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今日(11月3日)は文化の日ですが、鹿児島市ではおはら祭の本祭が賑やかに開かれました。このおはら祭は1949年(昭和24年)に鹿児島市制60周年を記念して始まり、毎年11月の2、3日に行われ、2万人程度の踊り連が参加し、高見馬場電停から市電軌道に沿って天文館通り電停、いづろ通り電停、朝日通り電停、市役所前まで練り歩き、「おはら節」、「鹿児島ハンヤ節」、「渋谷音頭」などの踊りが賑やかに披露されています。 それで、私もビデオカメラ持参で今日の午後1時頃からおはら祭の見物に出かけました。天文館に到着したときは、ちょうどマーチングバンドのパレードが始まっており、その後、珍しい中山町下の民俗芸能「虚無僧踊り」が披露され、続いて「鹿児島ハンヤ節」、「おはら節」、「渋谷音頭」の踊りが賑やかに繰り広げられました。 今年のおはら祭には西上太鼓踊りと中山町下虚無僧踊りが初出場し、残念ながら西上太鼓踊りは見られませんでしたが、デパート山形屋近くで演じられた中山町虚無僧踊りは幸いにして近くでじっくりと見ることができ、また持参したビデオカメラでも撮影することができました。 なお、「中山町下虚無僧踊り」とは、「鹿児島県」のサイトによると、「中山の虚無僧踊りは、豊臣氏滅亡にあたり、有水善右衛門重政が主家の再興を図って農兵をおこそうとして教えたとする説と、王政復古の頃に、虚無僧に扮した幕府の密使が無礼な振る舞いをしたため、農民たちが持ち合わせていた天秤棒でこれをうち果たしたということから始まったとする説があります。/この踊りは棒踊りの一種ですが、棒・小太刀・扇子と三種の持ち物を扱い、体型や踊りにリズミカルな変化を持たせ、勇壮活発に踊るところ等、この種の踊りの中では異色なものです」とあり、「1963(昭和38)年に鹿児島県の無形民俗文化財に指定されています」とのことです。 3時頃におはらおごじょ太鼓の競演が始まり、私はその太鼓の音を聞きながら帰宅の途につきました。ビデオカメラに撮影したおはら祭の様子はYouTubeにアップしましたので、興味がございましたらご覧ください。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityview2.htm#oharamaturi
2010年11月03日
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今日(11月3日)は「文化の日」ですが、鹿児島市ではおはら祭の本まつりの日でもありますから、午前中からデジカメ持参で祭り見物に行って来ました。 デパートの山形屋付近で写真を撮影し始めましたら、渋谷音頭(作詞:下村八重、補作詞:奥野椰子夫、作曲・編曲:渡久地政信)のメロディーが聞こえ出し、渋谷音頭を踊る伊敷おはら会のみなさんの行列が近づいて来ました。この渋谷音頭の歌詞は、「緑の風がはずんだ声を/運ぶ渋谷は若い街」「忠犬ハチ公待ち合わせ/ラブラブ渋谷 ラブラブ渋谷」なんていうようななんだか気恥ずかしくなる言葉のオンパレードなんですが、メロディーの方はそんな歌詞に似合わず哀調をおびており、なぜか団塊世代のポンコツ山のタヌキの私の琴線にじーんと触れるものがあるんですね。 なお、渋谷といえば忠犬ハチ公の銅像が有名ですが、ハチ公像の作者である安藤照は鹿児島県の出身ですね。また「渋谷」という地名の由来とされる渋谷氏の一族が鎌倉時代に薩摩に移り住んでいるそうです。そんな渋谷で、「渋谷・鹿児島おはら祭」が鹿児島ゆかりの芸能人らも多数参加して始まったの1998年の4月12日のことだそうです。そして、一昨年(2005年)になって今度は渋谷音頭が鹿児島市のおはら祭で初めて踊られるようになりました。鹿児島の郷土民謡「おはら節」「はんや節」のみならず、この「渋谷音頭」もおはら祭になくてはならぬ曲として定着しそうですね。 それで、この渋谷音頭の踊りの「思いがけないあのひとに/逢えて嬉しい紅提灯/祭ばやしの遠太鼓/ラブラブ渋谷 ラブラブ渋谷」の歌詞の部分をビデオに撮影してホームページにアップしましたので、興味のある方はご覧ください。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityview2.htm#sibuya
2007年11月03日
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鹿児島地方気象台が「九州南部が梅雨明けしたとみられる」と発表したのが7月18日でしたが、今日(7月22日)は真夏の太陽が照りつける鹿児島の街をおぎおんさあ(祇園祭)のたくさんの神輿が「ソイヤサッ、ソイヤサッ」の威勢のいい掛け声とともに練り歩きました。 鹿児島の夏の風物詩であるおぎおんさあ(祇園祭)は、鹿児島市内の三大祭り(曽我どんの傘焼、おぎおんさあ、おはら祭り)の一つですが、江戸時代から無病息災と商売繁盛を願って行われてきた鹿児島の伝統行事です。昨年は北薩豪雨災害を受けて自粛して中止となりましたが、今年は2年ぶりに開催されました。前夜祭は昨日(7月21日)に天文館商店街を男神輿と女神輿の2基が回ったそうですが、今日は午後2時からご神幸行列が中央公園から天文館電車通りを練り歩くというので、私はデジカメ撮影のために天文館まで行って来ました。 午後2時から6時までは市電の高見馬場停留所から朝日通り停留所間は歩行者天国となり、天文館電車通りには三味線、太鼓、鐘による賑やかな囃子の音が響き渡っていましたが、そこをご神幸行列が大鉾、祇園傘、御所車、二戴女、稚児花篭、子ども神輿、大人神輿、女神輿とつぎつぎと練り歩いて行きました。 なお、翌日(7月23日)の「南日本新聞」の記事によると、今回のおぎおんさあに華を添えた三味線、太鼓、鐘による賑やかな囃子は約30年ぶりの生演奏とのことで、鹿児島民謡会の13人の会員のみなさんによるものとのことです。なんだかとっても懐かしい音色で、それを遠くに聞きながら横丁で碁を打っているお爺さんたちや襷掛けで洗い張りに忙しいお母さんたちの姿が自然と目に浮かんで来ました。
2007年07月22日
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みなさん、こんにちは、やまももです。 10月3日は「文化の日」ですが、鹿児島市ではその日におはら祭りの本まつりが午前10時40分から開始されるというので、午前11時過ぎに祭りのメイン会場となる天文館へデジカメ持参で行って来ました。 高見馬場辺りにやって来ると、「花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは オハラハー 桜島 ハ ヨイヨイ ヨイヤサット」の歌詞で知られる「おはら節」の賑やかな音楽と「ヨイヤサー、ヨイヤサ」の元気な掛け声が街に響き渡っており、祭りの見物人でとても賑わっていました。そして、交通規制が実施されている電車通りの道をたくさんの踊り連の波が手を振り足を上げながらつぎつぎと通り過ぎていきました。 ところで、鹿児島の「おはら節」は全国的に有名ですね。この民謡は江戸時代初期の頃に生まれたと言われています。おはら祭りの名前は、そんな鹿児島の代表的民謡に由来しているそうですが、この祭りそのものは戦後になって誕生したもので、1952年に鹿児島市で「おはら節」の踊りパレードが始まってから今年(2006年)で55回目とのことです。 なお、翌日の南日本新聞の記事によりますと、おはら祭りの踊りには222団体、約1万5000人が参加し、見物人の数は本まつり当日は14万7000人、前夜祭と合わせ19万人(いずれも主催者発表)に上ったそうです。
2006年11月03日
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