高円の 田原の里に 立つ雲の
父と歩きし 遠き日もがも (偐家持)
今日は亡き父の七回忌法要を営みました。
上の歌は2005年11月、父の亡くなった時に詠んだいくつかの歌のひとつであります。
奈良の田原の里を父と二人で歩いたことや、その地にある志貴皇子の墓(田原西陵)の前で、笠金村が詠んだ万葉集巻2-230の歌(下掲)について父と色々と話をしたことなどなどを思い出して、詠んだ歌であります。
あれから、丸6年、早くも7回忌である。
6年前の11月24日の朝、父は何を思ったのでもあるか、金木犀の若木を近くの植木市で買い求め、それをせっせと庭に植え、その日の午後整形外科にリハビリに出掛け、その待合室で心臓発作を起こし、そのまま心不全で、あっけなくと言うか、慌しくと言うか、この世を去ったのでありました。
金木犀の花咲くごとに我をしのへと言ふらむか、であります。
(田原西陵・志貴皇子墓)
田原の里は、「御魂鎮まる田原の里」と呼ばれるが、高円山の裏手の茶畑が広がる長閑な里である。志貴皇子の田原西陵とその息子の光仁天皇(桓武天皇の父親)の田原東陵がある。
霊亀元年歳次乙卯秋九月、
志貴親王
の 薨
りましし時、作れる
歌一首並びに短歌
梓
弓 手に取り持ちて ますらをの 得物矢
手
ばさみ 立ち向ふ 高円
山
に 春野焼く 野火と見るまで もゆる火を いかにと問へば 玉ほこの
道 来
る人の 泣く涙 霈霖
に降り 白たへの 衣
ひづちて 立ち 留
り 吾に
語らく 何しかも もとな言ふ 聞けば 哭
のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛
き 天皇
の 神の
御子
の いでましの
手火
の光ぞ ここだ照りたる
短歌二首
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
三笠山野辺行く道はこきだくも 繁 に荒れたるか 久 にあらなくに
(巻2-230~232)
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