本日(3月11日)は、天気もよし。昨日に続きトレンクルを持って近鉄当麻寺駅下車。当麻寺から御所・葛城古道経由五条市(JR和歌山線、北宇智駅)まで銀輪散歩して来ました。葛城古道は2007年4月15日に偐山頭火氏と銀輪散歩して以来の訪問である。この時は車で近鉄御所駅近くまで来て、そこから風の森峠まで行き引き返すという周回コースであったが、今回は手前の当麻寺から出発し五条までという直線コースである。直線とは言っても、あちらこちらに立ち寄りつつのジグザグなのではあるが・・。
(近鉄南大阪線当麻寺駅)
先日、太子町(二上山の大阪側山麓)を銀輪散歩したので、今日は奈良県側の山麓を散策してみようという次第。先ず当麻寺を目指す。当麻寺は2000年10月8日以来の訪問であるから、ほぼ10年振りになる。
(相撲開祖の 當麻蹶速
の塚)
当麻寺への道の途中に「タイマノケハヤの塚」がある。垂仁天皇7年7月7日に天皇の面前で当麻蹶速と出雲の国の野見宿禰が相撲をとり、ノミノスクネにタイマノケハヤがあばら骨を折られ、腰の骨を踏み砕かれ、殺されてしまうという、荒々しい相撲の記事が日本書紀に出ているが、我が国最初の天覧相撲という訳で、その当麻蹶速を記念する塚である。
(当麻寺山門)
(梵鐘・我が国最古の梵鐘とか。)
(金堂)
(講堂)
(本堂)
(塔)
(中将姫)
<参考> 當麻寺
当麻寺から二上山への道に大津皇子の歌とその姉の大伯皇女の歌の碑がある。銀輪万葉なのでともかくも立ち寄ることとする。大津皇子のそれは犬養孝先生の揮毫である。
あしひきの 山のしづくに 妹待つと
我立ち濡れぬ 山のしづくに (巻2-107 大津皇子)
うつそみの 人なる我や 明日よりは
二上山を 弟世と我が見む (巻2-165 大伯皇女)
大津皇子の歌碑のある公園で暫し休憩。
橿原神宮前駅のパン屋さんで洒落のつもりで買ったパン
(亀さんと鹿さん)
を少し齧る(笑)。
(鹿さんと亀さん)
県道30号に出て南へ。右手後方をふりさけ見ると二上山の雄姿が。大伯皇女が眺めた二上山の姿である。
(二上山)
暫く走ると、笛吹山の麓、道の右手に雰囲気のある小高い丘が目に入る。何やら古墳が丘の上にある気配なので、犬を散歩させている女性に尋ねると、古墳があるとのこと。挑戦してみることに。だらだらと坂道を、息切らせながら登って行くと、奈良県社会教育センターの建物があり、その敷地が公園のように整備されて、遊歩道が林に続いている。美しい池があり、古墳があり、「万葉の丘」とも名付けられてもいる。景色を少しご紹介して置きます。
(奈良県社会教育センターの丘から葛城山を望む。手前は大池)
(中戸新池。池を巡る遊歩道はいい雰囲気である。)
(いにしえの丘・神明神社古墳)
(竹林の道)
(万葉の丘・皿池古墳)
万葉の丘から、自転車を担いで草の斜面を下り、畑中の畦道に出ると、オオイヌノフグリが青い星のように輝き、レンゲ草も花を付けている。今年初見である。
何処かで昼食を、と県道30号を走りながら探していると、マルベリーホールという市民文化会館の中のレストランが営業中の表示。そこで日替り定食。
(マルベリーホール)
昼食を取って元気百倍。店の方に五条まで自転車で行くと言うと吃驚されて、坂が大変だし、車の通行も結構あるからお気を付けてと励まされる。
近鉄・JR御所駅の西方、葛城山ロープウェイ乗り場へ続く県道213号を過ぎて県道30号を更に南に進み、九品寺の一つ手前から自然歩道に入る。かなりきつい登り坂。突き当りに駒形大重神社という小さな神社がある。
(駒形大重神社)
説明板によると「本社は御所市西部を南北に走る葛城の道(葛城古道)の楢原地区石川にあり、祭神は滋野貞主命外一座不詳とされている。 <略> 本社は『延喜式神名帳』にある葛木大重神社を駒形神社に合併して現在のように祀られているのであるという。<略>」駒形の名は農耕に使役した馬を祀ったところから来ているとのこと。その名から馬に関わる人の参拝詣が今もあるという。
さて、この後、九品寺へと向かうのであるが、続きはページを改めてすることとし、(その1)はここまでとします。(つづく)
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
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