池田次郎兵衛,箱館戦争_薩摩の死角(2

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薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達

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薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達
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池田次郎兵衛
薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達&因縁の男達_No.2
池田次郎兵衛 」「村橋久成(=直衛)」
真実の人_池田次郎兵衛


林董は、ずばり書き抜いた。

それは、「黒田」に非ず。
・・それは、まさしく、「池田次郎兵衛」也。

箱館戦争が終結した後、高松凌雲には、新たな闘いが
始まっていた。医師でありながら、捕虜の立場に身を置き、
患者達の治療を継続していた。しかし・・・薬も晒も取り上げられた。
苦痛に顔を歪める患者達。・・術が無い。
気丈な高松もついに、悔しさのあまり窮地に陥った。
ある日、そんな高松の元、薬が密かに届けられた。

追憶あの頃_高松凌雲、第二の闘い

追憶_箱館戦争末期・・・あの頃

患者もろとも、高松は捕虜になっていた。
薩摩の医師達が屯する中、彼は自分の名刺を差し出した。
尻を向けたまま、だらしなく、ひっくり返った姿の一人が、にやにやしながら振り返った。
何やら紙切れに、ひょろひょろと妙な象形文字のようなモノを書き、ぐいと押し付けてきた。
不躾な扱いごときで屈する高松ではない。
名刺のつもりかと思いつつ、その紙切れを受け取るか否や、
高圧的にその医師は、こう言ってきた。

「ふむ、どうでも宜しい。それより、こやつは、どうした?」
高松の名刺は既に、その大柄な男の手の中、くしゃくしゃに丸められている。

「・・・・!」
「こやつは、今、どうなったか?と聞いておるのだ。答えぬ気か!」
高松は・・・というと、
下らないので、相手にせず、極めて静かな逆襲に出た。

「スペルを間違えるくらいなら、カタカナで書いて頂いたほうが、宜しかった。
ブリュネのことであるかのぅ?あいにく私は病院専属、存ぜぬ。」

そう言いながら、いとも容易く、ブリュネのスペルをさらさらと書き直し、手渡してやった。
フランス語が解るのはこの高松一人だったのだ。

闇夜に明かり・・・届けられた薬

追憶_医療界の陰険

高松にとって、自身への馬鹿々しい取り扱いは、どうでもよかった。
・・・というよりも、そんなことに構ってやる暇など、どこにもないのだ。
蓮沼や、伊藤など医師達は、すでに送還されている。一足遅れて、病院掛_小野権之丞も
連れていかれた。高松は猫の手も借りたいほどの多忙である。
ところが、この業界特有の嫌がらせが、降って沸いた。

傷ついた兵達の治療をしようにも、薬を取り上げられてしまったのだ。
患部を覆う新しく清潔な晒(当時の包帯代用品)も無い。痛みのあまり、顔を歪め、呻き声を
発する患者達。気丈な高松も、ついに悔しさのあまり、窮地に陥った。

闇夜に明かり・・・届けられた薬

怒りと屈辱の中、一人唇を噛みしめる高松だった。
闇夜に明かり。ある日、大量の薬が、高松宛てに、届けられた。
折角頂いてもたちまち使い尽くしてしまう。おまけに、途中でまたしても余計な横槍。取り上げられる。

しかし、不思議なことに、そんな高松の心の声が、あたかも
どこかに聞こえているかのごとく、程よいタイミングで、
再度、また、数日後と、薬は、必ず高松本人宛に
届けられてくるのだった。

救い主は、池田次郎兵衛であった。
(林董が文章上で、薬を届けた人物は黒田でない!・・・と語っている。)

確かに、あの時(M/205/12)、高松病院に
乗り込んできた黒装束薩摩の男は、五人も居たというのに、
名乗ったのは、この男と、もうひとり、 村橋久成 のみだったのである。

後年、明治12年(1879年)、高松が開設した
「同愛社(貧民を無料で診察する組織)」
にも、暫しの間、池田から、応援の品が届けられていた。


池田次郎兵衛 の最期


明治四十三年、十月一日、

かつて官僚として、奉職した一人の男、薩摩の英雄。

今この男は、年老いて、
そして、こともあろうに、なぜか、落ちぶれている。

古びた貧民長屋の一角、
日々の食費も滞る・・・社会の底辺に埋もれている。

高松が知って駆けつけるまで、病の治療を為す術もなく、
その年老いた肉体は既に、病魔に蝕まれていた。

・・・今は、ただ、死に逝こうとしているのだ。

意識も朦朧とした一人の老人

その皺枯れた手を、今、
もう一人の老人「高松」は
両手を添えて、しっかりと握りしめていた。

病人は、微かな笑みを浮かべ、そのまま、そっと、目を閉じた。








高松が知って駆け寄り、旧幕臣達に呼びかけ寄付を募った。
榎本、荒井は既に他界。しかし、幸い存命している大鳥達は皆、驚き、林董ら若手は機敏に動き
大至急寄付が寄せられた。日々暮らせる程度のお金はすぐに集まった。しかし、病の進行は既に手遅れだった。

(■ 高松凌雲1 、■ 高松凌雲の怒り2 、■ 高松凌雲4 、■ 高松凌雲5


■池田次郎兵衞(=貞賢:明治改名 )
・・天保5(1834)から明治43年10月1日(1910)
◇薩摩藩士→陸軍軍人となる。→横須賀鎮守府兵器部長など歴任。→大佐となる。なかなかの昇進である。

◇戊辰戦争では、砲兵監事。◇箱館戦争終結の和平交渉キーマン。
・・・村橋久成(薩摩藩士)らと共に、高松凌雲の病院へ赴く。
入院中の 諏訪常吉(会津遊撃隊長)の手紙 を持ち、幕軍降伏を呼びかけ、承服させ終結に持ち込んだ実績者。
新政府で活躍していた男である。

◇明治10年、西南戦争。こともあろうに、西郷軍と参戦。
祖国鹿児島、しかも「西郷隆盛」の鎮圧。「非情の任務」を負う身の上となった。

暗黙の死角


運命の歯車が、どこで狂ったのか、
それは不明である。

何も語ることなく、去っていった。
高松凌雲にも、きっと、
何も語らなかったことであろう。

この人は清かった。人命を尊んでいた。

「惨忍」、「不義」を嫌い、
「諏訪常吉の手紙」に心から共感し、
職務と裏腹に、心は、平和と命の為に行動をした。

しかし、こうなると、「諏訪常吉の手紙」には、
不思議な力が潜んでいたかもしれない。


池田は、幕軍に降伏を呼びかけた傍ら、
その一方では、本気で傷病者達の存命回復を祈り、
密かに、高松凌雲に対して、薬剤を送り続けていた。


「戦に、仏心は厳禁也。同情心は我が身を滅ぼす。」

「守るべき者あればこそ、邪悪な鬼に化すべし」


・・・・・・恐ろしい言葉をどこかで散見した記憶があります。
闘って殺戮をせねば、愛する家族、愛する国を守れない・・・
・・・愛する者のためなればこそ、徹して殺戮を全うすべし・・・

清かった人。人命を尊んだ人。
運命とは、かくも残酷なものなのだろうか。
清かった人は、「西郷殺戮の隊」の先頭に立ち、指揮せねばならぬ宿命を負った。

暗い長屋の片隅で、一人の老人は、命絶えた。


凌雲、ついに、天高く「雲を凌ぐ」

医師_高松凌雲 _1837~1916_享年81才
・・・天保7年12月25日- 大正5年10月12日

函館毎日新聞の記者、山崎有信が語る高松凌雲とは・・・
「初めて氏に接して最早八十歳に垂んとするの高齢なるも尚かくしゃくたり・・・」

凌雲は、箱館戦争終結後も、明治、大正を生きぬいた。




慶応3年(1867)、パリで開催された万国博覧会に際して、日本代表団の徳川昭武に、医師として
随行した彼は、留学して、赤十字の精神を学ぶと共に貧しい人たちに無料で診察治療を施す
「神の家」に深く感銘しつつ、そこで学んだ。
箱館戦争において、敵味方区別なく治療を施した。戦争終結後、病人達の治療は、
捕虜の立場に身をおきつつ継続した。明治2年8月重病の患者81人と共に東京へ。
本人は、同年、10月捕らわれ、謹慎。扱い環境が悪く、リュウマチに侵される。
しかし、屈しなかった。ついに、明治12年(1879年)、貧民を無料で診察する組織
「同愛社」をこの国、日本に創設。晩年、フランスに再度渡り、ブリュネにも再会している。
波乱万丈の人生を閉じたのは、大正15年、享年81才。

久留米の故郷から、医者を目指し学びたい弟の気持ちを察して江戸から引っ張り寄せて
くれたのは、亡き兄、衝鋒隊長_古屋佐久左衛門。兄、佐久左衛門は、M2.5.12、五稜郭に
投下された砲に被弾し、致命傷を負った。その兄は、臨終の床、小声で高松の名を呼んだ。
「荘三郎や・・・」この名で呼んでくれる地上で最期の人。兄だった。

血まみれの兄が若い隊士達に担ぎこまれてきた日、現れた黒装束の男達。
そして屈辱。卑怯者のそしりを受けるであろうこの役目。「恭順の薦め」発信元として
白羽の矢を当てられた。降伏勧告仲介係という 不名誉極まりない任務であった。

しかし、その時、確かに「諏訪常吉殿の見舞いに参った。」この男は、はっきりとそう語った。
嘘ではなかったのだ。この男にとって、それは口実ではなかった。

今、高松にとって、この「池田次郎兵衛との別れ」は、生涯忘れることのできない・・・
それでいて、それは悲しい「影の事象」のひとつとなった。

数え切れない程多く、「人の死」を看取ってきた高松。
しかし、この場合は・・・やはり、特別な思いだったであろう。

悲しからずや、THE_明治


なぜだ?
なぜ、また同じことを、しようとするのだろうか。

その後も、さらに、明治は暴走してゆく。



next_car 因縁の男達
薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達&因縁の男_
No.1_ 行脚の道末に <No.2_真実の人(現在の頁)<No.3 _敵への報恩_因縁の男達

その発端は、たった一枚の手紙だった
会津遊撃隊長_諏訪常吉の願い_虹の彼方へ
小子儀、
素より戦を好まずに候

いつまでも闘い、
いつまでも多くの命を奪い続ける
「おろかな戦争」など、もう
やめようではないか・・・


遠ざかる意識の中で、
彼の瞼には、どんな光景が
映し出されていたことだろうか。

文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示


幕末_WITH_LOVE玄関


幕末のオーバーザレインボー


いつもこちらのサイトまでお来し下さいます皆様、本当にありがとうございます。
もともと、「ペット好きさんサイト」ですが・・・なぜか「幕末スポット」などあります。

■上記文章において、○○なのだ!○○なのである!・・・などといった偉そう!な表現お許し下さいね。
○○みたいなんで、とっても可愛そうなんですよ。・・・といった具合では、どうも「締まり」が悪く、
しゃ~なく、○○なのだ!!系になってます。どうぞ、片目瞑って読み流してくださいね。
歴史の解説を一丁前にやってるのでなく、「心系」の一種だと思って、やってます。
どうか、皆様、&純粋な心の持ち主=ペット君達、みんなお体大切に、お元気でお過ごし下さすよう、心から。




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