ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2022.01.22
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カテゴリ: 外国史
クロニクル 血の日曜日

1905(明治38)年1月22日

117年前のことです。明治38年ですから、日露戦争の最中。戦争の相手国だったロシア帝国の当時の首都ペテルブルグで起きた惨劇のことです。

当時のロシアは、ギリシア正教に近い、ロシア正教を国教としていて、西暦とは少し異なるロシア暦を採用していました。西暦の暦から13日を引くとロシア暦に、ロシア暦に13日を加えると西暦になります。

レーニンを指導者とするボリシェヴィキ(後のロシア共産党)が権力を掌握したロシアの革命を十月革命と言ったり、十一月革命と言ったりするのは、前者がロシア暦を基準に叙述しているのに対し、後者は西暦を基準に叙述するからの違いで、どちらも正しいことになります。ややこしいですね。

で、血の日曜日事件は、西暦でいう今日1月22日に起きましたから、ロシア暦では1月9日のことになります。

20世紀初頭のロシアは、フランスからの借款を頼りに工業化を進めていましたが、日露戦争当時は不況に喘いでおり、そこに戦争の負担が重なって、貧民の暮らしはどん底状態にありました。そんな民衆たちは、この日ロシア正教会の司祭ガポーンの指導の下に、自分たちの苦しみを訴えに、ツァーリ(皇帝)の下へと請願行進を行なったのです。

民衆は、ツァーリを信頼し、ツァーリに直接訴えれば何とかしてもらえると。信じていたのです。今の窮状は、悪い官僚やツァーリ側近が、嘘の報告を繰り返し、ツァーリが実情に気付かないようにしているせいだ。こう考えていたのです。

そのため、ガポーンの打ち出したツァーリへの請願行進は、貧しい民衆の心を捉え、この日の行進には、近在の村々を含めて、10万人以上の民衆が参加したのです。こうして雪の冬宮前広場は、群集で埋め尽くされます。武器を持たない素手の人々の集まりでしたが、あまりの大群衆の出現に、恐怖心に襲われた守備隊は、隊長の命令と共に、無抵抗の民衆に一斉射撃を浴びせたのです。

雪の冬宮前広場は、血で染まり、大勢の犠牲者を出したのです。この事件の様子は、ロシア各地は勿論、広く世界に報じられ、ロシア各地では、次第に抗議行動が広がり、ツァーリに対する民衆の盲信が崩れるきっかけとなったのです。

この血の日曜日事件をきっかけとする、ロシアにおける革命情勢の進展(最終的には失敗に終りますが、第一次ロシア革命と呼ばれます)は、ロシア政府をして、日本との戦争の継続は困難との認識に導きます。その結果が、アメリカ西海岸ポーツマスでの、日露交渉の受諾に繋がりました。






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最終更新日  2022.01.23 02:06:32
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