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「串本」と聞いてまず頭に浮かんだのは無量寺だ。「和歌山県フォト博物館 観光 街角ギャラリー」より 円山応挙の高弟 長沢芦雪の「虎図」で有名なお寺で前々から一度実物を見たいと思っていた。 串本駅から徒歩で10分ぐらい、バス停では串本農協前から街中に入ったところにある この辺り、昔ながらの細い路地が残っていて海沿いの街の雰囲気が残っている。 無量寺は臨済宗東福寺派の禅寺で「虎図」は「龍図」と対になって「龍虎図」として本堂に収められていた。 現在は国指定有形文化財として収蔵庫に収められている。この日は天気が良くて収蔵庫を空けて見せてもらえたが、雨なら収蔵庫が開けられないので実物を見ることは出来ない。 現在、本堂には大日本印刷が製作したデジタル複製画が収められいるが、これはこれで現物を忠実に再現した優れものである。現物と区別がつかない。「大日本印刷株式会社「伝匠美 文化財の保存と次世代への継承」」 ぐっと踏み出して顔と同じくらいの大きさで描かれた前足が印象的だ。それでいてこの虎は「恐い」と感じるより「かわいい」と感じる。芦雪は猫を見てこの虎を描いたと言う。黒目が縦長に描かれた眼は猫が明るいところにいるときの眼だ。ピンと張り上げたヒゲ、薄墨とキリッと締まった墨の線が立体感を出している。 こんな虎図はここだけ、唯一無二だろう。 本堂は外から見ると小さく見えるが中に入ると広々としている。 芦雪の虎図のほか、師匠の応挙の「波上群仙図」、芦雪の「唐子琴棋書画図」など見所が多い。 応挙、円山派一門が揃うのは兵庫県香住の通称「応挙寺」、「大乗寺」だろう。 しかし、この「虎図」は「円山派」で括れない絵である。芦雪の強烈な個性そのものだ、と思う。 今回「串本に行ったなら”虎図”」を実際に見ることが出来てよかった。
2012.01.08
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樫野埼から串本駅までバスで戻る。「串本に観光に来たなら潮岬も行っとくか」ということで駅前から潮岬行きのバスに乗る。 「潮岬観光タワー」 の展望台からの風景右手に潮岬灯台潮岬灯台までの遊歩道を歩く串本に来てずっと海を見て「きれいな海だ」と思ったが、この遊歩道からの景色もなかなかいい。灯台あたりの景色帰りの時間を気にして駆け足の潮岬だった。
2012.01.07
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「トルコ記念館」から100m程か、岬の先端の樫野埼灯台と旧官舎 慶応2年、徳川幕府が欧米諸国と結んだ江戸条約で8ヶ所の灯台を整備することを約した、そのうちの1つだそうだ。明治3年に官舎とともに竣工した。 12月下旬 水仙が咲き始め 官舎は昭和40年代までは実際に人が住み使われていたそうだ。幕末から明治にかけての設計でいわゆる”洋風”の造りだが、細部や構造には”和風”の技法が使われている。 歴史的建造物として国登録有形文化財に指定され、平成23年に改修工事が行われた。 空気の澄んだ青空を映した海が綺麗だった。
2012.01.07
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今回、串本に行って一番印象に残ったのが「トルコ記念館」 「くしもと大橋」を渡って大島に渡り、その大島の東端の樫野崎にある。 明治23年ここでオスマントルコの軍艦「エルトゥールル号」が遭難し、乗組員600数十人のうち、580名余が命を失った。 当時、日本の皇室からトルコ(というか、ヨーロッパ各国)に表敬訪問を行い、その返礼と日本との友好条約締結と海軍の洋上演習のため「エルトゥールル号」が日本に来た。 その帰途、台風に合いエルトゥールル号はこの記念館のほんのすぐ沖の船甲羅という岩礁に乗り上げ船体は真っ二つに割れ、機関室の水蒸気爆発で遭難したという。 2,300t余り、全長76mの船が岬の岸近くを操行するわけはない。沖を操行中、台風で制御不能になったのだ。 折からの台風で島の住民は家で台風の過ぎるのを待っていただろう。そこに必死の思いで岸に辿りついた乗組員が樫野の灯台に助けを求めた。 今でさえ小さな島である。その島の人々は家財の着物、布団を持ち寄り遭難者の看護と救助を行い、備蓄用食料の芋、にわとりなど一切を提供し遭難者を助けたと言う。 大島の人々は遭難した人々を背負い、この断崖を登ったのだ。 明治天皇は医師・看護士の派遣など出来る限りの救護と援助を行うようご指示をなされ、生存者は日本の戦艦「比叡」、「金剛」によってトルコへ帰国した。この時、「坂の上の雲」の秋山真之が青年将校として戦艦「比叡」に勤務し、トルコへ行っている。 悲劇の翌年明治24年に和歌山県、有志の義金により墓碑と追悼碑が建立された。 後、昭和4年、昭和天皇がここ樫野に行幸された。本州最南端のその先の島に昭和天皇は慰霊の行幸をされたのだ。 その時にはオスマントルコは「トルコ共和国」となっていた。初代大統領ケマル・アタチュルクは昭和天皇の樫野行幸をお聞きになり、新たな慰霊碑の建立を依頼された。 それが現在の慰霊碑だ。除幕は昭和12年という。建立されて70数年経っている訳だが、まぁ、数年前に出来たような綺麗さだ。地元の方々、地元の小学校の生徒さんがずっと清掃を続けておられると言う。頭の下がる思いがした。 時は流れて1985年、エルトゥールル号遭難から95年後、イラン・イラク戦争が起こった。イラクのサダム・フセインは「今から40時間後、イラン上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」と声明を発表した。イランのテヘランの在留邦人は日本とイランに国交がないため日本から飛行機が送れず取り残された。そこにトルコ航空機がやって来て日本人全員を乗せてテヘランから日本へ飛び立った。タイムリミット1時間15分前だったそうだ。 なぜ、トルコ航空機なのか。時の駐日トルコ大使は「トルコ国民はエルトゥールル号事件を忘れていません。日本人が困っているときトルコ航空が飛んだのです。エルトゥールル号事件は私も小学校の授業で習いました」といったことをおっしゃっている。 「串本町観光協会」 のホームページより引用させていただきました。 慰霊碑の前にはトルコ初代大統領「ケマル・アタチュルク」像 これは数年前、ここに移設された像だそうだ。 忘れてはならない悲劇の現場なのだが、この日は小春日和の穏やかな太平洋だった。 日本とトルコの間にこんな歴史があったとは知らなかった、また、知っている人がどれだけいるのだろうとも思った。トルコの人は大抵知っているそうだか。 予備知識なく行ったがとても印象に残った場所である。
2012.01.07
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旅先で水族館があると外せない。串本には「串本海中公園」がある。 「串本海中公園」 ”世界の海から”魚を集めたのではない。串本の海の生き物を集めた水族館だが本州最南端の街、串本だけに黒潮に乗っていろいろな魚たちが集まる。写真の真ん中の白い建物は海中展望塔 写真を撮っているこちら側が本館 以前は釣りが趣味だったが、その頃、釣った魚がいる そんな串本の魚たち 鬼カサゴだったかな? 写真ではちっさく見えるけど1m超のクエ こうして生きてる姿を見ると「クエ鍋はうまいな。食べたいな」という気持ちが萎えた。やっぱり「趣味は釣り」はやめた。 うつぼ この辺、南紀では普通に食べられる。ホテルの夕食にもうつぼの皮の酒の肴が出た。 ミノカサゴ ひれには毒がある 海がめのプール この辺りの浜には海がめが産卵にやってくる アカウミガメ アオウミガメ タイマイ・・・ ウミガメオールスターでした。 アルビノ(白化)のアカウミガメ 珍しいらしい 南紀の”豊かな海””きれいな自然”を感じることの出来る、楽しい水族館だ。
2012.01.02
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