全12件 (12件中 1-12件目)
1
柳沢さんは人格否定しても居座っているのにね、、という話ではなく、尼崎市の水道局では10年も働いていた男性を学歴詐称で懲戒免職にしたということです。大卒の人は受験資格がなかったから、といわれれば、免職も仕方がないかな?と考えもしますが、そんな理由で職場をおっぽり出されなくてはならないのでしょうか?なんで大卒はだめなのか?高卒の人や大学中退の人などに「安定して」働いてもらう職場を提供するために、大卒を締め出しているのでしょうか?そもそも、安定して働きたいという気持は批判されるべきものではありません。大卒の方たちに、そういう安定した職場を提供できないことはどうしてくれるのでしょう。なんだか、「学歴詐称をさせてしまう背後にあるもの」を問題にしないで、ただ悪いことをしたやつはクビ、で終わりというのに胸が痞えているつるなのでした。
2007年01月31日
コメント(16)
今日の帰りのラジオで聞いたのですが、柳沢厚生労働大臣は「機械」といってはまずかったから、「子供を産む役目」と言い換えたのだそうです。「役目」といえば失礼に当たらないとお考えのご様子なのですが、全然変わっていない、と思います。「お役目ご苦労様」という言葉もありますが、つまり「仕事」ということですよね。では女性はお役目を果たさないといけないのですか?役目で子供を産むなんて冗談じゃない、と普通の感覚では考えると思います。(さるやんごとなきお方はお役目で子供を産んだかもしれませんが)「子供を産むのは仕事じゃない」、「女の役目じゃない」、「女は役目で子供を産むんじゃない」と叫びたくなっている私はおかしいでしょうか?
2007年01月29日
コメント(20)
柳沢厚生労働相がそう発言して(←男性はなんなのかな?)女性に失礼だから訂正したということですが、これは「失礼」という水準の問題ではない、と思います。礼を失するどころか、人権否定の問題ではないでしょうか?昔から保守的な人の中に女性を「同等の人格」と認めているとは思えない方々をお見受けする事が多かったような気がします。それでいて、そういう人たちに限って、「子供のことは母親の責任」といって恥じないのだから・・・子供を産む「機械」の次は子供を育てる「道具」なんですかね。(なんか「大奥」を連想してしまいます。)「国家のために子供を産め、産んだ後は母親が責任を持って育てよ、国は少しは援助するから、それをありがたがるべき」といってるように聞こえます。子供を国のために産めと言っておきながら、あとの面倒はみないというのでは話にならないですよね。そういう発言をするなら、子育ての費用は全部国家が面倒見るよといったらもう少し一貫しているといってもいいですが。いっそのこと、後半の部分(子育ての費用国庫負担)だけ実行してくれませんか? 厚生労働相さん。その前に、女性の人権を否定してしまった責任をとってご自分からお辞めになるならその限りではありませんが・・・
2007年01月28日
コメント(23)
「世界一受けたい授業」で赤ちゃんの驚異的な能力をとりあげていました。中でも驚いたのは赤ちゃんが誰でも好きだと思われる「いない、いない、ばあ」でも、それを無表情でやったら、流石の赤ちゃんでも泣くだろうと思っていました!そしたら、泣く赤ちゃんもいましたが、泣くどころかニコニコ笑ってる赤ちゃんがいたのです!!これにはビックリです。専門家の先生によると、これも赤ちゃんの身に備わった能力なのだということでした。コミュニケーション能力というものが生きて行くために不可欠のものだとそういう情報がインプットされて生まれてくるのですね~♪赤ちゃんは平和の使者なのではないか?なぜならその笑顔でみんなに幸せを分け与えてくれるから・・そう思いたくなる瞬間でした。『生れ落ちる瞬間はどの赤ちゃんも平等』なのだけれども次の瞬間から、―何を着せられるか、(あるいは着せられないか)によって―不平等になるという言葉を思い出しました。
2007年01月27日
コメント(8)
トルコで白昼、ジャーナリストが銃撃され死亡するという事件がありました。それを今朝のラジオで聞くまで知らなかったのですが(恥)・・・彼はアルメニア系のトルコ人で、第一次世界大戦のとき、オスマントルコの軍がアルメニア人を大量虐殺したと主張して、国家侮辱罪に問われている、その最中だったということです。これを聞いて、何とおかしな法律があったものだ、と思いました。大体、史実というものは調べれば分かる事だと思うのに、それを法律でこういってはダメ、ああいってはダメ、と決めてどうするのでしょう。違う意見を禁止するような法律は絶対おかしい、と思います。禁止されるようなことを言ってるやつだ、殺してもいい、と単純?な人は考えるかもしれない・・・現に彼は殺されてしまった・・・大体国家といえども無謬ではない、その国家の過ちを指摘するだけで国家侮辱罪に問われるようであれば、それこそ、ものが言えないどこかのお国と同じになるのではありませんか?フランスで逆の法律ができそうということで、彼は反対していました。「アルメニア人の虐殺はなかった」といってはいけない!!どちらもおかしい。。民族間の対立はもうやめよう、とも彼は呼びかけていたというのに・・国家侮辱罪なんてある方が恥ずかしい、と思います。物言う権利を奪うのが目的だとしか考えられない、人権を認めたくない為政者のための法律だろうと思います。
2007年01月25日
コメント(16)
テーマ(地球)の割りに細かいことですが、ゴミが出そうなので・・・なんと、スーパーやその他の店頭で納豆が売れ残り、出荷の要請が来なくて生産もとで、納豆が捨てられる!という話を聞きました。何と罰当たりな!!と憤ってみたところで、誰を責めたらいいのでしょう?確かにウソを放映したテレビ会社の責任は大きいです。この会社が生産者の損害を賠償してくれるのかな?ということではなくて、消費者も踊らされた責任をとったらいかがか?とふと思ったのです。納豆は体にいいから、踊らされてもいいから、じゃあちょっと2週間ほど食べてみようと思った人はいないのでしょうか?痩せるかどうかは定かでなくても、少なくともイソフラボンはとれるし、お通じもよくなるだろうし、そうなればお肌にもいいはず、と、摂取して悪い話はないだろうと思うわけです。(摂り過ぎが問題の方は最初からのせられはしないだろうし・・)発注して後、生産に2~3日はかかるということで、その時差の分くらいは、納豆に踊らされた方、食べ続けてはいかがでしょうか?せっかく生産された納豆が、食べられないで捨てられる羽目になるなんてそんな事態には是非ともならないように、切に願う、「踊らされた一人」♪なのです。実は私、この機会に納豆を食べる習慣を身に付けようと思った一人です。ところが店頭にない・・・しばらく待てばまたあふれるだろうと思っていたら、もう今日は山のように積まれていたそうです(2パック買ってもらいました)。これが捨てられることだけは何とか避けれられないものでしょうか・・しばらくは店頭で納豆をみかけたら、迷わず買い求めようと考えてしまうつるなのでした。
2007年01月22日
コメント(14)
つい最近この言葉が心に入ってきました。目にしたのか、耳にしたのか、それすら忘れてしまっていましたが、今日突然、この言葉を思い出しました。それというのも、朝のみのさん番組で・・教育再生会議がどうしても提言にいれたいという「いじめっ子の教室からの締め出し」!に賛成の意見ばかりがコメンテーターの方々から出されているのに、情けない思いをしたからです。彼らのいうことは耳たこくらい聞いています。やれ「昔は廊下に立たされたり、黒板消しで頭をはたかれたりは日常茶飯事だった」とかやれ「授業が成り立たないくらいになるより、少しくらいは体罰は必要」?とか実際には、学校とか家庭とかではなく、「社会が子供を育ててるんだ」ということがまるでわかっていない意見ばかり・・・昔それがいくらかでも有効だったのだとしたら、”子供を取り巻く環境が今とは違ってもっと健全だった”ということがあると思います。今のように、うまいことをして金儲けするような人がもてはやされるような社会でなく、大多数の人々は真面目に働き、社会を支えることを”喜び”ともして、将来こんなことをして、人々の役に立ちたい、というような、”子供が夢をもつことのできる”社会でした。今、真面目に働くことを将来の夢と考えるような堅実な子供を育てよう、というような社会でしょうか?←真面目に働く人が報われる社会でしょうか?少しでも良い就職をして、楽に暮らしたい、”できればお役人になって、天下りをして、不労所得をいっぱいもらって楽しく暮らしたい、”というようなことを推奨するような社会になっていませんか?そんな”汚い大人たちが得をしている”ような社会の有様がいやでも目に付き、規則でがんじがらめにされ、競争でてんでばらばらにされ、そんな社会の縮図でしかない学校の中で、叱られるからこれは今のところ辞めておこう、従順な態度を示しておこう、卒業してから好きなことをしよう、こんな気持を鬱屈させて、ささいなことで切れる大人になる・・?「その社会が育てるように子どもは育つ」(”親が育てるように子どもは育つ”ではなく)←これは私の付けたしどこのどなたの言葉か知りませんが、これは真実だと思います。親だけが子供を育てているんじゃない、親がいくら頑張っても、社会の影響を受けない子育てなんてありえない、(また、社会の影響は受けなくてはいけない、ことでもあると思います。)この社会がどんな子供を社会の未来のために育てたいと思っているのか、社会の成員全体で考えていかなくてはいけないと思うのです。お国のために必要な人材なんていってる場合じゃない、人類の未来のために、地球の未来のためにどんな人を育てたいのか、という視点がほしいと思います。それが育つ人個人の魅力を最大限生かしてくれるような生き方になるなら・・・←(そうでなくてはいけない!)素晴しいと思います♪
2007年01月18日
コメント(28)
これだからラジオ夕刊好きです。名古屋市緑区で行われているNPOの活動が、紹介されてました。赤ちゃんを育ててるお母さんが家で一人で閉じこもっていてはいけない、と赤ちゃん連れで中学校を訪問する企画です。実は終わりの方の何分かしか聞けず、詳しいことはわからなかったのですが、もう「赤ちゃん連れで中学校訪問」という言葉を聞いただけで、”これだ!!”とうれしくなりました。中学生にとって、赤ちゃんと触れ合う機会はほとんどないといっていいのではないでしょうか。本物の赤ちゃんを抱っこする機会は、親戚にいるか、近所にいるかしても、なかなかないものです。←私もとんとごぶさたしています(>_
2007年01月15日
コメント(8)
今日は帰りのラジオです。東大の先生でした。人が生きて行くのに、今ほどエネルギーが必要かというとそうではない、実は食べて寝るだけの生活を考えて見たとき、必要なエネルギーはわずかでよい。では何にエネルギーを使っているかというと、いい言葉で言えば、「文化」である。そうでない言葉では・・・??(忘れました・・・)今地球環境の悪化が言われ、気象の変化に人が影響を与えているのではないか?と思われる。確かに、人の活動のすべてとはいわないが、ある部分では影響を全く与えていないとは言えない。酸性雨とかあるし、二酸化炭素の増加の例で言えば、化石燃料を使った結果がある。その燃料は今自分の時に使ってしまって、「あとはなくなっても知らない」、というのでよいのだろうか?しかも独り占めしていいものだろうか?そうではないと思う。。等々・・・他にもいろいろ仰っていましたが・・(眠くて思い出せない(>_
2007年01月11日
コメント(6)
今朝のラジオはNPO法人「もやい」の湯浅誠さん。貧困について、ただお金がない、というだけでは貧困ではない、といいます。貧困を決定付けるものは人とのつながりのなさ、だと。。。昔は地域で、「困った時はお互い様」というつながりがあり、お金で何もかも手に入れなくてはならないということもなく・・・この、「困った時はお互い様」という関係が壊れてしまったこと、もっと言えば、壊されてしまったことが問題であるようです。何に壊されたか?人間同士がバラバラにされることによって・・・(だったかな?そんな感じでした)(規制緩和によって、競争が際限なく、容赦なく貫かれて、競争に強いものは優遇され、弱いものは顧みられず、徹底的に叩かれ・・・という政治のせいかと私などは思いました)再チャレンジという言葉はいかにも「チャンスはいくらでもあるよ」と言ってるようですが、どうもそうではなさそうです。(人と人との関係が希薄なところでは、競争で人間同士が相争うような状況―応援する人がいるのでなく、競争相手がいるのみ―ではやり直しをしなさいといっても難しい・・ということかな?)安倍政権のやろうとしていることは、セーフティネットのないまま、綱渡りをせよと言ってるに等しいのだということでした。それは綱渡りの名人でもやらないことだと。セーフティネットとは「人間同士のつながり」かと思ったことでした。子供を社会全体で育むという「かたち」になっていれば、皆が応援団なのに・・・
2007年01月09日
コメント(4)
クリント・イーストウッド監督の二部作『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』を見ようと思ったのは朝日新聞の記事(10/20付=タイトル)を読んでからでした。「昔も今も、人民は政治家によって殺されている」という彼の言葉が衝撃的で、是非ともこの二部作は両方とも見なくては、と思ったもので、やっと実現しました。この二作品を通じて受け取ったメッセージはやはり一つのこと単なる「反戦」ではなく、「戦争を起こすような政治に対する強烈な批判」と思いました。今また、国家に無批判であることお国のやることは何でも賛成しないといけない、ような風潮がまた蔓延しそうな状況になっている気がしてなりません。教育基本法の改悪はまさにそれをめざしています。教育は国民全体に責任をもつのでなく→もたなくてよく!!法律で決めたことに忠実であれ、と変えられました。まさに戦前の「お国の決めたことに逆らえない状況」が目の前に迫っていると感じます。「僕は君のためにこそ死にに行く」??特攻隊の映画のキャッチフレーズは戦争で死ぬことの美化でしかありません。戦争で死ぬことは断じて人々のためなんかではない、違う国の人々も我々と同じ人間であり、愛する家族があり、・・そういう人たちと殺し合いをすることが何で「君のため」なんかであるのか?殺し合いをしなくてはならない相手も同じことを考えているかもしれないわけで・・人民同士は何があっても殺しあってはならないそうした戦争が起こりそうなときはそうした政治にこそノーをつきつけなくては!!との思いを新たにしました。
2007年01月04日
コメント(14)
新年あけましておめでとうございます。新年早々、美しくない話はしたくないものですが・・どうも美しい国というのは分かりにくいので、美しい人というのはどうか?それは美しい心ということになるでしょうか。その心にしても、基準はどこにあるか、と言えば「千人いれば千通りの基準がある」程度のものかと。(つまり、人や心に置き換えても分かりにくい)そこで、独断と偏見に満ちた見解を・・美しい心・・それは、自分以外の他人のことを思い至れること、 ・・考えの違う人たちの心のヨッテキタル道筋を想像できること、 ・・分からないものを理解しようと努力すること。それというのも、年末年始のテレビ番組などで、そうでないものをよくお見受けするので。。どうも地球全体のことを考えさせてくれるような番組が少ないな~と思っただけのような気もしてきました(*^_^*)。いかん、この日記自体が美しくないものになってしまいました(>_
2007年01月02日
コメント(6)
全12件 (12件中 1-12件目)
1