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きょうはHari Raya Tubuh dan Darah Kristus(キリストの体と血の大祝日、インドネシア語)で、東ティモールでは国民の祭日で学校はお休み。東ティモールはカトリック国で、政教一致。バチカンとのコンコルダート(政教協約)があります。ということで、きょうも一日在宅勤務でした。 ↑ わたしの家は、この海辺脇の小高い丘にあります 夕暮れ、5時ごろ まだ日差しが強くて、うみがキラキラ光ってみえます マングローブの森がひろがっています ↑ きょうの夕暮れ 午後7時まえ
2024/05/30
校則で、男子生徒は丸坊主と決まっているかどうかしりません。ですが、男子生徒たちは「丸坊主反対!丸坊主は嫌だ!」と声をあらげません。なんどか、「切って来い」といわれているのを目撃したことがありますが、それだけです。聖イグナチオ学院では、女子はイヤリングをしていたり、髪を染めていたり、パーマ気味だったり、やりたい放題してもそれが理由で怒られているのをみたことがありません。開校1年目に白のハイソックスを履いていた女子が先生に、「なんだそれは」といわれてハサミで切られていたのをみたことがあります。その後、その生徒の白のハイソックスは、ゴムのところがなくなったので、ルーズソックスになりました。 ↑ 高2と高3の生徒が混ざっているようです 修道院の神父さんたちも、なにか大きな行事があったり、お祝いがある時には、かならず前日に散髪にいって丸坊主にしてきます
2024/05/29
きょう衝撃のお知らせをききました。こんどの土曜日は、東ティモールではこどもの日。教育省の学校カレンダーでは赤丸日。すなわち、学校はお休み。なのに教務部長のパウロ先生が、「校長がこんどの土曜日は、休みでなくて通常通り登校日」といっているといってきました。「冗談でしょう、赤丸日ですよ」。この日は国民の祭日ではなくて、「tolerancia(寛容の日)」です、とのこと。Toleranciaの日とは、雇用主の判断で、休みにできる日。ということは、聖イグナチオ学院は、寛容がありません。 ↑ 高校3年D組 ↑ 中1のどこかのクラス がっこうは毎日、通常日課が続いています 赤丸日を登校日に変えたところで、生徒たちは文句をいいません 生徒たちのほうが寛容があります 先生たちは、いかに? わたしはパウロ先生に「休日出勤手当は、出ません」といいました
2024/05/28
きょうの日曜日もミサ当番がなかったので、修道院のミサ後はのんびり在宅勤務。雨期がおわりかけていて、日曜日の洗濯の日、衣類を干しても雨の心配をしなくてもすみます。 ↑ ソーセージ朝定食 ポルトガル産ソーセージマスタード添え、長ネギのインスタント味噌汁付です 朝ソーセージを炒めることができる日は、ゆっくりできる日です 飲み物はリプトン紅茶 ↑ 昼ご飯の準備がなかったので、韓国インスタントラーメンのラーメン・ライス ご飯は雑穀米 雨期がおわりかけ朝は涼しくなったのですが、午後からはまだ蒸し暑くなります 飲み物は八女茶です 急須がないので、中国式で茶葉をカップに直接入れていただきます
2024/05/26
2学期がはじまって1か月がたったきょう、やっと1学期末の通知表が手渡されました。わたしは、成績表を印刷するコピーマシンが壊れるんじゃないかと、いつもハラハラ。前日まで、中高6学年分の成績表を印刷するために、コピーマシンはフル回転。コピーマシンは、中古品。 ↑ 郵便制度がないので、通知表は郵送できません 保護者が受け取りにきます なので全体会は満員御礼 保護者総会に生徒たちも出席して、一緒に聞きます ↑ 総会後、各教室にわかれてクラス懇談会 ここで保護者からの学校への意見が聴取されます ↑ 生徒たちは、教室の中の懇談会も外から覗き放題 遠慮して遠巻きにみたりしません ↑ 男子生徒たちは、懇談会の内容には興味がありません ↑ でも、お父さんたちは、積極的に子育てに参加します ↑ 高2Dのジャニア クラスで成績が1番でした ↑ 中学3年生の生徒が、妹(弟?)を抱っこしています こうやって、普通に妹弟の世話をします
2024/05/25
5月は、聖母マリア様の月。日本では若葉かおる五月の聖母月。東ティモールは南洋の熱帯の聖母月。聖イグナチオ学院でも、聖母マリア様崇敬の、信心業を学校全体でやっています。 ↑ きょうは聖母マリア様が中学棟から高校棟にやってくる日 高校生はマリア様の到着をまっています ↑ 中学棟からマリア様がやってきました マリア様がいってしまわれると、泣く生徒もいるとか ↑ きょうは、中学生から高校生にマリア像が引き渡されます ↑ 高校生代表による、マリア様への歓迎のあいさつ ↑ それがおわると、花びらをまきながら聖母行列がおこなわれます 教室まえを巡行します ↑ そして曜日ごと、担当学年がマリア様をお世話します ↑ 男子生徒による、マリア様を囲んでの記念写真 みんなマリア様が大好き すごいのは、これを昼休みに毎日やっていることです 昼休みにやっても生徒たちはだれも文句をいいません 行列がある時間、図書館から生徒たちはさっといなくなります そして、天使祝詞のお祈りがおわると、また図書館に戻ってきます
2024/05/24
きのうは恒例の水曜日修道院会議。午後5時半にはじまって、終了は午後8時。みんなまじめで、本気で発言するので、長引きます。だいたい長くても1時間をめどに、45分ぐらいでおわるのがいいね、などと考えて、発言を自粛しません。「会議も長引いているし、最後の発言者だから、一言だけで切り上げよう」なんて、おもいません。東ティモールの式典で司会者の常套句「entaun aprezenta tempu nafatin」というのがあります。来賓が挨拶するとき、「それでは、時間制限はありませんから、よろしく」というやつです。 ↑ きょうの午後、久しぶりに午後はゆっくり仕事ができるなとおもっていたら、「URA先生、会議です」といわれました あさっての土曜日に保護者会があるので、保護者対応のためのその対策会議です ↑ じつはこの1か月で、6名の中堅どころの教職員が辞職しました 1名は国立大学の教員、5名は公立学校の教員に採用されました 聖イグナチオ学院は教職員養成が充実しているからか、たくさんの人が合格してしまいました 他校は1名、2名だそうです だから急遽教員補充をしました だからまだ若い教員経験の浅い教員が、全体会のあとに保護者懇談会をしなければなりません 教務部長のパウロ先生が、「通知表を配るだけで30分でおわらないようにしてください、少なくとも1時間はクラス懇談会をしてください」といいました そのための話題提供マニアルも配布されました こんな教員養成をやっているので、たくさん公立学校の教員採用試験に合格してしまいます おまけに、一昨年、昨年と、先生たちにポルトガル語の授業も国立大学から先生をまねいて実施したので、採用試験でポルトガル語の成績がよかったのかもしれません また、先生たちは教員採用試験受験を見越していたのか、熱心に放課後に実施されたポルトガル語の授業に参加していました しかし公立学校の教員採用された先生たちは、全員遠くの山間部に配置されました 小学校の先生に任命された人もいました
2024/05/23
先週の土曜日は、午後2時半まで1学期末の成績会議。それがおわってから、ウルメラ村にあるシスターたちの修道院に先生たち全員でおやつに招かれました。シスターたちの修道会の創立者の記念日でした。すると子どもたちもいて、記念写真を撮りました。 ↑ いつもあるいて出勤しているので、近所のこの子どもたちとは顔なじみ 東ティモールは子どもたちであふれています
2024/05/21
きょうは東ティモールの独立記念日で、公休日。数年前までは、この日にはチャペルでミサがありましたが、きょうの教会カレンダーをみると「教会の母、聖マリアの記念日」となっていました。いぜんは、グロリア、クレドも唱える、"Misa Solenidade pela Patoria"でした。そして、近年は前日に独立記念日のミサをするようになったようです。ということで、きょうは通常通り学校のチャペルで朝6時半のミサをし、独立戦争の渦中で亡くなった死者のために祈りました。 ↑ マリアナの町の市場 独立記念日も近く、みな国旗を掲げていました ↑ これはわたしの住んでいる集落で撮影したもの ↑ 空港近くのローターリーにある、初代大統領ニコラウ・ロバートの像 彼が1975年に独立宣言をしましたが、それからすぐにインドネシア軍が侵攻し東ティモールはインドネシアに占領されました
2024/05/20
きょうの写真は、ちょうど1週間前に135㎞はなれたマリアナの町へ出張ででかけたときの写真です。市場ファンでもありますが、みちのファンでもあります。道をみると遠くまできなたな、と郷愁がわいてきます。 ↑ マリアナ盆地にはいったところ あと30分ぐらいこんな道をはしると、町にはいってゆきます わたしの家からマリアナまでこんな道を135㎞はしりますが、信号機は一つもありません ↑ ゆうがた市場にでかける途中 遠くから散水車がやってきました 舗装されておらずほこりが舞い上がるので、水をまきます ↑ 散水車の横を歩いている青年は、「水をまいてるぞ、濡れるぞ」と人びとに注意します またふいに水がかかり危険なときには、車を停めたり、水まきを停止したりします 運転手、運転助手、タンクの上に乗っているひと、そして歩いているひとの連係プレイです ↑ 「消防車」とかいてあります ↑ 水がまかれて、通りは落ち着きました 水のにおいがして、多少涼しくなったこともわかります これも東ティモールの日常生活の一コマです
2024/05/19
2学期がはじまって3週間たったきょう、1学期末ぶんの成績会議がありました。2学期がはじまって4週間たった来週の土曜日、1学期の通知表が保護者に手渡されます。朝8時半にはじまり、お昼ご飯を挟んで、終了は午後2時半。日本の学校の成績会議も顔負けの成績会議です。 ↑ 所属学年に別れて、島をつくって着席です ↑ 先生たちは1人1台、学校は貸与しているラップトップコンピューターを手元にもっています ↑ 各学年の成績分布表も提示されます ↑ 午前と午後、おやつの時間もあります 土曜日なのに午後2時半まで会議があっても、残後湯手当は支給されませんが、先生たちはなにも文句をいいません ほんとうは午前中で終了した方がいいのですが、みな発言したがるのでどうしても午後までかかってしまいます 「ヤリガイサギ」ではないかとおもっています
2024/05/18
この日曜日から月曜日、マリアナの町へでかけていたことをブログでご紹介しています。きょうは、そのときに町の市場にでかけたときの写真です。わたしは、市場ファンです。ついつい、市場にでかけたくなりますが、市場をみると人びとの生活のようすがみえてくるようで魅力があります。 ↑ 午後5時ごろ 人びとは涼しくなってから買い物にでかけます ここがボボナロ県の県庁所在地最大の市場です ↑ 5月は聖母マリアの月 市場に面した通りを、聖母行列が過ぎてゆきました すると雑踏は静まり、みな行列をみつめていました 翌日は、ファティマの聖母の祭日でした ↑ 市場を小1時間歩いたあと、食堂に入って夕ご飯をたべました ついつい好物のラーメンライスを思いだして、Nasi-Bakuso(こちらでは、「ご飯-バクソ」といいます ) 大きな謎肉が乗っています じつはおやつにもバクソをたべました おやつのバクソは下の写真 1ドルです ↑ もう午後7時を過ぎたので、散歩を終えて泊っているところに帰りました このローターリーが、マリアナの町の中心部です
2024/05/17
月曜日のブログで、135Kmはなれたマリアナの町に泊りがけででかけていたことをかきました。火曜日は停電、水曜日は定例修道院会議でブログを掲載できませんでした。修道院会議はみな学校で働いているのでまじめで、最低2時間はかかります。いいかえれば、言いたい放題!きょうは新マリアナ紀行の続きで、豊年満作のようすをお伝えします。マリアナは高原盆地で、豊かな穀倉地帯。日本のJICAが用水路を建設し、田んぼが増えたところです。町中にも用水路が流れていて、人びとは洗濯しています。 ↑ 人海戦術です このようすをみると、また農業の機械化が進んでいなかったころは人民公社方式が有効な生産方式だったことがわかります 東ティモールのマリアナのこの村も、農業は大寒に学んで豊年満作です 東ティモールの工業も大慶に学ぶとよいでしょう 青年たちが一生懸命に働いていました とても健全です カメラ向けるとそこは東ティモール人、忙しい仕事中なのにポーズをきめてくれます 余談ですが、あるNGOの方が、「東ティモールではNGO組織が村人たちに呼びかけて活動をしようとしても人があつまらない。なのにチャペルの修理や掃除だというと、いつもブラブラしている男性たちでもいそいそとでかけていって嬉々として仕事をしている」といっていました わかるかなぁ~、わからないだろうなぁ~ 教会と人民公社の組織としての共通点はなんでしょうか
2024/05/16
きょうはファティマの聖母の祝日。旗日ではありませんが、ディリ市はお休み。夕方、盛大な聖母行列がおこなわれます。わたしはきのうの日曜日の2つのチャペルでのミサ当番後、車を運転して直ちにマリアナの町へむけて出発。11時に出発して、いつもとおなじように午後3時半に到着しました。宿泊場所は、インターネットが繋がりにくいので、昨晩はワニ通信はありませんでした。 ↑ 今朝、いつも泊まらせていただいている司祭の宿泊施設の庭に新司祭の家族親族が集まり、そこから司祭叙階式があるカテドラルまで行進をします 中央は司祭叙階の秘跡を受ける助祭 ↑ 叙階式がはじまるまで、なじみの神父さんと無駄話 左がサレジオ会の神父様 工業高校ではたらいています 中央はクラレチアン会の神父様 山岳地帯のホホレン教会で働いています ↑ 祝賀会のときに「神父さんたちは、神父さんたちのテーブルへどうぞ」と案内があったので行ったのですが、もう席がありませんでした そこで一般席の行列にならんでいると、子どもたちがわたしの後ろにならび「なんや、カンヤ」話してきました ↑ 食べ物をお皿にゲットして座る場所をさがしていると、声がかかりました ときどきでかけるボゴロ集落のチャペルの信者さんん 彼女たちが中学生のときからしっています 大きくなりました ↑ さらに歩いていると、また声がかかりました リキサ教会の青年たち ボーイ・スカウトです 泊りがけでやってきて、叙階式に参加したようです 3本指を立てるのが、かれらのスカウトのジェスチャーだそうです ↑ すると、「神父さん、神父さん、2本指も、dame、dame(平和だ、平和だ)」といってこの記念写真 ↑ それから、個人写真がはじまります 「この写真が最後だ」というと、「そうだ、神父さん、もう疲れたんだ」といって散会となりました そのご、ウルメラ村のじぶんのいえにかえってきました 帰路も4時間 前泊すると、帰りの運転中に眠たくならず楽ですマリアナ ↑ 小学校、中学校、高校のこどもたちは、トラックの荷台に乗ってやってきます そして、民家の庭先にテントを張らせてもらいます 民家の人は、水やトイレの世話をしてあげます 食事は飯盒炊爨です
2024/05/13
3日間つづいた会議も、きょうが最終日。土曜日なのに、おわったのは午後4時過ぎ。きょうは聖イグナチオ学院でも特別行事があり、土曜日なのに学校が引けたのは午後4時。先週の職員会議で教務部長のパウロ先生が、「行事は土曜日でですが、午後までつづきます。早く帰れる日もあるので、この日は土曜日ですが午後まで勤務してください」といいました。いいたいことは、午後の超過勤務分は残業手当はつきません、ということです。特別活動の予算申請にたんとう教員が会計室にきたときに、「この日は土曜日なので、半ドンで切りあげてください。残業手当は、つきません」とわたしがいったことの、上げ足をとったのです。 ↑ イエズス会の会議も土曜日なのに、午後4時過ぎまで 残業手当はつきません 猫さんも3日間、お忙しい中、会議につきあってくださり、ありがとうございます わたしが3流大学の学生だった頃の午後のけだるい講義中、教授が突然怒りだしました 「条文をいったら、すぐに六法を引け、ネコやイヌに講義をしているのとおなじだ、そんなんだったらネコとイヌを連れてきて椅子に座らせとけ」 となりに座っていた友人は「あいつ、イヌとネコに講義するんやって!、ヘッヘッヘッ~」と笑っていました 3流大学の学生に怒っても、しかたありませんね わたしたちの会議にも、ネコが参加してくれました ありがとうございます ↑ きょうの会議めし
2024/05/11
きのうからあすまでの丸3日間、イエズス会東ティモールミッションの会議がおこなわれています。会議には、午前中と午後の2回、おやつがあります。さらに、昼食も。会議のあいだ、お腹がいっぱいになってしまいます。 ↑ わたしの両隣は、ことし修練院にはいったあたらしい修練者 2人とも教区の神学生でしたが、教区の神学校をやめてイエズス会にはいってきました 右側まえに座っているのが、修練長のフィリップ神父さん 2年前にシンガポールからやってきました シンガポール時代も修練長でした ちなみにモンセニヨールです
2024/05/10
きょうから3日間、イエズス会東ティモールミッションの会議。2025年から先の5年間のミッション計画の方向づけを確定するための会議です。わたしが属しているイエズス会とマリアナ司教区は毎年、なんかいもこのような会議を開催します。いくら会議をしても、現実は話したこととは関係ないように進んでゆきます。 ↑ きょうは初日、各Institutionからの現状報告 それに続いて討議がおこなわれます とうぜんこの3日間は、学校を休まなければなりません
2024/05/09
ここ数日、夕方が干潮。すこし涼しくなったころ、わたしの住んでいる村の人びとは、海に入ってゆきます。テトゥン語でTama(入る)Tasi(海)といいます。きょうの写真は、わたしがすんでいる家のすぐしたの、海辺です。 ↑ うみにはいってたべものを探すのは、女性です ちいさな子どもも、おかあさんといっしょにうみにはいってゆきます こうやって海になじんでゆきます ↑ そうすると、飼い犬もいっしょに海にはいってゆきます ↑ いっしょについてきた子どもたちは、海辺であそんでいます ↑ むこうには、マングローブの森がみえます ↑ こんなかんじで、村人たちにとって、海は生活にとけこんでいます
2024/05/08
きょうは男子生徒たちが、体育館でつかっているカーペットを洗濯していました。中央通路に敷いて、偉い人がその上を歩のと、ステージの上に敷くものです。もうずいぶん色あせているので「新しいのを買いたい」といっていますが、洗濯するときれいになります。 ↑ 南洋なので、洗濯日和がたくさんあります 水遊びのようで気持ちよさそうですが、炎天下、ちから仕事は暑くなります
2024/05/07
まいしゅう月曜日の午後は、ディリに学校の買い物にでかける日。しかしきょうはなんとなくしんどくて、あしたでかけることにしました。そこで、南洋の午後の7時間目の授業のようすを巡回することにしました。 ↑ 高校1年A の理科の授業 このクラスはけっこう授業がせいりつしていました 板書とパワーポイントをつかった、ハイブリット授業 ↑ 高2の教室を覗いてみました こちらへカメラ目線を向けている生徒の後ろの生徒は、寝ているようです ↑ こちらは、ミッキー先生の理科の授業 まえから2番目に座ってるせいとは、ミッキー先生の前で爆睡しています ミッキー先生もだいぶ、穏やかになりました ↑ 高2Dの教室 授業があっているのかどうかわからない、ユルユルの7時間目 もちろん教室には冷房などありません ↑ 理科室前では理科実験、なんの実験か、よくわからない7時間目
2024/05/06
きょうはミサ当番がない、日曜日。修道院でミサをしたあと、一日中在宅勤務。こういう日は、わたしにとってのんびりとした日です。雨期ももうおわりかけていますが、きょうは一日中どんよりとした曇り空。それでも、ギリギリ・セーフで、1週間分の洗濯ものがかわきました。夕方からは、雨模様。涼しくなりました。 ↑ こちらでは、雨の境界線がみえます 向こう側は雨が降っていますが、わたしのばしょはまだ降っていません 向こう側に雨が降っているのをみて、もうすぐこちらに雨がくるな、とわかります あるいは、すぐそばまで雨が降っているのがみえるのに、こちらは降らないこともあります ナチュラルな生活です
2024/05/05
きょうは東ティモールの聖イグナチオ学院では、高校3年生によるExposition of Learning(EOL)(学んだことを発表する会)がおこなわれました。高校3年生全員が、EOLで発表することが義務付けられています。聖イグナチオ学院の前身でかつてイエズス会が担当していた聖ヨゼフ学園高校からの伝統です。聖ヨゼフ学院から聖イグナチオ学院に移籍してきた先生たちが、EOLの意義を唱え、聖イグナチオ学院でも実施されることになりました。教員団が「EOLの発表と合格が、聖イグナチオ学院高校卒業の条件にしなければならない」と職員会で提案したとき、前校長のバート神父さんは「卒業させるかどうかは校長が決めるんだ、EOLの発表と合格は卒業条件ではありません」といいました。一人の生徒の持ち時間は、45分。学会の発表時間より長いのです。 ↑ 聖イグナチオ学院卒業1期生で母校に教員として戻ってきたチンタ先生が、生徒の発表を審査しています ↑ こちらも1期生卒業生で母校に教員として戻ってきた、タニシア先生 生徒に発表について質問しています ↑ 合格かどうかは、担当教員が提出されたレポートを読み、発表を聞き、質問して決められます 高校2年生以下の生徒たちも聴講します レポートや発表のレベルについていうと「なんといいましょうか」というのもありますが、自分でテーマを決めて、調査をして、レポートにまとめ、プロジェクターをつかって先生に向かって発表し、質問にこたえ、それを聴衆のまえでおこなうことは、ある種の「学力」になるのではないかとおもいます 日本でいう学力とは力点が異なり、ひょっとしてこうゆう学力がグローバル世界のなかで求められているのかもしれません でも聖イグナチオ学院では、計算コンクール、英単語暗記コンクール、漢字コンクールなどは、まったくないのです
2024/05/04
ほぼまいにち、歩いて出勤しています。その途中、道端でいろいろなものを売っているのをみかけます。魚を売っているようすは、ブログで時折紹介しています。 ↑ 先日は、カボチャをぶらさげて売っていました ↑ こちらは、ライチです この家は、これだけのライチを並べてうっています ↑ ほうき屋さんもあって、けっこうほうきが買われてゆくのをみかけます どの家庭も、品目は1品のみの、少量販売、売り切れごめん、です ↑ こんな家に住む人びとが、カボチャやライチ、ホウキをうっています おそらくこんな小商いは本業ではなく、副業です
2024/05/03
さてきのうの午後5時過ぎ、インドネシア領西ティモールのクパンの街への2泊3日の海外出張から無事に帰宅しました。ドル高でインドネシアルピアとの交換率がよく、なおかつ本屋さんでそれぞれ10%、15%割引にしてくれたので、想定より20%ほど多めに本を買うことができました。そのために、本を詰めてもらった段ボールが重くて、きのうの晩は体に堪えました。バス乗り場まで運んだり、それぞれインドネシアと東ティモールの出国入国審査や通関で、段ボール箱をヨイショ、ヨイショとあげたりさげたり、移動させたり。おまけに、国境間をはじめ、バスを降りてから再度バスに乗り込むまで、約1㎞くらいを重い箱をゴロゴロと運びました。もう還暦をすぎたので、筋肉痛や関節痛です。クパンでもミニバスにヨイショ、ヨイショと持ち込んで、乗り換えもします。本当は、きょうはきのうのメーデーの祭日の代休を取る予定でしたが、日本人の性、出勤してしまいました。 ↑ グーグルマップの情報には、要注意 この本屋さん、朝8時開店とかいてありました 午前8時半に着くとこんな状態 店じまいしたのかな、情報が誤りで9時開店かな、とおもって「待つことにして」いると、9時ジャストに2人の店員さんがバイクで乗り付け、鉄の扉を開けて開店しました 「待っていました!」といって開店と同時に入店しました もう1軒、グーグルマップの店舗情報をもとにでかけましたが、鉄の扉が閉まっていてがっかり グーグルマップの店舗情報には要注意だな! ↑ 本屋さんの近所には果物屋さんがならんでいます
2024/05/02
先ほど、インドネシア領西ティモールから帰ってきました。🦁朝5時からチェックイン開始 そして、預け入れ荷物の積みこみです🐯発車前に、朝の軽食が乗客に配布されます こちらではグランドスタッフの人手不足は心配ありません🐴とちゅうでは、mi bakso(ラーメンライス)を食べました🐮橋の中央の黄色で塗られた欄干が、東ティモールとインドネシアの国境線 写っている段ボール箱はこんかいの買い出しの本が入っています これをキャリアーを使って歩いてゴロゴロと引いて国境線をわたってゆきます こんかいは90冊ぐらい、買いました 出国や入国の税関では、一切チェックなし🐷これは、きのうの昼ごはんのナシ•ゴーレン(インドネシア風焼き飯) 注文するとおにいさんがつくってくれます🐗こちらは、きのうの晩ごはんのサテ(インドネシア風バーベキュー) ヤギとニワトリをたのみました 飲み物はジュルック•ジュース(柑橘系のあたたかくて甘い飲み物です)
2024/05/01
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