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◇下関エリアから唐戸エリアへ移動しました。観光客にとって、エリアがどうのこうの言われてもわかりませんね。全部まとめて、下関でいいのでは・・・。国道9号線沿いにある建物が下関南部町郵便局があります。現存する下関の洋風建設としては最も古く、1900年の建築です。その隣に旧秋田商会ビルがあります。1915年、木材取引を中心の商社活動と海運業を営む秋田商会の事務所兼住宅として竣工した。西日本初の鉄筋コンクリート造りのビルです。現在は「下関観光情報センター」として無料公開しています。建物は雰囲気あります。写真を撮るには距離がありません。国道を渡ると良いですが、車が多いですね。帰りに反対側から撮りました。国道9号線沿いに旧下関英国館があります。1906年に建てられました。アルヌーボー調のマントルビースやタイルが、当時の領事の暮らしぶりをしのばせます。入館無料。ちょっと見るのを忘れていて道路の反対側から撮っただけです。時間がなく自転車を返さなくてはいけないし、5時を過ぎていたので薄暗いライトアップ中でした。下関旅行は、まだ続きます。
2007/01/31
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◇晋作通りから少し入った所に東光寺があります。地図には載っているのですが、説明も看板もないので、遠目から見ただけです。通りの細江公園から曲がると一気に登る階段が見えます。一度登るだけならと思いながら登りました。冬場でしたけど、汗をかきますね(笑)。上が「日和山公園」です。上まで登ると「港がみえる丘の径」の碑があります。見晴らしはビルがあり、あまりよくありませんね。ここまで登った目的は高杉晋作陶像を見る為です。晋作通りの銅像よりは、かっこいいですね(笑)。この辺りでは、良い場所に陶像があります。夜はオレンジ色に、ライトアップしています。近くには「つかづの灯籠」があります。また階段を下りて少し進んだ所に光明寺があります。高杉晋作と共に萩・松下村塾の双璧と称される久坂玄瑞が、後に騎兵隊の母体となった「光明寺党」と呼ばれる一団と寄宿したことで知られます。(下関駅の北にある光明寺とは異なります)門が閉まっていたので門から覗いただけです。下関旅行は、まだ続きます。
2007/01/30
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◇駅まで戻り国道沿いを東に進むと大歳神社があります。白石正一郎の銘が残る大鳥居は、必勝を祈念して1862年に寄進したものです。源義経が必勝祈願した地に立てられた神社でした。現在は遷座して、この地に移りました。鳥居から直線で階段が伸びています。昔は123段ある事が意味があったらしいですが、現在は関係ないらしいです。少し高いところに登りますので、見晴らしは少しいいです。下関のタワーが目に付きますね。そこから少し進んだ所が晋作通りです。どこからどこまでがそうかはわかりませんね。なぜ名前がついたかもわかりませんね。銅像があるのは、わかりますけどね(笑)。下関旅行は、まだ続きます。
2007/01/29
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◇高杉晋作終焉の地から少し離れていますが、海に近い住宅街にあるひょうたん井戸を見に行きました。ある日、長州藩士らの奇襲をうけた高杉晋作は、この井戸の中に身を隠し丸一日潜伏した。これが原因で、体をこわしたとも伝えられる。(個人の敷地内ですので注意)小さな看板があり、どうにか見つけれました。なぜ、ひょうたんと謂われるかの説明はなかったですね。高杉晋作が隠れていなければ、ただの井戸にしか見えませんね(笑)。国道沿いの白石正一郎旧宅址へ行きました。白石正一郎は回船業で富築いた豪商で、高杉晋作をはじめとする維新の志士たちを物心両面から支援した。騎兵隊は1863年6月8日、白井邸で結成されました。白石正一郎は、赤間神宮の宮司として享年68歳の生涯を終えました。中国電力の前に碑と看板があります。それだけですね(笑)。下関旅行は、まだ続きます。
2007/01/28
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◇桜山神社からぐるりと周り反対側の了円寺があります。1864年、長府巧山寺で決起した高杉晋作たちが、新地会所襲撃後にたてこもった寺。本堂の柱には当時の刀傷があります。入り口の飾りを見ると「バルトの楽園」の捕虜収容所の入り口に見えますね(笑)。本堂も拝観できるかわかりませんので、刀傷は見ていません。幕末の人たちの関連ある所には、よく刀傷がありますね。厳島神社の鳥居の所まで戻ってくると萩藩新地会所址の碑と看板に気がつきました。ここがはじめに襲撃した場所らしいですが、当時の面影はありません。そこから正面の道を進んでいくと高杉晋作終焉の地があります。肺結核をおして小倉口の戦いを指揮した高杉晋作は、1867年4月14日、ここで27歳8ヶ月の短く激しい生涯を閉じました。遺骸は騎兵隊陣屋近くの吉田清水山に埋葬されました。碑と看板があるだけですが、それだけにしては場所は少し広いですね。住宅街の一部です。当時は庄屋の離れがあった場所らしいです。下関は海沿いだからでしょうか、古い建物は残ってないですね。下関旅行は、まだ続きます。
2007/01/27
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◇光明寺から一度下り、もう一度坂を登った所に高杉晋作療養の地があります。地図には載っているのですが、現場ではまったくわかりませんでした。碑もあるのかどうか、わかりませんね。小高い住宅街になっています。そこから線路をくぐり進んだ所に厳島神社があります。平家一門が安芸の厳島神社の分霊をいただいて守護神として戦中に祀っていましたが、壇ノ浦の合戦後、磯辺に漂着していた心霊を1185年社殿を建立し、祀ったのがはじまりといわれています。境内には1866年小倉戦争に勝った戦利品として、騎兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓が保管されています。本堂は工事中で、あまりわかりませんでした。大太鼓ですが、看板があるので、これなんでしょうか?パンフの写真とは違うような・・・。そこから少し離れ緩い登り坂の途中に桜山神社(招魂社)があります。1865年落成、高杉晋作らの発議におった創建。日本で初めての招魂場で、吉田松陰を中心に、維新に散った志士たち約400柱が祀られています。この地は騎兵隊訓練の地でもあります。鳥居から少し登ったところに、本堂があります。登り口には「七卿史跡」の碑と看板があります。その裏手に維新の志士たちの柱が綺麗に並んでいます。こういう形のは、初めて見ましたね。約400らしいですが、そんなに広くはないですね。境内もそんなに広くはないですが、騎兵隊の訓練するには狭い気がしますが・・・。下関旅行は、短縮気味で続けていきます。
2007/01/26
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◇パソコンがおかしくなったので、少しの間休みます。リカバリしても治りませんので、初期化しないといけないかな?車も修理に出して、パソコンもかよ・・・。パソコンのデーターは早めに出しておいたほうがいいですね。つくづく思いましたね(笑)。早めに復活したいと思います。たぶん~。
2007/01/25
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◇「青春18きっぷ」を使ってひたすら電車で移動しました。途中の駅で1度下車しましたが、8時間近く電車に乗ってきました。特急などの料金をなるべく使わないつもりできました。片道8時間は最長時間ですね。観光さえしなければ、もう少し距離は伸ばせそうですね。観光しなければ、何しに来たかわかりませんけどね。下関駅に着いたのは、3時前だったかな?観光案内所でレンタサイクルの事を聞くと、ホテルなので貸し出している事。問い合わせをしてくれて、その場所までとりに行けばレンタルできるそうです。他のレンタサイクルとは、借り方が違いますね。少しインターネットで調べていて不安でしたが、すんなり借りる事ができました。ですが、パンクは自腹らしいです。そう言う所も、あるかもね・・・。「下関観光ガイドブック」を参考にまわる事にしました。下関駅北側で一番遠い光明寺へ行きました。あまり遠くはないですが、上り坂がきつかったですね。少し小高い所に光明寺があります。光明寺は、山口唯一の韓寺です。もう一つの光明寺とは違います。韓寺と言うので変わっているのかと思いましたが、そんなにではなかったですね。魚の形した木魚とか、部分的には変わっていました。後で気がつきましたが、「力道山木像」があるみたいですが、本堂は見ていないので気がつきませんでした。観光マップにも少し書かれているだけで、本堂を公開しているかはわかりません。下関旅行は、これからも続きます。●下関旅行
2007/01/24
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◇桂浜から高知市内へ戻る途中に長宗我部元親像があります。長宗我部元親像は、1999年ごろ造られたそうです。四国をほぼ統一した英雄ですからね。あまり知らないですけどね。四国を旅行していると所々に名前は出てきます。関ヶ原以前ですので、あまり残ってないですね。徳島には長宗我部元親に滅ぼされた一族の血天井の寺があるそうです。訪れた事はありませんが、ほとんどわからないらしいですね。この近くには、長宗我部元親公墓があります。訪れた事はありますが、今回は訪れませんでした。1599年京都の伏見で亡くなったらしいですが・・・。訪れたい所はありましたが、道を間違えてしまいました。ぶらぶら帰る事にしました。高知旅行2は、これで終わります。●高知周辺2旅行高知旅行2(一)土佐二十四万石博高知旅行2(二)要法寺など 五藤家高知旅行2(三)山内家墓所高知旅行2(四)浦戸城天守址高知旅行2(五)桂浜高知旅行2(六)六体地蔵高知旅行2(終)は、このページです。
2007/01/23
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◇桂浜から車で帰る途中に看板に気がつきました。桂浜に上がる道路の手前に六体地蔵があります。観光スペースではないので駐車場も狭いです。NHK『功名が辻』を見ていない人には、何の事やらわからないですね。地蔵が六体あります。説明によれば、そんなに古いものではないみたいですね。「南浦地蔵尊」と看板には書かれています。一領具足供養の碑があります。これも新しいものです。説明も彫られています。石丸神社1600年関ヶ原の戦後、山内一豊が土佐の国主となる。長宗我部の浦戸城の明け渡しに際して「旧主のためにせめて一部でも」と主張し頑強に抵抗したが討ち取られ、12月5日に浦戸城は接収された。この抵抗した一領具足の273人の首は塩漬けにされてして12月晦日、大阪の井伊直政のもとへ送られた。その胴体を埋葬し後に石丸塚として祀られたところに地元有志によって建立された小祠が「石丸神社」である。高知旅行2は、まだ続きます。
2007/01/22
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◇朝は晴れるそうなので、出かける事にしました。どこが晴れているかわかりませんほどの曇り空でした。天気予報は、どうなっているんだ。出かけたものはしょうがない・・・。自宅出発 ▼一部高速で移動 ▼しまなみ海道(今治~大三島 2550円か2700円) ▼大三島宮(少し訪れただけ) ▼盛港 片道140円 ▽大久野島港 ↓大野久島毒ガス資料館 入館料100円 ↓毒ガス貯蔵庫跡 ↓北部砲台跡 ↓中部砲台跡 ↓展望台 ↓発電所跡 ↓南部砲台跡 ↓大久野島港 ▽盛港 ▼姉妹地蔵 ▼大見八幡大神社 ▼大三島宮 ↓大山祗神社宝物館 共通券1000円 ↓鶴姫公園 ▼宗方小学校跡 映画『船を降りたら彼女の島』撮影地 ▼古城島甘崎城址 ▼しまなみ海道パーキング「鯛かま潮ラーメン」650円 ▼帰宅!●大三島と大久野島へのぶらり旅行で訪れた所大久野島(一)毒ガス資料館大久野島(二)砲台跡大久野島(終)発電所跡大三島2(一)大山祗神社大三島2(二)鶴姫公園大三島2(終)旧宗方小跡◇曇り空で、少し寒かったです。この時期にしては温い方だと思います。「大久野島」へは広島・忠海港から訪れる計画でいましたが、今回「大三島」へ行く事になったので訪れる事にしました。「大久野島」ですが、船便がすくないです。ですので、短時間いるか、長時間いるか、どちらかになります。島一周は早く歩けば1時間チョイであるけますが、看板があまり無いので、道を間違うと時間が足りなくなります。うさぎがたくさんいるので、いいのですが、糞も多いですね(笑)。「大三島」は「大山祗神社」が目的でした。しまなみ海道を自転車で横断した時に寄れなかったので訪れたい場所でした。時間に追われましたが、少し懐かしい感じがしました。
2007/01/21
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◇坂本竜馬記念館に車を停めて歩いていきました。少し距離がありますが、少し高めの所から桂浜が見えます。桂浜へ訪れたのは、3度目だと思います。たまに来るだけなので、すっかり忘れていますね(笑)。坂本竜馬像も、これほど大きかったのかと思いましたね。台座もでかくて、威圧感があります。本人が望んで銅像になっているわけではないですから、もう少し考えてほしかったですね。銅像になって喜ぶのは、政治家と一部の宗教家だけでしょうね。冬場の海辺でしたが、気温的に暖かく寒く感じませんでした。少し黒い雲が出てきていましたが・・・。冬なのに、たくさんの人が訪れていましたね。高知旅行2は、まだ続きます。
2007/01/20
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◇山内家墓所から車で移動しました。10kmぐらいあるのですかね、桂浜までは。昼間なら高知はあるていど道はわかるので迷わずに訪れられました。目的は桂浜ではないです。坂本竜馬記念館に車を停めました。坂本竜馬記念館には一度訪れた事があるので入館しませんでした。浦戸城天守址を探す事にしました。碑があるみたいですが、見つからないです。坂本竜馬記念館の横の小高い山があるので登ってみました。碑はありませんでしたが、看板がありました。現在は小さな鳥居があります。長宗我部時代の山城天守があった場所です。看板が無ければ、訪れてもなんだかわかりませんね。見つかってほっとしました。でも碑と井戸跡と石垣跡は見つかりませんでした。古い城址ですので看板もありませんからね。高知旅行2は、まだ続けます。
2007/01/19
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◇山内家墓所は一般公開していません。ですが、二十四万石博の一環として、その開催期間中の土日祝の公開をしていました。一般公開されていないというのには、すこし驚きましたね。お墓ですので、個人の考え方でしょうけどね。一般公開していない理由の一つかもしれませんが、少し危ない場所もあります。早めに整備をしないと、山自体が危なくなりそうですね。墓の形の説明は参考になりました。時代により墓の流行があったなんて知りませんでしたね。初めは入口がわからずに、山の方から入ってしまいました。すいません(笑)。高知旅行2は、まだ続きます。
2007/01/18
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◇高知には何度か訪れていますが、高知旅行2にしておきます。土佐二十四万石博を見に高知に訪れました。前回気がつきませんでしたが、城の目の前に五藤家屋敷があります。元々は大きい屋敷だったらしいですが、今は気をつけないと見落としてしまいますね。高知城から鏡川を渡ってすこしのところに、要法寺があります。山内一豊が長浜城主となった際に愛知から住職が呼ばれ、以来、掛川、高知へと移転した。三葉柏をあしらった屋根や瓦やガラス戸などに密接な関係が伺えます。道沿いにありますので、あまり大きな寺ではありません。境内は拝観自由です。三葉柏の家紋が所々にある寺は珍しいですね。高知旅行2は、まだ続きます。
2007/01/17
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◇矢掛本陣のとなりぐらいに柚べしの土産物屋があります。ちょっと味が濃いですね。当時の非常用の食べ物でしょうか?矢掛にはまだ見るところはあるみたいです。「大通寺庭園」は、少し遠いのと冬の庭園は少し地味な感じがしますので訪れませんでした。「流れ橋」ですが、謂れなどが書かれていませんでしたので、橋げたと橋の一部があるだけでした。説明がない所が多いので、よくわかりませんね。近くの町にも何かあるみたいに地図には書かれていました。説明はないので、なんのことやら・・・。レンタサイクルも駅にあるみたいな事をマップに書かれていましたが、まったく気がつきませんでした。町の本通は妻入商家町なみ保存地区だそうです。あまり何かわかりにくい観光ですが、もう少し温い時期に訪れたいと思います。福山経由で電車で帰りました。これで矢掛旅行は、終わります。●岡山県矢掛ぶらりと歩いた所!矢掛旅行(一)脇本陣矢掛旅行(二)本陣矢掛旅行(終)は、このページです。
2007/01/16
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◇天気は晴れで、最低気温は-2度らしいです。なかなか電車の便数が少ない津和野に行くことにしました。山口周辺旅行の3の3です。津和野は島根県です(笑)。宿出発 ↓高田公園 ↓湯田温泉駅津和野駅 ↓駅前レンタサイクル店 (2時間500円・その後1時間100円) ▽カトリック教会乙女峠資料館 無料 ▽大岡家老門 ▽藩校養老館跡 ▽弥栄神社 ▽太皷稲成神社 ▽馬場先櫓 ▽西周旧宅 ▽森鴎外旧宅 入館料100円 ▽津和野城跡登山口 ↓津和野城跡(三本松城跡) ↓津和野城跡登山口 ▽永明寺森鴎外墓 ▽レンタルサイクル返却 ↓津和野駅山口駅新山口駅厚狭駅糸崎駅岡山駅坂出駅 ▼帰宅!●津和野旅行で訪れた場所津和野旅行(一)乙女峠展示室津和野旅行(二)大岡家老門津和野旅行(三)太皷谷稲成神社津和野旅行(四)森鴎外旧宅津和野旅行(五)津和野城跡津和野旅行(終)永明寺境内◇津和野は思ったより狭いところでした。津和野城跡リフトは動いているかどうか知りませんが、冬場は動く時間帯が遅いので登山しました。津和野城跡に訪れられた事はよかったですが、「マリア聖堂」や「鷲原八幡宮」などまわれなかったですね。電車の便が悪くて、3時間に1本ぐらいしかないので乗り遅れは、後々きつくなりますね。なかなか訪れる事ができない場所なので、もう訪れる事はないかもしれませんね。「青春18きっぷ」を使って無事帰宅できました。詳細は、また後で書きます(笑)。ここ最近で山口県に訪れた記録です。●山口と防府の小旅行●柳井・岩国・宮島へ
2007/01/15
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◇天候は晴れで朝は氷点下らしい~。なかなか訪れられなかった萩へ行けます。山口周辺旅行の3の2です。宿出発 ↓宇部新川駅厚狭駅長門駅東萩駅 ↓レンタサイクル店(1日800円) ▽松陰神社松下村塾吉田松陰歴史館 入館料500円松蔭だんご ▽伊藤博文旧宅・別邸 ▽玉木文之進旧宅 ▽吉田松陰誕生地・墓所・銅像 ▽東光寺 拝観料300円萩藩毛利家墓所 ▽奥平家長屋門 ▽井上勝旧宅址 ▽小川家長屋門 ▽前原一誠旧宅 ▽旧萩藩御船倉 ▽野山獄址岩倉獄址 ▽亨徳寺三門 ▽熊谷美術館(冬場休館) ▽旧周布家長屋門 内部拝観無料 ▽旧繁沢家長屋門 ▽益田家家老長屋物見矢倉 ▽間田益田氏旧宅土掘 ▽旧毛利別邸表門 ▽天樹院墓所 拝観料20円 ▽旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 入館料共通210円 ▽萩城跡 共通券福原家書院 ▽口羽家 入館料無料 ▽旧二の宮家長屋門 ▽旧祖式家長屋 ▽旧梨羽家書院 ▽田中義一誕生地 ▽高杉晋作誕生地 ▽レンタサイクル返却 ↓東萩駅長門駅厚狭駅新山口駅湯田温泉駅 ↓温泉街宿泊!●萩旅行で訪れた所萩旅行(一)松下村塾萩旅行(二)松陰幽囚の旧宅萩旅行(三)伊藤博文旧宅萩旅行(四)松陰墓所萩旅行(五)東光寺萩旅行(六)長屋門萩旅行(七)旧萩藩御船倉萩旅行(八)野山獄址萩旅行(九)矢倉長屋萩旅行(十)天樹院墓所萩旅行(拾壱)萩城跡萩旅行(拾弐)口羽家住宅萩旅行(終)高杉晋作誕生地山口の湯田温泉へ●下関旅行で訪れた所●津和野旅行で訪れた所◇萩は細かい観光地が多いですね。全部はまわりきれなかったですが、大まかにはまわれました。電車では萩に訪れるには不便な所ですね。接した人はいい人ばかりでした。湯田温泉に早く訪れて温泉を何ヶ所かまわりたかったですが、1ヶ所はいると満足しましたね。10ヵ所ぐらいは日帰りでは入れるところがあるみたいです。足湯も所々にありますが、冬場は寒すぎますね。思ったよりゆっくりと出来てよかったですね。詳細は後で書きます(笑)。
2007/01/14
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◇「青春18きっぷ」を使う為に出かけました。天候は曇りです。今までで最長の8時間の電車移動です。山口周辺旅行3回目の1です。出発 ▼坂出駅岡山駅広島駅下関駅 ↓観光案内所でレンタサイクル場所を聞いて借りる(1日400円) ▽光明寺 ▽厳島神社 ▽桜山神社 ▽了円寺 ▽萩藩新地会所址 ▽高杉晋作終焉の地 ▽ひょうたん井戸 ▽白石正一郎旧宅址 ▽大歳神社 ▽日和山公園つかずの灯籠高杉晋作像 ▽光明寺 ▽下関南部町郵便局旧秋田商会ビル ▽引接寺 ▽史蹟春帆楼日清講和記念館 ▽赤間神宮 ▽亀山八幡宮 ▽旧下関英国領事館 ▽レンタサイクル返却 ↓海峡ゆめタワー 600円 ↓下関駅宇部駅宇部新川駅 ↓宿へ!●下関旅行で訪れた所!下関旅行(一)光明寺 韓寺下関旅行(二)桜山神社下関旅行(三)高杉晋作終焉の地下関旅行(四)ひょうたん井戸下関旅行(五)晋作通り下関旅行(六)高杉晋作陶像下関旅行(七)旧秋田商会ビル下関旅行(八)引接寺下関旅行(九)春帆楼下関旅行(十)赤間神宮下関旅行(終)海峡ゆめタワー◇急行は使わなかったので観光の時間が少なかったです。入館時間などに間に合わなかったのが多かったです。下関からは門司と長府方面へ行けるので、また訪れて見たいと思います。写真を撮っている所は幕末などに謂れがある所なのですが、見ただけではまったくわかりませんね(笑)。詳細は後で、書きます。
2007/01/13
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◇少し出かけますので、少しの間、休みます。中国地方の西の方へ行きます。時間がかかるので、泊まりになります。全部はまわりきれないでしょうが、有名な所をまわってきます。無事戻って来たいと思います。手抜きです(笑)。
2007/01/12
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◇脇本陣から道沿いに歩いて5分ぐらいの所に矢掛本陣(石井家)があります。右手の本陣の門は閉まったいますので、酒屋の方から入ります。入場料は400円です。割引もありますが、券を持ってないと引いてくれません。ボランティアの方の説明もあります。矢掛町は参勤交代の頃、旧山陽道の十八番目の宿場として栄え、産業・交通・文化の中心として発展しました。矢掛宿には、全国唯一の本陣・脇本陣が共に国指定重要文化財として旧姿を残している。説明をしてくれるのはうれしいですが、写真を撮るには・・・・。10人ぐらいの団体がいたので、説明はあまり聞かずに写真を撮っていました。改装工事をして、現在の姿になっています。酒造屋として経営を続けていたので、現在まで残っていたのでしょうか?宿札など見る所も多かったですね。矢掛旅行は、続きます。
2007/01/11
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◇「青春18きっぷ」を使って訪れました。距離もないし、私鉄に乗るのであまり得な感じではありませんでした。岡山県総社駅まで行き乗り換えました。井原鉄道 新ほのぼのフリー切符を1200円で買いました。そんなに乗り降りするわけではないので得ではないですね。ちょっと料金が高いですね。(1月11日は1回乗り降りで100円の日です)井原鉄道は最近出来た鉄道なので古い観光の本には載っていません。昔は公共機関を使って訪れるのは難しい場所でした。矢掛駅で下車しました。1kmぐらい歩いた所に旧矢掛脇本陣 高草家があります。こちらは外観のみの見学です。観光地で道は綺麗に舗装していますが、電線が飛び交っていますね。内部公開していない理由は看板には書かれていませんでした。この地区あまり見るものがないのだから・・・(笑)。矢掛旅行は、まだ続きます。●岡山県矢掛ぶらりと訪れた所!
2007/01/10
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◇土佐二十四万石博は1月8日まででした。博覧会といっても、「大河ドラマ館」があるだけです。入場料は500円です。雰囲気はこんな感じです。会場にはQ&Aの看板がありました。「千代と一豊は子供を拾って育てたのは本当?」「千代と一豊の娘が亡くなった長浜大地震ってどれぐらいの大きさだったの?」「合戦のときの旗指物の役割は?」「秀吉は市が好きだったの?」「しずがたけの七本槍とは?」「忍者って本当にいたの?」「何万何千の軍勢が移動する戦の宿泊、食事、トイレ事情は?」「一豊・堀尾・中村がなった宿老とは?」「男性の髪型で月代がある人とない人があるのはなぜ?」「合戦で戦う足軽は、ふだんは何をしていたの?」「戦国時代のお風呂って?」「しずがだけの戦いのときに家康が食べていたといわれる麦こがしって何?」「秀吉の千成り瓢箪の由来は?」「火縄銃の殺傷力はどのくらいだったの?」「合戦の怪我の手当ては誰がしていたの?」「合戦の縁起かつぎってどんなものがあったの?」 こんな感じのQ&Aでした。「大河ドラマ館」は、ドラマで使われた衣装や鎧などが数点展示されていました。年表やあらすじなどが貼られていました。著作権があるのか、あいかわらず役者のイメージの物はほとんどありませんね。歩くだけなら3分で外に出てしまうかもしれませんね(笑)。
2007/01/09
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◇『白虎隊』の後編だけ見ました。あまりにも美化しすぎているドラマになっていました。これじゃ昔の教科書に載せるのと、かわらないでしょうね。米国の映画の様に政治関係と日本もなってきたのかなとおもわせましたね。自分の記憶では『白虎隊』は、ほとんど何もしてないはずですが・・・。ものすごく戦ってましたね。敵が的の様になっていましたけど・・・。『白虎隊』よりも、この戦争に焦点を合わしてほしかったですね。「城が燃えていると勘違いして・・・」と言ったのは誰ですか?自決した人間が生きていたわけではない。教科書の記載の影響なのでしょうか?昨年、子供の自殺が問題になっていて、この正月に子供が自決するドラマ。ん~何が言いたいのやら、タイミングが悪いと思います。美化しすぎたドラマですから特に気をつけないといけないとおもいますね。演技が下手すぎて、感情がまったくはいらず・・・。
2007/01/08
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◇友達から借りてみました。「中島みゆき」が出演してなかったら見てないで壮ね。なにが言いたいのか、まったくわからない映画です。無限に話が続くと思います。テレビドラマですると視聴率が取れずに、すぐに打ち切られる内容だと思います。それほどほのぼのしすぎです。この監督の作品は、ここ最近はいまいちな感じです。よくわからないのが多いですね。自分の感性不足ということにしておきましょう。男はブサイク系、女は綺麗系です。ちょっと差がありすぎですね。も少し過去を掘り下げないと、兄弟の関係が希薄な感じがします。双子の漫才コンビの話を聞いているみたいですね。演出も笑いを取れるときにとらないし、涙のシーンで泣かさないし、何をしたいのやら。そうしなくてもいいいのですが、それを補うものがあればですが・・・。「中島みゆき」ですが、どうでもいい役ですね。よく出演したなと思います。それも太陽の下での撮影は、NGのはずなのに・・・。紫外線を浴びると腫れるらしいと言っていましたから。何か一つ映画全体に価値観がほしいと思いましたね。兄弟の体系が違う所は、まったく生かされたなかったと思います。小さな幸せですが、続かない幸せですね。ずるがしこい人間の方がいい映画になったいる気がしますね。勘違いする小さな幸せを見たい人は見てください。面白くはないよ(笑)。
2007/01/07
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◇雨がふるっていっていたのに、曇り空なので出かけました。『土佐二十四万石博』が1月8日までなので行くことにしました。1時間ぐらいで高知までいけますので行って来ました。「青春18きっぷ」を使わないでどうするの、絶対余る気がしますね(笑)。出発 ▽高速道路城前駐車場 1時間300円 ↓高知城土佐二十四万石博 入場料500円 ↓五藤家屋敷(外観のみ) ↓城前駐車場 ▽要法寺 ▽山内家墓所 ▽坂本竜馬記念館浦戸城天守址 ↓桂浜坂本竜馬像 ▽六体地蔵 ▽長宗我部元親像 ▽帰宅!●高知周辺2旅行で訪れた場所!高知旅行2(一)土佐二十四万石博高知旅行2(二)要法寺など 五藤家高知旅行2(三)山内家墓所高知旅行2(四)浦戸城天守址高知旅行2(五)桂浜高知旅行2(六)六体地蔵高知旅行2(終)長宗我部元親像◇『土佐二十四万石博』は評判通りにつまらなかったですね。500円は、ちと高いですね。急に訪れたので、あまり周りきれていません。もう少し調べてゆっくり訪れてみたいですね。詳細は、また後で書きます(笑)。昨年春に訪れた時の高知です。●高知へ旅行
2007/01/06
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◇金田一耕助シリーズです。ちょっと今回も、よく似た感じのシリーズです。毎回の身内の話ですね。CGも大雑把ですね。こう言う話は時代背景があるから、つじつまが合うので、今そのままするのは、どうなのかな?役者に魅力がないので、引き込まれる事はないですね。日本のドラマらしい、いい加減でしたね。時代が時代ですので、こういうものにあえてスポットを当てて問題定義をするのなら話は別ですけどね。そこまで考えているとは思えませんね。初めの殺人事件は、現実にあった殺人事件と同じ内容のをドラマで見たことがあります。でも事件の名前を忘れましたね。時効近くで放送された様な気がしましたが、勘違いかもしれませんが・・・。
2007/01/05
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◇『明智光秀・神に愛されなかった男』は3日に放送されました。ちょっと期待していたのですが、あまりにもお粗末ですね。比叡山焼き討ちのシーンが一番長かったのではないでしょうか?他の信長の話でも、飛ばされるシーンなので以外でしたけど・・・。国営大河ドラマの主役が、他の役で出ていたのには困りますね。まだイメージが残っていますからね。年数がたっても年をとらなかったですね。天海説をするのかと期待していましたがしませんでした。秀吉暗殺説も面白かったかもしれませんね。キンカンをサルが拾うだけでした。もう少し前フリをして、そこにもって行かないと何の事かわかりませんよ。光秀の金塊も隠して渡すシーンも、ほしかったですね。2時間半では、まともなドラマはできませんね。放送した事には感謝します。
2007/01/04
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◇正月元日にあったのを録画してみました。タイトルが『堀部安兵衛』ですが、その名前になるまでの話です。NHKの正月2時間時代劇は、ものすごくつまらないのが多いです。ストーリーを進めるだけ進めようとしている感じがします。今回も、面白くないです。良く言えば展開が早い、悪く言えばわけがわからないです。もう少し決闘のシーンを長くしてほしかったですね。決闘の理由はわかりますが、人数や助っ人の数が曖昧です。決闘後は両成敗だし、罰があると思いますが、その辺は何も言われていませんでした。養子に入る理由も曖昧だし、中山家を立て直すと始めは言っていた様に思うんですけど・・・。どこからどこまでが史実かがわからないので、どう考えていいかわかりませんね。日本人は今も昔も決闘好きは変わってないみたいですね。
2007/01/03
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◇正月恒例の、長時間歴史ドラマです。昨年『徳川三代の陰謀』で名前負けした敵討ちでしたが、今年も敵討ちでした。20年ぐらい前に、日本テレビ系でした『忠臣蔵』の方がドラマとしては面白かったと思います。でも、この温い感じの歴史ドラマは、居心地いいですね(笑)。前回もそうですが、陰謀と付けているのだから、もう少し陰謀をしてほしいですね。瑤泉院が忠臣蔵で前面に出てくるのは珍しいですね。初めから知恵がある感じにして、大石内蔵助を昼行灯にした方がよかったかな?討ち入りシーンですが、少し現実的にしていましたが、それが見たいかどうかの問題だと思います。それほどリアルでもなかったけどね。自分なら庭園を作って、雪の砂絵で決闘させたいですけどね。25人殺して、赤穂浪士の死者がいないと言うのは、もっと一方的な展開だったと思いますけどね。吉良家から見た忠臣蔵も見てみたい気がしましたけどね。浅野内匠頭もノイロウゼで斬った感じでした。同じ放送局でしていた番組の様にした方が陰謀が生きてくる感じだったと思います。見るのは疲れました。
2007/01/02
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◇あけましておめでとうございます。今年も来てくれた方よろしくお願いします。たぶん続けていけると思います(笑)。健康に気おつけて、お互いがんばって生きましょう。正月は、手抜きで、ごめん天気は晴れでした。
2007/01/01
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