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今日(2016年3月4日)の鹿児島の地元紙「南日本新聞」の一面に、伊藤祐一郎鹿児島県知事が2013年に打ち出したスーパーアリーナ構想の成功体験となった「さいたまアリーナ」を積極的に評価する「さいたまアリーナ」の「効果 年394億円」、「用途多彩にフル稼働」との見出し文字が派手に踊る記事がデカデカと掲載されました。 同記事によると「さいたまアリーナ」(SSA)は、総務省出身の伊藤祐一郎知事が埼玉県の企画財政部長時代に具体的に構想したと公言しているものであり、00年開業したSSAは、約1万5千平方メートルの広大なフロアを有する多目的屋内施設であり、埼玉県が約700億かけて造ったものだそうで、「民間の試算では、年間の経済効果が約394億円に上り、約3600人の雇用創出効果がある」とのことです。 こんな記事がデカデカと出されるのは、伊藤祐一郎県知事さんが埼玉県での成功体験が忘れられず、いま知事をしている鹿児島県にもスーパーアリーナを建てたいと願望しており、地元紙としてもその意を汲んで積極的に応援しようとしたものに違いがないと推測されても仕方がありませんね。 しかし、拙ブログに以前「鹿児島県知事の『スーパーアリーナ』(仮称)構想について」と題して、「この『さいたまスーパーアリーナ』は自治省出身の官僚である伊藤知事にとっておそらくとても誇らしい成功体験なのだと想像されますが、世界最大のメガシティと評価されている東京の都市圏に建設された「さいたまスーパーアリーナ」の成功体験をもしそのまま夢よもう一度と考えているとしたらそれは鹿児島県民にとって非常に迷惑な話ですね。まあ、そこまでトチ狂ったオカシイ知事さんではないと思いたいですけどね」と書いています。 ↓ http://plaza.rakuten.co.jp/yamamomo02/diary/201402060000/ しかし成功体験は往々にして人間を狂わせることが多いですから、気をつけなければなりません。
2016年03月04日
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鹿児島市市電の4電停名が以前のたばこ産業前空地に市立病院と市交通局の局舎と車庫が移転したために以下のように変更となり、拙サイト「鹿児島の市電と街」にも新たな手直しが必要となりました。 市立病院前→甲東中学校前 交通局前→二中通 たばこ産業前→市立病院前 神田→神田(交通局前) たった4電停名の変更ですが、久しぶりのホームぺージ作成だけに先月下旬からいろいろ時間が掛かり、今日やっと一応アップすることができました。また機会を得て移転先の新しい建物も載せていきたいと思います。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/tramcity.html
2015年05月02日
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今日4月30日の午後4時30分から、高麗町の交通局構内で「市電最終出庫便見送り式」が開催されました。高麗町の市電車庫は民営の鹿児島電軌時代に設けられたものですが、施設の老朽化に伴い局舎と市電車庫が上荒田町の日本たばこ産業(JT)工場跡地に移転することになり、高麗町交通局の103年の歴史に幕が下ろされることになりました。私が見送り式に間に合うようにと到着した時には、もうすでにたくさんの鹿児島市電ファンが集まっていました。式では福元修三郎局長の挨拶や見送られる最終電車に乗る徳永良二運転士への花束贈呈があった後、森市長の出発の合図とともに見送り式から「ありがとう高麗町」と書かれたヘッドマークを付けた501号車がゆっくりと旧車庫から外の電車通りに動いて行きました。 なお、現在の鹿児島市交通局の局舎前の電停名が「交通局前」から「二中通」に変更される理由はつぎのことから来ていると思われます。高麗本通りから甲南中学校の横を通り、交通局前で電車通り(谷山街道)とつなぐ通りはいま「二中通り」と呼ばれています。「二中」とは明治39年(1906年)に誕生した鹿児島第二中学校のことで、七高内にあった二中が現在の上荒田町(現上之園町)に移転後、その校舎前の通りは「二中通り」と呼ばれて地元に親しまれて来た地名でした。二中と鹿児島県立第二高等女学校が1949年に統合されて甲南高等学校として発足後も商店街の街灯には「二中通り」の文字が書かれています。 新しい局舎と車庫の使用は5月1日から開始するそうですが、上荒田町の新しい局舎前の電停名は「神田」から「神田(交通局前)」に変更されるそうです。
2015年04月30日
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来年、日本たばこ産業鹿児島工場跡地へ鹿児島市交通局局舎と電車部門が鹿児島市立病院と共に移転することが決まっていますが、今朝の南日本新聞を開きましたら、鹿児島交通局の新局舎の来年5月運用と4電停名変更の記事が載っていました。 同紙の記事によると、「鹿児島市交通局は28日、上荒田町で整備を進めている新交通局局舎と電車施設について、2015年5月1日から運用を始めると発表した」とのことで、4電停の名称が以下のように変更されることも伝えています。 交通局前→二中通 神田→神田(交通局前) たばこ産業前→市立病院前 市立病院前→甲東中学校前 なお、現在の鹿児島市交通局の局舎前の電停名が「交通局前」から「二中通」に変更される理由はつぎのことから来ていると思われます。高麗本通りから甲南中学校の横を通り、交通局前で電車通り(谷山街道)とつなぐ通りはいま「二中通り」と呼ばれています。「二中」とは明治39年(1906年)に誕生した鹿児島第二中学校のことで、七高内にあった二中が現在の上荒田町(現上之園町)に移転後、その校舎前の通りは「二中通り」と呼ばれて地元に親しまれて来た地名でした。二中と鹿児島県立第二高等女学校が1949年に統合されて甲南高等学校として発足後も商店街の街灯には「二中通り」の文字が書かれているそうです。 電停「神田」が「神田(交通局前)」と変更されるのは、「神田」は地元の人になじみの深い地名なので残し、新たに同電停近くのたばこ産業跡地内の一部に鹿児島市交通局の新局舎と電車部門が移転されるから( )内に「交通局前」の文字を加えるのでしょう。 電停「たばこ産業前」が「市立病院前」と変更されるのは、同電停近くのたばこ産業跡地内の一部に新たに鹿児島市立病院が移転されるからです。 電停「市立病院前」が「甲東中学校前」と変更されるのは、同電停近くにあった鹿児島市立病院がたばこ産業跡地に移転した後、付近に存在する目立った大きな公共施設としては甲東中学校があるからでしょう。
2014年11月29日
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現在の交通局は老朽化のために2015年度中に、局舎と市電部門は鹿児島市上荒田町に、バス部門は同市浜町と新栄町にそれぞれ移転することになっています。 鹿児島市高麗町から移転する鹿児島市交通局の姿を残そうと、鹿児島市谷山中央6丁目の横田博臣さん(73)がジオラマを作りました。高麗町の交通局の建物や市電などを、150分の1サイズで忠実に再現されたもので、同市上荒田町にできる新局舎で展示される予定ですが、それに先立ち2014年6月2日~6日に鹿児島市役所別館1階市民ギャラリーで「交通局移転記念ジオラマ・写真展示会 ~ありがとう高麗町~」が開催され、同ジオラマも展示されました。 それで6月5日に鹿児島市役所別館1階市民ギャラリーに出掛けてこのジオラマを撮影し、拙サイト「鹿児島市の市電と街」にも載せておきました。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityview3.htm#di0rama
2014年06月07日
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昨年(2013年)の5月31日の南日本新聞に、鹿児島県の伊藤裕一郎知事がドルフィンポートを取り壊し、その跡地に国体用体育館を建設する計画が進められているようだと報道しました。同時期に県の公費を使っての千人規模の県職員の上海研修旅行計画も明らかになり、県知事のこれらの無計画な公費無駄遣いに対する県民の批判の声が強まったのはまだ記憶に新しいところですね。 この知事の体育館建設計画について、昨年の8月23日に行われた定例知事記者会見で記者から「今回の体育館の、知事がお話になったというのは、時期尚早だったということになるのでしょうか」との質問に伊藤知事が「体育館とは申し上げていません」と記者の質問にクレームを付け、「『本来どういう機能を持つべきかという観点から、より具体的に、より広範に、より専門的に検討せざるを得ない』というのが今我々が置かれている状況だと思います。2,000~3,000万円とか1億円の事業ではありません。300億円を超える事業になると思いますので、やはり県としても大切な事業ですから、市にとってもそうかと思いますが、よく、十分に話をして、今後どういう形で整備するのが適当か、やはりこれからいろいろ話をしていきたいと思いますね」と発言しています。 伊藤知事から300億円規模という「スーパーアリーナ」(仮称)の構想がこのとき打ち出されたのですが、私などには余りにその建設費用が巨額すぎて全くイメージが湧きませんでしたが、一昨日(2月4日)の夕方に放送された地元テレビ局のMBCのニュースでこの「スーパーアリーナ」構想なるものが自治省出身の現鹿児島県知事の伊藤裕一郎氏が同省から埼玉県に企画財政部長として出向した際に手掛けた「さいたまスーパーアリーナ」のイメージを想定している(らしい)との報道になんとなく合点がいきました。 ウイキペデイアによるとこの「さいたまスーパーアリーナ」は敷地面積45,007m2に地上7階、地下1階の延床面積132,398m2の多目的ホールとして建設されたそうで、総工費649億5,600万円とのことです。この「さいたまスーパーアリーナ」は自治省出身の官僚である伊藤知事にとっておそらくとても誇らしい成功体験なのだと想像されますが、世界最大のメガシティと評価されている東京の都市圏に建設された「さいたまスーパーアリーナ」の成功体験をもしそのまま夢よもう一度と考えているとしたらそれは鹿児島県民にとって非常に迷惑な話ですね。まあ、そこまでトチ狂ったオカシイ知事さんではないと思いたいですけどね。
2014年02月06日
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とっつあんさん、初めまして、やまももです。 私が今年の5月31日にこの拙ブログにアップした「市電延伸案への県の疑義は体育館建設計画の時間稼ぎ」への貴重なコメントをいただき感謝いたします。 鹿児島市の市電延伸計画は、県がドルフィンポートを取り壊し、その跡地に総合体育館を建設する計画を打ち出したことから中断されましたから、確かに「鹿児島市の市電延伸案はそもそも、ドルフィンポート中心に考えて」いたと言えますね。また県の同地への総合体育館建設計画への市民団体の反対署名に書かれていた反対理由には「鹿児島県の重要な観光資源である港湾地区(ドルフィンポート)の景観を壊す。/税金の無駄遣い/防災拠点として機能しない」が列挙され、( )のなかとはいえやはり「ドルフィンポート」の文字が入っていましたね。 しかし既設のドルフィンポートをなにがなんでも残そうということではないと思いますよ。観光路線の市電延伸計画にマッチし、桜島の景観を活かして鹿児島市の街の賑わいにプラスとなる建物の新設建設計画なら多くの市民の賛成が得られると思います。なお、「観光というなら、昨日23日の南日本新聞掲載の市民提案ルートの方が観光になると思ったのですが」とのご意見ですが、私もこの飲食店主や大学教授ら14人でつくる市民団体「LRTかごしま」が19日に鹿児島市役所を訪れて提案した新たな市電延伸ルート案に大いに興味を惹かれました。 鹿児島の地元紙「南日本新聞」の11月23日の記事に「市電延伸ルート市民提案 山之口本通りから種子・屋久島ターミナルへ」との見出しで「過去鹿児島市が検討している市電延伸計画を踏まえ、市民団体が、山之口本通りから種子・屋久高速船旅客ターミナルまでの『天文館ルート』の新設を市に提案した」とのことで、「天文館が活性化し、飲食店がにぎわい、アクセスが良くなり観光促進につながる」計画との説明がなされたそうです。さにら同記事には同計画の詳細についてもつぎのようなことも書かれてありました「同団体によると、山之口本通りからボサド通りを経て、種子・屋久高速船旅客ターミナルへ通じる1.2キロを整備する。その間は路面電車と歩行者が通行できる市街地域『トランジットモール』とす る。 電停や路線の新設、定員が従来の倍以上の200人が乗れてブレーキ性能の高い路面電車の導入などで、総事業費25~27億円を見込んでいる。 ウオーターフロント地区への交通が便利になり、飲食店の多い沿線地区の情報が発信しやすくなるなど、観光面でのメリットも大きいとしている。 実現には車両の通行を制限する必要があり『タクシーや運搬業者の出入りが多い天文館地区で、市民の理解が得られるかが課題』という。同団休は『トランジットモールは、欧米ではよく見られる街並み。鹿児島の活性化のため、産学官一体となって実現したい』としている。」 「山之口本通りから種子・屋久島ターミナル」の新ルートの「トランジットモール」(一般車両の通行を禁止してバスや路面電車などの公共交通機関と歩行者の通行だけが許可される市街地域)化など非常に斬新で大胆な計画で、いろいろな困難も予想されますが、この計画案と鹿児島市の以前のウオーターフロント地区の種子・屋久高速船旅客ターミナル(高速船T)や桜島フェリーターミナル(桜島FT)の各施設を経由する計画案とを上手く組み合わせた市電延伸計画が実現すればいいですね。
2013年11月24日
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みなさん、お久しぶりです、やまももです。 今日(7月11日)、おいじゃがさんから「上町線の思い出」と題されたエッセイに2枚の画像を添えて添付ファイルで送って下さいました。おいゃがさんのお父さんは鹿児島の市電の運転士さんで、おいじゃがさんのエッセイは幼い頃に市電のマスコン(マスター・コントローラーの略で、車両の速度を制御するスイッチ装置のこと)の上に座らせてもらって「特等席」から外を眺めた懐かしい思い出(その様子を写した写真もいただきました)から始まっています。 おいじゃがさんのお住まいは鹿児島市内の谷町線二軒茶屋電停から昭和32年(1957年)に上町地区の稲荷町へ移られ、昭和35年(1960年)頃から始まった春日町から清水町間への上町線延伸工事の道路は当時ちょうど小学生だったおいじゃがさんの通学路だったそうで、当時の延伸工事の様子をつぶさにご覧になっていたようです。 また昭和43年(1968年)から3年間に渡って市電で高校通学をされており、車内が混んでくると、座っている高校生がたとえ異なる高校に通う生徒が目の前に立っているときにもその生徒の通学カバンに手を掛け、膝上の自分のカバンの上にそれを乗せるという麗しい風習があったそうです。 その他いろいろ当時の鹿児島の市電のことが書かれており、とても貴重なエッセイだと思いましたので、拙サイト「やまももの部屋」の「鹿児島の市電と街」の「鹿児島の市電の思い出」にアップさせてもらいました。興味がございましたらぜひご覧ください。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/reminiscences.htm#oijyaga なお、 http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/reminiscences.htm#oijyaga をクリックしても、おいじゃがさんの新規作成されたはずのエッセイが表示されない場合(未更新)があるかもしれません。 そのようなときは上記のURLをクリックされて表示されたブラウザソフトexplorer画面の最上段の「最新の情報に更新(F5)」印をクリックするか、F5キーを押すかして画面を最新のものに更新されたらいいと思います。 なお、運転士をされていたおいじゃがさんのお父さんはいつ頃からいつまで市電で勤務をしておられたのでしょうか。またその間に運転士ならではの楽しい思い出や辛い体験もされておられると思います。おいじゃがさんがお父様から聞かれたそんな思い出話もまたいつか紹介していただきたいと思いますので、どうかよしくお願いいたします。
2013年07月11日
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昨日(6月8日)の南日本新聞の31面に「明日から街頭署名 建設反対市民ら」という見出しで、「鹿児島県が鹿児島市本港区(鹿児島市本港新町)に総合体育館建設計画を進めている問題で、『建設反対』を訴える市民らが7日、鹿児島市で意見交換会を開き、9日から街頭署名を始めることを決めた。/会には市民ら十数人が出席。参加者からは『桜島を望む素晴らしいロケーションが壊される』『桜島の爆発や津波の影響がある』『既存施設の活用を』などの意見が出た。その結果、(1)景観上の問題 (2)税金の無駄遣い (3)海に近い立地上、防災拠点にならない─などの理由で反対署名を集めることを確認した」とのことで、署名活動はJR鹿児島中央駅東口広場で今日(6月9日)の正午から約2時間実施すると報じられていました。 私も既存の商業施設ドルフィンポートを壊して総合体育館を建設しようとする県の計画に反対であり、3つの反対理由にも全く異議がありませんので、街頭署名活動が実施されるJR鹿児島中央駅東口広場に出かけることにしました。12時10分頃にJR鹿児島中央駅東口広場に着くと、まずテレビカメラを携えたMBCの報道関係の人たちの姿が見え、反対署名を訴える人たちとそれに賛同して署名する人たちの姿もすぐに確認できました。反対署名用紙のタイトルは「ドルフィンポート 体育館建設反対に関する要望書」というもので、提出先は鹿児島県知事の伊藤祐一郎殿と鹿児島県議会議長の池畑憲一殿となっており、体育館建設の反対理由として「鹿児島県の重要な観光資源である港湾地区(ドルフィンポート)の景観を壊す。/税金の無駄遣い/防災拠点として機能しない」が列挙されていました。 反対署名に賛同して氏名、住所を書いている人たちの多くが、反対趣旨に積極的に賛同し、この反対署名活動のことを新聞等で知ってわざわざ駆け付けた人たちのようでした。なお、この署名活動を行っている会は「署名送付・連絡先」が「〒892-0821 鹿児島市名山町3-9 エルマリノ 林耕平宛」とあることから名山堀のスペイン料理のお店「エルマリノ」に集う市民によって自主的に結成されたもののようですよ。 なお、この署名活動について6月11日の南日本新聞には「鹿県体育館建設 街頭で反対署名始まる」との見出しでつぎのようなことが紹介されていました。「鹿児島県が鹿児島港本港区(鹿児島市本港町)に総合体育館を建設する計画について、建設反対を訴える市民らは9日、同市のJR鹿児島中央駅東口広場で署名活動を始めた。同日は約2時間で300人を超す署名が集まった。16日も正午から同広場で行う。/(中略)代表の同市名山町、飲食業林耕平さん(44)は『多くの賛同をもらった。計画撤廃に向け、今後も頑張る』と話した。/署名に応じた同市清水町、会社員許宮敏栄さん(57)は「箱物を造っても維持費がかかり、税金の無駄。今でも県内各地に立派な体育館があり、本港区に新設する必要はない」とった。/署名活動は7月末まで続け、8月に県知事と県議会議長宛てに提出する。署名用紙はttp://bit.ly/16VbZ80でダウンロードできる。」 また同紙の同日に「鹿県議の賛否 市民ら質問状 体育館・上海研修」との見出しでつぎのよう記事も載っていました。「鹿児島が、鹿児島港本港区(鹿児島市本港新町)への総合体育館建設と県職員千人を中国・上海に研修派遣する問題で、同市の医師らが10日、県議会議員らに対し賛否を問う公開質問状の提出を決めた。12日に送付し、18日消印までの回答を求める。/県議51人、鹿児島市の森博幸市長、鹿児島市議会議員50人に質問状を送るのは、同市の医師鹿島友義さん(75)と両計画を『税金の無駄』として反対署名を集めている堂園晴彦さん(61)。鹿島さんは反対署名活動の一方、県議の明確な意思表示が必要と考えたという。鹿児島市長、市議に対しては、総合体育館の建設計面は鹿児島市の街づくりに大きく関係してくるためとしている。/4日から始めている署名活動は、既に千人以上の署名が届いているという。鹿島さんは『県議らは意思をしっかり示してほしい』と話している。」
2013年06月09日
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今朝(5月31日)の南日本新聞によると、今年の1月に鹿児島県の伊藤知事が鹿児島市の市電延伸計画5ルート案について、「せっかく造った公園をつぶしてまで電車を入れる考えは県には全くない」と発言し、市の市電延伸計画に疑義を呈していましたが、このときすでに県庁内では水面下で国体用体育館をドルフィンポートのある場所に建設する計画が進められており、県側の市電延伸計画5ルート案に対する1月の疑義は、国体用体育館の建設用地について関連する組織と協議を重ねて体育館建設計画を確かなものにするための時間稼ぎに過ぎなかったらしいと報道していました。その記事の内容は以下のようなものです。「当初県は、県庁近くの民有地(同市与次郎2丁目)を体育館予定地とし、所有者の南日本放送(MBC)とは県有地と換地する段取りでいた。換地候補として挙がったのがドルフィンポート。市北部の市街地振興や利便性を考慮する中で、体育館建設の『ベストの土地』に変わっていったという。/そのど真ん中を通る形となる市電延伸ルート。県の突然の握案は、MBCやドルフィンポートを運営する鹿児島ウオーターフロントとの協議を控え、時間稼ぎだったとの見方も出ている。/市長のマニフェストに従い延伸計画を進めていた市と、体育館計画を水面下で進めていた県。そこに意思の疎通はなかった。」 知事さんの眼中には土建屋さんが喜ぶ箱物作りのことしかなく、鹿児島の観光県としての発展や投資の採算性などは二の次三の次なんでしょうね。
2013年05月31日
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今朝(5月29日)の南日本新聞の第一面を見ましたら、「本港区に県体育館」「ドルフィンポート16年撤去」「20年鹿児島国体へ整備」「市電延伸 見直しへ」といった大きな見出しの文字が踊っていました。 どうやらそれら複数の見出しの帰結が最後の見出し「市電延伸 見直しへ」ということらしいのです。ど、どういうことなのでしょうか!! 驚きましたね!!! 去年2月に鹿児島市が鹿児島市電の観光路線として鹿児島本港区へ軌道を延伸する計画を発表し、5ルート案を提示していましたが、今年の2月2日の南日本新聞に「市電延伸 『緑地帯削減される』 伊藤知事 市提示案に反対意向」との見出しで、鹿児島県の伊藤祐一郎知事が2月1日の定例会見で市の5ルート案について「ドルフィンポート前を通る案では緑地帯が削減され緑が少なくなる。せっかく造った公園をつぶしてまで電車を入れる考えは県には全くない」との疑義を呈したので、鹿児島市も仕方なく市提示の従来の5案に県の意向も新たに追加して協議することになったと報道されていました。 そ、それが20年開催の鹿児島国体のための総合体育館を本港区の商業施設ドルフィンポートのある県有地に建てることを昨日の28日までに鹿児島県が決めたというのです。 今度の鹿児島国体は20年開催とのこと、そのことは2011年1月12日に日本体育協会が内々定しており、マスコミは「過去、内々定が取り消された例はなく、事実上の確定といえる」と報じていました。ですから鹿児島市が市電の観光路線として鹿児島本港区へ軌道を延伸するための5ルート案を昨年(2012年)2月に発表したとき、国体のための施設建設のことも念頭に入れてのものだと思われます。また、今年の2月に鹿児島県の伊藤祐一郎知事から市の5ルート案に対して出された疑義もこれからも商業施設ドルフィンポートが存在することを前提としてのものだと誰もが思っていました。それが今日突然の「本港区に県体育館」「ドルフィンポート16年撤去」「20年鹿児島国体へ整備」の報道には驚いて開いた口が塞がりません。 鹿児島の市と県の間にあまりにも意思疎通がなされていない状態にまず驚かされますが、なによりも県の伊藤祐一郎知事の余りにも場当たり的な提案に大いに失望いたしました。 今朝の南日本新聞に、この国体用体育館の建設案について鹿児島市の森市長が「桜島の景観と商業施設が一体となった観光路線として市電延伸を進めてきた。中心市街地との周遊性を高め、活性化を図るといえ点では一緒に協力していきたいが、今回の計画は唐突だ。延伸計画も振り出しに戻らざるを得なくなる。県に情報提供を求めていきたい」との発言が掲載されていましたが、伊藤知事は本当に何を考えているのでしょうかね。知事さんの真意が図りかねます。
2013年05月29日
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マロママ さん、初めまして、やまももです。 昨日22日の07時50分42秒に「今、鹿児島にいます!/鴨池から鹿児島中央に行きたいと思いますが、市電の乗り方、料金、その他もろもろ、教えてください!」とのご質問をいただいたのですが、昨日は全く拙ブログを見る機会がなく、返事が今日のいま頃になってしまい、大変申し訳ありませんでした。 もう何らかの方法でとっくに確かめられ、市電の鴨池電停から鹿児島中央駅に行かれたことと思いますが、今後似たような質問があるかもしれませんので、簡単に説明をさせてもらいます。 鹿児島市電で鴨池から鹿児島中央駅へ行くには、まず(1)市電の「1系統」(鹿児島駅前~郡元経由~谷山)に乗られ(160円)、(2)郡元電停(ダイエーの建物前)で乗換券を受け取って下車され、(3)ダイエー建物手前の一番線乗り場の「2系統」(唐湊~鹿児島中央駅前経由~鹿児島駅前)に乗車され、(4)そこから10電停(乗車時間13分程度)先の中央駅前電停で下車されたらいいですね。 なお、拙ブログ「鹿児島の市電と街」に鴨池、郡元等の電停案内がありますので参考にしてください。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityview3.htm#kamoden
2013年03月23日
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去年2月に鹿児島市が鹿児島市電の観光路線として鹿児島本港区へ軌道を延伸する計画を発表し、5ルート案を提示していました。いずれも単線を前提とし、種子・屋久高速船旅客ターミナル(高速船T)、ドルフィンポート、桜島フェリーターミナル(桜島FT)の各施設を経由するというものでした。ところが、今年の2月2日の南日本新聞に「市電延伸 『緑地帯削減される』 伊藤知事 市提示案に反対意向」との見出しで、鹿児島県の伊藤祐一郎知事が2月1日の定例会見で市の5ルート案についてつぎのような疑義を呈したとのことです。 ドルフィンポート前を通る案では緑地帯が削減され緑が少なくなる。せっかく造った公園をつぶしてまで電車を入れる考えは県には全くない」と、反対考えを示した。 伊藤知事は、ドルフィンポート前の南北ふ頭線に市電を通した場合、「緑地帯の効用が半減する。(県提案の本港区線)臨港道路の方が広く、面積もある。緑が少なくなるようなことは都市計画ではない」と主張した。 県側はこれまでに「2車線の狭い道路であり、1車線にするか、歩道や緑地をかなりつぶさなければならない」として、比較的広い空間がある本港区線を通るルート追加を同市に求めていた。今後、市提示の5案と県追加案が協議され、絞り込まれる。 この県の追加案提起について今日(2013年2月17日)の南日本新聞に「市電路線新設 県がルート変更注文」「『観光の目玉』黄信号」「臨海の魅力損なう可能性」との見出しで、県の追加案についての懸念の声がつぎのように紹介されました。「市が示す5ルート案は延長1.2~2.4キロ。景観に配慮して架線を必要としないバッテリートラムでの単線運行を想定する。」「市は今後、本港区線を通る県ルート案について、交通の課題や需要見通し、概算事業費などを他の5ルート同様示す方針だ。/ただ県案にも問題がないわけではない。本港区線は、国道10号鹿児島北バイパス開通後には昼間、1~2時間混雑する可能性がある、との試算結果が示されている。委員からも『本港区線を通る場合、交通処理がより難しくなる』との懸念が声が出た。」「さらに南北ふ頭線と、本港区線とでは、観光路線としての魅力にも大きな違いか出てきそうだ。奈良原・県観光プロデューサーは『南北ふ頭線なら、電車の乗客から海が見え、対岸の桜島を魅力に触れるきっかけにもなる』と同路線のメリットを語った。」 なお上に掲げた地図は、今回の南日本新聞の記事に載っていた記事掲載の「市電新設ルート案」の紹介図を参考にして、鹿児島市の5ルート案の一つであるマイアミ通ルートA案(赤線)に県が新たに提案した臨海道路本港区線案を緑色の線で書き加えたものです。
2013年02月11日
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拙サイトや拙ブログをご覧くださった方からもよく「どの様なきっかけで市電ファンになったのでしょうか」とのご質問をいただくことがあります。そんなときはいつも拙サイト「鹿児島の市電と街」の「私と鹿児島の市電」のページ内の次のような拙文をお見せするようにしています。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/mysiden.htm 私が初めて鹿児島に来たとき、西駅前を路面電車がゆっくり走っているのを最初に見つけてとても嬉しかったものです。「なぜなら、私が子どもの頃に生まれ故郷の町にはなくて大阪まで行かないと乗れないもの、それが路面電車だったからです。その頃は路面電車のことを『チンチン電車』と言っていましたね。(中略)私は、このチンチン電車に乗ってビルの谷間をつぎつぎと潜り抜けていくのがとても楽しかったものです。幼い頃は、チンチン電車が動き出すと車窓の外に見えるビル等がつぎつぎと後ろに消えていくので、建物が動いているように感じたものですよ。」 私の生まれ故郷は大仏さまで有名な奈良市なんですが、残念ながらチンチン電車は走っていませんでした。私が幼い頃、近鉄奈良線で生駒トンネルを超えて大阪に行くと、そこにはチンチン電車の軌道が網の目のように張り巡らされており、無数の電車がチンチン、チンチンと音を鳴らしながら交差していました。チンチン電車の車窓からビルの谷間をくぐり抜け、ネオン輝く街の景色を眺めるのはなかなか楽しいものでした。 しかし1960年代に入ってあっという間に大阪のチンチン電車は地上から消えて行き、そのかわり地下鉄がモグラの穴のように地下の駅で無数に結ばれるようになりました。この地下鉄の車両は駅の間を短時間で移動できると ても便利なものですが、どの地下鉄のどの駅もほとんど同じように見え、とても単調で風情が全くありません。 そんなことから、チンチン電車は私にとってとても懐かしい存在であり、鹿児島の市電を一目見た時にすぐに大ファンになってしまったのですよ。しかし、鹿児島市に生まれ育った人には「いつも目にする当たり前の存在」であり、鹿児島を離れてから懐かしさ感じる存在かもしれませんね。 なお、私にとって懐かしのチンチン電車である大阪の路面電車は1903年に開業していますが、鹿児島の市電はいつ頃から運行を開始したのでしょうか。「鹿児島交通局ホームページ」によりますと、「鹿児島市に電車が誕生したのは大正元年12月1日で全国で28番目に誕生」とのことで、「鹿児島電気軌道(株)が武之橋~谷山間を木造の単車7両で6.4 km運行」したのがその始まりとのことです。大正元年とは1912年のことですから、2012年12月には100年目を迎えることになりますね。それで鹿児島市電運行100周年を記念するロゴマークを車両のヘッドに付けた市電が去年(2012年)の6月1日から運行しています。
2013年01月10日
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昨日(6月24日)、クマタツさんから「鹿児島市電 上町線の思い出」と題する興味深い文章をメールの添付ファイルでいただくことができました。 それで早速に拙サイト「鹿児島の市電と街」の「鹿児島の市電の思い出」と同じく拙サイト「月下推敲」の両サイトに転載させてもらいました。 クマタツさんが今回の文章に「1962(昭和37)年に社会人となり他県に出て、20年を経て1981(昭和56)年に鹿児島に戻ってみると鹿児島市は大きく変貌していた。与次郎ヶ浜や谷山方面の海は埋め立てられ、産業道路なるものが新しく造られている。鹿児島市街地を取り巻く山という山は宅地造成されて、住宅地になってしまっている。人口は36万人が50万人に膨れ上がっている。鹿児島を留守にしたこの20年間がたまたま鹿児島のみならず、日本全体を大きく変えた時代だったと言うことか。つまり、東京オリンピック(1964年)を境に日本もモータリゼーションの時代に突入し、地方都市の鹿児島もその流れに抗することは出来なかったのだ。そして鹿児島に帰って間もなくの1985年9月30日上町線と伊敷線が廃線となる。帰ってきて一回も電車に乗ることがないうちの出来事だった」と書いておられるように、鹿児島市電の上町線と伊敷線が1985年9月30日に同時に廃線となっています。 クマタツさんは、この上町線で忘れられない特徴の一つとして「岩崎谷電停」のことを紹介しておられます。そして「この電停は市役所前を出た電車が鹿児島駅の方向に直進せず、現在の鹿児島医療センター(当時の大学病院)の方向に左折して大学病院電停を過ぎて坂を登り鶴丸城跡と薩摩義士の碑を左に見ながら進み軌道専用線路に向かって大きく右折して少し進んだ築堤上にあった。(中略)電車の上からは市街地や桜島が眺望できる市電の珍しいビュースポットだった」と指摘しておられます。 いま九州新幹線が全線開業し、鹿児島を訪問する観光客が増大しています。もし上町線が健在でしたら、軌道が市役所前→私学校跡(現在は周辺に鹿児島城(鶴丸城)跡、薩摩義士碑、鹿児島県歴史資料センター黎明館が存在します)→岩崎谷を通過するとき、観光客は素晴らしい景観を楽しむことが出来たでしょうね。特に岩崎谷電停については、『かごしま市電物語―廃線・上町、伊敷線への想いを込めて……』(南日本新聞開発センター、1985年12月)に「市電全路線の中で『岩崎谷停留所』ほどに勝景といえる停留所はなかった。唯一の高架電停で、目の前には桜島、背後には城山を控える。また南洲終えんの地も目と鼻の先。電停に上がる階段の近くに竹林と石垣に囲まれた寺、高野山がある」と紹介しています。 それで、しゅうさんが子どもの頃に上町線が廃止となった1985年9月30日の前日に撮られた「岩崎谷の高架線上を桜島をバックに走る市電」の写真を上段右に転載させてもらいました。しかし、いまは岩崎谷の高架線の上には自動車道が走っており、残念ながらこのような素晴らしい景色を再び見ることはできません。クマタツさんが「私の願望としては、あの上町線が復活し、鶴丸城跡や薩摩義士碑を見ながらあの坂を登ったり降ったり、岩崎谷電停から桜島を眺めたりしてみたい」と書いておられますが、私も全く同感です。しかし、廃線となったあの軌道を復活させることはいまとなっては非常に困難なことでしょうね。
2012年06月25日
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南日本新聞の今年2月に「鹿児島市が観光路線として鹿児島本港区への新設を検討する市電路線について、同市は20日、新年度に事業化を検証するベースとなる5ルート案を示した。いずれも単線を前提とし、種子・屋久高速船旅客ターミナル(高速船T)、ドルフィンポート、桜島フェリーターミナル(桜島FT)の各施設を経由する。同日開かれた市議会総務消防委員会で報告した。/距離は1.2~2.4キロ、事業費は軌道敷設、ホーム建設、連接式車両購入費(4両分)など最低限の整備で27億~42億円を見込む。市企画部は『5ルートの組み合わせも含め、観光路線に適した2、3ルートを選定する』」との記事が載りました。 鹿児島の市電に久しぶりに新路線が新設され、それが観光路線として桜島フェリーターミナルを経由するとのことで大いに注目したのですが、同記事によるとその新設案が5ルートあるとのことで、それらの5つのルート案が白黒で区分けされて載っていたので分かりづらくなんともコメントしようがありませんでした。 ところが、今日(6月2日)の南日本新聞の「かごしま水族館 15年の報告(4)」に鹿児島市電観光路線の新設ルート案がカラーで色分けされて紹介されていました。5ルートとは「マイアミ通ルートA案」「マイアミ通ルートB案」「マイアミ通・鹿児島駅ルート」「みなと大通ルートB」「大門口・みなと大通ルート」なんですが、この5ルートについてやまもも夫婦の真剣な討議の結果、最終的に「マイアミ通ルートA案」が一番いいだろうという結果になりました。 5ルートとも桜島フェリーターミナルを経由するようですから、鹿児島を訪れた観光客の多くが桜島に渡りたいと思うでしょうし、その場合に行き先が分かりやすい路面電車に乗ってで桜島フェリーターミナルまで行くでしょうが、それ以外の場所は観光客には関心がないのではなかろうかという簡単明瞭な判断から「マイアミ通ルートA案」にしたのです。それでその「マイアミ通ルートA案」のルートを地図に赤色で塗って上に載せておくことにしましたが、みなさんならどうお考えになりますか。
2012年06月02日
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私は「鹿児島の市電と街」というサイトを作っているのですが、その縁でNHKのBSプレミアムで放送される「日本風土記」の「あの街この街 路面電車」制作にちょっと協力することになりました。この番組の制作協力会社「かわうそ商会」の人から鹿児島市電に関するインタビューを受けたのです。そのお礼として「あの街この街 路面電車」のDVDが郵送されてきましたので、それを見ての感想を述べたいと思います。 DVDの冒頭、鐘をチンチン、チンチンと鳴らして街を走る路面電車の映像とともに、松たか子のつきのようなナレーションが流れます。「ゆっくりと流れる時間。懐かしい風景。暮らしの中を路面電車が走り抜けます。ひと昔前まで日本のどこでも見られた路面電車。時の流れとともにだんだんと姿を消していきました。それでもいま全国で19の路面電車がしぶとく生きのびています。」 そのナレーションと路面電車の映像に重ねるようにして朝崎郁恵が唄う番組テーマ曲「あはがり」の歌声が聞こえてきます。そして、その「しぶとく生き残った19の路面電車」とそれら19の路面電車に対する様々な人たちの思い入れが次々と紹介されて行きます。 鹿児島の市電は、第17番目に紹介され、桜島をバックに走る路面電車がまず映し出され、次に軌道の芝生化(緑化)によってヒートアイランド現象や騒音の防止という全国で最も進んだ取り組みがなされているとし、深夜に軌道の芝を刈るために活躍する芝刈り電車の珍しい風景も紹介されました。 その他、私の印象に強く残った街の路面電車として、長崎市や広島市の路面電車がありました。長崎市の路面電車は、全国でも最も安い運賃で走っているそうですが、それは過去に全国の街で走っていた車両を再利用する努力の結果だそうです。過去に仙台で走っていた車両もいま「がんばれ東北号」と名付けられて被災地支援のための募金活動をしているそうです。広島市の路面電車には、原爆が落ちた時に被爆した「651形」がいまも走っており、被爆当時に運転手をしていた藤井さんという女性のその時の思い出も紹介されていました。 また、滋賀県大津市の京阪石坂線を走る路面電車のエピソードも印象深いものがありました。この沿線には7つの高校があり、『電車と青春 21文字のメッセージ』という冊子には、石坂線と沿線の市民グループが募集したメッセージのなかから次のようなものが紹介されました。「今日も願う同じ車両に乗ってこい」「電車の中で君に会えたら今日1日がんばれる」「電車に乗りあなたを探す毎日が恋の1時間目」「どんな席よりもやっぱ君の隣が一番の特等席」。私のような歳の人間でもこういう淡い恋心のメッセージにはやはり胸をときめかせるものがありますね。 ところで、番組の最後は、40年間に乗客数が8分の1に減った函館市の路面電車の存続を願う柏野小学校3年2組の生徒たちが作った「いまは乗る人少ないよ、ホントにホントに少ないよ、少なくなればなるほど、市電はなくなる、だからね、お願いホントに乗ってよね、だから乗ろうよ、みんな乗ろうよ、市電に」という歌を歌う同小学校の児童の姿と歌声で終わらせているのですが、この終わり方にはちょっと疑問を感じました。 路面電車は、消えてなくなることを惜しんだり、懐かしみ回顧するだけの存在ではないと思います。むしろ、番組の最後は「白い車体に赤や黄色のカラフルなライン」の富山ライトレールを紹介し、ある富山市民の「そのわくわくするようなお洒落なセンスが富山の未来を開いていくような感じがする」との発言で終わらせ、路面電車の新しい可能性を強く印象づけてほしかったですね。
2011年07月06日
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SL TOMMASさん、こんばんは、やまももです。 先日、鹿児島市の観光電車に乗車した時、ガイドとして添乗された方の一人がSL TOMMASさんでしたね。大変お世話になりました。あらためてお礼を申し上げます。なお、そのとき私がビデオカメラで撮影した映像が下のURLから見ることができます。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/randomnote3.html#cityview さて、現在、鹿児島市交通局では観光電車に低床のユートラムIIを使用し、土曜・日曜と休日に1日4便運行し、鹿児島中央駅前から発車し、鹿児島駅前、交通局前、郡元を経て70分かけ中央駅前に戻り、料金は大人320円で1日乗車券も使えるとのことですね。 ところで、SL TOMMASさんから今回このブログにつぎのようなコメントをいただきました。「昨日も観光電車ガイドの月1回の定例会があり、今後のサービス向上を議論、検討しました。私は、記念乗車証の試作を出したり、他のガイドもお土産を提案。実施できるかは未定ですが、また一味違う「観光電車」が出来そうです。/やまもも2968様も、何かアイディアがございましたら、ぜひご教示頂けると幸いです。」 観光電車のことについて妻に訊きますと、「鹿児島市内の人でも大半は観光電車のことを知らないんじゃないかしら」とのことで、もっと宣伝が必要なのではないかとのことでした。私は、外国人用の専用車両を運行し、その車両では録音した英語、中国語、韓国語のガイドを流したらいいのではないかと思っていました。 このブログをご覧になられた方は、これもご縁ですので観光電車に乗られた方もまだ乗られてない方も自由に御意見を寄せていただきたいと思います。どうかよろしくお願いします。
2011年06月07日
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昨日(2011年3月5)から鹿児島市交通局では「観光電車」の運行が開始されました。観光電車は低床のユートラムIIを使用し、鹿児島中央駅前から鹿児島駅前、交通局前、郡元を経て70分かけ中央駅前に戻り、料金は大人320円で1日乗車券も使えるとのことです。土曜・休日に1日4便。乗車は中央駅前のみで、鹿児島駅前折り返し後は各電停で降車可能とのことで、第4便は午後2時40分からとのことで、私もビデオカメラ持参で鹿児島中央駅前電停に出かけ、実際には遅れて午後3時に発車した観光電車に乗車し、ボランティアガイドが車窓を流れる風景に添って語る街の歴史を楽しみ、またビデオ撮影して来ました。撮影したビデオ画像をYoutubeにアップしましたので、もし興味がございましたらご覧ください。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/randomnote3.html#cityview
2011年03月06日
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2月も下旬に入ると、鹿児島に春の陽気が到来し、我が家の庭のサクランボの花も満開となりました。 春の暖かな陽気に誘われてビデオカメラ持参で鹿児島中央駅前電停に出かけ、同電停から市電に乗り込み、郡元経由で天文館通りまでビデオで撮影して来ました。市電の車窓からつぎつぎと通過する外の街の風景を撮影するのは初めての体験で、あまり上手に撮れてはいませんが、私なりに編集してYouTubeにアップしましたので、興味がございましたらご覧ください。 ↓ 鹿児島中央駅前電停から郡元電停へ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityviewtop.htm#central 郡元電停から天文館通電停へ http://yamamomo02.web.fc2.com/siden/cityviewtop.htm#korimoto
2011年02月27日
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前にこのブログで、鹿児島の市電の電停には乗降位置を示す白枠などが画かれていないと書いたことがあります。ラッシュ時にはどうしているのだろうか、主要な電停に係員を配置して混雑を整理しているのだろうか等々の疑問がわきました。それで私は普段は通勤に市電を利用しないのですが、今日(9月9日)、職場の帰りに「実事求是」(じつじきゅうぜ:事実に基づいて、物事の真実を確認)の精神でJRに乗って鹿児島中央駅まで行き、ラッシュ時の鹿児島中央駅前電停の様子を確認することにしました。 時間は午後6時を過ぎており、まさにラッシュ時でしたから、市電を利用する人たちが電停に多数並んでいました。しかし、係員らしい人はどこにもいないようです。それでも市電が到着しますと、乗客は整然と列を作ってスムーズに乗車していきました。 鹿児島市電を通勤等に利用する乗客たちは、電停に係員や乗降位置を示す白枠などなくても自然と列を作って混乱なく乗車しており、そのマナーのよさに大いに感心させられました。
2010年09月09日
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一昨日(7月20日)の朝、出勤途中に噴火する桜島とそんな風景をバックにして通過する過去島の市電をビデオ撮影できましたので、それをYouTubeにアップすることにしました。私にとっては初めてのYouTube登録です。興味がおありでしたらどうかご覧ください。 ↓ (YouTube公開) http://www.youtube.com/watch?v=Y4392uqwPEM
2010年07月22日
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今朝(2010年3月19日)、『南日本新聞』紙上に「二軒茶屋踏切 使用を開始/住民安心 32年余の活動結実」との見出し記事を見つけました。同記事によりますと、「鹿児島市の市電二軒茶屋電停近くにあり、JR指宿枕崎線と市電を横断する生活道路に建設中だった新しい踏切の使用が18日から始まった。死傷事故が相次ぎ、地元住民の念願だった踏切設置は、32年余りの活動を経てようやく実現。早速利用した地元住民には安心感が広がった」とことです。 この二軒茶屋の電停は、私にとって非常に懐かしい場所です。私は、1979年から1989年まで、この電停から坂を上って行った日之出町というところに住んでいたことがあり、この二軒茶屋の電停から市電に乗っていつも通勤していたものです。 ところで、私のような坂の上の住人が二軒茶屋の電停に乗るためには、市電の軌道と平行に走っているJR指宿枕崎線の線路を歩いて渡る必要があるのですが、そこに踏切 警報機などが全く無いので、歩行者は通過する市電やJRの列車に轢かれないよう細心の注意を払う必要がありました。ですから、日之出町町内会では国鉄やJRに何度も踏切設置の陳情を行い、また「左右安全をたしかめて」「あぶない」とスチール製の警告文を出して注意を促していたものです。このことは、このブログでも2006年1月30日に「鹿児島の市電 二軒茶屋の電停」と題して書いています。 しかし、この場所で2007年7月に3度目の死亡事故があり、同年11月の町内会の陳情後、2010年3月18日に新たに踏切がこの場所に設置されることになりました。私は、そのことを『南日本新聞』2,010年3月19日の記事で知りましたので、今日(2010年3月19日)、二軒茶屋電停に立ち寄り、ここに新たに設置された踏切の写真を撮影してきました。また、拙ホームページ「鹿児島の市電と街」の「懐かしい二軒茶屋電停」にも新しい踏切のことをアップしておきました。
2010年03月19日
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naomatsuさん、いつも心優しいコメントをいただいて感謝しているやまももです。 naomatsuさんがコメントの中に、「やまももさんが,商店街の鞄屋さんでカバンを購入したという文章を読み,なんだか,暖かい気持ちになりました」と書いておられますね。でもね、正直言いまして、私は昨日の商店街の買い物であんまり心は暖かくなりませんでしたよ。関西人の私にとって、商店街の買い物の重要な楽しみの一つが値引き交渉で、以前やはりショルダーバッグを天文館で購入したとき、交渉して消費税分だけ値引きしてもらうことができたのですが、今回は一円も安くしてくれませんでした。そのことがいまも残念でなりません。それに籤引きの結果も飴数個ですからね、トホホ。 しかし、昨日(11月24日)の鹿児島で実施された「市電無料の日」の企画は大成功だったようですよ。今日の鹿児島の地元紙「南日本新聞」を見ましたら、乗客で混み合う天文館通電停の様子を撮ったカラー写真と「市電無料に1万2600人 通常の倍」という見出しが目に飛び込んできました。 同紙の記事によりますと、We Love 天文館協議会では「降車客約一万人を見込んでいたが、正午すぎから利用が急増。特にJR鹿児島中央駅からの乗客が多く、一時積み残し客が出る盛況ぶり。昨年同時期、同時間帯に三電停を降りた約六千人の二倍に当たる客が天文館に流れ込んだ」とのことです。この企画は大成功だったようですね。それで、この鹿児島の[市電無料の日」のことについて、拙HPの「鹿児島の市電と街」のつぎのところにもアップしておきました。 ↓ http://homepage1.nifty.com/yamamomo/siden/randomnote3.html#freetram このような「内生的な活性化」の取り組みを商店街が今後もどんどん行って元気を取り戻してもらいたいものですね。なお、今回の[市電無料の日」の取り組みを市電の乗客の一人として体験して、この効果をさらに発展させるために少なくともつぎのようなことが可能になったらいいなと思いました。一つは、市電だけでなくバスも無料になったらいいなということであり、もう一つは往復無料になればもっといいなということです。 勿論、これには企画する側に多額の出費が求められますが、今回の企画のなかに「フリーチケット」の試みもあり、これは大いに発展させてもらいたいものだと思いました。フリーチケット参加店では、3千円以上のお買い物客に「市電・市バスはもちろん、各社バス、指定駐車場にも使える100円券」を配布したそうです。お店での購入額が多くなればなるほどフリーチケットの枚数も増え、市電やバスの公共交通機関が無料で使える回数が増えますね。なお、残念ながら私は籤引きが3回出来るほど商品を購入したのですが、なぜかフリーチケットをもらう事が出来ませんでした(これも心があまり暖かくならなかった原因の一つかな)。 今回は、フリーチケットの有効期間は、『天文館へ行こう』キャンペーン開催中(11月23日、24日、25日)に限定されているようですが、この「フリーチケット」の試みをぜひ拡大してもらいたいものです。それに、大安売りセールも積極的に行ってもらいたいものです。 鹿児島は今日の最高気温が20度と暖かいのですが、札幌の方は8度とのこと、やはり随分と違いがありますね。「また時間を見つけて,雪の中を走る市電をブログの記事にしたいと思います」と書いておられますが、楽しみにお待ちしております。
2007年11月25日
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今日(11月24日、土曜日)は、鹿児島で初めて「市電無料の日」の取り組みが実施されました。ただし、どこで降りても市電は無料というわけではありません。今日の午前10時から午後7時まで、天文館通、いづろ通、朝日通の3電停で降りる利用者に限って全電停が無料になるのです。 昨日(11月23日)の「毎日新聞」に載った鹿児島の地元ニュース欄の記事によると、We Love 天文館協議会が「同市南部に相次ぐ大型商業施設進出に対抗し、『天文館ににぎわいを』と企画」したもので、「土曜のこの時間帯は3駅で約6000人の乗降客あるが、同協議会はキャンペーン効果で1万人超を見込む。費用は160万円を超えると見られ、9割を協議会が負担、1割をは交通局が協力する」とのことです。 私の家からは、バスでなら天文館に乗り換えなしでいけるのですが、市電の軌道は通っておらず、残念ながら市電に乗って直接天文館まで行くことはできません。それで、まずバスで鹿児島中央駅まで行き、それから[市電無料の日」を実体験するために鹿児島中央駅前電停から市電に乗り換えて天文館に向かいました(我ながらご苦労様なことです)。 鹿児島中央駅前電停から乗った市電は、立錐の余地もない満員状態でしたが、これが市電無料化の効果なのかどうかはなんとも言えません。なぜなら、この鹿児島中央駅から天文館の区間の市電はいつも満員状態だからです。 私の眼の前の座席に坐っていた男子高校生などは、「市電無料の日」のことを知らなかったようで、市電が天文館通電停の一つ前の高見馬場電停に近づくと、隣の友達に電車賃は幾ら必要なんだと訊き始めましたが、車内アナウンスの「本日はここより先は朝日通電停まで無料となっております」との声を聞いて、「えっ、無料なんだ」と驚いていました。そのとき、偶然に眼の前に立っている私と目が合い、私は思わず彼にニッコリ微笑んでやりましたよ。しかし、私のようなオジサンの微笑では、彼にとっては嬉しい追加サービスにはならなかったかもしれませんね 天文館はなかなか賑わっていましたよ。私は長年通勤用に愛用していたショルダーバッグがかなりくたびれていたので、天文館のバッグ屋専門店で購入することにしました。購入したいバッグが見つかり、値札も妥当なものでしたが、私は関西人ですから、もう少し安くなりませんかと挨拶代わりに値切り交渉をしてみました。しかし、店の人から「このメーカーのものは値下げはできません」とあっさり断られてしまいました。 仕方がないので値札どおりで購入し、そのときにもらったレシートでその店の近くで籤引きをすることにしました。レシートに打たれている購入金額ですと、商店街のくじ引き抽選を3回することが出来ましたが、籤を引いてもらえたのは飴が幾つかだけでした。
2007年11月24日
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鹿児島の地元紙「南日本新聞」の昨日(11月14日)と今日(11月15日)に天文館関係の2つの興味深い記事が載っていました。 まず、「We Love 天文館協議会」が「天文館 市電無料の日」を11月に予定していましたが、昨日の同紙に「市電無料の日/天文館3電停 24日実施」との見出しで「天文館通、いづろ通、朝日通の三電停を対象に、二十四日実施することが正式に決まった」と報じていました。なお、当初の計画では2日間を予定していましたが、初の試みで予測が難しいということで1日に短縮したそうです。 11月24(土曜日)の午前10時から午後7時まで、天文館通、いづろ通、朝日通の「三電停で降りる利用者に限り、料金を協議会側が肩代わり。一便ごとに係員が利用者数をチェックし、後日協議会側が市交通局に人数分の料金を支払う」ことになるそうです。 このような「We Love 天文館協議会」の「天文館 市電無料の日」の試みは、今月の6日に鹿児島市東開町にオープンしたイオン鹿児島SC(ショッピングセンター)を強く意識したものであることは間違いがないと思います。 しかし、今日の「南日本新聞」の記事に載った「人が動いた イオン鹿児島SC開業1カ月 (下)」の記事によると、天文館地区にあるデパートの山形屋の来客数が6.3%減、売り上げは3.8%減にとどまっており、同デパートの馬場勇一副社長は、イオンの影響は「思ったほどではない」、「天文館全体でイベントをした効果もあった」と発言しているそうですし、また、「We Love 天文館協議会」の有馬勝正理事長も「影響は2、3%減程度の最小限にとどまっているのではないか」と話しているそうです。 なお、山形屋デパートの馬場副社長の言う「天文館全体でイベントをした効果」とは、本来は商売敵の山形屋と三越鹿児島店が天文館の商店街を巻き込んでの共同セールを実施したり、「We Love 天文館協議会」が共通のロゴを作成たり商店街の各アーケードに活動をPRする看板やのぼりを登場させたりしている等のことを指していると思います。今後、鹿児島市の客の争奪戦はさらに激しさを増していくに違いありません。
2007年11月15日
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鹿児島の地元紙「南日本新聞」の10月26日に「天文館貫く緑の帯/おはら祭に新たな彩り」という見出しで、「鹿児島市が取り組んでいる市電軌道敷に芝生を植える工事が、新たに高見馬場電停から市役所前電停付近まで完成し、天文館の街並みを貫く緑の帯が、日ごとに鮮やかさを増している」ことが報じられていました。 鹿児島市のおはら祭りが11月2日、3日に開催され、天文館の電車通りをメイン会場にして賑やかに祭りが繰り広げられます。それに間に合わせるために、高見馬場電停から市役所前電停の間の市電軌道の芝生化が急ピッチで進められたようです。祭りの踊り手たちの艶やかな色の着物が市電の軌道のグリーンのベルトに映えてさぞ美しいでしょうね。すでに天文館周辺の歩道にはおはら祭りの提灯の列が賑やかに連なって祭りを待ち受けており、祭りの当日がとても楽しみです。
2007年10月31日
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naomatsuさん、いつも親切なコメントをいただき、心から感謝しております。 拙ブログに載せた鹿児島の「2007 市電・市バスゆ~ゆ~フェスタ」のトロッコ自転車の記事と「yamamomo Video Theater」にアップしたそのビデオ動画について、「いやぁ~,正直,めっちゃ運転したくなりました./子供達は,さぞかし運転したかったことでしょうね」とコメントしておられ、大いに気に入っていただけたようですね。正直言いまして、私もこのトロッコ自転車にはとても乗りたかったのですが、子どもも連れていないオジサンが一人で乗り込むのはやはり気が引けて出来ませんでした。 なお、秋の強い日差しをまともに受けて軌道を走るトロッコ自転車の内部の様子は、ど近眼の私には肉眼ではほとんど何も見えなかったのですが、撮影したビデオで見ましたら、内部の乗客が手と足を使ってトロッコを動かしている様子がよく分かります。こんなところにビデオ動画ならではの効果をやはり実感させられました。データ量の問題から表示するために時間がかかり、やたらビデオ動画を紹介するわけにはいきませんが、動画ならではの効果が生じるであろう対象には上手く使って行きたいと思っています。 ところで、「来週末に『札幌-ニセコ』間のSLに乗ってこようと思います./生まれて初めての機関車なのです」と書いておられますね。期間限定のSLニセコ号とのことですが、naomatsuさん運営のブログ「僕の道」にその体験記事が載るのを大いに楽しみにしています。
2007年10月29日
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今日(10月28日)の午前10時から鹿児島市交通局敷地内(鹿児島市高麗町43-41)で「2007 市電・市バスゆ~ゆ~フェスタ」が開かれるというので、朝の9時半頃に家を出発して午前10時半頃に会場に到着しました。 秋晴れの好天気ということもあり、会場ではすでに子ども連れの家族がたくさん詰めかけ、特に市電の形をしたトロッコ自転車は人気を博しており、たくさんの親子が長い列を作って乗るのを待っていました。もし私の息子が小学生ぐらいだったら、きっと私も子どもと一緒にこの列に加わったことでしょう。しかし、残念ながら私の2人の息子たちはもうそんな歳ではありません。これまでの我が家の歴史をつい回想して一抹の寂しさを感じた私でありましたが、気を取り直し、トロッコ自転車を楽しむ親子の姿をデジカメで撮影するのことにしました。 また、会場では児童が描いた市電や市バスの絵の展示や日本路面電車同好会による市電の2100形車両内でのパネル展示、八幡小学校の金管バンド演奏、市民フリーマーケット等もありました。さらに午後1時からはバスとの綱引きの企画もあるとのことでしたが、残念ながら所用のためにお昼前に会場を離れることにしました。 なお、トロッコ自転車の動く様子をビデオで撮影しました。動画ファイルのデーター量は3.7メガバイトもあり、表示に時間がかかるかもしれません。お暇なときにでもご覧下さったら有難いと思います。 ↓トロッコ自転車 http://yamamomo02.hp.infoseek.co.jp/festa.htm
2007年10月28日
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鹿児島市の市電に関連して、鹿児島の地元紙「南日本新聞」に興味深い記事を2つ見つけましたので紹介したいと思います。 まず「南日本新聞」10月3日に載った「JT跡地内施設配置 市が最終案公表」という見出しの記事には、「鹿児島市は二日、四月未に市土地開発公社を通じて購入した上荒田町の日本たばこ産業(JT)工場跡地の整備について、移転する市立病院を敷地北側に、交通局電車部門を同南側に、検討中の新施設を病院と交通局の間に整備する最終的な施設配置案を示した」と報じていました。 また今日(10月5日)の同紙には、「市電 天文館下車はタダ」との見出しで、「『We Love 天文館協議会』が、鹿児島市天文館地区を訪れる人々の市電料金を負担し、無料化するユニークな試みを、十一月二十四、二十五日に予定している。環境に優しい市電を利用し、一人でも多くの人に天文館を楽しんでもらおうという狙いだ」と報じていました。 同記事によると、この11月24日(土)と25日(日)両日の「天文館 電車無料の日」は「午前十時から午後七時まで、同地区の電停で降車する利用者に限り、料金を協議会側が肩代わりする。一便ごとに利用者の数をチェックし、後日協議会側が市交通局に料金を支払う方法が検討されている。ICカードで乗車しても課金されない方法を取る」とのことで、鹿児島市交通局も「『市電の利用者増につながり、中心市街地活性化にも貢献できる』と積極的に協力、実現にこぎ着けた」とのことです。
2007年10月05日
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Cat-Tramさんが運営しておられるブログ「猫電車日記」の9月22日の記事「公共交通でおでかけウイークエンド事業」を拝見しましたら、9月22日から3日間、富山市では再開発ビル「総曲輪フェリオ」のオープン記念事業として、富山ライトレールとそのフィーダーバス、富山地鉄の市内電車、まいどはやバスの乗車が無料になったとのことです。 富山市では興味深い取り組みをしているなと思っていましたら、私が住んでいます鹿児島市でも「市電無料の日」の計画があることを今日の新聞で知りました。 いま鹿児島県鹿児島市東開町にイオン鹿児島ショッピングセンターが建設中で、来月の6日に開業が予定されています。同ショッピングセンターには、JUSCOと170の専門店が入るそうですが、それに危機感を抱いているのが鹿児島市最大の商店街の天文館です。鹿児島市南部の産業道路や与次郎地区に郊外型の大型店が進出し、さらにJR鹿児島中央駅に大型商業施設「アミュプラザ鹿児島」がオープンしたために、天文館の買い物客が減少しているところに、さらにイオン鹿児島ショッピングセンターが開業するのですから、天文館の多くの店舗が危機感を抱くのは当然です。 今日(9月27日)の毎日新聞九州版の「広がる波紋 イオン開業を前に 《2》」を見ましたら、天文館の11商店街で組織する中央地区商店街振興組合連合会(中振連)の役員3人が今月14日に鹿児島市交通局を訪れ、「『市電無料の日』を実施したい。協力してもらえないか」と要請したそうです。天文館中振連の「市電無料の日」の計画は、「天文館に近い市電の三つの電停で降りた客は電車代が無料になる、という初の試み」とのことで、「割引セールなどのイベントを絡め、天文館に人の流れを呼び込もうとの狙いだ」そうです。市交通局もこの「無料の日」について、「1割程度なら、局側が負担することも可能」と前向きだそうです。 ぜひこの取り組みを実現させてもらい、鹿児島の市電が鹿児島市の顔ともいえる天文館と協力し合い、ともに繁栄する一助となってもらいたいものですね。
2007年09月27日
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naomatsuさん、こんばんは、やまももです。 昨日の拙文「桜島をバックに走る超低床電車をビデオ撮影」について、ご多忙中にもかかわらずわざわざ心暖かなコメントを寄せてくださり、本当にありがとうございました。 デジタルビデオカメラで撮った愛犬ポロや鹿児島の新しい超低床車の動画をWMVファイルに変換して、インターネットのホームページから Windows Media Playe で見られるようにしてみたのですが、実際にどのように見えているのかとても気になっていました。 それだけに、「動画って素晴らしいですね!」「やまももさん宅のポロは,とっても愛らしく,動画に映ったポロは,とっても人懐っこそうに見えました」「また,7000系,めっちゃかっこいいですね! 桜島が背景に走行する姿がやばいですね」「鹿児島中央駅に向うユートラムもまた,貫禄がありました./まるで西洋の環境先進都市のようです.鹿児島の空気を感じた気がします」等のお言葉をいただき、大喜びしています。 私の飼っている柴犬のポロは、もう14歳になり、目も耳もかなり悪くなり、夜に散歩をしたりすると、路上駐車している自動車に鼻をぶつけたりしています。それでも食欲は相変わらず旺盛で、獣医さんからは肥りすぎだとお叱りを受けています。 ところで、すでにご覧下さった鹿児島中央駅に向かう超低床車ユートラムの動画は、データ量を抑えるために320×240でアップしましたが、試みに640×480のWMVファイルで再アップしてみました。なお、鹿児島中央駅に向かうユートラムを高見橋という甲突川に架かる橋から撮影したのですが、駅へと走り去るユートラムの姿と高見橋の欄干の群れ遊ぶ稚児たちのブロンズ像もさらに追加してみました。そのため、動画ファイルのデーター量は4メガバイトになってしまい、表示に時間がかかるかもしれません。お暇なときにでもご覧下さったら有難いと思います。 ↓ 鹿児島中央駅に向かうユートラム http://yamamomo02.hp.infoseek.co.jp/tram02.htm いただいたメールによりますと、「札幌は,すでに気温20度を割り始めており,2ヵ月後あたりには,雪の中を颯爽と走る路面電車を見ることができます,またブログでお知らせできればと思います」とのことですね。楽しみにお待ちしております。
2007年09月25日
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今年の4月26日から鹿児島市をアルナ車両製造の5車体連結の超低床電車7000形が2両走るようになりました。それで、今日は武之橋まで出かけ、ビデオで桜島をバックに走るこの超低床電車を撮影しました。 撮影した新型の超低床電車をつぎのところにアップしましたので、興味がございましたらご覧下さい。ただし、データー量が2.47メガバイトありますので、インターネット環境によっては画像が表示されるのに時間がかるかもしれません。 ↓ 桜島をバックに走る超低床電車7000形 http://yamamomo02.hp.infoseek.co.jp/tram01.htm
2007年09月24日
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naomatsuさん、お久しぶりです、やまももです。 naomatsuさんの鹿児島訪問の件、ご連絡をありがとうございました。2月に来鹿(他地域の人が鹿児島に来られることを来鹿といいます)されるかもしれないとのことですね。そのときはまたご連絡ください。「いつか,鹿児島の市電にも乗りに行きます」と書いておられますが、ぜひ鹿児島市電でご一緒に市内を巡ってみたいものですね。 naomatsuさんがご自身のブログ「僕の道」に書かれた「函館市電に乗ってきました」の記事をとても楽しく拝見させてもらいました。私はいま鹿児島ゆかりの人物である天璋院篤姫に関心を持っており、その関係で幕末のことを最近いろいろ調べていましたので、戊辰戦争の最後の戦いの地となった五稜郭の写真も興味深く拝見しました。五稜郭のお堀の周りを歩かれて、「なんか土方達が同じ場所を走っていたのかと思うと,感慨深いものがありました」と書いておられますから、やはり土方歳三や新撰組に関心をお持ちのようですね。 また、「札幌市電と函館市電のもっとも大きな違い」についての文章には感心させられました。正直言いまして、私が大人になってから乗った市電は鹿児島の市電だけなんです。ですから、とても狭い限られた視野でしか鹿児島の市電を語ることはできないのですが、naomatsuさんのように複数の街の市電を比較する試みはとても大切なことだと思います。鹿児島に今度来られたときは、ぜひ鹿児島の市電を札幌や函館の市電と比較していろいろ考察していただきたいものです。きっと貴重なご意見をいただくことができ、私自身の認識も深まると思います。来鹿を楽しみにお待ちしております。
2007年09月11日
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naomatsuさん、お久しぶりです、やまももです。 naomatsuさんのブログ「僕の道」にアップされた「ついに!! いってきました(ToT)」の札幌市電関連の記事を興味深く拝見いたしました。 画像入りで紹介されている「どサンこパス」は「土日限定の,市電一日乗り放題のチケット」とのことで、値段は300円だそうですね。naomatsuさんのブログに、鹿児島市交通局の一日乗車券(市電・市バス)が600円ということを書いておられますが、土日限定であることや路線区間の長さの違い(鹿児島市電は13.1キロ、札幌市電は8.5キロ)等を考慮に入れても札幌市電の「どサンこパス」は確かに安いですよね。 ところで、『鹿児島市電が走る街 今昔』は確かにJTBパブリッシングのキャンブックスの『・・・今昔』シリーズの一冊として出されており、『札幌市電が走った街 今昔』もすでに出版されているようですね。「僕もまた,身近な市電の歴史に触れてみたいと思います」と書いておられますが、研究の合間にこんな札幌市電紹介の本を手にして市電とその軌道周辺の街のことをちょっと調べてみられるのもまた楽しいでしょうね。
2007年06月13日
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昨日(6月10日)の朝、鹿児島の地元紙「南日本新聞」を開いて見ていましたら、大きな活字で「市電の今昔風景本に」と題された記事が目に飛び込んで来ました。また同記事には、鹿児島の谷山中央の水元景文さんが七日に発売されたばかりのご自身の著作『鹿児島市電が走る街 今昔』(JTBパブリッシング)を手にして微笑んでおられる写真が添えられていました。 同記事によりますと、『鹿児島市電が走る街 今昔』の「著者は鹿児島市谷山中央一丁目の鉄道愛好家、水元景文さん(六九)。執筆途中に隣家の火災に巻き込まれ、貴重な写真や資料を失うという困難のなか、一年遅れで完成した。ページをめくると、市電が走る懐かしい風景がよみがえってくる」とあり、同書には「一九七五(昭和五十)年ごろから撮影してきた二百九十枚を含め約四百枚の写真を掲載、市電の歴史を分かりやすく解説する。電停ごと昔と今の姿を見比ベられ、背景となる街の風景の移り変わりも浮かび上がってくる」とも紹介していました。なお、著者の水元景文さんは志学館大学(霧島市)の教授だった方で、2005年に定年退職されておられるとのことです。 こんな鹿児島の市電に関する興味深い本が出版されたというのですから、私が我慢できるわけがありません。それで今日の夕方、勤務先から帰宅途中に書店によってこの本を購入してきました。 この本には、昭和年代から現在までの鹿児島の市電とその電停周辺の風景を写した約400枚の写真が載せられており、各電停のことが詳しく紹介されており、鹿児島の市電についての大変貴重な資料であり、鹿児島の市電に興味のある方はぜひ購入されることをお薦めします。 なお、拙ホームページの「鹿児島の市電と街」の「路面電車関連文献集」にこの本のことも追加して紹介しておきました。
2007年06月11日
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つばめさん、こんばんは、やまももです。 鹿児島の市電軌道の芝生化工事について、「この前適当に天文館辺りを散策してましたら、芝生化工事が市役所前まできてました。だいぶ景色が変わってきましたね」との情報をありがとうございました。 それで、今日は天文館通電停から市電に乗って市役所前電停まで軌道工事の進捗状況を見学に行って来ました。同工事は、現在(6月9日)のところ市役所前電停を少し通り過ぎた桟橋通り交差点のところまで進んでいました。 なお、桟橋通りの交差点に「併用軌道」の工事完了予定日を今年の10月20日とする「軌道工事」の立て看板がありましたので、記念にデジカメで撮っておきました。また、拙ホームページ「鹿児島の市電と街」に掲載している「鹿児島の市電 ランダムノート」の「軌道の芝生化」にもこの工事中の写真を追加しておきました。
2007年06月09日
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鹿児島市の市電軌道の芝生化は、鹿児島中央駅前から高見馬場までがすでに完了していますが、いまその緑の帯を延ばすために高見馬場の交差点から天文館通電停付近で軌道工事が進められています。 天文館通電停近くの「いわさきホテル・ザビエル450」(東千石町12-22)の交差点で信号を待っていましたら、軌道工事の看板が目に入りました。それで信号が青になって横断するときにデジカメでこの看板を記念に撮っておきました。
2007年06月06日
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つばめさん、お久しぶりです。鹿児島の花電車について、数ヶ月前の夕刊に特集されていたとの情報をありがとうございます。「これからもおはら祭りの顔として活躍し続けてもらいたいです」と書いておられますが、明治生まれの花電車にはいつまでも現役で頑張ってもらいたいものですね。 それから、つばめさんがこれまで運営しておられたブログ「鹿児島人の乗り物写真館」には、前に教えていただいたURLからアクセスしても「指定されたブログが見つかりません」とのエラー表示が出ていたので、どうされたのかなと思っていましたが、今回新たに「ブログリニューアルしました」との連絡を下さり、新「鹿児島人の乗り物写真館」のURLを教えてくださり、本当にありがとうございました。 それで、つばめさんの新ブログを拝見させてもらいましたら、「鹿児島市電 7000形」と題された記事が掲載されており、4月下旬から鹿児島市交通局が新たに運行を開始した5車体連結の超低床車について、その車両内部の様子をデジカメでしっかりと撮影されて詳しく紹介しておられたので、とても興味深く拝見させてもらいました。
2007年05月20日
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なおpiさん、初めまして、やまももと申します。 なおpiさんがご自身運営のブログ「けろけろ日記」で、どんたくで花電車として使われていたものが「今も、鹿児島の『おはら祭』で、現役で走っているそうだ」とされ、「じーん・・・とした」と書いておられたので、拙ブログに鹿児島の花電車のことを書いていることを紹介させてもらいました。 それに対してご丁寧なお返事をいただき、「子どもの頃、“どんたく”で見ていた花電車、この時期になると、懐かしく思い出しておりましたが、まさか、まだ、現役で走っていたなんて!/「おはら祭」さん、ありがとうございます!!」とされ、さらに「取材されたレポーターさんも涙ぐんでおられましたが、わたしも、涙が出てしまいました。本当に、嬉しいです(^o^)」とまで書いておられ、私もとても嬉しくなりました。 この「博多から鹿児島に移籍した花電車」のことは、やはりRKBの『今日感テレビ』で知られたんですね。昨日から博多どんたくが始り、花電車ならぬ花バス(花自動車が正式の呼称のようですね)が6台も運行されて祭りに華を添えているようですね。しかし、なおpiさんのような花電車世代には、博多で路面電車が運行されていた頃の花電車は、今はご覧になることができないだけにとても懐かしい存在でしょうね。 調べてみましたら、西鉄福岡市内線は明治43年(1910年)3月9日に博多電気軌道として開業したのがその始まりのようですね。しかし、1979年には廃止されています。この西鉄福岡市内線について、『全国 懐かしの路面電車』(新人物往来社、1998年6月)にはつぎのように書かれていましたよ。「西鉄福岡市内線と呼ばれ、国鉄博多駅や中心街天神を走っていた。多くの人に親しまれていたが、昭和五四年(一九七九)二月に廃止された。その衰退から廃止に至る過程は、路面電車廃止の典型的なパターンであった。 マイカーの増加や交通渋滞などの原因で利用者が減少する。そこで電車の運転本数を減らす。するとさらに乗客が減少するので、乗客の少ない路線を廃止する。その結果、路面電車による都市内のネットワークが崩れ、利用者にとっては不便になり乗客はさらに減少する。そして最終的には全廃され、バスや地下鉄にとって代わられる。」 西鉄福岡市内線の花電車が鹿児島市交通局にやって来たのは、同線が廃止される前年のことのようです。『鹿児島の路面電車50年』(鹿児島市交通局、1978年7月)によりますと、1978年1月26日、「花電車用として西日本鉄道株式会社から車両を購入」とありました。 なお、この西鉄からの花電車購入の経緯について、『かごしま市電物語―廃線・上町、伊敷線への想いを込めて……』(南日本新聞開発センター、1985年12月)にはつぎのようなことが書かれていました。「赤字経営がつづくなかで、交通局の苦悩もひとしお。そこで考え出したのが、花電車。五十三年七月一日の市電発足五十周年には、市民に明るい印象を植えつけよう、さらに広告収入によって少しでも赤字解消に役立て、市内観光の目玉にしようというもの。 福岡の西鉄から廃車となった無がい貨車を購入、これは福岡では博多どんたくの花電車として利用したもの。 花電車は六月二十七日から営業を開始した。一休さん、家なき子、キャンディ、キャンディなどテレビ漫画の主人公の人形や色あざやかな花、それを浮き立たせる五百個の電球、その華麗な絵がらと色合いが市民の目をとらえ、子供たちを楽しませた。」 また同書では、「華麗に登場した花電車だが、市民サービスにも一役買わねばというわけで、その月の十八日には散水車にも変身させて話題をまいた。/折から炎天と桜島の降灰に市民の不快指数は高まるばかり、それを少しでもやわらげようというのがねらい」と花電車が散水車として活躍したことも紹介しています。 明治に生まれ、博多の市民に愛された花電車です、鹿児島市でも人々に懐かしい思い出をずっと作って行ってもらいたいですね。
2007年05月04日
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みなさん、おはようございます、やまももです。 福岡で番組制作の仕事をしておられる susaさんから鹿児島の花電車についてつぎのような情報を伝えてもらいました。 今日(5月3日)のRKB「今日感テレビ」という番組で「博多から鹿児島に移籍した花電車」が紹介されます。4分程度の短い企画ですが福岡地区のみの放送で16時少し前くらいに流れると思います。 なお、susaさんのお話によりますと、「やまももさんのHPを見て、福岡の花電車が現役で鹿児島で走っていることを知りました」とのことです。私は拙ホームページに「明治生まれの花電車」と題して鹿児島の市電の2台の花電車を紹介したのですが、それが今回のRKBでの放送に繋がったとしましたら大変嬉しいことです。 私が拙ホームページで「南日本新聞」2006.10.14の記事に基づいて、鹿児島市交通局の2台の花電車は明治44年(1911年)生まれで、ともに福岡の西日本鉄道(西鉄)から購入されており、「西鉄は博多どんたくの花電車として使用していたらしい」ということを紹介していますが、まさに「博多から鹿児島に移籍した花電車」ということになりますね。 susaさんには、鹿児島の花電車に着目されて取材され、福岡のTVで放映されるようにしてくださったことに心から感謝いたします。
2007年05月03日
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Cat-Tramさん、こんばんは、やまももです。 Cat-Tramさんがご自身運営のブログ「猫電車日記」にアップされた鹿児島の新しい超低床電車についての記事をトラックバックで送ってくださり、大変興味深く拝見させていただきました。 Cat-Tramさんはこのゴールデンウィークを利用されて鹿児島へも来られ、4月26日に営業運転を開始したばかりの5車体連結の超低床電車もご覧になられたのですね。その報告記事を拝見しましたが、流石にCat-Tramさんですね、的確に観察されてのレポートは大いに参考になりました。また、拙ブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」に載せましたこの新しい超低床電車についての乗車体験報告にリンクを貼って紹介してくださり、大変光栄に思っております。 この5車体連結の超低床電車について、「構造上は5連接ですが、乗った感じは3連接です。ユートラムも同じで、運転台と客室の間の連接部分は、幌が仕切りの運転台側に付いていて、運転台が1段高く、客室がフラットなため、その部分は連接車であることをあまり感じさせません」「車輪のある中間車体の、もたれ棒のある出っ張り部分も、気になるほどではなく、床面も車輪のない車体と同じくフラットになっていました」と書いておられますが、私も乗車して車内のフラットさや一体感には感心させられました。それから、「思い切った流線型の前面は、もちろんデザイン的な要請もあるのでしょうが、運転台をコンパクトにまとめるのにも寄与しているようでした」とのご指摘になるほどと納得させらました。 また、芝生軌道にも注目され、センターポール化、芝生軌道とそのライトアップなど、鹿児島市が都市政策の一環としての市電、路面電車の整備を進めていること等から、「鹿児島市電は街と一体化しているという印象を持ちました」とのお言葉も鹿児島市民として嬉しいものがあります。
2007年04月30日
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鹿児島市交通局は、アルナ車両製造の5車体連結の超低床電車(7000形)を2007年4月26日から2両運行しています。この新型車両は、全長18メートルで定員78人(座席24人)のバリアフリーの車両で、1両2億2000万円とのことです。 それで、昨日は鹿児島中央駅前電停まで行って、新型車両の乗車体験をしてきました。この流線形のスマートなこの車両が電停に近づいて来る姿を見ていますと、見慣れた周囲の街の風景が前よりなんだかとってもオシャレな感じがしましたよ。 実際に乗車してみますと、車内も洗練されて明るく、5車体連結なのに、真ん中の台車部分が巧みに接合されて上手に一体化されており、後部から乗車して前部に移動するのもスムーズに出来ました。 なお、5車体連結の超低床車(7000形)について拙ホームページにも新たにアップしておきました。
2007年04月28日
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ベーやんさん、こんばんは、やまももです。 ベーやんさんが「移動に市電を利用すると、車の排気ガスも減って 環境にもよいことになるのですが」と書いておられますが、地球温暖化の防止の観点から市電はいま大いに再評価されていますね。それから、「まもなく、新型が導入されて 今よりも多くの人を運べるようになるので、できるだけみんなが利用したら、いいと思うのですが」とも書いておられますが、超低床電車は環境に優しいだけでなく高齢者や障害者にも優しい乗物ですね。 ところで、今日は早めに職場から帰宅したのですが、そのために乗ったバスが鹿児島市交通局前を通り過ぎたとき、交通局の車庫内に5車体連結の超低床車(7000形)の姿が目に入りました。それで慌てて次のバス停で降り、交通局に歩いて戻って、デジカメで車庫のフェンス越しにこの新しい超低床車を撮影しました。 なお、鹿児島市交通局の公式ホームページを見ましたら、「連接式超低床電車7000形の営業運転開始について」のお知らせがあり、4月26日(木曜日)に新型電車運行開始式があり、その運行が開始されるようですね。しかし、木曜日は仕事で運行開始式に出られそうもありません。実際に私がこの電車に乗ることが出来るのは28日、29日頃になりそうです。 それから、「ところでやまももさん、600型のタイプに2種類ありますが、違いが わかりますか? それと、9500型のタイプも2種類あります」との市電の車両クイズですが、正直言いまして、私は車両についてあまり詳しくありません。仕方がありませんので、手許の本でカンニングすることにしましたが、601号から604号は1959年製造の半鋼製ボギー車で台車はコイルバネ、605号から616号車は1960年から1963年製造の全鋼製ボギー車で台車は空気バネということでしょうか。しかし、9500型にどのような2種類の異なるタイプがあるのかは全く分かりません。ぜひ教えてくださいね。
2007年04月20日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 べーやんさんがご自身運営のブログ「べーやん鉄道日記」の初日記に鹿児島の市電の「一部区間で軌道の芝生化が完了して、緑鮮やかでとてもきれいです」と書いておられたので、今朝は高見馬場電停の芝生化された軌道を撮ってきました。なお、私はいつも高見馬場電停近くのバス停からバスに乗って通勤しているのですよ。 鹿児島中央駅から高見馬場交差点までの芝生の植え付けが終了したのは3月下旬でしたから、写真を見てもわかりますように芝生の新芽がまだ充分に生え揃っていません。市電の軌道がグリーンの絨毯で覆われたようになるにはもう少し時間がかかるようですね。
2007年04月10日
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べーやんさん、初めまして、やまももです。 鹿児島の市電車両の2000系が交通局カラーに塗色変更されていることや、また600形のクーラーカバーが変化していることについての情報をありがとうございます。 べーやんさんのブログを拝見しましたが、昨日から記事のアップを始められたようですね。鹿児島の鉄ちゃんならではの記事を大いに楽しみにしています。そのべーやんさんのブログ記事に、いま鹿児島市交通局が進めている市電軌道敷への芝生の帯作りの工事について、「一部区間で軌道の芝生化が完了して、緑鮮やかでとてもきれいです」と書いておられますね。 なお、「南日本新聞」3月27日に「目抜き通りに緑の帯鮮やか/鹿児島中央駅-高見馬場、芝生植え付け完了」と題した記事が載っていました。それによると、「鹿児島市が進める市電軌道敷に芝生の帯をつくる工事のうち、鹿児島中央駅から高見馬場交差点までの植え付けが終了、目抜き通りのグリーンが日ごとに鮮やかさを増している。/工事は、交差点部分を除く延長約五百八十メートルで実施。アスファルト舗装を取り除いた後、保水性と排水性に優れた基盤材と土を敷き、高麗芝の改良種を植えた」とし、「市は今後、高見馬場交差点から市役所近くの桟橋通り間で、舗装の下にある枕木を木製からコンクリート製に替える軌道改良工事とともに緑化工事を進める。秋のおはら祭前までには完成する予定」としていました。 べーやんさんは「鹿児島在住の中年?鉄ちゃんです」と自称されていますね。「鉄ちゃん」と言えば、今日のお昼はJRを利用して勤務先から帰ったのですが、小学生の鉄ちゃんを見掛けましたよ。私は先頭車両に乗っていたのですが、途中からお父さんと一緒に乗り込んできた坊やが車窓から見える外の様子をとても楽しそうにお父さんに語りかけていました。 この坊やは、車外の景色を食い入るように眺めながら、「あっ、赤い信号が灯っている!」「うわーっ、列車がどんどん大きくなって近づいて来るよ」「お父さん、ほらほら、踏み切りで人が待ってるよ」と本当に楽しそうでした。鹿児島中央駅に近づくと、「なのはな号だ、きりしまもいるよ」と車両にも詳しいようでした。こんな様子を見ていると私もとっても楽しくなりました。
2007年04月07日
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つばめさん、こんばんは、やまももです。 4月下旬から5車体連結の超低床車(7000形)が新たに運行するそうですが、つばめさんご自身運営の「鹿児島人の鉄道写真館」に試運転中のこの超低床車についての記事と写真をアップしておられ、とても興味深く拝見しました。また、拙ホームページ「鹿児島の市電と街」からリンクしております「画像掲示板」にも「7000形試運転風景」と題して7000形を含めた市電の黄色トリオが並んでいる珍しい写真を提供していただいたことを心から感謝いたします。 実は、私もこれまで2回だけバスの中からその脇をスーッと通り過ぎていくこの新しい超低床車を見ているのですが、残念ながらカメラでしっかりと撮影するだけの時間的余裕はありませんでした。なお、この7000形は車体の全長がユートラムより4メートル長いそうですが、実物を自分の目で見てみますと、想像していたよりもコンパクトな感じがしました。 この新車両が実際に運行される日が待ち遠しいですね。乗車しての実際の乗り心地を早く試してみたいものです。
2007年04月04日
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Cat-Tram さん、つばめさん、こんばんは、やまももです。 Cat-Tram さん、コメントをありがとうございました。また、Cat-Tram さん運営の「猫電車日記」 を拝見させてもらいましたが、南日本放送の動画などもしっかりとご覧になり、それを踏まえての「リトルダンサーシリーズも新しい電車が出るたびに、改良が積み重ねられていると感じられます」とのレポートには感心させられました。「走り始めたら、ぜひ乗りに行きたいと思います」と書いておられますが、そのときにはまたCat-Tramさんならではの報告をよろしくお願いいたします。 つばめさん、お久しぶりです。3月7日は高校受験2日目だったんですね。試験はどうでしたか。合格を心から祈っています。ところで、鹿児島市交通局の新型LRVについてのコメントをありがとうございました。それでつばめさんのブログ「鹿児島人の鉄道写真館」を久しぶりで拝見させてもらい、新型LRVの写真をじっくりと見ることが出来ました。本当にありがとうございます。
2007年03月07日
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昨日(3月5日)の夜、テレビを視ておりましたら、鹿児島の地元ニュースで市電の新しい超低床車が市交通局に搬入されたことが報じられ、画面に白地に黄色のラインが入った車両が映し出されました。5日の未明に5車体連結の超低床車が谷山港から鹿児島市交通局に搬入されたというのです。 それで、今朝の地元紙「南日本新聞」で確認しましたら、「夜を徹し搬入作業 市交通局」との見出しで新しい超低床車搬入の記事が写真入で報じられていました。同記事によりますと、全長18メートルの超低床車2編成が新たに鹿児島市交通局の車庫に搬入されたとのことで、「現在九両ある超低床電車より全長が四メートル長く、乗車定員も七十八人と二十人多い。バリアフリーに配慮しながら輸送力アップを図るのが導入目的。購入金額は二編成で約四億三千万円。/全長が長いため、一編成は五つの車体で構成され、カーブ走行などに配慮されている。また、これまで導入した超低床車両に比べ運転席部分が丸みを帯びたデザインになっているのが特徴だ。/今後試運転などを経て4月上旬から運転手研修を実施、下旬から営業運行を始める予定」としています。 なお、南日本新聞のホームページにも公式サイトにも「連接式超低床電車 夜を徹し搬入作業/鹿児島市」として写真入で報じられています。4月下旬、5両連結の超低床車が春の陽を浴びながら鹿児島の街を走ることになるようですが、早くその姿を見たいものです。
2007年03月06日
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みなさん、こんばんは、やまももです。 今朝の「南日本新聞」の第一面に「鹿児島市 JT跡地購入へ/市立病院と市電部門移転」との見出しが大きく出ていました。その記事によると、「鹿児島市は二十七日までに、同市上荒田町にある日本たばこ産業(JT)の鹿児島工場跡地を購入する意向を固めた。今後JT側と、価格面などの具体的交渉に入るが、総額で100億円近くの投資額になるとみられる」とありました。 鹿児島市内にある県や市の建物はみんな新しくて立派なものが多いのに、市交通局の敷地内にある施設の大半が時代から取り残されたような耐用年数がとっくに過ぎた年代物ばかりです。ですから、もし市で働く若い女性職員が市交通局に職場移動を命じられたら、きっと三日三晩泣き明かすのではないかと余計な心配をしていたものです。 市電に乗ってこのJT工場跡地のそばを通り過ぎるとき、私はいつもその敷地がかなり広いことを実感していたのですが、「南日本新聞」の記事によりますとその面積は約6万9000平方メートルとのことでした。東京ドームが約4万6775平方メートルだそうですから、やはり相当に広いですね。また同記事によりますと、いまの市立病院の敷地面積が約1万5800平方メートル、交通局の敷地面積が約2万6000平方メートルだそうですから、これら2つの関連施設を移転させるのにJT工場跡地は充分すぎるぐらい広いですね。なお、地元のテレビ局の報道によりますと、来年の1月下旬から鹿児島市はJT側と交渉に入るそうですよ。
2006年11月28日
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