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夫婦関係などの問題から私はこの春、日本へ帰国した。離婚を前提とした別居ではなく、離婚を飛び越えてのデモドリだった。東京に暮らす父には新しい家族がある。さすがのデモドリ娘もそこへ居つくような真似はしたくない。しばらくして知り合いのご好意でマンションを借りることになった。そこは亡き母の故郷でもあり、私が中学・高校と過ごした懐かしい街。今回の豪雨が襲った地域よりもっと南にある街だ。里帰りはいつも冬と決めていた。年末に母の命日があるためだ。でもここ数年はその冬にすら帰れないことが多かった。デモドリなんてことになっていなければ、今こうして私が日本にいることはまずない。助けを必要としている方々の元へ、こうして駆けつけることも出来なかった。経緯はどうあれ、私は今、一番いたい場所にいる。そして今、一番したいと思うことをしている。何より、そこには一番傍にいて欲しい人がいる。夫はこれを神さまからのメッセージだと言った。私はそれに頷いた。今、ここにいる意味。きっとこのことがこれからの私の人生において大きな意味を持つと感じずにはいられない。 アカネちゃんからお預かりしているトイ・プードルのララ。軽い打撲と診断された。見慣れない家に来たためか、ララもキキもおとなしい。これなら怪我の治り具合もいいはずだ。早く二匹が家族と一緒に暮らせますように。たくさんのメッセージありがとうございました。みんなの祈りが水害に遭われた方々の今の力に、そして明日への力になると信じています。S.H.リコ
2004年07月20日
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私が中学生の途中まで暮らしていた街が豪雨に襲われた。あの頃の友達が多く暮らす街。以前祖母と一緒に暮らしていた家がある街。7-13 その街は大量の水で覆われた。 どうしてもっと早く気がつかなかったのか。確かに隣国へと旅行にでていた。帰国後も疲れによる睡魔に襲われていた。なにより夫に対する気持ちがはっきりして、その喜びに浸っていた。テレビもつけず、PCもそこそこに、ずっとベッドで過ごした。外は雨降り。出かける気も薄れ、ちょうどいいやとまで思っていた。7-16 午後になってようやく知った。とにかくすぐに出発した。その街へ向かう車の中、くやしさから涙がこぼれた。”そんなことになっていたなんて。どうしてもっと早く気がつかなかったのか。”次から次へと涙がこぼれた。「リコのせいではないんだから」そう言って一向に泣き止まない私を抱きしめる夫。確かに早く知っていたからと言って、何か変わったかどうかわからない。それでも後悔のような気持ちでいっぱいになった。 途中何度も交通渋滞、交通止めに遭いながらもようやくその街に到着。街の中の光景には私も夫も言葉がなくなった。早速、今は借家としている祖母の家へと向かった。その家は被害の大きい地域とは川を挟んで反対側にある。作りも高床式になっているので、幸いにも生活空間は水に浸かることがなかった。その後、昔の記憶を頼りに友達の家々を探した。10数年ぶりの再会。こんな形で会うなんて思ってもみなかった。その中の一人。幼稚園からずっと一緒だったアカネちゃんの家。結婚して新築した家にも関わらず、床上まで浸水してしまった。ご主人のご実家がある地域では、まだ避難所から自宅に帰れない方々もいると聞いた。翌日も彼女の家の作業を手伝っているとアカネちゃん夫婦から相談をうけた。実はご主人のご実家では二匹のイヌを飼っているという。しかし今の状況ではイヌと一緒に生活するのはとても難しい。また元のように生活できるまでの間、どこかへ預けるつもりでいると言う。アカネちゃんは今、妊娠5ヶ月。自分だけでも大変な時期なので、イヌとの生活は難しい。そこで私たち夫婦にこのイヌをしばらくの間預かってもらえないかという相談だった。もちろん、すぐにOKをした。こんなことで二人の、そしてそのご家族の助けになれるのなら、お安い御用だ。トイ・プードルのララは非難の途中で足を痛めた恐れがあるため、獣医さんに診てもらう必要があった。通院ということになれば、私のマンションから近い方が便利ということもあり、今日のお昼前にララとキキを連れてあの街を一旦後にした。 復旧作業は今もなお続いている。被害に遭われた方々の体は、疲労とこれからの不安で限界にきているように見えた。どうかみなさんが一日も早く元の生活に戻れますように。私も夫も、可能な限りあの街へ足を運び、支援もしていこうと思っている。旅行のお話はもう少し落ち着いたら更新します。
2004年07月18日
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ただいま。行ってまいりました。夫による”セッタイリョコウ@隣国”感想は・・・ひと言で言えば自信回復でしょうか。私もそして夫も前のような自信が戻ったように思います。一時間しか時差がないはずなのに昨日からとても眠い私と夫。昨日も早目の便で帰国したというのに体はまだ寝ているようです。夫がシャワーを出たら、次は私です。そのあと食料の買出しに行こうかと思いましたが、また寝ようかと思っています。セッタイリョコウのお話、この次に書きます。
2004年07月15日
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私の大切な家族が誘拐されて丸一日。本当に気が気でない時間を過ごした。容疑者である義両親、重要参考人であるナニーへ連絡をするが一向につかまらない。ただ唯一の目撃者と思われる義弟。彼からの電話をひたすら待っていた。たとえ誘拐されたのが人間でなくとも、これは私にとっては事件なのだ。私の愛する ハンナ、ジェージェー、ぶん太。彼らの居所がわかったのは今朝だった。「イヌ? あの三匹ならダディが連れていった。」ようやくかかってきた義弟からの電話。スピーカーフォンを最大音量にして聞いた。「そんなことわかっている。 なぜあの人たちが私のイヌを連れていったかが知りたいの。」夫が持つ受話器を取り上げて叫んだ。「ちょっと、オレに怒鳴るなよ。 冷静になれって。」「それはできない相談よ。」「ダディたちは兄貴のとこにキャンピングカーを借りに行ったんだ。週末、伯母さんたちとエリー(Lake Erie)に行く予定にしていたから。聞いていただろう?」確かに先週末の電話で義父はキャンピングカーを借りたいと申し出ていた。どうぞ、ご自由にって答えたことを思い出した。「それで兄貴の家に行ったら、ナニーの様子がおかしかったって。ぎっくり腰とかで。このままイヌたちの面倒をみれそうもないから、ダディが連れて帰ってきたって言ってた。」「じゃあ、今は実家にいるのか?」「いいや、エリーに連れていったはずだけど。」「・・・・・・・・・。」「そうそう、兄貴んとこのナニー、結局入院したよ。」「病院は? □□□□□メモリアルだな? わかった。 ありがとう。」義弟との電話を切って、すぐにナニーのいる病院へ電話。時間が時間だったため彼女にはとりついでもらえなかったが、メッセージを届けてもらえるように頼んだ。その後、お見舞いの花も届くように手配。「どうしてすぐに私たちに電話してこなかったのかしら?」「ダディが、自分がするからって言ったんだろう。」「きっと、そうね。」状況がやっとのみこめた。安堵感が少し。でも三匹はまだ義父のところにいる。先ほど義母より電話があった。多くの親せきが集まって夜も遅くまで騒いでいるようで、にぎやかな声が電話の向こうから聞えた。「ナニーの件は聞いたの? あなたたちがアメリカに戻るまで、三匹はこっちで面倒みるから大丈夫よ。心配しないでね。」”それが一番心配なんです。”口が裂けても言えない義娘。「せっかくの祝日にみんなで集まったのに、あなたたちがいないのは残念だわ。 今すぐ次の飛行機で戻っていらっしゃい。」「ママ、それは無理。 ごめんなさい。」「あら、どうして? ダンクの仕事も終わったのに?」「・・・・・・・。」「月末のグランパの誕生日には必ず帰ってくるのよ! あれはファミリーの一大イベントだから。」「・・・・・・・。」いつもの調子で電話を切った義母。数ヶ月前に私に言った言葉など覚えている様子もない。言った方はすぐに忘れるのだろうか。言われた私はしっかり覚えてる。あの時の状況まではっきりと脳裏に焼きついている。何もなかったように話す義母が、ある意味羨ましかった。”そんな風に生きられたら、人生楽でしょうね。”
2004年07月03日
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「あの子たちはこちらで預かっているから」義父のその言葉に、私は絶句した。 先月、突然私の前に現れた夫。やりかねないことだとは思っていたが、正直私はその行動に動揺した。しかしそのような状態でも、私が気になったのは家族のこと。「ハンナは? ジェージェーは? ぶん太は?」私の大切な家族。我が家には三匹のイヌがいる。ブラックのラブラドールレトリバー 彼女がハンナ。2歳になったばかりのやんちゃ娘。チョコレートのラブラドールレトリバー 彼がジェージェー。同じく2歳。 ハンナの遥か上をいくやんちゃ坊主。チェスナットレッドのアイリッシュ・セター 彼がぶん太。4歳 少しおとなしすぎるかな? でも頼れるお兄ちゃん。三匹は私の大切な家族。離婚の話が出たときにも、彼らの養育権だけは譲らないとはっきり夫に言った。今回の出戻りにも、どうしても彼らを連れて来たかった。しかしご存知のようにすぐにそれが叶うことはない。それに何年も住み慣れた土地を離れるのは三匹にとっても大変なことだと思う。お友達とも離れがたいだろう。だから泣く泣く三匹を置いてアメリカを発ったのだ。クンクン鳴く彼らのおでこにキスをして家を出た日。きっとこれから長い間会えなくなることに彼らは感づいていたのだろう。車に乗り込むその瞬間まで、私の足元から離れようとしなかった。先月、私の「三匹はどうしているの?」という質問に「大丈夫、ナニーがしっかり世話をしてくれてるから。」 そう答えた夫。「そう。 それなら安心。」彼らなら私や夫と同じように三匹を愛してくれていることを知っている。だから安心していた。だからずっと安心していた。それなのに。「リコ、あの子たちはこちらで預かっているから。 リコのことが恋しいようだ。結婚式の時のビデオを見せると三匹ともテレビの前から離れようとしないんだ。」”・・・・・・・。”「早く帰っておいで。イヌたちも待っているから。」さっき買い物から帰ってきて留守電を再生するとこんなメッセージが入っていた。義父からのメッセージ。なんと私の愛する三匹のイヌたちは、私の最も信用の置けない人のところにいる。先週末の電話では義父は何も言ってなかった。イヌのイの字だって出てこなかった。それなのに、どうして私のイヌたちが彼らの家にいるのか?不安で不安で堪らない。ナニーに電話して事情を聞こうと思ったがつかまらない。携帯にかけてもOFFになっている。一体どうしたのだろう。こんな日に限って夫は友達と早朝から磯釣りに出かけている。夫の携帯も何度かけても通じない。きっと私の大切な三匹は我が家から誘拐されたのだ。イヌ質。義父ならやりかねない。どうしよう。 のんきに磯釣りに出かけていた夫が帰宅(ってここはこの人の家ではないけど)。留守電のメッセージを聞かせ、すぐに夫の実家に電話をしてもらった。しかし留守電。その後、義父と義母の携帯にかけるがこちらも留守電。ますます心配になる私。そこで彼らの近くに住む義弟の家に電話をして、彼の奥さんと話をした。どうやら義弟なら事情がわかるとのこと。しかし彼は外出中。戻ったらすぐに電話をして欲しいと伝え、電話を切った。こうして待っている間が、非常に辛い。
2004年07月02日
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東京駅よりNEXに乗って成田空港に到着。律儀に二時間前到着。搭乗前に軽めの食事をとる。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓こんな感じで実況中継予定だったはずが、実は今自宅マンションにおります。あらかじめお知らせしておきますが、昨日の夜のネットのしすぎで新幹線に乗り遅れたのではありません。理由は夫。「お気に入りホテルが取れなかったから、数日延ばそう。」仕事で何度もこの国に行ったことのある夫は言う。「あのホテル以外はホテルじゃない」”では何?”せっかくの”お祝いモード”だったのに、少し冷め気味の妻の本音。”あと数日で完全に冷めてしまったら、どうするつもり?”これで事前にクロネコさんにスーツケースを取りに来てもらえて、手ぶらで成田まで行ける。それくらいかしら?喜べるのは。夫さん。いい加減諦めませんか?あなたがお気に入りのそのホテルのそのお部屋。それはもう誰かが予約してあるんだって。それはもうどうにもならないと思うんだけど。他の部屋では駄目ですか?プレジデントがいいなら他のホテルでは駄目ですか?妻は疲れた。出発前なのにもうにこんなに。全部お任せしますから、どうか頑張ってください。今夜はソファで寝てください。先に寝ます。あー疲れた。今頃、きらめく夜景に囲まれながらゆっくり過ごしているはずだったのに、どうしてここでこんな思いをしているのでしょうか?もー本当に冷めてます。もー完全に冷めてます。
2004年06月30日
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金曜日に別宅へと居座り場所を変えた夫。その朝から私の携帯は大忙し。「今、電車に乗った。」「さっき長いトンネルを通った。」「ここから大きな仏陀(恐らく高崎観音?)が見える。」「今、東京に着いた。」「久しぶりに沢山の人を見た。」「東京のマックの方が旨い。(そんなことありますか?)」続々と届く実況中継メール。「今、Mの家に着いた。」「J坊や(M君とトモカの長男)が泣き止まない。」「オレの方が泣きそうだ。」「今夜はもう寝る。」「今、起きた。」「トモカの朝食はなかなかだ。」「このタクシードライバーはいい。(英語が話せたらしい。)」あくまでも夫の勝手な実況中継。妻は応答しない。それが金曜、土曜、日曜、月曜と続いた。そして今日もお昼過ぎまで、ずっとずっと。「今、話がついた。」このメールからそれは一方的な実況中継ではなくなった。つまり私が返事をしたのだ。「おめでとう。」言わずにはいられなかった。夫が一年以上もかけて準備してきた仕事。それが今日、ようやく一区切りついたから。「ありがとう。 本当に嬉しいよ。」夫からの返事は早かった。「あなたの気持ちがクライアントに伝わったのよ。 凄いことだと思う。」私も負けずに早打ちして返事をした。するとすぐに電話がなった。「お祝いがしたい。」嬉しいそうな夫の声。「そうね、何がいいの?」たぶんここ数ヶ月の中で一番優しい声で私は夫にそう聞いた。「行ってみたいところがあるだ。」「どこへ?」「リコと、二人で行ってみたいところ。」その電話を切ると私はスーツケースを引っ張り出した。その電話を切ると夫はCXに電話をした。お祝いモードの私たち。ちょっと隣国へ行ってまいります。夕方の便でよかった。夫は世田谷からだからいいけど、私はココからですもの。パッキングも終わり、この日記を書いた。ではそろそろ明日に(時間的には今日)備えて休みます。私のPCは持っていかないけど、きっと夫のPCを借りて日記書きますね。今度は私がみなさんに実況中継できるかな?
2004年06月29日
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夫が別宅(M君トモカ夫妻の家)に居座ることになり、久しぶりに本来のデモドリ生活に戻った私。この週末は以前ディズニーワールドで働いていた頃の同僚であるワコちゃんが、わざわざこんな田舎まで私に会いに来てくれた。何にもない所だけど、一緒にドライブに出掛けたり、地元の美味しいお魚を食べたり、どぶろくを飲んだり、そしてもちろん沢山お話したりして、とても楽しく過ごせた。急遽、温泉に行こう!ということになって、この辺ではかなり有名な温泉旅館に泊まって来た。女二人の気ままな週末旅行は大成功!ありがとう、ワコちゃん。 PMSなんてどこ吹く風。 貴女のおかげです。 今度は水上だね! さて今夜はもう疲れていたので、日記を明日に回してしまおうとベッドに入った。が、甘かった。電話のベル。”なにこんな時間に!!誰?”週末の楽しい思い出に浸りながらベッドの中にいた私。しつこく鳴り続ける電話の音が容赦なく私を現実へと引き戻した。”ウルサイ”既に23時半を過ぎた時計を見ながら受話器をとった。「HELLO, リコ. HOW ARE YOU ?」その声にそれまでの楽しい思い出も、眠気も、全て瞬時にすっとんだ。そして何も言えずにそのまま硬直状態。その声はなおも続ける。「昨日ダンクから電話があって、話は聞いたが・・・」「はい、お義父さん。」電話の相手、それは夫の父だった。”ダンク、どうしてここの電話番号を。 最低だ、あいつ。”私の出戻ったワケの一つ。その人からの電話だった。心から楽しんだ週末の、その残り30分に掛かってきた魔の電話。今週はとても長く感じそうな予感。それに備えて今夜は休むことにする。義父のこと・・・今度愚痴らせてもらいます。
2004年06月27日
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「仕事があるから、しばらく留守にする。」そう言って、夫はここを発った。アメリカに帰国したのかと思いきや、パスポートやスーツケースが残ってる。どうやら、東京のM君トモカ夫婦のところに行ったらしい。ごめんよ、お二人さん。いい迷惑だよな。でも、ちょうど良かった。だって強烈なPMSが襲ってきているから。このままだったら、争いになっていたかも。許せ、M君トモカ夫婦。
2004年06月25日
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私の趣味に合わないガラスのテーブル。それを挟んで手前に私、奥に夫。昨日、今日、私たちは殆どの時間をそうして過ごした。それは、私が出戻る前の数ヶ月間となんら変わりのないものだと思っていた。怒鳴り合い、憎しみ合った、あの数ヶ月。 「もう一度、トライするべきだ。」「・・・・・。」「リコ、頼む。」「・・・・・。」「まだ可能性はある。」「・・・・・。」「諦めるなんてオマエらしくない。」「・・・・・。」「聞いてんのかよ!」「もういい。私にはできない。あんな思い、もうしたくない。」「だから何度も言っているだろ!もう、両親には何も言わせない!」「そんなの無理!」「辛いのはオマエだけじゃない!」「だから、もういいって!」「どうしてわからないんだ!」「あなたは何をわかっているの?あなたこそ何もわかってない!」最後は必ず怒鳴り合い。あの数ヶ月間、まともな会話をした記憶がない。二人とも同じところを行ったり来たり。心から、不幸せだと思った。外すことのできないクライアントとの食事。レストランに着くまでひと言も口をきかず、目を合わせることもなかった。それでもテーブルでは良い夫、良い妻を演じ続けた。斜め向かいに座る夫を見て偽りの笑顔。”この人の眉毛って、変に下がってる。”まじまじと見た夫の顔。パーツを順に見ていて、変に目元が気になった。”目じりもだ。下がってる。昔からこうだったかな?”まっすぐこっちを見ている老けた二つの瞳。”前は・・・・あったんだ。”この瞳に見つめられたくて、見つめられたくて、どうしようもない頃。そんな頃が私にはあった。私の行動の全てを捕らえていたこの瞳。どんな時でも逸らさずまっすぐ私に向けられたこの瞳。ここに映るのが私だけならいいのに そう思っていた。「そうだった、リコ。」この声が聞きたくて、聞きたくて、どうしようもない頃。そんな頃が私にはあった。おはよう おやすみ それだけ聞きたくてかけた電話。ずっとずっと聞いていたくて、いっこうに切れなかった。YOU ARE MY EVERYTHING, BABY 愛し合うときにしか聞けないこの言葉。耳元で囁かれるだけで、全てを受け入れられた。ねえ、聞かせて そう迫ったことさえあった。”そんな頃があったのに・・・・・”今はもう、その瞳の奥に何が映っているのか私にはわからない。今はもう、その声が遠くに遠くに遠ざかって私には届かない。そう思ったら、席を立たずにはいられず、化粧室で泣いた。アイラインを直すのに苦労したっけ。 そして昨日、今日。夫は違って見えた。いいや、確かに違っていた。前のような強気な発言はどこにもなかった。でもそれが嫌だった。私の決心を揺さぶる。だからそれが嫌だった。こうして考えてしまうのは、私に迷いがあるからなのか。
2004年06月24日
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夫との話し合いが続いています。またご報告します。
2004年06月23日
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「どうしてデモドッタのですか? 旦那さんの浮気ですか? 愛人問題ですか? ぜひそこのところ教えてください。」このメールの送信者はおそらく楽天ユーザーではないご様子。お名前をクリックしても、うんともすんともならなかったし、返信ボタンもなかったから。そういえば、私は出戻ったワケを何一つ書いていない。特に隠していたわけではなく、たまたま過去の話を書くようになって、たまたま置き去りにした夫が現れて、そういうチャンスがなかっただけ。さて私が出戻ったワケ・・・それはね、ひとつじゃないんです。色んなことが重なって、たまっていって、そして出戻ったって感じです。”浮気”もワケの一つです。でも、それは夫のではありません。私の過ち。簡潔にお話すると ”自分が直面している現実から逃げ出したかった”出戻りは私の逃避なのです。
2004年06月22日
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嵐が近づくと、したくなる。したくなる、したくなる。したくなる。 変ですか?変ですよね?実はこれ、うちの夫。ずっとずっと、ずうううううっと前から気になっていて、誰かに聞いてみたかった。やっぱり変ですよね?この症状を告白されたのは付き合って一年くらいしてからだったと思う。「実はオレ・・・」日頃見せない表情で話しだすから、息を呑んで聞いたよ。「ハリケーンが近づいてくると、無性にしたくなるんだ。 理由はオレにもわからない。」正直、言葉につまった。だって、何て言えばいいのさ?そこでちょっと過去にさかのぼって考えてみた。確かに大雨で洪水になったときも、強風で停電になったときも、私達は熱い夜を過ごした。それは鮮明に思い出せるほど、熱い熱い夜。あれって、つまりそれだったから?それから数年。数えられないほど嵐が来た。だから数え切れないほど熱い夜を過ごした。で、今回の台風6号・日本縦断。夫はしたくなった。嵐だから、したくなった。でもさ、仮にも私は”デモドリ娘”。嵐が来るからって、できるワケないのよ。そこのとこわかるかな? ダンク君。
2004年06月21日
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ご承知のように・・・一ヶ月ほど前、私は夫ダンクをアメリカに置き去りにし、日本へ出戻った。すなわち私はデモドリ娘(妻ともいう)であり、彼は置き去りにされた夫である。しかしながら先週のある日彼は突然、何の連絡もせずに私の元へ来た。そしてこの数日間を、こともあろうに私の実家で過ごしている。デモドリ娘を無言で迎え入れた父も、今やすっかり夫サイドの人間に。それは父の日を巧妙に味方につけた夫の作戦勝ちなのだと思う。”チッ! そういうとこ、巧いんだよな!”このままでは”置き去りにされた夫”ではなく、”妻の実家に居座る夫”になるのではないかと、不安な私。まあ彼の仕事のことを考えると、それだけはないと思うが・・・。それでも、夫と父の義親子姿を見ていると不安は募る。”まったく、いつからこんなに仲が良くなったのだろう?”散々二人の関係に頭を痛めていた頃を思い出し、複雑な気持ちの私。『仲良きことは美しき哉』”確かにそうだけどさ・・・何も今でなくてもさ・・・はあ。”
2004年06月20日
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今日は今までお邪魔したことのなかったHPをゆっくりと廻ることができました。なんだかとっても考えさせられる内容が多かったです。日頃、私は何も考えずに生きているのかと思うくらい、沢山の衝撃と刺激を受けました。そろそろ夫との待ち合わせ時間。彼のクライアントご夫婦と一緒にお食事です。帰ってきたらまた廻りたいな。(15:15) ちょこっと手直し。(6-21 0:17)
2004年06月19日
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みなさんは覚えておられますか?『君が連絡してくれるまで、俺からはしないから。 じっくり、ゆっくり考えて。』空港のセキュリティゲートの前で優しく、でも力強く、私を抱きしめながら彼がそう言った。数日前の日記の一部。確かに一ヶ月前、夫は私にこう言いました。そして私はそんな夫をアメリカに置き去りにし、こうして日本に出戻ったわけです。離れて暮らす?こと早一ヶ月。昨日(6/17)私は大学時代の友達と久しぶりに出かけました。行き先はネオン輝く夜の街。素敵な雰囲気のレストラン、美味しいディナー、そして久しぶりに会う旧友たちの笑顔。”なんて楽しい時間なんだろう”抱えているものを全て忘れられたひと時。そう、ひと時。夜も更けて、落ち着きのある良い感じのクラブへ移動し、お酒を数杯。平日なのにどこからともなく人が集まる。大好きな曲が流れ出したところで体を、そして心を動かすためにフロアへ。見渡せば久しぶりにみる沢山のガイコクジン。土地柄、ミリの方々だったのかな。「君と踊りたがっている奴がいるんだけど・・・」”踊りたいなら、勝手に踊ればいいのに。”聞えないフリをして、踊り続ける私。確かに人として、礼儀はとても大切なモノだと思う。でもその場の雰囲気や流れってものがあるでしょ。律儀にお伺いたてなくてもさ、いつの間にか体が触れ合っているそれくらいが理想なんだけどな。しばらくすると急に誰かにしがみつかれた。”え?!?! ちょっと何?!?!”気がつくとさっきまで楽しそうに踊っていた友達トモカが棒立ちでいる。「ねえ、あれ・・・うちのダンナが・・れて・・男・・・」音楽で彼女の声があまり良く聞えない。「何? 聞えないよ。 何? M君来たの? どこどこ?」M君とはトモカのご主人。今夜は急用が出来たとかなんとかで、このクラブで合流することになっていた。薄暗い中入り口の方に目をこらすと、そこにM君の姿があった。「久しぶり! もう遅いよ! 働きすぎだってば!」近づいてきた彼にそう伝える。「ごめん・・・ちょっと用事があってさ。 オレ、トモカに話があるからさ、リコもう少し踊っておいで。」「早速夫婦ですか。 いいですね、まったく。」二人を残し、フロアへ戻った私。そのうち誰かが私のうしろで踊っていることに気がついた。いつの間にか体が触れ合う。そしていつの間にか体が離れる。”そうそう、こんな感じ。 触れているような、触れてないような。”その人は、私との間にあるそんなほんの少しの距離を楽しんでいるように思えた。”同じだ。 私と同じ。”その曲が終わっても、次の曲が終わっても、その人はずっと私のうしろにいた。そして流れ出したあの曲。それは私と夫ダンクが初めて一緒に踊った曲。”この曲は・・・この曲だけは誰とも踊りたくない。”私は体を止め、トモカたちのいるカウンターへと向かおうとした。次の瞬間、私の体は強引にうしろに引っ張られ誰かの腕の中に吸い込まれた。”イタイ! ちょっとなんなの!!”押し返そうにもピクリとも動かず、その腕から逃れることができない。「嫌、離して!」必死で逃げようとする私をより一層強く抱きしめるその人。そしてひと言。「I DID MISS YOU SO MUCH, baby ...」聞き覚えのあるその声。懐かしい匂い。私は全身の力が抜けていくのを感じた。抵抗する必要のない人の腕の中にいると知ったとき、素直に身を任せていた。 『君が連絡してくれるまで、俺からはしないから。 じっくり、ゆっくり考えて。』確かに連絡はしてきませんでした。何の前触れもなく、夫はそこに現れたのです。出戻った私の前に。そして安心しきったように、今こうして私のそばで寝ています。一ヶ月ぶりに見る夫の寝顔。少し痩せたように見えるのは、気のせいでしょうか。そろそろ夕方。いい加減、起こそうかな。(17:20)今日の日記は昔話あり、現状報告あり、なんだかワケがわかりませんね。ごめんなさい。とりあえず、夫が日本に来ました。そして昨夜突然私の前に、いやうしろに現れました。「なんだか丸く収まって、”デモドリ娘”ではなく、ただの”里帰り娘”になったりして・・・」これはさっき電話で友達トモカに言われた言葉。”知ってるでしょ、そんなもんではないのよ。”さて彼のシャワーが終わる前にみなさんのところへおじゃまします。今夜のご報告はまた明日。そんなのいらないですかな?(21:13)タイムアップ。夫が仕事でPCを使うというので、私のPCタイムは終了です。レスの続きはまた後で。(22:29)夫が父に呼ばれて行きました。義息子と義父の話し合いのようです。と、思ったら二人で日本酒なんて飲んでました。なんなんだ、この義理親子。と、私まで呼び出されました。強制連行です。”あーこのまま私書箱チャットしたかったのにー”心の叫びでした。(22:55)「I DID MISS YOU SO MUCH, baby ...」聞き覚えのあるその声。懐かしい匂い。私は全身の力が抜けていくのを感じた。抵抗する必要のない人の腕の中にいると知ったとき、素直に身を任せていた。と、まあこんな日記の終わり方をしたせいでしょうか?みなさんから頂いたBBSのレス、私書箱のメールの中に”素敵な旦那さま” ”行動力のある男” ”置き去りにするなんてもったいない”と、夫ダンクを絶賛する言葉が多いことに驚いている妻です。期待を裏切るようで大変申し訳ないのですが、誤解のないように記しておきます。夫の今回の来日は決してこのデモドリ娘を連れ戻すためではなく、出張の途中に立ち寄った、つまり仕事が目的であり妻はそのついでなのです。今日はお昼過ぎまで寝ていたので、ちっとも眠気が襲ってきませんが、色んな意味でお呼びがかかりそうなので、この辺で失礼します。ちょっとほろ酔いのデモドリ娘でした。おやすみなさい。(0:54)
2004年06月18日
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これから夜遊びGO☆その前にお話の続きを!って思ったけど、メイクしてたら時間が来てしまった。何時間鏡の前にいるんでしょうか、私(笑)続きを心待ちにしてくれる方々のメッセージに涙です。素直に嬉しいです。帰ったらちゃんとUPします。では、行ってきます!
2004年06月17日
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私が彼を置き去りにしたのは、残念ながらこれが初めてではない。付き合っていた頃を含めると、もう4度目。でも、いずれの場合も別れにはならなかった。結局は”もとさや”ってやつで、恋人や夫婦という関係を続けてきた。ただ今回は今までとは若干の違いがある。それはお互いの間に明らかな距離があるということ。大きな海と大きな陸を挟んで、今こうして二人はいるのだ。彼と私をつなぐもの、それは電話とネット(メール・メッセンジャー)。二人とも手紙なんて書くタイプではないので、この2つに限られる。 「愛し合う二人の間にはテレパシーがある」なんて言っていたのは大昔のいかれた女優。ちなみにそんなもの、私達の間には存在しない。そして今までのところ、電話やネットさえも二人をつなぐことはなかった。出戻って早1ヶ月。彼の声を聞かない日がこんなに続いたのは初めてだろう。毎朝彼の声で目覚め、毎夜彼の声を聞きながら眠りについていたのに。『君が連絡してくれるまで、俺からはしないから。 じっくり、ゆっくり考えて。』空港のセキュリティゲートの前で優しく、でも力強く、私を抱きしめながら彼がそう言った。ゲートを通過して搭乗口までの長い長い通路を私は一度も振り向かずに歩き続けた。背中に視線を感じながら。そんなこと言って、もしかしたら彼はとっくにその場を去っていたかも知れない。何の確証もないが、なんとなく遠ざかる私の背中を彼が見つめていたような、そんな気がした。こうして、私は夫をアメリカに置き去りにし、日本へ出戻ったのだ。
2004年06月12日
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「出戻り」って何?HPのタイトルにしておいて、私がこう思うのはいささか変な話。でも、間違った解釈であっては良くないので調べてみた。 でもどり 【出戻り】(1)結婚した女性が、離婚して生家に帰ること。また、その人。(2)一度出た職場などにもう一度もどること。(3)出港した船が、出た港に引き返すこと。大辞林 第二版 (三省堂)より実は私、これらのどれにもあたらない。言うまでもなく、一番近いのは (1) ではあるが、幸か不幸か、離婚してという部分が私とは一致していない。あくまでも今のところは。ほら、誰も未来のことはわからないから。
2004年06月11日
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と、いうことで日本に戻りました。いや~久しぶりの日本。浦島太郎になった気分です。アメリカ東海岸の某都市に夫を置いて、清々しい気分での帰国。慰謝料ガッポリ・・・と予定までしていたのですが、今回はそうはなりませんでした。これが良いのか、悪いのかは、まだわかりません。在学中は何かと忙しく英語のHPしかかまえず涙。出戻りついでに、念願だった「楽天デビュー」を果たしてしまいました。今までお邪魔していたHPにもメッセージを残しにまいります。楽しみ楽しみ。
2004年06月10日
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「何事もはじめが肝心」これ、とっても大切な言葉。だってまさしく私の人生において重要なのがこの ”はじめ” の部分。終わりよければ~は、悲しいかな私の人生には通用してこなかった。だからこのHPも ”はじめ” を大切にしていきたい。ちょっとした宣言になりました。
2004年06月09日
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