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脱サラ農業起業大学のやりくり編のテキストを毎5のつく日ごとに配信していた。過去形で書いたのは先日の25日で最終発行分を終えたから。1回あたりの量としてはA4で8枚ぐらいの分量で、4月の初めから9月の末まで半年間執筆していた。毎回、コンスタントに書き続ける苦痛をかなり味あわせていただいた。新聞などに毎日連載されている作家の方のご苦労も少しは偲ばせていただいた。ようやくモヤモヤしていたのが晴れてすっきりといいたいところだが、またさらに、いろいろと始まる。結局、逃げてはだめということなのね。(笑
2004年09月30日
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先週、福井県の農業法人さんを訪れていたとき、熊が出た! で村は大騒ぎ!何せ、小熊を捕獲したものだから、親熊が探しにくるだろう・・・とで、翌日は回覧が廻って・・・こんなとこに行っているのね。(笑
2004年09月28日
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とあるところで、あるプロジェクト?の企画会議に同席した。先方側のSE?とこちら側のSEが、あることで少し議論になった。こちら側のSEはちょっとレベルが違う。彼は、私が今までに出会った中でトップレベル。人工知能の研究にはじまって、大手のソフト会社で基幹の業務ソフトのチームを率いていた人物。全盛期はやはりマシン語を感じるタイプ。(笑同じ事を話題にしているのだが、考察しているレベルの深さと広さが違うので、議論にならない。(いや、感じていないか)でも、そこの深さがわからないと、えてしてこういった場では、声の大きいものや、生活のかかった執念のあるものの方を一見もっともなものとして受け止める人が多い。今回は、やりたくない仕事なので黙っていた。こちらのSEも途中であほらしくなって黙ってしまった。で、ちゃんちゃんと・・・。(笑
2004年09月24日
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昨日は・・・とある会合にて、司会はどこかの自治体の教育委員会の元委員長。昔の教育と今の教育について・・・現在にいたるまでの英語教育の欠陥について・・・適当なことを無責任に喋ってきました。(笑まっ、いいか。午後、とあるプロジェクトのキャスティングを・・・夜、とある繋がりのある方が見えられて、先月12日間ほど行かれていたイタリアの話なんぞを・・・10年以上も前から紡いだ、下心のない繋がりが、今大きく育って・・・と。向こうの方は血のつながりを始め、本当の友人を実に大事にする気質のよう。と、ついでに下心なく繋がったりして・・・縁とはそういうふうに繋がっていくのかな。(笑明日早朝から福井へ・・・1泊予定の強行軍か?(笑こちらと同様、天候が不安定な様子。お米も豊作と伝えられたけど、こう続く天候の不順で、収穫に影響を与えるので、安心は出来ない。
2004年09月21日
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クリントンさんの表紙の雑誌を見た。おや、いつの間にか、おふけになって・・・と、思うぐらいなんか、急に年をとられたように感じた。(スタイリストのせいかも知れんけど)「マイライフ」を出されたりして、そろそろもうすることが無くなってきたのか・・・?スキャンダルのもみ消しで、枯れてしまったのか?それに比べて、ヒラリーさんの元気なこと。やっぱし、男の色気は去勢されるとだめになるのかもしれない。してみると、彼には復活はなさそうね。(笑いつまでも元気でいよっと。と、時間に追われて、逃げているうちに、ついに追い越されてしまった。。。(笑いかん、余計なのを捨てなければ・・・。えっ、今日は飲み会の言う名のとある会社の再建会議???
2004年09月16日
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先週の金曜日・・・ビジネスパートナー達と2連発の会議たまたま同じ日に重なってしまった。片方はちょっと軌道修正。もう片方はだいぶ軌道修正。時間を創らなくては・・・
2004年09月13日
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最初の詰めが甘い仕事は、後に行けば行くほど当初の計画とは誤差が広がっていく。そして、その溝を埋めようとしたり、予期せぬ(?)出来事に対処するために、つまらぬ後ろ向きに属する仕事が増えていく。そして、さらには建前が先行して、本質的なことが見えなくなってくる。いや、見ないように誤魔化しにかかっていくこともある。個人なら修正は気づけばまだ簡単。しかし、これが組織になると一人歩きをしてしまっている。少しぐらいのエネルギーでは修正は不可能となっている場合が多い。このときに無駄が無駄を呼ぶ仕事をしている場合が多い。事の始まりに注意したい。
2004年09月09日
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会話や会議などで何気なく使っている言葉。コミュニケーションやディスカッションなどで活躍する言葉。この言葉は物などの形あるもの以外はそれぞれが認識している各人なりの定義によっている。これは、その人が経験してきた出来事や環境に依存するあいまいな部分を多く残して成り立っている。それゆえに、しっかりとした議論する時、形の無いものを示す言葉を使っていく必要があるならば、まずその言葉の定義が必要となる。共通の認識の無い言葉を使った会話はいざというときには中身が無い。そうでないと、なんとなくの部分を残したままディスカッションや会話という名のキャッチボールが進行していくこととなる。何といいかげんな・・・。(笑まっ、それでも支障が無いレベルの話をしているということか。初めに言葉ありき。私は言の葉と捉えている。言の葉を慈しみたい。
2004年09月08日
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学生時代、少しの間ラクビーをしていた。それも大学へ入ってから・・・。試合中に、倒れて動かなくなってもマネージャーが走っていき、やかんの水をかけると、皆、面白いほど、魔法のように起き上がって、またプレーをしていた。この汚い水(?)を「魔法の水」といっていた。後で記憶はと聞くと、とんでいる場合が多かった危ない人たち。耳が潰れて、前歯が何本か無くて、背骨もゆがんでいるのが普通な愛すべき人たち。この人たちはたいていのことでは死なんと思った日々・・・。私は無理がたたって、体を壊してリタイア。鍼灸などに通って、針をしたりして続けたけど、結局太ももから血が抜けなかった。スポーツの中でその一員となってチームプレイに徹したとき、今までで一番燃えたのがラクビー。観客と選手が一丸となれる熱いスポーツ。が、退部して1ヶ月ほどした頃、試合中に歯学部の先輩がゴールポストに激突、意識不明に。数日後に亡くなったことを知った。あともう少しで卒業される時期だった。すごく優秀な方だった・・・合掌。その後はまったく見なくなったラクビー・・・封印していた思い出。
2004年09月06日
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何かを変えようとすると、必ず抵抗がある。その元の状態が長ければ長いだけ、大きな抵抗となる。このとき、痛みを伴う、変化を推し進めるときには「好きか嫌いか」の選択肢がまかり通っている状態ではまだまだ変化はありえない。「好きか嫌いか」で物事が決断される社風。「死ぬか生きるか」、企業で言えば「倒産するかしないか」に追い詰められたとき、その本質的な選択肢、「生きるためにやめること、しなければいけないこと」の決断が初めて出来る。このような状況に陥るまで手が打てないところは「甘えのDNA」が存在している。「自分がしなくても誰かがするだろう。」「自分ひとりぐらい、楽してたって・・・」「ちょっとぐらい良いじゃない。」「今まで大丈夫なんだから、これからも・・・」こんな考え方は世間ではすでに通用しなくなっていることに、追い詰められてどうしようもなくなったときにようやく気づく。ただ、もはや手遅れのところが多い。とあるところで、ようやく浮上への兆しが・・・間に合えばいいが・・・、えっ、また忙しくなる???
2004年09月02日
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奥行きを感じるようになるのは・・・(知覚の順序かな、進化の過程かな?)まずは長さを知覚して・・・まだ見えぬ向こう側を認識する。そして、次は大きさを知覚して・・・立体的な空間の拡がりを認識する。さらに進化して、同じ状況でも、時間軸での、その瞬間その瞬間を認識する。その認識で切り出すと面が局面となる。今はこの局面で切り出したもの。過去と未来を結ぶものは自分の存在に他ならない。そして、さらに進んで、自分を含めて人間としての奥行きを感じるようになる。でも、ほとんどの場合、観ているのはその人の局面一面にすぎない。その相手の奥行きを感じるのは自分自身の自然体の心から生まれる。結局のところすべては自分から始まる。自在でありたい。ちょっと、今日は哲学モード。。。(笑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日はウィルスに侵されたPCの修復を電話でサポート。と、本日は別の方からもSOSが・・・・・今度はちょっと冷たく突き放しましたとさ。(自分で出来るためにはたまには冷たくしないと(笑あなたのために・・・?
2004年09月01日
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