「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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幕軍&松前えとせとら3,箱館戦争
箱館戦争,幕軍、松前えとせとら,峠下,蝦夷移住の八王子千人同心,北辺の守り&開墾の精神,平山行蔵の教え,清水谷公考暗殺クーデター,秋山幸太郎,斉藤順三郎,花輪五郎,馬場政昭,平山金十郎
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幕末玄関
<【
幕軍&松前えとせとらの目次
】:
Vol.1
<・・<
Vo.3
現在の頁<
Vo.4
<・・・
_函館戦争の余波
□関連:
敵への報恩(薩摩編)ー軍艦高雄、船将:田島圭蔵
□薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達_
No.1
英士の末路:村橋久成<
No.2
真実の人:池田次郎兵衛
□
空転!松前に齎された平和交渉
□
幕末のオーバーザレインボー(諏訪常吉_平和への祈り)
峠下その1
関連(
敵への報恩_長州編内_蝦夷の英雄_秋山幸太郎コーナー
)
その時、一人の男が憮然と前に歩み出た。
「解り申した。一件、お引き受け致そう。」
身なりは農兵そのもの。貧しさが滲み出た粗末な衣服を身にまとった男である。
しかし、恐れ入ることなく、堂々とした態度。どことなく古武士の威風が漂う。
一体何者だろうか・・・?
地元、八王子千人同心移住者、代表格の一人、「秋山幸太郎」だった!
蝦夷の地、八王子千人同人移住隊
ー蝦夷の地、八王子千人同人移住隊
・・・・「秋山幸太郎」達のプライドー
八王子千人同心移住者、代表格の一人、「秋山幸太郎」が応えた。
彼らは、安政年間に一族を率い、開拓の志をもって、蝦夷を目指しやってきた者達なのだ。
道なき道を突き進み、開拓の鍬を下ろした。
身なりは日々の暮らしに追われ、お粗末。官軍から見ても、榎本チームから見ても
「農兵」って程度にしか見えない。
「半農半士」らしいわ・・・程度の情報はあっても、所詮軽々しく見なされた。
ところが、彼らの正体はただものではなかった。
武士の血をひく・・・だけでなく、魂が極めて崇高なのだ。
彼らをもっと大切に、彼らを尊重して力を借りればよかったのに・・・。
八王子千人同人移住隊こそ、巻き込まれて本当に気の毒なチームである。
彼らの一部は、まず真っ先に(詳細は、本ページの下欄、蝦夷逆クーデター)新政府を
阻み、徳川応援にたった。ところが潰されてしまう。榎本達の到着が遅すぎるのだ。
そして、うんもすんもなく、官軍の手下にされてしまう。
「箱館府兵」と書かれた文字をよくご覧になられると思うのですが、地元の府兵というより
勝手に召集された彼らの犠牲者が一杯。
しかし、村を守りたい。それまでの積み重ね、苦労して育てた自分達の花園を失いたくない。
発想の転還。率先して奮い立つ者もいる。あの徳川が、遠い昔に武田を奪った徳川が
またしても奪いに来る・・・!と洗脳されてしまえば、やはり燃える。
上記の「秋山幸太郎」と共に峠下で戦った者の一人に、
斉藤順三郎
の兄もいる。
千人同心達を率いてきた村の英雄「秋山幸太郎」は無念、ここに命を落とすわけだが、
斉藤順三郎の兄さんについて、生存はどうなったのか、この段階では不明。
「生死不明、過度の重症者数名」との記録がある。その中に兄がいた。
(斎藤順三郎その2)
(・・・・幸い、後に兄は生き残った事が判明。兄は、黒田長官から、弟の墓代金を貰い、
後に、開拓使に出仕する。しかし、順三郎はそんなことを知らない。)
斉藤順三郎
箱館戦争時、榎本軍に紛れ込んだスパイ。彼を放ったは、 「村山次郎」。その村山を蝦夷に置き去りにして
逃げたは、 新政府の初代箱館裁判所総督「清水谷公考」。その彼がさらに斉藤を。 斉藤は、榎本自慢の弁天砲台
の大砲を鍛冶職人「連蔵」と連携。 釘を打ち込み、砲台をパー!!にした。斎藤順三郎は捕られ明治2年5/7斬首。
幕軍ダメージ絶大の為、いつになく(※)これは惨殺。一気斬首ならず、3日逆吊りに曝された後。彼は完璧優秀な
スパイだった。同じ釜の飯を食って過ごし、皆の信頼を得る。それがスパイだったから、怒りが沸騰。
その上、出元が八王子千人同心蝦夷移住隊にて、すっかり土方も彼を信用していた。
いつになく(※)とは:榎本は極端に拷問を嫌う。戦争だから殺戮は仕方ないが、変な殺し方は一切禁止。
手柄確認に生首運んでくるのも止めろ!と指示している。・・が実際は、それやんなきゃ解らないから、
各将校の支配下、現実的には、やってるだろうが、一応。
斉藤順三郎も本当にかわいそうだ。この人は、清く白い。どっちにも染まったはず。
村を守りたい。悪いやつが犯しにくるなら、命がけで戦う。悪いやつとは誰か・・
の定義が、どっち側から先に入るか・・・で運命が決まってしまう。
榎本チームに入ったとしても、存命できた証もなければ、むしろ負軍だから、これでよかったの
かもしれないけれど・・・。
大切な大切な村を焼き払われて(榎本チームが焼いたのでないのだが、彼らが来なければ
焼かれずにすんだという事実は否定できない)、また、尊敬する「秋山」が幕軍との戦闘で死に、
もしかしたら、兄も死んだかもしれないと思っている状態だったわけだから。
(本人は兄の存命知らない
)
だとすれば、誰しも順三郎の立場になってみたならば、燃えてしまう。
憎き幕軍必殺!!
仇討ちの意もあって青い炎が燃え上がる
はずなのだ。
その一方で、この斉藤順三郎事件があったものだから、中島三郎親子チームで頑張っている
平山金十郎のような人達は、痛くも無い腹をさぐられ、大変悲しい思いをすることになる。
地元のやつはあてにならない。裏切り者用心!
もちろん、中島さんがこの平山さんを粗末にしたなんてことは絶対にない。
ちゃんとラストの日までチームに居る。
壮烈終焉_中島三郎之助親子
ようするに、千人同心達は紙一重で、同じ仲間同士、親兄弟が敵味方にされてしまった被害者なのだ。
ちなみに「秋山幸太郎」は養蚕の高度技術者である。
食うだけで精一杯の農業からスタートしても、それを土台にスケールの大きい事を考えている。
利益で村が潤えば、そのぶん、明日を担う師弟教育を徹底充実できるからだった。
彼は、蝦夷の地に到着後、自生する野生の桑の樹木を発見し、さっそく育てた。しかし、
このままでは、養蚕に不向きである。栗本鋤雲の協力を得て、再び内地へとんぼ返り。
養蚕に適した「内地の」桑の幼木を持ち帰る。そして、寒さに強い蝦夷の野生桑に、この「内地の」
桑の枝を接木。苦労の甲斐あって、無事、新種の桑の幼木が育ちつつあった。そこへ、箱館戦争の嵐。
小さな若木同様に、この激寒の地では、人の子の命は犬猫の子、同然。
生きるも死ぬも天のみぞ知る。親にとって、「生き残らせる事」とは、
実に困難を極める事だった。大人達は皆、我が身を犠牲にして、子を守ろうと必死だった。
しかし、深々と雪が降り積もる寒い冬の夜には、村中のどこかで、必ず誰かの子が死んだ。
新しく生まれてきた子達が次々に命を落とす。遥か武蔵の国から連れて来て、この地で成長途上
だった少年少女達も、同様だ。寒さと飢え、栄養不足で当時としては原因不明の水痘病にかかり、
命を落とした。
だから村人は、子に限らず、若者をとても大切にした。親だけでなく、村の共用財産なのだ。
自分たちはやがて命を落とす。過労の極み、恐らく長生きはできまい。とすれば、大事なのは
若者だ。知識や技術、そして剣術を大人から伝授されて一人前になりつつある十代後半の若者達。
それは、秋山達にとって、それは最大の誇りであり、未来を担う掛け替えのない財産だった。
峠下の村にも、七重の村にも、冬囲に包まれた桑の幼木があった。
この冬さえ生き延びてくれれば、春を見て、来年は見違えるほど大きくたくましく育ってゆくだろう。
先祖代々の八王子千人同心の魂を受け継ぐ若者達。
桑の幼木と、若者達の命・・・なんだか似ている。同じように悲しい宿命を負った。
明治元年の「榎本チーム蝦夷到来時」の戦に於いては、彼らの中、30代、40代の死者が目立つ。
大人達が、我が身を犠牲にして、必死で彼らの犠牲を最小限に留めようとした様子がうかがわれる。
実に痛々しい。
・・・(但し、住職さんの手記には「屍あれど姓、住、相解らず」と書かれた
ものがあったから、地元府兵を軽んじていた新政府には、役職者クラス、大人の名リストはあれど
若者クラスを軽視していたため記録に残らなかったという意も否定はできないのだが・・・)
それなのに、翌年初夏の箱館戦争クライマックス時には、二十代どころか、十代の犠牲も
めちゃくちゃ多発した。大人達があんなに必死で守ったのに、容赦なく粗末にされた。
同様に、桑の幼木も、戦火で焼かれて消えた。何もかも、水の泡。
なんということだろう。昨年死んだ大人達はきっと、草葉の陰でさぞ泣いたことだろう。
峠下他蝦夷の_八王子千人同人移住隊は・・・
志は極めて高く、学識もある特殊なブレーン。武術にも長けており勇敢なチームだ。
榎本が「北辺の守り&開墾の精神」を説いているわけだが、彼らにしてみると、
それは、「俺達のせりふ!」である。
いちはやく、蝦夷において、言うなれば、ジャパニーズフロンティア精神に則って、
可能性を発掘&発展を担おうとしていた彼ら。
彼らは、まずはこの地に生活基盤を確立すべく農耕に精を出し、
しかし、目的はそこに留まらない。まずは活基盤の確立。数年は飢えと戦いながら、ひたすら
日常の糧に追われ細々生を繋ぐ生活になろうとも、それを乗り越え、数々の困難を克服した暁には
必ず、より一層豊かで先進的な独自の世界を創ろうとする志である。・・実に高尚な人々だ。
基盤が確立できたら、そこから初めて、各々が携えている知識と経験をフルに活かし、
より一層豊かな暮らしができるように村を潤し、高度な師弟教育に勤しみ、
また武勇を奨励し、襲い来る外国の脅威にも立ち向える世界・・・「エデン(創世記、理想郷)の里」
みたいなものをイメージしてやってきている。
実に先進的な発想と彼らの行動力、そしてなんといっても不屈の精神には脱帽だ。
◆この発想はどこから来たかというと、
・・・彼らの共通の観念「北辺の守り&開墾の精神」だった。
現在の頁下欄にある「蝦夷の逆クーデター未遂事件」の
中枢に立った者の一人、「平山金十郎」の祖先「平山行蔵」などの説いた思想による。
八王子千人同心といえば、土方歳三達もそうなのだ。
徳川報恩の為、忠誠を誓い、命をも惜しまない武蔵の男達。
もともと徳川により滅んだ武田の血をひく。しかし、徳川の場合、まるごと武田を
滅却せず、意を解して援軍に入った者には、自由と帯刀、姓を名乗る等の「自由と誉」
を与え、尊重した。武芸のみならず、武田の優れた治水技術をもつ者が、徳川に引継ぎ
貢献した者もいる。
その為、徳川報恩のため命をもいとわない勇士が育った。
その一方で、彼らの祖父母に「遠い昔、武田の地は徳川よりも、もっとさらに清らかで
美しかった」と聞かされた者は、その独特の文化に郷愁の念を抱いて育っている。
もとをただすと武田の武士だった人の家系が多い。
だから皆、高潔で、勇敢なのだ。
彼らが創ろうとしていた「エデン(創世記、理想郷)の里」みたいなものとは、
生半可な憧れによるものでなく、その為の試練を覚悟した不屈の精神だった。
この世代に生きる彼らにとって、武田の地とは、あくまで遠い昔、一種おとぎ話みたいな
ほんわかした存在に他ならないのだが、やはり、家系であり、血筋であれば、その思いは
はるかなる武田時代への思慕に繋がっていなかったとはいいきれない。
徳川の天領を抜け出して、わざわざこの蝦夷の地に赴いたからには、
堂々と胸を張って、今までとは異なる本当の自由とプライドをもって悠々と暮らせる
花園を子孫の為に創りたかった。それはまさしく、徳川に間借りしたものでなく、
堂々、自分達の独特の世界。
このへんが同じ千人同心でも
、
「土方歳三」
達と少々異なる方向性を示したことになる。
しかし、悲しきかな現実は・・
厳しい自然環境の中、移住者達の暮らしは想像以上に苦しかった。
激寒、不毛の地。携えてきた種子物はほとんど発芽せず、明日の食にも事欠いた。
体力の乏しい幼い子が命を落とし、貧しく医者をよぶこともできず、
老人に限らず、お産直後の若妻を失った者も少なくない。
白米などは、彼らのうち、まともに口にできた者など、まずいない。
悪質の土地環境で、多少なりとも早期に実りを可とするものといえば、せいぜい粟か稗、
蕎麦位のものである。糧のいざないに猛烈な労力を要するため、蕎麦の実が実っても
流暢に蕎麦を叩いて麺にして食べる暇がない。臼で挽いて粉にするだけの時間抽出だけで精一杯。
湯をかけて蕎麦練りを食することができたら、ご馳走、贅沢の極み。ご先祖様に感謝した。
現代の感覚でいえば、粟か稗というと、十姉妹の餌か、どっかの名物御菓子(固有名詞避けました。
人によっては大好きかもしれない。)を連想してしまってほとんど魅力を感じないのだけど、
穀物が口に入ることがあれば、実にありがたいことだった。
野菜すら、まともに育たない。移住の際、大切に携えてきた種物の類だが、温暖な気候で育った
「THE_本州産」の種物は結局、役に立たなかった。当たり前のように発芽し、当然のごとく育つ
大根など基本的な野菜類ですら当初は失敗、皆愕然とした。
粗末な藁葺き小屋。栄養失調。哀れ幼子の命は天が剥奪した。
当時の蝦夷では、米は逆立ちしても生産不可能だった。古くから松前が幾度も試み、
失敗している。いわば、蝦夷は別世界。異郷の地。世界が違いすぎたのである。
豆類が唯一主食の類なのだが、その豆類がまともに実るまで、三年かかる。
泥炭地の土質を改善し、養分を含み、水吐けがよく、肥えた地質の畑にするまで、
豆すら育たないからだった。
蕗やわらびなどの粗末な山菜を唯一副食となし、馬鈴薯を入手できた者は、主食の代用となして、
辛うじて凌いだ。といっても当時の技術では、食を満たすに値する生産量にはおぼつかない。
蕗かわらびなどの山菜。足りなきゃ、本当に草の根を噛んだ。
◇寒さと◇飢えにに加えて、◇水害などの天災、おまけに◇鳥獣害
やっと芽生えた植物は、早々に野獣の被害に会い絶望する。
野獣の被害を免れ、安堵の胸を撫で下ろすやいなや、時ならぬ寒波が押し寄せ、
実りの秋を待つ作物がたちどころに全滅した。
それでも粘って、春まで生き伸びた者は、不屈の精神で再度試みる。
ところが、農作業の際、◇猛獣ヒグマの餌食になり命を失った者までいる。
海の幸に恵まれた蝦夷といえども、彼らの口には滅多に入らない。
身欠き鰊(干した鰊)ですら、上記の状態であるが故、現金を手にできるようになるまで、
月日を要することから、滅多に食することができない贅沢品だった。
鮭は?と単純な疑問がわく。山盛り捕れたんでないの?・・否、売ればいい売値がつく。
「内地」に運んで重宝される商品は、商人が根こそぎ独占。すぐそこの川で捕れるなら
よいが、そうでない場所がほとんどなわけで、結局、少しも口に入らない。
箱館の一部の豊かな商人達の食膳とは雲泥の差である。
それで尚、なぜこの地に
屈っして去ってゆかなかったのだろうか?
帰る費用もない。帰る場所も、もはやない。・・・といえば、身も蓋もないが、
いかなる不遇にも耐え、厳しい自然環境と戦い続けることができたのは、
実のところ、彼らのプライドだった。
それは彼らの共通の観念「北辺の守り&開墾の精神」だった。
下欄に登場する「平山金十郎」の祖父「平山行蔵」が説いた精神。
・・(
不屈の男、蝦夷の「平山金十郎」:蝦夷移住隊の「八王子千人同心」の宿命
)
「平山金十郎」の義父、「平山鋭次郎」が八王子千人同心の皆を率いてこの地までやってきた。
彼らは半農半士。蝦夷の厳しい自然環境の中、暮らしはほとんど農民。
しかし、志は実に高かった。姿形はボロをまとい、貧しい農民とて、武芸を磨き、
学ぶことはけっして怠らない。
屈せず貫き通せたのは、その志によるもの。蝦夷の地に「ジャパニーズフロンティア精神」を
もって、また、努力して為しえた田畑は、いわば「幻のユートピア」それを自ら開墾をもって
獲得するために・・・彼らの一部がこうして蝦夷に入植してきているわけだった。
ちなみに、秋山幸太郎は養蚕の高度技術者である。
まずは、生きなくてはならないから、必要最小限の畑の開墾を先行してるわけだが、
それは、彼らの構想上、途中経路にすぎない。そこに留まることなくその次なるは
養蚕を広め、民の暮らしを豊かに安住の地と為す。そして次世代に学を奨励し、迫り
来る外国の脅威に対処すべく武芸も磨き、勇敢な精神を師弟に教育をする。
・・・最終目的は極めて崇高なのだ。
ところが、現実は新政府到着が早かったわけだし、
当時蝦夷のラスト奉行「杉浦誠」
が、幕府瓦解情報を聞き知った民が狼狽して町が混乱したため、札を立てるなどして
「政権が移動しても人々に影響はない。」と措置をしている。
また、案の定、杉浦から清水谷への以降は極めてスムーズに行われた(明治元年、6月完了)
ものだから、あくまで民の立場である秋山達は、平穏を選択するわけである。
骨身を削って、数年にも及ぶ試練を乗り越え、やっと作りかけた我らが花園。
彼らの保有する猫の額ほどの狭い畑は、実はこのように、想像を絶する血の滲む努力の結晶だった。
蝦夷地における彼らの開墾の里=峠下は何人にも踏み荒らして欲しくなかった。
結果として、悲しきかな、「エデンの園」は無残に焼き払われる宿命となった。
天災にも負けず、鳥獣害にも負けず、飢えや寒さの犠牲となった家族の死という名の
悲しみをも全部乗り越えた。それなのに、「人災」が、村を焼失させた!!
村は開発途上にあり、秋山達の知恵を持って、今後さらに発展&変化させるための
「年次熟成型構想」その行程にあった。・・・が、しかし、・・・皆無と化した。
蝦夷の地、逆クーデターへの流れ&関連
榎本軍応援派:
◆花輪五郎、◆馬場政昭(照)、◆平山金十郎、◆保坂順隆
◆木津幸吉(写真師)、◆山田寿兵衛(豪商)、◆重三郎(洋食屋)他
【×◆渡辺元帳】、詳細は、この頁内、ぐっと下側にもあります。
◆残念、【×◆渡辺元帳】は寝返って垂れ込み密告_
同じく移住してきた八王子千人同心の中でも割れた。
新政府と徳川、どっちを選択するか!!渦巻いた。
◆1◆
平穏を望むが故、庶民同様に、これは時代の流れだ。新政府でもしかたないなチーム
◆2◆
徳川が大昔武田を滅ぼしておきながら、またしても奪いに来る!!ましてや賊共だ!!
・・・に洗脳されたチーム
◆3◆
惑わされてはならない。新政府とは薩長に他ならない。
「内地」では蹂躙がすでに発生している。ここは、断固徳川を選択すべきだ。
なんといっても我々は八王子千人同心ではないか!!・・のチーム
・・・・・・流れ(Mとは明治)
流1
(M1、2~3月):人々の狼狽
幕府瓦解&新政府発足らしい・・情報はいかに北の地とて、そろそろ庶民にも知れる。
戦が始まるぞ!人々は狼狽した。箱函館奉行所や運上所の人など、幕府の人は応戦するのだろうか?
それとも、皆殺しにされてしまうのだろうか?我々庶民の家や田畑は焼け野原になるのだろうか?
松前の藩主達はどうなるのだろうか?
▼
流2
(M1、3月):
幕府のラスト函館奉行「杉浦誠」が札を立てる。「政権が移動しても庶民の暮らしは同じだ。
安心して仕事に勤しむこと。」
▼
流
3(M1、4月):新政府がやってきた。
▼
流4
(
M1、4月)不発失敗のクーデター(花輪五郎他)
・・・清水谷公考暗殺_未遂
「そんな馬鹿な話があるものか!何が官軍だ。薩長ではないか!」
皆がまどわされる前に、皆を守らねば!立ち上がったブレーンが、あった。_不発に終わり、鎮圧。逃走潜伏。
しかし、内部の裏切による発覚の為、時期が極めて早い。
そのため、組織がまだ小さく、呼応して騒ぐ人が発生するような大事に至らず、
なんら影響力を与えることができなかった。小火のごとくあっさり沈下された。
知らずにいた庶民も多い。
▼
流
5(M1、4~5月)なんと不思議なことに、杉浦奉行の発言は本当かも?
・序々に人々は口々にそう言って安心するようになる。
( 理由1)
奉行所には、従来どおりのスタッフがそのまま残っている。いつもの顔がある。
殺されてないぞ!これは、事務引継ぎ期間だけの者もいるが、米が取れず年貢の発想と
異なる蝦夷特有の元帳は非常に難解。新政府から新たに急遽派遣される者には即時対応できないため、
無抵抗従順な幕府の役人をどっぷりそのまま採用した。
( 理由2)
杉浦奉行は平穏無事に日々、事務引継ぎの手続きを新政府の人と打ち合わせしながら
やっているようだと人々は聞き知る。奉行所内で、殺傷事件など一切発生していない。
▼
流6
(
M1、5月4日)軍艦回天で荒井郁之助と甲賀源吾
・・・杉浦誠に会いにやってくる!!
杉浦日記に記載されている。しかし、記載内容は極短く、
◇彼らが運上屋のお金を軍用金として依頼に来たが、もうすでに江戸に送ったので一銭も無い。
と言って帰ってもらった。◇新政府の参謀_岡本監輔が怒りやってきたが、
「彼らは傷病などの理由で早急に江戸へ帰す必要のある者を船で迎えに来ただけだ」
と言って事収めた。◇実際、回天帰り道には当該人数名(山村惣三郎他)乗船させた。
の3点があるのみ。
軍用金よりも援軍、応援体制のことではないかと考えるのが普通だが、
どこにも、記載無。そもそも、杉浦の意思は固かった。加担する気はない。
▼
流7
(
M1、6月)
杉浦誠
、政権移動、新政府へ完全に事務引継ぎ完了
▼
流8
(
M1、8月)松前藩内クーデター_左幕派家老他を皆殺し事件
・・・新派_正義士と称するブレーン
:詳細はこのテキスト_
空転松前に齎された平和交渉
、
▼
流9
(
M1、10月)_榎本チーム、蝦夷_鷲の木到着
ちなみに、新政府到着は、こうして行われたから、庶民は火事だの、戦だの
心配したわりには全く何事も起こらなかった。
対して、榎本チームの時には・・・ご存知のとおりの結果となった。
人々は影で、榎ブヨとか、ザンギリ(断髪隊士が多かったから)共、早く負けてしまえ!
などと言った。悲しい。しかし、たしかに巻き込まれて命を落とした人、
家を失った人・・・もっと可愛そう。
苫小牧方面に入った八王子千人同の悲劇
八王子千人同心移住隊は苫小牧方面にも、入った。
苫小牧といえば、ウトナイ湖。現在の世では、ラムサール条約、鳥達の楽園、
美しい大自然の湿地帯・・・と輝かしいイメージ一杯。
しかし、彼らの時代、それは悲壮だった。
苫小牧に入った八王子千人同心のお話
蝦夷の人とビタミンの話
蝦夷の八王子千人同心、箱函館近郊と苫小牧、どっちが幸せだったのか?
土方歳三も八王子千人同心
・・・彼もまた悲しい。
同じく八王子千人同心移住隊でありながら、函館近郊である七重や峠下は
こんだけ苦労ばかりしているようでも、実はこの苫小牧方面に比べると
地質という点では、余程マシだった。しかし箱館戦争で多くの命が散った。
こうなってくると、どっちがいいのか、ついにわからない。
松前、クーデター
・・・(詳しくは真上バナー)
明治元年8月_今度は、松前の左幕派家老皆殺しという恐ろしい
松前藩のクーデターが起きた。・・といってもこれは、松前の若手を煽り、
また、鰊で潤い豊かな地ながら松前にずっと屈してきた江差の感情を上手く利用して
けしかけたのは・・・新政府だった。
▲
新政府到着時には、従来どおりの左幕派の家老ブレーンが迎えている。
TOP松前勘解由(TOPというのは、藩主_徳広は病人のため、実質上なんでも、勘解由がやっている。
ペリーに会って難解な対応を粘ったのも彼。(但し、ペリーの頃は、12代の崇広。外国相手の発言
うんぬんで松前が泥をかぶらぬように、藩主の代人として勘解由登場。)
また、維新時に於いて、12代の崇広は死亡している。今度の藩主、13代の藩主_徳広は病人。
こんな大切な時に、まさか藩主は病気だ!と他所に気付かれては困る。いつも粘り倒した。
表舞台に立つのは、いつも勘解由。しかし、別派閥から、彼は相当妬まれている。)
清水谷一行の市内案内掛は、「山下雄城」が請負った。
まさか、この後、新政府が、反対派分子の感情を利用して、左幕派暗殺クーデターを嗾けて、
自分も殺される羽目になろうとは夢にも知らず、満面に笑顔。親切に頑張った。
彼ら勘解由ブレーンは経験豊かで、対外情勢にも明るく、高度な指揮能力を有した古くからのブレーン
である。しかし、左幕派といってもお家存続第一発想で日和見。本音は左幕で徳川のほうがよいの
だが、どうやら徳川はもうダメそうなので、新政府が立つならば、それに従うべく対応している。
しかし、一方では、奥州列藩同盟に使者を送っていることは新政府にバレていたのである。
松前に取り残された妻女達推察
蝦夷の地、逆クーデター
◆花輪五郎、◆馬場(真太郎)政昭、◆平山金十郎、◆渡辺元長(←密告)
▲ひとつ上(=真上のコーナー)内のクーデターは松前藩内、武士達の事件。
対して、▼現在の枠のクーデターは知的庶民が新政府を阻止すべし!と立ち上がった事件。
明治元年、1868、4月蝦夷に到来した新政府「清水谷公考」を暗殺すべく
密かに談義を交わす者がいた。
蝦夷の地、逆クーデター
・・・不発!失敗に没した「清水谷公考」暗殺計画
◆花輪五郎、◆馬場政昭、◆平山金十郎、◆渡辺元長(←密告)
である。
ところが、職業が医者である上記「渡辺」が転び、密告、垂れ込んでしまった。
清水谷の手下が押し入り、全員捕縛寸前!
◆馬場、平山は逃走に成功。
◆主犯格と垂れ込まれた花輪は、肝のどっしり据わったツワモノである。
逮捕寸前に「連判状」を食べてしまった。
本当に食べた。証拠隠滅、火に燃やす暇など無い緊迫状態にあった為、これは見事
飲み込んだのである。
・・・・しかし、残念逃走後の生死は不明。
◆対して、
・逃走&潜伏の馬場、平山は最終的に、維新成立後、偽名を用い、別人になりすまして
ちゃんと蝦夷に帰ってきて、開拓の技術を学び、精を出して頑張った。
どちらもインテリ指導者的タイプ。晩年、平山は教育者となり、平山先生としてなら知っているが
そういう経緯の持ち主だったとは全然知らなかった・・・という人も多い。
◆
平山金十郎
は特に幕軍に対して、本当によく貢献した人物。
こんなに頑張った人の話が、幕軍系各日記などにあまり登場しないのはとても残念。
・・★榎本軍では、中島親子(
壮烈終焉_中島三郎之助親子
)が暮らした「千代台陣屋」を
・・拠点として、中島チームに専属。
・・だから、みんなが降伏した後も、尚も降伏せずに玉砕した中島チームと共に
・・最期の最期まで頑張った人の一人。
・・しかし、実にこの人物の頼もしいところは、とにかく捕まらない!逃げ切るところです。
・・並の業ではない。捕まれば斬首。それを突破。逃げ切りました。
・・中島チーム壊滅寸前、湯の川まで落ちて、漁師に変身して漁船を操り逃走。
・・そして上記のとおり、蝦夷に帰ってきて、蝦夷の土になった人物。
順番が前後するけれど・・・
★
平山と榎本の出会いについて
★
◇ある日、榎本の元に、それまで潜伏していた平山登場。
(クーデター失敗、捕縛の手を逃れ、山に籠もっていた。この人物を慕う村人が
命掛けで隠れ忍んで、闇夜に紛れ、食物を運んだので、辛くも存命していた。)
五稜郭に登場した平山は、まず、経緯を説明し(貴方を応援しようとクーデターを試みたが、
捕縛の手が回り潜伏していた。)
贈り物として、馬一頭と平山家に伝わる名刀一振りを捧げた。
(しかし、命からがら潜伏状態。だから、馬はだいぶ痩せて少々弱っていた。オヨヨ。
大自然の中、苦しい開墾生活の中で保存してきた刀、あんまり大切に持っておいたものだから、
くっついて取れない。しかたないから、ふたり掛りで引っ張ったら、おっと錆び?。
・・・コレ、榎本軍の賄担当
伊藤源左衛門
(もともと五稜郭の賄いだったため引き続き榎本軍奉公した
人)の談話によります。
◇上記、伊藤源左衛門さんは、平山先生について、こんな情報も齎しています。
・平山氏はかなり大柄、頑強な体
・我こそは、「朝比奈三郎」の末裔であると名乗った。
・・コレ、そんなわけないと思うのです。朝比奈三郎に仕えた平山行蔵の・・・という話が
賄いの伊藤源左衛門さんの記憶違いで、「末裔と名乗った!」になってしまったと思います。
◇ほとぼりがおさまって蝦夷に戻ってきた平山さんは
名前を「岩次郎」ということにして、七飯勧業試験場に夫婦で住み込み普通の平凡な小作人の
ような風に装って暮らし、実は、ここでは
エドウィンダン
という外国の技術者が最新の農業技術を
教えてくれるところだったので、それをしっかり学習するのが目的。
やがて、峠下に戻り、塾を始める。平山先生になった。そして戊辰の戦友、馬場政昭にも再会できた。
平山家と、本人にについて・・MORE
▼
◆花輪五郎と飯田某氏について
◆花輪五郎:彼は八王子千人同心でなく秋田出身。箱館奉行所に勤めていたが、新政府受け入難しとして不満退職。
死亡確率濃厚。自刃説有力。◆馬場政昭については、現在頁下側追記有。
清水谷暗殺計画が内部告発にて発覚し、捕縛騒動の時、平山、馬場は逃走できましたが、
厳密にいうと、この花輪は、血判書を口中飲み込み無事証拠隠滅したのですが、やはり捕縛
されてしまいます。
その時、牢の番人だった
「飯田某」氏の悲劇
が起こります。
容疑者達の連行業務を背負った飯田氏は悩み懊悩します。なぜならば、彼は、この花輪氏の
かつて部下でもあり、また花輪氏を師として深く尊敬しているのです。
「飯田某」氏は悩みます。
このまま入牢させれば、いかに証拠がない(連判状を花輪氏が口中に飲み込んで証拠隠滅した為)
にせよ、なんらかの冤罪でもって、斬首されるのが見え透いているのです。
だからといって情に流され、彼を今逃がして救えば、己は捕らえられ、愛する家族は
路頭に迷い、激寒のこの地、きっと死に絶えてしまうことだろう。
苦しんで、苦しみぬいて、自己嫌悪。
徳川こそ誠とまで思わないにせよ、新政府という名でありながら、実質上薩長なのだから、
勇気をもって実行に及んだという花輪氏の志に涙が出るのです。
それは、己の為ではなく、今こうしてここに住む皆のためだったことも痛いほど解るから
でした。八王子千人同心の心なのです。
連行途中、彼は、なんとついに実行に移してしまいました。
「先生!お逃げ下され!」
・・・これによって、花輪他5~6名は放たれました。
しかし、当然のことながら、飯田は捉えられ、ひどい拷問を受けます。
このような経緯から、恐らく、悲しい結末。彼についてわかっていることは「拷問後、入牢」と
あるだけです。花輪氏は絶望、自刃説が通常です。
★★!ところが、思いがけないところに、なんと存命情報発見。この情報を落としてくれたのは、
上記の伊藤源左衛門さん。
平山さんが、上記のとおり、どったんばったんと榎本チームに現れた後、飯田さんの話が出て、
念のため、牢内に閉じ込められてる人々を確認したところ・・・居た!なんとか生きてた!
さっそく出してもらって、中島三郎チームの下の平山小隊の兵になったんでないかい・・・と
上記の伊藤源左衛門さん曰く。
しかしながら、戦争中無事生き残ったかどうかまでは伊藤さん、ご存知ないようです。
平山さん達、八王子千人同心蝦夷移住隊達の碑があるところに、飯田○○さんという人の
献金と貢献の様子が伺われます。しかし、この飯田さん本人なのか、親戚なのか、
そのへんはよくわかりません。
できれば、生き残って、明治を生き抜いていて下されたよう・・・祈ってます。
他にも蝦夷のドタバタ劇多発
蝦夷ラスト奉行の
杉浦誠
が大人しく恭順してしまった。部下達の中には、やはり不満な者もいた。
岡本柳蔵他10名は、不満ながらも杉浦に従い箱館府兵になったものの、我慢できず、
新政府に逆らった。案の定、入牢。
また、上司の杉浦誠に意向に沿って、大人しく新政府の手下にシブシブなっていた兵の内、
榎本軍を迎え撃つ真っ最中に、突如、反旗を翻し、榎本軍に合流した小隊もあります。
▼
いくら上司の命令でも、彼らは、先祖の代から世話になった徳川を撃ちたくなかった。
その上、命を下した張本人杉浦は江戸へ帰り、自分達は置き去り。(後日別編にてご案内。)
他にも一杯。
ドタバタ劇多発
。
箱館戦争勃発時の「七重、峠下近郊在住_八王子千人同心蝦夷移住隊」総体
新政府側から見る彼らとは
・・・もともと、徳川報恩精神の塊、八王子千人同心。要注意の発想。
現在頁、中程にある「
蝦夷の地、逆クーデターへの流れ&関連
」の行記載のとおり、
同じ村に暮らす者同士、皆、徳川応援に立つか、新政府かと、真っ二つに割れました。
初期に、徳川応援派のクーデターが不発のままに取り潰しを食らっています。
その後、奮起して多くが時勢を加味して、必死で新政府応援の姿勢を示します。
意思を明確にして、村と若者達次世代を守る為、己の命を犠牲にしてまで、痛々しい程に戦います。
ところが、新政府側から見る彼らとは、兵として使うに丁度良い存在でありながら、やはり、
目を斜に構えて扱っていたことは、いたるところに感じられる。
■村が二分した様子
<新政府に反旗を翻したチーム>
:上記の蝦夷地逆クーデター枠ご参照
◇馬場政昭、◇平山金十郎他
<新政府応援チーム>
■案内役(年配の者、村の知識人):◇馬場八百三、◇坂本嘉七郎、◇坂田角蔵
■戦闘部隊(壮年の者&若手兵)
:◇秋山幸太郎、◇野口太一郎、◇安藤重三郎、◇斉藤順三郎の兄
・・他千人隊32人
(八王子千人同心蝦夷移住隊)
■大砲隊:◇三村平太郎、◇轟緯太郎、◇秋田八三郎、他
■スパイとして榎本軍に紛れ込んだ者:斉藤順三郎(発覚して斬首される。)
■秋山幸太郎
(現在頁最上段TOP枠ご参照)
(
秋山幸太郎の墓
)詳しくはこちらの頁 (
敵への報恩_長州編内_蝦夷の英雄_秋山幸太郎コーナー
秋山は完全に新政府応援派に立ち、戦闘に挑み殉死を遂げます。ところが、その墓は昭和後期まで、
まるで「石っころ状態」のまま放置されていました。
いろんな資料を読み合わせてみたところ、この人物達は、真っ先に、新政府応援姿勢を示したにも
かかわらず、同じ村の中、上記クーデター派が居た経緯から、余計な嫌疑をかけられています。
殉死したのに、粗末にされていた訳が、なんとなく経緯から推測できます。
他にも、新政府から派遣された者の発言に、唇噛んで耐えた者の経験談は幾多。
差別扱いに苦渋しています。例えば山道の地理を聞かれ、それまでデスクワークだった者に
とって、そんな山奥の事、ましてや道無き獣道なんて解るわけありません。ところが頭ごなしに
罵倒されています。はてして、本当に薩長の世を支援して良いのか?一瞬戸惑った人物も居ます。
戦闘に立ったのは、秋山達ですが、もう少し高齢の者達は、道案内等に駆り出されます。
馬場八百三、坂本嘉七郎、坂田角蔵(村の長たる存在の人達)などが担当します。
このうち、馬場八百三は特に、悲壮です。長男は、
馬場(真太郎)政昭。
上記クーデターの張本人で
あり、この段階では、逃走したもののお尋ね者。罪人の父ながら、村人の指導的地位であり、この地に
係る知恵袋でもある。父ながら捕らえられず許された以上、涙ぐましいほどに貢献。もう一人倅が居る為。二男は、「民則」。父として、そして、村人の犠牲を増やさぬ為、必死の姿、泣ける。
■馬場親子
・・馬場八百三(父)と、子【(長男:馬場(真太郎)政昭)+(二男:馬場民則)】について
馬場八百三(三=蔵とも書く)
八王子千人同心蝦夷移住隊。 開拓。下記二人の男児を連れ、安政3年(1856)蝦夷の七飯村へ。
上記のとおり、箱館戦争時は、新政府側の道案内役に任命される。
馬場(真太郎)政昭
(清水谷暗殺クーデター参加者の一人:八百三の長男)
平山同様に、未遂クーデター事件後、逃亡潜伏。榎本軍に入り、戦うが、結果榎本軍敗れ、
官軍に捕縛され、謹慎は金沢藩。弟の「民則」回想によれば、「以降の政昭はキリスト教の
人となる。」止まりだが、別資料を合わせると、明治の世、政昭も平山と同様、名を変え、
七重や峠下に帰ってきている。
馬場民則
:安政元年(1854)~明治41(1908)年
(八百三の次男:馬場(真太郎)政昭の弟:江戸生まれ)
父の軌跡から、民則は僅か2歳の時、極寒の蝦夷に連れて来られたことになる。
明治の世:代言人(弁護士)。日刊新聞「北海」発行にも尽力。 明治の世、貢献。
◇学問や武術の師匠
◎野口太一郎、◎平山鋭次郎(=平山金十郎の父)。
◎他に、「英式歩兵操練」に関しては、平山金十郎からを学んでいる。尚、兄とこの平山は、
戊辰時榎本軍加担歴を持ち、その一方で父は新政府に徴集されて道案内役。
戊辰時、民則は14歳の為、幸い参戦していないようだが、実に複雑な心境で少年期を体験。
父と兄は、心と裏腹、敵味方の立場に配属されてしまった。
◆
哀れ、「御雇い」とは?
■
荒井信五郎
榎本到着の時、いちはやく新政府に伝えた人物。鷲の木在住御雇い。大手柄の男は、この後すぐ冥土へ。
鷲の木在住といえど、出元は、同じルーツ。八王子千人同心。墓も同じところ。
「御雇い」とは:八王子千人同心蝦夷移住隊は、他にも各地。ところが、この七重や峠下は地質的に
まだマシだったわけで、入植した場所によっては一家全滅。努力しようが耐えようが絶望の地も。
そこで、幕府は、彼らの救済措置、地役人の最下層、現場職のような存在ながら、「御雇い」とした。
彼もその一人。新政府が入り込んで来た時、勝つ見込みなど全くないにも関わらず、片手にも満たない
わずか数名のみで、大勢の軍勢に反旗を翻し、徳川報恩、殉死を遂げた「御雇い」は、蝦夷内の別場所に
も居る。
その点、荒井信五郎は、敏感に時勢を汲んで、早期に新政府応援姿勢を示した者であったにもかかわらず、
皮肉にも答えは同じことになった。死んで埋もれて消えた。
・
荒井信五郎政吉の墓
_明治2年5月2日死亡。七重宝琳寺。武蔵国多摩群楢原村(静岡県士族)
蝦夷在住の「平山金十郎」について
文章解説(c)by rankten_@piyo、
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