本日は近鉄奈良駅から御魂鎮まる田原の里への銀輪散歩である。田原の里は奈良市街からは高円山を回り込んだ処にある。茶畑の中に志貴皇子の御陵(田原西陵)と光仁天皇陵(田原東陵)や太安万侶の墓などがあるが、訪れる人も殆どなく静かな山里である。小生お気に入りの地のひとつで、これまでにも何回か訪れているが、自転車では、坂、坂、坂だから、相当に厳しいコースである。その分、下りの爽快さもあるということではあるのだが。何度行ってもぐにゃぐにゃした田園の道を走って(歩いて)いると方向を間違ってしまうのでもある。が、それもまた楽しいという、心和む快適な道なのである。
(岩井川ダム)
途中にある岩井川ダムの周回道は未だ立ち入り禁止なのかも知れなかったが、通行止めの柵が通路脇に倒されていて、通路が開放されていたのでグルリと一周走ってみた。
<参考>
岩井川ダム
(
田原西陵)
田原西陵は志貴皇子の墓である。志貴皇子は天智天皇の子であるが、万葉集に優れた歌を残している。志貴皇子の子の白壁王が称徳女帝の後を継いで天皇(光仁天皇)になったことから、その子の桓武天皇の時に、春日宮天皇という名を贈られている。
志貴皇子
(御陵入口の万葉歌碑) (参道にて見かけた草花)
石
ばしる
垂水
の上の さ
蕨
の
萌え出づる春に なりにけるかも (巻8ー1418)
上記写真の歌碑では「~たるみがをかの・・・もえいづるころに~」となっているが、やっぱりこの歌は上のようでなくてはならないのだ。
さ蕨ならぬ、線香花火のようなちょっと珍しい花をご陵の参道で見つけたが、なんという花であるのだろう。(写真右)
(十輪寺)
田原西陵から東陵へ向かう途中に十輪寺というお寺があった。立ち寄ってみると、夏支度の大掃除の最中らしく、お寺の方が拭き掃除など忙しそうに立ち働いておられました。本堂の前のベンチにカーペットが干されている。写真を撮ろうとすると、お寺の方が忙しい中、カーペットを片づけて下さいました。お邪魔をしてはいけないと、早々に退散いたしましたが、嬉しいお心遣いでありました。
<参考> 十輪寺
(田原東陵)
田原東陵は光仁天皇陵である。光仁天皇は称徳天皇で天武系の血筋が絶え、天智系の天皇が復活した最初の天皇であり、志貴皇子の子である。次の天皇となる桓武天皇の父親でもある。自分に皇位が回って来るなどとは思いもせず、大安寺で酒を喰らってくすぶっていた白壁王に皇位のチャンスが巡って来たというのも歴史の悪戯、運命という奴ですな。
<参考> 光仁天皇
(田原の里の道)
田原西陵から少し奈良側に戻った処、ヘリポート前の脇道にある犬養万葉歌碑に挨拶をしてから帰途につくことに。
(犬養万葉歌碑)
むささびは
木末
求むと あしひきの
山の
猟夫
に あひにけるかも (巻3-267)
<むささびは梢を求めようとして、山の猟師に捕えられてしまったことだ。>
帰途、春日病院の売店に立ち寄り、水分補給のため、お茶を購入。ついでに、アイスクリームを買って、バス停のベンチで食べていると、道路の反対側のバス停ベンチでは青年が自転車の後輪を外してパンクの修理中であった。車がひっきりなく走るので、声はかけなかったが心の中でエールを送って、小生はなら町へと。さあ、帰ろう。
(元興寺極楽坊)
<参考>
元興寺極楽坊
(なら町の町家)
(狂言大蔵流宗家屋敷跡)
(猿沢池)
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
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