昨日は友人の偐山頭火氏と先週に続いての銀輪行。
柏原市の大和川畔、高橋虫麻呂歌碑の前で待ち合わせ。恩智川沿いのいつもの銀輪散歩道を走って1時間弱で到着。少し早く着き過ぎたので石
(いわ)
神社や大和川を渡った先の允恭天皇陵周辺を自転車で一回りしてから、待ち合わせ場所へ。
石神社は本ブログでも既に取り上げていますので、ご参照下さい。
2009.6.8.石神社写真(「高井田横穴公園」)
2009.8.23.石神社写真(「自宅ー小阪・・・」)
(太鼓台格納庫)
この神社も祭の時には太鼓台が出るようだが、そう言えば、山の向こう側、大和側の龍田大社も秋の祭には太鼓台が出る。枚岡神社のそれと同じような太鼓台なんだろうか。
さて、偐山頭火氏と合流。大和川を渡って安福寺へ。安福寺は行基創建と伝えられるが、中世には荒廃。江戸時代寛文年間(1661~1673)に浄土宗の珂憶
(かおく)
上人によって再興された。この再建に力を貸したのが尾張徳川家2代藩主徳川光友。光友の廟所が本寺にある。
安福寺(柏原市)
(本堂)
この本堂は屋根を低くし、柱を太くした「珂憶建」と呼ばれる様式にて、建築史上も貴重なものであるとか。
(変相殿)
(珂憶上人墓?)
安福寺に隣接する小さな神社、伯太彦神社がある。祭神は伯太彦命である。伯太彦
(はくたひこ)
は渡来系氏族田辺氏
の祖である。田辺氏一族はこの一帯に勢力を張っていたとされる。家持とも交流のあった万葉歌人、田辺福麻呂
(たなべのさきまろ)
のことなども思われる。西を流れる石川も伯太川とか博多川と呼ばれていたとか。
(伯太彦神社)
安福寺を後にして、飛鳥川(河内飛鳥川)に沿って走り、小生のリクエストで杜本神社に立ち寄ることに。
(河内の飛鳥川、逢坂橋上から)
河内飛鳥川は二上山の方から竹内街道に付かず離れず流れて西名阪自動車道のすぐ南側で石川に注ぐ小川である。次の歌の飛鳥川は大和のそれではなく、河内の飛鳥川のこととされる。
明日香川
黄葉
流る 葛城の
山の
木
の葉は 今し散るらし(巻10-2210)
上の写真は逢坂橋の上から飛鳥川上流を眺めたものであるが、「逢坂」という名がつけられたのは、履中天皇に穴虫越は伏兵がいるから竹内越の道を行け、と忠告した少女の逸話から来ているのだろうか(笑)。
仁徳崩御後の政争で、皇太子(履中天皇)が弟の住吉仲皇子に襲われ、難波から大和へ逃れようとして、二上山の麓まで来た時、出会った少女に伏兵のこと知らされるのであるが、その時の履中天皇の歌が「大坂に 遇
ふや 少女
を 道問へば 直
には 告
らず 当摩径
を 告
る (日本書紀・履中天皇即位前紀)」である。この辺りで少女に遭ったと考えてもおかしくはない、なんぞと橋の名から空想が広がる。
(杜本神社)
杜本神社の祭神は経津主命
(ふつぬしのみこと)
である。経津主命は枚岡神社でも天児屋根命とともに祀っていますが、春日大社の4神の一つ、香取神宮からお越しの神様、藤原氏の神様ですな。
境内に獣面が彫られた隼人石なるものが在ると何かで読んだのでそれを見てみようと来たのだが、何処に行ったのか存在しない。その代りと言っては語弊があるが、藤原永手(房前の息子)の墓があった。まあ、藤原系の神社だから永手の墓があってもおかしくはないが、光仁天皇、桓武天皇の即位を画策した奈良時代の大物政治家がこのような余り目立たない神社にひっそり眠っているというのも面白い。
<参考>
藤原永手
(藤原永手の墓)
飛鳥川にかかる逢坂橋を渡り、近鉄駒ヶ谷駅を越えて、コスモス畑、大黒寺を経て、石川自転車道へ。
(コスモス園。一本10円とありました。)
(曹洞宗・
大黒寺
)
石川べりに出た処で時計を見ると12時を回っている。急に空腹を覚え、昼食を提案。焼き肉レストランへ。昼食を済ませて店を出て来ると、足湯があった。レストランの隣が「延羽の湯」という温泉でありました。羽は延ばせられないが、せめて足でも「延ばす」かと二人でしばし足湯。
(足湯で足も軽くなって。)
(石川自転車道・南河内サイクルライン)
石川の自転車道は何度走っても爽快。富田林寺内町経由、錦織公園まで走ることに。
(石川畔からPL教団の塔)
(杉山家住宅)
石上露子の生家、杉山家の向かいの寺内町センターでしばし休憩。
(寺内町・あてまげの道)
<関連記事> 富田林寺内町(2008.7.9.)
錦織公園・喫茶アキ(2008.10.19.)
寺内町を出て、富田林高校の前を通り、錦織公園へ。途中、久しぶりに「喫茶アキ」で珈琲と思ったが、シャッターが降りていてお休み。残念。錦織公園への最後の坂道をひたすら登る。結構キツイ。公園は土曜日とあって家族連れなど色んな人で賑わっていました。
(錦織公園)
錦織公園でゆっくり一休みした後帰途に。前回同様、智麻呂氏邸を訪問、ご機嫌伺いを兼ねて、新作の絵2点を仕入れて来ました。智麻呂邸までで偐山頭火氏は本日の走行距離約70kmと言っておられましたが、小生もそれ位は走ったのだろうか?自宅へのいつもの坂道がいつもよりは疲れを感じましたですな。
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