久しぶりに銀輪万葉して来ました。
JR加茂駅下車、自転車を組み立てて出発。
もう何度も走っている道であるが、去年は近鉄山田川駅から出発し、大阪府に入りJR京橋駅まで走ったので、今回は三川(木津川・宇治川・桂川)合流点で桂川に入り、鴨川を経てJR京都駅まで走ることに。50km位か。
先ず、恭仁
(くに)
京址へ。
(恭仁大橋から見る木津川)
(鹿背山)
鹿背の山 木立を繁み 朝去らず
来鳴きとよもす うぐひすの声 (巻6-1057)
(狛山)
恭仁京は聖武天皇の時代に一時都が営まれた地。
今は鹿背山や狛山、笠置山から続く当尾の丘陵を背景に、木津川がゆったりと流れ、のどかな田園風景が広がっているだけ。
コスモスの花が秋風に揺れている。
万葉歌人の田辺福麻呂が、
「山並のよろしき国、川なみの立ち合ふ里」(巻6-1050)
と歌った、そのままの景色の、いつ来ても心和む静かな里なのである。
三香原 久邇の都は 荒れにけり
大宮人の うつろひぬれば (巻6-1060)
(山城国分寺址)
(恭仁京大極殿址)
今造る 久邇の都は 山川の
さやけき見れば うべ知らすらし (大伴家持 巻6-1037)
この歌碑が恭仁大橋のたもとにある。
恭仁京の造営が始まったのは740(天平12)年12月、家持23歳の時である。橘諸兄政権の下、若き官人としてスタートしたばかりの家持も新都建設に重ねて、自身の未来に対し、明るい希望に燃えていたことであっただろう。
<参考>
恭仁京
なぞの都 恭仁京
山城国分寺
(恭仁神社)
<参考>
恭仁神社
(高麗寺跡)
<参考>
高麗寺跡
(木津川市ホームページ)
高麗寺跡第6次発掘調査現地説明会資料
(泉大橋から見る木津川)
京都八幡木津自転車道は、泉大橋のたもとを起点に木津川左岸を通り八幡で桂川べりに移り、嵐山の渡月橋のたもとまで、全長45kmの自転車道である。
(木津川自転車道)
(嵐山まで36.4kmの道標)
<参考>
京都八幡木津自転車道を走る
京都八幡木津自転車道
(今年も柿がたわわに。)
(流れ橋がその名の通り、流れていました。)
通称「流れ橋」の上津橋は、先般の台風の際の増水で、橋板が流され川原に長いボロ布のように横たわっていました。まだ修復されておらず通行止めになっていました。ずっと下流の方の橋脚に引っかかって止まっている橋板もありました。橋板を繋いでいた線が切れて下流まで流されてしまったのでしょう。
(御幸 (ごこう)
橋から石清水八幡宮のある八幡山を望む。)
(桂川自転車道)
(鴨川に入る。)
御幸橋を渡って桂川に入るが、嵐山に向うには、途中で左岸から右岸の道に渡る。ずっと左岸を行くと魚市場跡の石碑を過ぎて支流の鴨川左岸に入ることになる。
(鳥羽の大石)
二条城の城郭石材として運ばれて来た石が何らかの理由で川に落ちて川底に沈んでいたものであるらしい。河川公園の整備事業で川底から引き上げられて、川原に保存されている。
(鴨川)
(鳥羽大橋)
<参考>
鳥羽大橋~勧進橋
勧進橋で鴨川とお別れして、JR京都駅へ。銀輪万葉おしまい。
木津川・淀川自転車道をゆく
(2008.11.3.)
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