偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2019.03.02
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カテゴリ: 近隣散歩
​​ 先月 初めの若草読書会の折に、ひろみの郎女さんから「近つ飛鳥博物館」の入場招待券を頂戴していたので、銀輪散歩を兼ねて行って参りました。他の記事などもあって、遅い記事アップになりましたが、遅ればせながらの報告であります。
 竹内街道から、近鉄南大阪線上ノ太子駅の手前で近鉄線を渡り、駅南口に出る。​

(上ノ太子駅前・南口)

(上ノ太子駅前の竹内街道説明碑)
 今回の銀輪散歩コースの太子町内のそれは、途中立ち寄った叡福寺東側の「太子・和み広場」にあった案内板「太子町観光案内」で示すのが分かりやすいでしょうから、まずその写真を掲載します。
 ​太子・和みの広場→伝・蘇我馬子墓→葉室小宮(仏眼寺跡)→仏眼寺→五右衛門石→仏陀寺古墳(伝・蘇我倉山田石川麻呂墓)→伝・蘇我蝦夷墓→近つ飛鳥博物館、という順に走る予定。

(太子町観光案内) ​​ーー 線が走ったコース
 ※画面をクリックすると大きいサイズに切り替わります。

 駅前から河内飛鳥川を渡り、聖和団地の中へ。
 団地への道は上り坂。ほぼ上り切った辺りに白梅が咲き匂っていました。​

(梅の花今盛りなり・・)

(同上)

(同上)

(同上)
 坂を上り切ると急な下り坂となる。
 下ったところにあるのが、太子・和みの広場。
 叡福寺に隣接してその東側にある。
<参考>叡福寺については下記記事参照。
太子町銀輪散歩(その2) ​ 2010.3.1.​ ​​


(太子・和みの広場)
 広場を取り囲むようにして立っている石碑には、十七条の憲法の各条文が刻されている。従って17基ある。
 全部は撮影する気はなく手近の2基だけを撮影。​

(十七条憲法石碑)

(同上)
 この広場には、聖徳太子墓石室模型、松井塚古墳石棺、尼ヶ谷古墳石室基部などが展示されている。​

(聖徳太子墓石室模型)

(同上・説明碑)

(松井塚古墳石棺)

(同上・説明碑)

(尼ヶ谷古墳)

(同上・説明碑)
 太子・和みの広場の南側交差点を西に入って最初の分岐で左の狭い脇道に入って行くと、椿の巨木の下に植木家墳墓と記された石碑を伴った古い石塔がありました。どうやら、此処が馬子の墓と伝えられている場所のようである。石碑の文章には「この墳は古くから土地の人々によって蘇我馬子の塚と言い伝えられております。しかし、『建久四年古図』(西暦1193年)には妹子大臣塚(小野妹子)と記されており、真実は​​定かではありません」とあるから、あくまでも「伝」という訳である。

(伝・​ 蘇我馬子 ​墓)

(同・説明碑)

(同上)
 馬子の墓かどうかはともかく、椿の古木がどっしりと「神さびにけり」でなかなか見事である。
 伝・蘇我馬子墓から府道32号に出て坂道を西へと下る。
 上宮太子高校の先、梅川の支流・太井川
​という小さな川を渡って (仏眼寺橋 <追記・訂正:正しくは平成橋でした。> ​、ローソンの手前を左に入る。敏達天皇陵への入口となる小径の前を過ぎ、左にカーブしながら上りになっている坂道を行く。仏眼寺のお堂の手前の分かりにくい路地を左に入ると葉室小宮である。
 小さな祠がある。この地、河内国石川郡葉室村の庄屋であった池田家の第16代当主清​​左衛門(藤兵衛)が、伊勢神宮に三十三回参拝したことを記念して元文2年(1737年)9月建立したものとのこと。その後、村に寄贈され、村人たちに「小宮さん」と呼ばれて大切に守られてきたようである。​

​​
(葉室小宮)

(葉室小宮由緒書)

(仏眼上人之遺蹟碑)
 ここには、仏眼上人所縁の寺(仏眼寺)があったらしく、祠の傍らには西国三十三所導師仏眼上人之遺蹟と刻された石碑が建てられている。
 17歳で即位した花山天皇は師僧を求めていたが、相応しい者が見つからない。そこで、神意を仰ぐべく熊野に勅使を派遣する。勅使は熊野で祈ったところ、帰京の道中でその僧に出会うであろうという熊野権現の夢告があった。そして、帰京の途次、河内国石川寺(叡福寺)に参詣した勅使の前に一人の僧が現れる。身なりはみすぼらしいが両眼から金色の光を放っていたという。この僧を京へ同道し、天皇に引き合わせる。
 僧は天皇より「仏眼」という名を賜り、花山天皇が落飾して法皇となる際の戒師を務める。
 仏眼は、花山法皇に徳道上人以来絶えていた三十三所観音巡礼を復興すべきであると進言。これにより仏眼上人を先達に花山法皇の三十三所巡礼が始まることとなり、後世、花山法皇を西国巡礼中興の祖と呼ぶ由縁となる。
 巡礼を終えると、仏眼は熊野に参詣すると称して忽然と姿を消す。実は、仏眼は熊野権現の化身であったという次第。
 仏眼を慕う花山法皇は、仏眼が最初に現れた叡福寺に近い葉室の地に師の名を冠した寺院を建立する。それが仏眼寺であるとのこと。
 明治6年(1873年)の明治政府の愚策・廃仏毀釈により、仏眼寺は廃寺となるが、明治末年に、旧地の南側に再興される。​

(現在の仏眼寺)
 出掛ける前に見たグーグル地図には、仏眼寺の東側の路地を入ったあたりに「五右衛門石」といものがあると表示されていたので、それらしき路地に入ってみたが、特段の標識もなく、それらしきものが見つからない。
 地図に示された位置から見て、これではないかと撮影したのが下の写真であります。​

(五右衛門石とはこれか?)
 五右衛門と言えば石川五右衛門しか思い浮かばないが、石川五右衛門とは何の関係もない葉室村の五右衛門さんちの石という意味の五右衛門石かも知れないので、それならこの程度でいいというものではある(笑)。
 尤も、グーグル地図のクチコミでは、「 その昔、太子町出身の石川五右衛門が盗みに失敗して這々の体で逃げ出し、ここまで来てようやく一息ついたが、悔しさのあまり『チキショー!!』と煙管を叩きつけたという伝承があるそうな。 」とか「 石川五右衛門の墓という伝承がある。 」とかの書き込みがあるから、やはり、かの五右衛門さんの石のようであります(笑)。
 で、石川五右衛門について調べてみると、その出生地については、伊賀国、遠江国、丹後国と並んで河内国という説もあるようです。
 それによると、真田八郎と称していたが河内国石川郡山内古底にある医家
(または、山内古底という医家) ​の養子となって、石川五右衛門と改名した、のだという。
 何やら胡散臭い話となりましたが、盗人五右衛門の石だけに胡散臭いのは相応のこととご理解願い、本日はここまでとさせていただきます。
 つづきは明日に。(​ つづく ​)
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
​​
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最終更新日  2019.03.03 09:55:54
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