内大臣木戸幸一の日記が語る通り、ソ連の参戦を知った昭和天皇が、突然連合国との講和に積極的になったことは、その後の事実からも確認できます。
木戸が天皇の講和に向けての強い意志を伺い、その事実を鈴木首相に伝え、首相が「最高戦争指導者会議」を開いて、方針を決めたい」と応じた後、そう間を置かず、宮中の防空壕の中で、同日の10時30分から、最高戦争指導者会議が開かれました。
会議には、昭和天皇も臨席し、政府から鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相が出席、軍部から梅津参謀総長、豊田軍令部総長が出席しました。その会議では、天皇の早期講和の意志はなお伝えられないままでしたから、なお日本側にとって都合の良い、ノー天気な講和条件がまとめられました。
1、皇室の存続を確認させる。
2、日本軍の撤兵は、自主的に行う
3、戦争責任者の処理は、日本で行う。
4、連合国は、ポツダム宣言の実行を保障するための占領は、行わない。
以上の4点です。一読すれば、無条件降伏を求めるポツダム宣言と、大きく食い違っていることがすぐ分かります。
会議の最中に、長崎に2発目の原爆が投下されました。満州では、ソ連軍の快進撃が続いていました。
こんな申し出を連合国が受け入れるはずのないことは、冷静な目で見れば誰にも分かります。天皇は、自分の弟たちを動員します。3男の高松宮が木戸内大臣に電話連絡し、「この条件では、連合国は、ポツダム宣言の拒絶と受け取る恐れが強いのではないか…」と伝えました。
再度天皇の意志を確認した木戸は、鈴木首相に連絡し、鈴木は今度は閣議を開きました。閣議では、「皇室の維持」だけを主張する東郷外相の提案を中心に、議論が紛糾し、全会一致が原則の閣議了解は得られませんでした。軍強硬派に近い、阿南陸相、松阪法相、安倍内相の3人が断乎として反対したのです。
二つの会議は、講和に向けての日本側提案の作成に失敗したのです。粘り腰の鈴木首相は、まだあきらめませんでした。事態は深夜になって動きました。
9日午後11時過ぎに、鈴木は天皇に会い、最高戦争指導者会議を御前会議として開き、その会議に平沼麒一郎枢密院議長を出席させることを願いました。天皇は直ちに同意し、午後11時50分から、前回と同じ宮中の防空壕の中で、この日2度目の最高戦争指導者会議が開かれたのです。
続く
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