一昨日(2日)は月例の墓参でありました。
墓参の折に通る寺の門前に掲示の言葉を写真に撮るというのが、最近の恒例になっているが、この日は、坂村真民氏の言葉でした。
(坂村真民「一雨ごとに花がふくらみ、一雨ごとに芽がのびる」)
1.しんみん五訓(坂村真民) 2013.12.12.
http://plaza.rakuten.co.jp/kansonaikikata/diary/201312120000/
2.せいさんだからといって 2013.9.3.
h ttp://plaza.rakuten.co.jp/kansonaikikata/diary/201309030000/
3.坂村真民の詩 《飯 台》 2013.8.26.
http://plaza.rakuten.co.jp/kansonaikikata/diary/201308260000/
4.砥部、今治から高松へ 2013.8.14.
http://plaza.rakuten.co.jp/kansonaikikata/diary/201308140000/
墓は、このお寺(教覚寺)から更に2~300m坂道を上った処にある。
墓の場所から西方向を眺めやると、下のような風景である。大阪平野が一望である。
(墓からの眺め・クリックすると拡大写真でもご覧になれます。)
この日は夜来の雨が止んでの朝にて、雲が垂れ込めていましたが、よく晴れた日には遠く淡路島や六甲の山並みも望まれるのであります。
万葉の頃には、ここに大きな河内湖とも呼ぶべき水面が広がっていて、日が西に傾くと一面銀色に或いは夕照の色に輝いたのであろう。
難波の枕詞は「押し照る(や)」である。
これは、そのような光景から生まれた言葉である。
万葉時代に同じ感想を持った老麻呂さんが既にこのように詠って居られます。
直越えの この道にして 押し照るや 難波の海と 名付けけらしも
(神社忌寸老麻呂 万葉集巻6-977)
山に囲まれた大和盆地から生駒山を越えて難波へとやって来た万葉人にとって、難波は「海」が光る、明るい土地、そんなイメージであったのだろう。
それは、難波津から瀬戸内海を通じて先進文化の地、大陸へとつながっている、という「明るさ」でもあった。
1.直越えのこの道にして・南生駒まで 2013.6.29.
http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/201306290000/
2.生駒山あれこれ 2012.7.10.
http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/201207100000/
3.府民の森・紅葉散歩 2009.11.14.
http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/200911140000/
4.暗(くらがり)峠 2009.1.29.
http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/200901290000/
5.枚岡神社 2008.7.12.
http://plaza.rakuten.co.jp/yakamochi35/diary/200807120000/
<注>間違って3日の記事になっていましたので、4日に転記しました。 この関係で、転記以前に頂戴したコメントなどもそれぞれコピーし転記さ
せて戴きました。
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