「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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柴田伸助,箱館戦争,咲けよ!夢花
幕末WITH LOVE,箱館戦争,中島三郎助えとせとら特集より,浦賀同心_柴田伸助,咲けよ!夢花_浦賀同心:柴田伸助,浦賀同心_柴田伸助,中島三郎助のえとせとら:血縁,中島三郎助と共に千代岡で戦死した人,中島三郎助を反射鏡に映し出した幕末あれこれ年表,【楽天市場】
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幕末_WITH_LOVE玄関
_函館戦争の余波<咲けよ花!無名の英雄達<浦賀同心_柴田伸助
咲けよ!夢花 天に咲け!
無名の英雄達_SERIES
浦賀同心_柴田伸助
埋もれた魂、不義への闘い
壮絶終焉、中島三郎之助親子
徳川報恩、不義への闘いを挑んだ榎本軍。しかし、運命は、彼らの瓦解劇と繋がる。
土方歳三を失った幕軍の運命は、もはや明確だった。
しかし、五稜郭勢全員が降伏した後も、中島だけは、それを拒んだ。
そして、運命は、千代台に集結した中島隊、全滅の悲劇を呼んだ。
隊長_中島が散った後、長男、恒太郎は、抜刀して敵中突入して果てた。
散ると知りつつ、突入して果てた。
わずか19才の弟、英次郎も砲弾に打ち砕かれ散華の悲劇を遂げた。
箱館の海風が吹き上げてくるこの丘。
ひゅるり、ひゅるりと、上空で鳶が鳴いた。
見上げれば、その空には、積乱雲の欠片。はやくも、夏の兆し。
徳川平穏二百六十余年の世は、あたかも夢物語のごとく。
新たな季節の到来に取り残されたまま、埋もれ消えようとしていた。
■
中島三郎助と蝦夷桜
(資料と転回込み長編)、■
壮絶終焉,中島三郎之助親子(ジャスト終焉時短編
官軍圧勝!戊辰の閉幕
戦後状況確認の為やってきた敵の偵察隊。
何事もなかったかのように、澄み渡った青い空。
爽やかな初夏の風が頬にそよぐ。
長かった戊辰戦争が、完全に終結したこの瞬間。
しかし、天は、このアンバランスを
どう解釈せよというのだろうか。
目の前には、折り重なるように、連なる遺体の山。
それは、無残にも大地に倒れた浦賀同心達姿だった。
十五六の少年も多い。浦賀が新政府に接収され、家族は駿河落ち。
中島を慕い、徳川の為に不義への闘いに挑んだ。哀れ、少年達よ。
仕事柄、外国語知識も豊か。安全な運上所で事務担当だった子も、
この期には、自ら志願して、皆中島のもとに結集していたのだった。
卑劣にも、己だけ生き残るまい。純心な少年達。
官軍の将は喇叭手にファンファーレを命じた。
その音色は、高らかに緑の大地に響き渡る。
・・・勝ち誇ったこの喜び。官軍の兵達は皆、感動の余り、涙に泣きぬれた。
アクシデント
しかし、次の瞬間、予期せざるアクシデントに、現場は騒然となった。
突然の銃声音!!
物語らぬ死者達の群れ。その中から、突如、銃声音が鳴り響いた。
まさか?錯覚か?・・・
疑う間もなく、なんと、その誇り高きファンファーレは、・・・
突如途切れた!!
哀れ、喇叭主。血に染まり、地べたに崩れ落ちたその姿。
振り返ると、津軽の兵も絶命している。
それは、一瞬の事件だったのだ。
真昼の幻覚、老人の姿
戯け!曲者!!
いきりたつ官軍。全員が銃を構え、あたり一面見回した。次の瞬間!一斉に銃口が火を吹いた。
既に終結したはずの戦闘が、再び開始されたのである。
一瞬の隙を狙われたこの惨劇。官軍はただちに総攻撃の体勢に切り替え、緊張が走った。
「討て!討て!一人残らず、撃ち殺せ!」
上官の命令に、兵達は一斉射撃を開始して、たちまち砲煙が立ちこめた。
がしかし・・・、どうだろう。そこにある光景は、既に息絶えた屍の山。
官軍は、もの語らぬ屍相手に暫しの間、
必死で戦闘を挑んだのであった。
亡 霊
ところが、次の瞬間、皆は我が目を疑った。
折り重なる屍の山。その群れから数歩離れた草むらの中、
突如、亡霊が立ち上がった。
・・・それは、よろめくように立ち上がった一人の老人だった。
再び、無数の砲声が鳴り響いた。
哀れ、老人は既に絶命している。
大地に崩れ、絶命した老人の姿。
だが、それは、誰の手柄でもない。一斉射撃は既に手遅れだった。
その老人は、立ち上がるや否や、自ら銃口を己のこめかみ(
追記
)に当て、瞬時に自殺していた。
史実とは、一種惨忍なのかもしれない。あまりにも、あっけない瞬時のできごと。
これ以上、何一つ列記しようがない。
・・・・
草木が萌えて、やがて地に枯れ行くのと同様に老人の死は、その日のうちに、
官軍達の記憶から、完全に消え果てた。
打ち砕かれた名誉の『ファンファーレ』
死者に口無し・・・
それでいて、官軍の将ともなれば、やはり兵達とは異なる。
こやつごときに、官軍の魂は、損傷した!!屈辱と、苛立ちが消えない。
悔いた。たった一人の老いぼれ相手に必死になった己が嘆かわしい。
小癪にも、この老人は、名誉の官軍、そのファンファーレを瞬間に打ち砕いたのだ!
論より証拠。亡霊のごとく立ち上がり、
その姿を見せたのは、彼の最後の抵抗であろう。
老人は、喜びの歌を歌わせまいと、それを封じて、死んだ。
目の前に横たわっている屍は、まさしく老い耄れではないか!
生きながらにして朽ちたも同然。吹けば飛ぶような小さくやせ細った老人の屍。
時代錯誤の義経袴。しかも、それは破れて襤褸同然だ。ちっぽけな・・・ただの老人。
一人の老人、その魂
しかし、天は、そんな一人の老人の死を皆無にしなかった。
一振りの刀が、彼の魂を、見事、天に召した。
鬼の官軍なれど、人は人。皆、人は同じ。草木に埋もれ、やがて土に還る日。
それは、明日は我が身のこと・・・。 将は兵に命じた。
襤褸布のごとく地に臥した老人の遺骸。その横に置かれた刀を検証させた。
命を受けて、迅速に遺骸のもとへ駆け寄った一人の兵。
彼は、思わず愕然となった。
古呆けた刀、その年季たるや、尋常ではない。兵は、それが名刀か否かを即時鑑定できるような
者ではない。実のところ、腰が抜けかけた理由は、他にあった。
なんと、その刀たるや、鞘が折れて、蔓で巻きつけられた使いようもない古刀なのだ。
農兵でさえ、こんなものは手にしない。津軽の徴収兵は、その多くが地元農民である。
この隊も福山なのだが、津軽の農兵は捨兵のごとく、薩摩や長州、他諸藩にばらまかれていた。
彼は、士分の者と異なり、上記のとおり、あたかも捨て兵のごとく、薩長に差し出され、
聞き取れない方言で指示されてはうろたえ、日々翻弄されていたのだ。
古惚けて手垢に汚れた襤褸刀。そこには、彼の名そのもの以上に、年輪にも等しい確固たる一人の男、
その存在が浮き彫りにされていた。
そこに記載された名は、浦賀同心、柴田伸助。
一人の一兵卒。津軽の兵は、その名を記憶した。否、仲間を撃ち殺した憎い仇敵の名が、
脳裏に焼きついて仕方ない。なぜか、心と裏腹、勝手に記憶に沁み込んで
消えようとしないのだ。
やるせないこの思いが、やがて
柴田の魂を救ったのかもしれない。
時代遅れの男に惚れて・・老人の名は・・・
涙の報恩殉死_柴田伸助
老人の名は、浦賀同心、柴田伸助
中島三郎之助が、徳川報恩なれば、
この男はとことん、中島報恩に命を捧げたのだった。
その話は、額兵隊頭取の「荒井宣行」が著した「蝦夷錦」に始まり、
波乱万丈の人生を貫いた老齢の高松凌雲(医師)の談話によって、さらに深められた。
幸い生き残ったかわりに、その分人一倍苦労した高松。
高松が、巡りあった段階では、ただの老人と軽んじていた男、それが柴田だ。
ところが、高松は最終的に、この「時代遅れの男」に心底惚れていた。
発端は、入院患者の一人、柴田の倅にあった。
生前、中島三郎之助は、高松凌雲に、こう語った。
「あの男はのう、まるで、馬鹿正直の手本みたいなやつじゃ。
先生、宜しく頼みますよ。」
その時、遊撃隊で活躍するはずの一人の男、柴田真一郎は
病気に倒れ、生死を彷徨っていた。
柴田伸助の倅である。伸助は既に奥羽東北方面の戦闘で、
真一郎の弟、つまりもう一人の倅を失っている。
この子も連れてゆくのかと泣いた妻を説得して、二人の倅を共に連れ出した柴田。
冷めヾと泣き崩れる妻の肩をそっと抱いて、彼はこう語っていた。
「中島様がもし、いらっしゃらなければ、俺は既に、この世にいない。
俺が生きていなければ、お前にも巡りあえなかった。子にも恵まれず、
それどころか、子の可愛さも解らぬ愚かなただの若僧のまま、
冥土入りだったのじゃ。
それを思えば、中島様に尽くすに於いて、まさか、子惜しさに
一人だけ残すような卑劣な真似ができるものか。
中島様に頂いたこの命。されば、授かった子の命も如何とす。」
妻に負けぬぐらい、心から子を愛する夫の決断。見栄でもなければ、虚勢でもない。
たとえ、老いて、長年連れ添った夫婦とて、愛は変わらない。
愛し合って結ばれた遠い過去。その拠点が中島にあるという。
黙って、妻は頷いた。
そんな経緯から、柴田は必死だった。
病気に倒れた我が子。生き残りの真一郎。彼まで失ったのでは、
父は生き地獄である。柴田は我が子の介護を、中島に頼み込んだ。
中島が断るわけなど、どこにもない。この男は哀れなほどに純粋
かつ忠義の代名詞のような男だ。
それに、なんといっても、中島が長崎伝習所に安心して就学できたのは、
この柴田のおかげだった。
実のところ、長崎伝習所の話は、柴田本人にも来たのだ。
当時諸外国の脅威に緊迫の浦賀。
同心とて、当然他のどの地域よりも、浦賀が優先視される。
勤勉、実直な柴田も例外ではない。
ところが、問題があった。研修は有り難いが、その間浦賀を守れる者が
完全に不足となる。柴田は自分がすでに中年で就学に不向きであると謙遜。
実は中島のために辞退した。
中島とて、こうなれば、いてもたってもいられない。
そんな柴田、彼に、倅の死に目に会わせてやれない程度、
そんな己の技量ならば、生きる資格がない。
早速、高松に頼み込んで、柴田を介護掛と称して、病院に引き受けてもらった。
実のところ、高松は、柴田と初対面ではない。
昨年の8月、榎本艦隊スタートの段階から顔見知りである。
中島には即答でOKした。
といっても、けっして気に入っていたからでない。
むしろ、呆れていたのだ。当時若かった高松から見れば、
どうしようもないただの老人としか、見ようがなかった。
どうせ、老人。兵として使い物にはならない故、子の介護を口実に、
体よく中島が病院に押し付けたのであろうが、他ならぬ中島なれば、
引き受けただけのことだった。
蔓巻きの襤褸刀
(晩年の高松先生の回顧談から)
榎本艦隊、大脱走のあの年、1868年の8月、初対面の印象はこうだった。
開陽の仕官室でなにやら事務のような事をやってる老人。几帳面はよいが、
帳簿に、なにやら細々と、訳のわからぬ事を大層丁寧に書き付けている男。
こんな老人連れ込んで、どうするのか?榎本の気が知れない。
その上、こんなこともあった。
嵐を掻い潜って、やっとの思いで無事、仙台に着き、宮古湾に停泊していた頃。
柴田の刀は、鞘が割れて、使い物にならなくなった。中島と彼と三人で陸の
ちょっとした温泉に入浴に行った。その時、柴田は、植物のつるみたいなものを
取ってきて、それで壊れた刀の鞘を縛っていた。また使う気になってるんですわ。
本人も老人。刀もボロボロ。呆れたのなんのって・・。
捨てないところをみると、まあ、なんか訳有りの刀だったのかもしれませんが、
それにしても呆れましたワ。
そんな訳で、高松は当初、柴田を内心軽んじていた。
我が子の介護に限らず、老齢に鞭打って、一生懸命よく働くし、人当たりが良く、
円熟の人物にはかわりないものの、一挙一動、内心可笑しかった。
素直に、我が子が可愛いと言えばよいものを、必死で言い訳してるように見えて
しまったからだ。息も絶え絶えの息子を介護しながら、説教をする。
「名誉の戦死以外、わしは親として、一切許さぬ。同じ死ぬなれば、戦場で死ね!
病如きで死ぬは不義同然の罪じゃ。断じて許さぬ!
戦場で討ち死を果たす為じゃ。早く治せ!
早く治さねば、このわしが、一刀のもとに斬り伏せてくれるわ!この親不孝者め!」
高松は可笑しくてならない。あの蔓巻きの襤褸刀で、どうやって
斬り伏せようというのだ。思わず想像して、今にも吹き出しそうだ。
死ぬ為に早く治せ!などど言うわ、元気にならないなら、罰として殺してやる!
とは、なんちゅう論法じゃ!しかも、あの壊れた刀で、一刀のもとに
斬るなどと言うわ・・・
素直に申せば良いではないか!
可愛い我が子よ、早く元気になっておくれ・・・
そう言ってくれさえすれば、高松は腹の皮がよじれずにすむ。
笑いを噛み殺すのも、案外重労働なのだ。・・・つまり、高松、若かった。
しかしながら、柴田の甲斐甲斐しい努力は、涙ぐましい。傷ついた兵達の介護やら、
汚物の処理やら、若者ならば気のつかない所、次から次と仕事する。実に助かった。
倅の真一郎が無事全快した後、高松は直接、頼んでみた。
「このまま病院に居てくれないか?」
ところが以外な回答が来た。
「先生のお言葉、有り難き幸せ。されど、この命、私ごときの命ではござりませぬ。
万事、中島様に頂いたこの命なれば、中島様にお尋ね下さりませ。」
まあ、与力とは、相当偉い人なんだろうな。同心の立場上、独断が許されぬものなのだろう、
そう思った高松は、その旨、中島に尋ねた。
中島の回答は即答。OKだった。
にやにやしながら、中島三郎助が言う。
「困ったものじゃ。あの男の
馬鹿正直は、もう止まらんなあ。」
そして、さらに言う。
「馬鹿は死なねば治らんと申すが、
あの男の場合、それが成り立たんのじゃ。
・・・なぜならば、あやつは既に死んでおる!!」
高松は、中島から、遠い昔のエピソードを聞かされた。
どうやら、中島に切腹を止めてもらった事を生涯の恩と考えているらしい。
随分古い話だ。
死んで詫びる程の事でないというのに、責任感の強い柴田は切腹騒動を起こす。
人が駆けつけ、必死で止めるが、しくじるまいと、刃を奪い取られた彼は、自分で
腸を引っ張り出さんばかりの勢いで暴れて手に負えない。
中島が、駆けつけた。いくら説得しても相手にされない。決心した若き日の中島。
「これほど頼んでも、留まってくれないのか?柴田程の男が、この気持ちを
解ってくれないというなら、おぬしは、たかが、その程度の男ということじゃ。
されば、その男を見込んだこの俺も、同様に『その程度の男』ということじゃな。
解った。俺が介錯をしてやる。そのかわり、俺もその程度の男、
今だ、人を見る目も持てぬ、名ばかりの与力見習いということじゃ。
屑の小僧に成り下がるわ。このままでは、御奉行様にも、父上に申し訳がたたぬ。
よし、俺も切腹せねばなるまい。未練じゃが、いたしかたあるまい。・・・」
・・・・
中島まで切腹と聞いて慌てた柴田は、やっと留まった。
随分古い話だ。柴田がまだ独身時代。されば、命を助けた中島は十代の後半であろう。
恐らく中島も純心に本音だったのだろう。純心が同じように純心な人の心に響いたのだ。
しかし、中島は高松の手前、とぼけて言う。馬鹿正直はあやつだけじゃ・・と。
医師という職業柄、年齢のわりには沈着冷静な高松。
ぐっと年上の中島ながら、内心可笑しい。
しかし、まさか、この時、二人に関して、
終焉の悲劇など予想できようはずはなかった。
柴田伸助
■千代ヶ丘で、中島隊全滅後、一人生き残った老人。折角生き残ったのに、戦後状況確認の為
やってきた敵の偵察隊のうち二人(津軽一人+長州の喇叭手)を銃殺して、自ら銃で自殺した人。
浦賀同心。与力の中島隊に属する者の一人。
■この話は、遺骸を確認した者が側にあった刀の名を見て、浦賀同心柴田と判定した。
その話は、まず抑留中の「荒井宣行(額兵隊頭取)」が誰かから聞き知った。
しかし、その段階では、その老人が誰かは不明だった。
後に、津軽から聞き知って、浦賀同心柴田と判定した旨を「蝦夷錦」に書いた。
柴田伸助の「高島流砲術技術と、元込め連発銃」の手腕
脅威の命中率。たったの三発。されど三発全て命中
柴田は単なる老人ではなかった。この悲劇がそれを実証したことになる。
銃術に秀でる。並の腕ではなかった事の証。
三発の弾は、ひとつも外すことなく全て命中。最後の一弾を己自身に撃ち込んだ。
この人物は、この年齢で、元込め連射式を使いこなしたことになる。
額兵隊達が持つ最新式の銃ではおそらくなかろう。だとすれば三発が全弾。それ以上不可能。
それはまさに、高島流だ。
三弾中、三弾、全て命中!いうなれば、百発百中の腕ではないか!
長崎伝習所に砲術部門代表の一人として留学した上記の柴田真一郎は、
砲術に優秀な柴田の子であり、子もまた父同様に優れていたからこそ、中島が推薦できたのだろう。
嘉永2年6月5日(1849)、幕府は迫り来る諸外国の脅威に、浦賀に、砲術教授として、
下曽根金三郎、及び内田弥太郎を派遣している。(
関連はこちら頁
)
実はこの二人、「蛮社の獄」 1839年(天保10)年5月連座にて、ひとたび痛い目にあった。
尚歯会メンバーの芋蔓式に、高島流派人は潰された。外国被れ大嫌いの
鳥居耀蔵
の刃。
ところが、水野忠邦が鳥居を丸亀に追放。上記事件のおかげで遅れた砲術の発展を取り急ぎ補填する為。
下曽根達が伝授した高島流。それまでに中島も柴田も田付流、荻野流などは習得しているが、
その時代、高島流は数段上
。元込め連発銃。中島本人は、弘化2年(1845)、24歳で入門、26歳で「免許皆伝」。
おそらく、この時、柴田も入門していたと推定される。
年齢から、銃のキャリア自体なれば、旧式時代を含め中島より上だろう。
いかに忠誠心が強いにせよ、武力という点について役立たずの老人なら蝦夷に中島も連れてはこない。
柄の折れた襤褸刀を持っていれたのも、つまるところ、
「いざ戦いなれば剣ではなく、銃」
の発想が、この人物にあったからなのだろう。
上記
ストーリー風に書いた枠内の描写には、前後の絡み都合上、「こめかみに当て自殺した。」と
書きましたが、実際は、長い銃、瞬時の自殺を諮る時、こめかみには不可能ですから、
事実は腹部
です。
しかし、この腹部ということも、腕の実証でもあります。
手元がぐらついて失敗する可能性があることから、大抵こうした場合は、体育座りで、股に挟み両膝で
ぎっちり固定、足の指で引き金。(発射時の衝撃によるぶれを防止するため)さらに、しくじらないように、
口に咥え、己の首骨命中を狙います。自分で自分の腹部命中もすごい腕の証です。
若き日の柴田が、銃を扱う勇ましい姿を
立証してくれる資料には残念ながらお目にかかれない。
しかしながら、これで充分実証されたことになる。柴田は銃の達人だ!
瞼の裏に、若き日の彼の姿が、ありありと浮かんでくる。
いちはやく、誰よりも早い時期、最新式の銃術を。
モリソン号到来時「外国船打ち払い令」
の元、壮烈な砲撃を加えた浦賀勢。
迫り来る諸外国の脅威から、日本を守る為に厳しい射撃訓練に耐え、勇ましく戦う若い青年達。
そこには、若き日の柴田伸助が居る。
柴田よ、柴田!
天に咲け!
一流銃術士、柴田伸助!
天に蘇れ!
柴田伸助&刀について
その刀とは、高松先生が見たあの「壊れたボロ刀」であろうと推定される。
植物のつるを巻きつけ、やっと鞘にぶらさがっている・・・惨めな壊れ古刀。
刀に記載された柴田の名。津軽兵の記憶に焼きついたその名は、やがて人伝に、
額兵隊の荒井宣行の耳に入り、蝦夷錦となって著わされた。
そして、後の世、晩年の高松が、明治の記者団に捕まった時、ふと、別途『蔓巻きの襤褸刀の話』を漏らす。
個々ばらばらの事象が、こうして、後の世、(物好きかもしれないけれど)・・深い感銘を受ける・・・。
■他にも高松回顧談(概略)
・・略・・忘れもしません。明治2年の5月11日でした。お世話になりました。
そう言った柴田。あれは、まさに、涙の別れでした。突如、義経袴のようなものを着ましてね、
鉢巻でございます。太刀を帯たるは、『あの蔓巻きの刀』でございます。
それに鉄砲を持ちまして・・・略・・
この時代にあっても、既に時代錯誤のとんだ古臭い格好の柴田。
しかし、この段階に至って、
高松はすでに、心底、
この『時代遅れの男』
に惚れていた。
時代遅れで不恰好で、どうしようもない老人・・・などという印象は、完全に、高松の意識から
消え去っている。
威風堂々、古武士の威厳に満ちた一人の男
それは、まさに、浦賀同心
柴田伸助の旅立ちの瞬間だった。
・・・その姿を、若き日の高松が黙って見送っていたという。
老齢に達した高松が、記者団の前、思わず、涙を見せた。
水を打ったように静まり返った会場、ここぞとばかり、記者達が必死でメモを取る。
嗚咽を堪える高松。
彼らが紙面上を走らせるペンの音だけが、聞こえていた。
<
完
>
晩年の高松凌雲先生は,
ぼそっと言いました。こーゆーことがあったこと、若い人にも知って欲しい。
史実に謳い込まれる中島親子の終焉。しかし、その直後、こうして、もうひとつドラマがあった。
中島が徳川報恩なら、柴田はとことん、中島報恩。
たった一人の老人と言われ、密かに殉死を成し遂げた彼。彼こそ絶大なる存在ではあるまいか。
尚、老齢時の高松先生のおっしゃる数値、月日などは、時々勘違いがあるようですが、
あまりそこに執着しすぎると、心系を読み落としてしまいます。上記5/11は、多分それどころで
なかったはずだが・・・なんて思うのですが、「人の心」を思えば、大意ではないでしょう。
長く生きた人、人より多くの苦労を乗り越えた人なのだから・・・
柴田伸助の倅、柴田真一郎について
中島三郎助は、己を犠牲にして浦賀の庶務を引き受けてくれた柴田伸助のため、
恩返しを忘れることはなかった。
たとえ、与力と同心の身分の差があろうと、恩は恩である。
彼が浦賀を守ってくれなければ、ぬけぬけと長崎に就学などしてる暇は、どこにもなかった。
中島は、第2期伝習生募集の際、真っ先にに柴田の倅、真一郎をを引っ張った。
その真一郎は、砲学専攻だったため、卒業後、海軍でなく、陸軍に在籍活躍。箱館戦争の際、諸隊の
生き残りは、遊撃隊等に編入された。真一郎もその一人、遊撃隊に居る。遊撃隊の副長格ながら、
下記のとおり、病で暫し振るわないが、末期は己に鞭打ち参戦。
ところが、蝦夷上陸後、真一郎は、早速病気にかかり、終焉までほとんど活躍できなかった。
■致命傷を負い自ら介錯を依頼して果てた永井蠖進斎の首を敵に渡すまいと運んだのは柴田真一郎と言われる。
■同じく、
岡田斧吉
の首を運んだのも、柴田真一郎と言われる。
■但し、この両者どちらかについて余談有り。実績は、副長格の真一郎ながら、こんなリアルな話が残る。
実際運んだのは或末端の少年兵説。
命からがら必死の撤退の際、敵に狙撃される為、少年は、地を匍匐前進で這い、重い首がなかなか
運べない。そこで、頭に被っていた笠を脱いで、その上に首を載せて引き摺った。名も無き少年扱い
いされてる一人の話にて詳細不明ながら、なんだか、妙にリアルですね。
父が中島と高松の相談の上、病院に来て介護係をつとめたため、一応回復。
中島隊に挨拶に来ていることから、終焉時には病を押して、戦ったと思われる。
但し、役職も落ち、彼の活躍を表す書は、今のところ存じません。
この時代の病気といえば、肺病や伝染系の病気以外であれば、傷が原因の破傷風や、
ビタミン不足による脚気などが多く、治療方法が解明されていなかった為、
完治は不可能と言われる。多少時間的に伸びが生じるか否かの違いはあれど、結末は虚しい。
生き残った浦賀勢の末
「青森蓮心寺、蓮華寺賊名前」
に記載有り。
佐々倉松太郎:蓮心寺
直井友之助:蓮心寺
平田千太郎:蓮心寺
本当は:銑太郎
鰐蔵:蓮華寺
蓮心寺で再会
柴田真一郎
蓮華寺で再会
浅夷捷次郎(与力
ところが、この後、なんと、
彼らは幕臣系に値することから、
諸藩の者と異なり、抑留後、国へ
は返してもらえず、冬の箱館へ
逆戻りさせられる。
しかし、終焉時に、真一郎は幸い生き延びた事は明確。
左記メンバー表のとおり、捕虜となる。
しかし、病魔に蝕まれた身体。はたして、
冬の箱館弁天台場捕虜収容所、あの劣悪環境
で、
存命できたかどうか心配。
・・・
関連:箱館弁天台場に戻されたのはなぜ?
無事生きて帰ったが故、父に叱られた佐々倉松太郎のように、
可愛そうだけど、生きていてくれてよかった・・・
そう思えるような逸話を存じません。
どこか、明治の世で、名を改め、頑張って生きていて
くれたなら嬉しいところ。
また、左の表、鰐蔵は、元水夫だが、中島から士分を授かり、
米山の姓を受けている。卒と見なされれば、彼らより早めに
釈放されるが、この場合の判断が、どちらでなされたか不明。
中島三郎助のブレーン&血縁_その1
中島家のルーツ
【中島三郎助えとせとら】No.1
,No.2・・・
中島隊:中島の千代ヶ岡陣屋に関与したブレーン
他隊ながら、中島隊と共に千代ヶ岡陣屋で戦死した人
蝦夷に向かった浦賀勢
■浦賀は新政府に引き渡され、家族は駿府落ち、男衆はまずは江戸結集の上、帰農か新出仕など
判断を迫られる。
■中島の案に同行した者達(赤字=明らかに死んだ人、緑字=明らかに生きた人
■☆印は千代台終焉に居たとされる人物。計10名+中島本人=11人
■マルランはブリュネの呼びかけに応じず、暫し生死を共にする覚悟で居残っていた様子有り。
開陽組:
☆
中島三郎助
☆
中島英次郎
浅夷捷次郎(与力:長崎伝
習所仲間:蒸気機関
浅夷正太郎
回天蒸気機関担当
5/7:回天上砲撃受弾時即死
☆
柴田伸助
:浦賀同心:年配
☆
近藤彦吉
:16歳
近藤良次の子か?
☆
平田銑太(吉)郎
(=千太郎)
☆
直井友之助
降伏後青森蓮心寺に収容
「海軍方下士官」
直井大八郎の子
☆
福西(田)脩(周)太郎
:16歳、(中島と血縁筋)
福西源兵衛の親戚
福西道助の子
☆
米山鰐蔵
:
もと、開陽の水夫。英次郎
の僕になり、中島に米山姓
を賜り士分を貰ったが、明
治の世でそれが反映された
か不明。 降伏後青森蓮心寺
に収容:海軍方_鰐蔵とあり、
姓は無視されている。
十代ではなさそうだ。蝦夷
錦にある表現では、「中島、
柴田、米山他総勢・・」
主たる者一覧に登場する。
☆
佐々倉松太郎
:
浦賀の中島本人の後輩、
浦賀与力仲間の佐々倉桐太
郎の子、降伏後青森蓮心寺
に収容「海軍方下士官」江
差詰書記方
☆
朝夷(朝比奈)三郎
:
15歳、軍艦役に朝夷健次郎
がいる。若年につき総裁附
のところ、中島隊に合流。
(中島と血縁筋)
回天組:
渡辺忻三:
浅夷権十郎(与力)の次男
咸臨丸組
:
岩田平作:艦長→病気のた
め急に降りる。→小林文次
郎が艦長となる。
小林文次郎
:艦長
春山弁蔵
:副艦長
・
春山についてはこの当た
りから数頁
春山鉱平
:弁蔵の弟、
陸軍士官
美加保丸組
:
中村時太郎
平田?
10/18宮古~妻への手紙に
この船で遭難した平田は
無事なのか心配だとある。
右枠の平田銑太郎以外か?
蟠龍組
:
☆
中島恒太郎
船名不明組:
中川久太郎
この人物は病気で終焉時
居なかった可能性有。蝦夷錦
5/6病気・・今日御暇仰せ付
けられ候
柴田真一郎:遊撃隊。
伸助の倅。長崎伝習所生だ
が陸軍
☆
佐々木直次(三)郎
:
・・江差詰書記方
他に,海軍所属の卒の部
(当時苗字を与えられてい
なかった身分の人含)にあ
る人の中にも当該者がいる
ようです。
吉之助(通称)
謎の人物:中島家の僕(中
島の指示で手紙を持って事
前に逃走)
家来_庄蔵
:謎の人物
中島の手紙に登場。
榎本軍退職許可:家族へ手
紙を持ってゆくとある。
蝦夷で家来になった様子
元水夫か?
他にも中島隊と思われる
謎の人物
中垣?って誰?
4/16蝦夷錦
柴田、中垣、平田、福西
右四人、場所看置き・・・
とある。
陸軍系の浦賀勢の子息
小笠原新太郎
(越後辺で戦死)
小笠原甫三郎(与力)の子
高橋磯次郎
(越後辺で戦死)
和田伝兵衛
無事宮古で回天に合流
(春日左衛門隊に在)
五稜郭終焉で逃走生死不明
文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示
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