ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2008.06.15
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カテゴリ: 民衆の歴史
時間と時計 (7)

西欧の時計搭は、14世紀後半から15世紀にかけて、建設が始まったのですが、それは当時の都市にとって、時間とお金のかかる大公共事業そのものでした。しかも機械時計を据えつけるには、複雑で高度な技術を持つ時計職の親方が必要でした。

時計搭を見ると、その都市の文化水準というか、ハイテク技術の水準が分かったと言われたほどでした。それ故に各都市は、時間とお金がかかっても、面子にかけて、立派な時計搭を建てようと考えたのです。

そんな中に、中欧の美しい都市、現在のチェコの首都プラハもありました。このプラハにこんな伝承が残されています。

プラハでは1333年に市庁舎の建物が出来、1355年には建物に搭屋が聳えることになりました。「黄金のプラハ」のシンボルが誕生したのです。この搭に機械時計が取りつけられたのは、1402年の事でした。

そして、この時計搭に、同じ15世紀の末になって、もう一つ別に精巧なカラクリ時計が取りつけられたのです。取りつけられた場所は、搭の下の方でした。その時計は天文時計でしたが、市民や旅人が良く見えるように配慮されていたのです。

天文時計の文字盤の上の壁にあたる部分に、2つの開いた小窓が付いていました。正時が来ると鐘が鳴ります。鐘が鳴る度に左の小窓から、キリストの12使徒が1人づつ出てきては、右の小窓に消えて行くのです。1人また1人と。これには市民達は大いに喜び、市庁舎の時計搭は、大人気となりました。

作成者は、プラハに住む時計工のハヌシュ親方でした。親方の評判はいやがうえにも上がります。それを心配した市の幹部達は、ハヌシュ親方が他都市に引き抜かれ、より高度なカラクリ時計を作りはしないかと心配したのです。それなら高級で優遇するとか、名誉ある地位に付けるとか、考えれば良かったのでしょうが、市の幹部達は、最悪な方法を選んだのです。

それが、ならず者を雇って、ハヌシュ親方の両眼を潰す事だったのです。当然親方はもはや仕事は出来なくなりました。ハヌシュは市の幹部の差し金に違いないと見当をつけ、復讐の機会を待ちました。



ハヌシュの話しは、プラハ市に伝わる伝承ですから、本当の話ではありません。しかし、この伝承を基に、プラハの時計搭には、18世紀になって、ある時計技師が修理し、復元したカラクリ時計が復活し、再び動くようになったことも事実です。機会がありましたら、ご覧下さい。
                          続く





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最終更新日  2008.06.15 16:37:17
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