PC不調につきブログ更新滞っていましたが、元に復しましたので、日付遡って更新します。本日(3月10日)、天候に少し不安ありましたが、雨具の用意をして、奈良自転車道を銀輪散歩に。時々青空が覗くかと思えば、強く雨が降ったり、霰が降ったりという妙な天気。という訳でいつでも切り上げられるように、平城京址公園から鴻ノ池運動公園への奈良自転車道とその周辺を軽く走ることに。
平城京址公園は大極殿復元工事も終り、祝典・式典準備の周辺施設の整備工事の最終段階に入ったようであるが、其処此処が工事で立ち入り禁止になっている。
<参考> 平城遷都1300年祭
(大極殿)
遠くから大極殿に挨拶し、コナベ・ウワナベ古墳に向かう。
(ウワナベ古墳)
<参考> ウワナベ古墳
(コナベ古墳)
<参考> コナベ古墳
ウワナベはウワナリ(後妻)が訛ったもので、コナベはコナミ(前妻)が訛ったものだというが、両古墳とも、被葬者が誰とも分っていない、陵墓参考地である。航空自衛隊奈良基地とコナベ古墳の間の道を奥に行くと磐之媛陵である。磐之媛陵の前から奈良自転車道に入り、元正天皇陵、元明天皇陵を目指す。
(磐之媛陵)
磐之媛陵は何度も訪れ、本ブログでも既に紹介しているので、詳細はパスし、先へ。この御陵から奈良自転車道に入る。
<参考> 磐之媛皇后と光明皇后
万葉ウォーキング
磐之媛陵
ヒシアゲ古墳
(平城坂上陵飛び地)
(奈良自転車道)
(梅)
雑木林の佇まいや白梅の可憐さを愛でつつ行くと、国道24号にぶつかる。国道の下をくぐり、更にJR線をくぐると、景色が一転、里山の風景に紛れ込んだ気分になる。
(奈良自転車道)
自転車道は黒髪山へのゆっくりした登りである。鴻ノ池運動公園を右に登り切ったところで左折し急坂を下り、直進すると道の左に元正天皇陵、右に元明天皇陵が見えて来る。
持統天皇は、息子の草壁皇子を天皇にするつもりであったが、早逝。草壁と異母妹の阿閇(阿陪)皇女の間に生まれた軽皇子が未だ幼かったので、自らが天皇となり、軽皇子の成長を待つ。やがて軽皇子が文武天皇となるが、彼も亦早くに死んでしまい、文武の子の首皇子(聖武天皇)が幼かったので、阿閇皇女が天皇位につく。元明天皇である。元明天皇は娘の氷高皇女に譲位し、元正天皇の誕生となる。
独身女性が天皇になるという、異例の天皇である。後に、聖武天皇の娘、阿倍皇女が孝謙天皇(称徳天皇)となる先例である。
聖武天皇誕生までのつなぎとして天皇位についた母と娘が道を挟んでひっそりと仲よく眠っている。
(元正天皇陵)
元明天皇陵の北側の坂を登って行くと奈良坂の道に出る。奈良坂を登ると般若寺である。
(奈良坂・新道)
(般若寺)
般若寺は花の寺として有名な小さな寺。若い頃、奈良から浄瑠璃寺へのハイキングには必ずこの寺に立ち寄って行ったものであるが、今回は外から写真を撮らせて貰ったのみで退散。
般若寺を出て、脇道を入って行くと黒髪山神社という小さな稲荷神社があった。傍らには、「佐保山西陵七ツ石」とか「聖武天皇生母藤原宮子墓稜石」とかの表示と石碑・石造物が並んでいるのであるが、何であるのかよくは分らない。
ぬばたまの 黒髪山の
山
草
に
小雨
降りしき しくしく思ほゆ(万葉集巻11-2456)
時々に雨の降る風情は、この歌の雰囲気ではあったが、黒髪山の坂を登っている時には霰まで降って来たのであってみれば、「しくしく」ではなく「バラバラ」でありましたな。
(黒髪山神社)
(佐保山西陵七つ石遺跡)
再び奈良自転車道に戻る。帰りは軽快な下りである。途中で国道24号に入り、近鉄新大宮駅へ。奈良市立一条高校の脇に日本最初の公開図書館芸亭伝承地の碑がある。
<参考> 芸亭伝承地(日本最初の公開図書館)
(芸亭伝承地)
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