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京浜急行電鉄本線 堀ノ内駅神奈川県横須賀市三春町 京急の本線と久里浜線の分岐駅、堀ノ内駅まで戻ってきました。堀ノ内駅は、2面4線の島式ホームを持つ地上駅です。改札はホームの下にあります。堀ノ内駅では、多くの列車が緩急接続します。快特は久里浜線の三崎口駅まで直通し、普通は本線の浦賀駅へ向かうパターンになっているようです。右奥が1500形のアルミ車、中央が2100形、左奥が1000形です。三崎口駅へと向かう快特です。浦賀駅からの上り線とクロスして、右奥の方向へと進んでいきます。三崎口駅方向への下り線とクロスして、浦賀駅方向(左奥)から堀ノ内駅へと進入してきた普通列車です。今度は1000形どうしの緩急接続です。ひっきりなしにやってくる列車を見ていると、飽きないですねえ。
2012年01月31日
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再び浦賀駅ホームです。これから堀ノ内に向けての折り返し、今度は1000形が待っていました。1000形は2002年に登場した形式で、長さ18メートル、扉は3ヶ所、前面貫通扉があり、地下鉄浅草線乗り入れ用の仕様です。写真の列車は4両編成です。外観は2100形に似ていますね。浦賀駅のホームを出て300メートルほどのところにトンネルがあります。競合路線が多い京急は、速さで競うという歴史があったようです。建設費は高くなっても、高速性を求めるならトンネルで突き抜けるのが有利です。横浜以南には、本線、久里浜線合わせて、20近いトンネルがありますが、それもまた肯けようというものです。
2012年01月29日
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京浜急行電鉄本線 浦賀駅神奈川県横須賀市浦賀京急本線の終着駅、浦賀です。快特は堀ノ内駅から久里浜線に入り、久里浜・三崎口へと向かいます。本線といいながら、堀ノ内~浦賀間は支線扱いのようで、朝の一部の列車以外は普通列車しか入線しません。ホームは8両編成に対応しており、2線1面の島式になっています。バスターミナルに接するように、駅の入口があります。入口階段を上がったところに改札口があり、駅のホームはさらに左奥の小高い場所にあります。もともとは、さらに先までの延伸計画があったのですが、計画は破棄され、堀ノ内から分岐する形で久里浜線が建設されました。平成15年(2003年)に閉鎖された浦和ドッグが駅の南側にあり、かつてはそこに通う人たちの利用が多かったとか。いまは観音崎などへ向かうバスの起点となっております。浦賀は古くから港町として栄えてきました。江戸時代には黒船事件があり、また、咸臨丸がアメリカに向けて出港したところとしても有名です。
2012年01月27日
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京急2100形は、21世紀を意識して名付けられた形式で、扉は2ヶ所、オールクロスシートの優等列車仕様です。前面片側に貫通扉があり、品川駅から先の地下区間に入ることができます。しかし2扉のため、泉岳寺駅までの運用で、東京都営地下鉄への乗り入れはできないんだそうです。この車両にはドイツのシーメンス社のVVVFインバータが採用されています。この制御音が特徴的で、加速時の音が音階になっていて「歌う電車」とか「ドレミカー」とも呼ばれています。楽譜で書くとどうなるのかな? 「ソー ラ シ ド レ ミ ファ ソ ラーーー」って感じでしょうか (かなりいい加減ですが)ちなみに、「快特」という表示は「快速特急」の省略形だと思っていました。確かにかつては「快速特急」が正式で「快特」はその略称だったのですが、現在では「快特」が種別の正式名称になっているんだそうです。今度は1番線に800形の新逗子行き普通列車が到着しました。快特と緩急接続するようです。800形も前面非貫通で、地下鉄区間への乗り入れは考慮されていません。また片開き扉が4ヶ所に設けられており、ラッシュ時には多扉車のほうが乗降時間の圧縮に有利でしょうが、乗車位置が変わってしまうので、慣れないとややこしそうです。さてさて、時間は限られていますので、先を急ぐことにいたします。
2012年01月25日
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京浜急行電鉄本線 金沢文庫駅横浜市金沢区谷津町京急川崎駅から快特に乗って、最初に降り立ったのが金沢文庫駅です。12両対応の2面4線の島式ホームを持つ地上駅で、駅舎は橋上にあり、自由通路も設けられています。駅名は、鎌倉時代中期の武将である北条実時(さねとき)が建設した「金沢文庫」に由来しています。いわゆる私設の図書館です。当時の建物はすでになく、明治になって再建されたものの、関東大震災で失われました。現在の金沢文庫は1990年に神奈川県によって建てられたもので、鎌倉時代を中心とした歴史博物館になっています。駅の南には金沢検車区があり、金沢文庫駅で上り方面列車の増結(8両→12両)や、下り方面列車の切り離し(12両→8両)を見ることができます。快特・品川行きの2000形車両が入線してきました。2000形は、1983年にブルーリボン賞を受賞し、快速特急として活躍した車両です。もともと扉は2ヶ所だったのですが、現在は中間部分にも扉が設けられています。非貫通のため、品川以北へは行けません。
2012年01月23日
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京急2100形京浜急行電鉄本線 金沢文庫駅にて横浜に行く機会があったので、未乗車区間の乗り潰しを目的に三浦半島へ行ってきました。できるだけ一筆書きに近くなるように考え、以下のような行程としました。<京急> 京急川崎 - 金沢文庫 - 金沢八景 - 堀ノ内 - 浦賀浦賀 - 堀ノ内 - 京急久里浜 - 三崎口三崎口 - 京急久里浜<JR>久里浜 - 逗子 - 鎌倉鎌倉 - 逗子<京急>新逗子 - 金沢八景<シーサイドライン>金沢八景 - 新杉田駅と車両の写真が中心となりますが、しばしの間、お付き合いください。
2012年01月21日
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折戸公園京都市伏見区醍醐折戸町京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩1分パセオ・ダイゴローの西館の西側に、折戸公園があります。子どもと散歩するお父さんや、幼児を遊具で遊ばせながら会話するお母さんがいました。ターミナルビルの傍らとは思えない、のんびりした休日の朝の雰囲気でした。公園の西側には山科川が流れています。ときどきジョギングする人や自転車に乗った人が通り過ぎていきます。川面を吹き抜ける風は冷たく、思わず肩をすくめました。
2012年01月19日
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パセオ・ダイゴロー京都市伏見区醍醐高畑町京都市営地下鉄東西線・醍醐駅の上京都市営地下鉄東西線の醍醐駅の上には、「パセオ・ダイゴロー」という名のビルが建っています。外環状線の道路をはさんで、西館と東館があります。京都市醍醐団地の総合再生事業の中核施設として建設されたもので、1997年、醍醐駅の開業とともに西館がオープン、2000年には東館も営業を始めました。西館は地下3階、地上6階建てで、地下には醍醐駅のホームやコンコース、地上には図書館や体育館などの公共施設、ヤマダ電機やレストラン街。東館は地下2階、地上5階建てで、アルプラザ平和堂と専門店が入っています。愛称募集では「醍醐」に由来する「ダイゴロー」が採用されましたが、「散歩道、遊歩道」を意味するスペイン語「パセオ(Paseo)」を合わせ、「パセオ・ダイゴロー」と名付けられました。1階部分にはバスターミナルやタクシー乗り場も整備されています。
2012年01月17日
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明智塚京都市山科区勧修寺御所内町京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩15分小栗栖街道を北に進み、山科区に入ったところ、左手にお米の自動精米所とぶどうの直売所が見えてきます。直売所の左に接するところに明智塚(明智光秀胴塚)と呼ばれる塚(というより墓標)があります。明智薮で討たれた光秀の胴が葬られたところだといいます。
2012年01月15日
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北小栗栖天神宮京都市伏見区小栗栖丸山京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩8分小栗栖街道を山科方向に歩いていると、こんもりと樹木に覆われた小高い場所が左手に見えてきます。山裾には天神宮の鳥居があります。鳥居をくぐって、いきなり長い階段です。左手に行くと車が通れそうな道がありましたが、とりあえず急な石段を上ってみました。意外とてこずりながらも階段を上り、さらにその先、数段高いところに本殿がありました。説明板には「所在地 京都市伏見區小栗栖天神山町」と書かれていましたので地図で確認してみましたが、今はそのような地名はないようです。火災で焼けてしまったため、いつごろ創建されたのかなどは分からないそうですが、天智天皇の御世(670年ごろ)との言い伝えがあるようです。天智天皇といえば、大化の改新で有名な中大兄皇子ですね。江戸時代まで、付近に法琳寺(ほうりんじ)というお寺があったそうで、藤原鎌足の子、定彗(じょうえ)の創建と伝えられています。天神宮はその鬼門除けとして置かれたのではないかと言われています。
2012年01月13日
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西方寺京都市伏見区小栗栖牛ヶ淵京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩10分旧・小栗栖街道を北東に向いて歩いていると、やがて新・小栗栖街道と合流します。京都市営地下鉄東西線の醍醐駅近く、小栗栖街道から西に入ったところに、西方寺というお寺があります。ワインレッドのような壁に、躍動感のある龍が、すごく目立っていました。古風な門と、派手な塀、近代的な本堂の対比が面白いですね。高口恭行さんという建築家であり僧侶でもある方が、1990年に建てたそうです。高口さんは現在、大阪市天王寺区にある浄土宗のお寺、一心寺の住職でもあります。
2012年01月11日
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明智薮京都市伏見区小栗栖小阪町京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩14分本経寺の境内の南東側斜面に「明智薮」があります。地図上では細い道が続いているのですが、実際には民家の庭先かと思うようなところを通らなければなりませんでした。天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長を自刃させた明智光秀は、備中高松城攻めから取って返してきた羽柴秀吉と山崎の地で戦い、敗れます(山崎の戦い、あるいは天王山の戦いともいいます)。光秀は近臣十数名とともに、闇夜に紛れ、居城である坂本城を目指しました。追手の手にかかり、この場所にて最期を遂げたと伝えられています。Wikipediaには「土民に討たれた」となっていますが、この場所に置かれた説明碑文によると「信長の近臣 小栗栖館の武士集団飯田一党の襲撃」によるとされています。
2012年01月09日
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つぶれ坂京都市伏見区小栗栖小阪町京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩14分 旧・小栗栖街道の近く、小栗栖八幡宮の北東に「本経寺(ほんきょうじ)」というお寺があります。日蓮本宗の寺院で、山号は久遠山です。お寺への坂道は「つぶれ坂」と呼ばれています。聞くところによると、この名前がついたのは、いつもぬかるんでいるからだとか。でも行ってみたら、舗装されていました。常にぬかるんでいることはなさそうですが、水がしみ出てきそうな雰囲気です。掘ったら湧き水が出てくるかな?
2012年01月07日
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一言寺の境内にある梅の木です。つぼみはまだ小さいですが、春の準備はしっかりできているようです。本堂の脇にある放生池です。池の奥にはお堂が見えます。 山門の脇にある大きな樹は「やまもも」です。高さ10メートル近くあり、京都市登録の天然記念物に指定されています。山門の外、階段の途中で見かけた木の実。上の写真は千両、下は南天、でしょうか(違っていたらごめんなさい)。
2012年01月05日
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一言寺(いちごんじ)京都市伏見区醍醐一言寺裏町京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩17分醍醐中学校の北西の角、旧奈良街道に面したところに、「阿波内侍 念持仏 一言寺観世音」と書かれた石碑があります。ここが参道の入口です。東に歩き、中学校の前を過ぎると、階段が見えてきます。階段を上がり、山門で振り返ると、小高い場所であることがわかります。山門を入った正面に本堂があります。なかなか趣きのあるお寺です。伝えられるところによると、「阿波内侍(あわのないし)」が出家して「真阿(しんな)」と名乗り、清水寺の観音さんの霊告によって、一言寺を建立したということです。阿波内侍とは、「建礼門院(けんれいもんいん)」に仕えた女官で、少納言藤原通憲(信西)の娘とされています。建礼門院は、高倉天皇の中宮・平徳子(たいらのとくこ)、つまり平清盛と時子の娘であり、安徳天皇の母ですね。壇ノ浦の戦いで安徳天皇と時子は入水し、徳子は捕えられて京に送られ、出家して大原の寂光院で余生を過ごします。阿波内侍も寂光院で建礼門院に仕えていました。その後、寺は次第に衰退していきましたが、明治7年(1874年)に醍醐寺の塔頭である金剛王院(こんごうおういん)が移されて復興されました。通称は一言寺ですが、真言宗醍醐派の別格本山・金剛王院が正式名称です。本尊の千手観音は阿波内侍の念持仏(拝むために普段から身近に置いておく仏像)だと言われています。本尊に一心に祈れば言下に願いが叶うと言われ、「一言寺」の名がついたのだそうです。本堂の軒下には、「ただたのめ、佛にうそはなきものぞ、二言といわぬ、一言寺かな」と書かれた額が掛けられています。
2012年01月03日
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みなさま、あけましておめでとうございます。昨年は、いろんな人と出会い、励まし励まされ、なんとか1年を過ごすことができました。心より御礼を申し上げます。暮れにはオフィスの移動があり、ブログ更新もままならない状況でしたが、それでもなんとか、継続することができました。継続は力なり! です。新年からは新しい職場で、これまでとは違う仕事に取り組むことになりました。新しい人との出会いを楽しみにしています。慣れない仕事で苦労しそうですが、なんとか軌道に乗せていきたいと思います。車通勤から電車通勤に変わり、毎日京阪電車のお世話になることになります。面白そうな話題を載せることができたらと考えております。アクセス記録が無くなるということで、ご来訪くださる皆さんが分からなくなるのが残念ですが、ときどきはコメントを載せてください。お待ち申しあげております。末筆になりましたが、今年が皆様にとって佳き年でありますことをお祈り申し上げております。引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。 飛躍の年にしたいですね
2012年01月01日
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