ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2009.11.27
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カテゴリ: 民衆の歴史
デパートの誕生(46)

1872年に完成したボン・マルシェの第1期新館には、650人を収容できる4つの従業員食堂が設けられていました。ボン・マルシェを魅力的な職場にするための、従業員向けの福利厚生の一環として、プシコーが考え出したものです。

費用は無料。ただなのですが、質も量も満足の行くものだったようです。ゾラの小説に経営者のムーレが、従業員の話を聞いて、社員食堂のメニューを見直す話が出て来るのですが、プシコーは社員食堂の設置を思い立った時、食事の量と質は自分自身で監視することにしたのです。当然写真の満足度は高いものとなりました。

一番大きい食堂は、男性店員用の食堂でした。食事はセルフサービスで、肉類はお替り自由、デザートもつき、さらに日本では考えられないのですが、ワインかビール(小瓶)が付いたのです。当初は夕食も全員食堂でとる決まりだった(これも無料です。こうすることで、従業員の夜遊びを減らせると考えたようです。

しかし、家族持ちの店員から、夕食は家族と取りたいという希望が出され、とるとらないの選択は、各自に任されるようになりました。監視官、売り場主任、それに重役陣から社長までが社員と同じ場で、同じ食事をとっていたのです。下の絵が従業員食堂と厨房の様子です。

従業員食堂の様子

従業員食堂の厨房

女性従業員用の食事場所は、店員用と作業場の女子工員用の2ヶ所に別れていました。メニューは男性用と変らないのですが、ワインかビールを供与は希望者のみと言う所が違っていました。そしてもう1点、女性用食堂はセルフサーヴィスではなく、ウェイトレスがちゃんとテーブル・サーヴィスをしてくれました。

最後の食堂は、御者、馬蹄などの現業職員用でした。ここでもメニューに差別はなく、異なっているのは、仕事の性質上時間決めでなく、いつでも食事が取れるようになっていました。

プシコーは食堂の営業を業者への委託とせず、全て自前の食堂とし、食堂の社員も皆ボン・マルシェの社員とし、主任以下の職制をここにも適用していたのです。彼はまた、食中毒には特に気を払い、とりわけ衛生状態については、毎日チェックを怠らないのが常でした。











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最終更新日  2009.11.27 17:58:23
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