ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2008.01.26
XML
カテゴリ: 国際政治
第一次世界大戦(56) 

オスマン帝国の解体とトルコ

オスマン帝国、1453年にビザンツ帝国を滅ぼし、イスラム世界とギリシャ正教世界を統治する大帝国を形成し、ヨーロッパの国際関係にも常に大きな影響を与えていたこの国は、しかし、長期の君臨による金属疲労から、19世紀に入ると瀕死の重病人と呼ばれるまでに弱リ果てた国、腐った「大国」になっていました。

1912年にバルカン同盟を構成したバルカン諸国が、オスマン帝国からの独立を目指した第一次バルカン戦争にも敗れ、バルカン諸国の独立を認めなければならないほど、この国の力は衰えていたのです。

そのため、1915年にドイツ側に立って連合国に参戦した後、オスマン帝国軍は実質的にドイツ軍の丸抱えに近い状態にありました。

大戦末期、戦後における独立の密約(フサイン=マクマホン協定)を武器に、オスマン帝国領内のアラブの地域に反乱を組織することに成功したイギリスは、アラブ人部隊と共に大挙してエジプトからパレスティナ、シリアに侵入しました。またインド駐留軍とインド人部隊を動員して、イラク方面からも侵入を果たしました。

この英軍の侵入を獅子奮迅の活躍によって、アレッポの線で辛うじて食いとめたのが、現在でもトルコ独立の父として、尊崇されているムスタファ=ケマルでした。

しかし、ブルガリアの降伏とそれに伴うドイツ側戦線の崩壊とドイツの敗勢が、もはや帝国の態をなさなくなっていた「トルコ』の戦闘能力を奪ってしまったのです。ここにトルコは、18年10月31日、遂に降伏して、トルコにとっての第一次世界大戦は終ったのでした。

休戦条約には、「連合軍が安全を脅かされた場合、いかなる戦略上の拠点をも、占領する権利を有する」と記されていました。実際に、休戦協定成立後オスマン帝国の首都だったイスタンブールは、連合軍の占領下におかれましたし、列強によるオスマン帝国領の分割が、現実に進行しはじめたのです。


                  続く






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008.01.28 00:11:24
コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

まだ全部じゃないけど New! あみ3008さん

鳩サブレー「鳩の日」 New! 5sayoriさん

社会システムの崩壊… New! 歩世亜さん

「娘からの電話」 New! でぶじゅぺ理さん

色々考えさせられる New! nik-oさん

コメント新着

でぶじゅぺ理 @ Re:石破辞任(09/09) 明けましておめでとうございます。 本年…
葉月 生 @ Re:ご無沙汰しました(08/15) 神父さま お帰りなさいませ。 1ヵ月に1回…
kopanda06 @ Re:石破辞任(09/09) お久しぶりです。 降雨の中、高見観音の…
吉祥天2260 @ Re:石破辞任(09/09) どの人見てもなんだかねぇ・・・ 国のこと…
わからんtin1951 @ Re:石破辞任(09/09) テレビを観ていると、総裁選のことばかり…

バックナンバー

・2026.08
・2026.07
・2026.06
・2026.05
・2026.04

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: