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近畿日本鉄道京都線 伏見駅京都府京都市伏見区深草柴田屋敷町近鉄・伏見駅は、近鉄丹波橋駅と竹田駅の間にある駅で、優等列車は停車しません。丹波橋で近鉄に乗り換えて京都駅に行くことはあっても、たいていは急行か準急を利用するため、あまり伏見駅には馴染みがありませんでした。 現在の近鉄京都線の京都~伏見駅間は、かつては国鉄奈良線でした。大正10年(1921年)、東海道線の東山トンネル(山科~京都駅間)が開通します。それまでの東海道線は、膳所から現在よりも南寄り、ちょうど名神高速道路の付近を通り、現在の奈良線・稲荷駅を通って京都駅へとつながっていました。つまり、現在の奈良線・京都~稲荷駅間は、かつては東海道線だったわけです。では奈良線はというと、ほぼ、現在の近鉄京都線の京都~伏見駅辺りを通っていました。しかし東海道線のルート変更と同時に、京都~伏見駅間は廃止、伏見~桃山駅間は貨物線となり、旧東海道線の京都~稲荷駅を通って桃山駅に至るルートに変わりました。やがて貨物線の伏見~桃山駅間も廃止されます。跡地は近鉄京都線の前身、奈良電気鉄道に払い下げられ、昭和3年(1928年)に京都~西大寺駅間の営業が始まります。現在の伏見駅もこのとき営業を開始しました。旧奈良線の伏見駅と現在の近鉄・伏見駅には、直接のつながりはありませんが、場所はほぼ同じだったようです。近くでは、昭和45年(1970年)まで、京都市電伏見線と交差していました。伏見の鉄道にも、いろいろと変遷があったようです。
2013年01月30日
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「大石良雄遊興之地 よろづや」の碑京都市伏見区撞木町(しゅもくまち)京阪本線墨染駅より徒歩6分大石良雄とは、忠臣蔵で知られた、赤穂義士の大石内蔵助のことです。元禄14年(1701年)、江戸城中で刃傷におよび切腹を命じられた主君の仇打ちは有名ですが、筆頭家老だった大石良雄は、事件後しばらく山科に閉居し、遊興にふけります。仇打ちの計略が知れぬよう、世間の目を欺くためとも言われています。大石良雄が遊興のために通ったのが、この地にあった「よろづや(萬屋)」です。「笹屋」に通ったという話もありますが、「萬屋」のオーナーの名が笹屋だという説もありました。また、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」では「一力茶屋」という名前が出てきますが、「一」+「力」で「万」、つまり「萬屋」のことだとか。なんとなく納得してしまいました。 一画には、「撞木町廓入口」と書かれた石柱が立っています。撞木町はかつて江戸時代に栄えた遊郭で、昭和33年(1958年)まで存続していたそうです。「撞木」とはT字型の仏具で、町の形がT字になっていたことから付いた名前です。 今は静かな住宅街で、当時の面影を見ることはできませんでした。民家の前に建てられた石碑には、大正7年の日付とともに、撞木町の盛衰が記されています。赤穂義士の仇打ち本懐に絡めて、「当遊郭に於て謀議する時は何事も成就すべしとて来遊する人々多し」と書かれていました。これって、遊郭に遊びに来る言い訳ですよね。
2013年01月27日
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欣浄寺京都市伏見区西桝屋町京阪本線・墨染駅より徒歩3分欣浄寺(ごんじょうじ)は曹洞宗のお寺で、ここは日本における曹洞宗の開祖・道元禅師が閉居した地だとも言われています。本尊は高さ5.3メートルの大仏で、「伏見の大仏」と呼ばれるのだそうです。1974年に、鉄筋コンクリート製の本堂が建立されました。深草少将(ふかくさのしょうしょう)は、「百夜通い」の伝説に登場する人物で、絶世の美女・小野小町のもとへ九十九夜通いつめ、思いかなわず亡くなります。この地は、深草少将の邸宅跡とも言われており、ここから山科の小野小町のもとへ通ったといいます。境内には池があり、石の橋を渡ったところには、小野小町が恋しいと流した涙の水が今も湧くという井戸があります。「深草少将姿見の井戸」とも言います。「小野小町供養塔」(左)と「深草少将供養塔」が並んでいました。
2013年01月26日
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墨染発電所京都市伏見区深草墨染町京阪本線・墨染駅より徒歩6分墨染発電所は、大正3年(1914年)の完成当時は「伏見発電所」と呼んでいたようです。伏見インクラインの高低差を用いて発電するものです。有効落差は14.31メートル、出力2200kWだそうです。導水路の入口取水口金網越しに、「水利使用標識」を確認しました。
2013年01月25日
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墨染橋京都市伏見区墨染町京阪本線・墨染駅のすぐ西側墨染橋に何か特徴があるという意味ではありません。この下を流れているのが「琵琶湖疏水」だということです。琵琶湖疏水(上流側)琵琶湖疏水(下流側)この日、訪れてみて、あれ? 流れがない?京都市上下水道局のHPを見ると、「琵琶湖疏水(第1疏水)において、疏水路内の土砂しゅんせつ及び清掃作業を行うため、停水」しているとのこと。期間は平成25年(2013年)1月7日から同年3月14日までだそうです。疏水の流れを見ることはできませんでしたが、ある意味、めったに見られない風景を見たわけですね。下流に進み、右手にカーブする辺りに、自転車の山が。しゅんせつして出てきたものでしょう、すごい数です。びっくりです。右にカーブしたその先は、暗渠になっているようでした。かつてはこの付近におよそ290メートルの「伏見インクライン」があったそうです。インクラインとは「傾斜鉄道」のこと。蹴上のインクラインと同様、1890年代に完成。三十石船をそのまま台車に載せて上下させていたそうです。1940年ごろに休止しました。暗渠の反対側に来てみたら、ゲートになっていました。「上下水道局 疏水事務所 伏見分所」と書かれています。右手の道路は国道24号です。インクラインを使って船を運び、この高低差を昇り降りしていたのでしょう。
2013年01月23日
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深草山墨染寺京都市伏見区墨染町京阪本線・墨染駅より徒歩2分日蓮宗のお寺です。最寄り駅は墨染(すみぞめ)駅ですが、お寺の名前は「ぼくせんじ」と読みます。深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け上野岑雄(かんつけのみねお)が詠んだ歌で、古今和歌集に収められています。この地に葬られた太政大臣・藤原基経(もとつね)の死を悼み、桜に向かって詠むと、花が墨染色になったといいます。平安時代には、貞観寺として建立されましたが、その後、衰退していました。墨染桜の話を聞いた豊臣秀吉は、寺領千石を与えて、日蓮宗墨染桜寺(ぼくせんおうじ)として再興しました。境内に立つ日蓮上人の「辻説法」像です。この御手洗鉢は、明和5年(1768年)に歌舞伎役者の2代目中村歌右衛門が寄進したものだそうです。「墨染井」と呼ばれています。この御手洗鉢は、明和5年(1768年)に歌舞伎役者の2代目中村歌右衛門が寄進したものだそうです。「墨染井」と呼ばれています。 境内に植えられた「墨染桜」です。三代目と書かれていました。まだ若木のようです。
2013年01月22日
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京阪本線・墨染駅の改札です。上が京都(三条・出町柳)方面、下が大阪(淀屋橋・中之島)方面です。2面のホームにはそれぞれ独立した改札があり、ホーム間の行き来はできません。現在の駅舎は平成7年(1995年)に使われ始めたもので、それ以前には構内踏切があったそうです。駅舎の外観です。手前が京都方面、踏切の向こう側が大阪方面の改札口です。京都方面の改札口です。屋根はありますが、風が強いと雨に濡れそうなところに券売機が置かれています。こちらは大阪方面ホームの改札口です。歩道の無い狭い道に面しています。車の通行もかなりあるので、注意が必要ですね。
2013年01月21日
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京阪電気鉄道 京阪本線墨染駅京都市伏見区墨染町明治43年(1910年)、京阪電気鉄道の開通と同時に開業した駅です。各駅停車のみが停まります。駅の西側にあるお寺「墨染寺(ぼくせんじ)」に由来する名前だとのことです。墨染(すみぞめ)駅は、相対式2面2線のホームを持つ地上駅です。ホームはほぼ直線です。京都寄りのホームには屋根がありません。特急が通過中です。京都寄りのホームはかなり狭いので、列車が近づいてきたら注意してください。ホームの有効長は7両です。したがって、京阪本線の京都寄りでは、8両編成の列車は各駅停車の運用には使えません。ホームの京都寄りには、もう一つのタイプの駅名標が立っています。
2013年01月20日
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古御香宮京都市伏見区深草大亀谷古御香町JR藤森駅より徒歩11分すでにご紹介しましたが、京阪本線・伏見桃山駅および近鉄京都線・桃山御陵前駅の東側には「御香宮」があります。それに対して、ここの神社は「古御香宮」あるいは「古御香」と呼ばれています。道に面した入口の石灯篭には「御香宮」「御旅所」と刻まれていました。 坂道の参道を登っていくと、正面に大きな鳥居が建っています。文禄3年(1594年)、伏見城の鬼門に当たるこの地に「御香宮」を遷し、本殿等を造営して社領300石を寄進しました。その後、徳川家康の手によって、慶長10年(1605年)、再び元の地に戻されます。鬼門の守護として造られた神社は、江戸末期には大破してしまいましたが、その後、新たに建てられたのが現在の本殿です。本殿10月の御香宮のお祭りには神輿渡御があり、古御香宮はその御旅所となっています。明治維新には、鳥羽伏見の戦いに際し、難を避けるため、御香宮の御神霊が一時的にこちらに遷されたそうです。
2013年01月16日
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伏見北堀公園京都市伏見区桃山町大蔵京阪本線・丹波橋駅より徒歩17分近鉄京都線・近鉄丹波橋駅より徒歩17分JR奈良線・藤森駅より徒歩13分伏見桃山城運動公園(旧キャッスルランド)の北側に、東西に広がる「伏見北堀公園」があります。公園の北西側には体育館(伏見北堀公園地域体育館)もあります。この公園は、平成5年(1993年)に開設されました。かつての伏見城の北側にあたり、外堀の遺構を利用して整備されたんだそうです。約7ヘクタールの面積があり、堀の形を生かして、広場や池を配置し、せせらぎを作り出しています。
2013年01月15日
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伏見桃山城(右=大天守、左=小天守)京都市伏見区桃山町大蔵JR桃山駅より徒歩15分大手門伏見桃山城は、昭和39年(1964年)、近鉄によって建設された遊園地「キャッスルランド」のシンボルとして、伏見城を参考にして建てられました。鉄筋コンクリート造りで大天守は5重6階建て、小天守は3重4階建てです。大手門に残る入場券売り場の跡です。大天守遊園地は2003年に閉園しましたが、地元の要望により、お城は保存されることとなり、京都市に無償で寄贈されました。しかしその後、現行の耐震基準を満たしていない可能性があるとのことで、現在は内部は公開されていません。庭園遊園地の跡地は、2007年、京都市の手によって運動公園としてオープンしました。運動公園内には、野球場1面と、野球場兼用運動場1面があります。耐震補修するだけで4~5億円かかるとか。公開するとなるとバリアフリーのことも考える必要がありますし、せっかくのシンボルを活かす妙案は浮かばないようです。
2013年01月14日
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ラストランに向かって京阪電気鉄道 旧3000系特急車両橋本~樟葉駅間にて旧3000系(8000系30番台)の引退日がだんだん近づいてきました。京阪のHPによると、通常運転は3月10日まで。3月23、24、30、31日に臨時列車として運転されて、引退となります。最近、ホームの端や沿線でカメラを構えた人たちをよく見かけるようになりました。しばらくはフィーバーが続くのでしょうか。そういえば、今年の京阪のカレンダー、3月はやっぱり旧3000系でした。墨染駅付近にて3月の引退をもって1971年に3000系として登場して以来42年の歴史を終えます。また、1954年に1800系で始まった「テレビカー」も幕を下ろすことになります(8000系のテレビはすでに取り外されています)。
2013年01月13日
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「桓武天皇御陵」の碑京阪本線・丹波橋駅北口にて京阪・丹波橋駅の北口を出たところに建っている石碑です。「東5町」、つまり500メートルほど東に御陵の入口があります。「鳴くよ(794)うぐいす平安京」と覚えました人も多いと思います。その平安京を開いたのが桓武天皇です。延暦3年(784年)には長岡京を造営し平城京から遷都したのですが、天災や近親者の不幸などがあり、10年後の延暦13年(794年)に平安京へと再度遷都しました。実は、柏原陵(かしわばらのみささぎ)の場所は、はっきりとはしていませんでした。幕末のころ、現在の場所とされたのですが、別の説もあるようです。現在の場所は、豊臣秀吉が築城した伏見桃山城の敷地に入っていたようですから、御陵であることは知らなかったのでしょう。
2013年01月12日
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キンシ正宗 本社京都市伏見区新町京阪本線・丹波橋駅北口より徒歩4分天明元年(1781年)に京都で創業したキンシ正宗は、230年の歴史を持つ酒造会社で、明治13年(1880年)からは伏見にて醸造を始めました。社名のキンシは、「金鵄(きんし)勲章」に由来するそうです。ちなみに「金鵄勲章」は大日本帝国陸軍、海軍の軍人軍属に贈られたもので、明治23年(1890年)に創設されたものだそうです。ここには、常磐井の水と呼ばれる水があります。毎時70トンを揚水して酒造りに使われています。「命の水」として、大切に守り続けているとのことです。
2013年01月08日
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円通山大黒寺京都市伏見区鷹匠町京阪本線・丹波橋駅西口より徒歩7分伏見区役所の北側に、大黒寺という真言宗のお寺があります。空海(弘法大師)の開基と伝えられています。もとは長福寺といったそうです。江戸時代はじめ、近くに薩摩藩邸が置かれました。薩摩藩主・島津家の守り本尊と同じ大黒天がこの寺に祀られていたことから、元和元年(1615年)には薩摩藩の祈願所と定められます。大黒天を本尊とし、寺名も大黒寺と改められたのだそうです。通称「薩摩寺」とも呼ばれたようです。本尊の大黒天は、60年に一度、甲子(きのえね)の年に開帳されます。金張(きんばり)の厨子(ずし)に安置された小さな像だそうです。本堂の前に置かれた像は大黒天です。秘像の代わりを務めておられるのでしょう。甲子の年、次は2044年です。次の開帳は、まだまだずっと先ですねえ。薩摩藩ゆかりの寺だけあって、本堂の屋根瓦にも島津家の家紋、丸に十の字が描かれています。寺には、幕末に西郷隆盛や大久保利通などが国事を論じたという部屋があり、また、明治維新の志士の遺墨なども所蔵しているということです。境内には「金運清水」と名付けられた井戸があります。平成13年(2001年)に新しく掘られたもので、大黒天に供えられる水だそうです。どうか、金運に恵まれますように。
2013年01月07日
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京都市呉竹文化センター京都市伏見区京町南京阪本線・丹波橋駅西口すぐ京都市呉竹文化センターは、地域における文化活動の拠点として、平成2年(1990年)にオープンしました。地下1階、地上3階建てで、600人収容のホールやリハーサル室、会議室などがあります。ところで、この「呉竹」の名は、呉(三国志時代の中国)から渡来した竹に由来しているそうで、伏見の地において植えられたといわれているとのことでです。また、「くれたけ」は伏見の枕詞として古くから和歌に詠まれているんだそうです。「呉竹の節」から、「くれたけの伏見」が連想されたのでしょう。伏見のことを「くれたけの里」と呼ぶこともあるようです。
2013年01月06日
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京都市伏見区桃山筒井伊賀東町京阪本線丹波橋駅北口より徒歩1分京阪・丹波橋駅北口の東100メートルほどのところに京都教育大学附属桃山小学校があります。その校舎には、元京都市電が静態保存されていました。同校のHPによると、1978年(昭和53年)9月末に京都市電が廃止されるときまで東山通りを走っていたものようです。「電車下の線路、電停の安全地帯、架線、電柱も完備」しているとのことです。「つゆくさ号」と名付けられており、教室として使用されているとのことです。
2013年01月05日
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昨年からの忙しさを引きずって、あっという間に三が日が過ぎてしまいました。ごあいさつが遅くなりましたが、みなさま、明けましておめでとうございます。昨年は年末に出張が続き、2日に1度というひそかな目標には届きませんでしたが、今年もそれなりのペースで「こつこつ」とやっていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2013年01月04日
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