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二本松少年隊,父の懊悩:敵と倅の弔い:敵隊長を弔った父,成田才次郎達の悲劇,長州の白井小次郎,成田外記右衛門幕末,戊辰戦争,&二本松少年隊の悲劇,成田才次郎_14歳,成田外記右衛門(敵の隊長を一生涯弔い続けた父) サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_8成田才次郎14歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_8敵の隊長を一生涯、弔い続けた父若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その8)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。現在の頁は導入編です。「成田才次郎14歳」の本頁はこちら成田才次郎14歳哀れ成田才次郎、14歳は、天に飛び去った。しかし、彼は、実に重厚な苦渋のテーマを残した。 父は、以来、完全に時が止まった。念仏三昧、詫び三昧、祈っても詫びても、平伏しても、罪は消えない!! 子は、長州の白井小次郎を斬ってしまった!!長州は敵。子は正しい。されど、それは罪。第三者まで、頭抱えた!武士道の掟、人としての道義、されど少年■切羽詰って究極の秘伝 & ■少年の状況判断力、その限界この続きを読む!いきなりですが・・・こんな経験はないでしょうか? ▼■切羽詰って極限、言うなれば生きるか死ぬかの瀬戸際・・・・そんな時、思いを決して、その人だからこそ、打ち明けて・・・すると、その人物は、NEXT! ・!ゴメンね。あらかじめコレ恋の話じゃなくて堅いマジ系話。・この続きは本頁この続きを読む!■年少少年の部個別編:その1<・・・<その5<その6(6A<6B・・・<その8←二本松になぜか、コレも関係します。今回はちょっとハード。可愛そうな少年。だけど、お父さんも、敵の隊長も、とても辛い。可愛そう以上に辛い。今回は、ちょっとオマケのコーナー付。左の人物と関連事件はピンときますか?二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_8(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.30
敵将が泣いた!13歳の敵:名札だらけの少年兵,岡山篤次郎_13歳,二本松少年隊,幕末,戊辰戦争,二本松少年隊,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,土佐の敵将が泣けた!名札だらけの13歳,【楽天市場】 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_7岡山篤次郎_13歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_7若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その7)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。慶応4年は、その年の9月には明治。官軍と幕軍派が戦い、多くの犠牲が。個別編2_1_岡山篤次郎_13歳土佐の敵将が泣けた!名札だらけの13歳お母ちゃん、名札一杯つけておいてね。砲にあたりゃ、おいら、粉々だよ。一杯ついてたら、砕けても、おいらだってわかってもらえるから・・・岡山篤次郎_13歳:木村銃太郎砲術塾の子(あだ名:トクジ≒徳治)誰が、少年達の笑顔を奪ってしまったの?あの無邪気な笑顔、二度とかえらない!!そして、懊悩した人物が居た。チビだけど、侮れない。勇敢隊士トクジと呼ばれた。篤次郎は、13歳で年少ながら、木村銃太郎砲術塾に、第一号で飛び込んだ。木村先生が、江戸から帰藩したのは、慶応3年の後半から慶応4年春一番の間と言われる。西洋砲術の必要性から、藩命で数年間、就学して帰ってきた。(その経緯詳細)この頃、既に世は緊迫。江戸で暮らした先生は、特にそれに敏感だ。帰藩するなり、早速砲術塾を開いた。前の年、将軍慶喜は大政奉還、明けて鳥羽伏見。各藩は新政府に表向き恭順。されど、本気の恭順であるわけはない。水面下で不気味な地響き。煙がくすぶっていた。とはいえ、まだこの段階で、この平和な里、奥州に、戦乱は、押し寄せていない。何も知らない子供達は、皆とても無邪気だった。ただ、子供は子供らしく、漠然とならば、知っている。悪いやつらが、穢れなきこの現世を踏み荒らしているそうだ。将軍様を苛めて追い出したらしい。やっつけてやらねばならぬ。一日も早く立派な大人になって、そいつらを打ちのめしてやるんだ!それが、少年達の夢だった。徳川平穏260余年の影響は絶大だ。戦に駆り出されて、遠方の地で戦死したという友達の父や兄の話は知っている。水戸天狗党征伐の時のことだ。しかし、それ以外は、皆、全く実感がない。近隣の藩が誰かに責め滅ぼされた話もなければ、城を焼かれて、路頭に迷う苦い経験者の体験談も、この時代、この地域では聞くに聞けないのが実態だった。そんな中、篤次郎は、やはり独特の危機感を持った子だったといえる。 ・・・この続き13歳の悲劇二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_6A(現在の頁)<No.4<No.5二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.29
二本松少年隊:木滝幸三郎15歳幕末,戊辰戦争,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_6D木滝幸三郎15歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_6(D)「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた少年若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その6D)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。木滝幸三郎15歳_その4(D)必死の逃亡劇_15歳のミステリー街道_屈強の男達との巡りあい<この前の部分から読む:6Cまる一日、飯も食わず、歩き通した。大森から庭坂を経て、やっと目的の桐枯(きりがらし)に到着した。そこには菅井の友人「小田井蔵太」の家が有るという。始終物も語らずひたすら気配を窺いつつ先導してくれた菅井。やっとこの時、初めてそれだけを教えてくれた。完全に夜が明けた。桐枯の「小田井蔵太」の家で、やっと一睡できた。幸三郎は、初めて生きた心地がした。己は生きた。生き延びたのだ。差し出された雑穀の雑炊と味噌汁。それでも、涙が零れ落ちた。一人去り、二人去り、いつ、この菅井も己を見捨てるかわからない。いやな予感は、完全に的中した。小田井蔵太の宅で世話になるも間もなく、情報が入った。純義隊長:吉村要之助(幕臣)が、寛永寺宮を慕って、仙台へ向かったという情報だ。その途端、なんとふたりの大人は仙台へ行ってしまった。僅か15歳の幸三郎は、庭坂迄戻って、そこで働くことにした。悩み悩んだ結果だった。そして己を捨てた。幸三郎は、意識の中で、完全に、かつての己、誇り高き武士の子、木滝幸三郎を殺した。それは、15歳の少年にとって、極めて残酷な選択肢だった。しかし、そのため、彼は無事、明治を生きた。その詳細経緯は、一切、本人は語らなかった。武士の子なのだ。己の志を噛み殺して、おそらく素性も名も隠して、一介の小作人か何かに成りすまして、暫し食いつないだのだろう。この時代のこと。たとえ時が流れて、安全な状態に転じた後とて、早速、それに便乗して、のこのこと家へ引き返すことはできない。己は隠れ潜んだ姑息な男。武士の風上にも置けない。苦渋の明治を息を潜めて暮らした。やっと、人らしい暮らしを取り戻したのはいつ頃からだったのだろう。それも含めて全て、意図的に謎のままに放置した。しかし、彼は勇気をもって、己が死に果てる前、やっとこの話を語った。生き残ることの凄まじさを知った彼。己の罪も知った。強さの意味も再認識した。それは、いわゆる勇猛果敢な剣士ではない。武士の教えで習った英雄談。そして、武士としてあるべき姿。しかし、それらは、実際戦場では通用しなかった。下賎と侮るべき狡猾さ。忍びの者のような鋭敏さといえば多少聞こえはいいが、いずれにせよ、武士道ではご法度も同然の世界。瞬時の判断ミスが己の死を呼び寄せる。また、これは、けっしてミスとは言えない。真っ向から立ち向った最も勇敢な男、2_石川男之進は、真っ先に死んだ。あの時、背後で鳴り響いていた音。人と人が斬り合って死んでゆく。断末魔の呻き声。それを知りつつ、走り去った己。さりとて、その罪の己は生き伸びた。あの時、聞こえた断末魔の石川男之進の呻き声。それは、走り去った己の背中に沁み込んで消えない。木滝幸三郎は、一生涯、それを背負い込んだ。彼は、自ら残酷な選択肢を選んだ。それは、直近未来の自分を見据えて選択したのだった。生きるとは、第ニ、第三の石川男之進の存在を見て通過せねばならぬ。 そして、勝って斬り伏せて尚、孤独な表情を浮かべた菅井鉄之介のように背負い、耐えて生き抜かねばならぬ。 強さとは、武士道でいうあの強さじゃなかった。 幼少の頃、心に映し出した壮烈剣士の姿とは、直接的にはなんら関係なかった。自ら背負って、耐え忍ぶ無常。 木滝幸三郎は、己に問いただした。そこには、通過できる己も居なければ、耐えて噛み殺し、孤独を背負う菅井鉄之介の無常も、己の姿に描き出すことはできない。木滝幸三郎は、沈黙の男として、堪え生きた。この人物、木滝幸三郎が、ついに語った時、天はそのまま、彼を迎え入れた。木滝幸三郎15歳編・完■年少少年の部個別編:その1<・・・<その4<その5<その6(6A<6B<6C)二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_6D(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.29
二本松少年隊:屈強の男達と壮烈剣士とは,木滝幸三郎15歳幕末,戊辰戦争,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_6C木滝幸三郎15歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_6(C)「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた少年若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その6C)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。木滝幸三郎15歳_その3(C)必死の逃亡劇_15歳のミステリー街道_屈強の男達との巡りあい<この前の部分から読む:6Bしかし、思わぬハプニングで、幸三郎は、その想像が大幅にずれていたことを痛感する。剣の力量で多寡を括っていた菅井鉄之介の腕前は半端でなかった。まさしく、想像を絶するツワモノだったのだ。村落に近まると、再び緊張が走る。いかに道を外して、林の中を進もうとしても、やはり、要所、要所は突破せねばならぬデインジャーゾーンが待ち受けている。案の定、またしても、敵が出現した!二人は、息を殺して、物陰に身を潜めた。もう、薄暗くなってきた。敵兵は、どうやら、たった一人の様子。木滝幸三郎は震えながら、敵の通過を祈った。しかし、祈りは天に届かなかった。完全に敵は、人の気配に気がついた。幸三郎達も、完全に物陰に隠れている為、こちらからも敵の姿はよく見えない。敵も同様に相手は見えないのだろうが、どうやら、少人数、もしくは、一人とよんだらしい。不意打ちを狙ったのか、騙し作戦に切り出した。油断させるために、芝居を打ってきたのだった。いきなり、敵はこう言った。「お~い、二本松のもんじゃあ~っ。」仲間と錯覚して、油断して出てきた敵を一気に斬り殺そうとしたのだろう。その途端、ふらりと、3_菅井鉄之介が立ち上がった。「菅井さ~んっ!危ないっ!ありゃ、違うのに!!」木滝幸三郎は、一瞬目を覆った。ところが、どうだろう。おそるおそる覗いて見るなり驚いた。目の前に血まみれで、倒れ死んでいるのは、菅井ではなく、敵のほうだった。この場合、敵よりも、菅井のほうが、数段、ぐんと上だったのだ。いかにも、味方と思い込んで、安心して立ち上がったかのごとく、菅井はフェイントを使った。ふらりと進み出るなり、いきなり、出会い頭、瞬時に斬り伏せた。完全な油断を装って立ち上がったあのタイミングといい、瞬時の殺戮といい、これは、もはや、いわゆる剣士としての強さとは言えない。むしろ狼のような狡猾さとでも呼ぶべきだろうか。それでいて、剣の技量も揺ぎ無い。一刀のもとに敵を斬り殺した。それは、今まで教育を受けた武士道の法則とは全く異なる世界だ。親兄弟、藩校の教授とて一切教えてくれない別もの、影の掟がそこに潜んでいた。人生経験の浅い幸三郎とて、確かに、あの喋り方は、二本松兵なわけはないと瞬時に感じ取った。二本松に限らず、奥州の者が、あんな喋り方をする者はない。長州兵ではあるまいか?そう感じた。しかし、物音ひとつさせず、瞬時に切り伏せるとは、やはり驚愕した。敵の気配を瞬時に感じ取って身を伏せる野生。本能的動作。ましてや、猛獣が草食動物に襲いかかる時のような凄みを発揮した。幸三郎は、ガタガタと足が震えた。自問自答した。「この人は、味方なのじゃ。心強い人なのじゃ。なぜ、己は恐れる?」・・・必死で己に言い聞かせるものの、恐ろしくてしかたない。そんな己を、菅井に悟られるまいとして、幸三郎は、震える声で言ってみた。「二本松の者が、あんな喋り方はせぬ。絶対に敵じゃ。」言いながら、幸三郎は、またしても己にそう言い聞かせた。珍しく、この敵兵は一目瞭然長州と解る制服を着ておらず、和装的な姿だったからだ。菅井は、そんな幸三郎の心の内を即座に読み取ると、にやりと笑って言った。「不安なんじゃろ。」菅井は、そう言うなり、屍の懐をまさぐり、たちまち、名前のかかれた所有物を取り出すなり、黙って幸三郎に見せつけてきた。そこに記載された内容は、案の定、敵だった。しかし、菅井に心を読み取られた幸三郎は、焦った。菅井は、その後、その事に対して、何ひとつ語らなかった。生き残る為には、瞬時の賭けが必要なのだ。しかし、菅井は、絶対に語らない。己を正当化することもなければ、自慢面も見せない。説教もなかった。たとえ、勝っても、斬り伏せても、孤独なのだ。幸三郎は、黙々と暗闇の林の中、この強者、菅井鉄之介について歩いた。ふとした気配で、突然、菅井は立ち止まる。微動たりともしない。完全に息を殺す。その度、幸三郎は、血の気がひいた。道々、何回もそれがあった。大抵は、森に住む獣が原因だった。獣と解るなり、たちまち歩き出す。菅井は、野生の獣よりも先に、その気配に気がつく。とても尋常な男ではなかった。庭坂にて:15歳の選択と沈黙■年少少年の部個別編:その1<・・・<その5<その6(6A<6B二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_6C(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.29
二本松少年隊:木滝幸三郎15歳幕末,戊辰戦争,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_6B木滝幸三郎15歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_6(B)「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた少年若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その6B)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。慶応4年は、その年の9月には明治。官軍と幕軍派が戦い、多くの犠牲が。木滝幸三郎15歳_その2(B)必死の逃亡劇_15歳のミステリー街道_屈強の男達との巡りあい<この前の部分から読む:6A「逃げろ~っ!!!」走った。走った。無我夢中で逃げ切った。山超え、谷超え、草むらの中、畑の中、全速力で皆を追いかけた。敵を見事欺いて、イタドリが繁茂した深い茂み、やっとたどり着いた。しかし、この時、幸三郎には、なんら生の喜びなど得られない。そこには、汚れた『罪の己』が居た。大脱走の時、背後では、凄まじい白刃戦の音。刃と刃が打ち合うけたたましい金属音と共に、肉の切り裂ける独特の鈍い音。兵達の雄叫び。斬られて死にゆく断末魔に、呻き倒れる人の気配。己は、それを知りつつ、振り返らず、走った!!勇敢な石川男之進は斬り合って、無念、戦死を遂げたのだった。幸三郎の耳裏には、生涯、その罪の音がへばりついて、消え去ることはなかった。しかし、感傷に浸ってる暇は許されなかった。残り3人になってしまった後も、状況はかわない。再び、風のごとく野を駆け続けた。ついてゆくのが精一杯。二人の痩せ狼は、忍者のごとく素早い。犠牲になって殿をつとめた亡き石川男之進とは、明らかに異なるタイプの男達。道なき道、獣のように木々の間を駆け抜けた。しかし、ここまで来れば、やっと幸三郎にも、現在地の概要はつかめた。もう、峠を越えた。渓流で水を煽り飲んで、乾いた喉を潤した。一服するなり、1_飯田唱が言い出した。あいかわらず、目をぎらつかせている。「今に見ておれ。おのれ官軍共!目に物見せてくれるわ!」彼は不屈の男だった。逆襲を企てるつもりなのだ。彼は、子供の幸三郎など完全に無視。3_菅井鉄之介に向かって、こう言った。「糞官軍共め!こうなれば、もうやるしかないぞ。今に見ておれ!二本松奪還に持ち込んでみせてくれるわ!己は、会津の援兵を得て、必ず盛り返してみせるわい!菅井、然らば、達者を祈るぞ。」そう言うと、彼は、顎で、幸三郎を指して示すと、いかにも、「こやつは、おぬしに任せた!」といわんばかりの仕草を見せるなり、立ち上がった。たちまち、走り去って、木々の間に姿を消した。幸三郎は、不安でしかたない。それまでの転回。すべて言語らしい言語もないまま、万事彼らの、動物本能のような状況判断に身を任せ、引き回されてきたも同然なのだ。せっかく巡りあった頼もしい大人達、しかし、こうして次から次へと姿を消す。菅井鉄之介と二人になってしまった。しかし、この菅井とて、いつ同じように、自分を見捨てるか解らない。菅井は、並ならぬ面魂を滲ませた男ながら、幸三郎から見れば、たった今、消え去った1_飯田唱に比べると、顔の表情には、幾分人間らしさが残っている。対して、飯田唱は、完全に超人的存在だった。これほどの長距離を風のように突っ走ったにもかかわらず、それでも、まだ、この二人が足出纏いらしい。論より証拠。たちまち走り去った。幸三郎は、久しぶりに歩行が許された。飯も食わず、走ってばかりだったのだ。菅井に導かれて、あいかわらずルートは街道ではなく、草木の生い茂る沢伝い。しかし、道々、やっと菅井という人物がわかった。菅井鉄之介は23歳の若者。彼は、鳥羽伏見で戦い、生還したという。この鋭い眼光と、人も寄せ付けぬ独特の空気が漂うのは、そのせいかと、やっと解った。勇ましく戦うだけが強さではないのだ。土壇場を逃げ切るその時に、きっと人は、何かが変わるのだろう。たった一日の経験で、幸三郎は、思い知った。しかし、今朝死闘で失った2_石川男之進の面影が脳裏に散らつく。剣の力量では、きっと彼程ではあるまい・・・。幸三郎は、勝手にそう決め付けていた。この時、菅井鉄之介は、なぜか浪人か博徒か、はてまた、忍者のできそこないか?まあ、なんとも訳のわからぬ装束だったせいもある。その菅井鉄之介が言うには、目指すは桐枯(きりがらし)だと言う。何がなんだか知らないが、とにかくついて行くしかない。桐枯「小田井蔵太」の家■年少少年の部個別編:その1<・・・<その5<その6A二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_6B(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.29
二本松少年隊:必死の逃亡劇:木滝幸三郎15歳幕末,戊辰戦争,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_6A木滝幸三郎15歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_6(A)「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた少年若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その6A)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。慶応4年は、その年の9月には明治。官軍と幕軍派が戦い、多くの犠牲が。木滝幸三郎15歳_その1(A)必死の逃亡劇_15歳のミステリー街道_屈強の男達との巡りあいこの子は、木村塾の子でなく、御両社警備の三番組「日野大内蔵」隊にいた。襲い来る敵の大群。多勢の官軍に対して、こちらは兵力など知れている。現にこんな幼い少年まで繰り出されている始末。身も蓋もない。たちまち、押し潰されて、兵は皆殺し。ついに隊長まで殺された。しかし、彼、木滝幸三郎は、必死の逃走。ここに、彼の壮烈な逃走劇が開始された。ちなみに、これは作り話ではない。無論、途中経過に登場する草むらが、草むらじゃなくて荒れ畑なのか、小屋が、小屋じゃなくて、古びた山の社なのか、そうした詳細までは、いちいち保証できないが、彼の歩んだまさか!のこの奇跡、それ自体は完全に生の人間が体験した実話だ。現代の世、スリルとサスペンスという言葉があるが、それどころでない。15歳の木滝幸三郎は、生き残る為に「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた。度々の銃撃の中、這い蹲って、隠れに隠れ、逃げ回った。手足のどことどこに怪我を負ってることさえ、もう解らない。傷だらけになって、血まみれ。それでも、どうにか逃げ切った。物陰に隠れて震えていた時、大人に声をかけられた。「小僧、早く!付いて来くるんだ!」見慣れぬ顔だったが、明らかに味方だ。幸三郎は、傷の痛みも忘れ、無我夢中で後を追った。砲煙が充満した戦場。豪雨のごとく鳴り止まぬ銃弾の嵐。こうなれば、もはや運を信じるしかない。被弾するか、否か、考える余裕すらなかった。走りに走って、やっと追いついた。先刻の若い侍のもとに駆けつけるなり、驚いた。そこには、他にも二人の男が居た。粗末なあばら家の陰。息を切らしながら、皆で様子を伺った。この時、幸三郎は、巡りあった大人達の名を知った。1_飯田唱、2_石川男之進、3_菅井鉄之介(23歳)である。言葉使いは乱暴だったものの、ここまで彼を導いてくれたのは、2_石川男之進である。いかにも侍風。信頼できそうな男だ。他の二人は、実のところ、内心怖かった。幸三郎は、今だ、これまでの人生、こんなタイプの男は見たことがない。目をぎらつかせて、痩せ狼のような・・・。若者にはちがいないものの、いわゆる爽やかな若者のイメージとは大幅に異なる。少なくとも、少年達が、将来はあんな侍になりたいものだ、そう憧れる人種ではなかった。完全に野生だ。荒武者でもなければ、壮烈剣士でもなく、独特の臭いが漂う。味方だから良いものの、敵なら完全に震え上がる。さりとて、もう、ここからは一人ではない。心強い大人達と一緒なのだから・・・。安心するも束の間。再び、銃撃の中、まっしぐらに突っ走る。皆、猛烈に速い。今にも見失いそうだ。しかし、つい遅れがちになる幸三郎に、石川男之進が声をかけてくる。「小僧、もたもたするな。かまってやる暇などないぞ!ついて来んか!」どうにか、市街地は無事突破できた。ここまで無事来れただけでも、奇跡に等しい。村外れに、古い小屋が見える。まずは様子を伺いつつ、皆は向かった。その時だ!またしても敵に見つかった。運悪く、そこには敵兵が屯していたのである。今度こそ、絶体絶命。走り去るは不可能。完全に4人は敵に囲まれてしまった。すると、どうだろう。いきなり、1_飯田唱が自ら進み出た。恐れることなく堂々と、敵との交渉に向かったのだった。木滝幸三郎は震えた。屈辱の恭順、捕虜になるか、殺されるのか・・・。飯田唱は敵と何やら交渉の後、20人位の敵を連れて皆の元へ戻ってきた。敵の軍団より、ほんの1~2メートル程度だけ前に立ってやってくる。歩きながら、彼はこう言い出した。「さあ、皆、もはや、やむをえぬ。観念時じゃ。これから、法輪寺の墓地へ行って、我らも切腹じゃ。覚悟は宜しいな。」ところが、これは、飯田唱の打った世紀の大芝居!!こうして、敵を油断させておいて、次の瞬間、爆裂音にも等しい大声で、突然喚いた。「逃げろ~っ!!!」罪の己:15歳の葛藤■年少少年の部個別編:その1<その2<その3<その4<その5二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_6A(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.29
幕末,二本松少年隊:煩悶_武士の教え、武家に生まれた母と子の掟:丹羽四郎_15歳、丹羽五郎_13歳幕末,戊辰戦争,戦場から帰還した少年と母,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_5B丹羽兄弟その2_丹羽四郎_15歳、丹羽五郎_13歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_5B煩悶_武士の教え、武家に生まれた母と子の掟(の続き)若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その5B)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。慶応4年は、その年の9月には明治。官軍と幕軍派が戦い、多くの犠牲が。丹羽兄弟_その2:丹羽四郎_15歳、丹羽五郎_13歳女中の『ヤス』のこと:妹ふじの記憶_その2前の部分から読む:丹羽兄弟_その1(屈折した喜び、母の涙)米沢に到着した段階で、五郎が、ヤスに向かって、こう言ったのです。「三春藩は何をしたか、そなたは知っているな。そして、今、己がそなたに、何を言わんとしているか、そなたなれば、解るはずじゃ。準備ができるまで、かまわぬ。我は暫し待つ故、きちんと着替えて、身だしなみを整えてきなさい。」その時の兄、五郎の表情は只事ではありませんでした。ヤスも緊張した面持ちでした。きちんと正座して、兄の顔を見つめておりました。あの当時のことですから・・・。あんなに幼かった私(ふじ)でさえ、それだけは、直ぐにピンときましたよ。兄は、『ヤス』を斬首しようとしている!!・・・並ならぬ悪い事をすれば、捌かれる。当時の掟。悪を捌かぬも悪。もちろん、母が駆けつけ、五郎はそれを阻止された。むしろ、強烈に叱られた。「やすを斬ってなんになるのじゃ!やすは、我が家の者じゃ!我が家に仕えて、心底我が家のために居る者が、三春の者だと申すのか!三春の者とて、我が家の者である以上、三春の者ではない!それも解らぬのか!愚か者!」五郎は、三春なら誰でもかれでも憎くて殺したかったような幼稚な子ではなかった。彼自身も己に言い聞かせて決心してのこと。『ヤス』がせめて、美しく死ねるように、着替えをすすめ、少年ながらも武士の情けを発揮した。武士道には、「だって・・・」の言い訳も、「でも・・・」の独断的判断もそれらは全て許されなかった。それでいて、「武士の世界に於ける不義への捌き」これは、妙に幼いうちから浸透してしまう。ならぬものはならぬ。ならぬものを許すもならぬ。少年の人生経験、その判断基準。『武士の教え』は、確かに無理があったかもしれない。■年少少年の部個別編:その1<その2<その3<その4<その5A二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_5B(現在の頁)<No.4おまとめ編二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.28
二本松少年隊:煩悶_武士の教え、武家に生まれた母と子の掟:丹羽四郎_15歳、丹羽五郎_13歳幕末,戊辰戦争,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_5A丹羽四郎・五郎兄弟二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_5煩悶_武士の教え、武家に生まれた母と子の掟若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その5A)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。丹羽兄弟_その1_丹羽四郎_15歳、丹羽五郎_13歳二人は兄弟。二人に係る情報は、主に本人達の口からではなく、時が流れて、昭和15年、彼らの妹、ふじによって語られた。当時、ふじは9歳の少女だった。当該の少年二人は、この家の四男:丹羽四郎_15歳と五男:丹羽五郎_13歳である。(丹羽掃部介家)■父(=当主):丹羽掃部介■長兄:丹羽主膳(生き残った)=7/29の同じく二本松戦争内に於ける光覚寺山を守った副隊長。■二男:九郎次は白河で戦死、■三男:治太夫は、二本松城内で戦死■四男:丹羽四郎_15歳、■五男:丹羽五郎_13歳、■ふじ_9歳二本松の殿様は、丹羽。そこで、この家は、苗字で解るとおり、他の少年達に比べると、かなり家格の高い筋柄。女中もいれば、下僕もいた。主人公二人は生きた。その為、あえて、冷たい言い方をすれば、少年の悲劇としては悲惨度合いが低い恵まれた家庭の子・・・と解釈してしまいそうな結末。ところが、思わぬところで、人々の心に、煩悶を呼び起こした。それは、母と子の姿だった。そして、もうひとつ、現代の感覚であれば常識なのだが、この時代の武士教育では、『少年の人生経験だけでは判断を当然誤るはず!!』・・・の瞬間を、母が防いだエピソード。「武士の教え」に潜んだ苦しみと盲点を痛感させられた。屈折した喜び、母の涙:妹ふじの記憶_その1あの時、母は、命からがら、ようやく戦場から帰ってきたふたりの兄、四郎と五郎を、玄関先で、叱り倒しました。「武士の子にありながら、生きて帰るとは、何事じゃ!」それは、それは、もの凄い剣幕で、怒鳴りつけておりました。私(ふじ)は、幼いものの、これは、兄達が余程悪い事をしたのだろうと思い、怖くて、物陰に隠れておりました。母が、あんな大声を出して叱る姿は、それまで見たことがなかったからです。兄達は、履物を脱ぐに脱げず、玄関に立ったまま、しょんぼりと下を向いてました。しかし、その次の瞬間、母は、・・・足袋のまま、玄関の土間に下りて・・・私(ふじ)は、目を覆いました。・・・きっと、兄達は、母に叩かれるのでは?!そう思ったのです。すると、母は、叱って泣いて、叱り倒して、また泣いてそして、いきなり、抱きしめてそのまま泣き崩れてしまいました。私(ふじ)は、意味も解らず、それでいて、無償に悲しくなって、思わずつられて、泣いてしまいました。この時、ふじは、母に特上の晴れ着を着せられていたという。それは、女達も皆散華の覚悟。死へ旅立つ為の正装だった。確かに武士の妻として、武士の子の母として、本気で叱っていたのだろう。しかし、生身の母としての思いが、ついに噴出した瞬間、意思と裏腹に抱きしめてしまった母。よくぞ、生きて帰ってきてくれた。よかった・・・はけっして口が裂けても言えない武士道の掟だった。この後、皆は米沢へ落ちた。二本松の殿様、藩主:丹羽長国も米沢に落ち延びたからだ。その際、この家に古くから奉公していた女中の「ヤス」も同行。彼女は、この時期、二本松の者なら、誰しも恨む藩=三春藩出身の者だった。・・・(恨むその原因とは?:当時の二本松と三春藩女中の『ヤス』のこと:妹ふじの記憶_その2■年少少年の部個別編:その1<その2<その3<その4<その5A(現在の頁)<その5B・・・二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_5A(現在の頁)<No.4おまとめ編二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.28
幕末,戊辰戦争,生き残って苦しみ:明治を生きた子,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】二本松少年隊:生き残って、涙の記録を残した人物(当時少年):上田孫三郎14歳、水野進_14歳 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_4上田孫三郎14歳、水野進14歳:生き残って、涙の記録を残した人物二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_4生き残って、涙の記録を残した人物若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その4)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。慶応4年は、その年の9月には明治。官軍と幕軍派が戦い、多くの犠牲が。上田孫三郎14歳上田孫三郎:木村銃太郎塾の子「霞ヶ城の太刀風」を著す。明治には、佐倉孫三と名乗る。皆と共に撤退した後、草むらに潜んでいた。会津兵に会った。それから、父の部下、足軽隊長の管野和介と下僕にも遭えた。4人で会津へ。寺西某も加わり5人になった。この後、皆にすすめられて、母達が既に逃れた先=米沢へ落ちのびた。■祖父は、老人隊で烈死した佐倉定左衛門。■父:上田唱は、この戦闘以前の段階、元治元年の水戸天狗党事件の際、鎮圧部隊として召集されて出陣。戦死した。■兄:佐倉強弥19歳。幸い、この人物も生き残った。この人物は仙台兵と共に大手門を守っていた。貧しかったため、刀は借り物。しかし「名刀秋水」。戦ったところ、たちまち数名が倒れ、後日談、自分で驚いている。これは自慢話ではなく、祖父への感謝の気持ちと、亡き祖父の冥福を祈る気持ちだった。祖父が己の命に換えて、自分を守ってくれた・・・そう思うが故、彼は生涯墓参りを怠ることはなかったという。水野進_14歳後年、重い口をやっと割ってくれたのは、この人物。二本松役場の助役_水野進だった。書けば苦しい。書けば、思いがけぬところで、自分自身ならずや、皆を苦しめる。せっかく忘れようとしていた皆の悲しみも掘り出してしまう。また、立場上、特に勇気を要するポジションにもいた。しかし、この事を語れる世代は、もう時期皆死んでしまう宿命だ。ついに決心して、書き上げた。「二本松戊辰少年記」を著す。彼もまた、家は貧しく、刀は借り刀だったという。母が実家に頭を下げて借り出してきた。当時の武家の鉄則として、いかなる場合も、ひとたび、嫁に出た以上、実家を頼るは最も卑しいこととされていた。無論非常事態につき、仕方の無いことなのだが、母はその恥と、武家の娘にあるまじき行為の罪を双方背負って、頭を下げて借り出してきたという。■年少少年の部個別編:その1<その2<その3・・・二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_4(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.27
幕末,戊辰戦争,生き残って苦しみ:明治を生きた子,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】二本松少年隊:高根源十郎13歳、武谷剛介14歳、安部井荘蔵15歳:生き残って、苦しみを背負い、明治を生きた子 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_3高根源十郎13歳、武谷剛介14歳、安部井荘蔵15歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_3生き残って、苦しみを背負い、明治を生きた子若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その3)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。慶応4年は、その年の9月には明治。官軍と幕軍派が戦い、多くの犠牲が。高根源十郎13歳高根源十郎:木村銃太郎塾の子木村塾の子だが、安部井荘蔵と共に、丹羽右近隊に入っている。彼のあまりに哀れな姿を見た者がいた。それは、大壇口から、全身火達磨状態で走ってくる姿だった。この子は7歳で小野派一可流の塾に入っており、子供といえども、剣が立つ子だった。誰もが絶望と思った。しかし、幸い生き残ったようだ。名を変え、語らずして明治を生きぬいた。安部井荘蔵15歳安部井荘蔵:木村銃太郎塾の子ではない。大人達の隊に入って、丹羽右近隊で戦った。当時15歳の安部井荘蔵は、幸いにして、この時生き延びた。にもかかわらず、西南戦争の際、24歳で死んだ。 折角生き残った意味がなくなってしまった。この子の父は、安部井又之丞。勘定奉行の彼は霞ヶ城と共に、切腹して果てた。しかし、兄は生き残り、明治を生きた。その兄とは・・安部井清介この人物は色々有名な人。奥州列藩同盟に、榎本武揚が、新撰組の土方歳三を紹介。しかし、その後の経緯で、土方が怒ってその場を立ち去った事件の発祥の元!「安部井清介=盤根」は、土方歳三を怒らせた張本人! (詳しくはこちら:安部井清介=盤根)即ち、安部井荘蔵は土方歳三を怒らせた男の弟。二本松の安部井又之丞、安部井清介=盤根、安部井荘蔵の親子と、会津の安部井政治(箱館戦争で烈死)は、どの程度の血の濃さかは不明ですが、繋がりがあると思われます。武谷剛介14歳武谷剛介:木村銃太郎塾の子久保豊三郎と共に会津に落ちて、丸山四郎右衛門方に居た。また、この子は、後に「最初に逃がしてくれた敵は薩摩弁だったと思う。」そう語った人物でもある。最初に逃がしてくれたとは、木村銃太郎塾のメンバーによって陣地が築かれた大壇口からの撤退の際、真っ先に遭遇した敵。遭遇したというより、実際は、それまでの砲撃戦で直接戦っていた相手。(戦っていた経緯)この薩摩の将とは、大抵予想はつくところだが、本人は、我也とは一切語らなかった。但し、彼以外の誰でもないだろうと思われる発言は残した。「少年達は、よく訓練されており、よく戦った。」軍人としては、これ以上、語るわけにはいかなかったのだろう。みんなが、戦争の愚かさ、虚しさ・・・痛感したはずだ。官軍側にさえ、嘆き続けた者もいる。しかし、この後も戦争は、ずっと止まらない。彼ら官軍は、戊辰の終焉、箱館戦争まで、追い続け、責め滅ぼすをさらに続けた。ちょっと寄り道:箱館戦争■年少少年の部個別編:その1<:その2二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_3(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示薫風館:和風壁紙,和風イラスト,
2010.07.27
幕末,戊辰戦争,運命の日_7/29散華した少年達の哀れ結末,二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎の終焉&人物,少年達の悲劇,若い先生と生徒が共に散華,【楽天市場】二本松少年隊,散華:徳田鉄吉13歳、高橋辰治13歳 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_2徳田鉄吉13歳、高橋辰治13歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_2運命の日、7/29散華した少年達の哀れ結末若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その2)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。慶応4年は、その年の9月には明治。官軍と幕軍派が戦い、多くの犠牲が。徳田鉄吉13歳徳田鉄吉:木村銃太郎塾の子この子の母は、老人隊の遠藤段七の娘。この子の父は、病気の為、藩主の辞令を受けることができなかった。父は、お役に立てない病身の我が身を恥じて切腹した。13歳で出陣したこの子は、木村銃太郎隊として、少年達皆と共に大壇口で参戦。しかし、隊長、木村銃太郎が死亡した後、逃げつつ、彷徨いつつ、他少年達と同様の悲しい結末となる。(木村銃太郎について、少年達が彷徨うことになった流れ)しかし、どうにか、自宅近く迄、たどりついたようだ。それを裏付けるように、彼が斬り殺されていた現場は、自宅まで、あと一歩の場所だった。悲しい話だが、後、官軍側の資料で、名は不明だが、確かに13歳の子を斬ったという話がある。哀れに思い、生け捕りにしようとしたが、暴れて手に負えず、斬った。その話に、どうも重なる。13歳の子で、官軍に斬られて死んだ子といえば、他に考えられるのは、現在の頁、下側にある高橋辰治13歳。それらの事実も含め、官軍の立場にありながら、懊悩していた人物が、野津道貫だった。高橋辰治13歳高橋辰治:木村銃太郎塾の子木村塾メンバーの中で、最も初期に怪我をした。銃弾が顔面に当たり、出血も激しく、皆は、もはやだめけかと思ったが、なんとか頑張った。木村銃太郎隊として、少年達皆と共に大壇口で参戦。隊長、木村銃太郎が死亡した後、逃げつつ、彷徨いつつの経路は皆と同じ。少年達は、やがて、散り々になった後に、さらなる悲劇が訪れる。この子も、きっと自宅を目指していたのだろう。敵が通過する迄そのまま、隠れて、そして帰宅さえすれば、死なずに済んだ。堀の中に身をひそめていたが、数名の敵が通りかかった。ここで、彼は、たった一人で、最期の反撃に出たのだった。いきなり、堀から飛び出すと、抜刀翳して、敵に斬り込んだ。いくら、不意打ちを狙ったとて、13歳の実力では、やはり及ばない。斬りかかったために、官軍に斬り殺されてしまった。この痛ましい最期の瞬間、ほんの一瞬のでき事。その目撃者がいた。浅見家の下僕だった。彼にとっては、まさに悪夢の瞬間だったという。二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_2(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示Piece:刀;薫風館:和風壁紙,花他和風イラスト,菖蒲と白い刀;
2010.07.27
幕末,戊辰戦争,&二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎の終焉&人物,少年達の悲劇,小沢幾弥他,悲劇の裏側_敵の懊悩,【楽天市場】二本松少年隊,久保鉄次郎_15歳、久保豊三郎_13歳 サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争の余波<二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_1久保鉄次郎_15歳、久保豊三郎_13歳二本松少年隊の悲劇_年少少年の部_1若い22歳の先生について、子供も戦い、先生も子供も亡くなりました。二本松少年隊<少年個別編1<個別編2(年少少年個別編_その1)現在の頁は、彼ら少年にスポット=個人編です。■シリーズの概要=玄関はこちら:どうして、こんなことになった!?・・・二本松少年隊の悲劇_涙のリスト年少少年の部は:おまとめ編No.4からもご覧いただけます。慶応4年は、その年の9月には明治。官軍と幕軍派が戦い、多くの犠牲が。幼い兄弟、久保兄弟の場合久保鉄次郎_15歳&久保豊三郎_13歳◆久保兄弟:(兄:鉄次郎15歳、弟:豊三郎13歳)=ふたりとも、木村銃太郎塾に席がある子◆兄:鉄次郎は塾の皆と行動は別で、先に大人達と共に出陣。敵が二本松城下になだれ込む前の段階で既に、大谷鳴海隊に属して戦う。「本宮村の戦い」で負傷。家に戻り、ひとまず療養中だったが、弟が出陣したと知って、跳ね起きて、再出陣する。しかし・・・◆途中経緯は不明だが、やはり倒れ、玉井野(玉ノ井)戦病院≒玉泉寺に入院。12/6に、同病院で死亡。◆弟:豊三郎は、経緯からすると、塾の子と共に、大壇口で戦った後、自藩壊滅の後も、会津へ一度移動して、さらなる合戦に参加。◆大壇口で戦った後、生き残りの大人に巡りあい、そこから行動を共にした様子。会津の丸山四郎右衛門胤道家で、暫し保護されている。(この時、同宅には武谷剛介14歳も居た。しかし、この子は、自藩壊滅の7/29に留まることなく、8月半ばに結集した二本松奪還作戦部隊に同行した。◆兄と同じ上記玉ノ井病院にて、負傷が元で発病した破傷風で11/8、死亡。■不屈の少年戦闘士_久保豊三郎大谷鳴海隊に属して先に出陣した兄の鉄次郎は、本宮村の戦いで負傷した。ようやく家に戻り、療養中。とても再出動できそうもない。弟の鉄次郎は苛立った。僅か13歳ながら、兄の身代わりで出陣を決心した。父の久保与十郎(義忠・常保)も、長男の長一郎も出兵中だ。その生死さえわからない。いても立ってもいられなかった。一方、弟の出兵を知った鉄次郎は、跳ね起きて再出陣した。ふたりの兄弟は、別行動となるが、それぞれ参戦した。 7/29、二本松は無念。全滅。城は落ちた。主要家老も皆、自刃。子供も老人も皆戦って果てた。豊三郎は、武谷剛介14歳と共に、ひとまず会津に落ちた。暫し、武谷剛介と共に、丸山四郎右衛門胤道方に居た。丸山四郎右衛門胤道とは、秋月悌次郎 (1824~1900)の父であり、悌次郎はその二男。ここから先の行動ルートは、年少の少年であることから、折角保護されていながら、強制的な出兵とは考え難い。おそらく彼自身の決断であろう。豊三郎は、会津を経ち、再び、二本松方面へ向けて移動を開始した。その原因は、下記、生き残り藩士達による再起結集の情報だった。城が滅んでも、水面下では、生き残りの二本松藩士達は、結集して、再起を諮っていたのである。生き残りは各々、福島周辺に散っていた。二本松軍だけではなく、東軍の伝習隊などの助力も得られる見込みとなった。彼らは、8/20前後、密かに庭坂村に結集。二本松城奪還を実行しようということになる。途中、凄まじい白刃戦が転回される。多くの二本松藩士が犠牲となり死んだ。豊三郎が致命傷を負ったのは、その頃と推定される。傷に倒れた豊三郎は、玉ノ井野戦病院に運ばれていた。惜しいかな、13歳の戦闘士、久保豊三郎は、この後、破傷風に侵され、11/8、同病院で、息を引取った。悲しいことに、その頃、兄の鉄次郎も、同じ病院に入院している。ところが、二人共、重症であったことから、互いにそれを知らず終いだったという。兄、鉄次郎も、弟の後を追うように、12/6に、同病院で亡くなった。戦争が幼い兄弟の命を奪い去った。しかし、久保家の名は不滅だ。兄達は戦死したが、ぐっと年下の弟、猪之吉が、明治の世、その名を轟かせた。(当時は6歳、幼く参戦していない。)猪之吉は、久保猪之吉=イノクボで知られる耳鼻科の医学博士となった。二本松戦SERIES: No.1<No.2<No.3 <年少少年の部_1(現在の頁)<No.4 (おまとめ編)二本松戦SERIES玄関文章解説(c)by rankten_@piyo、写真等、素材については頁下表示Piece:刀;薫風館:和風壁紙,花他和風イラスト,菖蒲と白い刀;
2010.07.27
戦記が訴えた真実は何?&二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎先生のラスト&人物,二本松の戦い,天に消え去った少年達,霞ヶ城の太刀風,少年達の悲劇、少年が出動した訳,二本松藩事情,二本松大壇口の二勇士,悲劇と敵の懊悩,【楽天市場】二本松少年隊と霞ヶ城,幕末,戊辰戦争,霞ヶ城の太刀風幕末WITH_LOVE★今回の・・ちょろっとご紹介コーナー■少年達 皆の結末, ■戦記が呼びかけたもの, ■敵の懊悩, ■散華の人々(老人隊の悲劇 ご住職の大爆発他), ■木村銃太郎砲術塾 若師匠と子供達もうじき、7月29日がやってきます!!それまでに、なんとか、このシリーズ完了させたかったのですが、間に合いそうもありません。ちょぼちょぼ、追加してゆきます。可愛い少年達の弔いに、少しでもお目通し頂けましたら幸いです。(厳密&正しくは:慶応4年7月29日は、今日のだいたい9月の半ば。9/15に該当します。)事件は、慶応4年(1868)7月29日。二本松藩は全壊同然。それでも最後の一人まで、死を徹して戦い続けた。僅か12~13歳の少年まで、その一員、兵として戦って死んだ。生き残りの少年達が、・・・決死の思いで書き残した。彼らは、自藩の悲劇ばかりを強調して書いてはいない。自藩の英雄伝説の為に、書いたのではない!皆殺し同然の結末だったにもかかわらず、・・・「敵、官軍の中にも、いいおじさんが居た事」それを、ちゃんと書いた。 ・・・何の為に??!ちなみに、当時、賊の汚名を被って、明治を生きた彼ら。 苗字を変え、押し黙り、口を噤み、語らずして身を守ったのが実態。 語ることによって肩身が狭いどころか、 親族一同に迷惑がかかる。文章を残した人々は、それらの苦悩を 覚悟の上でなければならなかった。勇気を振り絞って書き残したというのに・・・にも拘わらず、時代は悪夢!明治、大正、昭和は、戦争の連発時代となった。※歴史は、あんまり好きじゃない・・・の皆様;今回の一編は、歴史に関係なく、きっと心系としてお読み頂けるシリーズだと思います。二本松少年隊悲劇と懊悩文章解説(c)by rankten_@piyoイラスト写真については頁最下欄サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_戊辰戦争<二本松少年隊の悲劇22歳の若師匠_木村銃太郎砲術塾 と子供達少年達 皆それぞれの結末(←一部完了。随時追加予定)戦記が呼びかけたもの 敵の懊悩散華の人々(■老人隊の悲劇 ■ご住職の大爆発他)←このあたり、まだ準備中!そこんとこ、深~く見るには、真上のバナーからENTER、または、 真上のNEXTボタンからENTERして、読んでみて下さいね。幕末,戊辰戦争 ,箱館戦争 :幕末_WITH_LOVE玄関のご案内▲幕末_WITH_LOVE玄関は真上のバナーからね!大抵ストーリー風になってるワン!各シリーズ内コラム欄等に、犠牲者一覧、各個人年表なども有 幕末_WITH_LOVE玄関:お好みタイプを各バナーからENTERできます。中には小難しいタイプもありますが、歴史に興味がない、箱館戦争なんて知らない人でもさらっと読み流せる心系もあります。幕末の人は皆、随分純粋です。戊辰、箱館戦争を流れで大体順番に読む時の検索誰について読みたい、どの時期が読みたい検索人物名で登場を追っかけてみる?完全オタク系:執着型資料頁中島三郎助えとせとら資料:No.1~No.3小笠原長行&小笠原胖之助資料:No.1~林忠崇関連資料上総請西藩事情,林家&人物,林忠崇の参戦前の流れ~参戦経緯,徳川幕府終焉と請西藩主_林忠崇,参戦から降伏までの年表ブラックリストに挙がり、自刃&首犠牲の生じた藩と代官所等,大政奉還の段階で明らかに反発を示した藩と人幕軍・松前えとせとら:No.1~延々有ります。EPE:ペンギンアニメ;押し花とアイコン:犬猫アニメ;薫風館:和風イラスト
2010.07.26
賊と呼ばれた男の昭和,戊辰に戦い、昭和迄生きた男,請西藩主_林忠崇,林忠崇,幕末,戊辰戦争,脱藩大名_上総請西藩主_林忠崇,参戦前の流れ~参戦経緯,遊撃隊:人見勝太郎と伊庭八郎の影響力,林忠崇資料編:上総請西藩事情,林家&人物,降伏後の人生と懊悩,旧暦に於ける閏月の見解概略,ブラックリストに挙がり、自刃&首犠牲の生じた藩と代官所等,裏で流された血の犠牲,大政奉還の段階で明らかに反発を示した藩と人,遊撃隊、岡田斧吉の銘スピーチ,幕末WITH_LOVE★今回の・・ちょろっとご紹介コーナー林忠崇とは、堂々一国の主、請西藩の藩主であった。請西藩主、林忠崇は、当時、若い独身の藩主。脱藩大名となり、自ら参戦した。或る日現れた男、人見勝太郎と伊庭八郎の志に感動、同調した為であった。しかし、仙台で恭順。昭和迄生きた。結末の華麗さに欠く為か、名は知られつつ、人気という点で、やはり埋もれている。傷を嘗めあう負け人、賊仲間(幕軍)にさえ見捨てられた男と嘲笑された。それでも尚、生き続けた男の懊悩、晩年、昭和の戦争時代に至る迄。※歴史は、あんまり好きじゃない・・・の皆様;心系として読むには:■林忠崇は、正義感に満ち溢れ、とても純粋な人物です。期日、人名、藩名などは読み過ごして、藩主と家臣の絆、晩年の父と娘の気持ちにポイントして読むと、しんどいところが減ると思います。本文より:_集団自決を食い止めた男遊撃隊頭取改役_岡田斧吉の銘スピーチ蟻の大群のごとく溢れ出る官軍の群。おかげで箱根戦は、結局襤褸負け状態に陥り、ひとたび皆、死を決心したのだった。この時、若い林忠崇を奮い起こさせたのは、伊庭八郎の猛奮闘もさることながら、もう一人、影の英雄、岡田斧吉の語った衝撃的な発言だった。累々と連なる味方兵の屍。傷ついて呻き苦しむ兵達。もはや、絶望だった。絶望の境地、そんな中、声高らかに、岡田斧吉は、こう言った。「我らの志は、徳川の回復のみ。悪戯に憤死するは愚か。海に出て再挙を諮るべき。房総に敗れんか、奥州に敗れんか、蝦夷に往いかん。」脱藩大名林忠崇文章解説(c)by rankten_@piyoイラスト写真については頁最下欄サイトTOP<幕末_WITH_LOVE玄関_函館戦争の余波<脱藩大名_上総請西藩主_林忠崇(若き純情、青いりんごとフランス人形)戊辰に戦い、 第二次世界大戦直前迄生きた男瞬時のミステイク!暗転した請西藩の宿命旧幕府撤兵隊(隊長、福田八郎右衛門=福田義軍)運命の歯車:遊撃隊、人見勝太郎と伊庭八郎、突如現れる!請西藩内の蠢動:契り:藩主と家臣達伊庭八郎 の大奮闘混乱期の小藩、譜代、代官所の宿命韮山代官所のケース腰抜け小藩と罵られつつ、彼らにも涙ぐましい実態が・・・・藩論決裂、抗戦派、血の犠牲、裏の実態・勝山藩、近江三上藩、駿府藩、前橋藩、等の他、 駿府藩、岡崎藩、館山藩、飯野藩、左貫藩魔の小田原戦:片腕の壮烈剣士:伊庭八郎集団自決を食い止めた男:遊撃隊頭取改役_岡田斧吉の銘スピーチ磐城平から会津へ相馬中村城、されど、意地の酒憤死の覚悟:孤騎敵陣突入「ああ、情けなき奥州! 徳川の運も、もはや、これまでか!」会津での別れ忍び寄る秋:輪王寺宮能久親王と曲者!覚王院義観仙台藩一変:伊達慶邦が恭順不気味な暗示、夢屈辱の決断:血しをの色:縄目の屈辱_辞世の句謹慎の後人生■No.1_夢のこと (母の夢、家老_北爪の夢) ■謹慎の後人生No.2 _戦争とフランス人形■経過_1:謹慎、農民、下級官員 ■経過_2:答えはNO! _榎本武揚と人見勝太郎■経過_3:最果ての函館暮らし、そして流浪 ■経過_4:救世主とふたつの血族 (・かつての家臣 広部周助の子、広部精、・我が子、ミツ )■経過_5:辞世の句は二度ない 資料編:林忠崇の人物、林家、請西藩について ・・・・そこんとこ、深~く見るには、真上のバナーからENTERして、読んでみて下さいね。幕末,戊辰戦争 ,箱館戦争 :幕末_WITH_LOVE玄関のご案内▲幕末_WITH_LOVE玄関は真上のバナーからね!大抵ストーリー風になってるワン!各シリーズ内コラム欄等に、犠牲者一覧、各個人年表なども有 幕末_WITH_LOVE玄関:お好みタイプを各バナーからENTERできます。中には小難しいタイプもありますが、歴史に興味がない、箱館戦争なんて知らない人でもさらっと読み流せる心系もあります。幕末の人は皆、随分純粋です。戊辰、箱館戦争を流れで大体順番に読む時の検索誰について読みたい、どの時期が読みたい検索人物名で登場を追っかけてみる?完全オタク系:執着型資料頁中島三郎助えとせとら資料:No.1~No.3小笠原長行&小笠原胖之助資料:No.1~林忠崇関連資料上総請西藩事情,林家&人物,林忠崇の参戦前の流れ~参戦経緯,徳川幕府終焉と請西藩主_林忠崇,参戦から降伏までの年表ブラックリストに挙がり、自刃&首犠牲の生じた藩と代官所等,大政奉還の段階で明らかに反発を示した藩と人幕軍・松前えとせとら:No.1~延々有ります。EPE:ペンギンアニメ;押し花とアイコン:犬猫アニメ;薫風館:和風イラスト
2010.07.19
幕末WITH_LOVE<箱館戦争,戊辰戦争<箱館戦争とトーマス・ライト・ブラキストン,ブラキストン線で有名,ブラキストンについて,箱館戦争時代の彼、及び直前直後,知られざる彼の素顔と実績,青函連絡船アイディア創始者他,【楽天市場】幕末WITH_LOVE★今回の・・ちょろっとご紹介コーナー動植物の分布境界に係る「ブラキストン線」で有名なあの人物。ブラキストンの素顔と知られざる実績箱館戦争の貴重な資料のひとつ、『苟生日記』の著者である杉浦(赤城)清介が、書き残した。「あやつは、ろくでない男!要注意外人じゃ!」それが、この男、トーマス・ライト・ブラキストンだった。それもそのはず、彼はイギリス人で、もと軍人。クリミア戦争に参戦している。当然、新政府の味方。しかし、彼もまた、この箱館で、懊悩の日々が続く・・・箱館戦争とブラキストン文章解説(c)by rankten_@piyoイラスト写真については頁最下欄箱館になぜ居た?何をしてた?榎本軍に、何をやってくれた?!(幕軍にとっては間諜=敵の存在)直前の彼を回顧_熱い冒険魂の男、ブラキストンの実証極寒のシベリア横断_それが新婚旅行脅威の発言。「今は食事中!」自宅に砲弾が直撃、撃破!窓ガラスが飛び散り斬壊した屋内で、平然と食事を・・食卓を突破した砲弾_ジョン・ウィル回想記ブラキストンの予言「今に上達するであろう。」発言と、明治2年5月12日、五稜郭被弾事件の絡み五稜郭被弾、榎本武挙以下幕軍、屈辱の和平交渉為るべくして、事為り止む:榎本武挙達の半年の夢、終焉箱館が函館に変わってゆく頃:明治期、箱館と函館に生きた男、ブラキストンの素顔青函連絡船の生みの親は、実のところ、ブラキストンだった!!暗転の坂道、ブラキストンの運命◇使用人縊死事件,◇ドイツ代弁領事:ルードウィッヒ・ハーバル暗殺事件ブラキストン貿易商社の株券 動植物分布の境界線に係る「ブラキストン線」発表。その背景と苦悩晩年、生まれ変わった男遅すぎた幸せ時代、誰よりも愛した人箱館戦争の観点から作った「トーマス・ライト・ブラキストン(=トーマス・W・ブラキストン)おまとめ年表」 ・・・・そこんとこ、深~く見るには、真上のバナーからENTERして、読んでみて下さいね。幕末,戊辰戦争 ,箱館戦争 :幕末_WITH_LOVE玄関のご案内▲幕末_WITH_LOVE玄関は真上のバナーからね!大抵ストーリー風になってるワン!各シリーズ内コラム欄等に、犠牲者一覧、各個人年表なども有 幕末_WITH_LOVE玄関:お好みタイプを各バナーからENTERできます。中には小難しいタイプもありますが、歴史に興味がない、箱館戦争なんて知らない人でもさらっと読み流せる心系もあります。幕末の人は皆、随分純粋です。戊辰、箱館戦争を流れで大体順番に読む時の検索誰について読みたい、どの時期が読みたい検索人物名で登場を追っかけてみる?完全オタク系:執着型資料頁中島三郎助えとせとら資料:No.1~No.3小笠原長行&小笠原胖之助資料:No.1~幕軍・松前えとせとら:No.1~延々有ります。EPE:ペンギンアニメ;押し花とアイコン:犬猫アニメ;
2010.07.11
洋服気分の可愛い犬用ハーネス各種,犬の洋服,ボ犬用ハーネス,ハーネスベスト,ソフトハーネス,痛くないハーネス,【楽天市場】いろんなお店キーワード有効お好みのテキスト変更自由検索OK!ペットパラダイス犬服,ドッグウェア DogSkipPr24ペット犬の服wanbyoneペットショップさかいポンポリースDOG IN THE BOXPLEYON愛犬のセレクトショップ=カレッツァゆーとぴあ可愛いハーネス、痛くないふわふわハーネス色々!商品が売れたり、そのサイズが売れたり・・・すると、画像リンク側は、ブヒッ!とエラー画面が出る事も有るワン!■そんな時、左側のテキストリンクでね!テキストは毎日「本日のおNEW!」込みで出るわん!■お店や、商品によってはリードと付属品がセットでお得!もあるワン!■一番下に、介護ハーネス、猫ちゃん洋服調ハーネスコーナーもあるわん!ペットパラダイスミッキー、ミニー、スヌーピー、くまのプーさん他可愛キャラ得意の店!Tシャツも、ジーンズとトレーナーのつなぎ等も、可愛キャラ一杯!本日NEWの新着込み!ペットパラダイスお洋服&グループ店▼中型犬、大型犬サイズ探しのコツ!:モデル犬の犬種に関係なく、任意画像からENTER、表示先画面左カテゴリから中型犬、大型犬2_ペットパラダイス&姉妹店 _ _ _ _洋服気分の可愛いハーネス、色んなお店ハーネスドレス!やめられないワン!思わず、夢見る瞳になるワン!牛飼いとアイコンの部屋:イラスト,アイコン
2010.07.06
箱館戦争に散った命,三好胖の悲劇,小久保清吉の殉死,終焉時に散った命、栗原仙之助,幕末,新撰組幕末_WITH_LOVE<箱館戦争,戊辰戦争<初期戦犠牲者,七重に散った若き貴公子、小笠原胖之助の烈死,針の止まった金時計,小笠原長行,小笠原長行の行動&歴史,小笠原胖之助(=三好胖)について,中島登の戦友絵姿に描かれた小笠原胖之助の素顔,従者、小久保清吉の殉死,終焉時に散った命、栗原仙之助,中島登が戦友絵姿を描いた動機,他,【楽天市場】幕末,戊辰戦争 ,箱館戦争 :幕末_WITH_LOVE玄関のご案内▲幕末_WITH_LOVE玄関は真上のバナーからね!大抵ストーリー風になってるワン!各シリーズ内コラム欄等に、犠牲者一覧なども有 戊辰、箱館戦争を流れで大体順番に読む時の検索誰について読みたい、どの時期が読みたい検索人物名で登場を追っかけてみる?完全オタク系:執着型資料頁中島三郎助えとせとら資料:No.1~No.3小笠原長行&小笠原胖之助資料:No.1~幕軍・松前えとせとら:No.1~延々有ります。今回の・・ちょろっとご紹介コーナー新撰組,三好胖って誰?・・・なんて言わずに、泣いちゃって下さい!小笠原胖之助(=三好胖)の悲劇さて、誰に泣けるかにゃん?■小笠原胖之助(=三好胖),■小笠原長行,■小久保清吉,■栗原仙之助,■高仲重次郎,■中島登,■他キーワードはコレ!胖之助が兄上から貰った金時計誕生日目前に七重に散った若き貴公子、小笠原胖之助の烈死小笠原長行&小笠原胖之助(=三好胖)<慟哭の小笠原長行、夢よ夢、夢は夢ならぬ夢!(七重戦、針の止まった金時計)※別途参考資料専用頁有:資料編:小笠原長行&小笠原胖之助について小笠原胖之助(=三好胖)は唐津藩の貴公子、されど彼は江戸っ子箱館戦争の初期戦犠牲者,七重に散った若き貴公子、小笠原胖之助の烈死,針の止まった金時計,小笠原長行の行動&歴史,小笠原胖之助(=三好胖)について,中島登の戦友絵姿に描かれた小笠原胖之助の素顔,小久保清吉の殉死,終焉時に散った命、栗原仙之助,中島登が戦友絵姿を描いた動機,幕末_新撰組,三好胖の悲劇,小久保清吉の殉死,終焉時に散った命、栗原仙之助こののSERIES直前の部分から読む(夢ならぬ夢)!_Vol.1=No.1A<No.1B事件は、明治元年10月24日(1868)。当時の10月24日とは旧暦のことである。今日では12月7日に該当する。蝦夷に上陸した榎本艦隊は、不義への闘いを挑み、箱館へ向け、進軍を開始した。身も凍る激寒の地。蝦夷の真冬。降りしきる雪の中、幕軍は、深雪に足を取られつつ、徳川報恩、蝦夷政権に最期の望みを架け、必死の行進を続けた。死の突貫_七重の地、小笠原胖之助文章解説(c)by rankten_@piyoイラスト写真については頁最下欄★幕末_WITH_LOVE玄関孤独な胖之助を心から愛して、甥子にありながら、実の弟同然に可愛がった長行殉死した男、泣ける程忠実な男、小久保清吉無念の最期を遂げた純潔の男、栗原仙之助もしも、奇跡が許されるなら、己が成代って死にたかった心底そう思った高仲重次郎悲しみに耐えて尚も義に生きようとする彼ら、その姿に泣けた男、中島登(従前からの新撰組隊士)・・・・そこんとこ、心の内、深~く見るには、こちらから読んでみて下さいね。▼Blue Moon:翼と時計;EPE:ペンギンアニメ;押し花とアイコン:犬猫アニメ;
2010.07.03
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