町の同じ車内で、横になったりアグラをかいたりしながら孤独に浸るだけで精一杯だ。
2007年03月29日
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托鉢中にパパラギ関係の方とお会いした。 しかし、私は托鉢中に立ち話はしたくはない。 いつもと何ら変わりなく対応させて頂き、その場を後にした。 托鉢中は、私は『私』ではない。 今の私にとって、托鉢は自己を捨てる空間である。 自己を捨てた時の感覚は、大我の中にあり、同時に大我である。 故に、何事にも右往左往しない。
2007年03月28日
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なかなか寝付けない。 様々な考えが行ったり来たり。 師匠の言葉が浮かんでくる。 『若い内はどう生きるかを考えるが、我々の歳になると、どう死ぬかを考えるのだ』 最近、この言葉がよく浮かんでくる。 一瞬一瞬の積み重ねで、我々は確実に死に向かっている。 生きたいと…産まれたいと望んだ訳でも無く… 『どう死ぬか』を考えた時、『今』の重みが増す。
2007年03月27日
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昨日の温泉効果なのだろうか。やっと足が完治した。 実は、ちょうど一ヵ月前に屋久島を歩いてから、足の甲を痛めていた。 そのお陰で、健脚が自慢の托鉢ではいつものように歩けないでいたのだ。 それが一ヵ月間ずっと続いていたのだが、今日はすこぶる爽快に歩を進めれた。自分の自分らしいペースに戻れたのは嬉しい事だ。 ただ、痛みの度に屋久島の思い出に浸っていたので、それが無くなるのも、少し淋しい… 温泉治癒か。 今まで全く相手にしてなかったが、昨日温泉に入ってから痛みが無くなったのだからなぁ… まぁ、信じる信じないは別として、ただ一つの事柄として覚えておこう。 今朝は、中国地方のほぼ真ん中に位置する、帝釈峡で目を覚ました。 昨夜が特別に冷え込んだのか、それともいつも通りの冷え込み具合なのかは知らないが、とにかく夜は寒かった。 山間部なので当たり前なのかもしれないが… そして、産物で面白い発見。 ここ広島でもりんごを作っていたのだ。 無知な私はビックリした。てっきり林檎は北国だけなのだと思っていた… 人間は知らない所で勝手な思い込みをするんだなと、つくづく感じた。 さて帝釈峡だが、肩書きは日本五大名峡の一つであり、中にある雄橋は世界三大天然橋の一つ、という事である。 旅を始めてから何度も『日本云々』『世界云々』というのがある。始めの頃はその都度『日本!!』『世界!!』と喜んでいたが、今となってはよく商売で使う『元祖』『本家』といった感じに聞こえてきた。 ようするに『元祖』であろうが『世界有数』であろうが、自分がどう感じるか、どう受け止め受け入れるかが大切なのだと思う。 本当に良い物(本物)と遭遇した瞬間は、肩書きなんて頭のどこにも無くなっているものだ。 とはいえ、私は全国の良い物を求めて廻っている訳で、これからも肩書きを頼りに色々と廻る予定である。 そうじゃないと、折角の良い物を見過ごしてしまうからな。 それはそれは勿体ないではないか。
2007年03月26日
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今日は半月ぶりとなる、風呂に入ってきた。 昼間の風呂は、なんとも言えない贅沢感がある。 風呂上がりに、いつものコーヒー牛乳を片手に、春の甲子園の記事を見たくて新聞を読んでいると、相席の方が話し掛けてきた。 お酒を飲んで顔を真っ赤にされた、おじさん二人。 『これは長くなるぞぉ』 と、覚悟を決めて旅の話やお寺の話をした。 お寺の話というか、お金の話が多かったが… しかし、何故『お坊さんは儲かる職』というイメージがあるのだろうか。 考えさせられてしまう。 後に、勧められるお酒を断りながら、席を立った。 それから仏通寺へ移動。 ここは臨済宗の修行道場である。 他の修行道場は、意外にも街中にあったりするのだが、ここは違う。本当に森の中だ。 目の前には綺麗な小川も流れている。 環境的には素晴らしい場所にあると言えよう。 少し離れた所のベンチで、考えふけっていたら、たしか雲板(うんぱん)という名の鳴らし物だったと思うが、その音が山々を木霊して響いてきた。 いや、実に良い音だ。 心にじわりと染み込んできた。 その後、尾道の圓鍔記念館へ。 私は初めて彫刻家の記念館に入った。 初めてといっても、興味が無かった訳ではない。 むしろ、絵画よりも興味はあったぐらいだ。 今までたまたま巡り合わなかっただけなのだ。 なかなか面白かった。 私の好みは師匠譲りなのか、形の独創性に引かれるようである。 例えば… 『牛のように見えるけど、なんで牛がこうなるの!?』 という感じだろうか。 人の感性(常識)に『えっ!?』というモノを与える作品。 『これは何を表していて、こういう意味である』という作品もあるが、それよりも直接的、且つ無条件に心に触れる作品が私は好きなようだ。 少し前までの私は、自然は好きだが美術はよく分からないから嫌いだった。 しかし旅に出て、有名な作品や無名な作品を沢山観て廻ってきて、美術に対する感覚が変わってきた気がする。まだ、具体的には言えないが… 自然と美術は同じである、と今は感じている。 うん…命の根源…かな?
2007年03月25日
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里では、僧堂だけでなく全国の修行道場に修行しに行ったりもする。 そういえば、ここ広島にそのお寺があったなぁ~、と思っていたのだが… 午後から、例の毒ガス資料館へ行こうと、忠海のフェリー乗り場へ急いで行った。 着いてみると小さな港。 こういう閑かな港町、私は好きなのだ。 切符売場に行くと、小さな売場にしては人が多く賑やかな感じ。 その中に、剃髪をして真っ黒な衣を着ている方々が紛れていた。 最初は、その中の一人の方に黙って低頭した。 そして、首からさげている看板袋に目をやると… なんと、冒頭に述べたお寺さんではないか!! これは話し掛けるしかないと、取り込み中だったのでタイミングを見計らっていたら、別の方から来た住職さんらしき方が私に話し掛けて下さった。 パパラギの事はよく覚えて下さっていたので、どこか初対面ではないような気がして嬉しい。 それにしても、住職さんの目の鋭さは印象的だった。 いや、ただ鋭いだけでなく、しっかりと落ちた目、とでも言おうか… 毒ガス資料館に行く事を告げた所『あれは良い所だから一日中じっくり感じてきなさい』と仰った。 その後、戦争時に偉業を成した方々のお話を簡単にして下さったのだが、私はどの方も知らなかったので怒られてしまった。 最後に、住職さんがいつも持ち歩いているという本一冊にサイン(?)をして頂き、握手をしてお別れをした。 後にそのサインを見てみると、今日は住職さんの誕生日らしい。 こんな凄い出会いもあるもんなんだなぁと、関心しながら船に揺られる事、15分。 毒ガス資料館のある大久野島に着いた。 歴史の背景を想像しながら島の雰囲気を味わうと、なんとも不気味な静けさだ。 野ウサギが多いのは、現代の観光名所となっている。 無料送迎バスに乗って資料館へ。 このバス。もの凄くゆっくり走るのだ。 急に野ウサギが道に出てくるからだという。 大久野島では一般車両は通行禁止になっている。だからゆっくり走っても、何も問題ないのだ。 この、のんびり加減は最高だ。 あまりにゆっくり過ぎて、どのくらいの距離を走ったか分からないまま、資料館に着いた。 バスの中は混雑していたのだが、降りたのは私だけだったのが、少々残念な所である。 さぁ、いよいよ資料館内へ。 意外と小さな資料館だ。 先の住職さんが『一日中…』というぐらいなのだから、もっと膨大な量の資料があるのだろうと想像していたのだが… こういった何々資料館によく足を運ぶ方ならお分りだろうが、資料の量と入館料は比例している。 ここは百円。 だからかなり小さな資料館だ。 いくら希有な資料館でも、こんな小さな資料館に一日中いるのは、容易な事ではないぞ… だが、住職さんの教えの通り、時間の許す限りじっくりじっくりと目を通してきた。 きっと『じっくり』に何か大切なモノがあるのだ。 毒ガス工場建設の過程 製造した毒ガスの種類 被毒した悲惨な症状 実際に何百万発も使用した事 工場での粗雑な防護による作業員の多大な犠牲者 工場の存在が昭和50年代まで国民に知らされなかった事実 まさに目を覆いたくなるような事ばかりであった。 終戦直後に作業員が洩らした一言があった。 『この工場の毒ガスをもっと沢山使っていれば良かったのに…』 何が人間をこのようにさせてしまうのだろうか。 こんなに残酷な事をしてまで欲する物は何なのか。 二度と繰り返さない為にすべき事は何か。 本当に命の尊さを知る指導者が必要だ。 もちろん戦争に関しては国の指導者がそうだが、それだけではない。 会社の指導者、宗教の指導者、学校の指導者、そして家庭の指導者… 世の中は今すぐ変わる物ではない。 だから、あらゆる指導者による道徳的教育が後世を和に導くのだと、今の私は思う。 道徳的教育か… こればかりは法律ではどうにも出来ない。 実際に、大人一人一人が自覚するしかないだろう。 そう、まずはワタシからだ…
2007年03月24日
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昨夜は、野呂山に泊まった。 昨日も登ったのだが霧がかかっていたので、ちゃんと見る事が出来ず。 一旦は下山したのだが諦め切れずに、朝に見ようと思ってまた登ったのだ。 不思議とこういう日は早く起きれた。 まだ太陽が登っておらず、だが空はぼんやりと青白くなる頃、駐車場から然程離れていない展望台へ歩く。 地図で見ると、この辺りは瀬戸内海の中でも島が多いので、ここからの眺めは絶景だろうと期待していた。 しかし残念。 またもや霧がかかっていて、お世辞にも見渡せるとは言えない。 天気は良いのになぁ。 暫らくしてから、再び車内へ。 3月末といえど、山の朝は冷え込みが激しく、冷えた体を寝袋に突っ込んだ。 すると寝ていたようだ。 起きた時にはすっかり日も昇って車内は熱気が蒸していた。 それから『三度目の正直』と、再び展望台へ。 しかし、またしても霧がかかっていて見渡せない。 残念だが、これはこれとして、霧の間から滲み出る小島や山々をのんびりと堪能していた。 すると、原付で登ってきた方がいらして色々と話をした。 地元のおじさんで、天気の良い日はよくここにいらっしゃるという。 この方、福祉活動をされているようで、その方面に詳しい。 そこでパパラギのしおり等をお渡しして、知的障害の方の事等をずっと話していたら、いつの間にか3時間ぐらい時がたっていたようだ。 宗教や福祉や地元の歴史やら、様々なお話が出来て濃厚な時間を過ごせた。 このおじさんが勧めて下さった、呉の江田島にある旧海軍兵学校(海軍特攻隊の資料館)は、今回は諦めるが、竹原の大久野島の毒ガス資料館には明日行こうと思う。 毒ガス資料館は、以前から地図で見つけていて、大変に興味があったのだが、ペース配分を考えると諦めざるをえなかった。 だが、おじさんの強い勧めと『戦前の日本の地図には存在しなかった島』という言葉で、これはどうしても行かなければと思ったのだ。 その後、近くにあった弘法大師の所縁ある弘法寺に行った。 真言宗のお寺かぁ、と険しい山中の境内を歩いていると、再び声をかけられ本堂へどうぞと勧めて下さった。 ここの本堂が凄い!! 勧められるままに奥へ行ってみると… なんと岩の壁が現われた!! 外から見ていても、崖に密接して建ててるなぁと関心していたのだが… まさか、本堂の最奥に岩壁を祭ってあるとは思わなかった。 話によれば、この岩壁の隙間で弘法大師が修行したので、そこに本堂を建てたのだそうだ。 私にとっては、弘法大師が云々というよりも、この本堂の最奥に岩壁を祭っている事実の方が驚いた。 この強烈なインパクト。 どこそこの本山の本堂よりも、直に心に響いてくるモノがあった。 また、このお寺には住職がいないらしく『由緒あるこんな良いお寺を放っておけない』と、地元の方々で会を作り、毎日交替で二人が上山して管理をしているという。 この事実にも驚いた。 こんなに熱心な方々もいらっしゃるのか。 僧侶である私も、うかうかしてられないな。 旅をしていると、こういう予期せぬ出会いがあるのが嬉しい。 そこからまた意外な学びが生まれるものなんだなぁ。
2007年03月23日
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私の変な体質に気付いた。 禅僧でありながら、私はコンタクトレンズを付けていたのだが、福岡県で視力に合った眼鏡を買ってからは、ずっと眼鏡をしていた。 前から薄々と気付いてはいたのだが、眼鏡ではどうもやる気が出ない。 最近、何事にもやる気が出ないのは眼鏡のせいなのでは… と、意味不明な理屈を付けて、今日はコンタクトにしてみた。 すると、コンタクトを付けたら何か行動したくなる。とまでは言えないが、眼鏡よりかは明らかに行動的にはなるのだ。 その証拠に、今日は久しぶりに予定通りの行動がとれた。 午前中は托鉢をきっちりして、午後から呉に行って市立美術館と入船山記念館へ。その後、瀬戸内海を一望出来るという野呂山へ。 一日、びっしりと動けたから久しぶりの満足感だ。 私は、コンタクトを付けると変心するのか? 私は、そんな変な体質を持っているのか? しかしまぁ、世の中は理屈に合わない事があって当然だから、暫らくは再びコンタクト生活を送って、変な自分を楽しんでみようと思う。
2007年03月22日
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今日から広島県だ。 瀬戸内海を眺めながらの運転は気持ちが良い。 脇見運転にならぬように気を付けなければ、見惚れてしまうぐらい綺麗だ。 だが、工場が多いようなのが気になる。 遠くにも近くにも高い煙突が建っていて、もくもくと煙を吐いている。 休憩で車から降りて空気を吸うと、やはり長崎とかの海辺の空気とは違う。少しだが工場らしい臭いが混ざっている。 夕方は、大学時代の友達に会ってきた。 食物に疎い私は、旅に出て初めて産地物らしい、広島焼きを食べに行った。 地元人ではない私には、お好み焼きというより、焼そばに近い感じがした。 友達は昨年から社会人として働き始めたのだが、やっと仕事に慣れてきたようで、やりがいも感じるし充実しているらしいので安心した。 働き始めた頃は、やはり色々と大変そうだったから心配してたのだ。 正直、もっと色々と話をしたかったので後ろ髪を引かれる思いもあったが、お互い頑張ろうと言って別れた。 僧堂に行った友達は、四月から四年目に入る。 今年から就職してばりばり働く友達もいる。 結婚してすでに子供が二人いる友達もいる。 みんな、着々と前に進んでるんだ。 俺は? 俺は何をしているんだろうか… 一体、何を…
2007年03月21日
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午後から岩国市の錦帯橋に行ってきた。 日本三名橋の一つとなっていて、有名な場所のようだ。 河川敷に車を停めて、下駄では歩きにくい砂利道をひょこひょこ歩く。 綺麗なアーチ型だ。意外と長い木造橋で、三つのアーチがある。 何を作るのでもそうなのだが、曲線を作るのは難しい。 しかも、橋だと強度も必要だろうから尚更だ。 だが、強度だけに重点を置けばこんなに綺麗な橋が出来るはずがない。 もともと橋とは、水に濡れぬように川の対岸へ渡れればいいのだ。 だから、この橋のように技術的に難しいアーチを作る必要は無い。 やはりそこには、日本人の美が隠されているのだろうと思う。 まぁ、このように立派な橋を作る事で、藩主の権力を表わしていたのかもしれないが… そして、意外な発見もあった。 ここ岩国は佐々木小次郎の出生地でもあるらしい。 だが、確かこの旅で福井に行った時、小次郎の生家を見てきたのだが…??? まぁ、歴史には色々な説があるという事なのだろう。 ちなみに、有名な吉川英治さんの『宮本武蔵』では、小次郎は岩国出身になっているらしい。
2007年03月20日
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昨日、このブログと旅を通して広がりが出来た。 それが心底嬉しい。 私は本当に弱い人間である。 旅に出てからずっと孤独。 共に喜ぶ人がいないのが、こんなにも淋しいのか。 共に悲しむ人がいないのが、こんなにも虚しいのか。 喧嘩や争いをする人がいる事にさえ、愛着を感じる。 托鉢での出会いも、確かにあるが… いや、そのお陰で私は今生きる事を許されているのだが… 私には余りにも崇高過ぎる世界なのかもしれない。 この托鉢は、寺建立の誓願の為でもある。 格式や形式に拘るだけでなく、純粋に目に見えぬモノを追い掛け、一個の石から膨大な命を汲み取る空間を誰にでも解放した修行道場。 立派な誓願である。 だがその為には、言い方は悪いがどんどん托鉢をしなければならない。 今の私はそこに疑問が出ている。 私が僧侶になった大きな理由の一つに『お金を追い掛けたくない』というのが強くある。 それが例え、衆生済度の誓願の為とはいえ、違和感を感じてならない。 そもそも、托鉢はそういうモノなのだろうか。 托鉢はもっと下座の世界のモノではないのか。 いや、しかし衆生済度の場を作るには… いや、理屈を考えるよりも、今動く手足を活かす方が大切なのでは… 御覧のように、今の私は混沌としている。 様々な考えが去来して、結果、無気力を生み出している。 すさまじい悪循環だ。 しかしある意味、この様々な湧き出てくる思いを一人で体にぶつけるのが、この旅の一番の趣旨なのかもしれないな…
2007年03月19日
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昨夜はなかなか寝付けず、朝方まで起きていた。まったく、生活のサイクルがおかしくなっているようだ。 今日は、以前に私のブログにコメントを下さったお坊さんに会おうと、朝から剃髪をして、綺麗な作務衣に着替えて出発した。 まずは県立美術館へ。香月泰男さんのシベリアシリーズを楽しみにしていたのだが…展示はされていなかった。話を聞くと、現在は修復中でしばらく展示の予定は無いそうだ。これには少々気を落したが、展示されていた作品の中で気に入ったのがいくつもあった。特に、宮崎進さんという名の方だったと思うが、この方の作品が好きだった。 次はサビエル記念聖堂へ。外装も内装も真っ白である。これはサビエルの清廉な心を映しているという。高くそびえる二つの塔。これはサビエルの強い意志を語るように天に伸びているのだそうだ。資料館のような場所もあり、無知な私はただ黙々と見て廻った。聖堂内も入ったのだが、まさしく名の通り聖堂だ。仏教の本堂や神道の神殿と同じ空気感が漂っていた。この崇高な感じ。どうにも嫌いになれそうもない。 さぁ、高鳴る鼓動に身をゆだねて、先に述べたお寺へ向かった。境内は綺麗に掃除をされていて、また、砂紋を見た途端にビリッと何かを感じた。息を呑みたくなるような、乱れの無い線。これぞ禅寺だ。私も砂紋を引いた事があるのだが、なかなかあのようにはいかない。芸術的というよりも、この線を引いた方の生きる呼吸を感じた。驚きながらも、本堂前で一礼。その後、更に緊張しながら庫裏へ。なぜ緊張するかと言ったら、私の禅僧のイメージは『恐い人』や『怒られる』といった感じだからだろう。深く、そして何度も深呼吸して、『お願いいたします!!』と大きな声を出した。だが、再び静寂へ。何度も声を掛けたが無反応だったので、やむなく鐘を叩いた。その後、ぱたぱたと一人の女性が出てきて下さった。面識もなく、また、連絡せずに訪ねた無礼をお詫びし、福住職さんがいらっしゃるかを尋ねたところ、残念ながら不在という事だ。わざわざ福住職さんの携帯に電話をかけてまで、暖かい気遣いをして下さったのだが、残念だがこれも縁の内だと思い、お礼を言ってお寺を後にした。いつかまた、寄らせて頂きたい。 続いて瑠璃光寺へ行き、どこか繊細さや優美な感覚を持つ五重の塔を見て、次はちょっと車を走らせた所にある常栄寺の雪舟庭園を堪能してきた。ちなみに、瑠璃光寺は曹洞宗、常栄寺は臨済宗東福寺派の僧堂である。 今日は禅寺と縁があったようだ。 福住職さんとお会い出来なかったのが、なんとも心残りだ。『怒られるかもしれない』とか、情けない事を考えながらも踏み込んだのは、そこから何かを学びたいと思ったからだろう。 他人の人生観を真剣になって怒る人は優しい人なのだ。 だからまた、勇気を出して怒られに行きたい。 折角、こんな愚僧に声を掛けて下さったのだし…
2007年03月18日
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最近、寝床に恵まれなかった。 いくら探しても静かな場所が見つからず、しょうがなく線路の傍や交通量の多い道沿いで寝ていた。 だが、今日は車の音なんかまったくしない所を見つけれた。 明日は托鉢はしないから、いつもの下見はしなくて済んだから、探す時間が作れた。 おかげで今夜はうるさい音に邪魔をされずに寝れそうだ。 明日は県立美術館に行こう。 香月泰男さんのシベリアシリーズを観るのが楽しみだ。
2007年03月17日
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衣を着ると、気分が変わる。 身も心も引き締まるといった感じだろう。 今日もダラダラとした一日になりそうだったのだが、とにかく衣を着ようと思って着替えた。 衣のおかげでなんとか自分を取り戻せた。 しかし、こういったのは坊さんの衣だけに限らないと思う。 いわゆる『正装の力』ではないだろうか。 警官は警察の制服を。 医者は白衣を。 サラリーマンはスーツを。 庭師は着慣れた作業服を。 学生は学制服を。 本来ならば、心を強く持てば正装の力なんか無用である。 警察の格好をせずとも、警察の仕事は出来るだろう。 和服を着なくても茶を点てる事も出来るだろう。 真の心の力であれば、格好は関係ない。 だが、人の心には無常にも波がある。 強き心を持てない時は、正装の力に頼ってみるのも、立ち直りの切っ掛けに繋がるかもしれない…
2007年03月16日
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今日も昨日と同じように、一日を無駄にしてしまった。 『全国を見て廻りたい』 なんて言っていた自分が、まるで他人のような気がしてくる。 ちょっと前まで、今日のような雨の中を托鉢していた自分が嘘のようだ。 皆、それぞれが頑張っているんだ。 自分で自分を追い立てないで、どうする。 意味合いや手段よりも、どうやり通すかが大切なんだと思う。 とにかく、このままじゃいけない。
2007年03月15日
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何もやる気が起きない。 車の中でゴロゴロしたり、地図を広げてただ眺めてみたり、ちょっと散歩したり… ただ、それだけで一日を過ごしてしまった。 俺はいったい、何がしたいのだろう。 何を望んでいたのだろう。 今はなぜか、何もかも見失っているような… 自分が情けない…
2007年03月14日
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昨夜から山口に入った。 九州は予定よりも大分長く滞在してしまったようだ。 昼間は大分暖かいが夜は冷える。なかなか寝付けない。 今朝は、車を停めた場所が悪かったようだ。 朝方になって周りがやけに騒がしいなと思っていたら、車をノックされて工事をするから移動してくれと言われた。 これは初めての経験だった。 ちょっとした路駐のような感じだったのが悪かったようだ。 これからは気を付けよう。 さぁ、暫らくはまた知人に会うことのない日々が続きそうだ。 だが、だんだんと一人遊びにも慣れてきた。 また、頑張ろう。
2007年03月13日
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車検等で暫らく祖父母の所にお世話になっていたり、里人と会っていたりで、私を知った人との接触が多かった。 何とも刺激的な数日間だったと思う。 いつも一人なので、人の考え等を聞けるのが嬉しかった。 やはり自分だけの考えに固執したくはない。 様々な人と接して、様々な考えを吸収していきたいと思う。 だが、一番に目を向けるべきなのは動植物や石等であるだろう。 それらは人間の思考を超えた真の和を教えてくれていると思う。 正義を振りかざすのでもなく、相手に何かを求めるのでもなく… ただ、じ~っと風に耐えている姿には涙が出てくる。 願わくばそうありたい…
2007年03月12日
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寒の戻りというやつだろうか。 今日は風も冷たく、久しぶりに手足がかじかむ托鉢だった。 今日から再び福岡県に入った。 九州を一周したわけだ。 当初の予定では二ヵ月間だったが、結局は三ヶ月間も費やしてしまった。 正月を一人で迎えたり、友人のお寺にお世話になったり、一旦岩手に戻ったり、長期間サボってみたり、屋久島に行ったり… 色々あった。 どれも濃厚に覚えている。 まだ九州を終えたわけではないが、福岡に入ったとたんに、色々と思い出してしまった。
2007年03月06日
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また、私の旧友が亡くなった。 自殺だ。 何も出来なかった自分が悔しい。 何もしてあげれなかった自分がもどかしい。 何があったのかは分からないが… 駄目だ。 言葉に言い表せない… 私に出来る事は、合掌する事のみだ…
2007年03月05日
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そろそろ渓谷を味わいたいなと思い、近くにないか地図上で探してみたところ、九酔渓という場所を見つけた。 昨夜の内に近くまで移動した。 今朝から散策しようとしていたんだが、入り口が見つからず、結局『日本一の吊橋』という看板に引かれて行く事に。 山間にあるのに凄い渋滞。 何やら観光名所らしい。 あまりの車の多さにすでに興醒めしていた。 まだ距離はあるが車が進まないので、道沿いの駐車場に車を停めて歩いて行く事に。 昨年の三月に出来たばかりの吊橋。 長さが390メートルもある。 吊橋を渡るのにお金を払う事に違和感を感じたが、それよりもこういう場所で『大人一枚』と言う事に更なる違和感を感じた。 遊園地やカラオケ屋に一人で行くような、それに近い感覚だ。 吊橋を渡る長い行列に紛れ、先日草履が壊れたので歩きにくい下駄で臨む。 実は私は高所恐怖症なのだ。 緊張しながら汗ばんだ右手でしっかりと手摺りを握りしめる。 しかし、見栄っぱりな私は恐がっているのを隠すかのごとく、左手はポケットへ忍ばした。 揺れる揺れる。 立派な滝が三本見渡せる絶景なのだが、味わっている余裕がない。 この吊橋の高さは173メートルもあり、下を見たら…恐ろしい。 おそらく情緒溢れる綺麗な川のせせらぎがあるのだが…見れない。見ようとしても、まるで凶器のごとく感じてしまう。 小さな子供が、手摺りから手を離して楽しそうに走り回る姿に、一種の尊敬の念を持ち、また、『走ったら更に揺れるじゃないか!!』と心の中で叫んでいた。 やっとの思いで往復して、混雑する土産屋には目もくれず、車のある駐車場へ。 道中、あまりの自分の情けなさに落ち込んでいたのは言うまでもないだろう。 さて、次ぎなる目的地は湯平温泉だ。 ここは山頭火の所縁の地らしく、山頭火ミュージアム時雨館に行くのが目的だ。 まさしく山の谷間にある小さな集落。 平地なんて無く、どの建物も斜面に建ち、その真ん中を綺麗な川が流れている。 ミュージアムを探したが見当たらず、お孫さんと散歩していた方に道を尋ねたが、まだ分からない。 公共駐車場に車を停めて、勘で歩き廻ったら、見つけた。 絶対にミュージアムと名前を付けるべきではない寂れた佇まい。 ガタガタと開けにくい引き戸の中は無人で、柱に厚紙で作った箱が架かっていた。 『お一人様100円』 なんと奥床しい空間だろう。 細く急で暗い階段を上がった所に一つの和室がある。 窓からは眩しいぐらいの日が降り注ぎ、その窓の下に和卓が二つ照らしだされている。 壁には山頭火の句が数枚架かっていた。 正座して和卓に向かい、目の前の窓からは勢いよく流れる河と、そこに架かる青い小さな橋が眺められる。 古ぼけた和卓の上には、筆や墨汁等の書き物一式が揃っていた。 ここを訪れた皆が、思い思いの字や絵を書き残して行っているようである。 では愚僧も一筆、とばかりに筆を手にした。 何を書いたかは内緒である。 私だけが知っている旅の遊び心と言えよう。 山頭火の句で、一つ、心に響いた物がある。 『どうしようもない 私が 歩いている』 という句だ。 今の私と照らし合わせてみると、なんとも言えない深い味わいがある。 後に、人気のない石畳の温泉街に下駄を響かせながら歩き、足湯に浸かりながら他の観光客としばしの会話を交え、この情緒溢れる町に別れを告げた。 次の町は由布院。 もちろん温泉で有名であるが、地図を見ると美術館や博物館が沢山有ったので行く事にした。 いやいや、凄い人の数。 一旦は車で探したが、細く入り込んだ道に観光客で溢れているので、あきらめて適当な場所に車を停めて歩いて廻った。 何度も道に迷いながら由布院美術館に着いた。 万華鏡と佐藤溪シリーズが展示されていて、私が驚いたのは万華鏡だ。 万華鏡そのもの形の美と表現の美た。 私は侮っていたようだ。やはり、どんな物にも美を追求する世界が有り、同時に獲得した人物もいるという事を知った。 美術館の方に、お薦めの美術館を聞いてシャガール美術館とドルドーニュ美術館に行く事に。 人込みに揉まれ、またもや道に迷いながら着いたシャガール美術館は一階が喫茶店、二階にシャガール展をしていた。 一階から響く賑やかな音をバックミュージックに観覧。 シャガールの感想は、分からない、だ。 サーカスをテーマにしていたのだが… シャガールはサーカスに哀しみを感じてならないそうなのだが… 私はそれを拾い取れなかったようだ。 ドルドーニュ美術館は古ぼけた民家で、実際、展示されている作品よりも建物の方が私には興味深いものだった。 ただ、ここの館主の方とコーヒーを片手に二時間ほど会話を楽しんだ。 仏教の話し、抽象画の話し、パパラギの話し等をしたのだが有意義な時間を過ごせたと思う。 今日はここまで。色々と廻ったな。 いつの間にか、一人という事も忘れているようだ。 いや、様々な物と一緒になれているのかもしれない。 まぁ、寂しいのは変わらないのだが、木々も寂しいだろう。転がってる石も寂しいだろう。沢山の人に囲まれながらも寂しい人もいるだろう。 自然とそう思えるようになってきているのかもしれない。
2007年03月04日
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今週は托鉢に集中した。 今日は一ヶ所だけだったが、それ以外は全て二ヶ所を廻った。 この旅に出て初めての事だった。 そして回数だけではなく、内容というか、托鉢の容姿や意気込みも、初心に返ったように臨めたと思う。 だから、しんどさは何も無かった。 だが、昨日以外は美や歴史や木々に触れる機会はなかったのが残念でもある。 どうすれば、上手く両立出来るのだろうか。 いろいろ考え、そして試してみようと思う。 今夜は外が明るいようだ。 満月かな。
2007年03月03日
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暖かく晴れ渡った日が続く。 今日は活発な行動がとれた。 朝早くに目覚めて、すぐに仏舎利塔と磨崖仏を見に行き、托鉢をして、美術館に行って、また別の磨崖仏を見て、最後に少ない時間だったのだが托鉢をした。 仏舎利塔は、よく町の裏山に建っていて今まで気になっていたのだが、近くまで行った事はなかった。 たまたま、今日の町の仏舎利塔は遠くから見ても大きかったので、行こうと決めた。 『仏舎利塔の周りは特別何も無くて、ただ塔が建っているだけ』 と、前に聞いた事があったのだが、ここはちゃんとお寺があった。 そして仏舎利塔だが、インド仏教を思わせる形や色に関心しながら、確かめるように周りを歩いた。 何を確かめたかというと、どこで知ったのか分からないのだが『この塔には東西南北の方角に釈迦の何かがあるんじゃないか』というただの勘なのだが… それにインド仏教等は方角を大切にしていたような気がしたのだ。 やはりあった。 それぞれに釈迦の別々の姿があった。 記憶が曖昧で間違っているかもしれないが… 東は、天と地を指差した赤ん坊の姿。 北は、苦行で痩せこけながら座禅する姿。 西は、腕枕をして横になっている涅槃の姿。 南は、ふくよかな感じで成道された姿。 暫らく眺めていたが、これといった沸き上がってくる感情等は何もなかった。 世界平和を願って建てたそうなのだが… 磨崖仏は初めてみたかもしれない。 岩の崖を削って仏を形取る磨崖仏は、行く前日から、いや、地図で見付けた瞬間から心踊った。 多額の費用を使ったわけでもなく、どっかのお偉いさんが作ったわけでもない、ごく一般的な仏が本来の仏ではないだろうか。 岩崖をほんの少しずつ削り、ほんの少しずつ磨いていく作業。 さぞかし願いを込めたであろう。 車から降り、古ぼけて文字が読み取りにくい小さな案内板に従って歩く。 竹林の横の細い道を過ぎると磨崖仏が現れた。 風化が激しく、仏像の頭が無かったり、胴体に亀裂が入っていたりしていたが… すごい。いい感じだ。 この自然と崩れ落ちた仏像。 それが本来の仏に近い姿だと思う。 そして、この仏像を作った人も、自分が崖を削るぐらいなのだからすぐに風化して崩れるのは分かっていたはずである。 でも彫ったのだ。 きっと永久保存など望まずに、彫ること自体に重点を置いたのであろう。 この磨崖仏は文化財である為に近年になって屋根が付いたそうだ。 だから、私からすれば本来の磨崖仏の持味の半分しか味わえなかった。 地図で見ると、ここ豊後は磨崖仏が多くある。 どこかに雨や光を浴びる磨崖仏があったら、是非とも拝みに行きたいものだ。
2007年03月02日
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毎日、数十キロもの移動をいとも簡単にしている。 ほんの数日前の生活では、五キロ進むのに体のアチコチを痛めながら一時間も費やしていたのに… しかも、その五キロの間にちょっとした坂があれば、一時間半や二時間になったりもした。 車で移動する場合、目的地への道中に興味深い場所を見付けて、ほんの数キロだったら簡単に寄る事が出来る。 そこが美術館であれば、美を学べるし、景勝地であれば自然と触れ合えるし、先人記念館であれば偉業を知る。 だが、歩いての移動はそうはいかない。 実際、屋久島一周の道中に興味深い場所がいくつもあったが、道から数キロ離れた場所にあると、行きたくなくなった。 それに足を使う余裕がなかった。 もしその時、様々な場所に寄っていれば、私は新たな体験をし、学び、成長出来たであろう。 だが、それでは五日間では全く足りなかっただろう。 ただでさえ、五日間は長いという批判も頂いたのだし… この旅を車でしている事に、様々な方から批判を頂戴しているのだが、屋久島に行って分かった事がある。 私は日本に有る、様々な良い物を見たいが為に旅に出た。 歩いてでは雀の涙程度しか行く事は出来ないだろう。 私は今、車であるから多くを学べていると実感している。 なんだか書いている内に、歩く旅を批判しているような文章になってしまったが、私が言いたいのはそうではなくて『目的が違う』と言いたいのだ。 歩く旅は、それなりのメリットとデメリットがあり、車の旅は、歩く旅とは全く異なったメリットとデメリットが有る。 まあ、そういう事を屋久島の経験から、最近になって感じただけの事だ。
2007年03月01日
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